August 16, 2006

Silly Love Letters: Postcards Of Summer of 87 (Part 2 of 2 Parts)

夏休み、お盆スペシャルとして、昨日と今日に分けて、二人の大学生のとある夏の物語をお送りします。ノンフィクションですが、登場人物は仮名です。

【「シリー・ラヴ・レターズ」パート2】 

87年夏。二人の大学生が2ヶ月の夏休みの間にアメリカ本土全州制覇をする計画を立てた。そのうちの一人が、ガールフレンドに毎日絵葉書を描き綴り各地から送った。一体どのような旅になったのか。その絵葉書は、どうなったのか。とあるサマー・オブ・87の物語・・・。

■登場人物

イチロー=日本からの大学生
チューイ=イチローと同じ日本の大学からやってきた大学生
アイリス=イチローのガールフレンド

+++Postcards Of Summer Of 87

感動。

旅を続け、そこで触れる大自然は素晴らしかった。どの国立公園も景色が異なり、新たな国立公園に到着するときはいつも期待で胸が高まった。国立公園以外でも大自然は常に二人を魅了した。

ナイアガラの大瀑布(だいばくふ)、エメラルド・グリーンの海を走るキーウエストへのまっすぐの道、遥か谷底をメキシコとの国境を成すリオ・グランデ河が流れる絶壁、カリフォルニアの猛烈な砂漠の暑さ、地球上とは思えない不思議で壮大な景色が続くユタの巨石群、樹齢2000年以上でその周囲が20メートル以上のセコイア杉が無数に佇む森、ワイオミングの雄大な山々をバックに動くバッファローの大群、巨大な地下ドームが突然現れる洞窟とその入口を守る無数のコウモリ、標高4000メートル以上まで車で登り夜明けを迎えたロッキー山脈の神々しい山々。夜、国道でヘッドライトを消すと真っ暗闇になり、夜空に数え切れないほどの星が瞬いた。アメリカの大きな自然を彼らは感じ続けた。

イチローは、そんな大自然の感動を一枚一枚アイリスへの絵葉書にしたためた。全米の自然の雄大さがイチローが綴る絵葉書に載ってアイリスの元へ届いた。

街を抜けるとしばらくは砂漠のど真ん中にある道をひたすら走るだけで、景色はほとんど変わらないこともしばしばあった。国立公園でトレッキングしたりする以外は、毎日1日12時間以上走ってほとんどの時間を車の運転で過ごしていた。次第に二人は話すこともなくなってきた。

タイアが一度もパンクしなかったことが奇蹟だった。エンジンも、丈夫でエンストすることは一度もなかった。しかし、まずはパワーウインドウが効かなくなり、窓の上げ下げは手動になった。やがてエアコンも壊れ、そしてパワーステアリングがだめになり、ハンドルを回すのにも大変な力が必要になっていた。オイル漏れもひどかった。ガソリン・スタンドで直せるものは直してもらった。一度はそれでもだめで、イエローページで自動車工場を探し、訪ねたこともあった。2000ドルの中古車で全米を制覇するなどというのが、もともと無謀だったのだろうか。車の悩みは尽きなかった。旅の間中、決して壊れることはなかったカーラジオからは、ハートの「アローン」が何度も流れていた。

+++Keep On Driving, Sleeping In The Car

走行。

ある街ではこの車を売って新しい車にしようかとも考え、中古車の店に行ったが、いくらかつくかと思ったら、「置いてってもいいよ」としか言われなかった。つまり、値段は付かないのだ。捨てる費用がかかるが、それはいらないという程度のものだった。フリーウェイをまっすぐ走るだけだったら、何も問題はなかったし、余分なお金もなかったので、そのまま旅を続けた。ただ駐車するときや、細い道でハンドルを細かく切らなければならないときなどは汗だくの重労働だった。

食事はガソリン・スタンドやコンビニのようなところで、3本1ドルのホットドッグを買ったりしてすませた。レストランなどでの外食はせずにほとんど自炊だった。チューイの持参した自炊セットで、お湯を沸かしインスタント・ラーメンを作ったり、スーパーで買ったパンとハムで作ったサンドイッチが主食となった。最初はキャンプ場でテントを張って泊まっていたが、やがてはテントを張ることも面倒になり、かつ僅かなキャンプ場の使用料も節約するために、車の中で寝ることが多くなった。

「遅番」がまだ寝ているうちから「早番」が先に起きて運転を始め、やがて「遅番」が起きて朝食の用意をし、昼過ぎからは「遅番」が運転をして、夜は「早番」が先に寝て、「遅番」は自分が眠くなるまで運転して、眠くなったら車を道端に停めて寝る。いつの間にかそんなパターンの毎日となった。幸い、危ない目には一度も遭わずにすんだ。車もおんぼろの中古車だったし、二人とも日焼けして汚い格好だったせいか、周囲に気をとめられることもなく、悪い連中からもからまれることはなかった。彼らは走り続けた。スターシップの「ナッシングス・ゴナ・ストップ・アス・ナウ」は、春先からヒットしていたが、夏の間中も、全米どこの地域へ移動してもラジオから流れてきた。「何も俺たちを止めるものはない」。まさに二人のテーマと重なっていた。

街と街の間で、ラジオの電波が入らない場所がいくつかあった。そういうところでは、チューイはボブ・ディランをかけたり、イチローはジャクソン・ブラウンのテープをかけたりもした。二人のお気に入りのポール・サイモンやブルース・スプリングスティーンのテープも何度も聴いた。こうした曲は彼ら二人の、87年夏の思い出の曲となっていった。それらの曲を今聴くと、瞬時に彼らを87年のあの夏に連れ戻してくれるのだ。

+++Hey Mr. Postman

ポストマン。

アイリスはその「シリー・ラヴ・レター」を毎日、楽しみに待った。日々、イチローたちがどこの州の何という街にきているのか、何をしたかなどが刻々と報告されてきた。絵葉書に書かれているイチローたちが聴いている同じ曲をラジオで聴いたり、時にレコードをかけながら絵葉書を読んでいると、彼女自身もイチローたちと一緒に全米を旅しているかのような気になった。彼らは同じアーティストの同じ曲でもつながっていた。

Eメールも、ファクスもなかったその頃の唯一のコミュニケーションの手段。それが肉筆の手紙、しかもコピーも存在しない世界でたった一通のイチローからアイリスへの絵葉書だった。アイリスは毎日ポストマンがやってくる時間になると、自宅のポストの前で待ち構えることもあった。やがて、やってくるポストマンの顔も覚えた。

ある時、アイリスが買い物にでかけた時、街中(まちなか)でいつものポストマンが郵便配達をしているところを見かけた。前々日から「シリー・ラヴ・レター」が来ていなかった。そこで、思い切って彼女はそのポストマンのところに駆け寄って尋ねてみた。「私はモンティセロ通りに住んでいるアイリスです。今日、私宛の絵葉書はないかしら?」 

するとそのポストマンは最初怪訝そうに彼女を見つめたが、ふと何かがわかったような顔をして言った。「君は『シリー・ラヴ・レター』のことを話してるのかな?」 ポストマンも見て知っていたのか、あるいは毎日のように届くその絵葉書を見るでもなく覚えてしまったのか。 「そうよ!(苦笑) 今日は来てないの? 私宛の『シリー・ラヴ・レター』!」  

彼はものすごく残念そうな顔をして彼女に言った。「I’m so sorry.(ごめんなさい)」。それを聞いてアイリスは今日もまた来ていないのかと落胆して肩を落としつぶやいた。「OK…Thank you…(わかりました。ありがとう)」。だが、その後すぐにポストマンがにっこりしながら付け加えた。「Today, I have only 3 Silly Love Letters !(今日はシリー・ラヴ・レターはたったの3通しか来てないよ !)」。そして、ポストマンは黒いバッグから3通の絵葉書を取り出しアイリスの手に渡した。アイリスはポストマンに抱きついた。

+++Wall Of Iris

壁。

結局、イチローとチューイの旅は約2ヶ月と2週間続き、出発地のアイオワに戻ってきた時、全48州を横断したダッジ・オムニの走行距離は5万マイル(8万キロ)を超えていた。軽く1日1000キロ以上走った計算になった。

イチローが書き綴った最後の「シリー・ラヴ・レター」はちょうど60通目となり、シカゴでアイリスがイチローに再会した数日後に到着した。だが、1通だけアイリスの元に届かなかった絵葉書があった。イチローとチューイのアメリカ本土全州制覇の旅は無事終わり、3人は再会し59通のシリー・ラヴ・レターはアイリスの壁に貼られたが、1通のシリー・ラヴ・レターの放浪の旅はまだ続いている。

彼らがシカゴに戻ってきた時、イチローとチューイの「サマー・オブ・87」は終ろうとしていた。ロス・ロボスの「ラ・バンバ」が彼らの帰還を陽気に迎えているかのように、はしゃいだサウンドをラジオから流していた。ジグゾー・パズルのピースが一枚だけ欠けているアイリスの壁は、87年夏の3人にとって大切な宝物のような思い出になった・・・。

(おわり)

(名前はすべて仮名です)

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投稿者 吉岡正晴 : 12:04 AM | コメント (2)