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September 07, 2008Who Are The Uptown Horns:[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【アップタウン・ホーンズとは何者?】 昨日の本ブログで、サム・ムーア・バンドのバンドマスター、アイヴァンと話をしたことを書いた。彼が紹介してくれたアップタウン・ホーンズに興味を持ったので、調べてみた。なんと言っても、ジェームス・ブラウンの「リヴィング・イン・アメリカ」やキャメオの「ワード・アップ」のホーン・セクションをやっているのが、アップタウン・ホーンズだと言われたら、これは興味が沸かないわけがない。今まで知らなかったのが、恥ずかしいくらいだ。(笑) そもそもグループの始まりは、1980年にさかのぼる。アーノ・へチェットArno Hecht, クリスピン・スィーオーCrispin Cioe, ボブ・フランクBob Funk そして、ポール・リテラルPaul Litteralという4人が、それぞれニューヨークのクラブ・シーン、ライヴハウス・シーンなどで活躍しているうちに、意気投合し、ホーン・セクションを作ろうと決めて結成した。ニューヨークのライヴハウス、トランプスで毎週火曜日にプレイするようになり、この時期多くのアーティストのバックをつけた。バックをつけたアーティストには、ネヴィル・ブラザース、ロニー・スペクター、ビッグ・ジョー・ターナーなどがいた。 そんな中ロックのイギー・ポップが彼らを自らのアルバム『パーティー』でホーン・セクションとして抜擢、さらにその後まもなく、Jガイルズ・バンドがライヴ・ツアーで彼らを連れて行くことになった。 以来、レコーディング、ツアーと多数のセッションを重ねることになった。レコーディングではすでに150枚以上のアルバムにクレジットされている、という。ざっと見ただけでも、トム・ウェイツ、クラレンス・クレモンズ、グランドマスター・フラッシュ、デビー・ハリー、ジョー・コッカー、ランDMC、ジョーン・ジェット、ローリング・ストーンズ、バーニー・ウォーレル、デイヴィッド・サンボーン、グランド・ファンク・レイルロードなどだ。有名な曲だとB52の「ラヴ・シャック」、ジョー・コッカーの「アンチェイン・マイ・ハート」、ビリー・ジョエルの「リヴァー・オブ・ドリームス」のアルバムも全編はいっている。 また彼らはローリング・ストーンズとともに、\"LIVE TO THE MAX"という映画にも出演している。 そして、この「アップタウン・ホーンズ」は4人程度のホーン・セクションだが、これにリズム隊(ドラムス、ベース、ギター、キーボード)などをつけると、「アップタウン・ホーンズ・レヴュー」になって、ソウルのカヴァーなどをやるようになるそうだ。 最近ではハワード・テイトのアルバムや、ソロモン・バークのライヴ・アルバムに参加している。 アメリカのメジャーなシーンでは、ホーン・セクションはあまりメインストリームにはいないという。だが、こうしたホーン・セクションが存在し、仕事もしっかりあるというところがおもしろい。 アイヴァンに、「西海岸のシーウィンドみたいなグループですね」と言ったら、彼はシーウィンドを知らなかった。だが、よく考えてみると、僕の発音が悪かったのかもしれない。日本ではなんといっても、タワー・オブ・パワーが圧倒的に人気があるので、このアップタウン・ホーンズも試しにレヴュー(バンド編成)で来日してみたらどうだろう。 ■アップタウン・ホーンズ・ウェッブ(英語) メンバー
August 26, 2008Maxwell Plans US Tour This Fall, First In 6 Years[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【マックスウェル新作と6年ぶりの全米ツアーへ】 6年ぶり。 ネオ・ソウル・シンガーとして1996年にデビューして以来、地道な活動をしてきているマックスウェルがこの秋口に約6年ぶりに全米ツアーにでる。ツアーは、2001年の『ナウ』のアルバムに続く7年ぶりの新作『ブラック・サマーズ・ナイト』のリリースを受けて行うもの。 2008年10月8日のマサチューセッツ州ボストンを皮切りに、ニューヨーク、シンシナティ、ミネアポリス、ロス・アンジェルスなど計24本が予定されている。ハイライトは、10月9日のニューヨーク・ラジオ・シティー・ホール、あるいは、11月1日のロス・アンジェルスのシュライン・オーディトリウムなど。最終日は11月21日のフィラデルフィア。このほかの日程も追加されるかもしれない。 マックスウェルは本名マックスウェル・リヴェラ、1973年5月23日ニューヨーク・ブルックリン生まれ。父はプエルトリコ系、母はハイチ出身。父親のことは幼い頃に飛行機事故で死去したため知らないという。音楽に興味を持ち始めたのは十代で、マーヴィン・ゲイ、プリンスなどに大きな影響を受けた。1991年ごろからニューヨークのライヴハウスでライヴ活動を始め、1994年、コロンビア(現ソニー)と契約。1996年、『Maxwell's Urban Hang Suite』でデビュー。いわゆる「ネオ・ソウル」の流れに乗り大きく注目された。その後、1998年、『Embrya』、2001年『Now』と3枚のアルバムをリリース。 デビュー作は、レコーディング完成から約2年ほどお蔵入りしていたが、シングル「アセッション」がヒットしたおかげで、アルバムもゴールド・ディスクに輝いた。その後1997年6月に『MTV アンプラグド』を収録、これが話題になる。『Now』以降、沈黙していたが、2008年になってやっと活動が表立つようになった。 新作『ブラック・サマーズ・ナイト』は、こんご3年にわたってリリースされる「3部作」の第一弾だという。2008年が『ブラック』で、2009年に『サマーズ』、そして、2010年に『ナイト』と各アルバムをリリースする。 マックスウェルは都会的に洗練されたサウンド、歌声がひじょうにユニークで、大きな魅力。久しぶりに動き出したマックスウェル、注目だ。 全米ツアーの予定は次の通り。 October 8 - Boston, MA - Opera House アーバン・ハング・スィート posted with amazlet at 08.08.26 マックスウェル ソニーレコード (1996-04-18) 売り上げランキング: 109734 マックスウェル ソニーレコード (1998-09-19) 売り上げランキング: 224137
MTV アンプラグド : マックスウェル posted with amazlet at 08.08.26 マックスウェル ソニーレコード (1997-07-30) 売り上げランキング: 142562 ENT>MUSIC>ARTIST>Maxwell July 29, 2008The Truth Is Minneapolis Funk Connection[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【ミネアポリス最強ファンク軍団=ザ・トゥルース】 強力。 先日のミント・コンディションのライヴで、彼らのマネージャーであるジェフさんから今自分がてがけているもうひとつのグループだといって、ザ・トゥルースというグループのCDを手渡された。 そういえば、うわさには聞いていたが、これが実に強力なメンバーが集まったグループだ。メンバーは次の通り。( )内にこれまでにいたグループ。 St. Paul Peterson (Lead Vocal, Keyboards) (The Time, The Family) グループのコンセプトは、オハイオ・プレイヤーズやキャメオのようなグループ・サウンドに、ミネアポリスのファンク・サウンドを足したようなファンクを目指す、というもの。そして、2007年5月31日ミネアポリスの「ファイン・ライン」というライヴ・ハウスでライヴが行われ、その模様がレコーディングされ、CDとなってリリースされた。そして、このメンバーが作り出すファンクは、まさにリアル・ミュージシャンのリアル・ファンク。 その曲目リストを見れば、彼らが何を目指しているか、よくわかる。 Track Listing: 1. One Nation Under A Groove
ENT>ARTIST>The Truth July 21, 2008The Truth Of “Ace Of Spades”[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【「エイス・オブ・スペーズ」の真実~O.V.ライトとメルヴィン・カーター】 狢(むじな)。 昨日(2008年7月20日日曜)、東京FM系列で全国ネットされている山下達郎さんのオールディーズ専門番組『サンデイ・ソング・ブック』(略して『サンソン』=毎週日曜日午後2時~)を聴いていると、なんとR&Bシンガー、メルヴィン・カーターの「エイス・オブ・スペーズ」が解説付きでかかった。 達郎さんの解説を聞いていて、その昔、ソウル・ミュージック評論家の大御所、鈴木啓志(すずき・ひろし)さんがその話を書いていたことを思い出した。 このところ、『サンソン』はリクエストを中心に選曲されているが、この曲が選ばれたのもリスナーのリクエストから。これには複雑な経緯がある。 昨年12月、やはりおなじくディープ・ソウル・シンガー、O.V.ライトのボックスセット(5枚組み=Pヴァインから13000円)が発売され、そこにこのメルヴィン・カーター・ヴァージョンの「エイス…」が収録されている。O.V.のボックスが発売されるのは2度目なのだが、どうやらリスナーの方は、前回リリースのボックスはお持ちだが、今回のボックスは持っていないらしい。このメルヴィンのヴァージョンは、前回のボックスに収録されていなかった。そこで、これ1曲のために、13000円を払い買いなおすのはちょっと厳しいので、番組にリクエストを送ってきたのだ。 では、なぜ、O.V.ライトのアルバム集にこのメルヴィン・カーターなるシンガーの「エイス・オブ・スペーズ」が入っているのか。これがおもしろい。その経緯は2000年3月に発売された鈴木啓志著『ソウル・シティー・USA~無冠のソウル・スター列伝』(リトル・モア社から発売)、さらに今回の詳細なライナーノーツに書かれている。 「エイス・オブ・スペーズ」は、O.V.ライトの有名なヒット曲。1970年にヒットし、ソウル・チャートで11位を記録。これを収録したアルバム『ニックル・アンド・ア・ネイル・アンド・エイス・オブ・スペーズ(A Nickel & a Nail & Ace of Spades)』が翌年アメリカ・バックビート・レコードから発売された。そして、その日本盤がコロンビアからリリースされたが、そこに入っている「エイス・オブ・スペーズ」(LPではA面3曲目)が、なぜかO.V.のヴァージョンではなかったのだ。(ちなみに僕はそのバックビート盤を持っているが、日本盤は持っていなかった) それが、この曲のもともとの作者であるメルヴィン・カーターのヴァージョンだった。全体的なサウンドはよく似ている。日本用にマスター・テープをコピーするときに、なんらかの理由で間違えてしまったのかもしれない。もちろん、どうしてそれが紛れ込んだのか、本当の理由はわからない。 いずれにせよ、そんな経緯があり、今回のO.V.ライトのボックスには、最初日本盤がでたときに間違って収録されたメルヴィン・カーターのヴァージョンが丁寧にも収録された。詳しい経緯は、鈴木氏のライナーノーツに詳しいが、達郎さんはオンエアーで、「このライナーは力はいってます。久々にライナーを読むために(CDを)買ってもいいと思ったくらいの力作です」と絶賛した。 しかし、なんらかの理由でマスターを間違えてしまったレコード会社もレコード会社だが、その似たような作品の違いに気づき、それをちゃんとリサーチして記事にする鈴木さんもすごい。鈴木さんは1979年にO.V.が来日したときにこの件を尋ね、いろいろな事実を掘り起こした。O.V.は翌1980年11月16日41歳の若さで急死しているので、そのときのインタヴューは結果的には真実へのラストチャンスだったことになる。 ま、そんなことを調べる鈴木さんも、鈴木さん、それを知って達郎さんの番組にリクエストする人もする人、それを受けて解説をつけてかける達郎さんも達郎さん、おまけにそのことをブログに書く僕も、僕。みな同じ穴の狢(むじな)、ですかねえ。楽しいっ。(笑) (狢っていう字はむずかしいなあ) ■ボックスセットの内容(ただし売り切れ) ENT>ARTIST>Wright, O.V. July 19, 2008Natalie Cole (Part 2): Canceled Another Show And Revealed Her Hepatitis C[ ENT>MUSIC>ARTIST>](2008年6月28日付け日記から続く) 【ナタリー・コールC型肝炎を明かす】 キャンセル。 ナタリー・コールが去る2008年7月9日、カリフォルニアで行われる予定だったコンサートをキャンセル、7月16日にパブリシスト(広報担当)が、ナタリーがC型肝炎にかかり、治療中であることを発表した。 C型肝炎は、輸血もしくは、注射針などから感染すると言われ、以前ナタリーが薬物中毒だったころの注射器使用が感染原因ではないかと推測されている。 「私は幸運なことに過去から多くのことを学べています。家族や友人からの多くの愛とサポートを得られていて、幸せです。この苦難に自身の信念を持って、立ち向かっていきます」と彼女はコメントを発表している。 ロスアンジェルスのシーダース・サイナイ病院の担当医グラハム・ウールフ医師は、「投薬治療が効いており、現在肝炎の症状は薄くなっている。このため、治癒に向かう可能性が高い」と述べている。またその投薬治療の副作用として、倦怠感、筋肉の痛み、脱水症状などがあったが、現在は回復している、という。この薬の副作用では、個人差はあるが一般的に、躁鬱になったり、食欲がなくなったり、気力もなくなる。 ナタリーは、ダイエットでウェストが約10センチほど細くなったとしている。 7月9日のライヴではウイントン・マルサリスとともにライヴを見せる予定だったが、ナタリー・キャンセルで彼女の代わりに、ウィリー・ネルソンが舞台に立った。 +++++ ■ ナタリー関連記事 June 28, 2008 ナタリー・コールが6月末に東京ブルーノートにやってきたとき、火曜、木曜、金曜、土曜と4日間のセカンド・ステージを体調不良のためにキャンセルした。(水曜日はもともと休息日) これは前代未聞のことで、当日会場はちょっとした混乱となった。ステージが始まる前に、「最近の怪我のために車椅子で歌います」というアナウンスがあったが、この原因は最近彼女がかかったC型肝炎のためということになる。C型肝炎では治療中、倦怠感、また筋肉の痛みなどもあり、また気力が充実しないなどの影響がでる。C型肝炎は、肝硬変、肝がんに発展する可能性が高いので、予断は許さない。 はやく治療が効を奏し、直って、一線に戻ってきて欲しいところだ。
July 12, 2008Kevin Owens : Lead Singer Of Ray, Goodman & Brown[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【ケヴィン・オウエンス】 ファルセット。 レイ・グッドマン&ブラウンは、元々はモーメンツというソウル・ヴォーカル・グループだった。1979年、モーメンツはそれまで所属していたニュージャージーのシルヴィア・ロビンソンが持つスタング・レコードから、メジャーのポリドール・レコードに移籍する。ところがそのとき、シルヴィア側から、『モーメンツ』というグループ名の権利は、シルヴィア側にあるので、その名前を使ってはならないと言われた。そこで、彼らはグループ名変更を余儀なくされる。 新しいグループ名はメンバー3人のファミリー・ネームをつけた。ハリー・レイのレイ、アル・グッドマンのグッドマン、ビリー・ブラウンのブラウンだ。3人あわせて「レイ・グッドマン&ブラウン」。新規名前で出した記念すべき第一弾が、あの「スペシャル・レディー」だ。イントロのアカペラから始まる名曲だ。 レイ・グッドマン&ブラウンは、順調にアルバムをリリースしたが、1982年、彼らが3枚のアルバムを出した後、リード・シンガーのハリー・レイがソロに独立。ハリー・レイはモーメンツ時代の古巣スタング・レコードに戻り、ソロ・アルバムを出す。これを機にグループは、新たなリード・シンガーとして、ニューヨークなどで活躍していたシンガー、ケヴィン・オウエンスをいれて再出発を計った。 ところが、ハリー・レイのソロ活動は1982年11月にシングルの小ヒットが1曲でただけで、思うように成功せず、結局彼は再びレイ・グッドマン&ブラウンに復帰。その場合、ケヴィンが4人目のシンガーとして少し後ろに下がることになる。 1992年春にレイ・グッドマン&ブラウンは、横浜本牧にあったアポロ・シアターでライヴを行う。ここには若干元気がなかったが、ハリー・レイがいた。そして、その年の10月1日、ハリー・レイが急死。ハリーは45歳の若さだった。 こうして、それまでにもハリー・レイ役を演じていたことがあるケヴィン・オウエンスが改めて、「レイ」として、名実ともにリードを取るようになった。 ケヴィンは1980年代から1990年代にかけて、ニューヨークのスタジオ・セッション・シーンでの売れっ子シンガーであり、多くの有名シンガーのバックなどもつけていた。1970年代以降にアルバムをだしたニューヨークのヴォーカル・グループ、リヴレーションの2枚目以降に参加したりもしている。 バックの仕事の中でよく知られているのが、かのルーサー・ヴァンドロスのレコーディング、ライヴにおけるコーラスの仕事だ。1990年代にはいってのルーサーのライヴでは、メンバー紹介のところで、ルーサーに「レイ・グッドマン&ブラウンのリード・シンガーをやっているケヴィン・オウエンス!」と言って紹介され、1分ほどだが、ルーサーとケヴィンがモーメンツ時代のヒット「ラヴ・オン・ア・トゥ・ウェイ・ストリート」を歌うシーンがある。これはなかなかすばらしい。 ケヴィンは、ハリー・レイ役を演じたが、ルーサー・ヴァンドロスのバックコーラスの仕事があると、そちらに行ってしまうので、そのときのためにもうひとりのリード・シンガー、通称アイスことラリー・ウィンフリーが加入。ケヴィンがいるときは、ラリーはバックで、ケヴィンがいないときはラリーでリードのパートを担当という4人体制になった。 ケヴィン・オウエンスは、言ってみれば、ニューヨークのスタジオ・セッション・シーン、リヴレーション、ルーサー・ヴァンドロス、そして、レイ・グッドマン&ブラウンと、ファルセット・ヴォイスのシンガーとしては、かなり王道を歩んでいるということも言える。ケヴィンは1992年に唯一のソロアルバムを出すが、そこにはもちろんルーサーもバック・コーラスとして名を連ねている。 モーメンツ時代、レイ・グッドマン時代、ともに素晴らしい楽曲が多数あるので、ぜひケヴィンにはハリー・レイに勝るとも劣らぬ活躍を期待したい。 (2008年7月15日、ケヴィンとレイの部分について書き直しました。安井さんいつも貴重な情報をありがとうございます) ENT>ARTIST>Owens, Kevin
July 07, 2008Eric Miyashiro Talks About Maynard Ferguson[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【エリック・ミヤシロとイルカ】 恩師。 『ソウル・ブレンズ』に、トク(TOKU)がライヴ告知のゲスト、さらに、「山野ミュージック・ジャム」のコーナーで、日系トランペット奏者、エリック・ミヤシロさんがゲスト。エリックさんは初めてお会いしたが、日本語も英語もどちらも流暢に話す文字通りバイリンガル。DJマーヴィンとは英語で、僕やチーちゃんとは日本語で話す。 彼の恩師がメイナード・ファーガソンというヴェテラン・トランペッターで、エリックさんの最新作『プレアデス』(ソロとして通算4作目)は、イルカの素敵な写真をジャケットにした自信作で、ファーガソンへのトリビュート作だ。 オンエアーでは流れなかったが、ファーガソンの代表曲である「ロッキーのテーマ」についてエリックさんはこんな話をしてくれた。一般的な人気曲とミュージシャンがやって好きな曲は微妙に違うという話だ。「ジャズ・ミュージシャンは自分の曲に、ガールフレンドや奥さんなどの名前をつけてはいけないんですよ。別れた後も、その曲をやらなければならなかったりするでしょう。そういう曲に限って人気がでたりします。ファーガソンも実は『ロッキー』を毎回やるのが嫌になっていたんです。お客さんはそれを期待するし、やると喜ぶんですけどね」 なるほど。エリックさんの「ロッキー」は、しっとりとしたスムース・ジャズ風に仕上がっている。彼はファーガソンが、人間として、またバンドマスターとしても、素晴らしい人徳やオウラを持っていたと語る。 今回のアルバム・ジャケットはイルカ。それにはこんなエピソードがある。彼が高校時代に仲間とサーフィン中、潮の流れのために沖に流され、10匹くらいのシュモクザメというサメに囲まれた。もうだめかと思ったとき、どこからともなく2匹のイルカがやってきて、そのサメを追いやったという。 ハワイでは、イルカと亀がそこに住む人たちの守り神として敬われているそうだ。そのときエリックさんは、本当にイルカに助けられたと思った。そして、今回のアルバムではそんなイルカをジャケットにしてみたかった、という。しかし、考えてみると、もしそこにハワイの守り神イルカが来なければ、エリックさんたちはサメに襲われてしまっていて、今日の活躍はなかったかもしれないから、まさにイルカさまさまだ。 「じゃあ、次のアルバムのジャケットは、亀ですか」と言うと、エリックさん「それはおもしろいですねえ」と笑った。 ■ エリック・ミヤシロ 『プレアデス』 PLEIADES-Tribute to Maynard Ferguson- posted with amazlet at 08.07.07 エリック・ミヤシロ ヴィレッジ・レコード (2008-05-21) 売り上げランキング: 3761 ENT>MUSIC>ARTIST>Miyashiro, Eric
July 06, 2008LaBelle Reunion : Album Due September[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【ラベル再結成へ~32年ぶり新作9月に】 再結成。 「レディー・マーマレード」の大ヒットで知られる女性3人組みグループ、ラベルが再結成された。去る2008年7月5日、ニュー・オーリーンズで行われた『エッセンス・ミュージック・フェスティヴァル』でライヴ・パフォーマンスをみせたという。 グループ「ラベル」は、パティー・ラベル、ノーナ・ヘンドリックス、サラ・ダッシュの3人からなり、1960年代初期に結成され、1975年の「レディー・マーマレード」の大ヒットで一躍メジャーに躍り出た。その後、3人ともソロに転じたが、なかでも、パティー・ラベルはソロ・シンガーとしても次々と大ヒットを放ち人気を集めた。80年代以降はそれぞれ別個の活動が続いたが、彼女たち3人は、1991年、アポロ・シアターで再結成ライヴを敢行。またその後、パティー・ラベルのライヴに2人が参加したり、また、2005年にパティー・ラベル芸能生活45周年を記念したイヴェントでも同じステージにあがり、一時的な再結成が行われ、そのたびにグループとしての再結成とアルバムのレコーディングがうわさされた。 今回の『エッセンス』での再結成は、かなり本格的なようで、レコーディングおよび若干のツアーもあるようだ。アルバムは全米で9月23日、ヴァーヴ・レコードからリリースされる予定。これは、フィラデルフィアの名プロデューサー、ギャンブル&ハフとレニー・クラヴィッツがプロデュースするという。アルバム自体では1976年の『カメレオン』以来、32年ぶりの新作ということになる。 彼女たちの大ヒット「レディー・マーマレード」は、ニュー・オーリーンズの名プロデューサー、アラン・トゥーサンがプロデュースしたもの。そのゆかりの地での再結成ライヴは、大いに盛り上がったことだろう。 「レディー・マーマレード」は近年では、クリスティーナ・アギレラほかがミュージカル『ミューラン・ルージュ』の中で歌い大ヒットさせた。 パティー・ラベル、ノーナ・ヘンドリックスはそれぞれ各個人で来日したことがあるが、ラベルとしては来ていない。 ENT>ARTIST>LaBelle June 17, 2008Sly & TheFamily Stone Will Coming To Japan August[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【スライ&ザ・ファミリー・ストーン初来日決定】 来日。 1960年代後期、サンフランシスコを中心に世界的人気を博したファンク・グループ、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの初来日公演が決まった。毎年8月末に行われている東京ジャズでの公演、また、ブルーノートでの1日公演が行われる。来日メンバーはまだ発表されていない。 東京ジャズの2008年8月31日(日)午後1時半からのロベン・フォード、サム・ムーアとの回に登場。出場順番は未定。また9月2日(火)、東京ブルーノートに登場。7時と9時半の回に登場が予定され、発表された。 ブルーノートのスライ&ザ・ファミリー・ストーンのライヴ音楽チャージは、¥15,750(税込)。ボックス席などは下記の通り。予約受付は2008年7月9日(水)から、ブルーノートの会員組織「ジャム・セッション」のメンバーは、7月2日(水)から先行予約。 http://www.bluenote.co.jp/jp/schedule/detail.php?id=200 通常チャージ自由席 ¥15,750(税込)。 東京ジャズの公式ウェッブ 東京ジャズは、今年で7回目。NHKが中心となって、ジャズ・アーティストのライヴ興行を行い、その模様を収録しテレビ放送する。今年は8月29日(金)から31日(日)まで3日間、東京国際フォーラムで金曜夜、土曜昼、土曜夜、日曜昼、日曜夜の計5ステージが行われる。入場料金は各回、全席指定、税込みでS席が8500円、A席が6500円。30日と31日分には、昼と夜が見られる一日通し券が16000円で発売されているが、30日の分は売り切れ。 +++++ 実現。 スライ&ザ・ファミリー・ストーンは、スライ・ストーン(本名・シルヴェスター・スチュワート1943年3月15日テキサス州生まれ)が兄弟、友人などを集めて1966年ごろサンフランシスコで結成したバンド。このころ起こり始めた黒人たちのファンク・サウンドと、サンフランシスコを中心に動きを見せ始めていたヒッピーたちが作るロック音楽の要素を巧みに混ぜ合わせた独特のサウンドを生み出し、人気を集めるようになった。ベース担当のラリー・グラハムは、いわゆるチョッパー・ベースの創始者として注目され、後に独立、多くのベース奏者に影響を与えた。もちろん、スライ&ファミリー・ストーンも、1970年代以降の多くのブラック・アーティスト、ロック・アーティストたちに多大な影響を与えた。 しかし、1970年代中期から、ドラッグなどの影響で行動が予想不能となり、ライヴなどにも穴をあけるようになり、自然と音楽業界から離れてしまった。1986年、ファンク・ギタリスト、ジェシー・ジョンソンがスライをひっぱりだし、「クレイジー」という曲で共演、これは同年ブラック・チャートで2位を記録。これが現在までのところ、スライの最後のヒットになっている。その後、ファミリー・ストーンのメンバーはスライなしでグループを結成、ときおりライヴ活動を行っている。 2006年2月、グラミー賞の席で「スライへのトリビュート」が行われ、スライ・ストーン本人が2分少々だけ、そのステージに登場し喝采を浴びた。その後2007年夏、ヨーロッパでのツアーが企画され、ライヴが行われたが、場所によっては本人は20分程度の出演でステージを下り、残りをバンド・メンバーが演奏して場をつないだ、といったニュースも伝えられている。 スライの来日、本当に本人は来るのか。本当に演奏はできるのか。数々の奇行でも知られるスライだけに、仮に、来日がキャンセルになったとしても驚くにはあたらない。しかし、スライ来日が実現し、彼がステージにあがれば、大きなニュースだ。 ■スライ・ストーン、スライ&ザ・ファミリー・ストーン過去関連記事 July 04, 2007 May 07, 2007 May 05, 2007 May 04, 2007 ENT>MUSIC>ARTIST>Sly & Family Stone
June 14, 2008Usher Talks A Little[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【アッシャー少し語る】 質疑応答。 去る2008年6月12日(木)渋谷・松涛ギャラリーでプロモーションで来日したアッシャーのプレス向け質疑応答会が行われた。ライヴ・パフォーマンスはなく、司会者といくつかの質問のやりとり、ウェッブで募集した一般の方からの質問も受けて、その後、シャンパーン・トースト。出席者全員にシャンパーンが振舞われた。 2004/04/15 (Thu) 今回の来日は4回目。しかも内3回がプロモーションってすごい。前回の来日が2004年4月で、4年2ヶ月ぶり。 質疑は、主として最新作5作目『ヒア・アイ・スタンド』について。ちょうど3週連続で全米アルバムチャート1位という大ヒットぶり。前作『コンフェッション』は日本でも30万枚以上のセールスを記録、レコード会社も、新作を同じくらい売るように本国から大プレッシャーをかけられているそうだ。本人も、マイケル・ジャクソンの『スリラー』のようなクラシック・アルバムになってほしいと思っている。 今回はフジテレビ系『ミュージック・フェア21』(6月21日放送)に出演する。 さて、これは質疑ではでていなかったが、前作と今作との間の4年間でのアッシャー周辺の違いは何か。一番の大きな変化は、彼が彼の元スタイリストと結婚したこと。子供が生まれたこと。また、ブッキングなどを担当するタレント・エージェントを変えたこと、さらにもっとも大きいと思われるのがそれまで彼の母親がマネージャーとして動いていたが、母親をはずし、ベニー・メディーナという業界のヴェテランをマネージャーに迎えたこと、新しい弁護士を雇い入れたことなどがある。また新作は、彼のデビュー以来初めて、彼の育ての親であるLAリードがまったくかかわらずに作品が制作された。これも一大事件だ。 結婚して落ち着いた感じもするが、前回来日時もそういえば落ち着いていたことを思い出した。 ■ アッシャー最新作『ヒア・アイ・スタンド』 div class="amazlet-box" style="margin-bottom:0px;"> ヒア・アイ・スタンド posted with amazlet at 08.06.14 アッシャー ジェイ・Z ビヨンセ ヤング・ジージー ウィル・アイ・アム リル・ウェイン BMG JAPAN (2008-05-28) 売り上げランキング: 571 シャンパーン、グラスに半分くらいだが飲んだら、酔っ払った。 ENT>ARTIST>Usher June 12, 2008Chaka Khan’s Record Of Visit To Japan (Part 1)[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【シャカ(チャカ)・カーン来日履歴・調査中】 調査中。 2008年6月10日付けブログで一部紹介したシャカ・カーンの来日履歴。すでに何人かの読者の方からメール、情報提供をいただきました。ありがとうございます。それにしても、ぞくぞくと出てくる、というのが正直な感想。こんなに来日していたか、というところです。途中経過ですが、一度まとめてみます。引き続き情報などありましたら、おぼろげでもけっこうですので、ebs@st.rim.or.jpまでおよせください。来日日付が一日しかないものは、たぶん、その前後に日本全国のどこかでライヴをやっているものと思われます。 これをまとめるとソロで19回(ジャズ・フェスでのゲスト含める)、ルーファスで1回か2回、20回以上の来日となります。 ■シャカ・カーン来日履歴(2008年6月12日現在まで判明分) 1976年6月20日 東京音楽祭エントリー・中野サンプラザ(ルーファスで)(初来日) (以下はシャカ・カーン・ソロ、ジャズ・フェスのゲストも含む) 1982年3月15日~ 渋谷ライヴ・イン82(3月15日、16日、20日~22日) 1993年 ?? 大阪ブルーノート?? どこかこの前後で大阪ブルーノート(年号日時わからず=1993年より以前と思われる。あるいは93年か) 1994年7月末~ 8月1日 新宿厚生年金 (2000年3月21日~)ブルーノート東京で予定だったが急病で中止。代打でデイヴィッド・サンボーン。シャカの振り替えはなかった模様。 2000年12月31日 東京ビッグサイトNEW MILLENNIUM COUNTDOWN(下記に詳細)(イヴェントにゲスト出演) 2003年8月23日、24日 東京ジャズ (ダイアナ・クロールの代打で登場。ライヴ自体は単独) メンバー Chaka Khan Setlist 10/11/2003 @ Budoukan 1. I Feel For You ◇NEW MILLENNIUM COUNTDOWN 日時:2000年12月31日(日)-2001年1月1日(月) +++++ ENT>MUSIC>LIVE>Khan, Chaka May 21, 2008The Hathaways: Donny And Lalah[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【ハサウェイ、自信作】 ハサウェイ。 レイラ・ハサウェイのソロ・ライヴ・レポートをしばらく前に書いた。で、そのときHathawayの表記を「ハザウェイ」とした。「サ」がにごって「ザ」だ。僕はずっとダニーもレイラもハザウェイと書いてきたのだが、日曜日に、レイラのアルバムを『ソウル・ブレンズ』で紹介したときに、DJのマーヴィンにその発音を確かめると、どうやら「ハサウェイ」だ、という。「うん、これはハサウェイだね、ハザウェイとは言わないね」 「さすが、ナチュラル・イングリッシュの先生!」 今回、ユニバーサルから出た最新作『セルフ・ポートレート』から、彼女の表記がハサウェイになっていた。ジョー・サンプルのときは、ハザウェイだった。ネットなどでも、両方書かれていて、ハザウェイと書くと、ハサウェイではありませんか、と出てくる。最初はハザウェイだったダニーのほうも、ハサウェイになっている。ちょっと出遅れたなあ。(苦笑) ところで、レイラの母もユーレイラ・ハサウェイで、歌手のレイラもユーレイラ・ドニル・ハサウェイ。ユーレイラを短くして、レイラ。妹のケニヤはケニヤ・カネリブラ・ハサウェイ。ケニヤは、人気テレビ番組『アメリカン・アイドル』のハウス・バンドのコーラス3人のうちの1人だ。 母ユーレイラと父ダニーは、ハワード大学で出会っている。 ということで、今後、僕もHathawaysは、ハサウェイと書いていくことにします。 ■ レイラ・ハサウェイ最新作『セルフ・ポートレイト』 セルフ・ポートレイト~レイラ・ハサウェイの肖像 posted with amazlet at 08.05.19 レイラ・ハサウェイ ユニバーサル ミュージック クラシック (2008-05-03) 売り上げランキング: 18910 レイラによれば、このアルバムは自身がコンセプトから、ミュージシャン、アレンジャー選び、制作全般のみならず、宣伝マーケティングまでかかわって作ったという、まさに自信作だそうだ。 ENT>ARTIST>Hathaway, Lalah
April 26, 2008Dianne Reeves New Album “When You Know”[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【ダイアン・リーヴス新作は『ラヴィン・ユー』】 ミニー。 ジャズ・シンガーで来日回数も多くを数えるダイアン・リーヴスが新作『ホエン・ユー・ノウ(邦題・ラヴィン・ユー)』をリリース。プロデュースにジョージ・デュークがあたり、コンテンポラリーなジャズとダイアンのていねいなヴォーカルがマッチし、なかなかいいアルバムに仕上がっている。 基本はアコースティック系だが、なによりも選曲が日本人向け。たとえば、ミニー・リパートンの大ヒット「ラヴィン・ユー」などはまずエアプレイを得れば、「これを歌っているのは誰」ということになるだろう。 なにより驚いたのが、CD1曲目。しっとりとした面影で、テンプテーションズの大ヒット「ジャスト・マイ・イマジネーション」をカヴァーした。まさに最近はやりの「スムース・ジャズ」の範疇にもはいり、しかも、通常のR&Bやポップ部門にも行けそうな感じがする。 あるいは7曲目の「風のささやき」は、ミッシェル・ルグランが映画『クラウン・アフェア』のために書いた作品。彼女もジャズ、フュージョン、最近でいうところのスムース・ジャズというジャンルの中で注目されているヴェテラン・シンガーだ。 ■過去関連記事\n ENT>ARTIST>ALBUM
April 24, 2008War & Lowrider Band[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【ウォー、そのふたつのグループ】 分裂。 1960年代後期から1970年代初期にかけて、ウェストコーストを本拠にすこしばかりラテン色のあるファンク・サウンドで大人気となったカリフォルニアのグループ、ウォーのベスト・アルバム『ヴェリー・ベスト・オブ・ウォー』がライノ・レコードからリリースされる。(日本盤は2008年3月19日発売) ウォーは1962年、ハワード・スコット、ハロルド・ブラウンらによってカリフォルニア州ロングビーチで結成された。その後、彼らのライヴ・パフォーマンスを見たイギリスのシンガー、エリック・バードンが彼らにほれ込み、「エリック・バードン&ウォー」としてデビュー。「スピル・ザ・ワイン」などのヒットを放った。バードンは元々イギリスのアニマルズというグループにいた人物。このアニマルズは、「太陽があたる家」「悲しき願い」などの大ヒットで知られる。バードンは2枚のアルバムで抜け、その後はウォーだけで活動、さらに大きなヒットを放った。「シスコ・キッド」「ミー&マイ・ブラザー」、「ギャラクシー」などなど。 そして、このほどアメリカのライノが、これまでいくつかのレーベル(UA、MCA、RCAなど)に分散していた原盤をまとめて、ウォーのベストを出した。それがこのアルバムだ。 このアルバム発売のプロモーションをかねて、メンバーのひとりロニー・ジョーダンのウォーとエリック・バードンが一日だけのライヴコンサートを2008年4月21日にロンドンで行った。ところで、ロニーは正確には設立メンバーではないのだが、なぜか彼がグループ「ウォー」の名前の使用権を持っている。オリジナル設立メンバーのうち、ハワード・スコット、ハロルド・ブラウン、BBディッカーソン、リー・オスカー(ハーモニカ)の4人は一緒にバンド活動をしているのだが、ウォーと名乗れず、現在は「ロウライダー・バンド」と名乗って、多くのライヴ活動をしている。 おそらく、グループ名についてはいろいろあったのだろう。今回、ウォーのベストが出るというので、少し調べてみたら、そんなことがわかった。 作品が多くのヒップホップ・アーティストたちにもサンプリングされているウォーは、まさにファンク・リズムの宝庫でもある。ロウライダー・バンドでもいいから、来日しないかなあ。ウォーはかつて、1970年代に来日し、後楽園でライヴを行っている。 ■ ヴェリー・ベスト・オブ・ウォー ヴェリー・ベスト・オブ・ウォー posted with amazlet at 08.04.24 ウォー Warner Music Japan =music= (2008-03-19) 売り上げランキング: 109100 ENT>ARTIST>War April 19, 2008Quincy Jones Live At Montreux DVD[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【クインシー・ジョーンズ・ライヴDVD】 Q。 あのスーパー・プロデューサー、クインシー・ジョーンズが1996年にスイス・モントルーで行われた『モントルー・ミュージック・フェスティヴァル』で行ったライヴを収録したDVDが発売された。 モントルー・ミュージック・フェスティヴァルは1967年にスタート、当初は小規模なものだったが、最近では2週間近く行われる大規模なものに発展している。 クインシーのこのDVDは、ちょうどクインシーの音楽業界50周年を記念してのライヴ。ゲストで登場するのは、シャカ・カーン、デイヴィッド・サンボーン、トゥーツ・シールマンス、ジェラルド・オルブライト、パティー・オースティン、シンプリー・レッドのミック・ハックネル、フィル・コリンズなど。 彼のジャズ・トランペッター時代の作品から、プロデューサーとして大ヒット作品をてがけるようになっての作品、手がけた映画音楽からの楽曲など、クインシーの音楽人生が凝縮されたステージになっている。 Live At Montreux 1996 posted with amazlet at 08.04.19 ビデオアーツ・ミュージック (2008-03-19) 売り上げランキング: 10329 オーケストラを指揮するクインシー・ジョーンズ。まさに音楽業界のボスがボスであることを象徴するように、堂々としている。 ENT>DVD>Jones, Quincy
April 07, 2008Talk About MJ With Nishidera Gota, MJ-Spirit[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【マイケル研究家・郷太観】 研究。 先日ライヴ・パフォーマンスを見たMJ-Spiritのブルートゥリーさんがマイケル・ジャクソン研究家の西寺郷太さん(ポップ・グループ、ノーナ・リーヴスのヴォーカル担当)をぜひ紹介したいというので、一席もうけていただいた。かなりマイケルについては研究しているとはうわさに聞いていたが、実際に会って話してみると、大変なものであった。 5時間近くあっという間にしゃべり倒された。(笑) テーマも多岐にわたったのだが、それらは郷太さんの仮説がひじょうにおもしろく、興味津々だった。そのうちのいくつかは彼が宇多丸さんのラジオ番組に出たときに話したというものだという。 彼は音楽と政治と歴史に興味がある。そこでマイケルの歴史と日本の政治家小沢一郎とを関連付けての仮説は最高におもしろかった。小沢一郎が衆院議員に初当選するのは1969年、奇しくもマイケルがジャクソン5としてモータウンからデビューするのと同年だ。そんなことを発見する郷太さんは、すごい。以降、それぞれの年表を作り、共通点をあぶりだしていく。2人の最大の共通点は周囲に周到な根回しができない点だと彼は指摘する。その結果、周りにいる優秀な人たちがみな徐々に離れていってしまう、という。な~るほど。 またマイケルとクイーンとの関係、マイケルとプロデューサー、クインシー・ジョーンズとの関係、『オフ・ザ・ウォール』、『スリラー』、『バッド』とアルバムを制作していく過程でのマイケルとクインシーとの関係の推察なども妙に説得力がある。クイーンの「アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト」はもともとマイケルに提供されたものだった。それが没になってのクイーンとの関係がどうなったか。あるいは、「ウィ・アー・ザ・ワールド」におけるマイケルの位置、そこから発展し、「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加したアーティストたちが、その後、一発程度大ヒットを飛ばすものの、ほとんどみな人気が下降していく、という指摘。おもしろい。 マイケルのアルバム『バッド』のジャケットとクインシーのアルバム『バック・オン・ザ・ブロック』のジャケットは、横に並べるとデザインがシンメトリーだ、という発見。これも気づかなかった。 さまざまな事実、ひとつひとつはささやかな事実を、徹底して俯瞰(ふかん)して見つめることによって浮かび上がる壮大な真実。僕もライナーノーツや記事を書くときに、徹底して主観を排し事実を積み重ねていくが、彼も同様のことをここ20年近くやってきた。 彼がマイケル好きになったきっかけが、ジャクソンズのアルバム『ヴィクトリー』(1984年)の僕が書いたライナーノーツだという。その後、僕が翻訳したマイケルの年表ブック『マイケル・ジャクソン観察日誌』(小学館)は、それこそ穴があくほど読んだそうだ。マイケルをここまで研究するようになったきっかけが僕のライナーノーツだと言われて、驚いた。 しかし、あの事実だけの資料ブック『マイケル・ジャクソン観察日誌』やさまざまな資料から、ここまでの仮説をイマジネーションたくましく広げられるというのは本当にすごい。いちいち説得力がある。そこに感銘を受けた。 彼は言う。「司馬遼太郎は、坂本龍馬には会ってないんですよ。でも、彼が書く坂本龍馬は、司馬の視点で書かれていて、それはまさに『司馬観』でできている。だから、僕も『郷太観』でマイケルを見つめています」 これらの仮説はまとめて、将来一冊の本にしたいという。これはまちがいなくおもしろい読み物になる。 ENT>ARTIST>Jackson, Michael
March 31, 2008Finally Jero Came To The Studio[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【ジェロ参上】 一期一会。 今年にはいってから「アメリカの黒人の演歌シンガー」として話題沸騰中のジェロが、『ソウル・ブレンズ』にやってきた。ジェロは、とてもソフト・スポークンの物静かな青年だった。しかし、一見ファッション的には、R&B、ヒップホップ系、でも歌う曲は「ど演歌」。このアンバランスがたまらない。 生放送前に、打ち合わせでちょっと話す機会があった。「(ジェロの)誕生日が、ビヨンセと一緒というのは知ってる?」 「知ってます」 1981年9月4日、月日だけでなく、年まで一緒なのだ。「2-3年前かな、雑誌かなにかで、(ビヨンセの誕生日が同じだということを)知りました。去年かおととしかな、ビヨンセ、ライヴ見に行きましたよ。でも、(武道館2階の)上のほうで、これっぽっちしか見えなかった」 指で小ささを表現する。「じゃあ、楽屋とかに行って、ビヨンセには会えましたか?」 「いやいやとんでもないです。まだ普通の人でしたから。よろしくお願いします」(笑) 昨年1月のジョン・レジェンド(国際フォーラム)にも行ったという。「ジョンには会えましたか?」「いやいや、とんでもない。そういう機会があれば、よろしくお願いします」(低姿勢) デビュー曲「海雪」は、宇崎竜堂さんが作曲、作詞は秋元康さん。最初のデモテープに仮歌でも入っていたのかと思ったら、「いやあ、はいってなかったです」とのこたえ。自分でニュアンスなどを吹き込んだという。これはおそれいった。 ちーちゃん、「(歌詞の中にある)出雲崎ってどこですか」 ジェロ。「新潟です」(一同爆笑) 日本人が知らないこと、知ってる。 ヴォイス・トレーニングにはデビュー前2年ほど通っていた、という。ただ演歌を歌うときと、アメリカのソウル・ミュージック、あるいはR&Bを歌うときでは発声が違うはず。「演歌のほうがいいですね。(ソウルは)苦手なんです」(笑) 「でも、もし5歳くらいからR&B歌っていたら、(今でも)R&Bを歌っていたと思う」 教会でゴスペルは歌っていない。 そんな彼が自分の曲以外で選んだのが、ルーサー・ヴァンドロスの「テイク・ユー・アウト」。ものすごく好きだそうだ。「R&Bで一番好きなシンガーです。亡くなられたことがすごくショックで、今でも昔の曲を聴いています」 日本語が流暢でペラペラだ。 将来、R&B、ソウルの方向性へ進む可能性はあるかという問いには、「今のところないですね。コラボくらいだったら(可能性はなくはない)。でも、まず、演歌で足固めをしてからですね」。 しばらく前まで埼玉県に住んでいて、仕事で東京に来るために電車に乗っていたという。さすがに今では電車に乗っていたら、人だかりができてしまうだろう。「何線に乗ってたんですか」 「南北線」。いちいち、おもしろい。 英語の曲紹介がさまになっていたので、ラジオやったらどうですか、というと、すでにニッポン放送でラジオのレポーターをやっているという。「それが難しくて、シンドイんですよ」(笑) これ、そのまま、ジェロが日本語で語ってるんですよ。 ブラックのマーヴィンと同じくブラックのジェロが、日本語でしゃべっている図。不思議だ。マーヴィンが訊く。「日本語で好きな言葉は?」 ジェロ。「一期一会(いちごいちえ)」 おもしろい。日本人でソウル・ミュージックを歌うシンガーがいるのだから、アメリカ人で日本の演歌を歌うシンガーがいたっておかしくない。まさに文化往来。アルバム出したときは、また遊びにきてください。 今年の紅白、出場まちがいない。ジェロを出さなくて、誰をだす? ■今日3月31日『徹子の部屋』(テレビ朝日系・午後1時20分)に出演。 ENT>ARTIST>Jero
February 02, 2008Peabo Talks About His Secrets Of…[ ENT>MUSIC>ARTIST>, ENT>MUSIC>LIVE>]【ピーボ、いろいろ秘密を語る】 秘密。 ライヴ後、ピーボ・ブライソンと話す機会があった。12回のセットをやったということで、かなり解放感でもあったのだろう。ピーボは雄弁だった。 松尾さんが「かつては音楽ライターで、DJであなたにインタヴューしたこともありましたが、今は音楽プロデューサーでK君をプロデュースしています」と自己紹介すると、ピーボが「おおおっ、彼は歌がじつにうまいね。とても才能がある」といきなり賞賛。「彼は自分で曲も書くのかな」「書きますよ」 「それにしても、1週間、おつかれさま。声、強いですねえ。でも、初日も見たんですが、初日と比べると、声が弱くなってるような気がしました」 「ああ、6日間、1日2ショーは大変なんだよ。だいぶ、声も(初日より)弱くなったよ(笑)」 「あなたはタバコを吸いますね。喉に悪くないんですか」 「いや、僕のはこれなんだ。ナチュラル・タバコ。成分がみんな自然のものを吸ってるんだ」と言ってそのタバコの箱を見せてくれた。「これが喉をよく保つ秘密さ(笑)」 【「これで、喉を鍛えてます」(冗談) 左から松尾氏、そのナチュラル・タバコ、ピーボ、吉岡】 松尾さん、以前インタヴューしたときの話をして、合間を見て、どちらからともなく、またまた「何で『フィール・ザ・ファイアー』やらないんですか」としつこく尋ねる。(笑) 「いやあ、それって(日本で)人気あるのかい?」 「ありますよ」と2人で声を揃える。松尾さん。「初期の頃のヒット曲をメドレーでもいいからやったらどうですか」 「ああ、そういえばメドレーでやってたことあるよ。『レット・ザ・フィーリング・ショウ』『アイム・ソー・イントゥ・ユー』『リーチン・フォー・ザ・スカイ』『アイ・アム・ラヴ』なんかをやって、そして『フィール・ザ・ファイアー』にもってくんだ」 「それやってくださいよ」と2人でハモる。僕。「スティングの2曲は、多すぎませんか」「そうか、確かにな。1曲でもいいかもしれないな。スティングの曲は個人的にすごく気に入ってるんだ。」 「『エヴリ・ブレス・・・』なんかは将来、自分でレコーディングしますか?」 「うん、したいね」 松尾さん。「あの頃の曲だと、ボビー・コールドウェルの『ホワット・ユー・ウント・ドゥー・フォー・ラヴ』なんてどうですか」 「おおっ、大好きだよ!」と言って、なんと、いきなりピーボ、その曲をうたい始める!! 松尾氏やんやの喝采をいれ、歌を終わらせないようにたくましい努力。途中、「ぱっ、ぱっ」っとトランペットの音まで入れ込んで。ピーボのりのり。1分くらいは歌ってくれたかなあ。これはラッキーだった。(笑)「1曲目(のスティング)を落として、『フィール・ザ・ファイアー』かこの『ホワット・ユー・・・』あたりに差し替えようかな。次に来日するときには、そうするよ」 「ところで、あなたは本当によく日本語しゃべりますね。誰か先生でもいるんですか。それともブルーノートのスタッフにでも教わるんですか」「いや、僕は自分で勉強してるんだよ。その秘密はこの本だよ」と言って奥から一冊の本を持ってくる。『ジャパニーズ・フォー・ダミーズ(サルでもわかる日本語)』。「これで、勉強してるんだ。これ、文法的なこと、日本語の構造とか、わかりやすく解説されてる。もっとも、僕が最初に手に入れた日本語の本は、『ジャパニーズ・フォー・セヴンデイズ(7日でしゃべれる日本語)』。でも、7日でぜんぜんしゃべれなかった。(笑) この『ダミーズ』の本は、いろいろあるんだよ。『文法・フォー・ダミーズ』とか、『ファイナンス・フォー・ダミーズ』とか。言葉では、僕は『イタリア語』と『ラテン語』『フランス語』のダミーズを持ってるよ。CDついてるから、日本語の発音もこれで覚えるんだ」 これが、ピーボの日本語の秘密だ! 【ワタシハコレデ日本語をオボエマシタ】 ほ~~~っ、これは恐れ入った。海外からのアーティストは、周囲のスタッフや通訳に自分が言いたいことを聞き、それをローマ字で書いて覚えたりする。もちろん、ピーボもそれもするだろうが、この本があれば、自分で作文できるだろう。「グラミーをカクトクしました」もでてくるわけだ。 「ほら、日本であちこちに1人で行くとき、まわりの人とコミュニケーション、取れたほうが楽しいだろう。それに地下鉄なんて乗っても、日本語がわからないと迷ってしまう」 「ええっ、地下鉄、乗るの? ピーボさん」 「あ~~、乗る、乗る」 「1人で?」 「オー・イエス」 思わず、「スイカ持ってますか」と尋ねそうになったが、「スイカ」の説明を英語でするのが、ちょっと大変そうだったので、急遽やめた。だが、これだけ語学に熱心であれば、電子辞書をお勧めしたい。「電子辞書は持ってますか?」「いやあ、持ってないなあ」「次は電子辞書ですね。これは、とっても便利ですよ」 「ところで、あなたが今日も歌ったアル・ジャロウの『ノット・ライク・ディス』、素晴らしいですね。なんでまた、この曲を?」 「あの曲はものすごく難しいんだよ。コード、バックのバンドとのハーモニー、テンポ。シンガーとしてものすごくチャレンジなんだ。それほど多くのシンガーはあの歌はできない。僕はあれが歌えるということで、他の普通のシンガーとは違うんだ、ということが示せると思うんだよね」 他のシンガーが歌えない曲を歌えて個性あるシンガーということだ。なるほど、あれは、シンガーとしてのプライドが凝縮されているのだ。それは歌うときに力も入るというもの。 そして、「ミッシング・ユー」。「これは、あなたにとってもスペシャルな曲ですが、初日、あなたが歌ったとき、目が赤くなっていましたね。今日はどうでした?」 「初日は、我を失った。(I lost it) 今日は、(歌っていたとき)姉や母の顔が浮かんできた。でも、今日は大丈夫だったよ。そうそう、(作者の)レデシーには会ったことあるよ」 ピーボは姉、自分、弟、妹の4人兄弟。2歳年上の姉をしばらく前に失った。「姉はまだ若かったんだよ。僕より2歳年上なだけでね、母親は85歳くらいだったかな。2人とも素晴らしい女性だった。姉の子供、2人は僕がけっこう面倒を見てるんだ。僕はアンクル・ピーボだな(笑)」 「ミッシング・ユー」を歌うとき、ピーボは今は亡き母と姉を思い浮かべる。これから何十回、何百回と歌っていく作品だ。将来もときには感極まることもあるだろう。これが、「ミッシング・ユー」を歌うときのピーボの涙の秘密だ。 楽屋に行ったのが1時前。出てきたら、1時半近かった。20分以上いたのかな。この間、われわれはずっと立ち話である。ほんとにみんな立ち話が好きである。 Japanese for Dummies (For Dummies (Language & Literature)) posted with amazlet on 08.02.01 Eriko, Ph.D. Sato For Dummies (2002/05/15) 売り上げランキング: 100965 ENT>MUSIC>LIVE>Bryson, Peabo December 25, 2007Photographers & Musicians: What Will Photographer Capture Of Musician?[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【写真家はミュージシャンの何を撮影するのか】 瞬間。 先日、デイヴィッド・T・ウォーカーの記事でいろいろ書いたが、それに対して写真家の坂下さんからBBSに『私もDavidの持つ全ての感情をキャプチャーしたいと思っていました』と書き込みをいただいた。 December 23, 2007 BBS(2007年12月23日付け) ミュージシャンを撮影する写真家というと、僕はいつもある一文を思い出す。 それはロバート・ジェームス・ウォラーの書いたベストセラー『マディソン郡の橋』(1992年)だ。ただし、その本編の小説ではない、最後の「あとがき~タコマのナイトホーク」という文章だ。 マディソン郡の橋 (文春文庫) posted with amazlet on 07.12.25 ロバート・ジェームズ ウォラー Robert James Waller 村松 潔 文藝春秋 (1997/09) 売り上げランキング: 71929 著者のウォラーが本編の主人公、ロバート・キンケードという写真家をリサーチし、キンケードを知るミュージシャン、ナイトホークを探し出し、彼についての話を聞いたものだ。 それによると、キンケードという写真家は、いつも「音楽を目に見えるイメージに変えようとしていた」という。あるとき、キンケードはナイトホークにこう言った。「あんたがいつも『ソフィスティケーテッド・レディ』の四小節目でやるリフがあるだろう? じつはこないだの朝、あのイメージを撮影できたような気がするんだ。海の向こうからうってつけの光が差してきて、ちょうどそのとき、アオサギがファインダーのなかで輪を描いた。その泣き声を聞きながらシャッターを切ったとき、実際、あんたのリフが見えたような気がしたんだ」(ロバート・ジェームス・ウォラー著、村松潔訳=文芸春秋刊) 拙著『ソウル・サーチン』ナタリー・コールの章で写真家と音楽家についてこう書いた。 「ミュージシャンと写真家には、ある種の共通の言語が存在する。ミュージシャンは、音符に生命を与え、生き生きとさせる。動きがなかったもの、凍っていたものを解凍するのだ。そして、写真家は、生きているものを、一瞬のフレームの中に凍結する。解凍と凍結。まったく逆の作業をするが、その本質はきわめて近い。そして、優れたミュージシャンは、音符でイメージや映像を作ろうとする。優れた写真家は、写真でメロディーを奏でようとするのだ。そして、優れた写真からは、音楽が沸き上がり、優れた音楽からは、映像が広がるのである。\n ジョージ・ハレル(ナタリー・コールの『アンフォーゲッタブル』のジャケット・ポートレートを撮影した写真家)は、このアルバムに収められた音楽を見事にひとつのナタリーのポートレートに凍結したのだ。そして、ナタリーはその歌で、この写真を解凍する。このアルバム・ジャケットとCDに収められた音楽には、凍結と解凍の永遠の連鎖が美しく存在しているのである」(『ソウル・サーチン』吉岡正晴著=音楽之友社刊) デイヴィッド・T・ウォーカーは、彼のリフを見るが如く撮影したいと願う写真家にとって、最高の被写体だ。 ソウルサーチン R&Bの心を求めて posted with amazlet on 07.12.25 吉岡 正晴 音楽之友社 (2000/07/13) 売り上げランキング: 737298
December 19, 2007Distinctive Fingers, David T. Walker Says “Guitar Is My Voice”[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【デイヴィッド・T・ウォーカー、ギターは私の声だ】 声。 人気ギタリスト、デイヴィッド・T・ウォーカーが今年(2007年)5月自己名義で来日し、コットン・クラブでライヴを行い、その模様が映像収録され、DVDが発売されている。 LIVE IN TOKYO AT COTTON CLUB posted with amazlet on 07.12.19 インディーズ・メーカー (2007/08/08) 売り上げランキング: 8301 5月のライヴの模様を見ながら、先日のライヴを思い出す。やはり、今回はひとりジェリー・ピーターズが加わっているだけで、サウンドの幅がぐっと広がっていることがわかる。しかし、デイヴィッドのギターのすばらしさは変わらない。 特典映像で、彼のインタヴューが入っている。これがなかなかいい内容だ。この中で「自分が前面にでて、自身のバンドでやることにずっと興味がなかった。ま、でも、そろそろやってもいいかなと思ってやった」というようなことを言っているが、このあたりに彼の謙虚さがでている。常に誰かを支えてくるという人生で半世紀過ごしてきた彼ならではだ。超一流のバイプレイヤー、名脇役といったところだろう。 ライナーノーツの中で、ドリームズ・カム・トゥルーの中村正人さんが、「デイヴィッドとやると、自分のベースがうまくなったような気になる」と言っているが、これも言いえて妙だ。例えば、テニスなどの相手のあるスポーツだと、対戦相手が上手だと、こちら側も上手になったような気になってしまう。それと同じだ。だからミュージシャンもものすごく上級のミュージシャンとやると、周囲のミュージシャンもそれにひきづられてうまくなるのだ。そうしたこそが、ミュージシャン同士を切磋琢磨(せっさたくま)し、ミュージシャンシップを厚くさせ、ケミストリー(化学反応)を起こさせる要因だ。デイヴィッドの場合、まさにそうしたケミストリーを起こさせるハブ(中心軸)になるようなアーティストということになる。そこがまたすばらしい。もし仮にどんなにいい腕をもっていても、ひじょうに自己中心的であったり、わがままだったりすると、そうしたケミストリーは起こらないものだ。 同じようにインタヴューの中でデイヴィッドは「ずっと長い間、さまざまなアーティストのバックをつけてきて、そうしたアーティストたちに自然にあわせるようになってきた」とも言っていた。バイプレイヤーとして長い間やってきて、さて自分自身が表に立ったときどうやっていいのかわからない、といった照れもあったのかもしれない。だから何年も自身のソロ名義でやらないかという誘いにもOKをださなかったのかもしれない。そして、ふだん無口な彼にとって、ギターは彼の声(ヴォイス)だと言う。ベイビーフェイスが「シャイな自分にとって歌(ソング)が、僕の声(ヴォイス)だった」という言葉と同じだ。 インタヴューの中で、ギターの弾きかたをいくつかちょっとだけ披露するシーンがある。そのほんの1~2秒だけ、彼の指がギターの弦を爪弾く(つまびく)だけで、デイヴィッドの音になるのには感激した。あれは収録していたインタヴューワー、スタッフも鳥肌ものだったのではないだろうか。 クラプトンのときにも言ったが、結論は簡単だ。あの感動を生み出す秘密はこれに尽きる。 「指が違う」のである。 ■過去関連記事(前回のデイヴィッド来日ライヴ評) May 11, 2007 May 12, 2007 May 13, 2007 May 14, 2007 December 17, 2007 ENT>ARTIST>Walker, David T. October 18, 2007Carl Thomas's New Album And His Coming Japan Tour...[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【カール・トーマス最新作『ソー・マッチ・ベター』と来日・・・】 偶然。 11月に来日するカール・トーマスについての打ち合わせをするために恵比寿ウェスティンのコーヒーハウスで、レコード会社の方と待ち合わせ。カールは、以前バッドボーイ・レーベルから2枚のアルバムを出し、3作目が日本で5月に出た『ソー・マッチ・ベター』(フォーミュラ・レコーディングス)。最初のアルバム『エモーショナル』がリリースされたのが2000年だから、もう7年も前のこと。ここに入っていた「アイ・ウィッシュ」は個人的にひじょうに好きだった。 横浜に、この「アイ・ウィッシュ」をうまくカヴァーするブラックのシンガーがいて、よくピアノバーで彼にリクエストした。というより、彼自身がその曲が大好きで歌っていて、それが僕も気に入っていたのだ。あの彼は今、どこに? (笑) この新作は、元MCAレコードのエグゼクティヴであり、元モータウン社長でもあったジェリル・バズビーがアメリカで興したアンブレラ・レコードからの作品。アメリカではユニバーサルが配給しているが、日本はフォーミュラ・レコーディングスがライセンス契約しリリースしている。このフォーミュラからは昨年一足先にケイシー&ジョジョのケイシーのソロアルバムが出た。 来日前に電話インタヴューして、新聞に掲載という話もあったのだが、紙面の都合がつかず、結局ライヴ評を書くということで落ち着いたところだった。来日時にインタヴューでもしましょうか、あるいは、レコード会社ではラジオ・プロモーションを考え中といった話だった。個人的には、キース・スゥエットに続いての来日男性ソウル・シンガーで期待もしていた。 彼のファースト・アルバム『エモーショナル』は、プラチナム・ディスクに輝いた。しかし、まったく予期せぬ悲劇が襲う。2004年10月31日、彼の2歳年上の兄が急死するのだ。兄は、地元イリノイ州で、十代の若者たちによる車からの無差別銃撃の銃弾に倒れ、亡くなったのである。 この兄の死で彼は決定的に落ち込み、そして人生について深く考えたという。このときバッドボーイは、そのニュースをカールのファンに知らせることもなかった。さらに2作目の制作課程で、作品への介入が前作に比べ著しく大きくなり、カールはレーベルと対立。2作目は完成させ、結局ヒットになるが、その後、バッドボーイと袂を分かつことになった。 兄の非業の死を知ってアルバムを見ると、兄の墓石に手をかけるカールの写真が胸を打つ。アルバムは彼へのトリビュートになっており、各曲を見ていくと、その亡き兄を思う作品がいくつも収録されている。インタールードの「アイ・ミス・ユー」など、まさに兄へのメッセージだ。アルバムの内容はなかなかいい。 さて、その担当者Sさんが実は1980年代に僕がアドリブという雑誌で連載していた「プリンス物語」を熱心に読んでいて、それでプリンスとか、ジャム&ルイスとか、ミネアポリスもの、ひいては当時のブラック・コンテンポラリー系のレコードにのめりこんだ、という話になった。あれを読まれていた方、けっこういるんですねえ。ツナさん。(笑) カール・トーマスの最新作にもジャム&ルイスのてがけた曲が入っている。 で、ミネアポリス雑談などをしているとSさんの携帯にメールが入った。みるみるうちに表情が激変。「カール・トーマス、来日中止のメールが転送されてきました・・・」 おおおっ。じゃあ、この打ち合わせは、水泡に帰す? (笑) ところで、カール・トーマスの日本盤発売レーベルは先ほどから書いているが「フォーミュラ・レコーディングス」という。カールの歴史を紐解くと、彼はバッドボーイと契約する前に、エピックレコード所属のグループに参加していたという。そのグループの名前が、なんと「フォーミュラ」というものだった。偶然! ■カール・トーマス 最新作『ソー・マッチ・ベター』 ソー・マッチ・ベター posted with amazlet on 07.10.18 カール・トーマス ベビー・シャム デイブ・ホリスター ララ・ハザウェイ ブランディ フォーミュラレコーディングス (2007/05/30) 売り上げランキング: 54616 『エモーショナル』 カール・トーマス アリスタジャパン (2000/05/24) 売り上げランキング: 28965 やっぱり、「アイ・ウィッシュ」は傑作。 ENT>MUSIC>ARTIST>Thomas, Carl October 14, 2007Jennifer Batten Showcase[ ENT>MUSIC>ARTIST>]【ジェニファー・バトゥン・ショーケース】 ギター。 ジェニファー・バトゥンというギタリストがいる。女性ギタリストだが、ご存知の方は、ギターマニアかな。彼女が有名になったのは、1987年のマイケル・ジャクソンの世界ツアーに参加したことから。このツアーはご存知の通り、ここ日本から始まった。そのときに、光るギター、そして、逆立ったヘアで大いに注目されたのが、ジェニファー・バトゥンである。とは言ってももう20年も前のことだ。 僕はマイケル・ジャクソンの1987年の初のソロ・ツアーを取材したので、そのときに初めてジェニファーに会った。その彼女に、20年ぶりに会った。ジェニファーはその後も、マイケルの「バッド・ツアー」「ヒストリー・ツアー」などにも参加、さらに、同じくギタリストとして最高峰のジェフ・ベックのツアーに誘われてワールド・ツアーに帯同している。 ちょうど、彼女の新作で通算3作目のアルバム『ホワットエヴァー』がこの9月に日本先行で発売され、そのプロモーションの一環で来日、話を聞くことができた。インタヴューの内容はまた後日お送りするとして、彼女のショーケース・ライヴが9日(火曜)に渋谷の東京スクールオブミュージック専門学校で行われた。 この日登場したのは、ジェニファーひとりなのだが、コンピューターに事前にプログラムした音と映像とシンクロさせてギターをプレイした。その映像がけっこう凝ったものでおもしろく、しかも、ギタープレイと同調していて、なかなか興味深かった。基本的には、ロックの世界なのだが、こういうライヴ形式もあるのか、と思った。 ■ジェニファー・バトゥン 最新作『ホワットエヴァー』(ウッドベル) ホワットエヴァー(DVD付) posted with amazlet on 07.10.14 ジェニファー・バトゥン WOOD BELL RECORDS (2007/09/10) 売り上げランキング: 13195 ENT>ARTIST>Batten, Jennifer October 03, 2007 |