April 30, 2007

Fukamachi Jun Talks: What The Power Of Music Is

(昨日からのつづき)

【深町純・語録】

知的刺激。

深町語録は、いつも知的刺激がいいいいっぱいある。4月28日のトークからいくつか抜粋します。

「ここ(恵比寿のアートカフェでの即興ライヴ)では、僕は常に冒険しようと思っています。即興というのは、うまくいくこともあれば、だめなときもある。即興とは冒険だと思っています。冒険は失敗がつきものです。失敗を恐れてはいけません。だから演奏がだめなときは、拍手をしてはいけません。無意味な拍手は良心的な演奏家をだめにする。だから、だめなときはだめと言ってあげなければならない」

「昔、バンド活動をしていたとき、やはり、調子が悪いときもあるんですね。演奏を終わって楽屋で『今日は、なんでだろう、調子悪かったね』なんて言ってるときに、楽屋にやってきた女の子が『今日のは最高でしたっ』なんて言われると、「おまえ、何聞いてるんだ」ってことになる。そういうのが度重なると、ばかばかしくなってくる。だからどんな演奏でもスタンディング・オヴェーションするのは、アホです。まあ、半数以上の人は、『スタンディング・オヴェーションをしたくて、コンサートに行く』んでしょうけど、そういう姿勢は、演奏家をだめにする。みんながそれぞれ、みんなの耳で、判断しなければなりません。そういうとね、『私、音楽、よくわからないんで』という人がいる。でも、関係ないんです。あなたが、自分が聴いておもしろいと思えば、喝采すればいい。つまらないと思ったら、拍手しないということです。自分の判断に正しく従うということが、すごく重要なんです」

「もうひとつ、言おうと思ってることがあります。『あなたは音楽が好きですか』と聞かれると、『音楽、大好きです』とほとんどの人が答えます。でも、最近感じた、僕なりの結論はこうです。そういわれて『音楽、好きです』と答えた人の半分は、『音楽を好きって言うことが好きな人』たちなんです」 (観客から笑い)

「例えばこの深町純のライヴにも、わけのわからないおじさんが来ることがある。なんで来たんだろう、寝てたりもするわけでね。で、そういうおじさんっていうのは、翌日会社に行って『昨日、深町純のコンサート行ってさあ』とか言って、『へえ、課長、深町純、知ってるんですか』みたいな会話になるんですね。そうすると、なんとなく、音楽的素養があるように見える。そういうために、同じようにストーンズのコンサートに行く人が、きっと、半分はいると思う。音楽が好きというより、その音楽会に行くことが好きなんだ。そこは、十分注意しないといけない。そういうのは、ひるがえれば、ブランドのバッグを持ったり、新丸ビルでおいしいものを食べたりと同じことなんですよ。いいかげん、そういうことから解放されなければならない、ということです。音楽が好きなのではなく、音楽会に行くのが好きな人たちというのは、多いですよ。だいたい音楽好きっていうと、いい趣味みたいに聞こえるでしょう。AV好きとか、ストリップ好きとか言うより素敵そうで、いい。(笑) そういう人は、断じている。そういう人と本当に音楽が好きな人は、きちっと区別したいなあ、と思う」

「ここでのライヴは来月で終わってしまいます。で、僕も、ここからタクシーでワンメーターくらいの祐天寺というところに、お店を作りました。それで、不思議なんだけど、ここに来た人にDMを送っても、誰一人として僕の店には来ないんだよね。(笑) いや、つまり、それは、ここ(恵比寿アートカフェ)という空間が好きで、愛していて、ここで聴く僕の音楽が好きということなんだろうね。場が大事というかね」

「僕は、僕がピアノ弾くんだから、ここに来てる人はみんな(祐天寺の)自分の店に来ると思っていた。甘かったです。(笑) やはり、この場所、この空間がいいんだね」

「僕は、自分のピアノを聴いて何人かの人が泣いていることを知っています。でも、僕は一度も人を泣かせようと思って、ピアノを弾いたことはありません。いつも、ちょっと意地悪く言うのは、聴いている人が勝手に泣いている、僕とは関係ない、ということです。だから、涙を流して僕に『深町さん、ありがとう』と言ってくれる人にいつもこう言っています。『それは、あなたにそういう能力があるんです』ってね。つまり僕のピアノを聴いて、何かを心に思い浮かべて、何かを感じて、涙を流せる、それはあなたの能力なんです。僕はそういうことを信じている。それはつまり、音楽の力です」

「僕たちミュージシャンは、じゃあ何をしているかというと、そういうすばらしい音楽というものを、汚(けが)れなく、間違いなく、再現するのが僕の仕事で、僕が、もしうまく音楽を再現することさえできれば、それはきっと聴いている人の心の中に何かを残してくれるのだろうと思う。だから、僕が何かをしているわけではないんです」

「例えば、今度くるロシアのグリーシャっていうアーティストなんかね、よく言うんです。『ジュン、音楽は神様が降ってくるんだよ』って本気で言うんですね。僕が上手に即興演奏ができたりすると、『ジュン、それは神様が弾かせてくれてるんだよ』って言うんですね。そういうことを言うミュージシャンは日本には少ない。グリーシャなんか、その演奏する姿勢がすばらしい。彼らは音楽に対してひじょうに誠実です」

深町さんが言ったことを、ただ文字に起こすだけで、これだけのものができるんだから、ほんと、たいしたものです。すごい。感謝。尊敬。

■4月27日のセットリストなどは、昨日付け日記にあります。 

(2007年4月27日土曜、恵比寿アートカフェ=深町純ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Fukamachi, Jun
2007-53

投稿者 吉岡正晴 : 12:05 PM | コメント (0)

April 29, 2007

Fukamachi Jun #76: Jun Sings For James McDonnell

【深町純第76回~深町さんが歌う】

夢。

今日とあと5月だけ、2回だけになった恵比寿アートカフェでの深町純・全曲即興ピアノ・パーティー、第76回。いよいよ来月は最終回だ。ラスマイくらいになると、やはり、深町さんも妙に湿っぽくなるのか。(笑) 

深町さんが言う。「不思議なんだけど、毎回この会では3分の1から半分が初めて来る人なんですね。でも、決して、(アートカフェにはいるための)行列が恵比寿の駅のほうまで伸びていたりすることがない。なんでなんだろう。いつもちょうどほどよく、収まってます。過去に3回ほど、ものすごく満員になって酸欠になり倒れて救急車で運ばれた人がいましたが、まあ、だいたいこんな感じでね。一度でいいから行列が並んでいるのを見るのが、僕の人生の夢です。(笑)」 

今回は、いきなりノー・トークで3曲、約34分連続演奏! 聴く側の集中も高まる。この日は、夕方降った雨のせいか、最初、音が曇り気味だったような気がした。湿っぽい音というか。からっとしていないというか。

ファーストセットでのおなじみの「お題拝借」3曲目では、なんと、即興で歌う歌う友利宇景という方と深町さんが、即興コラボレーション。友利さんが、「初めてきたのですが、大変感動しました。自分も老人ホームなどで即興の歌を歌っていたりするんですが・・・」というと深町さんすかさず「じゃあ、歌ってよ」 「ええっ・・・」ということで、始まった。最初、歌が自由に出てきて、まもなく、深町さんがピアノで追いかけ始め、徐々に曲の形になっていった。これは、お見事、背筋ぞくぞくものだった。

歌とピアノが終わって、深町さんが言った。「まあ、これが即興のすばらしさということでしょうか」 

歌力。

第二部にスペシャルがあった。実は深町ピアノが大好きだったジェームス・マクダネルさんという方がいた。ほとんど毎回のようにこの会にきていたが、昨年(2006年)11月29日、突然の事故で急逝したのだ。僕自身も彼とこのアートカフェで話をしたこともあった。また、昨年6月頃には、深町さんのライヴ・パフォーマンスをイギリスで行うための企画書を書いてくれと深町さんに頼まれ、その英語版を彼が作ってくれたりしていて、打ち合わせやメールのやりとりもしていた。そして、この日、初めて彼の奥さんがアートカフェにやってきたのだ。

そこで、深町さんは彼女のために、ジェームスさんが大好きだった深町さん作品「誕生日」という曲をプレイすることにした。これは深町さんの傑作で、いろいろな人が歌っている。有名なのは森山良子さんのヴァージョンか。ところが、今日は深町さんはここにちょっとした施しをした。

この「誕生日」という曲、ジェームスさんが大好きで、元の日本語の歌に勝手に彼が英語詞をつけていたのだ。そして、その英語詞を、ジェームスさん同様この深町ピアノ会の大常連であるトーマスさんが、ピアノに乗せて朗読することになった。しかも、それだけではない。なんと、深町さん本人がこの曲を歌ったのである。

「僕はこう見えて、1972年に『ある若者の肖像』というアルバムでデビューしたんですが、そこでは歌を歌ってるんです。そういえば、このアルバムと次のアルバム『ハロー』を、ユニバーサルというレコード会社がCDで再発したいといってきたんで、何ヶ月かすると、CD屋さんに並ぶと思います」 (『ある若者・・・』は調べると、正確には1971年11月発売でした)

ピアノ→深町ヴォーカル→トーマスの英語詞朗読→深町ヴォーカル→ピアノという流れで、「誕生日」が約10分近く続いた。決して上手とは言えない深町ヴォーカルだが、実に胸を打つ。ジェームスさんへ捧げるというサイド・ストーリーがあるからか。いや、それだけではあるまい。真後ろで聞いていた奥さんが、それまでずっと楽しそうに微笑んだいたのに、いつしかハンカチで涙を拭いている。人を感動させる歌とは、別にうまくなくてもいいのかもしれない。味があるというか、魂がこもっているというか。やはり、言葉、歌詞の持つ力は、音楽の力を倍増させる。

「(歌詞の最後の部分)・・・笑いあえる日を僕は信じてる。大切な思い出を、君にありがとう・・・。ジェームス!」 演奏が終わって、深町さんとトーマスが奥さんのところに歩み寄った。歌力が感動を巻き起こした瞬間だった。

深町純、恵比寿アートカフェでのピアノ・パーティーはあと1回だけ。5月26日(土曜)だ。なお、その後は祐天寺の深町さんの店「FJ’s」で毎月最終土曜日に即興演奏会を続けることになった。

■アートカフェ・オフィシャル・ウェッブ
http://artcafe1107.com/

深町純オフィシャル・ウェッブ
http://www.bekkoame.ne.jp/~cisum/

■Setlist: Fukamachi Jun @ Art Cafe, Ebisu
April 28, 2007 (Saturday)
セットリスト 深町純 

1st Set

show started 19:46
01. 2007年4月28日19時46分の作品 (10.50)
02. 2007年4月28日19時57分の作品 (10.52)
03. 2007年4月28日20時08分の作品 (10.57)
04. 2007年4月28日御題拝借作品1. (2.26) 
05. 2007年4月28日御題拝借作品2. (1.32) (Erika's Melody)
06. 2007年4月28日御題拝借作品3. (1.51) (improvisation with Yuuri Ukei on vocal)
show ended 20:45
(approximately performing time 40 minutes 28 seconds of 59 minutes show)(.6858)

2nd Set

show started 21.10
01. 誕生日(ジェームス・マクダネルへ捧げる)(9.52)
02. 2007年4月28日21時32分の作品 (9.09)
03. 2007年4月28日21時54分の作品 (7.43)
04. 2007年4月28日22時08分の作品 (10.29)
show ended 22:05
(approximately performing time: 37.13 of 55 minutes show)(.6766)

■過去の音楽比率(ライヴ全体の中での音楽の割合を表します)(単位は%)

2005年11月 第一部 41.70 第二部 51.82
2005年12月 第一部 39.86 第二部 58.91
2006年01月 第一部 58.81 第二部 67.23
2006年02月 第一部 38.4  第二部 49.7
2006年03月 第一部 50.9  第二部 92.7
2006年04月 第一部 53.1   第二部 57.3
2006年05月 第一部 45.15 第二部 82.08
2006年06月 第一部 52.16 第二部 59.02
2006年09月 第一部 47.77 第二部 77.63
2007年01月 第一部 65.53 第二部 54.97
2007年02月 第一部 53.88 第二部 49.33
2007年04月 第一部 65.26 第二部 68.58

(2007年4月27日土曜、恵比寿アートカフェ=深町純ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Fukamachi, Jun
2007-53

投稿者 吉岡正晴 : 02:52 AM | コメント (0)

April 28, 2007

"King Of Soul" Of Japan Follows "King Of Soul" Of USA

【日米の「キング・オブ・ソウル」】

認知。

勝本さんが、「キング・オブ・ソウル」という踊りメインのグループを、盟友ニック岡井さんとマイケル鶴岡さんとともに結成したのは1990年のこと。最初は、ちょっとしたイヴェントなどで、ジェームス・ブラウンのステップや音楽をやろうということから始まったらしいが、だんだんと本格的になり、イヴェントやアーティストのライヴの前座などをやるうちに、メジャーのレコード会社と契約。CDを出すまでにいたった。

そして、あちこちのイヴェントなどで踊っている姿をビデオなどに収録するようになり、「キング・オブ・ソウル」というグループは、日本のクラブ、ソウル・シーンでちょっとした話題になっていく。ライヴ自体も60分から90分くらいまでできるようになり、ツアーも可能になった。

そんなキング・オブ・ソウルのライヴ映像を、勝本さんは、ジェームス・ブラウンに見せようと決意する。そして、それが実現化するのが1995年4月のことだ。ミスター・ブラウンがこの時は横浜文化体育館でショーを行った。この時は、ぼくもけっこうべったりついていて、文体でのリハーサルの模様もみることができた。そして、ライヴ後、彼の滞在していたホテルに一緒に行くことになった。

ミスター・ブラウンはホテルのスイートルームに滞在していて、我々を招き入れてくれた。そこで、しばし、談笑しつつ、勝本さんが持ってきたビデオを部屋で見ることになったのだ。

ソファに座ってキング・オブ・ソウルのライヴを見るミスター・ブラウン。そして、その様子をこわごわ、そして、照れくさそうに見つめるドン勝本。さすがの勝本さんも、いったいどんな反応を見せるのか、緊張していたようだ。

しかし、心配はいらなかった。勝本さんがジェームス・ブラウンのような横につつつっ~~と動くステップをすると、ミスター・ブラウンは大いにはしゃぎ、手を叩き、笑い声をあげた。大喜びしたのだ。そして、勝本氏の一挙手一投足にいちいち喝采を浴びせた。

そして、二人でテレビの前で、同じステップを一緒にやってみせたのだ。完全に勝本さんが、ミスター・ブラウンに認められた瞬間だった。

(ただ、記憶がちょっとあいまいなのだが、これより前に勝本さんはビデオをアメリカのミスター・ブラウンに送っていて、一足先に一度見ていた可能性もある。だが、いずれにせよ、勝本氏がそこにいて、ミスター・ブラウンの前でビデオを一緒に見て、大いに盛り上がったのは、このときのことだ)

後に、ジェームス・ブラウンは、自らのショーの中で、その時に勝本さんが来ていれば、1曲彼に躍らせるようになる。そして、ミスター・ブラウン自らが「キング・オブ・ソウル、ドン勝本~~」と紹介するのだ。

初めて彼がステージに上がったのが、いつだったのか、記憶が定かではない。2002年10月の来日時には上っていた。それより前はどうだったか。いずれにせよ、その後、2006年3月のミスター・ブラウン最後のライヴでも彼は東京2回、ステージに上った。

ドン勝本がステージでジェームス・ブラウン・ステップを踊ると、ブラウンは「どうだ、すごいだろ、こいつは」といったような嬉しそうな表情で勝本さんをオーディエンスに紹介する。

2006年3月のジェームス・ブラウンのステージは、ミスター・ブラウンと勝本さんが共に上った最後のステージになってしまった。ほぼ1年後に二人ともいなくなるなどとは、夢にも思わなかった。アメリカのキング・オブ・ソウルと日本のキング・オブ・ソウル。二人とも現世でのお仕事、おつかれさま。それにしても、ミスター・ブラウンより16年も後に生まれた勝本さんが、ブラウン旅立ち後わずか4ヵ月で後を追うとは・・・。

ENT>OBITUARY>Katsumoto, Kenji/1949.5.20 - 2007.4.19 (57)
ENT>OBITUARY>Brown, James/1933.5.3 - 2006.12.25(73)

投稿者 吉岡正晴 : 04:32 AM | コメント (0)

April 27, 2007

AI Sung For Don Katsumoto: Katsumoto & Brown Became Soul Brother Forever

【ドン勝本、ミスター・ブラウンと永遠のブラザーに】

別れ。

4月26日午前11時、さわやかな春の日差しが、徐々に強くなってきた快晴の大田区臨海斎場。ドン勝本氏の告別式には、前日の通夜同様多くの人が訪れた。

最初に江守さんが弔辞を述べた。彼はあまりに早すぎる死を残念がり、こうも語った。「3年前、僕は、後追いでカツと同じ病気になった。そこでカツからいろいろ聞いて適切な処置をしたおかげで今日、こうして生きていられる。今、僕がこうして生きていられるのは、カツがいてくれたからだ。本当にありがとう。そして、本当にさようなら」 参列者からのすすり泣きが絶え間なく続く。

棺には、赤のスーツを着た勝本さん。帽子。昨年発売された『オール・アバウト・ソウル・ディスコ・ダンス』の本、そして、ジェームス・ブラウンの1971年のアポロ劇場でのライヴを収録したアルバム『レヴォリューション・オブ・ザ・マインド』のヴァイナル盤もいれられていた。そして、参列者が次々と花を中にいれていく。

その花をいれ終わったところで、勝本さんが発掘し、メジャーからデビューしたシンガー、AI(アイ)が、お別れの歌を歌った。僕もAIとは、デビュー前から勝本さんを通じて何度も会っていたから、まさにファミリーだ。勝本さんがいたから日本でシンガーとして歩み始めることができたのだから、ある意味大恩人である。そんなAIだから、歌う前からもう顔がくしゃくしゃになっている。先週の病院でも何度も会っていた。夜中、いや朝方まで、彼女やそのスタッフもつめていた。

前日、AIの事務所社長から明日AIが歌うんだけど、何がいいと思う、と聞かれ、軽く「アメイジング・グレイスとか、いいんじゃない」と言ったら、果たして、AIはその「アメイジング・グレイス」を棺のまん前でアカペラで歌い始めた。AIは、途中泣くのをこらえて必死だ。それでも、途中から転調し、声を張り上げ、見事に「アメイジング・グレイス」を歌いきった。

こういうとき、拍手ってどうなんだろう。やはり、拍手するところではなかったようで、拍手は巻き起こらなかった。日本の葬儀だからかな。ジェームス・ブラウンの葬儀でのライヴは、まるでコンサートのように、拍手や掛け声が起こっていたのだが。お国が違えば、風習も違う。僕は、心の中で精一杯の拍手喝采をAIに送った。「よく歌った! よくやった!」 

そして、ふたが閉められ、出棺し、火葬場へと移動。最後のお別れをして、棺は火葬台の中にはいっていった。1時間弱が過ぎて、遺骨を骨壷にいれた。

再会。

思えば、14日(土)に連絡があり、15日(日)の『ソウル・ブレンズ』の前にお見舞いに行った時にはまだ話ができた。その時点で医者から「あと一ヶ月以内」と言われていたので、勝本さんの誕生日の5月20日まではどうだろう、なんとかもたないかなあ、と心の中で祈った。しかし、水曜には個室に移り、水曜深夜にお見舞いにかけつけても、話はできなかった。木曜午後人工呼吸器がつけられたと言われ、かけつけると、息苦しそうだった。だが、脈は安定していたので、そんなにすぐに何かあるとは思えなかった。しかし、医者は「いつ何が起こってもおかしくありません」と言っていた。みんなが集まっていた待合室に行ってしばらくすると、DJアトムが「今、息を引き取られたそうです」と言った。すぐに病室に戻ったが、すでに看護婦さんが呼吸器をはずし始めていた。

ここ2週間くらいのことが、一気にフラッシュバックした。それだけでなく、過去30年以上の勝本さんとのさまざまなことが思い出された。

葬儀場を出た頃にはすでに2時半をまわっていた。車に戻ると、太陽の光に熱せられた車の中は灼熱地獄さながらの暑さだった。扉を全開にして、しばらく放置し、やっと車に乗った。春の暖かさは、初夏の香りを漂わせていた。

勝本さん、天国でミスター・ブラウンに言ってください。「また、あなたの後を追って、すぐにきてしまいました(笑)」 きっとブラウンは言うだろう。「おお、そうか、ちょっとはやすぎないか。でも、まあいいだろう。はははは。で、俺たちの付き合いは何年だ? 30年以上だよな。おまえ、初めて会ったときは、大きなアフロヘアだったな。ははは」 

勝本さんとミスター・ブラウンは再会し、永遠の親友、ブラザーになった。

■お知らせ

来る2007年5月20日(日)(ドン勝本の誕生日)、白金ダンステリアでドン勝本さんを偲ぶ会が行われることになりました。ふるってご参加ください。詳細については、また後日お知らせします。

http://www1.ocn.ne.jp/~danteri/main.htm
DANCETERIA
〒108-0072
東京都港区白金1-29-13 白金ビレッヂB1
TEL:ダンステリア専用) 03-3444-0097

■過去関連記事

(下記は勝本氏が「ミスター・ブラウンの後を追っている」と言って、ブラウンに大受けした時の話です)

2003/10/06 (Mon)
I Ate Chicken With James Brown (Part 1)
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200310/diary20031006.html

2003/10/07 (Tue)
I Ate Chicken With James Brown (Part 2)
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200310/diary20031007.html

ENT>OBITUARY>Katsumoto, Kenji/1949.5.20 - 2007.4.19 (57)
ENT>OBITUARY>Brown, James/1933.5.3 - 2006.12.25(73)

投稿者 吉岡正晴 : 12:42 AM | コメント (0)

April 26, 2007

A Funeral Service Of Mr. Don Katsumoto

【ドン勝本氏、お通夜】

献花。

2007年4月19日(木)に逝去したドン勝本さんのお通夜が、25日18時から都内の臨海斎場でしめやかに盛大に行われた。勝本さんを知る人が多数つめかけ、最後のお別れをした。

式は18時過ぎから斎場内に入れないほどの人の前で、まず黙祷を捧げてから、ジェームス・ブラウンの「トライ・ミー」(インストゥルメンタル)を聞いて始まった。無宗教とのことで、祭壇には多くの花が飾られ、その中央に在りし日の勝本さんの写真が飾られた。斎場中央に棺が置かれ、勝本さんはその中に自らのグループ「キング・オブ・ソウル」の一員として着ていた赤のスーツをまとい横たわっていた。その前に献花台が置かれ、まず一本だけ花が置かれていた。

そして、「キング・オブ・ソウル」のメンバー、ニック岡井さんとマイケル鶴岡さんがそれぞれマイクに向かった。先にマイクを握ったニックの言葉は「長い間、ソウル、ディスコの業界でお疲れ様。ジェームス・ブラウンとゆっくりしてください」といった内容の短い言葉だったが、ほとんど震えていた。マイケルも、「長い間、お疲れ様。今日は、勝本さん、おなじみの赤いスーツで3人揃ってますよ。キング・オブ・ソウル、ドン勝本、最後のステージ、みんなにお別れしてください」と振り絞って言葉を送った。

棺を中央に、向かって左にマイケル、ニック、江守さん、矢作さんら。そして、向かって右に息子さん、お兄様、お母様ら親族。この後、弔問客が次々と献花をした。

後追い。

奇しくも、僕が座った席が献花の一番最初の席ということで、最初の献花をさせていただくことになった。ゆっくり献花したかったが、さすがにそれはかなわず、両サイドに挨拶をし、出口に進んだ。ひじょうにシンプルな式だった。出口に出ると、まだ受付を済ませていない人たちが大変な数いらした。さすがにソウル界のドンだ。その人たちの熱気で、暑かった。なんでも、お通夜には400人以上の人が集まったらしい。

献花後、二階の部屋に移ると、そこもものすごい人になっていた。その部屋の一番奥に、昔の勝本さんの写真がたくさん飾られていた。その前に、色紙があり、すでに何人かの人がメッセージを寄せていた。江守さんから、「明日、棺にいれるから、なにか書いてよ」と言われ、何か書こうと思って、他の人のメッセージを読んだ。みな、勝本さんへのお礼が書かれていた。

そんな中、僕の目をぱっと引いたのが江守さんの一言だった。もちろん、いつもの江守さんのおなじみのファンキーなイラストの横にシンプルにこう書かれていたのだ。「カツ、bye bye」。江守さんは、いつも彼のことを「カツ」と呼んでいた。江守さんらしい、いい言葉だ。胸が熱くなった。僕もなんて書こうか、ずいぶんと迷ったが、結局こう書いた。「勝本さん、ミスター・ブラウンとファンキー・ダンス!」 

ミスター・ブラウンの逝去から4ヶ月もしないうちの旅立ち。あるゆる点で、いつもミスター・ブラウンの後を追っていた勝本さんらしい後追いだ。

■今日、大田区・臨海斎場で午前11時から告別式。

ENT>OBITUARY>Katsumoto, Kenji/1949.5.20 - 2007.4.19 (57)
ENT>OBITUARY>Brown, James/1933.5.3 - 2006.12.25(73)

投稿者 吉岡正晴 : 12:05 AM | コメント (0)

April 25, 2007

Charlie Wilson: Hi Energy Live

【チャーリー・ウィルソン・ライヴ】

熱圧。

ギャップ・バンドのリードシンガー、チャーリー・ウィルソンのソロ・ライヴ。調べてみると、ギャップ・バンドとしては、70年代に横浜のディスコ出演、1990年7月の汐留パックス・シアター、さらに1995年日比谷野外音楽堂の『レッツ・グルーヴ』でも来日している。80年代、渋谷のライヴ・インにも来日したのかな。(記憶が確かでない) それでも、12年ぶりか。チャーリーには84年12月と90年7月にインタヴューもしていた。チャーリーのソロとしては、初になりそう。

さて、初日にもかかわらず、チャーリーは全力疾走、エンタテインメント大爆発だった。おそらく1952年ごろの生まれなので、すでに55歳。おそるべし、現役だ。激しく踊り、歌い、中のシャツ、ジャケットは汗びっしょり。ダンサー4人を従えての踊りは、ハイエナジーで圧巻だ。時にマイケル・ジャクソン、時にモリス・デイ、一瞬ジェームス・ブラウンの動きも見せる。そして、バラードでは徹底的にセクシーに。ここまでエロエロでやってくれれば、マーヴィン・ゲイ~テディー・ペンダグラス路線もあり。ライヴとしては、かなりよかった。

途中で、よく口笛のような「ヒューッ」という音が入っていたが、チャーリーが口でやっていたようだ。彼のヴォーカルは、ゴスペルをベースにしているだけあって、実に熱く、そして太く、音圧がある。やはり下記セットリスト6から9のギャップ・バンド時代のヒットメドレーは圧巻だ。

バンドは、ドラムス、キーボード2人、電気パッド、ギター、コーラス3人、ダンサー4人の編成。ベースの部分はキーボードがベースシンセサイザーを出していたようだ。みな、白いスーツに帽子に赤いネクタイというおしゃれないでたち。ヴィジュアルもいける。

チャーリーは徹底的に観客を巻き込もうとする。初日でこれだけやってくれれば、週末になって観客ののりがよくなれば、もっと熱いステージになりそうだ。コン・ファンク・シャン、バーケイズ並みの力で押しまくるファンク・ライヴだ。

■ベストアルバム

div class="amazlet-box" style="margin-bottom:0px;">

THE BEST 1200 ギャップ・バンド\
ギャップ・バンド
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■コットンクラブ 
http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/index.html
チャーリー・ウィルソンのライヴは24日(土曜)まで。

■メンバー

チャーリー・ウィルソン・オブ・ザ・ギャップ・バンド

Charlie Wilson(vo), Waymon Starks(program,back vo), Cordell Walton(MD,key), Armad Davis(key), Michael Anderson(g), Derrick Sorrell(ds), Audra Alexander(back vo), Victoria Vaughn(back vo), Aubrey Swann(back vo), Patricia Dukes(dancer), Danielle Brown(dancer), Lamont Toliver(dancer), Alecia Fears(dancer)

■Setlist : Charlie Wilson of The Gap Band: Cotton Club, April 24, 2007
セットリスト チャーリー・ウィルソン・オブ・ザ・ギャップ・バンド 
(transcribed by yoshioka.masaharu)

show started 21:31
01. So Hot
02. Asking Questions
03. Burn Rubber (Why You Wanna Hurt Me)
04. Let's Chill
05. Floatin'
06. Outstanding
07. You Dropped A Bomb On Me
08. Early In The Morning
09. Party Train
10. Magic
11. Charlie, Last Name Wilson
show ended 22:44

(2007年4月24日火曜、コットンクラブ=チャーリー・ウィルソン・オブ・ザ・ギャップ・バンド)
ENT>MUSIC>LIVE>Wilson, Charlie of The Gap Band
2007-52

投稿者 吉岡正晴 : 03:44 AM | コメント (0)

April 24, 2007

Memories Of Mr. Brown And Mr. Katsumoto: Visiting Brown's House (Part 2) 

【勝本さんとミスター・ブラウンの思い出~パート2】

(勝本氏と僕は、ミスター・ブラウンの奥さんの葬儀に出席するためにオーガスタに旅立った。そこでわれわれを迎えてくれたのはダニー・レイ、そして、ミスター・ブラウンだった)(2007年4月22日付日記の続き)

豪邸。

門は特別閉まっていたわけでもなく、すんなり、中に入った。するとすぐに道の横に立て看板が見えた。よく道路などにある標識だ。そこには、こう書かれていた。James Brown Boulevard(ジェームス・ブラウン大通り)。 それを見た瞬間は度肝を抜かれたが、後になってオーガスタにジェームス・ブラウン・ブルヴァードができたと聞いて納得した。

ゆるやかなカーヴになり若干坂を下がる感じで車が進むと右手に小さな池が見えた。そしてさらに進むと大きな母屋(おもや)があり、その左側に車庫が見えた。そこには、たくさんの高級車が止まっていた。正確には覚えていないが、ロールス・ロイス、何台かのメルセデス、ジャグワーもあったような気がする。楽に10台以上あっただろう。

僕はダニー・レイに尋ねた。「あれ、今日はパーティーでもやってるの?」 勝本さんや僕が呼ばれたのは、パーティーでもやってて、それで呼ばれたのかと思ったのだ。ダニーは答えた。「ノー、ノー、あれはみんなミスター・ブラウンの車だ」 「ひえ~~、まじで」 ダニーが続けた。「ミスター・ブラウンはとても気前がいいんだ。たくさん車を持っているので、スタッフなどにも時々、車をあげてしまうんだよ」

ダニーは勝手知ってる家と言う感じで、母屋の前に車を止めると、われわれを家のほうに案内した。玄関のようなところでしばらく待っていると、お手伝いさんのような人がでてきて、居間に通された。

そこにはミスター・ブラウンが大きな椅子に座ってヘアメイクの人に、髪の毛をいろいろやってもらっていた。「おお、ようこそ、座ってくれ。何を飲む? 何でも言ってくれ」と聞かれた。勝本さんと目を合わせ、何にしようか迷っているとミスター・ブラウンに言われた。「コーヒー、オア、コーク?(コーヒーかコーラか?)」 なんで、コーヒーかコーラなんだろう、と思いつつも、コーラと答えた。ひょっとすると、「氷もいるか」と聞かれたかもしれないが、記憶は定かではない。

しばらくして、お手伝いさんがコーラを二人分持ってきた。乾杯したか、ありがとうと言ったのか、いずれにせよ、僕も勝本さんもそのコーラに口をつけた。僕はかなり興奮していて、どんな話をしたかよく覚えていない。たぶん、時候の挨拶でもして、昨日の葬儀はお疲れ様といったような話を少ししたのだと思う。ミスター・ブラウンは、奥さんの死について、医学的な説明を少ししてくれたような記憶があるが、さすがに医学用語の単語はわからなかった。

それからちょっとビジネスっぽい話になった。確か、その頃、ミスター・ブラウンは娘のヤマ・ブラウンを売り出そうとしていた。ミスター・ブラウンは僕と勝本さんの両方の目を交互に見て話す。目線があっているときは、やはり緊張する。これはいつものことだ。

はっきりは覚えていないのだが、ヤマ・ブラウンは自分の娘で今売り出そうとしている、CDシングルかなにかがあって、アルバムを作る(あるいはすでにアルバムはできていたかも)、それをアメリカでは自分のレーベルから出すが、日本でリリースしてくれるところを探してくれ、といった話だったと思う。とりあえず、CDを受け取って、聞いて日本のレコード会社に聞いてみるといった感じだった。

そのとき、ミスター・ブラウンは、勝本さんに向かって「君のためなら、なんでもするから、何でも言ってくれ」と言った。これは、ヤマのリリースのためなら何でも協力する、という意味と、文字通り、勝本さんが必要なことがあればなんでも力になる、ということを意味していた。「俺たちは知り合って何年だ? 20年以上だな。初めて日本に行った時にとった写真を飾ってるんだ」 以後、この話は彼が日本に来て会った時など幾度となく繰り返された。(笑) まさに話題のループ状態だ。そして、ミスター・ブラウンは「お前は俺の日本の息子のようなものだ」とも言う。

ミスター・ブラウンは、ファミリー、親しい者、仲間をひじょうに大切にする。仲間のために最大級の気遣いと施しをする。もっともヤマ・ブラウンのレコードに関しては、日本に帰って聞いたところ、日本のレコード会社でのリリースはむずかしく、立ち消えになった。その後、ヤマはドクター(医師)になったのは、ファンの方ならご存知かもしれない。

僕はミスター・ブラウンに行きがけに見た敷地内の池について尋ねた。「ミスター・ブラウン、あなたは釣りがお好きなのですか」 「いやあ、釣りをする暇はほとんどないんだ。今は、池にどんどん鱒(マス=だったと思う)を放ってるところだな」 釣るんじゃなくて、池にどんどん放し飼いにするんだ、と思って、またまた度肝を抜かれた。

ブラウン邸には小一時間いたのだろうか。外までミスター・ブラウンは見送ってくれた。そして再び、ダニー・レイの車に乗って僕たちはホテルに戻った。そのとき、僕はブラウン邸の全貌を見たわけではないが、ダニー・レイがその敷地がものすごく広く、かなり大きな豪邸だと教えてくれた。

ブラウンが昨年(2006年)亡くなり、その遺体が敷地内に埋葬されるかもしれない、というニュースを見たとき、なるほど、あれだけ広い敷地だったら、どこにでもお墓は作れると思ったものだ。

(この項続く)

なお、訃報のお知らせです。

++++

              訃 報


ドン勝本こと勝本謙次(57才)は病気治療中のところ薬石の効もなく、平成19年4月 19日永眠致しました。
謹んでお知らせいたします。
生前、音楽プロデューサー、全国ディスコ協会、グループKING OF SOULなど幅広い精力的な活動は多くの皆様より熱いご支持を賜りました。また、あのジェームス・ブラウンが「心のブラザー」と慕う唯一の日本人としても有名でした。
なお、通夜及び告別式は下記の通り執り行なわれます。

                         ドン勝本・葬儀委員会

               記

日時  通 夜 2007年4月25日(水曜) 午後6時~7時
    告別式 2007年4月26日(木曜) 午前11時~12時

場所  臨海斎場
     〒143-0001 大田区東海1-3-1(駐車場完備)
    TEL 03-5755-2833
http://www.rinkaisaijo.or.jp/


喪主  勝本有輝(長男)
     港区白金1-29-13 BF ダンステリア 03-3444-0097


献花受付:TEL 03-3751-0166 FAX 03-3752-8244

+++++

ENT>OBITUARY>Katsumoto, Kenji/1949.5.20 - 2007.4.19 (57)
ENT>OBITUARY>Brown, James/1933.5.3 - 2006.12.25(73)

投稿者 吉岡正晴 : 01:38 AM | コメント (0)

April 23, 2007

FunkMasters : Good Audience Makes Good Performance

(お知らせ:【勝本さんとミスター・ブラウンの思い出~パート2】 は明日以降にお送りします)

【いい観客が作るいいライヴ・パフォーマンス】

オーディエンス。

ジェームス・ブラウンの屋台骨、まさにバックボーンとなったドラマー、クライド・スタッブルフィールドとジャボ・スタークス、そしてファンキー・トロンボーン奏者、フレッド・ウェスリー、3人あわせてファンク・マスターズが『ソウル・ブレンズ』にゲストでやってきた。日曜のファーストステージは5時から始まるので、番組冒頭ほんの15分弱しか出演できなかったが、もりあがったトークでプロモーションをしていった。

出番が終わって、彼らがスタジオを出ようとした時、スタジオ内にあったドラムセットにクライドが座って、叩き出した。ところが番組ではすぐに次のコーナーになるので、スタッフが「はやく、はやく(出て)」と大慌てになったのがおもしろかった。

さて、そのプロモーションのせいか日曜のセカンドショーは満員に。ということで、この日はかなりミュージシャンたちもやる気満々になっていた。特に印象的だったのは、彼らがやることは基本的にはいつも同じなのに、この日は彼らのことを本当に見たい、好きな人たちがたくさん来ていたために、ミュージシャンたちがその観客のリアクションに反応していたことだ。最初から観客は、リズムに踊り、アンコールの「ドゥーイン・イット・トゥ・デス」では、ほぼ総立ちになった。

また「パス・ザ・ピーズ!」とふれば、観客は「パス・ザ・ピーズ!」と歌う。少しもたつき気味の「セックス・マシン」でも、「ライド・オン・ライド・オン」と観客が歌う。観客はかなり若く、20代から30代、しかも渋谷でマンハッタンのレコード袋持ってます的な男性が多く見受けられた。おそらく90年代以降のレア・グルーヴのブームでJBズ、あるいは、フレッド・ウェスリー、ジャボ、クライドらの音楽に接したファンが来ていたのだろう。もちろん、昔からのジェームス・ブラウン・ファンもいた。結局、そのアーティストの音楽を知っているファンをたくさん動員できれば、ミュージシャンも喜んでいい演奏を見せることになるわけだ。

それにしてもフレッド・ウェスリーのトロンボーンというのは、一瞬にしてフレッドとわかる。かっこいいなあ。

この日のファンクマスターたちは、のりが違うパフォーマンスになり、結果、金曜より10分以上長くなった。あたりまえなのだが、改めてライヴはオーディエンスとミュージシャンが一緒に作るものだなあということを痛切に感じた。観客に拍手。

■Setlist : FunkMasters featuring JAB'O STARKS, CLYDE STUBBLEFIELD & FRED WESLEY @ Cotton Club, April 20, 2007
セットリスト : ファンクマスターズ・フィーチャリング・ジャボ・スタークス、クライド・スタブルフィールド、フレッド・ウェスリー
(transcribed by yoshioka.masaharu)

show started 20:02
01. Intro - Pass The Peas
02. Cold Sweat (Clyde)
03. Stormy Monday (Jabo)
04. Sex Machine (Clyde)
05. Never Make Your Move Too Soon (Jabo) (From Funkmasters' CD "Come Get Summa This")
06. I Feel Good (Clyde)
07. Papa's Got A Brand New Bag (Clyde)
08. House Party (From Funkmasters' CD "Come Get Summa This")
09. Breakin' Bread (Fred)
10. Come Get Summa This (From Funkmasters' CD "Come Get Summa This")
11. Let's Stay Together (Clyde) (From Funkmasters' CD "Come Get Summa This")
12. Mustang Sally (Jabo) (From Funkmasters' CD "Come Get Summa This")
Enc. Doing It To Death
show ended 21:35

(2007年4月22日日曜、丸の内コットンクラブ=ファンクマスターズ・フィーチャリング・ジャボ・スタークス、クライド・スタブルフィールド、フレッド・ウェスリー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Funk Masters Featuring Jabo Starks, Clyde Stubblefield, Fred Wesley
2007-51


投稿者 吉岡正晴 : 05:22 AM | コメント (0)

April 22, 2007

Memories Of Mr. Brown And Mr. Katsumoto: Visiting Brown's House (Part 1)

【勝本さんとミスター・ブラウンの思い出~パート1】

自宅訪問。

勝本さんとは、ジェームス・ブラウンが来ると必ずブラウンを追っかけて、あちこちに行った。だが、「勝本・ブラウン話」で僕にとって一番思い出深いのは、日本ではない。1996年1月、ジェームス・ブラウンの当時の奥さんだったエイドリアンさんが亡くなった時に、勝本さんと二人で葬儀に出席するためにはるばるオーガスタまで行った時のことだ。ミスター・ブラウン死去の時に書こうと思っていたが、この機会に記憶を整理して書いてみることにする。

奥さんが亡くなってすぐに勝本さんが「吉岡くん、一緒に行こう」と言って、有無を言わさずあっという間に航空券やホテルなどを手配した。たぶん、死去を知って翌日か2日後くらいにオーガスタ行きを決めていた、と思う。あの時、葬儀の日程などどうやって調べたんだろう。僕がダニー・レイかなんかに国際電話でもしたのかな。よく覚えていない。

成田→ロスアンジェルス→アトランタ→オーガスタ。けっこう時間がかかる。オーガスタと言えば、ゴルフのマスターズが有名だが、東京からは遠いのだ。

アトランタからオーガスタは、20人も乗れないようなすごく小さな飛行機だったと記憶する。オーガスタの飛行場はとても小さく、着陸した地点からメインビルまで普通に歩いた。LAには朝に着いたが、オーガスタに着いたのは時差がLAとは3時間あるが、夜遅くなっていた。

そこからシェラトン・ホテルにチェックインするが、ここはミスター・ブラウンのオフィースのすぐ隣で、ブラウン関係者もよく打ちあわせなどで訪れる。そして、メインのレストランの一角には、ジェームス・ブラウン専用の席があった。いつも彼はここに来ると、必ずここに座るという。他の人は座れないらしい。で、メニューにはジェームス・ブラウンの大好物のサラダ(たぶん、シーザー・サラダみたいなものだったと思う)があった。メニューに「ジェームス・ブラウン・サラダ」と書いてあったかどうかは、ちょっとはっきりしない。メニューには「シーザー・サラダ」と書いてあり、通称が「ジェームス・ブラウン・サラダ」だったか、はっきりしない。その日は、ぐったり疲れたので、即就寝した。

葬儀は到着した翌日に、市の公会堂のようなところで行われたが、ずっとダニー・レイが僕たちふたりの面倒を見てくれた。葬儀会場に行くのも、ダニーがホテルまで迎えに来てくれ、つれていってくれた。この会場には一般の人も入れた。ゴスペルのシンガーたちが何曲も歌ったり、スピーチがされたりしていた。ミスター・ブラウンはずっと棺のそばに立っていた。僕たちも順に従って献花した。この会場で、ハリー・ワインガー(ジェームス・ブラウンのボックスセットを作ったポリグラム・レコードのディレクター)とばったり会い、このためにわざわざ日本から来たというと彼はあきれたように驚いていた。

約1時間半だろうか、その儀式が終わると遺体の入ったカスケット(棺)が外の車に乗せられ、墓地に向かった。その車列は何十台も連なっていた。その連なり方が映画のようで壮観だった。墓地につくと、また儀式があって、お祈りや歌があった。そして、牧師の声とともにその棺が地中に下ろされた。アメリカでは荼毘(だび)にふすということをしないらしい。このあたりで、ボビー・バードや、マーヴァ・ホイットニー、マーサ・ハイ、フレッド・トーマスらJBズの面々に会った。みな、カラフルなスーツを着ていてドレスアップしている。

僕はアメリカでの葬儀というのに初めて出席したが、日本のように黒一色ではないのが自然らしい。お別れというより、神の元への旅立ち、セレブレーションだという認識のほうが強いからという説明を受けた。

その後、シェラトンに戻り、ミスター・ブラウンが関係者に食事を振舞った。70-100人くらいはいたのではないだろうか。広いレストランがブラウン関係者で埋め尽くされた。このレストランに戻ってきた頃にはブラウンもかなり元気になっていた。おそらく古い仲間と再会できたことがうれしかったのだろう。

ミスター・ブラウンは、まめにあちこちのテーブルに出向き、挨拶をしていた。そして、勝本さんのところに来て、ブラウンが「今日はごたごたしてゆっくり話せない。明日、時間はあるのか。私のうちに来なさい」というようなことを言った。勝本さんは、その前年、一度ブラウンの自宅に招かれていたので、今度が二度目になるが、僕はまったくの初めて。恐れ多かった。

そして、その翌日、勝本さんと僕がミスター・ブラウンの自宅に招かれたのだ。ホテルに迎えに来てくれたのは、もちろんダニー・レイだった。

ホテルからミスター・ブラウンのうちまでは、約20分。シェラトンから広い国道か州道を走っていく。まもなく、大きな川があり、そこの大きな橋を渡ると、ジョージア州がサウス・キャロライナ州になった。川が州境だったのだ。サウス・キャロライナはこんなに近かったんだ、と思った。

「そうか、たったこれだけの距離でも、州境を越えたカーチェースをすれば、管轄は地元警察ではなく、FBI(連邦警察)になるんだ。きっとミスター・ブラウンは、この橋でも渡ったんじゃないだろうか」などと考えてしまった。

ほとんど対向車もなく、しばらく行くと、ダニーが横道に入っていった。横道といっても、狭くない。そして、ちょっとした一角に車を進めた。ちょうど、扉のない大きな門柱のようなものの横を通って中に入ったのだ。そこからジェームス・ブラウン邸の敷地内にはいったのだ。

(この項続く)

ENT>OBITUARY>Katsumoto, Kenji/1949.5.20 - 2007.4.19 (57)
ENT>OBITUARY>Brown, James/1933.5.3 - 2006.12.25

投稿者 吉岡正晴 : 04:07 AM | コメント (0)

April 21, 2007

Show James Brown And Don Katsumoto Live Of FunkMasters

【ファンクマスターズのライヴを勝本氏とミスター・ブラウンに見せる】

供養。

前日(4月19日)の勝本氏死去の衝撃からまださめやらず、それ以前からライヴ鑑賞予定だったファンク・マスターズに行った。彼らは1960年代後期から1970年代初期にかけて、ジェームス・ブラウンのバックバンドのメンバーだったクライド、ジャボが始めたファンク・バンド。そこに同じくブラウンのバックバンドだったJBズのリーダー、フレッド・ウェスリーをいれた編成になった。

セットリストは、主として彼らの最新作『カム・ゲット・サム・ディス』からのものとジェームス・ブラウンのヒット、JBズのヒット。

同行ソウルメートであるハセヤンが昼間電話してきて、「勝本さんとジェームス・ブラウンが一緒に映ってる写真とかないの? それ持ってきなよ」と言う。そこで、古い写真ファイルをひっぱりだして、いろいろ探したところ、1995年4月に撮影した写真がでてきた。ミスター・ブラウンと勝本さんとその横に僕が3人で映っている写真だ。二人ともいい表情をしていたので、近くの写真屋さんに行って僕の部分をトリミングして、ツーショットの写真をA4サイズに引き伸ばし、簡単な額装を施した。

ちょっとばかり恥ずかしかったが、テーブルの上にミスター・ブラウン&勝本氏のその額をステージに向けて置いた。ジェームス・ブラウンの曲、JBズの曲、たっぷり聴いてください、勝本さん、そして、ミスター・ブラウン、ご一緒に。ライヴのほうは、年齢が行ってるだけあってか、かなりゆるいが。(笑) やはり、ミスター・ブラウンのバンドマスターとしての統率力みたいなものを改めて感じさせられた。あたかも、両親が外出している間に子供たちが留守の家で好き勝手にやっている、といった感じだ。

ハセヤンがライヴが終わった後言った。「俺たち(ハセヤンと僕)が高校生の頃から、通っていたディスコ(六本木のエンバシー)のマスターだった勝本さんがいて、勝本さんが大好きだったジェームス・ブラウンがいた。もちろん、俺たちもJB大好きだった。勝本さんとJBはマブダチになった。それでジェームス・ブラウンが去年逝ってしまって、その後を追うように勝本さんも逝った。しかも、ちょうどフレッド・ウェスリーやこのクライドたちが来てる週に亡くなってしまうっていうのも、何かの縁だよ。だから、これは俺たちの自己満足かもしれないけど、ジェームス・ブラウンと勝本さんが一緒に映ってる写真を持って、彼らふたりにこのJBズの演奏を聴かせるってことで、俺たち二人の勝本さんに対する供養みたいなものができると思うんだ。さっき、昼間、電話して、まさか吉岡がこんなに額装までしてくると思わなかった。俺は病院には行けなかったけど、みなそれぞれのやり方で供養できるんだと思う。これでね、これを一緒にやったことで、別の意味で俺たちの30年以上の絆っていうのも、より強くなったと思うよ」

僕はうなずくしかなかった。ハセヤンが最後に勝本氏を見たのは、昨年のジェームス・ブラウンのライヴ・ステージでのことだったという。

ライヴ中、ハセヤンがこの額持って二人で写真を撮ろうと言い出した。ライヴ終わってからにしようよ、と言ったが撮ろう撮ろうというので、結局写真を撮っていたら、案の定、お店の人がやってきて止められた。(笑) 

勝本&ブラウンの写真は、後でダンステリア(勝本氏の店)や三宿のソウルナッツ(マイケル鶴岡氏がいる店)にも持って行こうと思う。

■過去関連記事

August 02, 2006
Masters Of Groove Live
http://blog.soulsearchin.com/archives/001183.html

■FunkMasters 最新CD
Come Get Summa This
http://cdbaby.com/cd/funkmasters2

■Setlist : FunkMasters featuring JAB'O STARKS, CLYDE STUBBLEFIELD & FRED WESLEY @ Cotton Club, April 20, 2007
セットリスト : ファンクマスターズ・フィーチャリング・ジャボ・スタークス、クライド・スタブルフィールド、フレッド・ウェスリー
(transcribed by yoshioka.masaharu)

show started 21:34
01. Intro - Pass The Peas
02. Cold Sweat
03. House Party (From Funkmasters' CD "Come Get Summa This")
04. I Feel Good
05. Papa's Got A Brand New Bag
06. Never Make Your Move Too Soon  (From Funkmasters' CD "Come Get Summa This")
07. Mustang Sally (From Funkmasters' CD "Come Get Summa This")
08. Breakin' Bread
09. Come Get Summa This (From Funkmasters' CD "Come Get Summa This")
Enc1. Let's Stay Together (From Funkmasters' CD "Come Get Summa This")
Enc2. Doing It To Death
show ended 22:53

(2007年4月20日金曜、丸の内コットンクラブ=ファンクマスターズ・フィーチャリング・ジャボ・スタークス、クライド・スタブルフィールド、フレッド・ウェスリー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Funk Masters Featuring Jabo Starks, Clyde Stubblefield, Fred Wesley
2007-50

投稿者 吉岡正晴 : 04:28 AM | コメント (0)

April 20, 2007

Don Katsumoto, King Of Soul, Dies At 57

【ドン勝本氏、57歳で死去~キング・オブ・ソウル、ダンステリア・オウナー、プロデューサー】

キング。

アメリカのR&Bシンガー、「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」ことジェームス・ブラウンと30年以上にわたる親交を結び、日本のソウル・ミュージックの発展に大きく寄与し、ソウル・ミュージック、ソウル・ダンスステップの情報発信地でもある白金「ダンステリア」のオウナーであり、自らダンサー、振付師、音楽プロデューサーとして活躍したドン勝本氏(本名・勝本謙次)が2007年4月19日(木曜)、午後7時08分ごろ、広尾の日赤病院で大腸がんのため死去した。57歳だった。葬儀は、4月26日(木曜)午前11時から臨海斎場(東京都大田区東海1丁目3ー1)で行われる。喪主は長男・勝本有輝氏。

勝本氏は、1949年(昭和24年)5月20日岐阜生まれ。国士舘大学在学中から新宿のディスコなどに出入りするようになり、そこでかかっているジェームス・ブラウンを始めとするR&B、ソウル・ミュージックに魅せられた。1970年頃、六本木のディスコ「大使館」に参加、さらに、これが店名を「エンバシー」と変更した72年頃から店長に。

1973年2月、初来日したジェームス・ブラウンのライヴを見た後、本人に会いに行き、意気投合。この時、勝本氏が当時日本でソウル・ミュージックが広まっていないと嘆いたところ、ジェームス・ブラウンから「俺はアメリカでがんばるから、おまえは日本で(ソウル・ミュージックの普及に)がんばれ」と言われ、感動。以来、ブラウンを師、神と仰ぎ、日本でのソウル・ミュージックの普及に尽力した。

1973年に初めて渡米。アメリカでのソウル・ミュージック、ディスコ・シーンを視察、それを受け、1974年、当時横のネットワークがまったくなかった日本の全国のディスコティックを組織化。「全国ディスコ協会」を設立、会長に就任した。ディスコ協会では全国にDJを派遣したり、全国規模の「ダンスコンテスト」などを多数行い、ディスコ・ヒット、ソウル・ミュージックの浸透に力を添えた。1978年、赤坂にディスコ「マンハッタン」をオープン。このオウナーは細木数子氏だった。同年、日本で初めてのディスコ情報誌「エクスプロージョン」を発刊、ディスコからの情報を発信した。

さらにこの頃までに何度か渡米。アメリカにおけるソウル・シーン、ディスコ・シーンを見聞し、日本でのディスコ会議を企画。1979年8月、帝国ホテルで『全国ディスコ・フォーラム(Japan Disco Forum)』を開催、アメリカから著名ディスコDJ(リッチー・リヴェラなど)を招聘し、日本におけるディスコ発展の一翼を担った。

自らダンサーとしても活躍、また、オリジナルのソウルステップなども考案、コレオグラファー(振付師)としても森高千里、つんく、モーニング娘など多くの日本人シンガーの振り付けを担当した。自らが育てた歌って踊れるグループ、リフ・ラフ(1984年デビュー)には、SAM(のちのTRF)や、現在勝本氏の右腕として現在も多方面で活躍している矢作幸裕氏も在籍していた。

1984年、白金にディスコ「ダンステリア」をオープン。現在も営業を続ける「ダンステリア」は、ソウル・ステップの総本山的存在になっており、「チャ・チャ・」「ソウルCC」などのソウル・ステップを学びたければ、まず、「ダンステリア」へ行け、というほどにまでなっている。「ダンステリア」では後身の指導にあたる一方、古くから伝わるソウルダンス、ソウルステップの歴史の生き証人として、ニック岡井氏とともに、そうしたダンスを教えている。

1990年、ドン勝本氏は、マイケル鶴岡氏、ニック岡井氏とともにダンス・ユニット「キング・オブ・ソウル」を結成。歌って、踊れるグループとしてメジャー・デビュー。そのライヴの模様を映した映像を、ジェームス・ブラウン本人の前で見せると、ブラウンも大喜びした。

1995年、それまでに何度も会っているジェームス・ブラウンをオーガスタに訪ねた時には、ブラウン自らにブラウンゆかりの地を案内され、自宅に招かれた。その後、1996年1月のブラウンの当時の妻エイドリアンの葬儀に出席、この時もジョージア州オーガスタ郊外の自宅に招かれた。

テレビ出演も「ソウル・トンネルズ」「ダンス・ダンス・ダンス」など多数。また映画『ゲロッパ』(2003年)では、ダンス指導、またキング・オブ・ソウルとしても出演している。

最近では、大人気となったシンガーAI(アイ)を発掘、メジャーデビューさせた。

2006年、それまでのソウル、ディスコ、ダンスの歴史を一冊の本にまとめ「オール・アバウト・ソウル・ディスコ・ダンス」(メディアミル、星雲社・発売)として発表している。

2006年3月、ジェームス・ブラウンが来日した際、東京でのライヴ・ステージでブラウンに呼び出され1曲踊ったのが、奇しくも、ブラウンのそして、勝本氏の最後のステージとなってしまった。ジェームス・ブラウンは、彼のことを「キング・オブ・ソウル、ドン勝本、35年来の友人」と人々に紹介する。

2006年12月31日、勝本氏はインターFM『ソウル・ブレンズ』でジェームス・ブラウン(2006年12月25日死去)の追悼特集をしたときにゲストで登場。ブラウンについて多くを語った。これも最後のラジオ出演となった。

2週間ほど前から体調が悪くなり広尾の病院に入院。火曜日(17日)個室に移り、木曜(19日)に容態が急変し、19日午後7時過ぎ、家族、多くの仲間に看取られながら息を引き取った。


ご冥福をお祈りする。

(あまりに近い仲間である勝本さんについての個人的な思い出は後日、ゆっくり書きます。しばらく時間をください=吉岡正晴)

■訃報記事(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070420-00000003-mai-peo

■ドン勝本氏関連サイト。ダンステリアのウェッブ
http://www1.ocn.ne.jp/~danteri/main.htm

July 16, 2006
"All About Soul Disco Dance": Book Is Released
【ソウル・ステップ・ダンスの踊り方教則本・発売】
http://blog.soulsearchin.com/archives/001144.html

ENT>OBITUARY>Katsumoto, Kenji/1949.5.20 - 2007.4.19 (57)

投稿者 吉岡正晴 : 04:12 AM | コメント (0)

April 19, 2007

Roberta Flack: Very Spontaneous Live Performance

(前日からの続き)

【自由度の高いロバータ・フラックのライヴ】

自由度。

ロバータ・フラックのライヴがミュージシャンとして自由度が高いものだと昨日書いた。例えば、セットリストの3曲目で彼女は「フィール・ライク・メイキング・ラヴ」(マリーナ・ショウでも有名)を歌う。しかし、この冒頭にスライ・ストーンの「ファミリー・アフェアー」をいれた。おそらく、これはロバータの気分でちょっとこれをやってみようと思ったのだろう。ひょっとして前日にもやっていたかもしれないが、とてもアドリブ性が高いアレンジだった。

同曲の最後の部分にマーヴィンの曲をいれた。これも「フィール・ライク・・・」からの流れでぱっと付け足したものだと思う。歌詞の面からもつながりが感じられる。

ライヴ後、客席にでてきたミュージシャンの何人かと話す機会があった。一番よくしゃべってくれたのが、ベースのトレス・ギルバート。現在アトランタ・GA(ジー・エー=ジョージア州のこと)在住。ロバータ・バンドには初参加。しかも、月曜に初めてリハをやったので、この日がまだセカンド・デイだった。

ロバータの曲はほとんど知っているのか、と尋ねると、「いやあ、ロバータは自分の持ち歌だけで150曲くらいあるんじゃないかな。全部はとてもじゃないけど、覚えていない。15-20曲分の楽譜があるが、ロバータは楽譜がない曲もやる。それに楽譜とキーが違ったりするんだ。アレンジもレコードとは大幅に変えていたりするしね」 

「事前に決めたセットリスト自体はあるの?」と尋ねると、「あることは、あるけど、ロバータはすぐに変えるよ(笑)」という。案の定。ロバータはほぼステージ中央のピアノにすわり、彼女のピアノから曲が始まっていくので、ステージをほぼ手中に収める。彼女が思いついて始めた曲を、ミュージシャンたちはついていかなければならない。そのあたりの自由度、アドリブ性の高いところが、スティーヴィーやジェームス・ブラウンのライヴに似ている。

「では、もしまだ自分が知らない曲が始まったらどうするの?」と聞いた。トレスはこう答えた。「僕の秘密を教えようか。(笑) ちょうど僕の位置からはキーボードのモリスの手が見える。そこで、モリスが弾くコードを見て、取るんだ。そして、そのコードをベースで弾いていくというわけさ。僕は、ひとたびコードがわかれば、何でも弾ける。それに、知っている曲であれば、キーがいくら変わっても弾けるんだ」 

バックコーラスのひとり、トニー・テリー。最初は昔ヒットをだしたトニーとはわからず、ただ聴いていたが、彼が歌った作品を聴いて、声質がダニー・ハザウェイ、時にルーサー・ヴァンドロスを思わせるなあ、と感じていた。そして、彼にもダニー、ルーサー、スティーヴィー、そして、マーヴィンの流れを感じた。それは、果たしてロバータ・フラックとともに歌っているからか。しかし、トニーとロバータのかけあいによる「セイヴ・ザ・チルドレン」はよかったなあ。また聴きたい。

トニーによれば、「ロバータのバンドにはここ数年、出たり入ったりだが、参加している。2005年、2000年にも来日したよ。ところで、最近、アルバムを作ったんだ。ゴスペル・アルバムだ、ぜひ聴いてくれ」とのこと。

ところで、この日は会場に『ソウル・サーチン』でも歌ってくれたディーヴァ・グレイ、マクサン、そして、マルまで来ていた。そういえば、ディーヴァはロバータのライヴでは歌っていないが、レコード(CD)で何曲かバックをつけていた。久々に会ったディーヴァに、1月のライヴの記録用映像はまだかと催促された。すっかり渡したと思っていた。(笑) 

■セットリストなどは、昨日付けの日記に

(2007年4月17日火曜、東京ブルーノート=ロバータ・フラック・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Flack, Roberta
2007-48

投稿者 吉岡正晴 : 06:21 AM | コメント (0)

April 18, 2007

Roberta Flack; The Night Marvin Gaye Comes Down

【ロバータ・フラック・ライヴ~マーヴィンが降りてきた夜】

自由度。

超ヴェテラン、ロバータ・フラックのライヴ。僕自身は前回(2005年6月)を見ておらず、2000年4月のブルーノート以来なので、7年ぶりとなる。前回は、このブログが始まる前なので、ブログには載っていないが、どこかにその時のことを書いた。初日に見たのだが、そこにはなんとそのとき来日していたシーラEとデズリーが飛び入りして歌ったり、演奏したりして、大変盛り上がった。

さて、今回はバンドメンバーが少し変わっていた。ベースのトレスは、今回が初参加、彼は12月にジョニー・ギル、9月にフランク・マッコムで来日していた。そして、バックヴォーカルの男性のほうは、なんとトニー・テリー。その昔、「ラヴィー・ダヴィー」(1988年)の大ヒットを放ったことがある男性シンガーだ。他のメンバーもこの5年くらいらしい。トニーは2005年、2000年にも来ていたという。

ロバータのライヴは、常に淡々と進む。その進み具合が時として退屈に感じられることもあるが、この日はまったくそんなことはなかった。彼女の自由度が高いミュージシャンシップが存分に発揮され、あれだけ、スローやスローミディアムの曲ばかりだったにもかかわらず、独特の「ロバータ・フラック・ワールド」を作り上げていた。まさに彼女は、この80分間、ブルーノートの時間と空間を手中に収め、すべてを支配していた。

圧巻だったのは、下記セットリストで5にあたる「マーヴィン・ゲイ・メドレー」。実はその前の前の「フィール・ライク・メイキング・ラヴ」の中で、マーヴィンの「ユー・シュア・ラヴ・トゥ・ボール」のフレーズをいれて、歌っていたので、そのあたりから、マーヴィンが来ていたのかもしれない。

この3曲はいずれも傑作『ホワッツ・ゴーイング・オン』収録の作品。特に「セイヴ・ザ・チルドレン」では、男性のトニー・テリーと、言葉のやりとりを自由自在にしていて迫力があった。まるで、ちょっとしたポエトリー・リーディングか、演劇を見ているかのようだった。

一緒に見た盟友でありソウルメートのハセヤンは、「女マーヴィンっていうのは、いないと思ったけど、ロバータは女マーヴィンだねっ!」と宣言した。

ベースのトレスによると、なんと、このマーヴィン・ゲイ・メドレーは前日にはやってなくて、この日のファーストからロバータの思いつきで始まったという。それをもう少しソリッドにしたのがこのセカンドで聴けたヴァージョン。トニーとロバータの言葉のやりとりはファーストではなかったそうだ。となると、あのかけあいは、本当のアドリブだったことになる。これは恐るべし。すばらしいミュージシャンシップだ。

ロバータには、あの瞬間、間違いなくマーヴィンが降りてきていた。前回見たときは、ダニー・ハザウェイとスティーヴィーが降りてきていたが、この日はマーヴィンだ。

ロバータのライヴは、彼女が中央のピアノに座って、自分が歌いたい歌を自由に始めるという点で、ある種、スティーヴィーと似ているところがある。彼女が何かを弾き出すと、ミュージシャンがそれについていくというスタイルだ。下記セットリストで4曲目(「ヘイ、ゼアイズ・ノー・ウェイ・・・」)や5曲目(マーヴィン・メドレー)などは、事前には予定されていなかった作品。しかし、ブルーノートのホームページに発表されたセットリストによれば、前日歌った「エターナリー」はこの日は歌わなかった。

それにしても、声が若々しい。キラー・ソング「キリング・ミー・ソフトリー」や「ファースト・タイム・アイ・エヴァー・・・」などを聴いていると、実年齢(1937年2月10日生まれの70歳=生年については、38年~40年まであるが、37年が正しいと思われる)が想像つかない。ライヴ・パフォーマンスとしては、急遽ギタリストが来日せずに、ギターパートはキーボードで差し替えていたりして、完璧ではなかったが、あのまったり感、ゆったり感で、聴く側を集中させてしまうロバータ・フラックのミュージシャン力はすばらしい。

(この項・続く)

■ロバータ・フラック・ベストCD

ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ロバータ・フラック
ロバータ・フラック ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ ピーボ・ブライソン&ロバータ・フラック
ワーナーミュージック・ジャパン (2006/06/21)
売り上げランキング: 25205


■ブルーノートウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20070416.html
ライヴは、木曜を除いて日曜22日まで。

■メンバー

Roberta Flack (Vocal, Piano)
Morris Pleasure (Keyboards)
Nova Payton (Background Vocal)
Tony Terry (Background Vocal)
Tres Gilbert (Bass)
Rick Jordan (Drums, Musical Director)

■ Setlist : Roberta Flack @ Bluenote Tokyo, April 17, 2007
セットリスト ロバータ・フラック 
(transcribed by yoshioka.masaharu)

show started 21:46
01. Oasis
02. Will You Still Love Me Tomorrow
03. A Riff Of "Family Affair" to Feel Like Making Love to A Riff Of "You Sure Love To Ball"
04. Hey, That's No Way To Say Goodbye (Leonard Cohen) (From "First Take" Album)
05. Margin Gaye Medley:
a) Inner City Blues (Make Me Wanna Holler)
b) Save The Children
c) Mercy Mercy Me
06. Disguises (From Album "Roberta Flack Featuring Donny Hathaway)
07. Where Is The Love (Duo With Tony Terry)
08. Baby Calls (Tony Terry, Lead) (New)
09. Feelin' That Glow (From Album "Feel Like Making Love")
10. Say No (New)
11. Killing Me Softly With His Song
12. Soft And Gentle (New?)
13. The First Time I Ever Saw Your Face
14. Back Together Again
show ended 23:05

(2007年4月17日火曜、東京ブルーノート=ロバータ・フラック・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Flack, Roberta
2007-48

投稿者 吉岡正晴 : 04:54 AM | コメント (0)

April 17, 2007

NHK-BS "Ougon No Yougaku Live"

【『黄金の洋楽ライブ』で解説します】

シュープリームス。

また告知で恐縮です。(笑) NHK-BSで昨年から定期的に放送されている洋楽のライヴ映像を放送する番組『黄金の洋楽ライブ』(基本・隔週土曜23時~=NHK-BS2)の、4月21日(土)放送分「シュープリームス」の回で、簡単な解説をします。お時間ある方は、ぜひごらんください。

この番組では、これまでにもジェームス・ブラウン、クイーン、ドアーズなど新旧の洋楽アーティストの映像を集めて放送しています。そのアーティストに思い入れのある人が前後の解説をつとめています。今回は『黄金の洋楽ライブ』その第21回。

シュープリームスの1968年4月にスウェーデンのストックホルムで収録された映像を中心にお送りします。この時、ダイアナ・ロスは、24歳。まだまだ初々しいシンガーでした。映像はモノクロです。

また番組では1968年の映像のほかに、1964年と1965年の映像も数曲ご紹介します。そこには、グループを解雇されるフローレンス・バラードも映っています。

シュープリームスの物語は、映画『ドリームガールズ』のヒントになった元ネタです。そのあたりのお話もちょっとしています。

■NHKBS公式ウェッブ
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2007-04-21&ch=12&eid=31246

■『黄金の洋楽ライブ~VOL.21~シュープリームス』
放送日 2007年4月21日(土曜日)23時00分~24時15分(75分間)
放送チャンネル NHK-BS2

ENT>MUSIC>TV>Ougon No Yougaku Live
ENT>MUSIC>ARTIST>Supremes

投稿者 吉岡正晴 : 01:26 AM | コメント (0)

April 16, 2007

Ketz Started Her Own Company

【Ketzさんはダンス界のカリスマ】

カリスマ。

縁あってダンサーであり、ダンス・イヴェントのプロデュース、あるいは、ダンス関係のファッションなどもデザインし、さまざまな表現形態で自らの世界をクリエートする才媛KETZ(ケッツ=奥山結実)さんのイヴェント「UMU凝レクション」を青山スパイラルのレストラン「カイ」で見た。

ケッツさんはいろいろなシンガー(安室奈美恵 、エム・フロー、イグザイルなど多数)のダンスの振り付けをしたりしているうちに、そのダンスにあったファッションなども相談され、実際デザインして、洋服やアクセサリーなども製作するようになり、そうした注文がけっこう増えたりしたので、ダンス・クリエイティヴ全般を取り扱う会社を設立するにいたった。今回のイヴェントは、その会社の設立パーティー。5時間にわたって、さまざまなアーティストたちがパフォーマンスを繰り広げた。

これまでにデザインした洋服やアクセサリーなどがところ狭しと飾られ、イヴェント時間中には、実際にメイクや、ライヴペインティングなども。もちろん、ケッツさん他のダンサーたちのダンスショーもあった。

ケッツさんのダンスは、うわさでは聞いていた。初めて見たが、かなり素敵だった。切れもよくセクシーでいい感じ。レストラン「カイ」の椅子とテーブルをすべて取り払い、広くなっていたが、前方のステージだけでなく、中央にもお立ち台のようなものを置き、そこでもセクシーに体をくねらせた。また中央の大きな桜の木も印象的だった。全体的なステージというか、舞台構成などもなかなかのもの。

そんなこんなで見ていたら、ダンススタイル、ルイールなどの編集人でもあられる坂上さんとばったり。彼はケッツさんとは何度も仕事をして、モデルもしてもらったこともあり、ダンス界ではちょっとしたカリスマ的存在だと教えられた。

ケッツさんの会社のウェッブ(プロフィールなども)
http://www.umutz.com/top.php

(2007年4月15日日曜、青山カイ[CAY]=UMU凝レクション)
ENT>MUSIC>DANCE>EVENT
2007-45


投稿者 吉岡正晴 : 01:44 AM | コメント (0)

April 15, 2007

Cold Blood Live: First Ever In Japan~Another Soul Survivor

【迫力のベイエリア・ファンクロック・グループ、コールド・ブラッド】

ジャニス。

60年代後期から70年代にかけて、いわゆるサンフランシスコのベイエリアでタワー・オブ・パワーなどと並んで人気を集めたファンク・ロック・グループ、コールド・ブラッドが初来日。さっそく足を運んだ。

僕もアルバムをアナログで何枚かもっている程度で、それほど熱心に聞いて来たわけではなかったが、ライヴはかなりよくて楽しめた。なによりも、リズム隊、そして、トランペットとサックスのバンドと、ヴォーカルのリディアの歌がパンチがあってよかった。ただ、やはりタワーの迫力とドライヴ感と比べてしまうと、若干地味かな、という部分もある。あと、決定的な大ヒット、名刺代わりの1曲がないのが、タワーと比べると観客動員などでも大きな差がでてしまうのかもしれない。

全体的なサウンドは、やはりジェームス・ブラウン・ファンクなどを元にした白人のソウルバンドという位置付け。タワー・オブ・パワー、アヴェレージ・ホワイト・バンドなどと並ぶバンドだ。古いバンドだとチェース、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズなどもこのジャンルにはいりそうだ。

この週は月曜日にジョス・ストーンを見たが、ジョスを見ていたときも、ふとジャニス・ジョプリンを思い浮かべたが、このコールド・ブラッドのリディアを聴いていても、またジャニスを思い浮かべた。今週は2回もジャニスの面影を見たということになる。

MCで「29年間、ずっと歌っているリディア!」と紹介していたが、彼女もう50は超えているのかな。身長は、とても小柄で145センチくらいではないだろうか。ハスキーないい声だった。

日本ではほとんど知名度もないはずなので、集客が心配だったが、半分以上ははいっていて、中には熱心なファンもいたようで、とりあえずは形になっていてよかった。一時期グループ活動を停止していたらしく、そういう意味では彼らももう一組の「ソウル・サヴァイヴァー」なのかもしれない。

■コールド・ブラッド

ファースト・テイスト・オブ・シン(紙ジャケット仕様)
コールド・ブラッド
インディペンデントレーベル (2006/08/27)
売り上げランキング: 61460

■コットンクラブ

http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/schedule/#
4月16日まで。

リディア・ペンス & コールド・ブラッド
Lydia Pense(vo), Rob Zuckerman(sax), Richard Armstrong(tp), Steve Salinas(key), Steve Dunne(g), Evan Palmerson(b), Pep Salinas(ds)


Setlist : Cold Blood @ Cotton Club, April 13, 2007
(transcribed by yoshioka.masaharu)
セットリスト コールド・ブラッド 

show started 21:34
01. Can't Take It, I Don't Give A Damn (Lavelle White)
02. Down To The Bone (1972)
03. (Got To Got To) Come Back To Yourself (?)
04. I'm A Good Woman (1969)
05. Guide Me Home (From latest CD "Transfusion")
06. Funky On My Back (1971)
07. Face The Music (From latest CD "Transfusion")
08. Wait For You (From latest CD "Transfusion")
09. I Just Want To Make Love To You (1969)
10. Back Here Again (1976)
11. You Got Me Hummin' (1969)
Enc. You Make Me Sweat (From latest CD "Transfusion")
show ended 22:46

(2007年4月13日金曜、丸の内コットンクラブ=コールド・ブラッド&リディア・ペンス・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Cold Blood
2007-43

投稿者 吉岡正晴 : 01:31 AM | コメント (0)

April 14, 2007

Can You Hear Digital Radio?

【NHKデジタル・ラジオ】


デジタル。

NHKのデジタル・ラジオの番組に出ます。デジタル・ラジオは、デジタル専用のチューナーか、今後発売されるデジタル受信機能を備えた携帯電話などで聴けますが、一般的にはまだまだ普及していません。デジタル・ラジオは、CD並に音がいいそうです。

番組表などは次のところにあります。

http://www.nhk.or.jp/dr/

この中で平日(月~金)午後6時から6時半、土日の午後3時から3時半までの間で放送される『ロックの殿堂』という番組のブラックアーティストを担当しています。

現在この『ロックの殿堂』は計30本あり、そのうちの5本を紹介しました。DJは、湯川れい子さん、小倉エージさん、伊藤正則さん、大友博さん、そして、吉岡正晴の5人。複数回リピートで放送されるようです。

番組内容は、1986年から始まったアメリカの『ロックの殿堂」に入ったアーティストを順に紹介するというもの。これまで約120を超えるアーティストが殿堂入りしていますが、まず第一期で30のアーティストを紹介しています。

デジタル放送の番組は、インターネットでの放送もされています。基本しゃべりだけのものは、すぐにインターネットで流れるようですが、音楽が入ると著作権の問題がまだクリアされていないので、しばらく時間がかかりそうです。

ちなみに、僕はアレサ・フランクリン、ジェームス・ブラウン、サム・クック、アイズレー・ブラザース、マーヴィン・ゲイの5組を選んで紹介しました。もし、番組を聴くことができたら、ご感想などお知らせください。

ENT>ANNOUCEMENT>RADIO
ENT>RADIO>Rock N Roll Hall Of Fame


投稿者 吉岡正晴 : 02:56 AM | コメント (0)

April 13, 2007

Beyonce To "Dreamgirls"

【ビヨンセ~『ドリームガールズ』】

ドリームス。

ビヨンセ効果か、またまた『ドリームガールズ』を見たくなってしまった。(笑) 『ドリームガールズ』の映画版のDVDが6月に発売されるという。去年の映画『レイ』並に、ベストセラーになるのではないだろうか。

それにしても、ジェニファー・ハドソンが歌う2曲「アンド・アイム・テリング・ユー・アイム・ノット・ゴーイング」と「アイ・アム・チェンジン」は圧倒的。さらにビヨンセが歌う「リッスン」もすばらしい。1981年のミュージカル・ヴァージョンでは、ジェニファー・ホリデイが最初の2曲を歌い、これが大ヒットになったが、ミュージカルの中でももっともいい場所で歌われる。まさにショー・ストッパー。

「アンド・アイム・・・」は、ジェニファー(エフィー役)がドリームスをクビになる時に歌う作品。「私は、去らないわ」という必死な願いがここに込められている。そして、もう一曲は同じジェニファーが落ちぶれた後、場末のクラブで仕事をもらう時に歌う作品。「私は、変わったのよ」というメッセージだ。ジェニファー・ハドソンは、ジェニファー・ホリデイに負けじと大爆発。ここにスター誕生だ。

ビヨンセ(ディーナ役)が、ジェイミー・フォックス(カーティス役)の元から独立するところなどはなかなかの演技。それにしても、ビヨンセのパートはダイアナ・ロスを思わせる。

ジェニファーの兄、CCは、やはりモータウンのソングライターを複数まぜあわせたようなキャラクターだ。ホランド・ドジャー・ホランド、スモーキー・ロビンソン、ノーマン・ホイットフィールドあたり。特に、弟がヴェトナム戦争に行って、それを歌にしたメッセージソングをエディー・マーフィー(ジェームス・アーリー役)が録音したときに、ジェイミー・フォックスは「メッセージソングはだめだ。音楽は売れなければだめだ」というシーンなどは、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイング・オン」発売時のエピソードだ。

『ドリームガールズ』のために、ビヨンセは10キロほど減量したという。今回のツアーで見せた体は、したがって、若干元に戻っているようだ。がっしりした印象がある。とは言っても、トレーニングをしているせいか、決して太っているという印象はない。

日本でも2月に公開されて以来この映画は100万人近くを動員したらしい。ものすごい大ヒットになった。

■映画『ドリームガールズ』のサントラ、デラックスエディション

ドリームガールズ (出演 ジェイミー・フォックス、ビヨンセ・ノウルズ)

おすすめ度の平均: 4.5
5 発売日略決まる?
4 ジェニファー・ハドソンはもちろん、ビヨンセ、エディ・マーフィの歌唱も立派
5 助演女優賞ではなく主演女優賞を!

■映画評

December 20, 2006
Musical Movie "Dreamgirls": Born In 1981
【映画『ドリームガールズ』~1981年に生まれて】
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200612/2006_12_20.html

December 22, 2006
"Dreamgirls"(Part 2) : Between Fiction And Non-Fiction
(12月20日付け日記の続き)
【フィクションとノンフィクションの間で】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_12_22.html

ENT>MOVIE>Dreamgirls

投稿者 吉岡正晴 : 02:48 AM | コメント (0)

April 12, 2007

Beyonce: Don't Blink Your Eyes When She's On Stage

【ビヨンセがステージにいる瞬間、瞬きはするな】

瞬き。

けっこうたくさん見所はあった。曲も短く次々メドレー形式にしていくのでひじょうにテンポがよい。ダンサーは男性4人、女性6人の計10人。ダンサーがでてくるところは、本当に派手に華やかになる。

一番驚いたのが、「アイ・ビー・ダム」から「リング・ジ・アラーム」のあたりだったか、モニター・スクリーンにシルエットで映るダンサーと、実際のステージ上のダンサーの動きがかなりシンクロしていたところ。最初は生のダンサーを撮影して映し出しているのかと思ったら、事前に撮影されたシルエットを映し出していた。

あるいは、すでに「ロンドン・ライヴ」でも見られたが、デスティニーズ・チャイルド・メドレーの中の「ビルズ、ビルズ、ビルズ」あたりでの、7人が一本のバーにからみながら踊るシーンなどもよかった。ダンスは、もちろん、みんなよかったんだが。

冒頭でのステージ上部から銀幕が降りてきて、しばらくそれが宙からぶるさがっているが、どうやって片付けるのだろうと思っていたら、ばさっと下に落として撤収した。

「デンジャラスリー・イン・ラヴ」では、舞台後方から大きな羽を広げた男性ダンサーがでてきて、徐々にビヨンセに近づき、最後にステージ中央で彼女をその羽で包み込む。

「バンブルビー・イントロ」では、バレーダンサーのような振りが印象的。歌では、「スピーチレス」がひじょうにセクシーなスローだった。また、最後に「ドリームガールズ」と同映画から「リッスン」を歌い、うまく締めにもっていく。

もちろん、デスチャ時代にやってきたことの積み重ねはあるとしても、これだけの振り付け、総合演出、いったい誰がやっているんだろう。すべてビヨンセ本人なのか。リハーサルは何回くらいやるのだろうか。

瞬きする間もない、密度の濃いショーだ。はやく、このツアーがDVDになって、何度も見返してみたい。

というわけで、このライヴを見て、またまた映画『ドリームガールズ』を再見したくなった。

(2007年 4月10日火曜、東京ドーム=ビヨンセ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Beyonce
2007-42


投稿者 吉岡正晴 : 02:18 AM | コメント (0)

April 11, 2007

Beyonce Rock The Dome: Dangerously In Live

(ネタばれになります。これからごらんになる方は、あなたのリスクにおいてお読みください)

【ビヨンセ~危険なライヴ】

進化系。

いやあ、まいった。世界ツアーの初日を日本にもってきたということで、ツアーの予行演習のつもりなのかと思ったが、初日から大爆発だった。メジャーリーグの投手が、開幕第一線に照準をあわせるかのように、ビヨンセはこの日に照準を合わせ、すべて準備万端で臨んだようだ。

歌、踊り、映像とのリンク、選曲、構成、ファッションも含めたヴィジュアルなど、すべて完璧だった。暗転から1時間50分、まったく息つく間もなく、次々と繰り広げられる21世紀超エンタテインメント絵巻。でるのはため息ばかりだった。ビヨンセがまさにドームを自分の手中に収めた。この密度濃いライヴを半年以上やって最後のニューヨークあたりになったら、いったいどれほどすごいものになるのか、まったく想像もできない。ビヨンセの進化系の行く末は? 

マイケル・ジャクソンを見たときにも感じたが、これまでのブラック・エンタテインメントの歴史、もっているものすべてをここにつぎ込み、しかも、自分のものに消化している。ジェームス・ブラウンが開墾した道、マイケルが舗装した道、ジャネットが拡張した道、マドンナが通った道、それらの道をさらにビヨンセは未来へ向けて広げ、開拓している。おそるべしビヨンセ。しかも、可愛く、美しくセクシー。非の打ち所がない。

ドラムス(2人!=ジェームス・ブラウン・バンドを彷彿とさせる)、パーカッション、ギター、ベース、キーボード2人、ホーン3人、コーラス3人という12人バンドにビヨンセ。さらに、女性6人、男性4人のダンサー、最大計23人という大所帯。しかも、ダンサーに男性4人がいるほか、バンドメンバーは全員女性だ。みんなかわいい。このヴィジュアルもまたすごい。そして、ドレスチェンジも5回。

かつて女性だけバンドというと、ロバート・パーマーがやったことがあった。最近ではシーラEのバンドが小規模ながら試みているが、これは女性バンドとしてはお見事としかいいようがない。

構成もデスチャ・メドレーを中央にはさみ、最後には『ドリームガールズ』までいれる大サーヴィスぶり。1時間50分、本当に堪能できた。今年大きな会場で見たライヴでは文句なく一番だ。2007年現在、現存する世界最高のエンタテイナーと言っていい。これは何度も見たい。癖になりそうな危険なライヴだ。

■過去ライヴ評

September 05, 2006
Beyonce: B'Day Party
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200609/2006_09_05.html

April 16, 2005
Past, Present & Future Of R&B: Destiny's Child Live
http://blog.soulsearchin.com/archives/000042.html

2001年6月ライヴ評
http://www.barks.jp/feature/?id=52247987

■ビヨンセ・アルバム

◎Bデイ

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◎デンジャラスリー・イン・ラヴ

デンジャラスリィ・イン・ラヴ
ビヨンセ Jay-Z シーン・ポール ビッグ・ボイ スリーピー・ブラウン
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5 最高!パーフェクト!
5 パーフェクト!
4 歌の女神,降臨す! 会心のソロ・アルバム

◎ドリームガールズ

ドリームガールズ:デラックス・エディション(DVD付)
サントラ マキシ・アンダーソン シャーリン・カーモン キーシャ・ヘリー ダレル・バブス ルーク・ボイド エリック・ドーキンズ スティーブ・ラッセル マイケル・レオン・ウーリー ジェニファー・ハドソン
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おすすめ度の平均: 5.0
5 最高です!
5 worth to buy
4 耳で聴くより…

■ Setlist: Beyonce, Tokyo Dome April 10th, 2007
セットリスト ビヨンセ 東京ドーム

show started 19:45
00. Queen B Fanfare Intro
01. Crazy In Love
02. Freakum Dress
03. Green Light
--. (Drum Solo)
--. *dress change*
--. (John Coltrane Intro)
04. Baby Boy
05. Beautiful Liar
06. Naughty Girl
07. Me, Myself And I
--. *dress change*
--. (Bumble B Intro)
--. Dangerously Prelude
08. Dangerously In Love
--. *dress change*
--. (Pink Panther Intro)
09. DC (Destiny's Child)Medley: (10 songs)
Independent Woman
Bootylicious
No, No, No
Bug A Boo
Bills, Bills, Bills
Cater 2 U
Say My Name
Jumpin', Jumpin
Soldier
Survivor
10. Speechless
--. *dress change*
11. I Be Damn
12. Ring The Alarm
13. Suga Mamma
14. Upgrade U
15. Bonnie And Clyde
16. Check On It
17. Get Me Bodied
--. (Bass Solo; A Riff Of "Don't Look Any Further", "Don't Stop Till You Get Enough" etc)
18. Deja Vu
--. *dress change*
--. (Hollywood Video Sequence)
19. Dream Girls
20. Listen
21. Irreplaceable
show ended 21:35

(2007年 4月10日火曜、東京ドーム=ビヨンセ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Beyonce
2007-42


投稿者 吉岡正晴 : 02:38 AM | コメント (0)

April 10, 2007

Joss Stone: Soulful Voice With Soul Band

【ジョス・ストーン・ライヴ】

ごきげん。

ジョス・ストーン、新譜発売に伴った待望のショーケース・ライヴ。恵比寿リキッドは超満員。ドラムス、ギター、ベース、キーボード2人、トランペット、サックス、コーラス3人という10人の豪華バンドを従えてジョスが歌う。

音が始まり、まず感じたのが、前回同様、音が小さい、ということ。なんでだろう。けっこう贅沢なバンドでいいバンドのように思えるが、音が小さいために、なんか、こう、ガツーンとくるものがない。ジョスの歌声も気持ち押さえ気味というか、小さめ。声量がそれほどないみたいだ。だが、CDと同じ、あのソウルフルな歌声は健在だ。とにかく、この声とこの歌唱はいい。ただ、やはりゴスペルの素養をもった黒人ではないため、ソウルにはなりきらない。CDのほうがソウルを感じてしまうから不思議。

一聴して感じたのが、21世紀のジャニス・ジョプリンという雰囲気。ただジャニスだったら、もっと汗だくになってソウルがほとばしりでたような気がする。ジョスは若いながらも、とても上品で、きれいに洗練されて、うまくまとまっているという印象だ。

本編最後の曲でバックコーラス3人がメンバー紹介でそれぞれ少しずつ歌うシーンがあったが、その彼ら(いずれも黒人)の声量はかなりのものがあった。結局、ジョスの声量にあわせたバンドの音量なのだろう。なにしろ、喉のポリープの問題もあったから、ここは無理しないのかもしれない。

また、選曲は実質全12曲中8曲が最新作からのもので、完璧に新作『イントロデューシング』のプロモートに照準をあわせたものだ。(他にファーストから2曲、セカンドから2曲) ただ、全体的な流れからすると、曲順に関してはもう少し煮詰めてもいいかもしれない。最後の「ダーティー・マン」はメンバー紹介も含めて20分もやっていて、これは長すぎる。他の曲が短く、次から次へといいテンポでいっていたのでちょっと残念。とはいうものの、まだ19歳。(4月11日で20歳) これからどんどんいろいろなライヴを見たり聴いたりして、いいショーを作っていくようにすればいいとおもう。最初からそんな、完璧なものはできない。

さて、驚いたのがバンドのサックスになんとジェフ・ワトキンスがいたこと。ライヴ中は、遠めから見ていたのでわからなかったが、ライヴ後にJBマニアでおなじみの関さんがいて、なんでまた? と尋ねたら、ジェフから連絡があった、という。しばらくして、ジェフが登場。彼も、なんとなく覚えていてくれた様子。ジェフは1993年以降のJBズのメンバーで、昨年ももちろん来日している。

彼にバンドマスターは誰かと尋ねたら、ラファエル・サディークだという。彼が集めたらしい。それを聞いて、「なるほど、だから、バンドいいのかあ」と思った。ラファエルは、やはり音楽的にすごくセンスがいいのだろうと感じた。このバンドは2月くらいから、当初、ジョスの新作のプロモーションのために集められた。4月くらいまでプロモーション、ショーケースなどでやって、その後5月から正式なツアーが始まり、夏にまた来日する、という。

ジョスのバンドは、まさにソウル・バンドだなあ、と感じた。

ジョスがショーが終わった後でてくるとその背の高さに驚いた。180センチは楽にあるだろう。しかも、ハイヒールもはいているので185くらいの印象がある。でも、ういういしくて、かわいらしい。ちょっとだけ会話した。僕の質問。「あなたのその声はどこから生まれたのですか。お母さんもそのような声をしているの?」 「いいえ、私の母はぜんぜん違うわ。この声がどこから来たか、まったくわからないわ(笑)」 ジョスは今回の来日、超ごきげんのようだ。次回の来日は、ラファエルも来てもらおう。

Setlist : Joss Stone At Liquid Room, Ebisu, April 9th, 2007
セットリスト : ジョス・ストーン
( ) denotes Albums

show started 19:15
01. Intro
02. Girl They Won't Believe It (3)
03. Headturner (3)
04. Jet Lag (2)
05. Arms Of My Baby (3)
06. Tell Me What We're Gonna Do Now (3)
07. Put Your Arms Baby (3)
08. Music (3)
09. Super Duper Love (1)
10. Big Ol' Game (3)
11. Tell Me 'Bout It (3)
12. Dirty Man (introducing members) (1)
Enc. Right To Be Wrong (2)
show ended 20:30

(2007年4月9日月曜、恵比寿リキッドルーム=ジョス・ストーン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Stone, Joss
2007-41

投稿者 吉岡正晴 : 03:27 AM | コメント (0)

April 09, 2007

Joss Stone: 3rd Album And Live

【ジョス・ストーン新作3作目と待望の来日公演】

期待。

ジョス・ストーンのことを初めて聞いたのは、ピータ・バラカンさんからだった。2003年9月のこと。その後、日本盤が翌年になって出て、日本でも大きな話題に。なにしろ、その年齢に似合わないソウルフルな歌声が衝撃的だった。そして、2枚目がでて、ショーケースでライヴが行われ、つい先月3作目の新作が出た。この「ソウル・サーチン・ダイアリー」でもずいぶんといろいろ書いた。(下記参照)

この3作目、プロデュースにトニ・トニ・トニのラファエル・サディークがあたっていて、なかなかの出来栄えになっている。なんと言っても、3作目にもかかわらず、アルバムタイトルに『イントロデューシング(ご紹介)』とつけているあたりが、本人の力の入りようがわかるというもの。近作は、レコード会社や周囲の意見などに左右されずに、自分自身でかなりのクリエイティヴ・コントロールをもって制作できた作品になったという。プロデューサーの選択なども彼女自身の意見が通った。

ところで、僕は彼女のファーストのほうがセカンドより売れたのかと思っていたが、調べてみたら、なんとファーストは全世界で300万枚のセールス、セカンドは550万枚売れている。ということでセカンドのほうがより多く売れていた。ちなみに、サードはまだ発売一か月弱で全世界で40万枚弱、これからどんどん売れていくのだろう。

さて、そのジョスが2004年11月のショーケース・ライヴに続いて、2度目の来日公演を4月9日に行う。チケットは即完売だったとか。大変な人気だ。前回、不完全燃焼だった彼女、果たしてどのようなステージを見せてくれるのだろうか。


■ジョス・ストーン過去記事

2003/09/22 (Mon)
Soul Synchronicity: R&B Connect With Jaco
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200309/diary20030922.html

2004/01/13 (Tue)
Joss Stone / The Soul Sessions: The Soul Is Here To Stay
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200401/diary20040113.html

2004/09/19 (Sun)
Joss Stone: New Album "Mind, Body & Soul" Just Came Out
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/album/diary20040919.html

2004/11/21 (Sun)
Joss Stone Showcase Live At Club Quatro
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200411/diary20041121.html

■アルバム

最新作(3枚目) 『イントロデューシング』
(2007年3月発売)

イントロデューシング・ジョス・ストーン
ジョス・ストーン コモン
東芝EMI (2007/03/12)
売り上げランキング: 1170
おすすめ度の平均: 4.0
3 次回作に期待。
4 今作が彼女のやりたかった音
3 まだ若いのに

2枚目『マインド・ボディー・アンド・ソウル』
(2004年9月発売)

マインド、ボディ&ソウル(期間限定スペシャル・プライス盤)(CCCD)
ジョス・ストーン
東芝EMI (2004/09/15)
売り上げランキング: 31761
おすすめ度の平均: 5.0
5 するめのように味がしみでてきます。
5 "白アレサ"の異名に恥じない傑作
5 “ノー・カラー、ノー・エイジ”

衝撃のファーストアルバム『ザ・ソウル・セッション』
(2003年11月発売)

ザ・ソウル・セッションズ (CCCD)
ジョス・ストーン
東芝EMI (2004/03/03)
売り上げランキング: 44767
おすすめ度の平均: 4.5
3 先が楽しみ。
5 すごい!
5 スゴイ娘です。

++++

ENT>MUSIC>ALBUM>Stone, Joss
ENT>MUSIC>ARTIST>Stone, Joss


投稿者 吉岡正晴 : 02:03 AM | コメント (0)

April 08, 2007

Earth Wind And Fire: A Tribute Album

【アース・トリビュート・アルバム】

トリビュート。

今日の『ソウル・ブレンズ』(インターFM=76.1午後3時~5時)内の「山野ミュージック・ジャム」(午後4時半から)では、アース・ウィンド・アンド・ファイアーのトリビュート・アルバムをご紹介する。

これは、アメリカで往年のR&Bレーベル、スタックス・レコードが再開するのにともない、その記念作品としてリリースされる一枚。正式なタイトルは、「Interpretations: Celebrating The Music Of Earth Wind & Fire」という長いもの。

ここには、新生スタックスと契約したアンジー・ストーン、ベイエリアで人気のレデシー、あるいは、シャカ・カーン、ミント・コンディション、カーク・フランクリン、レイラ・ハザウェイなど10組のアーティストがアースの楽曲を10曲歌っている。

中でもカーク・フランクリンの「セプテンバー」は、アースの「セプテンバー」の一部をサンプリングしていて、キャッチーなことこの上ない。

10曲はいずれもアースの大ヒット、有名曲ばかりで、アース・ファンにとってはかなり楽しめるような作品になった。

実は、このアルバムのライナーノーツを書いたのだが、モーリス・ホワイト自身もこのアルバムにコメントを寄せており、モーリス自身の言葉も紹介した。

セプテンバー~アース・ウィンド&ファイアー・トリビュート\
オムニバス チャカ・カーン アンジー・ストーン カーク・フランクリン レディシィ ザ・ランディ・ワトソン・エクスペリエンス・ビラル ララー・ハサウェイ
ユニバーサルクラシック (2007/03/28)
売り上げランキング: 6236
おすすめ度の平均: 5.0
5 Maurice Whiteの一大プロジェクト

ENT>MUSIC>ALBUM>A Tribute To Earth Wind & Fire

投稿者 吉岡正晴 : 02:30 AM | コメント (0)

April 07, 2007

Joy Denalane Showcase Live:

【ジョイ・デナラーニ・ショーケース・ライヴ】

人気。

ジャーマン・ソウルの新星というキャッチフレーズで売り出し中の女性シンガー、ジョイ・デナラーニのショーケース・ライヴが4月3日、渋谷デュオであった。

実物の本人は、写真よりもはるかにきれいで可愛く、驚いた。ドイツと南アフリカのハーフだとのこと。音的にはメアリー・J、ジル・スコット、ちょっとアリシア・キーズ風、最近のニュー・R&B系のサウンドと歌で聴きやすい。ドラムス、ギター、ベース、キーボードにコーラス2人という編成にジョイがリード。

なかなかパンチのある声をしている。本編最後の曲が終わったあたりで、観客から「アフター・パーティーはどこ?」みたいな声がかかった。すると、「ノーノー、私は人妻なので、パーティーはしないの(笑)」との返答。いやあ、結婚してるとは思わなかった。またまた驚いた。(その後ライナーを読んだら、ミュージシャンと結婚していることが書かれていた)

個人的に一番印象に残った曲は、セットリストには入っていなかったアンコール曲。これは「ソエト」という曲で、彼女のルーツが南アフリカにあることと関連している。ソエトは南アフリカにおいて人種隔離政策がとられていた頃、黒人居住地区となっていた場所。今でも多くの黒人が住む。人種隔離政策の、また、黒人解放運動の象徴的な街でもある。この曲がベースパターン、リズムが実にファンキーで印象に残った。ライヴ終了後、バックコーラスの女性シンガーと話をして、曲名を聴いた。

もともとはファースト・アルバム『ママーニ』に収録されていた「Im Ghetto von Soweto (Auntie's House) feat. Hugh Masekela (Album Version)」が原曲。日本でもリリースされて今話題の最新作『ボーン・アンド・レイズド』(日本で2枚目)にも、そのリミックス・ヴァージョンが収録されていた。CDでは南アフリカ出身のトランペター、ヒュー・マサケラも参加している。訳詞を読むと、ソエトでの悲惨な状況が描かれていた。

(Mr.歌姫さん、情報提供ありがとうございます)

■ジョイ・デナラーニ☆FM各局で大人気

ボーン&レイズド\
ボーン&レイズド
posted with amazlet on 07.04.06
ジョイ・デナラーニ ルーペ・フィアスコ レイクウォン
ソニーミュージックエンタテインメント (2007/02/07)
売り上げランキング: 6485
おすすめ度の平均: 5.0
5 一度聞いて見てください


Setlist : Joy Denalane @ Shibuya Duo, April 3rd, 2007
セットリスト ジョイ・デナラーニ 渋谷デュオ

show started 20.12
01. Intro
02. Change
03. Born & Raised
04. 7 Years Itch
05. Despite It All
06. Let Go
07. One In A Million
08. Heaven Or Hell
09. Start Over -- A Riff Of "Freddie's Dead"
Enc. Soweto
show ended 21.07

(2007年4月3日火曜、渋谷デュオ=ジョイ・デナラーニ )
ENT>MUSIC>LIVE>Denalane, Joy
2007-39

投稿者 吉岡正晴 : 01:11 AM | コメント (0)

April 06, 2007

Chi-Lites Live At Cotton Club

【シャイ・ライツ・ライヴ、コットンクラブ】

伝統。

シカゴの灯ことシャイ・ライツ。シカゴ・ソウルの代表的ヴォーカル・グループの86年9月、渋谷ライヴイン以来、約20年以上ぶりの来日。(その前に新宿ルイードに来日しているようだ)

20年の間にメンバーは激しく変遷、さらにシャイ・ライツの中心人物、ソングライターでありリード・シンガーだったユージーン・レコードは、2005年7月に亡くなっている。それ以前からガンを患っていたために、グループ活動は行っていなかった。ユージーンの現在の後釜的存在が、今回初来日となるフランク・リードという新人だ。今回の来日で唯一オリジナルは、ステージ向かって左に位置していたロバート・レスター。「大きな拍手を、みなさん、47年間やっています。オリジナル・シャイ・ライツ、ロバート・レスター!!」と別のメンバー、アンソニーが紹介する。

黒いスーツに粋な帽子を被り、まさにシカゴのギャングスター、しかもちょっとチンピラ風。アルカポネの時代にいそうな雰囲気だ。本当だったら、もっと曲によって振り付けが決まっているのだろうが、この灯は、いや、この日はあまり踊ってくれなかった。

フランクにユージーンの代わりを求めるのは相当酷な話だ。全体的には、シャイ・ライツのヒット曲ばかりをやるカヴァーのヴォーカル・グループがやっています、でもオリジナル・メンバーもひとりいます、的なのりで見ているとちょうどいい感じ。

「オー・ガール」のイントロでは、キーボードではなくて、ちゃんとハーモニカ吹いて欲しいなあ。下手でもいいから。(笑) 女性シンガー、タラ・トンプソンは、1曲アリシア・キーズを歌ったが、基本的にはバックヴォーカルの位置付けか。

とは言っても、シャイ・ライツは、ユージーンのソングライターとしての優れた部分もあって、いい楽曲が揃っていることは間違いない。下記セットリストを見ても、ほとんどヒット曲ばかり。また、間髪をいれずメドレー形式で、次々と曲を歌っていく流れは、往年のR&Bヴォーカル・グループの伝統でいい。

<COLEZO!>ベスト・オブ・シャイ・ライツ\
ザ・シャイ・ライツ
ビクターエンタテインメント (2005/06/22)
売り上げランキング: 86421


■過去関連記事 

July 24, 2005
Eugene Record Of Chi-Lites Dies At 64
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_07_24.html

July 25, 2005
Tribute To Eugene Record Of Chi-Lites
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_07_25.html


■メンバー

ザ・シャイ・ライツ
Anthony Hicks(vo), Tara Thompson(vo), Robert Lester(vo), Frank Reed(vo),

Marvin Weatherspoon(key), Walter Scott(g), Gregory Lee(b), Frank Morrow(ds)

■セットリスト

Setlist : Chi-Lites @ Cotton Club, April 4th, 2007
(transcribed by yoshioka.masaharu)
セットリスト シャイ・ライツ コットンクラブ 

show started 21:32
01. Are You My Woman
02. (For God's Sake) Give More Power To The People
03. A Lonely Man
04. Let Me Be The One My Daddy Was
05. I Want To Pay You Back (For Loving Me)
06. Give It Away
07. Toby
08. Stone Out Of My Mind
09. You Don't Know My Name (Tara Thompson sings) (Alicia Keys)
10. Homely Girl
11. That's How Long
12. A Letter To Myself
13. Oh Girl
14. Have You Seen Her
15. Hot On A Thing (Called Love)
show ended 22:41

(2007年4月4日、水曜、丸の内コットンクラブ=シャイ・ライツ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Chi-Lites
2007-40

投稿者 吉岡正晴 : 02:53 AM | コメント (0)

April 05, 2007

Philip Woo: Tribute To Billy Preston (Part 2)

【フィリップ・ウー、ビリー・プレストン・トリビュートを企画】

トリビュート。

P1430835.jpgフィリップ・ウーは、これまでに自分のライヴでも何曲かビリーの曲を演奏している。しかし、今回は全曲ビリー・プレストンおよび、その関連作品ばかりだ。

フィリップはこう振り返る。

「僕のビリー・プレストンの思い出というと、彼は人生を最高に最大級に生きた人物だということかなあ。彼は僕に、キーボード奏者がおもしろくて、マジカル(魔法のような)なものだということを教えてくれた。彼のオンステージでのイメージは、とてもエキサイティングで、彼の衣装もいつもかっこよかった」

フィリップ自身、ブルースアレーに置かれているオルガンのハモンドB3gが大のお気に入り。自分でもこれが欲しいと言ってはばからない。

「彼は、あらゆるキーボードのプレイにおいて、自身のスタイルと、優雅さをかもし出していた。彼のファンキーなクラヴィネットの演奏、ワウワウの入ったそうした演奏方法は、スティーヴィーもやっているが、ものすごく重要だった。ビリーのオルガンも、すばらしいソウルと味わいがあった。彼のピアノ・プレイこそ、自分が真似てみたいと思ったものだ。彼のシンセサイザーは、「ARPスクール」仕込みだ。(訳注、ARP社のシンセを使っていた、ということ。シンセは当時は、ARP社製か、ムーグ社製のものが多く、どちらかが使われていた。ここでは、ムーグ・スクールに対して、という意味で使われた) そのプレイはクインシーのアルバム『ボディー・ヒート』でも実にかっこよく聴かれる」

僕の個人的な思い出は、1973年ごろにさかのぼる。当時六本木のソウル・ディスコ「エンバシー」でDJを始めたころ、そこにひとりのアフロヘアの従業員兼DJがいた。たしか、コー坊といっていたと思う。(その後、中野坂上のジーンズショップで働くようになったはずだ) その彼がDJをやると、決まってビリーの「ナッシング・フロム・ナッシン」をかけるのだ。それが実にいつもいいところでプレイするので、しかも何度もかけるから、耳たこ状態になった。それだけでなく、僕がレコードを回している時にも、「ビリーの『ナッシン・フロム・ナッシン』かけてよ」とリクエストしてくるのだ。後年彼と会った時も、彼の顔・イコール・ビリーの『ナッシン・フロム・ナッシン』になっていた。彼のテーマ曲のようなものだ。(笑) 

ビリーの生の姿はずっと後になってから、確か、エリック・クラプトンのライヴで来日した時に見たような気がする。武道館あたりで、メンバー紹介されて、それまではビリーが来ているというのは知らなかった。ただ、やたらファンキーなオルガンを弾く人だなと思っていたのだが、ビリーと紹介され、えらく納得した。

今、ビリー・プレストンの『アルティメート・コレクション』という20曲入りのベスト盤を聴いている。この15曲目に「ユー・アー・ソー・ビューティフル」が入っている。

昨年(2006年)11月、サム・ムーアが来て青山ブルーノートでライヴをやった時、親友ビリーへのトリビュートもこめて、この曲をアンコール最後にもってきていた。サムは最後、時に涙しながら歌っていて感動的だった。

フィリップ・ウーの4月19日(木曜)に目黒ブルースアレーで行われるビリー・プレストン・トリビュートヴォーカルには、ロビー・ダンジー、ケイリブ・ジェームスもいるので、ヴォーカル陣も充実し、かなりいいライヴになることは間違いない。楽しみだ。

(ライヴ詳細は、昨日付け日記を参照) 

ベスト・オブ・ビリー・プレストン
ビリー・プレストン
ユニバーサルインターナショナル (2003/09/26)
売り上げランキング: 71993


メンバー

Kaleb James(vo,key),Robbie Danzie,Jay Stixx,Hank Nishiyama,Cliff Archer, and Shiro Sasaki(tpt),Satoshi Sano(t-bone) and Shoji Haruna(sax & perc.)

■フィリップ・ウー・ウェッブ (スケジュールなど)
http://www.k5.dion.ne.jp/~p.woo/
フィリッブ・ウー・ブログ
http://blog.goo.ne.jp/philipwoo

■過去関連記事

February 16, 2007
Philip Woo & Friends @ Cha Cha House
(ここにフィリップに付いて書かれた膨大な記事の一覧があります)
http://blog.soulsearchin.com/archives/001592.html

フィリップ・ウー・ストーリー(2回)

フィリップ・ウーのこれまでのキャリアについての簡単な紹介

October 08, 2006
Philip Woo Will Be At Cotton Club With Roy Ayers: Reunion First In 28 Years : Philip Reveals His First Encounter With Roy (Part 1)
フィリップがロイとの出会いを語る
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_10_08.html

October 09, 2006
Philip Reveals His First Encounter With Roy (Part 2)
フィリップ・ウー・ヒストリー
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_10_09.html

ENT>LIVE>ANNOUNCEMENT>Philip Woo, Billy Preston Tribute
ENT>ARTIST>Woo, Philip

投稿者 吉岡正晴 : 01:14 AM | コメント (0)

April 04, 2007

Philip Woo: Tribute To Billy Preston (Part 1)

【フィリップ・ウー、ビリー・プレストン・トリビュートを企画】

アイドル。

P1410231.jpgキーボード・ウィザード、フィリップ・ウーが自らのあこがれのキーボード奏者ビリー・プレストン(William Everett Preston =September 2, 1946 ー June 6, 2006) へのトリビュート・ライヴを2007年4月19日木曜日、目黒ブルースアレーで行う。

ビリー・プレストンは、1946年テキサス生まれ。10歳の頃からキーボードの天才振りを発揮し、ジェームス・クリーヴランド、マヘリア・ジャクソンなどのゴスペル・アーティストのライヴでピアノやオルガンを弾き、周囲を驚かせていた。1962年、リトル・リチャードのバックバンドの一員としてイギリスでライヴを行ったときに、当時はまだ無名だったビートルズと知り合い、その後ビートルズのレコーディング・セッションなどに参加。特に1969年の『ゲット・バック・セッション』への参加、さらに、ビートルズが公衆の面前で行った最後のライヴとなるいわゆる「ルーフトップ・ライヴ(屋上ライヴ)」でのキーボードプレイで注目された。ビートルズのシングルで唯一「ビートルズ・ウィズ・ビリー・プレストン」と名前がクレジットされている人物。

その後、自身名義で作品をだし、「ナッシング・フロム・ナッシング」「ウィル・イット・ゴー・ラウンド・イン・サークルス」など多数のヒットを放った。後年はエリック・クラプトンのバックなどもてがけている。2006年6月6日、長く患っていた肝臓の病気で他界した。59歳だった。

(ビリー死亡記事↓)
June 08, 2006
Billy Preston Dies At 59: Piano Man On Rooftop
【ビリー・プレストン死去~屋根の上のピアノ弾き】
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200606/2006_06_08.html

フィリップがビリー・プレストンへの思いを熱く語る。

「彼と一緒にプレイしたことはないが、彼のピアノ、オルガンのプレイには相当影響を受けている。それに、彼が曲の中で臆面もなく『神』について語るところも好きなんだ。それはけっこう勇気がいることなんだよ」

「僕が中学校時代にビリーのオルガンを、アレサ・フランクリンのアルバム『ライヴ・アット・ザ・フィルモア』(1971年)で聴いた。ちょうどその頃、友達と車に乗りだすようになって、車の中で、8トラックのテープでこのアルバムをかけていた。何度も、何度もね。そして、(ビリーがプレイしているオルガンの)ハモンドB3を、いつの日か自分も弾きたいと思った。僕にとって最初のハモンドは16歳の時に買った。それまで一度もゴスペルはプレイしたことはなかったが、アレサのそのアルバムとビリーのオルガン・プレイでまさにゴスペルに目覚めさせられたようなものだ。ビリーの音は、まさに教会から飛び出てきたサウンドだった」

「『アイ・ロート・ア・シンプル・ソング』(1971年)のアルバムが、僕が初めて買ったビリーのアルバムだ。これは高校時代、僕にひじょうに大きな影響を与えた。ビリーのビートルズへの影響が大きく感じられた。僕はビートルズの大ファンでもあり、彼らの作品は今でも全部CDでそろえている」

「僕のビリー作品でのお気に入りは、『ユー・アー・ソー・ビューティフル』、『ザッツ・ザ・ウェイ・ゴッド・プランド・イット』、『ウィズ・ユー・アイム・ボーン・アゲイン』、『ゴッド・イズ・グレイト』、『スペース・レース』、『ジョン・ヘンリー』、『ザ・バス』。『ウイル・イット・ゴ・ラウンド・イン・サークルス』などだ。もちろん、ライヴでは、ビートルズの作品もやろうと思っている。『アメージング・グレイス』もね」

+++++

フィリップが中心となって行われる『ビリー・プレストン・トリビュート』は、4月19日(木)に目黒ブルースアレー。

Philip Woo presents “A Tribute to Billy Preston”

(Pf/HAMMOND B-3/Key)Philip Woo (Key/Vo)Kaleb James
(G)“Hank”Nishiyama (B)Cliff Archer (Ds)Jay Stixx (Sax)春名正治 (Tp)佐々木史郎 (Tb)佐野聡
★Guest (Vo)Robbie Danzie
前売券 テーブル席(指定)\4,000 当日券は\500UP (各税込)

http://www.bluesalley.co.jp/index.html
◆ 予約専用 TEL : 03-5740-6041
【電話予約受付時間】 月~土/12:00~20:00
上記時間外はインターネット予約 (24時間受付)
公演当日のお問合せ : 03-5496-4381 (店頭)

会場  目黒・ブルースアレー http://www.bluesalley.co.jp/ 住所  〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
行き方  JR山手線・目黒駅西口を降りて、恵比寿方向へ進み目黒通り(一方通行)を左折、100メートル弱・坂を降りた右側。地下一階。駅から徒歩3分。 1階がホテル・ウィング・インターナショナル。

(この項明日へ続く)

ENT>LIVE>ANNOUNCEMENT>Philip Woo, Billy Preston Tribute
ENT>ARTIST>Woo, Philip

++++++++++++++++

投稿者 吉岡正晴 : 03:02 AM | コメント (0)

April 03, 2007

Blues Brothers Rock The House: Happy Birthday Kiyoshiro

【ブルース・ブラザース・バンド、ライヴ~ハッピーバースデイ・トゥ・キヨシロー】 

誕生日。

その昔のスタックスのR&Bが大好きな白人二人組、ブルース・ブラザースが結成されたのは、1978年のこと。以来、29年、彼らはソウルをプレイしつづけている。2003年1月以来約4年3ヶ月ぶりの来日。そうか、前回評を読み返して、エディー・フロイドが来ていたことを思い出す。

相変わらず、タイトないいバンド、いいサウンド。昔ながらの顔がステージにずらりと並ぶ。スティーヴ・クロッパーのギター、ちょっとやせた御茶ノ水博士みたいなキーボードのアンソニー・クラウド、山本監督風のスティーヴ・ハワード、サングラス姿がちょっとミスターマリック的風貌のサックス・ルー・マリーニ、ダニー・デヴィート似のギター、ジョン・トロペイ。

P1430908.jpgところで、『ソウル・サーチン:ザ・セッション~アレサ・フランクリン』の「シンク」のパフォーマンスのときに、ダンスを踊ってくれた日本のブルース・ブラザース・バンドもやってきて、「シェイク・ア・テイル・フェザー」が始まると、客席で踊りだした。赤のスーツに帽子サングラスのナニワ・エルウッドと、黒のスーツに帽子サングラスのジェイク・タモン(二人そろうと、ちょー目立つ)。完璧だ。なんと、ステージ上の本物より、ちゃんと踊るではないか。(笑) 彼らはちなみに、火曜、土曜、日曜は二人揃っていくそうだ。他の曜日はどちらか一人になる、という。(いずれもセカンド)

みんなサム&デイヴや、スタックス・サウンドが大好きで、それをコピーして楽しんでいる、というのが伝わってくる。日本のブルース・ブラザースは結局、アンコールでステージにあげられた。次は、やはり「シェイク~」のところで舞台に上がってもらいたい。

「ソウル・マン」を終え、万雷の拍手の中、彼らがもどってくると、サックスのマリーナがメンバー紹介を始めた。「27年、ずっと、いや、29年か、一緒にやってきている。でも実は、今だに僕は学生なんだけどね。専攻は、ウーマン(女性)。女性について勉強してるんだ。また東京に来れて、うれしい、なにしろ一週間、同じホテルに滞在できるんだからな」 そして、マイクがブルース・ブラザースに渡され、MCが続いた。「ずっと昔からブルース・ブラザースのファンである人物が今日、誕生日なんだ。ハッピーバースデイと言いたい。キヨシロー!!」

お~~っと、また、来たか。 忌野清志郎! サム・ムーア以来だ。しっかり来てる、すばらしい。ステージに上がると、ノーメークながら、髪がふさふさになっている。前回、このブルーノートで見たときには、スキンヘッドだった。スタッフから大きな誕生日ケーキがプレゼントされ、ろうそくを吹き消す。拍手。そしてMCが言った。「彼は医者には歌ってはいけないと言われているそうだが、ここの扉をひとたび開けてしまえば関係ない。一曲歌ってくれるよ。『イン・ザ・ミッドナイト・アワー』だ!」 お~~~っ。そして、バンドが演奏を始めた。客席も、みな立ち上がった。僕も。

イントロから歌に入ると、しっかり声がでているではないか。前回の「アイ・サンキュー」の時より、もっとでているような気がした。体調いいのかな。彼もまた、サム&デイヴやスタックスのレコードが大好きで、ブルース・ブラザースやスティーヴ・クロッパーなどのミュージシャンと親しくなった。清志郎節の「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」は熱かった。途中、ワンフレーズくらいを日本語にして。いやあ、いいなあ。歌自体は、本家のブラザース二人より、ソウルなんじゃないか? (笑) 彼はソウルの曲ばっかり歌うライヴとかしないのかなあ。彼の体調が万全に戻ったら、一度見てみたい。

「いやあ、本当に、こんなすばらしい誕生日をありがとう、イエー」 清志郎は歌い終えて一言叫んだ。彼は1951年4月2日生まれだったんですね。56歳、おめでとうございます。

実は、この日はシャイ・ライツか、ブルース・ブラザースか迷っていたのだが、盟友ハセヤンがブルース・ブラザースに行こうぜ、と強引に誘ってくれたので、こっちに来た。大感謝。大正解。もちろん、シャイ・ライツも明日以降に行きますけどね。(笑) 

ライヴが終わって、何人かミュージシャンがでてきた。スティーヴ・クロッパーがファンに囲まれ、サインをしていた。なんとカタカナで自分の名前を書いていた。名刺を渡しながら、「いつもソウルをサーチンしてるんです。今日は、ソウルを見つけましたよ」と言ったら、「まあ、そこそこかな」と手を広げた。その冷めたところが妙によかった。(笑) 

(フィリップ・ウー・インタヴュー、ビリー・プレストン・トリビュートについては明日以降にご紹介します)

■過去関連記事

2003/01/22 (Wed)
Blues Brothers @ Bluenote
ブルース・ブラザースの前回の来日時のライヴ評
http://www.soulsearchin.com//entertainment/movie/review/diary20030122.html

November 18, 2006
Sam Moore With Surprising Finale: Sam, You Are So Beautiful
サム・ムーア来日時のライヴ評 清志郎さん飛び入り。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200611/2006_11_18.html

November 15, 2006
We Want More Moore, Not Some Moore
サム・ムーア・ライヴ評
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_11_15.html

■メンバー: Members

Tommy "Pipes" McDonnell (Vocal, Harp)
Rob "The Honeydripper" Paparozzi (Vocal, Harp)
Larry "Dog Bone" Farrell (Trombone)
Lou "Blue Lou" Marini (Sax)
Steve "Catfish" Howerd (Trumpet)
Anthony "Rusty" Cloud (Keyboards)
"Smokin" John Tropea (Guitar)
Steve "The Colonel" Cropper (Guitar)
Eric "The Red" Udel (Bass)
Lee "Funkytime" Finkelstein (Drums)

■Setlist : Blues Brothers Band @ Blue Note, April 2, 2007
セットリスト ブルース・ブラザース・バンド ブルーノート東京、2007年4月2日セカンドセット

show started 21:33
01. Green Onions
02. Peter Gunn -- A Riff Of "Soul Finger"
03. Gimme Some Lovin'
04. She Caught The Katy
05. Looking For A Fox
06. Messin' With The Kid
07. Shake A Tail Feather
08. A Riff Of "Sukiyaki" -- Flip, Flop, Fly
09. Shot Gun Blues
10. Minnie The Moocher
11. Sweet Home Chicago
12. Soul Man -- I Can't Turn Your Loose
Enc1. In The Midnight Hour (Imawano Kiyoshiro)
Enc2. Everybody Needs Somebody To Love
show ended 22:58

(2007年4月2日月曜、東京ブルーノート、ブルース・ブラザース・バンド・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Blues Brothers Band
2007-38

投稿者 吉岡正晴 : 03:30 AM | コメント (0)

April 02, 2007

Soul Searchin(Part 7): Activity Of Members Of The Soul Searchers

【ソウル・サーチャーズ・メンバー動向】

動向。

『ソウル・サーチン』に参加していただいたミュージシャン、パネリストなどはそれぞれの場所で活躍ちゅう。近々の動向をまとめました。『ソウル・サーチン』でのパフォーマンスがお気に入りになられたら、ぜひ、各アーティストたちの個々のライヴへ足をお運びください。

■音楽ディレクター、ケイリブ・ジェームス

http://www.kalebjames.com/(4月19日ブルースアレーでフィリップ・ウーの『トリビュート・トゥ・ビリー・プレストン』に参加。詳細は明日のブログで)

◎ケイリブ・ジェームスとフェイトが参加するラジオ番組、4月1日からスタート 『ブレイク・イット・ダウン』(FM横浜、毎週日曜夜10時半~11時)

■東京レディーソウルナンバーワン、ブレンダ・ヴォーン
http://www.brendavaughn.com
◎ブレンダがアレサ・トリビュートについて語っている部分が収録されている「メトロポリス」マガジンのアイポッドヴァージョン。プログラムの中盤あたりです。インタヴューはカマサミ・コング。

http://metropolis.co.jp/podcast/files/679.mp3

■フィリップ・ウー・ウェッブ (スケジュールなど)
http://www.k5.dion.ne.jp/~p.woo/フィリッブ・ウー・ブログ
http://blog.goo.ne.jp/philipwoo (4月19日にブルースアレーで『トリビュート・トゥ・ビリー・プレストン』があります。その詳細を明日のブログで、フィリップのインタヴューも含めご紹介します)

◎フィリップ・ライヴ予定
♪4/4 Hank's Night @Mobius
♪4/15 Philip Woo Band featuring "Donyale Renee" @Midas
♪4/19 Philip Woo Presents "A Tribute To Billy Preston" @Blues Alley Japan
♪4/24 Jay Stixx R&B Special Live @IKISPARI
その後5月には久保田利伸のツアーに参加

■シンガー、神野ユリのダイアリー
http://plaza.rakuten.co.jp/divafresh/diary/

■シンガー、マルのオフィシャル・ウェッブ
http://www.marudiva.com/シンガー、マルのブログ
http://marudiva.sblo.jp/

◎マル・ライヴ
2007年4月7日(土曜)
御茶ノ水NARU ジャズ系ライヴ
お茶の水ナル 03-3291-2321
http://www.jazz-naru.com/index.htmlステージPM7:30~(日曜,祭日PM7:15~)
b塩田哲嗣 pデイビット・バークマン ds Mogu-san vo MARU

◎2007年5月14日(月曜)
渋谷プラグ
http://www.shibuya-plug.tv/top.html
maru バンド

■木下航志オフィシャル・ウェッブ
http://www.kishitakohshi.com/index2.html

■ガッツ・オフィシャル・ウェッブ(一時休止中)
http://gats.tv/
◎GATSライヴ

2007年05月09日(Wed)
BLUES ALLEY JAPAN Players Nite~GATS soul vibrations~
(Vo/G)GATS (Harmonica/Key)西脇辰弥 (B)日野“JINO”賢二 (Ds)高田真 (Per)木村“キムチ”誠 (Tp)小林正弘、佐久間勲 (Sax)竹上良成(Vo)有坂美香 (Cho/G)渕上祥人★Special Guest (G/Vo)森広隆

前売・当日共通 テーブル席(指定)\5,500 立見(自由)\4,500 (各税込)

■高山広オフィシャル・ウェッブ
http://www.schop.jp/

■ゲイリー・スコット・オフィシャル・ウェッブ
http://www.gshstudios.com/home

■尾臺順子NHKソウルミュージックのウェッブ
http://www.nhk.or.jp/soul/index_odai.htmlNHK-FM『ソウル・ミュージック』は、毎週木曜夜11時から12時10分まで放送中。

■吉岡正晴ソウル・サーチン・オフィシャル・ウェッブ
http://www.soulsearchin.com/『ソウル・ブレンズ』内『山野ミュージック・ジャム』(インターFM76.1毎週日曜午後3時~5時)

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◎Tokyo Mowtown Show (Ikumi Street)

2007年4/14(Sun)
"六本木AMANIS"
東京都港区六本木5-5-1 ロイビルB1
電話 03-5474-5547
http://amanisjapan.com/

◎岡伸昭

グループ展 「クロスオーバー・ナウ~今を越えて~日韓交流美術展」
2007年4月13日(金)~17日(火)午前11時~18時まで
山脇ギャラリー 
〒102-0074 東京都千代田区九段南4-8-21
電話 03-3264-4027

Soul Searchin' Presents~Nobuaki Oka Exhibition
After The Dance Featuring “The Master” Nick Okai
2007年7月7日(土)~8月10日(金)AM9:00~PM7:00/年中無休 
由布院駅アートホール
http://www.yufuin.gr.jp/


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ENT>MUSIC>LIVE>Soul Searchin

投稿者 吉岡正晴 : 01:12 AM | コメント (0)

April 01, 2007

Soul Searchin: Aretha(Part 6): Musicians Talk About Aretha

【ソウル・サーチャーズ、アレサを語る】

思い出。

ファーストセットの途中で、ミュージシャン3人にもアレサについて一言、語ってもらった。

60年代風アフロ・ヘアーをしたブレンダ・ヴォーンのコメント。「私が子供だった夏休み、おばあちゃんのところによく行っていた。12-3人の親戚のおばやおじがいて、みんなシンガーなの。で、その彼らはアレサの歌を聴いて、みんな泣いてるのね。聴きながら、涙を拭いたりして。この時は、なぜ彼らが泣くのか(子供だったせいもあって)わからなかった。でも、私が大人になってからアレサのレコードを聴くようになって、それが理解できるようになった。アレサは、本当にすばらしい「ストーリーテラー(語り部)」なのよね。物語に感情を込め、ストーリーを語りかける。それは、本当にすばらしい部分だわ」 

フィリップ・ウーのコメント。「僕がアレサを初めて聴いたのは7歳の時だった。『リスペクト』が最初の曲だった。アレサの音楽や歌は僕の人生のBGMになっていた。特にアレサのピアノ・プレイにはやられた。なぜなら彼女は自身のピアノプレイで、バンド全体をのらせてひっぱっていったから。それから、自分がプロになってから、アレサと会ったり、何度も同じステージに立ったりする機会があった。そして、アレサのレコードでプレイしているキーボード奏者は、僕の大好きな人たちなんだ。まず、ダニー・ハザウェイ、そして、リチャード・ティーだ」

そして、ケイリブ・ジェームス。「ソウル・サーチンをやってきて、みんなから女性シンガーはやらないのかってメールをもらうようになっていた。で、女性をやるとなったら、まず、一番最初にやらなければならないのは、この人をおいて他にいない。クイーン・オブ・ソウル、アレサ・フランクリンだ。(拍手) もちろん、他にもたくさんすばらしいシンガーはいる。だけど、まず、アレサだ。

アレサの曲で最初に僕がひじょうによく覚えているのが、『ヤング・ギフテッド・アンド・ブラック』という曲。実は、これを書いたのが僕と同じ街に住んでいるウエルドン・アービンという男だった。子供のころというのは、どんな曲をどう聴いたとかそれほど覚えていないけれど、この曲は強烈によく覚えている。実は僕の出身はニューヨークのクイーンズ地区なんだけど、ここからは本当に多くの才能あふれるミュージシャンがでてきている。すばらしいジャズのキーボード奏者、ウエルドン・アーヴィンという人物がこの『ヤング・ギフテッド・アンド・ブラック』の歌詞を書いている。彼は3年ほど前に亡くなってしまったけれどね。このパワフルなタイトルの曲を、地元の人間が書いたということで、ものすごく(僕にとっても)インパクトがあったんだ。若くて、才能あふれて、そして、黒人だ、と言ってるんだよね。その頃は今とはまったく時代が違う。自分は若くて、才能があり、しかも、黒人であることを声高に言うなんてことは、なかなかできなかった。ジェームス・ブラウンが『セイ・イット・ラウド・アイム・ブラック・アンド・プラウド』(黒人であることを声高に言え、誇りに思うと言え)と同じように、ものすごいことだったんだ。そのタイトルを聴いただけで、僕は鳥肌が立ったよ。それをクイーン・オブ・ソウル、アレサ・フランクリンが歌ったわけだからね。なおさらだ。当時、あのようなタイトルの曲を歌うには、ものすごく大変な勇気がいったと思うよ。ま、それが最初で、その後、アレサの曲で踊ったりガールフレンドとセックスしたり、まあ、いろいろあったよ。(笑) そう、だから、アレサの作品は大好きなんだ(笑)」 

尾臺さんは、NHKの『ソウル・ミュージック』にゲストでやってくるアーティストに影響を受けたアーティストを聴くと、実に多くの人がアレサを選ぶと紹介。それだけ、多くのブラック・アーティストに影響を与えている。

実は、ブレンダはおととしの『エッセンス・ミュージック・フェスティヴァル』でアレサを見ているので、その話も聴こうかと思ったが、時間切れになってしまいました。3人もそれぞれアレサへの思いがあったので、最初からもっと時間をとっておけばよかったな、とかなり反省です。

このトークの後に、アレサの1971年の『モントルー』での映像から、「コール・ミー」と「ブラン・ニュー・ミー」を紹介したが、本当は「コール・ミー」は誰かに歌ってもらおうかと思っていた。実は、ケイリブとフィル・ペリーの秀逸なカヴァー・ヴァージョンがあり、それをもとにどう、と振っていたのだが、それがあまりにすばらしい出来であること、むずかしい曲であること、他にもたくさんの曲があったので、結局没になった。また、ケイリブが語った「ヤング・ギフテッド・アンド・ブラック」は、当初ケイリブ・ピアノ、ブレンダの歌でやる予定だったが、時間の関係でセットリストから落ちた。

ライヴが終わってみんなで軽く打ち上げをしたのだが、その中で「満席になったのなら、次は2日どうですか。もう一日あれば、もっといいパフォーマンスができる」と口々に言う。おお、なるほど、と思った。

(明日、メンバーのウェッブ一覧をご紹介します。また、明後日のこのブログでフィリップ・ウーの4月19日に行われるビリー・プレストン・トリビュートについて、彼のインタヴューも含めお送りします)

ENT>MUSIC>LIVE>Soul Searchin: The Session

投稿者 吉岡正晴 : 04:12 AM | コメント (0)