November 12, 2006Gerald Levert Dies Of Heart Attack At 40【ジェラルド・リヴァート心臓発作で40歳で急死】 急死。 R&Bシンガー、ジェラルド・リヴァートが2006年11月10日(金曜)、オハイオ州クリーヴランドの自宅で心臓発作のため急死した。40歳だった。家族によると、就寝中に他界した模様。クリーヴランド郊外のジョーガ・メディカル・センターに運ばれてきた時には、すでに死去していた、という。ジェラルドはグループ「リヴァート」のリードシンガー。ソロとしても活躍。父親は数々のヒットを放ったオージェイズのエディー・リヴァート。父親の出身地、オハイオ州カントンには、彼らの名前を冠したストリートがある。 アトランティック・レコードは、「アトランティックの全スタッフはこのまったく予期せぬ彼の死に衝撃を受け、深い悲しみに包まれている。私たちの時代のもっとも素晴らしい声の持ち主の一人だった。シンガーとしてだけでなく、プロデューサー、ソングライターとしても素晴らしかった」とコメント。 パティー・ラベルは「私にとっては、息子のような存在。驚くべき才能の持ち主だった。大変なハードワーカーで、行くべきところに行き、すべきことをする人物でした。仲間がいるところにはいつも現れ、人々に触れたものです」と述べ、葬儀で歌うと語った。 ジェラルド・リヴァートは1966年7月13日、オハイオ州クリーヴランド生まれ。父親のエディー・リヴァートは、フィラデルフィア・サウンドで人気となったR&Bヴォーカル・グループ、オージェイズのリード・ヴォーカル、エディー・リヴァート・サー。ジェラルドは1984年に、弟のショーン・リヴァート(1968年9月28日生まれ)と幼少時代からの友人マーク・ゴードンとともにR&Bヴォーカル・グループ、リヴァートを結成。 1985年、地元のインディ・レーベル、テンプレから出した「アイム・スティル」が小ヒット。その後メジャーのアトランティックに移籍し、1986年7月、「(ポップ・ポップ・ポップ・ポップ)ゴーズ・マイ・マインド」がブラックチャートでナンバーワンとなり、一躍人気グループに。以後、「カサノヴァ」(1987年)、「アディクテッド・トゥ・ユー」(1988年)、「ジャスト・クーリン」(1989年)など多数のヒットを生み出した。 1991年には映画『ニュー・ジャック・シティー』のサウンドトラックで、父親たちのヒット曲「フォー・ザ・ラヴ・オブ・マネー」、「リヴィン・フォー・ザ・シティー」をカヴァー。 さらに同年、ジェラルドはグループ活動とは別にソロ活動を開始。初ソロアルバム『プライヴェート・ライン』を発表。この中で父親エディー・リヴァートと「ベイビー・ホールド・オン・トゥ・ミー」をデュエット。これは1992年になってからブラックチャートでナンバーワンを記録する大ヒットになった。 弟のショーン・リヴァートも1995年、ソロ・デビュー。ショーン名義の1995年作品「セイム・ワン」には、ジェラルド、さらに父エディーも参加した。1995年には、ジェラルドとエディーは『ファーザー&ソン』というアルバムを発表している。 ジェラルドは、1997年、R&Bシンガー、キース・スゥエット、ジョニー・ギルとともに、ワンショット的に「LSG」というグループを結成。これは、リヴァート、スゥエット、ギルの頭文字を取ったもの。 最新作はジェラルド・リヴァート名義がスタジオアルバムとしては2004年の『ドゥ・アイ・スピーク・フォー・ザ・ワールド』、2005年にこれまでの作品を集めたコンピレーション的アルバム『ヴォイセス』を出している。また、グループ、リヴァート名義では1997年の『ザ・ホール・シナリオ』で、その後2001年ベストが1枚でた。 父親譲りの荒々しくソウルフルな歌唱が最大の魅力で、80年代の歌えるシンガーとして大きな人気を博した。 ジェラルドには4人の子供がいる。 ENT>OBITUARY>Levert, Gerald/July 13, 1966 - November 10, 2006 (40) コメント
k.m.joe さん ほんとうですね。これからという時期にね。ひじょうに残念です。ルーサーとは別の意味でショックです。\r Posted by: 吉岡正晴 : November 12, 2006 12:45 PMこれからの活躍が楽しみな人だっただけに残念ですね。親父をリスペクトし、そこから自分なりの音楽を創ろうとして我々もその現場に立ち会えるのも間もなくという感じだったんですが・・・。 Posted by: k.m.joe : November 12, 2006 12:37 PM |