June 08, 2006

Billy Preston Dies At 59: Piano Man On Rooftop

【ビリー・プレストン死去~屋根の上のピアノ弾き】

実績。

エンカレッジング・ワーズ(紙ジャケット仕様)60年代から70年代にかけてヒットを送り出し、その後もキーボード奏者として活躍してきたビリー・プレストンが、去る6月6日(火曜)、アリゾナ州スコッツデールの病院で死去した。59歳だった。プレストンは長く腎臓病を患い、2002年に腎臓移植を受け、その後人工透析をしていた。昨年11月心臓が感染症を起こし意識不明になっていた。以来意識が戻ることはなく、先週末、容態が急変し火曜日死去した。

ビリー・プレストンは1946年9月9日テキサス州ヒューストン生まれ、2歳からロスアンジェルスに育った。本名ウィリアム・エヴァレット・プレストン。10歳の頃、ゴスペルシンガーのマヘリア・ジャクソンとともにステージに立ち、神童と呼ばれた。12歳の時、1958年の映画『セント・ルイス・ブルース』でピアノを演奏。この映画は伝説のブルース・シンガー、WCハンディーの自伝映画で、ハンディーの子供時代を演じた。ちなみに、大人になったハンディーを演じたのはナット・キング・コールだった。

アメリカのテレビ番組『シンディグ』にレギュラー出演。レイ・チャールズなどのツアーにも参加。業界内でキーボード奏者としての評価を確立、そんな評判からビートルズの「ゲット・バック」、「ドント・レット・ミー・ダウン」などのレコーディングに参加。「5番目のビートル」などとも称された。ビートルズは69年がライヴの最後の年となるが、同年行われた有名な「屋根の上のコンサート」でも、彼はオルガンをプレイしている。このシーンは映画『レット・イット・ビー』に収録されている。ビートルズの中では特にジョージ・ハリソンと親しく、ハリソン関係のセッションに参加したり、ハリソンが亡くなった時の追悼ライヴでもプレイしている。多くのセッションにも参加、スライ&ファミリー・ストーンともレコーディングしている。また、プレストンは75年、ローリング・ストーンズのアメリカツアーにも参加。『ビートルズとストーンズとプレイした男』にもなっている。

ビリー・プレストンとしては、当初アップル・レコードに所属していたが、72年A&Mレコードに移籍。同年インストゥルメンタルの「アウタ・スペース」が全米ナンバーワンを記録。同曲はグラミー賞も獲得。さらに「スペース・レース」「ナッシング・フロム・ナッシング」などの大ヒットが続いた。モータウンに移籍して1980年、シリータとのデュエット「ウィズ・ユー・アイム・ボーン・アゲイン」がビルボード・ポップチャートで4位を記録。

長いセッション・マンの歴史の中で、彼はアレサ・フランクリンの『ヤング・ギフテッド&ブラック』、ボブ・ディランの『ブラッド・オン・ザ・トラックス』、スライ&ファミリー・ストーンの『ゼア・イズ・ア・ライオット・ゴーイング・オン(邦題、暴動)』などに参加。様々なジャンルの歴史的名盤に名を残した。

映画『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』、『ブルース・ブラザース2000』にも出演。また、昨シーズンのテレビ『アメリカン・アイドル』にも登場していた。

1990年代は、それまでのアルコール中毒、ドラッグ問題などさまざまなプライヴェートでの問題が表面化し、刑務所入りしていたこともある。

最近では、2006年1月にリリースされたソウルシンガーのオムニバス・アルバム『アイ・ビリーヴ・トゥ・マイ・ソウル』で3曲歌っていた。これが遺作となった。

ビリー・プレストンはかつてこう言っていた。「何かをする時にはできる限りベストを尽くせ。何かとてつもなく重要なことをしているなんてことは、その時は誰にもわからないものだ。たとえ、それが歴史に残るセッションであっても、その時にはわからない。それができる才能があったこと、ベストを一生懸命尽くしたこと、それだけが実績なのだ」

彼にとっては単なる「屋根の上のセッション」だったかもしれないが、それが彼を一躍有名にし、その後の音楽業界でのステータスを決定的にした。

ENT>OBITUARY>Preston, Billy / June 6, 2006 (59)

投稿者 吉岡正晴 : June 8, 2006 04:06 AM
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