November 30, 2007Philly Soul Night: Back On Demand【フィリー・ソウル・クリスマス・ナイト12月7日に再度開催】 再度。 2007年10月に東京メトロのイヴェントの一環「メトロ・ミュージック・オアシス」でフィラデルフィア美術館展記念ライヴとして行われた「フィリー・ソウル・ナイト」が大好評だったのを受け、その第2弾が12月7日(金)におなじくメトロ銀座駅コンコースで行われる。今回は12月ということもあり、フィリー・ソウルのほか、ソウルフルなクリスマス・ソングも歌われる。今回も出演はケイリブ・ジェームス&フィリー・ソウル・サーチャーズ。ただし、ヴォーカル・メンバーが若干変わる。新たに参加したのは、東京レディー・ソウル・ナンバー・ワン、ブレンダ・ヴォーン、ギャツビーで「愛のすべて」を実際に歌っているゲイリー・アドキンス、また、ギターも弾きながら歌うソウルフルなアル・マーティン。アルは前回参加のグリニスの兄弟。サックスとパーカッションのゲイリー・スコットは変わらない。 これは、東京都美術館で開催中の「フィラデルフィア美術館展」を記念して行われる。 すでにメトロ各路線の地下鉄の中吊り、また駅構内ポスターなどで告知されている。 12月7日(金)のイヴェントは入場無料。午後5時と6時半からそれぞれ45分程度のステージで入れ替え制。ただし、前回のセカンドは60分近くになり、黒山の人だかりとなってしまった。お早めにどうぞ。 記 Metro Music Oasis Vol.16(メトロ・ミュージック・オアシス16) 1. 実施日及び時間 平成19年(2007年)12月7日(金) < 参 考 > 開催場所 : 東京都美術館(東京・上野) ENT>ANNOUNCEMENT>Philly Soul Night November 29, 2007It’s The Temptations Week (Part 4) : Ali Ollie At Ali Ollie & Miracle【アリ・オリ・アリ・オリに登場】 やきそば。 月曜夜、ビルボード・ライヴに新人クリセット・ミッシェルを見に行った。すると、偶然、隣にまいどおなじみ松尾KC氏登場。「おやおやおや」「まあまあまあ」「いやいやいや」(どんなあいさつだ) クリセットのライヴ評(グラディス・ナイトみたいな野太い声が魅力的)はまた後日書くとして、そのライヴ中の10時08分、携帯にメールが入った。「今日も、恵比寿アリ・オリにアリ・オリがきています」 毎度おなじみ守島さんからだった。すぐに横にいる松尾さんにその画面を見せて、終わったら行きましょうか、となった。「ライヴ終わり次第すぐにかけつけます」と返信。 ビルボードのライヴが終わり、車を駐車場から出したあたりで守島さんに電話。「これから行きます」 すると、「もう帰るみたいです・・・」おおおっ、残念。アリ・オリを連れている別の方に代わると「これからミラクル行きます」とのこと。おおお、ミラクルならそっちのほうが近いや。ということで、松尾さんとミッドタウンから急遽針路変更、赤坂ミラクルに直行だ。 ミラクルの扉を開くと・・・。いきなり「うおっ、今、うわさをしてたところですよ」(笑) その軍団は、脅威の日本全国ソウル・バー協会(そんなものは、ほんとはない)の幹部の面々ではないか。(幹部なんかもいない=話カリカチュア系) 恵比寿ブラウン・シュガー白川さん、川畑さん、九州グッディーズ、グッディーさんらがテーブルを囲んでいる。何のうわさかというと、どうもこの「ソウル・サーチンのブログ」のことらしい。ブラウンに来るお客さんがみんなこれを読んでいろいろ白川さんに言うそうだ。(笑) ま、それはさておき、しばらくしてアリ様登場。ミラクルに入ってくるなり、お客さん全員で拍手。月曜はオフで、秋葉原で思い切り買い物、その後恵比寿アリ・オリに。その後、ミラクルへ。ソウル・バーはしごだ。アリ・オリは先週末にも行っており、よほど気に入った様子。「俺はクラブ・オウナーになったんだ。ソウル・バー、アリ・オリ! ほら」と言って、何を出すかと思ったら、名刺入れの箱からアリ・オリのショップカード。数枚ではなく、一箱もらったらしい。受ける。みんなに名刺を配る。松尾さんが「サインしてください」とお願いすると、印刷された「Ali-Ollie」の下にWoodsonとだけ書いた。これまた受ける。アリ・オリでは、バー・カウンター正面の壁に、堂々とサインをしていったそうだ。「レディー・ソウル」は、お店で歌ったのかな。 アリ様、川畑さんに向かってさかんに低音で「カワバタ~、カワバタ~」と声をかけハグ。九州グッディーにも「グッディー、グッディー!」といってハグ。店のスタッフが「飲み物は?」と尋ねると、「ウォーター、それより、やきそば、やきそば!」の返事。この「やきそば、やきそば」が、またまた低音でしかも愛嬌があって最高の声。サンプリングして何かに使いたいほどだ。(笑) アリ様は何をどうしゃべっても、低い声でかっこいい。それと、どうも、なんでも繰り返すのが好きらしい。川畑さん、それを受けて「よし、わかった、じゃあ、やきそばね、カワバタ・スペシャル作ってやるからな」と言って、どこかへ消えた。川畑さんは、過去アリ・オリのソロ・ライヴを日本に持ってきているので、アリ様とは超親しいのだ。 10分くらいしただろうか。川畑さん、コンビニ系のビニール袋を手に戻ってくる。むむっ、材料、向かいのスーパーに買いにいったな。そしてまた10分もしないうちに、メニューには載っていない「やきそば・カワバタ・スペシャル」できあがり~。アリ様、お箸を上手に使いながら、「カワバタ・スペシャル」に舌鼓を打つ。アリ様は、どうもこのソース系のやきそばが好きで、高級中華の気取ったやきそばはだめらしい。ならば、麻布十番祭りに行って、あそこらへんの屋台のやきそばを片っ端からご紹介しようか。 ソルロンタン。 松尾さん、1980年代後期(1988年か1989年=両年とも来日)のMZA有明での来日の際にインタヴューしたそうで、そのことなどをアリ様と話していた。まもなく、ソウル・バー協会幹部連中と写真撮影大会が始まり、ニコニコしながら、アリ様写真に収まる。男性と撮るときは普通だが、女性と撮るときは、顔と顔の距離がぴったり近い。 しかし、このフレンドリーなアリ様、今回の来日で歌手としては昔からだが、人間として一気に大ファンになった。 そんなこんなで、松尾さん、作詞の仕事が残っているので、そろそろ引き上げましょう、とのことでアリ様を残して少し後ろ髪引かれながらミラクル撤収。ところが、これにはわけがあり、近くの韓国料理店で「ソルロンタン」(牛の頭・足・ひじ肉・骨・内蔵などを煮たスープ=最後に白いゴハンをいれて食べるのも可)を食べるという裏目的があったのだ。(笑) 以前にも彼とミラクルに来た帰りに、なぜかこの店でソルロンタンを食べたので、その再演である。「これから朝まで僕、仕事しますから、食べますよ~~」。やるき満々です。(ソルロンタン、食べる気満々) さくっと、美味で夜半には胃にもやさしいソルロンタンを食し、韓国料理店撤収。駐車場に向かい、機械式で若干時間がかかるが、まず松尾号を出す。車道に出そうとした瞬間、通りの向かいにアリ様のお姿が! タクシーがみな「迎車」でなかなか止まらない。そこで、「ヘイ、アリ!」と手を振ると、向こうも手を振る。運転席の松尾氏「ホテルまで送りましょうか」、ということで、急遽松尾号、アリ様のリムジンに変身だ。アリ様を乗せたところで、「写真、写真撮って~~」と松尾様に言われて、カシャ~、カシャ~。松尾号、赤坂の街へ消えた。 僕も車を出し、帰宅中、電話が鳴った。「いやあ、ほんと、今日もありがとうございます。社交辞令だとは思うんですが、ちょうど、僕がプロデュースしたダブルの新曲を車で、かけてたら、アリ様『おおっ、グッド・プロデューサー!』って言ってくれました」 「おおおっ、すごいすごい」 「それだけじゃなく、いつでもデュエットするから、とまで言ってくれて~。いやあ、嬉しかったあ」と超ご満悦。これはすごい。 う~ん、僕なんか、アリ様の使ったヘッドフォーンを使ったくらいだもんな。むこうは、アリ様、自分の車に乗せて送っている。完敗だ。(なにがだ) しかし、ソルロンタン食べたおかげで松尾号はアリ様のリムジンになったわけだから、どこで何がどう転ぶかわからない・・・。ま、それもこれも、ソルロンタンのお導き。偶然ではなく必然だ・・・。すべては、守島さん、本当に情報ありがとうございます。ビルボード終わったらさくっと帰るつもりだった松尾さんも、僕も、「おやおやおや」「まあまあまあ」「いやいやいや」、楽しい夜でした。 (このテンプテーションズの項もう一回くらい続くかも) ENT>MUSIC>ARTIST>Temptations Review November 28, 2007It’s The Temptations’ Week (Part 3) : Treat Them Like A Legend【レジェンドとしてのテンプス】 レジェンド。 テンプテーションズは、アメリカのソウル・ミュージックの長い歴史の中で、さまざまな意味でナンバー・ワンのグループである。グループの歴史の長さ、ヒット曲の多さ、人気の高さなどから、ワン・アンド・オンリーであり、ナンバー・ワンでもある。ナンバー・ワン・ヴォーカル・グループは、ナンバー・ワンの伝説グループとしてトリート(取り扱い)しなければならない。Treat Them Like A Legend. テンプスのライヴにまつわるビハインド・ザ・シーンをいくつかアット・ランダムに。 テンプテーションズ・レヴュー・フィーチャリング・デニス・エドワーズは今回5着ほどのスーツを持ってきていた。赤、オレンジ、青、緑、黄だ。それぞれのジャケットにコーディネートされたシャツ、靴、靴下がきっちり揃っている。さすが、ナンバー・ワン・ヴォーカル・グループだ。ファーストとセカンド・セットはもちろん衣装を変える。何色を着るかは、デニスがステージに上がる前に決める。 セットリストは、おおまかな基本的流れは決まっているが、デニスの指示で曲順が変わることがある。アンコールもあるかないかは、決まっていない。これは観客のノリ次第、気分次第のようだ。アンコールがある場合、曲はデニスがアンコールが始まる直前にキーボードで音楽ディレクターのコートランド・ジョーンズに曲名を言う。彼がとなりのベースマンに伝え、ベースマンはドラマーに伝える。瞬時に伝言ゲームのように曲名が伝わる。果たして一番端の左側のブラス・セクションまで無事伝わるか心配なのだが、ドラムスとベース、キーボードあたりの最初の音とテンポで、おそらく曲がわかるのだろう。「イントロ・ドン」みたいなものだ。 そのコートランドは、ものすごいのりのりで体を揺らしながらプレイしていた。実にファンキーなキーボードだったが、あれだけ元気だった彼も、ライヴ終了後は足が悪くて立ち上がれなかったことが判明。なんと杖をついて、立ち上がっていたのだ。これは意外だった。 舞台右手の椅子に座っていた白人の男性は、メンバーにタオルや水を手渡す係りだった。この人はかのDVDでもその役が映っていた。最初彼が舞台右手の椅子に座ったときには何をするのか疑問だった。ひょっとしてボディーガードかとも思ったのだが、いろいろステージ上で仕事はあるのだ。(笑) 何度かステージ中、デイヴィッド・シーはドラマー横の椅子に座った。これは実はデイヴィッドが足(正確には膝)を悪くしているため。膝から、背中のほうにいく神経に何かが触れてどうも痛いらしい。本国でもカイロプラクティックなどに行っているとのこと。この膝はもともと十代の頃、スポーツ(フットボール)をやっていて怪我をしたことが遠因になっているようだ。だが、それを考えるとあの「アイ・ウィッシュ・イット・ウド・レイン」の熱唱振りは、やはり驚異的だ。 日曜日のライヴ後、江守さんがデイヴィッド・シー夫妻と食事をするというので、後からちょっと合流した。デイヴィッドは日本の焼肉が大好き、ということで焼肉屋さんへ。いろんな雑談をしたが、デイヴィッドらは帰国後翌日に国内で仕事が入っているという。奥さんが「デイヴィッドは働きすぎなのよ」と言う。翌日(月曜)がオフなので、江守さんが彼らを六義園(りくぎえん)に連れて行くそうだ。昔ながらの見事な日本庭園だ。そして、その後おみやげも買わなければならない。なんと、彼らには7人の子供と18人の孫がいるそうだ。みな比較的近隣に住んでいるという。クリスマスのときなどみんな集まって、デイヴィッドの奥さんが膨大な量の食材を買って料理を作るそうだ。ホームタウンでは息子が教会を持っていて、デイヴィッドらも日曜には地元にいれば必ず教会に行くという。信心深いまじめな夫婦だ。 デイヴィッドに尋ねた。「あなたのその強い声はどこから? あるいは何かその強さを持続する方法はあるのですか?」 「いや、特にないな。この声の強さは、生まれながらの自然なものだよ」 しかし、ショーストッパー「アイ・ウイッシュ・イット・ウド・レイン」における圧倒的な迫力を見せるデイヴィッドと、おいしそうに焼肉を日本の箸を上手に使いながら食べる人懐っこいデイヴィッドが同じ人とは思えない。素顔のデイヴィッドは実に純朴なナイスガイ、そして彼もまた日本が大好きだ。「日本、大好きだ。フード、人、それにいつでも江守に会いたいからな (I miss Emori anytime)」 2人は知り合って15年近くになる。日本で出たデイヴィッドの2枚のアルバムは、ソウルの名盤として高い評価を得ているが、それをプロデュースしたのが江守さんだ。そのときの多くのエピソードは、いろいろ聞いているので、いつかまとめて発表したい。太平洋を越えた2人の友情の絆は、かなり強固なものだ。 『ソウル・ブレンズ』の4時半の男のコーナー冒頭で、「いやあ、今日はもりだくさんですね。マーヴィンがあがっててねえ・・・(笑)」というと、マーヴィン「わかってくれた? ね、そのヘッドフォン、抜いて、抜いて。僕、持って帰るから(笑)」 「いやいやいや、僕のこのヘッドフォンはね、さっきまでアリ・オリが使ってたんですよ。(自慢気) ちーちゃんのはデニス・エドワーズが使ってたもの。で、マーヴィンのは、マーヴィンが使ってました~」と言ったら、マーヴィンが物悲しそうな顔をした。(笑) 「アリ・オリの男の色気が僕にもついたらねえ・・・」 ちーちゃん「吉岡さんからアリ・オリみたいなラヴパワーを発信されてもねえ、がははは」。 (このテンプテーションズの項まだつづく。明日は月曜日夜のお話) ENT>MUSIC>ARTIST>Temptations Review November 27, 2007It’s The Temptations’ Week With The Temptation Walk (Part 2)【デニスとアリ・オリ、『ソウル・ブレンズ』にやってきた】 大興奮。 日曜午後3時20分、来るべき男たちがまだ来ていない。インターFMの番組『ソウル・ブレンズ』に彼らは来ることになっていた。3時半からが彼らの出番だ。通常は20分ほど前に来て、軽く打ち合わせをしてからスタジオに入るのだが・・・。前週木曜に来日し、金曜からコットン・クラブでライヴを行っていたテンプテーションズ・レヴューからデニス・エドワーズとアリ・オリ・ウッドソンが、番組にゲストででてくれることになっていたのだ。さすがにスタッフは焦り気味で、何度も携帯でやりとりをしている。 3時25分、表通りに大きな体格のデニスとアリが到着。体をわさわさ揺らしながら、局内に入ってきた。デニスは黄色のスーツ、アリはゼブラ柄のスーツ、そのままステージから飛び出てきたような感じだ。 とりあえずソファに座る。「昨日(土曜)、(恵比寿の)ソウル・バー、アリ・オリに行ったんですって」とアリ・オリに聞いた。「そうなんだ、そうなんだ、友達が連れてってくれた」といいながら、何かをバッグの中から出そうとする。そして出したのが、「アリ・オリ」のショップカード。これをデニスに手渡す。「おおおっ、ソウル・バー、アリ・オリか」とデニスが驚く。アリ・オリは自分の名前がついたお店ができていて、殊のほか嬉しい様子だ。 3時30分。DJオッシーがテンプスの「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」をブースの向こうでかける。デニスとアリ・オリの2人がスタジオ内に入る。DJマーヴィンが興奮気味に自己紹介。マーヴィンはめったにあがらないのに、この日はさすがにナーヴァスになっているようだ。ハスキーなデニスの声、そして太いアリ・オリの声。じつにラジオのりのいい声だ。 「日本ではみんなお辞儀をする。これは素晴らしい習慣だ」(デニス) 「今回のライヴの会場はちょっと小さくて、来たい人が全員来れないかもしれないが、逆にここでのライヴはみんな近くていいよ」(デニス) 「(休みの日)今回は秋葉原に行くぞ~」(アリ・オリ) 「日本の好きな食べ物は、蕎麦!」(アリ・オリ) この「テンプテーションズ・レヴュー・フィーチャリング・デニス・エドワーズ」というグループの成り立ちについてデニスはこう語ったくれた。「元々はラッフィン、ケンドリックスと一緒に(1990年頃)やったところがきっかけだ。だが、残念なことにラッフィン、そして、ケンドリックスが他界してしまった。そこで、その後いろいろなメンバーに声をかけて、現在の形になったんだ」 「ぜひまたきてください」というマーヴィンのあいさつとともに、番組内でゲスト枠最後の曲、テンプスの「レディー・ソウル」がかかった。マイクがオフになり、曲がスピーカーから流れてくると、アリ・オリ、CDにあわせて一緒に歌い出すではないか。おおおっ、生アリ・オリ! デニスもアリ・オリもみんなごきげんだ。 そして、みんなで記念撮影タイム。5時からライヴなので4時には出ないといけない。そのバタバタの合間に、オッシーがデニスのソロとテンプスのアリ・オリが入ったアナログ・アルバムを持ってきて、サインを頼んだ。もちろん、彼らはすぐに書いてくれる。オッシー「いやあ、サインを頼む手が震えましたよ」。 別れ際、アリ・オリはDJチーちゃん(女性)にハグ&キス。おお、さすがだ。(笑) そして、それを見ていたマーヴィンと僕、「さすがに、アリ・オリは『レディーズ・マン』だな(笑)」。 本番が終わり、マーヴィンが言う。「だって、僕は子供の頃テンプテーションズのヒット曲を聴いて育ったんだよ。同じデトロイト出身で、テンプスはスター中のスターだ。僕にとっては憧れの大スターだよ。そのメンバーが今こうして僕の目の前でしゃべっているっていうのは、本当に素晴らしい。正直、汗たくさんかいたよ!(笑) この仕事をしてて本当によかった。デニスはずっと僕の目を見てしゃべるんだよね。僕はこの録音を故郷の家族に送るよ!(笑)」 彼らは4時の時報とともに嵐があっという間にどこかへ行くかのように去っていった。スタジオに大興奮を残していったテンプテーションズだった。 (テンプスの項、つづく) ENT>MUSIC>ARTIST>Temptations Review November 26, 2007It’s The Temptations’ Week With The Temptation Walk (Part 1)(テンプテーションズ・レヴューのライヴ評です。これからご覧になる方で事前に内容を知りたくない方はご注意ください) 【歴代ナンバー・ワンR&Bヴォーカル・グループ、テンプテーションズ・ライヴ】 歴史。 正確には「テンプテーションズ・レヴュー・フィーチャリング・デニス・エドワーズ」というのがグループ名。シンプルに名乗る「ザ・テンプテーションズ」すなわち本家本元とは違う「派生グループ」のひとつだ。しかし、本家のオーティス・ウィリアムスの「テンプテーションズ」もオリジナル・メンバーがほぼいなくなった今日、まさに「テンプテーションズ」(略して「テンプス」)のレガシーを保ち続けるのはこの「デニスのテンプテーションズ」なのかもしれない。 なにしろ、ここには歴代リード・ヴォーカルの中でもひときわ人気の高い2人のシンガーが同時にいるのだから。デニス・エドワーズ、そして、アリ・(オリ)・ウッドソンだ。しかも、一時期日本のレコード会社が「テンプスを蹴った男」というキャッチフレーズをつけた実力者デイヴィッド・シーもいる。言ってみれば「スリー・トップ」のテンプテーションズなのだ。そして、ベースのマイクも、ファルセットのクリスもグループ内で自分の持ち場で輝きを増す。これでよくないわけはない。最初から「サティスファクション・ギャランティー」である。 結論を簡単に言えば、お見事、素晴らしい、脱帽、まいった、ここまでできるか、ここまで歌うか、ここまで楽しませるか、充実の83分だった。テンプスは個人的には小さな箱で見るライヴとしては今年1番かもしれない。アリを除いた4人(デニス、デイヴィッドら)が日本で一般ライヴを行うのは2000年4月以来(横浜・モータウン・カフェのオープニング・ライヴ)だからほぼ7年7ヶ月ぶり。一足先にDVD『ザ・テンプテーションズ・レヴュー・フィーチャリング・デニス・エドワーズ/ライヴ・イン・コンサート』(輸入盤)がでているが、若干の曲順の入れ替えはあるが、これにそった流れ。 この日は数種類ある中から青地に虹色のデザインが施されたスーツ。中のシャツ、靴、靴下までお揃い。いよいよステージに登場、いきなり「スタンディング・オン・ザ・トップ」で煽る。舞台向かって一番右側のマイクがその曲のリード・シンガーのポジションだ。もちろん、テンプスは5人全員がリード・ヴォーカルを取れる実力者ばかり。そして、1曲の中で次々とリードが変わったり、クロスしたり、5種類の声のブレンドが楽しめるというヴォーカル・グループの魅力、醍醐味を存分に味わうことができる。いまどき、こんなグループがないので、久々に見る本格派、堂々たる王道を行くグループのライヴだ。振り付けは、もちろん曲ごとにきまっていて、十八番のテンプテーションズ・ウォークも見られる。 今回のセットリストは、曲名の横の[ ]内に、一番右手のマイクを取る、その曲の最初のリード・シンガーの名前をいれてみた。セットリストを見ればわかるようにリード・シンガーが次々変わる。中央から右手マイクへの移動もみな、スムーズで見事。それぞれのシンガーに「自分のハイライト・シーン」がある。 めがねをかけた低音ベースの声の持ち主マイク・パティーロ(メルヴィン・フランクリン役)は「レイニー・ナイト・イン・ジョージア」、ファルセットのクリス・アーノルド(エディー・ケンドリックス役)は「ザ・ウェイ・ユー・ドゥ・ザ・シングス・ユー・ドゥ」「ジャスト・マイ・イマジーネション」、デイヴィッド・シーは「アイ・ウィッシュ・イット・ウド・レイン」、そして、アリ・ウッドソンは「レディー・ソウル」「トリート・ハー・ライク・ア・レイディー」などだ。 デイヴィッドの同曲は、ショーの中でも圧巻だ。マイク・スタンドから1メートル弱も離れてマイクなしで歌うが、それが会場中にマイクがないことさえ忘れさせてしまうほど響く。なんという声の強さの持ち主か。歌詞の一部を客席前列の人に歌わせようとする。残念なことに、この日はマイクを向けられた女性が歌わず、盛り上がりにかけてしまった。ここで歌手みたいにとは言わずともそこそこ歌う人がでてくると、ものすごく盛り上がるのだが。土曜日はかなり大盛り上がりだったようだ。 デニスの声も基本的にはものすごく強い。アリは、いまだ現役バリバリという感じだ。しかも、女性への目の流し方がはんぱではない。まさに「レディーズ・マン」だ。「レディー・ソウル」が流れてきて、思わず目に涙を浮かべた人も多かっただろう。 それにしても、このグループ、スローでさえ、これだけ盛り上げてしまうのだから、底力がある。声の厚さ、声の熱さ、声の暑さで観客をノックダウンさせるところがたまらない。 途中、デニスがマイクを取り、ポール・ウィリアムス、メルヴィン・フランクリン、デイヴィッド・ラッフィン、エディー・ケンドリックスと歴代テンプテーションズ・メンバーの故人に捧げる場面があった。テンプテーションズは、メンバーチェンジを何度行っても、ずっとテンプテーションズだった。それはレガシーであり、伝統であり、歴史であり、いまや生きる伝説だ。 もちろん細かい点では、デニスの声が若干でにくいとか、デイヴィッドが足を悪くして椅子に座って休むシーンなどもあり、彼らにとっては100点満点ではない部分もあるだろう。しかし、トータルで見てこのパッケージは、いけてる。途中から観客も立ち上がる。 40年以上前のヒット曲にあるいは20年以上前のヒット曲に、心を奪われる瞬間が訪れるという事実は、彼らがアメリカのR&Bシーンにおいて、依然「ナンバー・ワン・R&Bヴォーカル・グループ」の座にいることの証だ。継続は力なりもまたここに真実。テンプテーションズという名は、依然ソウル・ミュージック・ラヴァーズにとってテンプティング(誘惑的、魅力的)だ。 先週から今週半ばにかけては「テンプテーションズ・ウォーク」で「テンプテーションズ・ウイーク(週間)」だ。 (この項続く) ■メンバー ザ・テンプテーションズ・レヴュー・フィーチャリング・デニス・エドワーズ ■セットリスト Show started 19:57 (2007年11月25日・日曜、丸の内コットン・クラブ=テンプテーションズ・レヴュー・フィーチャリング・デニス・エドワーズ・ライヴ)
November 25, 2007Fukamachi Jun #83: The Beauty Of Music Is That Music Has No Meaning【音楽の素晴らしいところは、音楽自体に意味がないこと】 矛盾。 深町純は言う。「モーツァルトのピアノソナタは何を表しているのでしょう、という問いがあって、僕の信頼する友人はこう答えます。それはおそらくモーツァルトが見ている世界でしょう、と。音楽と作曲者の関係はそれ以上、言葉では言えない。あと、音楽が素晴らしいことは、(音楽が)言葉ではないことです。言葉は意味を持っているし、音楽には意味がないのです。と、僕は思う。もちろんすべての音楽がそうだとは言っていない。ただ、僕はそう思ってる。なにより音楽が素晴らしいことは、意味がないこと、無意味だということです。でも不思議だよね。それで、聴いている人に何か浮かんだりするんだよね。それ(意味のない音楽を聴いて、何かを思い浮かべること)は、たぶん人間の能力なんだろうね」 深町純は、特に音楽に意味を持たせようとしない。何も考えない。だからそこにはメッセージもない。しかし、聴く者が何を感じるのも自由。何を感じても勝手。深町純が弾くピアノから、仮にメッセージを受け取っても、それは聴く側の自由でもある。深町純が「無」「無我」でピアノを弾いても、聴く側が何かのイメージ、映像を思い浮かべるとしたら、ひょっとしたらそのピアノの音に、深町純がまぶたを閉じながら見えているものが、色付けされているのかもしれない。 意味がないのに、意味があるように思える。この矛盾がおもしろい。人生はあらゆるところに矛盾が存在する。だからおもしろい。深町純のピアノは、矛盾の宝庫だ。 Setlist : Fukamachi Jun #83, @FJ’s, November 24,2007 1st set 2nd set ■過去の音楽比率(ライヴ全体の中での音楽の割合を表します)(単位は%) 2005年11月 第一部 41.70 第二部 51.82 (2007年11月24日土曜、祐天寺FJズ=深町純ライヴ) November 24, 2007Kirk Whalum & John Stoddart Live【カーク・ウェイラム&ジョン・スタッダート・ライヴ】 2人。 スムーズ・ジャズの人気サックス奏者カーク・ウェイラムとゴスペル系ブラック・シンガー、ジョン・スタッダートのデュオ・ライヴが都内・仙川(せんがわ)のキック・バック・カフェで行われた。ブラザー松尾KC氏を誘い、仙川におもむく。ふだんは60-70席の小さなライヴハウスに超満員100名の観客がはいる。昨年、モーガン・フリーマンの息子がライヴを行ったのを見た所だ。客層は、このお店についているお客さん、さらにクリスチャン系の方たちだろうか。比較的年齢層は高い。 前回キック・バック・カフェを訪れたとき↓ ステージを見るとドラムセットなどがないのでどうなるのかと思ったら、純粋にカーク(サックス)とジョン(ピアノと歌)だけのシンプルなステージだった。ホテルのラウンジで聴かせるような軽いのりのパフォーマンスだった。1曲目が始まったときの瞬間の感想が「これなら、リハーサルはいらないね(笑)」というものだった。 やはり少し盛り上がったのが、ジョンの歌が始まったあたり。彼の2003年のアルバムからの「エンジェル」は、さすがにいい曲。CDでも感じていたが、彼の声はテディー・ペンダグラスによく似ている。ほかには、ビー・ビー・ワイナンズ、ジェームス・イングラムあたりか。実にいい声、個人的には僕のものすごく好きなタイプの声だ。このお店のオウナーがクリスチャンということで、今回のショーもゴスペル曲を2人でやるという基本的なコンセプトがあるようで、あまりポップ・ソング、通俗的なソウル、フュージョン曲はないのかもしれない。ピアノを弾く姿はちょっと南部のジョン・レジェンド風。 きっちりとしたそのカークのサックス振りをして、松尾潔氏いわく「パツパツのナイス・バディーの女性が、一番上のボタンまで締めているようなきっちり感だなあ」と実にうまい表現をした。 客席にはサックスの小林香織ちゃん、シンガー平原綾香さんも。香織ちゃんは、「特に私は(カークのような)低い音のサックスが好きなんです。(自分も)テナーを、もっとやろうかと思って」という。平原さんは実はお父さんが有名なジャズ・サックス奏者で彼女自身もサックスをやっていた、ということを松尾氏に教わったところで、ちらっと彼女にきくと「カークはもう、大好きなんです」とのこと。 実はカークのことは、ニューヨークのバシリ・ジョンソンに10年以上前に紹介され、彼らがホイットニーのバックで来日したときに、一緒に六本木のインド料理モティにカレーを食べに行ったことがある。ライヴ後そのときのことを話すと、「おおおっ、かなりずいぶん前だよね。あれ以来、その店はよく行くようになったよ」と思い出してくれた様子。カークは数え切れないほど来日している。 一方のジョンは完璧に初来日。松尾氏に今回カークとジョンが来日するというとむしろジョンに興味を持ち、ぜひ行きたいとのことで一緒に来ることになった。「いやあ、まさかジョンのステージを日本で見られるとは思わなかったなあ」と言う。ライヴ後ジョンに話を聴くと「1971年2月17日フィラデルフィア生まれ、18歳くらいでワシントンDCに行き、大学へ。98年頃、ワーナーと契約していて、そのときのA&Rディレクターがカークと引き合わせてくれた。その後カークが彼のショーに僕を雇ってくれた。ここ何年か2人でけっこうライヴをやっている。好きなシンガー、影響を受けたのはビー・ビー・ワイナンズ、ジェームス・イングラムなど。テディー・ペンダグラス? それはほんのちょっとかな。最初はピアノから始めた」という。ジョンはパティー・オースティン、アリソン・ウィリアムスなどに作品を提供したりして、かなりの実績を積んでいる。 2人は同じマネージャー氏によってマネージされているが、その人の名が「アール・コール・ジュニア」。名刺をもらって、僕の質問は「あなたも歌うのですか?」というと、笑いながら「いやいや、ナット・キング・コールのことだろ。私は全然関係ないんだよ」とのことだった。 (ライヴは後、土曜と日曜にあります。ほぼ満席ですが、立ち見なら可能性あります。詳しくはお店にお問い合わせください) ■ カーク・ウェイラム最新作『ラウンドトリップ』(ビデオアーツ) 6曲目の「ビッグ・オール・シューズ」が「ミスター・マジック」みたいで最高です キャレブ・ザ・ブリッジ カーク・ウェイラム feat.シャニース・ウィルソン カーク・ウェイラム feat.キム・フィールズ ヒュー‘ピーナッツ’ウェイラム カーク・ウェイラム カーク・ウェイラム feat.アール・クルー カーク・ウェイラム feat.ジェフ・ゴラブ カーク・ウェイラム feat.マーカス・ミラー&ジェフ・ゴラブ ジェラルド・アルブライト アレックス・アル ビデオアーツ・ミュージック (2007/11/21) 売り上げランキング: 122324 ■ セットリスト : カーク・ウェイラム、ジョン・スタッダート Show started 20:25 (2007年11月23日金曜、仙川・キック・バック・カフェ=カーク・ウェイラム、ジョン・スタッダート・ライヴ) November 23, 2007Shanti Will Be At Cotton Club, Brenda Will Sing With Full Orchestra【シャンティ、コットン・クラブに、ブレンダ、オーケストラをバックにクリスマス・ソングを】 告知。 ソウル・サーチャー関係の告知をいくつか。 シンガー・ソングライター、シャンティが目黒ブルース・アレーに続いてデビュー・アルバム『シェア・マイ・エア』のリリース記念ライヴを、11月30日(金)に丸の内コットン・クラブで行う。今回はファーストとセカンドが入れ替えになるために、セットは70~80分程度の見込み。 アルバム『シェア・マイ・エア』は、ついにフランス・パリ盤が到着、12月中旬からディスク・ユニオンを中心に主要CDショップに流通することになった。この盤はフランス直輸入盤だが、日本リリース用にいわゆる帯と解説がつく。歌詞カードは、オリジナル・パリ盤に封入されている。このジャケット・デザインは、パリ在住の写真家・デザイナーがてがけ、紙ジャケット仕様でなかなかおしゃれな雰囲気。 また、シャンティは12月5日から22日まで中野のカフェで行われる『ジーカフェと8人の暦展』という展覧会に、自身の描いた絵の入ったカレンダーを出品、展示・販売する。 中野ジーカフェ↓ シャンティ・ライヴ@コットン・クラブ +++++ ブレンダ・ヴォーンはフル・オーケストラをバックにクリスマス・ソング ソウル・サーチャーのひとり、東京レディー・ソウル・ナンバー・ワン、ブレンダ・ヴォーンが12月、神奈川フィル・ポップス・オーケストラをバックにクリスマス・ソングを歌うことになった。 企画タイトルは、『クリスマスの夜を名曲で』。出演は、ブレンダ・ヴォーンのほか、ロビー・ダンジー、アージー・ファイン、グリニス・ボーン・マーティンと、ヴォーカル4人は全員ソウル・サーチャーでもある。横浜フィルの指揮者は藤野浩一氏。「アメイジング・グレイス」「スターダスト」「クリスマス・ソング」「クリスマス・ソング・メドレー」などが歌われる予定だという。 これだけ強力なソウル・シンガーを集めたクリスマス・ライヴ、しかも、フルオーケストラ・バックというところもひじょうに魅力的な企画だ。 『クリスマスの夜を名曲で』 +++++ マルは、トリオで六本木のバー しばらく前に目黒・ブルース・アレーを沸かせたマルが、ギターとパーカッションをバックにトリオの編成で小規模ライヴを六本木のバーで行う。 2007年11月28 日(水曜)
November 22, 2007Temptations Review Featuring Dennis Edwards: Who Will Sing What…【3トップが登場するテンプテーションズ・レヴューいよいよ明日から~誰が何を歌うか】 予習。 アメリカの歴代ナンバー・ワン・ソウル・ヴォーカル・グループ、テンプテーションズ。その歴代リード・シンガーのうち2人が参加するテンプテーションズ・レヴュー・フィーチャリング・デニス・エドワーズがいよいよ来日、金曜(2007年11月23日)から東京・丸の内コットン・クラブでライヴを行う。すでに前売り・予約はほぼ完売状態になっており、すでに人気も過熱気味だ。少しライヴを前に、予習してみよう。 今回はリード・シンガーとしてデニス・エドワーズ、アリ・ウッドソン、そして、デイヴィッド・シーの3人が登場。デニスは1970年代を代表するリード、アリは1980年代を代表するリード、さらにアリと古くからの友人であるデイヴィッドは一時期テンプスのリードに誘われた男であった。言ってみれば、名門テンプテーションズのリード・シンガー、3トップが一堂に会し、勢ぞろいするというファンとしては大変嬉しい事件だ。 日本でデニスとデイヴィッドがともにステージに経つのは、2000年4月、今はなき横浜・モータウン・カフェのオープニング・ライヴ以来のこと。このときは、マイク・ぺティーロ、クリス・アーノルドも来日しており、今回の5人中4人が来ていた。2000年のときのバーナードに代わって今回アリ・ウッドソンが来日となる。ちなみに、マイクとクリスはデトロイトのヴォーカル・グループ、ファイヴ・スペシャルのメンバー。マイクは、テンプスのベース・ヴォーカリスト、メルヴィン・フランクリン役に、またクリスはファルセットでエディー・ケンドリックス役になる。その意味では言えば、デイヴィッド・シーはデニスとともにデイヴィッド・ラッフィン役に相当する。 この5人はここ何年かアメリカ、ヨーロッパなどでツアーを敢行し、好評を得ているユニット。テンプテーションズのレパートリーは膨大なので、通常は90分から120分のセットを行っている、という。今回はおそらく60-70分程度に短くなるのでセットリストも少なくなりそうだ。 どのあたりの曲を誰が歌うか、このユニットの事情にひじょうに詳しい江守アイ氏に解説をお願いした。「おそらく、オープニングは『スタンディング・オン・ザ・トップ』あたりじゃないかな。アリ・ウッドソンはロング・セットなら『トリート・ハー・ライク・ア・レイディ』と『レディー・ソウル』を歌っているが、短いのでどちらか1曲になるんでは。デイヴィッド・シーは、おそらく『アイ・ウィッシュ・イット・ウド・レイン』、これはデイヴィッドが自身のアルバムでも、バックにエディー・ケンドリックス、デニス・エドワーズを従えて歌っているのでまさに完璧な1曲。マイク・ペティーロはオリジナルズのアレンジでの『レイニー・ナイト・イン・ジョージア』などもやっている。僕は彼には『オール・マン・リヴァー』をやってくれと言ってるんだが・・・。デニスには『ア・ソング・フォー・ユー』のアルバムに入っている『メモリーズ』か『ア・ソング・フォー・ユー』をやって欲しいと言ってるが、どうだろうか。短いセットでは代表曲中心になるだろうから、そのあたりは入らないと思う。また、珍しいところでは、ブロードウェイの曲ばかりを集めたテンプスのアルバム『メロー・ムード』収録の「ハロー・ヤング・ラヴァーズ」を最近、よくやっている。デイヴィッドは、ほかに『マイ・ガール』、『ビューティー・イズ・オンリー・スキン・ディープ』、『エイント・トゥ・プラウド・トゥ・ベッグ』なども歌うが、もちろん、デニス・エドワーズも歌うので適当にバランスを取ることになるだろう。『ジャスト・マイ・イマジネーション』は、クリス・アーノルドのハイライトになりそう」 話を聴いていると、アンソロジーのCDを改めて聴きながら、ますます期待が高まってしまう。 ◎テンプテーションズ・フィーチャリング・デニス・エドワーズのライヴは11月23日(金)から丸の内コットン・クラブで。ほぼ完売で、現在キャンセル待ち。 ◎テンプスのリード・シンガー、デニスとアリ・ウッドソンは11月25日(日曜)『ソウル・ブレンズ』(午後3時~5時インターFM 76.1mhz)に生ゲスト出演。出演は3時半頃から。 ■来日メンバー ザ・テンプテーションズ・レヴュー・フィーチャリング・デニス・エドワーズ ENT>MUSIC>LIVE>Temptations Featuring Dennis Edwards November 21, 2007Blues Alley Players Night Vol.7【「プレイヤーズ・ナイト」第7回】 ショーケース。 目黒の老舗ライヴ・ハウス「ブルース・アレー」が、毎回ピックアップしたアーティストを紹介する「プレイヤーズ・ナイト」の第7回が行われた。通常は一組のアーティストをピックアップしているが、今回は新進気鋭の3組をピックアップし、ショーケース的にライヴを見せた。出演アーティストは、順にイカボール、シャンティ、そして、サックス奏者ナオ。ブルース・アレーの支配人である高橋さんが、これまでに6回ほどやってきた企画で、複数アーティストを同時に紹介するのは今回がはじめて。新人にチャンスを与えるという意味でも有意義なことではないかと思う。 イカボールは、ギター・ヴォーカル担当の松村良太郎さんの愛称で、アーティスト名「イカボール」はソロアーティストを指すが、ほとんど寺田さん、安井さんと3人でやっているので、実質的には3人組ユニット的なニュアンスもある。松村さんのヴォーカルが全面に出るが、どこかガッツ風、あるいはスガシカオ、スピッツ系のハスキーなヴォーカルだ。声がソウルフルなので、それだけでグルーヴ感が感じられる、とよく言われるそうだ。カーティス・メイフィールドが一番好きで他にもマーヴィン・ゲイなども好きとのことだが、ロックも含めて広く浅く何でも聴いているという。普段は下北沢のライヴハウスなどで活躍しているので、この編成から「下北のポリス」という感じがした、と言ったら、本人から「それは畏れ多くて」と苦笑された。個人的には3曲目の「永遠」という曲が気に入った。ワンコードだけのビル・ウィザースがやるような曲を聴いてみたいと思った。 シャンティは、前回のブルース・アレーでのライヴのショートヴァージョン。5曲を披露。5曲なのだが、1曲の中にミュージシャンのソロ・パートを交え、けっこうバンド・サウンドを聴かせた。楽曲もすっかり歌いこんでいる感じがある。シャンティはいよいよ11月30日にはコットン・クラブに登場する。 サックス奏者「ナオ@ファンク・フロア」は、5人組編成。クラブやディスコのイヴェントなどでも活躍しているかなりファンキーなサックス奏者。川畑さんのディスコ・イヴェントにもよく顔を出しているそうだ。レコードにあわせてその場でサックスを吹いたりもするという。しばらく前にフィリップのライヴで見たキーボードのガクシこと藤川学史くんが途中、ロジャーばりにヴォコーダーを使ってファンキーに音をだしていた。彼によると「まだまだ研究中なんですが、とにかく1曲やると頭がクラクラするんです。でももっとファンキーにしたい」とのこと。ナオは関西出身でグローヴァー・ワシントンが大好き、関西弁のトークがテンポよくひきつける。彼女はCD、教則DVDなどを毎年出している。ギターの上條くんはまだ22歳で、しばらく前までロスでドック・パウェルの元で修行を積んできて、最近東京にでてきたという。ファンキーなカッティングがかなり印象に残った。 最後は3組が合同でセッションを繰り広げた。若手のミュージシャンを知ることができてショーケースとしていい試みなので今後も定期的に行うといいと思う。 ■ メンバー ●(G/Vo)イカボール (B)寺田庸二 (Ds)安井竜法 Ikaball Shanti Naoh Sessions (2007年11月19日月曜、目黒・ブルース・アレー=イカボール、シャンティ、ナオ・ライヴ)
November 20, 2007Nick Okai’s Funeral Day Two: Someone Should Record These Culture【ニック岡井氏告別式~華麗なソウル・ステップよ、永遠に】 早朝。 前日の喧騒の通夜から12時間余。臨海斎場、朝10時45分。昨日とは少し違い人の出足が遅い。さすがソウル・バー業界、ソウル音楽業界、みな朝に弱いか。しかし予定の11時より15分早く、お経が始まった。その間、徐々に勢いを増して人が集まり、30分もしないうちに、席が埋まった。川畑さんも10時半過ぎに登場。2時間しか寝ていないそうだ。 お経が始まる。焼香が始まる。歯を食いしばっての江守さんの弔辞、泣けた。そして、ニックへ最後のお別れ。祭壇に飾られた花がはずされ、参列者の手に行き、参列者から棺の中に入れられる。みるみるうちに、ニックの周りは白い花でいっぱいになった。そして、多くの人に見守られ、出棺。そして焼き場へ。多くの人がその後を追った。 +++ 待合室。 前日、ニックへ捧げたCDが置いてあった。江守さんがニックのために、そして、ニックの奥さんのために作ったものだ。そのCDに曲名がプリントされていた。さっそく書き写した。全部で19曲も入っていた。昨日かかったのは、12曲目くらいまでだった。こんな曲を、江守さんが「ニックの好きな曲」として選んだ。 Songs For Brother Nick: Selected By Brother Emo, November 2007 01. My Girl (A Cappella) / Temptations シャイ・ライツ、デルズなんかも入っていたんだ。ニック好きだったもんなあ。しかし、曲面(きょくづら)を見てるだけでニックの顔が浮かぶなんて、なんと素晴らしいDJだろうか。10曲目がちょっとわからなかったので江守さんに聞くと、マーヴィンの『トラブル・マン』に入っている曲だという。あ~~、なるほど。ドラマティックスはニックが「ホワッチャ・シー・イズ・ホワッチャ・ゲット」をよくかけていたのを思い出す。江守さんによれば、「それもそうだけど、ニックが本当に好きだったのはこの曲だったんだよ」という。 しかし、このCDいいなあ。「吉岡、別に曲は全部持ってるでしょ」と江守さんは言う。ま、確かにそうなんだが、江守さんがニックのために選んだ曲で作ったCDというところが、ものすごくヴァリューがある。オムニバスの選曲というのは、そういうことなのだ。 +++++ バカ話。 待ち時間に赤坂ミラクル川畑さん、恵比寿ブラウン・シュガー白河さんとしばし談笑。いろんなソウル・バーの話になって、川畑さん「うちってよく『敷居が高い』なんて言われるんだよねえ、ぜんぜんそんなことないのに」とこぼす。「へえ、そんなこと言われるんですか。客に怒るからですか」と僕。「違うよ、客に怒るのは、こっちだよ!」と白河さんを指す。すると白河さん「いや、別に怒りませんよ。10人くらいで来た客に『うちは、騒げない店ですよ』とびしっと言うだけですよ」。十分だ。川畑さん「いっそのこと、入口にど~んと高い敷居でも作ってやろうかと思っちゃうよ(笑)」 どこからともなく現れたマイケル鶴岡(三宿ソウルナッツ)「うちは鴨居が低いんだけどね」。 今にもニックが割り込んできそうなバカ話をしているうちに、約1時間。ニックの集骨の時間となった。ニックの葬儀に集まった弔問客の年齢は、それこそ10代から50代、60代まで本当に幅広かった。ニックにじかにダンスを教わった子供たちから、一緒にステップを踏んだ50代、60代まで、彼はその人柄からみんなに愛された。 +++ 記録。 勝本氏や、ニックさん、そして江守さんたちが残してきたものというのは、決してメジャーなものではなかったかもしれない。江守さんが言った。「僕らがやってきたものって、結局、アングラみたいなものじゃない。だけど、みんなそれに一途だった。やはり、そういうのは誰かが記録しないとだめなんだよね。カツが死んで、ニックがこうなって、もうおちおちしてられないよ。吉岡にも書いて欲しいけど、僕も小説、エッセー、一生懸命書いてるよ」 やりましょう、やりましょう。遅くなる前に。 ニックが残したソウル・ステップの集大成作品『ソウル・ステップ・アンド・ソウル・ダンス』(DVDで3枚になって発売)は、そんなアンダーグラウンド・カルチャーとしてのソウル・ステップの素晴らしい記録である。だが、僕はニックが動く姿を今日はまだ見ることができない。 華麗なソウル・ステップよ、ニック岡井さん、永遠に・・・。 60・70年代のソウル・ステップとソウル・ダンス version.B posted with amazlet on 07.11.20 ビデオメーカー (2006/03/10) 売り上げランキング: 15146 60・70年代のソウル・ステップとソウル・ダンス version.G posted with amazlet on 07.11.20 ビデオメーカー (2006/03/10) 売り上げランキング: 14798 60・70年代のソウル・ステップとソウル・ダンス version.R posted with amazlet on 07.11.20 ビデオメーカー (2006/03/10) 売り上げランキング: 17156 ENT>OBITUARY>Okai, Nick (9.29.1947 – 11.11.2007, 60) November 19, 2007Nick Okai’s Funeral Day One: His Memorial Song “My Girl” Was Played…【ニック岡井氏通夜~「マイ・ガール」が流れて・・・】 塊魂。 2007年11月11日60歳で逝去した日本のダンスクリエイターの第一人者、ニック岡井さんの通夜が18日、午後6時から品川の臨海斎場で行われ、700人近くの人が訪れ、故人を偲んだ。 祭壇には3枚の写真が大きく飾られている。向かって左にかっこよくダンスポーズを決めたニック、中央にDJをやっているニック、そして、アーティスト岡伸昭さんが作ったニックの足跡をキャンバスに記した作品『ニックのソウル・ステップ』制作時の記念写真だ。左隅にニックがDJをするときに使っていたレコードを入れるバッグが。そこからジャケットの端がぼろぼろになっているサム・クックの「ベスト・アルバム」が顔を出している。 室内の一般弔問席はすぐに埋まり、入れ切れない人たちが外で中の様子をうかがう。6時ちょうどに始まり、まず、「ニック岡井さんのルーツとなった曲を献歌します」とアナウンスされた。指を鳴らす音が聞こえたかと思ったら、なんと「マイ・ガール」のア・カペラ・ヴァージョンだった。ニックが17歳のときに聴いて、彼の生涯を決定付けた1曲だ。このア・カペラを聴きながら、ずっと僕は、たった1曲の歌が人に与える影響の大きさというものをつくづく感じていた。ニックはこれを聴いて、テンプスにあこがれ、彼らのような「テンプテーションズ・ウォーク」をしたいと思い、ソウル・ダンスに、ソウル・ミュージックにのめりこんだ。のめりこんで以来43年、ずっと一筋に走ってきた。すごいことだ。 そして、マーヴィン・ゲイの「セクシュアル・ヒーリング」がかかった。弔辞を述べたマイケル鶴岡さんは棺に横たわるニックに「『マイ・ガール』にマーヴィン・ゲイと言えば、もうニックさんが踊りだしそうじゃないですか」と声をかけた。 お坊さんのお経が読まれる中、延々と焼香の列が続いた。一度に9人焼香ができたが、結局最後の人が終えるまで1時間を越えた。後で聞けば親族関係者を除いて700人近い数に上った、という。その後、ニックへのお別れの機会が作られた。弔問客の中の一人の方が「ビール券、買ってきたからね。足りなくなったら、電話して」と言いながら、そのビール券を棺にいれた。ニックが好きだったタバコ「クール」を横の台にそっと置く人、缶ビールをそっと置く人、思い出の写真を置く人・・・。おそらく、700通りのニックへの思い出が渦巻いたことだろう。 弔問中流れていたソウルの曲の数々がみんなニックが好きな曲ばかりだったことに気付き、泣きそうになった。江守さんがニックの好きな曲ばかりを選んで作ったCDだった。隣にいた川畑さんにそれを言うと、「みんなニックの好きな曲ばかりだね」とぽつりと言う。マーヴィン・ゲイの「アブラハム・マーティン・アンド・ジョン」(泣ける)、アレサ・フランクリン「ベイビー・ベイビー・ベイビー」、インプレッションズの「ピープル・ゲット・レディー」(これも旅立ちには泣ける)、「ウー・チャイルド」・・・。どれをとっても、ニックがターンテーブルでDJをやっている姿が浮かび上がってしまう。「マイ・ガール」のア・カペラ・ヴァージョンも江守さんのアイデアだろう。これ以上ない最高の演出だ。 ちなみにこのア・カペラの「マイ・ガール」は普通に探してもどこにもない。1995年2月にリリースされた5枚組のボックスセット『エンペラーズ・オブ・ソウル』に「シークレット・トラック」として収録されているもの。アルバム・ジャケットやレーベルにも、「マイ・ガール」(ア・カペラ)のクレジットはないのだ。このボックスを持っていても、この存在を知らない人は意外と多い。 通夜に先立ち、『ソウル・ブレンズ』ではニック岡井トリビュートとして、ニックゆかりの曲をDJオッシーが渾身の選曲で2時間にわたってお送りした。ここに記しておきたい。(コーナー、ゲストコーナーでの楽曲は除く) (トップ)My Girl / Temptations オンエアー中、DJオッシーも「きっと、ニックさん、聴いててくれてますよ。ほら、ニックさんが降りてきた・・・」と言っていたが、このラインアップを短い時間の中でかけている間、ニックの顔とダンスが脳裏を駆け巡った。 僕は今後、「マイ・ガール」がどこからか流れてくるたびに、ニックのこと、ニックのこの葬儀のことを必ず思い出すだろう。「マイ・ガール」とニック岡井さんは、僕の中で強烈に「ひとつのもの」になった。「ひとつのもの」は目には見えないが「塊(かたまり)」であり、「魂(ソウル)」なのだと思う。 今日(11月19日=月)は同じ臨海斎場で告別式、朝11時から。盟友ミラクルの川畑さんは、18日にニックがDJをする予定だったイヴェントで、ニックの代わりにピンチヒッターDJとして登場する。告別式までの間、寝られなければ、起きたまま行く、と言って斎場をあわただしく後にした。 ENT>OBITUARY>Okai, Nick (9.29.1947 – 11.11.2007, 60) November 18, 2007Today’s “Soul Blends” Will Tribute To Nick Okai【今日『ソウル・ブレンズ』でニック岡井トリビュート、次週テンプス生ゲスト】 緊急。 11月11日(日)に逝去した日本R&Bダンス界の巨匠、ニック岡井さんをしのんで、今日の『ソウル・ブレンズ』(関東地区・インターFM76.1mhz=午後3時~5時)では、「ニック岡井トリビュート」としてお送りすることになった。ニックさんが好きだったテンプテーションズの作品などを選曲する。ニックさんは、これまでに3回ほど『ソウル・ブレンズ』にゲストで出演。踊りの魅力や、自らのソウル歴などを語っていった。 奇しくも盟友ドン勝本さんが亡くなった週(2007年4月19日の週)にはフレッド・ウェスリーらジェームス・ブラウン関係のアーティストが来日。ニックさんが亡くなった今週、テンプテーションズが丸の内コットン・クラブにやってくる。勝本さんのときは、ソウルメイト・ハセヤンとともに、勝本・ブラウンの2ショットの写真を額縁にいれて、フレッド・ウェスリーらのライヴに赴き、勝本さんに彼らのライヴを見せた。来週のテンプスには、ニックを連れて行こう。 また、来週の『ソウル・ブレンズ』(11月25日放送)では、そのテンプテーションズの中から、デニス・エドワーズとアリ・オリ・ウッドソンが生ゲストで登場することになった。デニスは、テンプス第二期の立役者、アリ・オリは続く第三期の立役者。また、今回は一時期そのテンプスのリード・シンガーの誘いを蹴った男の異名を持つデイヴィッド・シーもステージに上がり、いわばテンプス黄金のリード・シンガーの揃い踏みとなる。すでに今年のソウル界の最大級の話題を集めているデニス・エドワーズのテンプテーションズ・レビュー。そこからデニスとアリ・オリのゲストもお聞き逃しなく。 ■ニック岡井氏 葬儀詳細 11月11日に逝去されたニック岡井(本名・岡井邦彦)さんの葬儀詳細はは次の通り。 喪主 岡井佐和子 日時 通夜 2007年11月18日(日)午後6時~7時 供花申し込み取り扱い ■ 逝去関連記事 November 12, 2007 November 13, 2007 ENT>OBITUARY>Okai, Nick (9.29.1947 – 11.11.2007, 60)
November 17, 2007Yokohama’s Number 1 Soul Bar “Sugar Shack” Will Be Closed After 17 Years【横浜のソウルバー「シュガー・シャック」、2008年1月に閉店へ】 18年。 横浜のナンバーワン・ソウルバー「シュガー・シャック」が2008年1月14日をもって閉店することになった。11月4日、オウナーの石川さんがシュガー・シャックのホームページで発表、またメールで一斉配信した。 シュガー・シャックは、1990年8月、横浜元町・石川町の先にある麦田(山手)トンネルを越えたすぐ右側にオープンした老舗のソウルバー。横浜のソウルバーと言えば、シュガー・シャックと言われた名店。今年8月に17周年を迎えていた。オウナー石川さんによると、「次のステージに進むことにした」ということで、詳細はホームページのあいさつ文に書かれている。 http://www.sugarshack.co.jp/diary/index.html 石川さんのブログ↓ 石川さんに電話してみた。すると、石川さんが閉店の決意を書いたメールを送ったり、ホームページに発表すると連日何十通というメールがやってきて、返事もままならぬようになってしまった、という。「それだけ反響がすごいなら、その熱意に負けて、閉店を止めることはできないんですか」と尋ねると、「もうスタッフたちの次の就職先も決めちゃったんで、一人ではねえ・・・。ま、とりあえず、一旦閉めますよ」と淋しそうに言った。やはり、夜の仕事は本当に想像以上に体力的にきついらしい。 シュガー・シャックは、オープン以来、横浜ベイスターズの選手や、横浜にやってくるブラック系アーティストがライヴ後に立ち寄る店として有名だった。レコード・コレクション、また、映像コレクションは他の追従を許さず、特に映像はアメリカのテレビで放送されたもののエアチェック作品などが、多数コレクションされていた。 店名「シュガー・シャック」は、マーヴィン・ゲイのアルバム『アイ・ウォント・ユー』にも使われたブラックの画家アーニー・バーンズの絵画から取ったもの。 シュガー・シャックは個人的にも何度も足を運んだソウル・バー。マーチンさんと一緒に行って、マーチンさんの番組で紹介したこともあった。いやあ、あれだけ長い間安定して営業されているので、まさかクローズするとは。ひじょうに残念だが、これもしかたないのかもしれない。時代なのかな。とりあえず、閉店までに一度おじゃましたいと思う。石川さんの新たなる門出に祝福あれ! ■ソウル・ブラザース・バー 「シュガー・シャック」
November 16, 2007The Appreciation Of Philadelphia Museum Of Art With Mr. Oka【岡先生と鑑賞するフィラデルフィア美術館展】 講釈。 前々から企画していたソウル・サーチャー岡先生と見る『フィラデルフィア美術館展』に行ってきた。美術の先生でもある岡伸昭さんに解説してもらいながら、美術展を見ようという「ソウル・サーチン文化部」の企画。昼の1時半に上野の森、東京都立美術館前で岡さん、松尾夫妻らと待ち合わせ。 すたすた歩いていると、後ろから聞き覚えのある声。松尾さんだった。今回ここには、全77点が展示されているが、オープニングのときに岡さんが解説つきで話をしてくれたのがおもしろかったが、1時間半ではぜんぜん足りなかったので、フル・ヴァージョンをじっくりお願いしようということにあいなった。みんな、ノートとペンを持って、さあ出発。 今回の展覧会は大まかに5章に別れている。「写実主義と近代市民生活」「印象派とポスト印象派」「キュビスムとエコール・ド・パリ」「シュルレアリスムと夢」そして、「アメリカ美術」の5章。作品的には1865年くらいから1943年ころまでの約80年間。 岡先生、ノンストップで解説。「3大写実主義の作家としては、コロー、ミレー、クールベで・・・」「マネの『キアサージ号とアラバマ号の開戦』は、浮世絵の影響があるもので・・・」 マネの『キアサージ号とアラバマ号の開戦』(1864年)↓ 「ええ? なんで、なんで?」「こういう所からって、本当は絵が描けないんですよ。俯瞰する見方を取り入れていて、それは浮世絵の構図の影響があるんです。当時、浮世絵っていうのは、それこそ日本から何か送られてくるときの包み紙みたいなものだったんですけど、その絵にヨーロッパの人はものすごく興味を持ったんですね。マネは、この絵は新聞記事を読んで描いたので、実際にはこの場には行ってないんです」 「へええ」 「1870年代に入ると、チューブ入りの絵の具が開発され、画家が外に出て写生するようになった・・・」「チューブ入りの絵の具の開発は、ウォークマンの登場と同じね」「モネは晩年目をやられて見えなくなりつつあり、そうした焦りや苛立ちが例えば『睡蓮、日本の橋』などに見られる・・・」「ゴッホはものすごく思い込みの激しい人で・・・」 生徒は、「へえ」とか「ほー」とか、相槌を打ちながら、ときに質問などをしつつ進むが、ちょっと声が大きくなったりしたり、一作品の前でずっと解説を受けたりしていて渋滞を引き起こしていると、「もうちょっと静かにしてください」と係りの者に注意される。 「いわゆるシュールレアリスムというのは、非現実というか、絵の中に矛盾があったりするんです。例えば、キリコの『占い師の報酬』、よく見てください。時計は昼の2時前を指していますが、この時間ならこんなに影は長くならない。それから汽車の煙の向きと煙突からでる煙の向きが逆でしょう。ありえないんです」 「おおおっ」(みんな歓声)「シ~~~」 ジョルジョ・デ・キリコ『占い師の報酬』(1913年)↓ 「ダビンチは仕事がものすごく遅いんですよ、ミケランジェロは早くて、ラファエロはいろいろな良いとこどりをして、でも37歳の若さで死んでしまうんです」「それまで単一的視点から絵を描いてものをいくつもの視点で、多視点で見て、それをキャンバスに記したのがキュビズムの特徴です。これは1907年からほぼ10年くらいの期間にブームは終わっています」「へえ、美術の世界もブームが意外と短かったりするのね。ニュー・ジャック・スウィングと一緒だあ」「ピカソとかは、当時はけっこう前衛だったりするわけ?」「そうですね、前衛ですねえ」「じゃあ、プリンスみたいなもんですかねえ」 なんでも、ソウルに置き換えるところあたりが、ソウル好き連中らしいところ。 「マルセル・デュシャンが描いた『画家の父の肖像』は、デイヴィッド・T・ウォーカーみたいじゃない?」「いや、ちょっとクライヴ・デイヴィスにも似てるな・・・」 マルセル・デュシャン『画家の父の肖像』(1910年)↓ 「これなんて、マンハッタン・トランスファーのジャケットだよね↓」 フェルナン・レジェ『生き生きした風景』(1924年)↓ 色が圧巻で、目に焼きついたのはこれ↓ 岡先生曰く「これは、色が圧巻ですよね。この光の当て方。これを展示した個展(1909年)には、なんと16万人の人が見に来たそうです。もう超大人気画家ですよ」 「絵っていうのは、100年前のもの、150年前のものでも、こうやって現物が見られるわけですから、すごいですよね。音楽はせいぜいここ100年、といっても実際は数十年でしょう」「な~~るほど」 なんとこんな調子でてれてれやっていたら、岡先生3時間半しゃべり続けて、最後の第5章『アメリカ美術』のところは相当はしょった。時間が足りなくなったのだ。「まもなく、閉館です、お急ぎくださ~~い」と係員にまたまた促された。 近くでやっていた「ムンク展」「シャガール展」とか、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」でもやってもらいましょう、って話しになった。そして、帰りの車はフィリー・ソウルでゴー・ゴー・ゴー。 ENT>ART>Philadelphia Museum Of Art November 15, 2007Ledisi Tokyo Live【ギブスをはめたソウルシンガー、レデシー・ライヴ】 ギブス。 日本盤はまだ出たばかりでほとんど輸入盤リリースだけなのに、異様に玄人筋に人気が高いベイ・エリア、オークランドのブラック・シンガー、レデシーの東京・初ライヴ。来日はかつて大阪ブルーノートに来ているので2度目となる。僕は2003年、サンフランシスコのピアニスト、サヤからレデシーのことを聴いた。彼女のアルバム『デスティネーション・ファーアウェイ』で1曲歌っている。その前後にレデシーのファーストアルバムを聴いて印象に残った。 ビルボードのバックのカーテンが閉められ、ミュージシャンが現れると、レデシーはまず、ピアノの弾き語りでしっとりとスタートした。驚いたことに右手に白いギブスをしている。一見、レイラ・ハザウェイのようないでたち、容姿。レイラよりかなり迫力のあるR&B系シンガーという感じだ。驚いたのは、話し方や歌い方がずいぶんとわがソウルシスター、ブレンダ・ヴォーンと似ていること。「みんなそういうわね、まあ、同じオークランドだからかしら」とブレンダは笑う。 バンドは、ドラムス、ギター、ベース、キーボード2、コーラス1という6人編成にレデシー。ファンキーなR&Bとジャズ的要素を適度に混ぜ合わせた音楽性。レイラとブレンダをあわせて2で割ったような感じだ。このバンド編成で約3ヶ月とのことだが、けっこうまとまっていてタイトだ。こういうストレートなR&Bバンドが最近少ないだけに嬉しい。 個人的に印象に残ったのは、ビリー・ホリデイの「ゴッド・ブレス・アワ・チャイルド」をほぼピアノをバックにソロで歌いあげたところ。この日は事前にセットリストをもらったのだが、実際はまったくセットリストとは違っていた。この「ゴッド・ブレス・・・」はリストにも載っていなかった。この曲を歌う前、彼女はピアノのトニーのところに行き、ちょっと話をしていたので、その場で歌うことを決めたのだろう。おそらく変幻自在に楽曲を裁けるものと見た。 ショーの後、ブレンダがレデシーを紹介してくれた。「そのギブスは?」「4週間前からやってるの、ちょっと怪我してしまって。あと4週間くらいかしら。ははは」えらく人懐っこい。 口でDJスクラッチみたいなのをやったり、スキャットを連射でやってみたり、女版アル・ジャロウの趣も。前日にやったらしい、アース・ウインド&ファイアーの「デヴォーション」のカヴァーは聴きたかったなあ。 ■ レデシー最新作『ロスト・アンド・ファンウド』 ロスト・アンド・ファウンド posted with amazlet on 07.11.15 レデシー レデシー feat.カレン・ブリッグス レデシー feat.ラサーン・パターソン ユニバーサル ミュージック クラシック (2007/11/07) 売り上げランキング: 53870 ■ メンバー Ledisi (Vocal) ■セットリスト Show started 21.32 (2007年11月13日火曜、六本木ビルボード・ライヴ=レデシー・ライヴ) November 14, 2007Dazz Band : They Love Party, We Love Party,【ダズ・バンド、パーティー・オールナイト】 腹筋。 1982年に「レット・イット・ホイップ」の大ヒットを放ち人気を集めたファンク・グループ、ダズ・バンド。2006年6月以来約1年5ヶ月ぶりの来日。初来日がおそらく1986年12月の渋谷ライヴインだと思われるので、およそ21年にわたり日本に来ていることになる。 昨年との違いはベースのネイト・フィリップスが来日せず、変わりに「KC」ことカート・クレイトンがキーボード兼ヴォーカルで参加したこと。このKCは実にあちこちのバンドに顔をだし、よく来日する。最近だけでも、ギャップ・バンド、レイクサイド、シャラマー、そして、ダズで来日。ファンキー・バンドに彼の影あり、といった感じだ。かなりファンキーなキーボードプレイなので、こうしたバンドでそのプレイが爆発する。 もうひとりのキーボード、「ウイザード」とも呼ばれる男レジー・ジョーンズはジョニー・ギル、SOS、アン・ヴォーグ、TLCなどとともにプレイしてきた。 リード・ヴォーカル、スキップ・マーティンはしっかり体をエクソサイズしているようで、6パックではなかったが、腹筋が割れていた。このスキップを紹介するときに、「元ダズ・バンド、元クール・アンド・ザ・ギャング、元ダズ・バンド、元ダズ・バンド・・・」と何度かやめたり戻ったりしている様子をおもしろおかしく言っていた。そう、彼は一時期クールからリードのJTが抜けた後にクールのリードにはいった人物だ。クールを辞めてまた、ダズに戻ったりしている。それを思うと、なんとなく、動きとか歌い方とか、JTテイラーに似ていなくもない。 ボビー・ハリスがリーダーであるバンド演奏は、昨年同様、タイトでかっこよく、ファンキーでグルーヴ感があり文句なしだ。こういうパーティー系のファンク・バンドは間違いない。マーロンのギターのカッティングなども、実にかっこいい。それぞれのミュージシャンのソロ・パートも適宜織り交ぜられ、いいバランス。スローバラードでは、スキップが観客席に下りてきて、「ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」のワンフレーズを歌いながら、女性客に言い寄ったりした。お尻をパンパンする振りもはいった「レット・イット・ホイップ」の振り付けもちょっと可愛い。 珍しい選曲はアンコールで演奏された「グレイジン・イン・ザ・グラス」。アップテンポの、フレンズ・オブ・ディスティンクションのヒットだ。他は大体昨年と同じセットリスト。 客席にクリスタル・ケイちゃんがお母さんらと来ていた。ちょっと話をしたら、「みんな私が生まれる前の曲だけど、知ってる曲もあったわ」とのこと。そうだ、「レット・イット・ウイップ」は1982年のヒットだ。クリちゃん生まれる4年前のことだ。 ■ 過去関連記事 July 25, 2006 July 26, 2006 ■ メンバー THE DAZZ BAND Bobby Harris(vo,sax), Skip Martin(vo,tp), Marlon McClain(vo,g), Kurt Clayton(vo,key), Reginald Jones(b,key), Raymond Calhoun(ds) ■ Setlist : Dazz Band @ Cotton Club, November 11, 2007 show started 20.01 (2007年11月11日、丸の内コットンクラブ=ダズ・バンド・ライヴ) November 13, 2007Nick Okai Tribute: “My Girl” Is A Song Made His Life Change【ニック岡井トリビュート~ニックの人生を変えた1曲】 思い出。 ニックは、生涯一ソウルDJだった。ニックの選曲は誰も真似できなかった。ニックが選ぶ曲を他の人がかけても、ニックがかけるようにはならなかった。 ニックは、生涯一ソウル・ダンサーだった。ニックのダンスは誰も真似できなかった。ニックが踊るように真似しようにも、誰もニックのようには踊れなかった。 逝去する一日前の土曜日も白金ダンステリアでのレギュラーDJをやるつもりでいた。ただし、その日は「ちょっと体調悪いから休むわ」と一本電話をいれていた。そして、11月11日も新宿のソウルバー「ジューク・ジョイント」の周年パーティーにちょっと顔を出すつもりでいた。 確かに勝本氏死去のときには、かなりニック自身が憔悴しきった感じはあった。痩せたなあとも思った。だが、まさか・・・。昨夜マイケル鶴岡氏から電話連絡をもらったときも、「嘘だろっ」と思った。すぐにみんなが集まっている三宿のソウルナッツに行った。 ニックが2003年5月、『ソウル・ブレンズ』に遊びに来たとき、何曲か選んだがその1曲にテンプテーションズの「マイ・ガール」があった。ニックはそのときこう答えていた。「この曲、リアルタイムで聴いてたんですよ。向こう(アメリカ)ではやっていた頃。やっぱりね、僕は、これ聴いて何十年とここまでやってきたような感じなんでね。この曲だけは、お墓に入るときもこの曲を流して欲しいな、って思って。(笑) それくらい好きです!」 流しましょう! 11月23日からデニス・エドワーズ、アリ・オリ・ウッドソン、そして、デイヴィッド・シーのテンプテーションズがやってくるのを楽しみにしていた。ニックは川畑さん(赤坂ミラクル・オウナー)らと一緒に行く予定だった。川畑さんが言う。「ニックから電話あってさ、テンプス行きたいから、予約しといてって言われて、日曜、予約しといたんだよ。それも先行予約だよ」 僕がニックに初めて会ったのは、1973年の5月か6月頃だと思う。当時僕はアメリカからソウルのシングル盤を輸入していて、それをあちこちのディスコに売り始めていた。最初六本木のエンバシーに行って、そこの勝本さんから新宿ゲットのニックを紹介された。レコードを持っていくと、最初はちょっと怖かったが、すぐにお互いソウルが好きだということがわかると、すぐに打ち解けた。最初のうちは店で話をしていたが、何回か通ううちに、僕が行くとニックはDJを若手に任せ、近くの喫茶店に行き、レコードを選んだり、ソウルの情報交換をするようになった。その後、彼が六本木の「インフィニティー」に移ると、そこにも行った。なにより、ジェームス・ブラウン関係のレコードには目がなかった。普段はけっこう曲についてあれこれ聴いてからシングルを吟味していたが、ピープル・レーベル(ジェームス・ブラウンのレーベル)の作品群だけは、見ただけで選んでいた。 「マイ・ガール」をきっかけにソウルの世界、ソウル・ダンスの世界に足を踏み入れて42年。ニックが踏み鳴らしたディスコ・フロアの足跡(あしあと)は、日本のソウル・ステップ史の足跡(そくせき)だ。 聞けばニックは医者から酒を止めるように言われていたが、隠れて飲んでいたらしい。それで肝臓はやられた。ソウルをこよなく愛し、酒を愛し、ソウル・ダンスを愛したニック岡井さん。安らかに・・・。 いや、天国で勝本さんとまた「キング・オブ・ソウル」か? ■以下、さっとニック関連の過去記事を。 2003/05/26 (Mon) 2003/05/27 (Tue) 2003/05/30 (Fri) 2003/09/30 (Tue) 2003/11/10 (Mon) 2004/06/18 (Fri) December 22, 2005 March 11, 2006 April 20, 2006 August 5, 2006 September 11, 2006 April 26, 2007 April 28, 2007 June 24, 2007 ENT>OBITUARY>Okai, Nick (9.29.1947 – 11.11.2007, 60) November 12, 2007Nick Okai’s Funeral【ニック岡井氏・葬儀の予定】 葬儀。 11月11日に逝去されたニック岡井(本名・岡井邦彦)さんの葬儀詳細はは次の通り。 日時 通夜 2007年11月18日(日)午後6時~7時 供花申し込み取り扱い 供花は、上記「池牧」店へご連絡ください。 ENT>OBITUARY>Okai, Nick (9.29.1947 – 11.11.2007, 60) Nick Okai Dies At 60【ダンス・クリエイター、ニック岡井氏60歳で死去】 死去。 日本のソウル系ダンス・クリエイターであり、多くのソウル・ステップのダンスを考案し、また現役ソウルDJとして活躍、ソウル・ミュージック業界に大きな足跡を残したニック岡井氏(本名・岡井邦彦)が2007年11月11日(日曜)午後、東京都港区の自宅で死去した。60歳だった。長く肝臓の病気を患っていた。通夜は11月18日(日曜)(18時)、葬儀は11月19日(月曜)(午前11時)、臨海斎場(東京都大田区東海1丁目3ー1)で行われる。喪主は妻・佐和子さん。 11日は朝、妻佐和子さんがでかけたときは元気で、午後2時頃には友人と電話したことが確認されているが、7時過ぎに佐和子さんが帰宅したときには冷たくなっていた、という。現在、遺体は警察に移され、死亡原因、推定時刻などが調べられている。肝硬変で何度か入退院を繰り返していた。この8月にも一時的に入院していた。しかし、9月29日の恒例誕生日イヴェント、また10月の「ニック岡井の還暦を祝うハワイツアー」(10月12日から4泊6日)には若干元気はなかったが、しっかりと参加していた。 ニック岡井氏は、1947年(昭和22年)9月29日神奈川県生まれ。ニックネームの「ニック」は9月29日生まれと、本名「邦彦」の音の響きから。1960年代後期から新宿の「音楽をかけて踊る」いわゆる「踊り場」などに出入りするようになり、ソウル・ミュージックと出会い、その魅力に惹かれる。新宿の喫茶店「ジ・アザー」(1966年頃から)や「PGS」(1968年頃から)などに出入りし始める。1966年頃、友人で踊り好きだったクック豊本氏、チャッキー新倉氏とともに歌って踊るグループ「クック・ニック&チャッキー」を結成。ライヴ活動を開始。1970年シングル「ライダー・ブルース」でデビュー、その後「僕の彼女は三つ年上」、さらに1971年に「可愛い人よ」をリリース。「可愛い人よ」はリリース当初はヒットしなかったが、新宿ゲットで頻繁にプレイしたところ、徐々にヒット、全国のディスコで人気を集めた。しかし、グループは1972年に解散。その後、ニックは新宿ゲットでディスコDJとして活動したり、また数々のダンス・ステップを考案したりして、日本のソウル界、ダンス業界に大きな足跡を残した。ニックが考案したステップで有名なものには、レア・アースの「ゲット・レディー」、「可愛い人よ」、「セクシー・バスストップ」など。日本のソウル系ダンス・ステップの第一人者。ディスコ創世記からかかわり、ディスコ全盛期をリアルタイムで生き、多くのステップを残した人物である。 所属していたディスコは、1971年からの新宿「ゲット」、1979年から六本木「インフィニティ」、1984年から白金「ダンステリア」など。 1990年、フジテレビで『ダンス・ダンス・ダンス』というテレビ番組が生まれるにあたってダンスチーム、「キング・オブ・ソウル」を故ドン勝本氏、マイケル鶴岡氏と結成。同番組のレギュラー化に伴い、毎週番組内で華麗なダンスを繰り広げた。このキング・オブ・ソウルは1991年バブルガム・ブラザースの武道館の公演で踊ったり、その後歌にも進出、1993年には「可愛い人よ」をリメイクして発表、話題を集めた。 最近は「ダンステリア」でのレギュラーのほか、高井戸クラブでのイヴェント、浅草AIクラブでのイヴェント、あるいは地方でのディスコ・イヴェントなどに多数出演していた。 日本のディスコ界でのステップの歴史を映像で捉えた教則ビデオ「ソウル・ステップ・アンド・ソウル・ダンス」が2000年に制作され、ここでニック氏が曲にあわせて踊り方を指導している。これは当初ビデオで発売されたが、2006年、装いも新たにDVD化されリリースされた。 盟友ドン勝本氏が4月19日に逝ってから7ヶ月もしないうちの旅立ちということになる。ご冥福をお祈りする。 +++++ 今、ブラザー・コーン、江守さん、マイケルたちと三宿のソウルナッツで会っていましたが、ニックさんについてはまた、あらためて書きます。もう力が一気に抜けました。ニックさんとは1973年に会って以来なので、34年ということになります。最後に会ったのは、勝本さんの葬儀だったかなあ。 なお、ダズ・バンドのライヴ評は今日掲載予定でしたが、明日以降に掲載いたします。 +++++ ENT>OBITUARY>Okai, Nick (9.29.1947 – 11.11.2007, 60)
November 11, 2007Jamie Aaron Kelley: The Legacy Of Elvis Is Here To Stay【エルヴィスの魂、降臨か】 そっくり。 エルヴィス・プレスリーはアメリカの雑誌フォーブス誌の調査で一昨年(2005年)まで物故者年収ベスト・ランキングで5年連続1位になっていた。年に5000万ドル(約60億円)以上稼いだ年もある。昨年、カート・コベインに1位を奪われたものの、今年(2007年)10月末に発表された最新版で4900万ドルを稼ぎ再び1位に返り咲いた。 http://articles.moneycentral.msn.com/Investing/Forbes/TopEarningDeadCelebrities.aspx 「死して財を成す」ではなく「死して財を生み出し続ける」といった驚異的なアイコンだ。そして、そのエルヴィスのレパートリーをすべて覚え、そっくりに歌えるというシンガー、ジェイミー・アーロン・ケリーがライヴを行った。バックの編成はドラムス、ギター2人、ベース2人、キーボード、ホーンセクション3人、コーラス2人計11人。そして観客層は圧倒的に「団塊の世代」。みな30年~40年以上も前の青春時代にエルヴィスを好きだったのだろう。 興味津々で行ったが、これがまあ、よく似てる。ほんと、驚いた。アメリカでも大人気になるわけだ。動き方、歩き方、腰の振り方まで実によく研究している。話し方も、あのエルヴィス独特の南部訛りを自然に醸し出している。特に「…and ah…」とか「but ah…」といったあたりが実にうまい。エルヴィスの自伝映画ができるときには、ジェイミーは間違いなく主役候補だ。 また、バック・バンドが日本人ながらシンプルで息があっていて、ロックンロール、ロカビリーなどが上手。ウッドベースの人が作り出すロカビリー的なグルーヴ感には大変感心した。また、1曲が2-3分とみな短いのでテンポよくショーが進む。観客を立たせて簡単なダンスを踊らせた「アイ・キャン・ヘルプ」では全員が手を左右に動かすダンスをした。観客裁きもお手のもの。 アンコールが終わったところで、大のエルヴィス・ファン湯川れい子先生が花束をジェイミーに渡し、しっかり頬にキスをもらい、にこにこしながら通路を席まで戻っていった。すばらしい。 Setlist : Jamie Aaron Kelley @ Sweet Basil, 2007/11/09 Show started 19:29 (2007年11月09日金曜、六本木・スイートベイジル=ジェイミー・アーロン・ケリー・ライヴ) November 10, 2007Philip Woo With Maxyan: Philip Dedicates Show To His Father【フィリップとマクサンのライヴ】 適材適所。 東京一ファンキーなキーボードプレイヤー、フィリップ・ウーがいつものバンドでおよそ2ヶ月ぶりにブルース・アレーに登場。ジェイ・スティックス(ドラムス)、クリフ・アーチャー(ベース)、ハンク西山(ギター)、そして、フィリップのキーボード。これに、ゲストで小林香織ちゃんがサックス、もうひとりキーボードでガクシくんという若手が参加。フィーチャード・ゲスト・シンガーがマクサン・ルイス。 マクサンは比較的長い時間のライヴをするのはかなり久しぶりということで、若干最初は固めだったが徐々に暖まった感はあった。フィリップが言うように、彼のライヴは「常にジャム・セッション。時間と予算があれば、何度もリハーサルができるが、それがない中、ぎりぎりでやらなければならないので、ある意味で完全なライヴ・ショーというよりジャム・セッションという感じになってしまうんだ」というもの。 そういうわけで各セット冒頭の2曲は彼の好きなアーティストのインストゥルメンタル曲を配置する。バンドは本当にタイトでかっこいい。しかし、1曲が若干長すぎる嫌いはある。2曲でだいたい30分近い。 ファースト3曲目でマクサン登場。いきなりアン・ピーブルスの作品を。彼女にはこういう南部ソウル系、あるいはオールド・スクール系のものがあっている。またここから入ったキーボード奏者のガクシ(藤川学史)くんは初めて見たが、体でパフォームする実にファンキーなキーボード奏者で一目見てとても気に入った。帽子をかぶって、一見ラッパーのようないでたちで、頭を思い切り振りながらキーボードでリズムを刻む。ソウル系にはもってこいのキーボード奏者だ。 マクサンが歌った中で圧巻だったのは、セカンドセット5曲目の「アイヴ・ビーン・ラヴィング・ユー・トゥー・ロング」。フィリップは「この曲は、僕には涙が思い浮かぶ」と言った。マクサンはこう前置きした。「私 はたくさんのシンガーに影響を受けてきました。これから歌う曲は、私が影響を受けたシンガーのひとりの作品です。オーティス・レディング。彼に捧げます」と言って歌い始めた。さすがに歌いこんでるだけあって見事。この日彼女が歌った作品の中では一番の出来だった。途中、観客からもやんやの喝采を浴び、歌い終わるとスタンディング・オヴェーションまで。こういうディープな曲が彼女には絶対にあっている。この日の中ではレイラ・ハザウェイ、ブレンダ・ラッセル、シャーデーの曲などはちょっとあっていない。もちろん逆にそういう曲があうシンガーもいるのでシンガーにはそれぞれ向き不向きの曲があるということだ。適材適所だ。マクサンの歌で、アレサやグラディス、シャカ、パティー・ラベル、エタ・ジェームス、ミリー・ジャクソンあたりの作品を聞いてみたい。あるいは『ドリーム・ガールズ』の「リッスン」や「アンド・アイム・テリング・ユー・・・」あたりもどんぴしゃだろう。 さて、本編最後の曲をやる前にフィリップは言った。「この曲は僕が書いた曲です。この前シアトルで父に会いました。今夜を父、お父さんに捧げます。彼はこの地球上で最高の人です! (拍手) 今夜、この曲をお父さんに捧げます」 そして「ロード・トゥ・ゼア」。途中でフィリップは泣いていたようだ。後で聞くと「お父さんは86歳で、今病気で、とても心配しているから」とのこと。「じゃあ、今日の同録をお父さんに送ったら」と言うと「はずかしいから嫌だ」と言う。「いや、恥ずかしくても、絶対に送りなよ。Don’t be shy! 後悔するよ」と押す。「ちょっと考える」とフィリップ。フィリップは5人兄弟の末っ子。お母さんは30年くらい前に亡くなり、ステップマザーに育てられたそうだ。彼女はまだ元気だ。 ■ フィリップ・ウー・バンド・フィーチャリング・マクサン・ルイス次回ライヴ "FLASH Disc Ranch presents 25th Anniversary Party" ■ メンバー(@ブルース・アレー) Philip Woo (HAMMOND B-3/Harp), Maxayn(Vo), Hank Nishiyama (G/Vo), Cliff Archer(B), Jay Stixx(Ds), Gakushi Fujikawa(Key) Setlist : Philip Woo Band Featuring Maxyan Lewis, @Blues Alley, November 8, 2007 First set Second set (2007年11月8日木曜、目黒ブルース・アレー=フィリップ・ウー・バンド・ライヴ) November 09, 2007Jamie Aaron Kelley Share Same Birthday With…【エルヴィスを受け継ぐジェイミー・アーロン・ケリー、週末に日本公演】 エルヴィス。 日曜日『ソウル・ブレンズ』(インターFM76.1mhz、15時~17時)に今週ライヴのために来日したシンガー、ジェイミー・アーロン・ケリーがゲストとしてやってきた。ジェイミーは、あのエルヴィス・プレスリーの物真似パフォーマンスをしてアメリカで人気となったシンガーだ。入口で迎えると、皮ジャンを来たジェイミーはどことなくエルヴィスに似ていないこともないが、とてもいい雰囲気のアメリカンな若者だった。 本番になるまで雑談をしていたのだが、彼はアイオワ州の1万2千人ほどのアメリカ人でも誰も知らないような小さな街出身。アイオワというと思い浮かぶのが世界的ベストセラーとなった小説『マディソン群の橋』だが、その舞台となったところは車で1時間半くらいらしい。両親が音楽好きで、特にお父さんちょっとしたエンタテイナーで、ステージで歌ったりしていたが、エルヴィスの大ファンだった。 何年生まれか聞くと「1980年、2月」との答え。「日にちは?」「シックスティーン(16)」。「エエエエエッ???」 「同じなのかい?」とジェイミー。「同じだ!」 そして、例によって、「この日はね、ジョン・マッケンロー知ってる? テニスの。同じ日。ジェームス・イングラム、ソウル・シンガー、同じ日」 「ジェームス・イングラム? う~ん、わからない・・・」「マーヴィン・ゲイの『アイ・ウォント・ユー』知ってる? あれを書いたレオン・ウェア」「おお、その曲は知ってる・・・」「あと、北朝鮮のキム・ジョン・イル・・・」「(怪訝そうな顔)??」 一緒にいた今回の来日をコーディネートされているNさん(日本人)に「他に、日本では高倉健とか、逸見正孝さんとかいます」と伝える。彼は言う。「エルヴィスの誕生日は、1月8日、それをダブルにすると、僕の(誕生日)になるんだ。1-8が2-16ね」「おおおっ」 ひとしきりあった後、僕は彼に言った。「僕は君の誕生日は決して忘れないよ!」(当たり前だが・・・) さて、ジェイミーのライヴは今週末2日間ある。初日は、比較的オリジナルを中心に、そして、2日目はエルヴィスの1969年8月のラスヴェガス・ショウのライヴパフォーマンスをそっくりそのまま再現する。 ジェイミーによれば「これは、それこそ、衣装、エルヴィスがしゃべった台詞(セリフ)、動き、歌はもちろん、マイクなどもそのときのものを使って再現するんだ」という。彼にとってエルヴィスは「さまざまなタイプの音楽をやってきた人。ロックン・ロール、ソウル、カントリー、ゴスペル、ブルーズ・・・。だから、エルヴィスをそっくりそのままやることも大事だが、自分のオリジナル作品にも、そうしたあらゆるジャンルの音楽を取り入れていこうと思っているんだ」と語る。 『ソウル・ブレンズ』では、マーヴィンとジェイミーのちょっとしたエルヴィス物真似対決なども起こり、けっこう盛り上がった。 ジェイミーのミドルネーム「アーロン」はエルヴィスと同じだ。「そうなんだよ。本当は父は、ミドルネームにエルヴィスとつけたかったらしい。(笑) ジェイミー・エルヴィス・ケリー、ってね。でも母がそれは『トゥ・マッチ(やりすぎ)』だと言って、結局、エルヴィスのミドルネームに落ち着いたんだ」と笑う。もちろん、ジェイミーが生まれたときには、すでにエルヴィスは故人であった。 今回はディナー・ショー・スタイルになるので、ちょっと値段が高いが、主催者によるとそれでも赤字だそうだ。熱心なエルヴィス・ファンの方は、チェックされてみてはいかがだろう。 ■ ジェイミー・アーロン・ケリー・ライヴ 日時 2007年11月9日(金)開場18時、開演19時30分 ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Kelley, Jamie Aaron November 08, 2007Maru First Full Show At Blues Alley: With Surprise Guest【マル、ブルース・アレー・デビュー】 堂々。 これまで『ソウル・サーチン』などのゲストで目黒ブルース・アレーのステージには何度か立っているR&Bシンガー、マルが初めて同地で単独でライヴを敢行した。バンドはこのところすっかり固まってきているメンバー、そして、若干の新曲を加えマルの小気味よいステージ・パフォーマンスが繰り広げられた。観客は6-4くらいで女性が多い感じ。マルによれば「6.5対3.5くらいじゃないですか」とのこと。 安定感もあり、堂々とした歌いっぷり。ステージ裁き。ファーストで圧巻だったのは、バックコーラスの長谷川雅洋(はせがわ・まさひろ)くんとのデュエットで歌ったスティーヴィー作品「ノックス・ミー・オフ・マイ・フィート」。前回は彼女がひとりで歌い、ずいぶんと彼女にあっているという印象だったが、雅洋くんの声が、超ユニーク、ソウルフルで、実にいい出来だった。それにしても、この声は『声だけで顔になる』、相当すごい個性がある。前にも思ったが、バックシンガーとしては目立ちすぎるほどだ。22歳の現在大学生。 彼はセカンドの「カム・インサイド」でも歌を披露。どこかそのソウルフルな歌声がアンソニー・ハミルトンを彷彿とさせた。マルのお得意のマリーナ・ショウの2曲は、もうこれは毎回、笑いもとれるトークと抜群の歌で、すっかり自分のものにしている。メロディーをつけたMCは、ますます磨きがかかっている。また、今回初めて披露されたアース・ウインド&ファイアーの「シャイニング・スター」はどこかシャカ・カーンを思わせるアレンジでひじょうにマルにあっていた。シャカっぽいな、と思ったら春先に出た『アース・ウインド&ファイアー・トリビュート』のCDでのシャカのヴァージョンを元にしていた。今までありそうでなかったが、この1970年代ファンク風もマルにはかなりあっている。 マルは『日本のジル・スコット』とよく表現されるが、こういう曲を聴いていると『日本のシャカ・カーン』と言ってもいいかもしれないとも思う。マルはジャズもソウルもファンクもシャウト系コテコテも歌うしね。 「オーディナリー・ピープル」もいい表現力で、ジョン・レジェンドとは違う味わいを出す。うまい。そして、観客にtake it slow, babyを何度も歌わせる。観客も覚える。 そして、彼らが一旦ステージを去ると、観客の中からどこからともなくそのメロディー(take it slow, baby)のところが、「アンコール、アンコール、ベイビー」となって歌われ始めた。いやあ、びっくり。 さて本日のサプライズ。アンコールになってシークレット・ゲストがいるとマルが発表。なんと、マルがこの秋ソロ・ライヴでバックをつけたゴスペラーズの黒沢薫さんが、サプライズで登場。2007年7月1日の『ソウル・サーチン~ルーサー・ヴァンドロス』の回で黒沢さんとマルがデュエットした「ソー・アメージング」を歌うではないか。2人のデュエットは、スティーヴィーとビヨンセのヴァージョンを元にしているが、デュエット得意の黒沢さんとマルのコンビネーションはいい感じだ。さすがに黒沢さんはまずはトークで客をつかみ、そして歌で観客の心をぐっとわしづかみにした。曲最後のところでは、観客に『小さな声でマ~~~ル』(マ~~ル) 『今度は大きな声でマ~~ル』(マ~~ル!)と歌わせ、見事にコール・アンド・レスポンスを成立させた。しかも、これがリハもなし、その場で突発的にやったというのだから恐れ入る。 実は黒沢さんとセカンドを一緒に見ていたのだが、彼もバックコーラスの雅洋くんが気になったようで、「あれは、誰、何者?」とさかんに興味を持っていた。ということで、ライヴ後黒沢さんに雅洋くんを紹介し、今回は彼とゆっくり話をした。 マルは結局、ファーストとセカンドをあわせると2時間以上歌ったことになり、客席もほぼいっぱいになり、彼らを満足させ、十分第二回ができそうだ。歌うマルのほうも、観客との距離感が近すぎることもなく、でも、ちょうど近くて、またPAの音響もよくひじょうに歌いやすいということで、このブルース・アレーの会場を大変気に入った、という。マル、堂々のブルース・アレー、デビューだ。 ■マル過去関連記事 September 13, 2007 May 15, 2007 ■MARU バンドメンバー 林田“pochi”裕一(key) ■マル・オフィシャル・ページ ■セットリスト First Set Second set (2007年11月7日水曜、目黒ブルース・アレー=マルmaruライヴ) November 07, 2007Takayama Hiroshi @ Martano : He Made “Away” Home【高山広、アウェイで大奮闘する】 ホーム。 一人芝居とは、一人でさまざまな人格、物格(物の人格のようなもの)を演じるパフォーマンスだ。特にこの高山広は、地球上の、いや、地球のみならず宇宙中のあらゆる物になりきれる。そして、言葉遊びと状況設定が抜群にうまい。すでにネタ数は600とも700とも言われる彼のパフォーマンスは、どこをとっても観察力と想像力の見事な集大成だ。 イタリアン・ピッツエリア「マルターノ」で行われた高山広の『おキモチ大図鑑』では、例えば、彼はテレビになったり、傘立てになったり、体の臓器になったり、星になったりした。若干、最初のあたりは、観客との距離感がつかめなかった感もなきにしもあらずだが、徐々に観客を「高山広の世界」に引きずりこんだ。 見どころはいくつもあったが、『TV MAN』でのチャンネルのザッピングをものすごい勢いでやって、そこに映し出される作品が時間を追って、次々とでてくるところなど、見事。最後はちゃんとNHKの「君が代」で終わっている。 僕が個人的にもっとも気に入ったのは、『機械(メカ)に強い男』。スイカの料金が80円足りなかったばっかりに、ゲートが開いてもらえず、当り散らす酔っ払いから、自販機に向かってごねる男まで、機械に対して強く物申すところが実におもしろい。高山さんによれば、これは十年くらい前に一部ができて、徐々に増やしたりして完成してきている、という。この日は演じなかったが、携帯電話とのやりとりのシーンもあるそうだ。 唯一、ちょっと気になったのが音響関係。やはり会場が若干広いので彼の声が後ろのほうにいると聞き取りにくかった。ただ、これは、例えばマイクをピンマイクにするなり、PAをしっかりすればすぐに解決する問題なので、次回以降はぜひ。 それにしても滑舌が実にいい。1時間半以上、ほとんどいい間違えなどもなかった。返ってきたアンケートによると概ね好評だったようだ。彼はまた、この「アウェイ」の場も、最後には「ホーム」にしてしまったようだ。 Setlist : Takayama Hiroshi @ Martano, November 6, 2007 Show started 20:14 (2007年11月6日(火曜)、藤が丘マルターノ=高山広ライヴ)
November 06, 2007Amerie Live @ Billboard Live【エイメリー・ライヴ@ビルボード・ライヴ】 見栄え。 韓国とアメリカのハーフであるR&Bシンガー、エイメリー、過去2回プロモーションで来日。今回は3度目の来日だが、一般公演は初。バンドは、ドラムス、ギター、ベース、キーボード、ダンサー2人という編成。約62分、次々とヒット曲やアルバム収録曲を見せた。 最近のR&Bバンドの典型なのか、キーボードがほとんどの音をつかさどる。おそらく、ドラムスやベースの音などもキーボードからの打ち込み音が主体。一応ドラマーもいて、一見叩いているが、打ち込みの音にキモチかぶせるという感じ。女性コーラスもそこにいなくてもどこからか出てくる。最近、シンガーはいないのにコーラスが出てくることがとても多い。これは個人的にはビミョー。 そうしたことはさておきエイメリーはスタイルもよく、かわいい。最近のタイトなR&Bサウンドはいかにも今風。ダンサー3人と一緒に踊ると、見栄えはする。それと曲が次々と小気味よく代わっていくのがいい。観客は、さすがに若い人が多かった。 ビコーズ・アイ・ラブ・イット posted with amazlet on 07.11.06 エイメリー SE7EN ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル (2007/07/18) 売り上げランキング: 39017 ■ 過去ライヴ評 April 12, 2005 ■ セットリスト Show started 21:54 (2007年11月5日月曜、六本木・ビルボード・ライヴ=エイメリー・ライヴ) November 05, 2007More Soul Searcher Related Live Will Follow【ソウル・サーチャー関連ライヴ、今週まとめて3本】 続々。 これまでに『ソウル・サーチン』のイヴェントに出演してくれたソウル・サーチャー関連のライヴが、今週あいついで行われる。簡単にまとめてみた。高山広、マル、そして、フィリップ・ウーだ。 ■ 高山広 『ソウル・サーチン~ルーサー・ヴァンドロス』(2006年7月1日)で、ルーサーの一人芝居を演じて大好評を得て、その後、『ソウル・サーチン~アレサ・フランクリン』でもアレサについての一人芝居を演じた高山広さんが、今週11月6日(火曜)、東急田園都市線「藤が丘」駅前のイタリアン・ピッツェリア「マルターノ」で一人芝居を演じる。 October 01, 2007 ◎高山広の一人芝居「おキモチ大図鑑」@マルターノ 高山広・公式ウェッブ ■ MARU(マル)ライヴ@目黒ブルースアレー 同じく『ソウル・サーチン』でマーヴィン・ゲイ、ルーサー・ヴァンドロス、そして、アレサ・フランクリンと3回連続で出演中の和製R&Bディーヴァ、maru(マル)が、ブルース・アレーに11月7日(水曜)に単独では初登場する。そして、マル・バンドとしては今年最後の単独ライヴになる予定。「最近はちょっとジャズ系のものもよく聴いています」というマル。果たしてどんなものになるだろうか。 September 13, 2007 ◎ MARUバンド Maru公式ウェッブ ◎ フィリップ・ウー・ライヴ・フィーチャリング・マクサン・ルイス 日本のR&Bシーンでもナンバーワンを競う人気を誇るファンキーなキーボード奏者、フィリップ・ウーが自らのバンドでのライヴを2007年11月8日目黒のブルースアレーで行う。今回の最大の目玉は、リード・シンガーに東京在住のヴェテランR&Bシンガー、マクサン・ルイスをフィーチャーする点。 マクサン・ルイスは1970年代初期に、スライ&ファミリー・ストーン的なロック、ファンクを混合させたグループ、「マクサン」(グループ名)のリード・シンガーとして活躍。グループ「マクサン」はカプリコーン・レコードから3枚のアルバムを1972年から1974年にかけてリリースした。一部で熱狂的なファンを獲得したが、一般的にはブレイクせず、一度解散。グループの核となっていたメンバー、アンドレは、モータウンと契約し、グループ名を「マンドレ」と変更し、アルバムをリリースした。マクサンはその後、ロスのスタジオ・ミュージック・シーンで活躍、ギャップ・バンドのバックコーラスなどをしていた。1980年代に日本に一時期住んでいたこともあるが、1年程前に再び来日、現在東京を本拠に活動している。 2007年3月に行われた『ソウル・サーチン~アレサ・フランクリン』でもアンコールの「フリーウェイ・オブ・ラヴ」で飛び入りで歌っている。ゴスペルに根付いた迫力あるヴォーカルが最大の魅力だ。今回はマクサンの歌がたっぷり聞けそうで楽しみだ。 October 02, 2007 June 06, 2007 フィリップ・ウー・ライヴ ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>
November 04, 2007Kishita Kohshi Documentary Movie Will Be Released November 17th【ドキュメンタリー『キシタコウシ』、11月17日から公開】 続き。 吉本興行が若手の映像作家だけでなく、所属のタレントなどに映像を作るチャンスを与えようと、「Yoshimoto Director’s 100(ヨシモト・ディレクターズ100)」という企画をスタートさせている。基本的には作品はドキュメンタリーであれ、映画であれ、小ストーリーであれ、ギャグであれ、なんでもいいのだが、監督が30分程度の映像作品を100本作る。そしてできた作品は順に吉本が持つ小映画館で公開するというもの。すでに初期の作品の公開が始まっている。 そんな一本に木下航志くんのドキュメンタリー、その名も「キシタコウシ」があり、これが完成、都内の「神保町・花月」、渋谷の「ヨシモト∞ホール(渋谷)」で2007年11月17日から公開される。 試写版を見た。作品は31分程度。カメラは、8月に品川教会で行われたライヴのシーン、そのリハーサル・シーン、ニューヨークの教会に行って歌った模様、ネパールで歌った様子、さらに母、周囲の関係者のインタヴューを交えて構成している。30分という短い時間なので、ここ半年ほどの木下航志の映像日記といったところか。音楽家木下航志の18年の序章という雰囲気だ。 だから一言で言えば、もっと続きを見たい、ということに尽きる。周囲のインタヴューも、そして、ライヴ・シーンも。特に品川教会でのライヴ・シーン(今回は「アメージング・グレイス」「テル・ミー・ライズ」「竹田の子守唄」など)の映像は美しく、もっとじっくりライヴ映像を見たいと感じた。 ■ 上映会場 (スケジュール・時間などはこちらをご覧ください) 「神保町花月」 ■ 木下航志・過去関連記事 インタヴューのときの様子 August 31, 2007 ■「ヨシモト・ディレクターズ100」の公式ホームページ ENT>MOVIE>Kishita Kohshi November 03, 2007More Sam Moore: A Night Of Soul Explosion (Part 2)【もっとサム・ムーア~ソウル大爆発の夜(パート2)】 幸運。 サム・ムーアの熱いステージが終わった後、しばらくしてマネージャーであり奥さんでもあるジョイスさんと少し話をした。サム本人は雑誌かなにかの取材で手が離せなかった。ジョイスさんとは昨年、インタヴューの席などで挨拶をしていたが、彼女からこんごのサムの情報をいくつかきいた。 それによると日本の後、一度ホームに戻り、その後月末にイギリスで、「アーメット・アーティガン・トリビュート」のライヴのアフター・パーティーにでる、という。これはアメリカで今年春に行われたもののイギリス・ヴァージョンになり、レッド・ゼッペリンなどイギリスのアーティストばかりがでる。その本編にはでないが、アフター・パーティーのライヴがあり、そこで7-8曲のセットを歌うそうだ。また、レコーディングでは、ディズニーから声がかかり、現在ディズニーが計画中の『ソウル・オブ・ディズニー(仮題)』というコンピレーション・アルバムに1曲提供する。これはさまざまなソウル・アーティストがディズニー作品を歌うという企画で、現在選曲中。サムは「ホエン・ユー・ウィッシュ・アポン・ア・スター(星に願いを)」ほか2曲程度(「ディガ・ディガ・ドゥ」?)が候補になっている。それにしても、ソウル・アーティストのディズニーとは考えたものだ。すばらしい。その後2008年になってから、自分の新作のレコーディングに入る予定だそうだ。前作のリリースが2006年だったので、2008年以内にでれば2年ぶりくらいになる。 木曜日、忌野清志郎さんやトータス松本さんらが飛び入りしたことについて、「サムの音楽が、彼らのルーツの一部になっているのね。彼らがサムを慕ってやってきてくれるのは、本当に素晴らしいことだわ」という。特に清志郎さんについては、「彼はまったく無名だったころにサムのところにやってきていて、もう30年以上、40年近くの付き合いなのよね」と目を細める。もちろん、サムは清志郎さんの病気のことは知っていて、一年ぶりに会って元気になっている様子を見てことのほか喜んでいるそうだ。 またこの日は衛星放送「BSフジ」で2007年10月から放送が始まったブルーノートのライヴを紹介するテレビ番組『スピーク・イン・ミュージック』(毎週土曜23時30分~24時00分)の収録が入っていた。飛び入りした2人の了解もとったそうなので、オンエアー上でも、この飛び入りの様子が映し出されることだろう。 ステージ中央のところにリモコンカメラ、また、ドラマーのトニーの正面を狙うカメラなどステージにも何台かあり、かなりの数のカメラで撮影していたのでオンエアーが楽しみだ。(とは言っても、うちのテレビではBSフジが入らないので、誰か友人に頼むことになるのだが・・・(笑)) ライヴ後、テーブル席に清志郎さんご一行がいるのを発見した。去年も楽屋で一瞬すれ違っていたのだが、お声がけできずにいたので、今度は勇気を奮って挨拶にいった。これこれしかじかと名乗って名刺を渡すと、暗いテーブルでそれが見にくかったのだろう、じっくり見て、「あ、知ってますよ。ブログ読んでますよ」と言われた。「ほんとですか」と言いながら膝が抜けそうになった。(笑) 確かに昨年、サム・ムーアのライヴ評を書き、清志郎さんの飛び入りについてふれ、清志郎さんファンのアクセスが増えたらしかったが、まさかご本人がとは思ってもみなかった。 ライヴももちろんよかったのだが、それ以上に清志郎さんとお話ができたのが嬉しかった。聞けば、サム・ムーアのライヴ4日間あるうち、スケジュールの都合でこの日しか来れないという。ラッキーっ! ■ サム・ムーア 今回のセットリストなど November 02, 2007 (2007年11月1日木曜、東京ブルーノート=サム・ムーア・ライヴ) November 02, 2007Everybody Loves Sam Moore: A Night Of Soul Explosion (Part 1)(サム・ムーアのライヴ評です。これからご覧になる方で内容を事前に知りたくないという方はあなたのリスクにおいてお読みください。ご覧になる予定で事前にある程度知っておきたいかた、また、ご覧になる予定のない方、見ようか見まいか迷い中の方は存分にお読みください) 【ソウル大爆発の夜】 ソウル・パワー。 本当は水曜日の初日に行く予定だったが、急遽都合により木曜に変更したサム・ムーアのライヴ。行く道すがらたまたま最近番組選曲で使ったボビー・ウーマックのベストアルバムのCDが車で流れている。前回来日から1年経たずしての来日。会場はすでに熱きソウル・ファンで膨れ上がっている。若干年齢層も高い。7インチのシングル盤を持ってきている女性ファンもいた。若い頃に赤坂のムゲンあたりに通っていた人たちかもしれない。 3曲のインストゥルメンタルで観客を十分に暖めてから、サムがワイアレスマイクで歌いながら黒のスーツに赤のシャツといういでたちで登場。昨年同様「ノック・オン・ウッド」からスタートした。しかし、あの強力な声は、なんと素晴らしいものか。72歳とは思えぬサムが「ア~~」と声を出すだけで、ブルーノートは瞬時にアポロになる。イエ~ ソウル・ダイナマイト。 セットリストは日によって若干入れ替えているようだが、この日ノックダウンさせられたのは、スロー・バラード「アイヴ・ビーン・ラヴィング・ユー・トゥー・ロング」だった。(初日は、ブルーノートのホームページのセットリストによると歌われなかったようだ) これは、サム・ムーアと同じアメリカの名門ソウル・レーベル、スタックス・レコード所属のもうひとりの天才ソウル・シンガー、オーティス・レディングの名唱で知られるソウル不朽の名作だ。ただ普通のR&Bシンガーがカヴァーするのとはわけが違う。まさかこの名作を、レーベルメイトのサムの歌で聴けるとは夢にも思わなかった。イエ~ ソウルの体現者。 サムよりも6歳年下だったオーティスのボディーはここに来ることはできないが、オーティスのソウルは、サムのボディーを借りてこの夜舞い降りてきたかのようだ。サムはさらに続けて毎度おなじみのオーティスの「アイ・キャント・ターン・ユー・ルーズ」になだれ込む。奇しくもオーティス・メドレーだ。26歳でこの世を去ったオーティスの作品を、72歳のサムが歌う。メンフィス・ソウルは永遠なり。イエ~。 この2曲のオーティス・メドレーが終わった後、サムの妻でありマネージャー、ジョイスさんがステージにでて、「今日はとてもとてもサプライズ・ゲストがいます」と言って一人のシンガーを紹介した。また、忌野清志郎さんかと思ったら、登場したのはなんとトータス松本さん。おおおっ。これは意外だが、よく考えてみたら、意外ではない。彼は2003年にソウル・カヴァー・アルバム『トラヴェラー』を出していて、一時期よく僕も聴いていた。 紹介されてトータスさんは言った。「今日は本当にサムの歌が聴きたくて来たんだけど、ここに来る直前に電話でサムに一緒に歌わないかって言われて。だから酒も一滴も飲まないで・・・。でも、こんなこときっともう僕が生きてるうちにないと思ったんで、一生懸命心をこめて歌います」そして始まったのが、サムも最新作『オーバーナイト・センセーショナル』でカヴァーし、トータスさんもカヴァーしていたボビー・ウーマックでおなじみの「ルッキン・フォー・ア・ラヴ」だ! これはまちがいない。いやあ、一生懸命歌うトータスの声もなかなかソウルフルだ。途中歌詞を「愛を探して~」と変えてソウルフルに歌ったりした。こういう曲調、実にあっている。一挙に会場も熱くなった。サムからすれば、かわいい息子のような存在だろう。2人の熱いハグもよかった。ソウル・サプライズ、イエ~。 そして、「僕のベイビーに何か」「アイ・サンキュー」の後「ソウル・マン」のイントロが流れると、会場のソウル度は大爆発。すると、またまたジョイスさん登場。う~~ん、なんだ? 「今日は、もうひとり、スペシャル・ゲストを紹介しましょう! キヨシロー!!」 おおおっ、やっぱり来てるではないか!! ステージに上がった忌野清志郎さんは、一年前のサム・ムーア・ショーへの飛び入りとは打って変わっての、まさにスター忌野清志郎だった。つまり、髪の毛がしっかり生えていて、一見化粧もしているかのような、しかもステージ衣装まで着ているスターだ。 彼は叫んだ。「一年前、サム・ムーアさんは僕をステージにひっぱりあげてくれました。そのおかげだかなんだかしらないけどよ、すっかり元気になっちゃいました!!」(大歓声) 「ありがとう! I thank you! ミスター・サム・ムーア!! 髪の毛、伸びたんだよ(笑)」 ほんとにすっかり元気そうだ。サム・ムーアのソウル・パワーが清志郎さんが言うように病気も吹っ飛ばしたのかもしれない。サムもドラッグから立ち直り生き残った。そして、清志郎さんも病気を克服し生き残った。2人のソウル・サヴァイヴァーの熱いハグだ。祝ソウル・パワー。イエ~。 トータス松本、忌野清志郎などをどんどんとステージにあげてしまうサム・ムーア。みんな自分たちが影響を受けたサム・ムーアを愛してるのだ。年齢も人種も国籍も貧富も関係なくソウル・ミュージックのもとにひとつになる、それもまたソウル・パワーなり。ソウル大爆発の夜であった。それにしても、昨日の予定を今日に変えて、本当によかった。ラッキーっ! (この項続く) ■ 過去関連記事 November 15, 2006 November 18, 2006 ■ サム・ムーア・ショウ Sam Moore(vo.)サム・ムーア(ヴォーカル) ■Setlist : Sam Moore @ Blue Note Tokyo, November 1st, 2007 Show started 21:02 (2007年11月1日木曜、東京ブルーノート=サム・ムーア・ライヴ)
November 01, 2007Shanti With Two Guitarists: Studied A Lot【シャンティ、アコースティック・トリオでハロウイーン】 勉強。 シャンティとよく一緒にプレイするギタリスト、「ハンク西山」こと西山“はんこ屋”史翁(よしふみ)さんと、別のギタリスト木原良輔さんのツイン・ギターにシャンティというアコースティック・トリオのライヴ。こういう編成もシンプルでなかなかおもしろい。この日は、四谷メビウスが満席。大きな一テーブルがヘアとメイクの人たちの軍団で、シャンティはセットごとにヘアスタイルを変えていた。 できたてほやほやのデビュー作『シェア・マイ・エア』のフランス・パリ盤が到着、いよいよ11月中には輸入盤店などに並ぶことになるが、この日のセットリストはその新作からは1曲だけ。もともと、木原さんとはずっと一緒にやってきて、中目黒・楽屋(らくや)から発売されたコンピレーションCDでもレコーディングしてきた。その木原さんとの作品「ウェイク・アップ・トゥ・ザ・サン」が唯一アルバム収録曲だ。 新作のレコーディングのために、シャンティはパリに何度か出向いたが、パリへの飛行機の旅について書き下ろした作品「フライト・トゥ・パリス」が披露された。あるいは、ジョニ・ミッチェルの「ア・ケース・オブ・ユー」ではなく、「イン・フランス・ゼイ・キス・オン・メイン・ストリート」を歌ったり、彼女がジャズ・フュージョン・グループ、TKYに詞を提供した「トーキング・ロウ」を歌ったり、これまでのライヴとは違ったセットリストで楽しめた。 印象に残ったのは、セカンド2曲目の前に、彼女が英語の文章を朗読したところ。これはエックハルト・トールという作家が書いた『スティル・スピークス(静寂は語る)』という本の第9章「デス・アンド・エターナル(死と永遠)」の一節だった。シャンティによれば「これ(この本)は私の宝物」だという。ちょっと最初の部分はわからなかったが、最後は「死(デス)の反対語はライフ(人生=生きる)ではない。死の反対語とはバース(誕生)だ。人生(ライフ)とは永遠のものなのだ」という意味だった。この人のことは知らなかったので、帰ってきてすぐに調べた。そうしたらたくさんスピリチュアル系の本を出している人だと知った。 そして、楽曲でひじょうに印象に残ったのがサード・セット2曲目の「サイレント・ムーヴィー」という曲。もちろん、初めて聴く曲。ステージで彼女は言う。「たぶん、誰も知らない曲だと思う。私は誰もが知ってる曲ってあんまりやらなくて(笑)、マイナーな脇役みたいな曲が好きなんでね。地味ですねえ、という感じなんですが、ほんと地味ですねえ。 (笑) 次の曲はハース・マルティネスというアメリカの人の曲です。私もプロフィールとかはよく知らないんです」 だが、これが実にシャンティにあっていてひじょうによかった。ちょっとノラ・ジョーンズ的な部分もあり、もしノラが歌ったら大ヒットしそうだな、とも思った。 で、ハース・マルティネス、当然知らないので、帰ってきてすぐに調べた。そうしたら1975年にこの曲が入っている『ハース・フロム・アース』というアルバムでシーンに登場しアルバムを計5枚ほど出している、いわゆるシンガー・ソングライターだということがわかった。ウェッブがあったが、そこに映っていた写真を撮っていたのがクレジットから長門芳郎さんだということがわかった。そして、長門さんが日本でのライヴコンサートをやったらしいこともわかった。さらに、この『ハース・・・』のアルバムは日本では紙ジャケットでつい最近リリースされていた。ということは、次のシャンティ・ライヴは長門さんもお誘いしよう。 木原さんから趣味趣味のブログがあって、「木原良輔」で検索すると出てくると言われたので、帰ってきてすぐに調べた。するとでてきて、もう昨日のシャンティのライヴのことが書いてあった。そうしたら、来週月曜日(11月5日)に銀座の山野楽器でハーモニカ奏者のリー・オスカーと一緒にプレイする、なんて書いてあるではないか。な、な、なんと。ナンデ、リー・オスカー来てるの? と思ってすぐに調べた。そしたら、なんとリー・オスカー・モデルのハーモニカが売り出されていた。たぶんそのプロモーションなんかもあるのかもしれない。それと、新宿ピットインで11月6日、7日にライヴもあるようだ。 いろいろ知らないことをたくさん勉強しました。(笑) I studied a lot. ■ シャンティ・ライヴ 11月19日月曜 目黒ブルースアレー サックス・ナオ、イカボールなどとともに。 September 28, 2007 September 16, 2007 ■ メンバー シャンティ ■Setlist: Shanti @ Mebius, October 31, 2007 First set show started 20:04 Second set show started 21:20 Third set show started 22:31 (2007年10月31日水曜、四谷メビウス=シャンティ・ライヴ)
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