November 21, 2006R&B Singer Ruth Brown Dies At 78【R&B創生期のパイオニア、ルース・ブラウン死去】 パイオニア。 1940年代から50年代にかけてヒットを放ったR&B時代創生期のごく初期のスターである女性シンガー、ルース・ブラウンが2006年11月17日(金)、ラスヴェガス地区の病院で死去した。78歳だった。「ティアドロップス・フロム・マイ・アイズ」(1950年末のヒット、R&Bチャートで1位)、「5-10-15アワーズ」(1952年のヒット、R&Bで1位)など多数のヒットがある。 ルース・ブラウンは1928年1月12日ヴァージニア州ポーツマス生まれ。本名、ルース・アルストン・ウェストン。 デューク・エリントン楽団の歌手になったところ、その紹介でアトランティック・レコードと契約することになり、1949年、アトランティックからの「ソー・ロング」が初ヒット。以後、1960年頃までヒットを出し続けた。レイ・チャールズ登場以前のアトランティックのドル箱スターと言える。しかも、ジャズ、ゴスペル、創生期のR&B、ロックンロールなどありとあらゆるジャンルを超えて歌った。 しかし、60年代、70年代初期までは不遇で、一時期はバスの運転手、家事手伝い、教師などをしながら2人の息子を女手一人で育て、どん底の生活をしていたこともあった。 1982年、ワシントンDCで小さなライヴを行った後、一人の白人男性が昔のアルバムを持ってきて、ルースのサインを求めてきた。そのアルバムは、ルースが見たこともないアルバムだった。彼女はアルバムにサインをしながら、「私たちはこうしたアルバムから一銭たりとも、印税をもらってないのよ」とこぼした。この男性の名前は、ハウエル・ベーグル、エンタテインメント系の弁護士だった。そして、彼はルースのために、身を粉にして、未払い印税をメジャーレコード会社にさせるという前代未聞の仕事を始めたのだ。 そして、それから約5年をかけて、ハウエルとルースは、それらの貯まった未払い印税をレコード会社に支払わせることに成功したのである。1987年のことだった。こうして生まれたのが、同年発足の「リズム&ブルーズ・ファウンデーション(基金)」である。 様々な交渉を重ね、アトランティックのアーメット・アーティガンらから150万ドル(現在のレートで1億8千万円)の小切手をR&B基金宛てに拠出させたのだ。この基金から資金を運用したりして、R&Bの世界で実績がありながら、例えば保険に加入していないために病気治療が受けられない人へのサポート、未払い印税の支払いなどにあてるようになった。彼女にとっての最大のターニングポイントは、この交渉をかってでてくれたハウエル弁護士との出会いだった。
ルースは、ライヴでは1978年9月「モンタレー・ジャズ・フェスティヴァル」(=武道館。複数アーティストとの共演)への出演、1991年4月、渋谷クアトロでのライヴ、1995年1月、東京ブルーノート出演で来日している。また、甥にラッパーのラキームがいる。 (ルースの来日履歴について阿見博さんから貴重な情報をいただきました。訂正・追記しました。ありがとうございます) ENT>OBITUARY>Brown, Ruth>January 12, 1928 - November 17, 2006 (78) |