December 25, 2007

Photographers & Musicians: What Will Photographer Capture Of Musician?

【写真家はミュージシャンの何を撮影するのか】

瞬間。

先日、デイヴィッド・T・ウォーカーの記事でいろいろ書いたが、それに対して写真家の坂下さんからBBSに『私もDavidの持つ全ての感情をキャプチャーしたいと思っていました』と書き込みをいただいた。

December 23, 2007
David “God’s Hand” T. Walker: There’s Movement In Stillness
http://blog.soulsearchin.com/archives/002219.html

BBS(2007年12月23日付け)
http://www.soulsearchin.com/soul-bbs2/soul20070927.cgi
上記記事に対する書き込み。

ミュージシャンを撮影する写真家というと、僕はいつもある一文を思い出す。

それはロバート・ジェームス・ウォラーの書いたベストセラー『マディソン郡の橋』(1992年)だ。ただし、その本編の小説ではない、最後の「あとがき~タコマのナイトホーク」という文章だ。

マディソン郡の橋 (文春文庫)
ロバート・ジェームズ ウォラー Robert James Waller 村松 潔
文藝春秋 (1997/09)
売り上げランキング: 71929

著者のウォラーが本編の主人公、ロバート・キンケードという写真家をリサーチし、キンケードを知るミュージシャン、ナイトホークを探し出し、彼についての話を聞いたものだ。

それによると、キンケードという写真家は、いつも「音楽を目に見えるイメージに変えようとしていた」という。あるとき、キンケードはナイトホークにこう言った。「あんたがいつも『ソフィスティケーテッド・レディ』の四小節目でやるリフがあるだろう? じつはこないだの朝、あのイメージを撮影できたような気がするんだ。海の向こうからうってつけの光が差してきて、ちょうどそのとき、アオサギがファインダーのなかで輪を描いた。その泣き声を聞きながらシャッターを切ったとき、実際、あんたのリフが見えたような気がしたんだ」(ロバート・ジェームス・ウォラー著、村松潔訳=文芸春秋刊)

拙著『ソウル・サーチン』ナタリー・コールの章で写真家と音楽家についてこう書いた。

「ミュージシャンと写真家には、ある種の共通の言語が存在する。ミュージシャンは、音符に生命を与え、生き生きとさせる。動きがなかったもの、凍っていたものを解凍するのだ。そして、写真家は、生きているものを、一瞬のフレームの中に凍結する。解凍と凍結。まったく逆の作業をするが、その本質はきわめて近い。そして、優れたミュージシャンは、音符でイメージや映像を作ろうとする。優れた写真家は、写真でメロディーを奏でようとするのだ。そして、優れた写真からは、音楽が沸き上がり、優れた音楽からは、映像が広がるのである。
 ジョージ・ハレル(ナタリー・コールの『アンフォーゲッタブル』のジャケット・ポートレートを撮影した写真家)は、このアルバムに収められた音楽を見事にひとつのナタリーのポートレートに凍結したのだ。そして、ナタリーはその歌で、この写真を解凍する。このアルバム・ジャケットとCDに収められた音楽には、凍結と解凍の永遠の連鎖が美しく存在しているのである」(『ソウル・サーチン』吉岡正晴著=音楽之友社刊)

デイヴィッド・T・ウォーカーは、彼のリフを見るが如く撮影したいと願う写真家にとって、最高の被写体だ。

ソウルサーチン R&Bの心を求めて
吉岡 正晴
音楽之友社 (2000/07/13)
売り上げランキング: 737298


ENT>ESSAY>
ENT>MUSIC>ARTIST>Walker, David T.

投稿者 吉岡正晴 : December 25, 2007 03:23 AM
コメント