November 13, 2007Nick Okai Tribute: “My Girl” Is A Song Made His Life Change【ニック岡井トリビュート~ニックの人生を変えた1曲】 思い出。 ニックは、生涯一ソウルDJだった。ニックの選曲は誰も真似できなかった。ニックが選ぶ曲を他の人がかけても、ニックがかけるようにはならなかった。 ニックは、生涯一ソウル・ダンサーだった。ニックのダンスは誰も真似できなかった。ニックが踊るように真似しようにも、誰もニックのようには踊れなかった。 逝去する一日前の土曜日も白金ダンステリアでのレギュラーDJをやるつもりでいた。ただし、その日は「ちょっと体調悪いから休むわ」と一本電話をいれていた。そして、11月11日も新宿のソウルバー「ジューク・ジョイント」の周年パーティーにちょっと顔を出すつもりでいた。 確かに勝本氏死去のときには、かなりニック自身が憔悴しきった感じはあった。痩せたなあとも思った。だが、まさか・・・。昨夜マイケル鶴岡氏から電話連絡をもらったときも、「嘘だろっ」と思った。すぐにみんなが集まっている三宿のソウルナッツに行った。 ニックが2003年5月、『ソウル・ブレンズ』に遊びに来たとき、何曲か選んだがその1曲にテンプテーションズの「マイ・ガール」があった。ニックはそのときこう答えていた。「この曲、リアルタイムで聴いてたんですよ。向こう(アメリカ)ではやっていた頃。やっぱりね、僕は、これ聴いて何十年とここまでやってきたような感じなんでね。この曲だけは、お墓に入るときもこの曲を流して欲しいな、って思って。(笑) それくらい好きです!」 流しましょう! 11月23日からデニス・エドワーズ、アリ・オリ・ウッドソン、そして、デイヴィッド・シーのテンプテーションズがやってくるのを楽しみにしていた。ニックは川畑さん(赤坂ミラクル・オウナー)らと一緒に行く予定だった。川畑さんが言う。「ニックから電話あってさ、テンプス行きたいから、予約しといてって言われて、日曜、予約しといたんだよ。それも先行予約だよ」 僕がニックに初めて会ったのは、1973年の5月か6月頃だと思う。当時僕はアメリカからソウルのシングル盤を輸入していて、それをあちこちのディスコに売り始めていた。最初六本木のエンバシーに行って、そこの勝本さんから新宿ゲットのニックを紹介された。レコードを持っていくと、最初はちょっと怖かったが、すぐにお互いソウルが好きだということがわかると、すぐに打ち解けた。最初のうちは店で話をしていたが、何回か通ううちに、僕が行くとニックはDJを若手に任せ、近くの喫茶店に行き、レコードを選んだり、ソウルの情報交換をするようになった。その後、彼が六本木の「インフィニティー」に移ると、そこにも行った。なにより、ジェームス・ブラウン関係のレコードには目がなかった。普段はけっこう曲についてあれこれ聴いてからシングルを吟味していたが、ピープル・レーベル(ジェームス・ブラウンのレーベル)の作品群だけは、見ただけで選んでいた。 「マイ・ガール」をきっかけにソウルの世界、ソウル・ダンスの世界に足を踏み入れて42年。ニックが踏み鳴らしたディスコ・フロアの足跡(あしあと)は、日本のソウル・ステップ史の足跡(そくせき)だ。 聞けばニックは医者から酒を止めるように言われていたが、隠れて飲んでいたらしい。それで肝臓はやられた。ソウルをこよなく愛し、酒を愛し、ソウル・ダンスを愛したニック岡井さん。安らかに・・・。 いや、天国で勝本さんとまた「キング・オブ・ソウル」か? ■以下、さっとニック関連の過去記事を。 2003/05/26 (Mon) 2003/05/27 (Tue) 2003/05/30 (Fri) 2003/09/30 (Tue) 2003/11/10 (Mon) 2004/06/18 (Fri) December 22, 2005 March 11, 2006 April 20, 2006 August 5, 2006 September 11, 2006 April 26, 2007 April 28, 2007 June 24, 2007 ENT>OBITUARY>Okai, Nick (9.29.1947 – 11.11.2007, 60) 投稿者 吉岡正晴 : November 13, 2007 12:49 AMコメント
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