November 17, 2008

Rufus @ Blue Note (Part 4) : Madame Dee Of Rufus Talks  

(昨日の続き)

【ルーファス(パート4)~マダム・ディー語る】

迫力。

ルーファスのライヴの中でも、ド迫力の歌唱を聴かせ観客の度肝を抜いたマダム・ディー。野太い声と最近のジェニファー・ハドソン風の派手なパフォーマンスで存在感を見せ付けたが、彼女はまだレコード契約もない無名のシンガーだった。アメリカ・エンタテインメント界の底力を見せた格好だ。彼女はルーファス・ショーでは「エヴァーラスティング」(ルーファスの1977年のヒット)と「ゴーイング・イン・サークルス」(フレンズ・オブ・ディスティンクションの1969年のヒット)の2曲を堂々と歌ったが、特に後者はそれを歌い終えた後、あまりの素晴らしさに観客が立ち上がって拍手をする「スタンディング・オヴェーション」が巻き起こったほど。

そのマダムに話を聞いた。マダムは、ノース・キャロライナ州ダーナムに1964年6月24日生まれた。兄がひとりいる2人兄弟。「兄は、歌えるけれど、歌でキャリアを築こうとはしなかった。私のバンドで歌っていたことはあるけど(笑)」と彼女は言う。

マダムの本名はドゥワナ・パーカー(Dwanna Parker)という。子供の頃は教会でゴスペルを歌っていたが、ゴスペルだけでなく、ポピュラーな世俗音楽も歌いたがった。ゴスペルの師匠が、ある時「ゴスペルを歌うか、世俗を歌うか、どちらかを選びなさい」と彼女に言った。マダムは、両方歌いたがったが、結局、ひとつしか選べないということで、ゴスペルを去り、ポピュラー音楽(ソウル・ミュージック)に進む事にしたという。20歳頃のことだった。父方も母方の家族も歌うことが上手だったそうだ。

ちなみに従兄弟のひとりにデブラ・ヘンリー(Debra Henry)といい歌手がいて、パティー・ラベルのバックコーラスを20年以上やっている、という。そのデブラ・ヘンリーを調べてみると、なんとパティー・ラベルだけでなく、コン・ファンク・シャン、リンダ・ロンシュタッド、ブルース・ホーンズビーなどのバックも務めていた。

ハイスクール卒業後、ビューティー・カレッジ(美容学校)に通い、歌とは別に美容師(ヘア・スタイリスト)の道を歩み始めた。ここを出た後は、ビューティー・サロンさらに、ネイル・サロンに就職、ついには独立して、自身のビューティー・サロンも持った。そこでやっている内に、もっと大きな成功を夢見るようになった。オウナーが「だったらLAに行ったらどうだ、その気があるなら、(LA行きの)チケットをあげるよ」と背中を押してくれた。意を決し、1996年5月にロスアンジェルスへ引っ越す。

ロスでヘア・スタイリストをやったり、洋服のデザインをしたり、クラブなどで歌い、最近ではカリフォルニア州エンシノにある「スティーヴィーズ」という店で歌ったりしている。実際、ここで歌っているときにトニー・メイデンが見ていて、声をかけられ、ルーファスのライヴに参加するようになった。昨年のこと。影響を受けたシンガーは、アレサ・フランクリン、ヴァネッサ・ベル・アームストロング、カレン・クラーク・シアードなど。「私はパワフルなシンガーが好きなのよ」と彼女は言う。

ルーファス・ショーでの「エヴァーラスティング・ラヴ」は、彼女が入る前はドラマーのドーネルが歌っていた。トニーらのアイデアで彼女が歌うことになったようだ。ちょうど、ミラクルではDJキヨミさんが次々とルーファスの曲をかけている。ちょうど、「エニー・ラヴ」がかかっている。続いて「シェアリング・ラヴ」が流れると、みんな大合唱だ。

「その声は、両親譲りなのですか」 「さあ、母はすごく低い声よ。私はソプラノ。あ、でも、母はものすごく声が大きいわ。(笑)」 いいシンガーの条件、それは声が大きいことか?(笑) 彼女は声も大きく、よく通る。体格もがっしりしている。

ところで、なぜ、マダム・ディーなのか。本名は、ドゥワナ・パーカー。実は、この本名をみんながなかなか正確に発音ができなかった。「ある時、ニグロ・カレッジ・ファウンドの会合で歌うことになったの。司会者が私の名前を聞いてきた。私は、ドゥワナ・パーカーと答えた。どうもわかってそうもなかったので、紙に書きましょうか、と言った。するとその彼は、『大丈夫、大丈夫』と返事をしてきた。さて、本番になって、いよいよ私の出番になった。すると、その司会者は大きな声で言った。『さあ、ご紹介しましょう! タワンタ・パークス!』 オ~マイ・ゴッド! こりゃあ、この名前じゃダメだわ、と思ったわ。そこで、名前を考えることにした。ノース・キャロライナ時代にヘアーのことを学んだビューティー・スクールの先生がいるんだけど、その人がマダム・ディシェイザーと言ったの。その人はダーハムで初めて黒人のビューティー・カレッジを作った人なんだけど、私が学校にいる間に亡くなってしまった。そこで、そこから名前を取って、マダム・ディーにしたのよ。これ以来、名前をステージで間違って呼ばれることもなくなったわ。気に入ってる。たぶん、私は24歳以降、マダム・ディーとしてやっているわ」

「あなたはCDは出していないんですよね。なぜですか」 「さあ、わからないわ。私は今まで(レコード会社から)アプローチされなかったということね」

ところで、「ゴーイング・イン・サークルス」は、その「スティーヴィーズ」でよく歌っていたという。もちろん、フレンズ・オブ・ディスティンクションのヴァージョンも知っている。

マダムの横で、金髪のヴァル・ヤングがトニー・メイデンやドラマーのドネールと話している。一段落したところで、ヴァルと話をした。

(この項続く=次回はヴァル・ヤングなどについて)

(2008年11月12日水曜、東京ブルーノート=ルーファス・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Rufus
2008-186

投稿者 吉岡正晴 : November 17, 2008 02:39 AM
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