October 05, 2005Steve Tyrell Live: The Man Behind "Greatest Song Book"【スティーヴ・タイレル・ライヴ~『グレイト・ソングブック』の影の仕掛け人】 渋声。
しかし、日本ではまったくと言っていいほど知名度がない。アルバムの内容が、いいだけにもったいない。ロッド・スチュワートの一連の『グレイト・ソング・ブック』第1集から第3集までがこのところ大人気だが、まさにあれと同じ雰囲気を漂わせている。実際、第3集をプロデュースしたのは、このスティーヴ・タイレルなのだ。たぶん、CMなどに使われたらそこそこブレイクすることは間違いないのだが、まあ、タイミングというか、今、その波が来ていないということだけなのだろう。 で、いろいろ調べてみるとこの人のキャリアは実に多彩だ。テキサスに生まれ、ジョー・サンプルとは幼なじみ。99年のソロデビュー時に「50歳の遅咲きデビューと」宣伝されたので、1949年生まれではないかと書かれているが、実際はもう少し行っていると思う。64-65年くらいに19歳くらい、つまり1945-46年くらいではないだろうか。 ハイスクール時代にR&Bバンドに参加して歌っていた。テキサスのレコード・ディストリビューター(卸元)で働いているうちに、レコード会社の人間と知り合い、ニューヨークのインディ・レーベル、セプター・レコードに入社。ここで、レコード業界のイロハを教わる。当時はA&R(アーティスト&レパートリー=ひとことで言えば制作のディレクター)という言葉はなかったが、制作まわりの雑用をすべてやらされた。そのころのセプターは、バート・バカラックとディオンヌ・ワーウィックが手を組み大ヒットを次々に出していた頃。その後、BJトーマスの売出しにも成功。さらに、ロスにやってきて、テレビ関係、映画音楽関係の仕事を多数やるようになった。 ひょんなことから、映画『花嫁の父親』のなかでクラブシンガーの役で歌ったところ、これが大評判を得て、レコード・デビューすることに。裏方からいきなり表舞台にでることになった。アトランティックで1枚スタンダードばかりを収録したアルバムを出したところ、ジャズシーンで大ヒット。 これを聞いたロッド・スチュワートは、スティーヴに惚れ込み、自分も同じようなアルバムを作りたいと連絡してきた。そして、ロッドが録音したアルバムが『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』だった。ロッドはこの一部をスティーヴのスタジオでレコーディングしている。これを作っているときには、ロッドは10万枚も売れればいいだろう、と思っていたという。ところがリリースされると100万枚以上の大ヒットになり、第2集、さらにその続編とリリースされる。そして、第3集では、スティーヴ自身がプロデュースすることになった。この第3集は、3作のなかでも一番売れ、両者にグラミー賞をもたらした。 スティーヴのアルバムを聞いて、ロッドのあのアルバムを思い浮かべるのは自然なことなのだ。 そんなスティーヴが初来日。初日横浜モーション・ブルーでライヴを見た。バックはたった6人なのに、ビッグバンドのようなサウンドアレンジ。さすが、名アレンジャーだけある。そして、CDと同じ歌声を響かせた。いやあ、しびれた。 (この項明日へ続く) (スティーヴのライヴは、10月9日=日=、10日=月・祝日=、11日=火=と3日間ブルーノートであります。古き良きヴォーカルをお求めのかたは、ぜひ) ■ブルーノートウェッブ ■Setlist: Steve Tyrell @ Motion Blue, Second Set, October 4, 2005 show started 21:33 (2005年10月4日火曜、横浜モーションブルー・セカンド=スティーヴ・タイレル・ライヴ) コメント
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