March 06, 2009

Phillip Ingram Talks (Part 3): After Switch Changed

(昨日からの続き)

【フィリップ・イングラム(パート3)、スイッチを変えた後に~】

売れっ子。

「ローレンス、そこのフード、片付けないでくれ」とフィリップが言った。ファーストとセカンドの間に、ミュージシャンは軽く食事をする。この日は、フィリップが食事もそっちのけで話をしてくれたのだ。

モータウンの人気グループとなったスイッチは、1978年のデビュー作『スイッチ』から、1981年リリースの5作目『スイッチV』までコンスタントにアルバムを出した。モータウンを離れ、フィリップはグループを脱退、ソロへ。ロスでスタジオ・シンガーとして、他のシンガーのバック、コーラス、デュエットの相手、CM、また、映画の仕事などを幅広くするようになった。

グループ自体は1984年、ロニー・シモンズの持つトータル・エクスペリエンス・レコード(ギャップ・バンドで売出したレーベル)に移籍。また、グループのデバージ兄弟の別の兄弟たちが「デバージ」としてデビュー。スイッチをしのぐ人気となった。

フィリップが後でこれまでにスイッチ後にクレジットされたアーティストのリストをメールで送ってくれたが、これが膨大な量にのぼる。カニエ・ウェスト、セリーヌ・ディオン、ルーサー・ヴァンドロス、ベット・ミドラー、スターシップ(「セイラ」)、ワン・チャン(「エヴリバディー・ハヴ・ファン・トゥナイト」)ダイアン・リーヴス、サンタナ…。ポップ、ソウル、ジャズあらゆるジャンルを網羅している。

フィリップが言う。「映画もいろいろやったよ。ジュリア・ロバーツの『マイ・ベスト・フレンドズ・ウエディング』(1997年)は覚えているかい? あの中の最後の結婚式のシーンで『アイ・セイ・ア・リトル・プレヤー(小さな願い)』を歌ってるんだよ。(といって少し歌う)」 「えええっ? ほんと」と松尾さんと僕。「あの映画では、キャメロン・ディアスが変な声、出して歌うのが印象に残ってた(といって少し歌う)」 「そうそう、あれで、僕は歌ってたんだよ。他にも、『リトル・マーメイド』のヴォイス・オーヴァー(声優)やったよ。『ハッピー・フィート』や『シュリック』なんか(のサントラ)でも歌ってる」

映画のリストもすごい。他に『プリンス・オブ・エジプト』、『プリティー・ウーマン』『フライド・グリーン・トマト』、『コリーナ・コリーナ』、『ボディーガード』などなど。

松尾さん。「アリソン・ウィリアムスの『ジャスト・コール・マイ・ネーム』も大好きなんですよ」 「おお、あれはケン・カリーとデンジル・ミラーと一緒に書いた」 そして松尾さん。「ちょっとご紹介したい本があるんです。これはモータウンのボックスセットで1995年に日本で出たもので、彼(吉岡)もベスト10を選んで原稿を書いたりしてるんですが、この中で僕もモータウンのオールタイム・フェヴァリット、ベスト10をそれぞれ選んでいます。見てください。この僕のベスト10を。アルバムの1位、『スイッチ』!! そして、ソングの1位、スイッチの「アイ・ウォナ・ビー・クローサー」、2位、スイッチの「ゼール・ネヴァー・ビー」にしてるんですよ!!」 「ワオ、これはすごいね!」とフィリップ。「ゴメンね、僕はアルバムの1位に『ワッツ・ゴーイング・オン』(マーヴィン・ゲイ)選んでて(笑)」と僕。

で、このブックレット、よく見ると、松尾さんと一緒に対談もしてた。10枚組みで立派なブックレット付き、まだ商品としては売られているようだ。

http://www.u-canshop.jp/motown/index_gad.htmlad=adw162&gclid=CO_71pXn5pgCFUUwpAodpUISdQ

フィリップが言う。「あと、僕は日本人の杏里、角松敏生もやってるよ。杏里は89年から95年くらいまでツアーやレコーディングも一緒にやった。1曲『ヴォイス・オブ・ハート』という曲でデュエットもしてる」 どうやら、スイッチ後もロスの売れっ子シンガーになったようだ。

松尾さんが3枚目のアルバム『リーチン・フォー・トゥモロー』にもサインをもらっている。フィリップが言う。「この『リーチン・フォー・トゥモロー』は僕のスイッチの曲の中でもフェヴァリットなんだ。(といって少し歌う)」 さらさらとマジックでサインをしているが、このアルバムの上に「My friend in Japan」と書き添えた。そう、このアルバムには「My Friend In The Sky」という曲が入っていたのだ。それにひっかけて書いたのだが、やはりここでもそのサビのところを歌う。

「スイッチ・リユニオンはデトロイトあたりでやるとブラックばかりでものすごい反応なんだよ。圧倒的だ。だけど、白人のいるところはいまひとつかな。僕たちはクロスオーヴァーしなかったからね。ある意味、R&Bグループなんだ。トム・ジョイナーが70年代(78年)『ゼアル・ネバー・ビー』をブレイクさせてくれたんだ。その彼が今度のリユニオンを誘ってくれてね。最初デトロイトでやって、それからシカゴとかいくつかの都市に行って、SOSバンドやメリー・ジェーン・ガールズと一緒にやったこともあるよ」 「じゃあ、日本にもそのリユニオン・スイッチで、ここビルボードでやったらどう?」 フィリップが冷静に答える。「客は集まるかなあ。R&Bヒットはあるけど、トップ40ヒットがないからなあ。一番のヒットは、『ゼール・ネヴァー・ビー』『アイ・コール・ユア・ネーム』『ラヴ・オーヴァー・アンド・オーヴァー・アゲイン』といったところかなあ」 松尾さん。「あ、でも、アメリカでライヴやるときは僕見に行きますよ!」 

フィリップは最近週一回、ウェイン・ヘンダーソンがコーディネートして、日本から来た人物がやっている音楽学校的なところでヴォーカル・クラスを持って、教えているという。

「君たち、セカンド・ショーにも残るかい?」 「いやあ、もう行かないと…(苦笑)」。いやいや、話は尽きない。松尾さんは、新プロジェクトのレコーディングの途中、中抜けしてやってきた。僕は、マーヴィンを中抜けしてやってきた。そして、フィリップはまもなくセカンド・ショーが始まる。

ENT>MUSIC>ARTIST>Ingram, Phillip

投稿者 吉岡正晴 : March 6, 2009 07:47 AM
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