April 06, 2009

Ken Gold's Realistics Was Played Back To Back

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【リアリスティックス『サンデイ・ソングブック』でシングル両面オンエア】

両面。

いつものように日曜午後『サンデイ・ソングブック』(午後2時~東京FM系全国ネット)を聴いていると、山下達郎さんが最近手に入れて嬉しかった1枚ということで、リアリスティックスというグループのシングルを紹介した。

REALISTICS : So Sad / The Magic That You Do (UK)(Epic 5723)

最初「ザ・マジック・ザット・ユー・ドゥ」をかけた。達郎さんが番組内でも言っていたが、好きな作曲家のひとりケン・ゴールドの作品で、何か一緒にやってみたいと思ったくらいお気に入りで趣味もあうソングライター、とのこと。そこでこれを聴くと、ギターのカッティングや曲調まで、達郎さんテイストで驚いた。

そうしたら、なんとシングルのもう片面までかけてしまった。シングルを両面かけるなんて、チョー受ける。(笑) 僕はリアリスティックスというとシカゴのブランズウィック・レーベルから出ているグループしかしらなかったが、これは同名異グループということらしい。この片面もいい曲だ。

で、『サンデイ・ソングブック』のホームページで曲目リストを見て、シングル盤の盤面を見ると、「ソー・サッド」がこのシングルではA面になっている。ところが、「ザ・マジック…」のほうは、これが出る前にシングルA面になっていた。

いろいろ調べてみると、このリアリスティックスは、最初1977年4月にイギリス・エピックから「Someone Oughta Write A Song」(英Epic 5156)を出していて、自分のリストをひっくり返してみたら、僕もこのシングルを持っていた。その次にでたのが、「The Magic That You Do b/w Love Vibration」(英Epic 5439)、さらにその次が「So Sad / The Magic That You Do」(英Epic 5723) で、達郎さんはこのEpic 5723を使用してかけた。前からシングル盤は持っていたが、キズがついていて、とてもかけられる音質のものではなく、今回きれいな盤が手にはいってさっそくかけたと紹介していた。

番組内で達郎さんは、イギリスのソングライターの資料はなかなか集まらないと嘆いていた。確かにケン・ゴールド作品集なんてあったら、かなりマニア受けしていいと思う。ケン・ゴールドで一番印象に残っているのはデレゲーションだがたぶん他にもたくさんやっているのだろう。

ENT>ARTIST>Realstics


投稿者 吉岡正晴 : 03:36 AM | コメント (0)

April 05, 2009

Actor Nakamura Baijaku Has Jaco Pastorius Bass

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【中村梅雀さん、ジャコのベースを入手】

マニア。

先日、またまたNHKの『スタジオパーク』(毎週月曜から金曜午後1時5分~)をつけていたら、俳優の中村梅雀さんがでていて、趣味の話をしていた。そうしたら彼はベースを弾き、しかもCDまで出しているという。プロ顔負けのベース奏者とのこと。それで、いろいろな話の中で、「最近、ジャコ・パストリアスというベースの神様みたいな人がいるんですが、その人が実際に使っていたベースが僕の手元にやってきたんです。手に入ったんです」とめちゃくちゃ目を輝かせながら話していた。

おっと、それはすごい話しだな、と思いつつ、テレビに目をやる。ジャコが使っていた現物となると、かなり高いのではないかと思ったが、案の定アナウンサーもその質問をした。そうしたら「かなり高かった…」とだけ述べて、実際の金額は言わなかった。そこで、彼のウェッブ・ページを見に行ったら、その入手の顛末(てんまつ)が書かれていた。

その顛末↓
http://www.baijaku.com/bassno.0/kaisetu/no0_02.htm

いやあ、この顛末を読むと、本当に梅雀さんのこのベースへの揺れる心が手に取るようにわかってすごくおもしろい。ていうか、音楽好き、楽器好きだったら、この気持ちは痛いほどわかるだろう。(笑) もうひとりかふたり興味を示した有名バンドのベース奏者って誰なんだろう。それと、元の持ち主としてノーマン・ハリスという人の名前がでている。これって、フィラデルフィアの有名なギアリストのノーマン・ハリスなのだろうか。彼は1987年に死去しているので、それで彼が持っていたとすると、徐々に流れに流れて、ここにたどり着いたのか。でも、よく考えると違うのかもしれない。これも本当にご縁だ。

このホームページには彼の本職の俳優としての仕事振りも詳細に紹介されているが、なんと自分のベース・コレクション、ギター・コレクションが綺麗な写真とともにアップされている。ベースは29本、ギターも12本、それぞれ番号を振って写真と簡単な解説が書かれている。

ベースとギターのコレクション紹介↓
http://www.baijaku.com/instruments.htm

たぶん、これまでにこつこつ集めてきたベースやギターを写真とともにアップしたのだろう。しかし、彼にとって今回入手したジャコのベースがどれくらいインパクトがあったかというと、その通し番号1の前に0としてこのジャコのベースを紹介しているのだ。\n

ちなみに梅雀さんホームページ・トップページ↓
http://www.baijaku.com/

しかし、『スタジオパーク』は、この前の光石研さんといいこの中村梅雀さんといい、音楽趣味の人をよく紹介しているなあ。

ENT>MUSICIANS>Nakamura, Baijaku


投稿者 吉岡正晴 : 02:07 AM | コメント (0)

March 19, 2009

Curtis Mayfield: People Never Give Up

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【カーティス・メイフィールド『ピープル・ネヴァー・ギヴ・アップ』】

中毒。

昨日カーティスの紙ジャケの話を軽く書いた。そのとき思ったのだが、ライナーノーツがだいたい昔出たものの二次使用で、10年くらい前に書かれたのがそのまま使われているのが残念。カーティス自身は亡くなっているので彼の言葉は新しくでてこないかもしれないのだが、やはり10年もあると、新事実が意外とでてくるもの。一番大きかったのが、2003年に出版された『カーティス・メイフィールド~ピープル・ネヴァー・ギヴ・アップ』(ピーター・バーンズ著=サンクチュアリー出版・イギリス)という自伝。予算がなくて、書き下ろしライナーが使えないという事情もわからなくはないのだが、やはりファンとして新しく、より正確な情報は知りたいところ。

そこで、この『カーティス・メイフィールド~ピープル・ネヴァー・ギヴ・アップ』と題された本を軽くご紹介。これは日本語版はなく、このイギリス版だけ。著者のピーター・バーンズは1960年代後期からイギリスで「イアーショット(Earshot)」というソウル・ミュージックのファンジン(マニア向けの同人誌)を出し始めた人物。で、その取材過程でカーティスにも1971年から1996年まで4回ほどインタヴューしている。この96年のインタヴューは、カーティスが『ニュー・ワールド・オーダー』を出したときのもの。

それだけでなく、30年以上にわたってカーティス周辺、シカゴ・ソウル周辺のアーティスト、プロデューサーに多数インタヴューし、それらをまとめて一冊にした。そこで本編は270ページほどなのだが、そうした関連アーティスト関係者をABC順に簡単に紹介するページが50ページもある。ジョン・アビー、ギル・アスキー、ケニー・バーク、ダニー・ハザウェイなどなど、その取材ぶりはかなりのもの。

ただし、全体的なトーンは徹底してレコード・レヴューを中心にしたもので、カーティスの生き様、プライヴェート、どのようにしてこの社会派シンガー・ソングライターが生まれ、成長したかはそれほど詳しくない。たぶん、カーティスにもさまざまな心の暗部、葛藤があったはずなのだが、そのあたりをじっくりと読んでみたい。たとえば、カーティスは70年代後期、1979年からカートム・レコードの配給を、ワーナーからRSOに変更する。RSOはもちろん、『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』で当てたレーベルだ。そして、カーティス作品も徐々にディスコに軸足を置くようになる。あれだけ社会派のカーティスがなぜディスコに。そのあたりの真相は聞いてみたかった。今年はカーティスが1999年12月26日に亡くなってはや10周年。時が流れるのは早い。

ところで、著者ピーター・バーンズは、この書籍で書ききれなかったものをウェッブサイトに公開している。

http://www.soulmusichq.com/index.htm

そして、このサイトを見に行ったら、バーンズはヴォーカル・グループ、ドリフターズの本も書いていた。これも読みたし、時間は足りなし。あ~~悲し。しかし、カーティス作品を聴きながら、こうやって原稿を書いていると、カーティスの声っていうのは、本当に中毒になりますねえ…。そか、ジョン・アビーに一度カーティスの話をじっくり聞く手があるな…。

■ カーティス・メイフィールド『ピープル・ネヴァー・ギヴ・アップ』~ピーター・バーンズ著

Curtis Mayfield: People Never Give Up
Peter Burns
Sanctuary Pub Ltd
売り上げランキング: 303542

■ カーティス・メイフィールド 『ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ』(紙ジャケ)

(やはり、この中では「ソー・イン・ラヴ」でしょうか。カーティスの「ムーヴ・オン・アップ」(上昇志向)から「ハング・オン」(現状にしがみつけ、がんばれ)がコンセプトのアルバム)

ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ+1(紙ジャケット仕様)
カーティス・メイフィールド
ビクターエンタテインメント (2009-03-25)
売り上げランキング: 31985

ENT>MUSIC>ARTIST>Mayfield, Curtis

投稿者 吉岡正晴 : 03:24 AM | コメント (0)

March 18, 2009

Curtis Mayfield Papersleeve CD With SHM CD Will Be Out On March 25

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【カーティス・メイフィールド作品10作品紙ジャケ、SHMCDでリリース】

カーティス。

奇才カーティス・メイフィールドのカートム・レコードからの作品9枚が紙ジャケット仕様SHM-CDで2009年3月25日発売される。

カーティスは60年代インプレッションズというヴォーカル・グループで活躍した後ソロに転向。1972年、ブラック映画『スーパーフライ』の音楽をてがけたことで一躍知名度を上げた。良質の音楽と独特のファルセット系の声と社会に目を向けた詞で唯一無比の世界を作り上げた。インプレッションズ時代の「ピープル・ゲット・レディー」、1975年のアルバム『ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ』など重厚な作品が多い。

+++

個人的にはカーティスといえば、1994年、電話インタヴューしたときのこと、それから1984年3月の来日、渋谷ライヴ・イン82でのライヴが記憶に残る。そして、やはり『スーパーフライ』。正直、今回紙ジャケ化されるアルバムは当時ほとんど輸入盤で買っていたので、真剣に歌詞カードを読んだりすることはなかった。だから、こうして日本盤で歌詞カードなどが、字が小さいながらも入っていると思わず読んでしまう。

■ カーティス・メイフィールド関連記事

カーティス・メイフィールド・インタヴュー『ベッドからの電話』(1994年5月)
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/interview/curtis19940329.html

『車窓を奏でるメロディー』(3)
『その列車は、希望の灯火 その列車の乗車券は、信念』(1999年6月)
http://www.soulsearchin.com/periodical/l&g/l&g03.html

■今回紙ジャケになる9タイトル・リスト
3/25発売 国内盤 カーティス・メイフィールド SHM-CD紙ジャケット・コレクション

○ スーパーフライ +11 (VICP-70093)
○ ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ +1 (VICP-70094)
○ ギヴ・ゲット・テイク・アンド・ハヴ +1 (VICP-70095)
○ ネヴァー・セイ・ユー・キャント・サヴァイヴ +1 (VICP-70096)
○ ショート・アイズ +1 (VICP-70097)
○ ドゥ・イット・オール・ナイト +1 (VICP-70098)
○ ハートビート (VICP-70099)
○ サムシング・トゥ・ビリーヴ・イン (VICP-70100)
○ ラヴ・イズ・ザ・プレイス +1 (VICP-70101)

4枚ほどピックアップ。

スーパーフライ+1(紙ジャケット仕様)
カーティス・メイフィールド
ビクターエンタテインメント (2009-03-25)
売り上げランキング: 28623
サムシング・トゥ・ビリーヴ・イン+1(紙ジャケット仕様)
カーティス・メイフィールド
ビクターエンタテインメント (2009-03-25)
売り上げランキング: 149906
ショート・アイズ+1(紙ジャケット仕様)
カーティス・メイフィールド
ビクターエンタテインメント (2009-03-25)
売り上げランキング: 395684


ラヴ・イズ・ザ・プレイス+1(紙ジャケット仕様)
カーティス・メイフィールド
ビクターエンタテインメント (2009-03-25)
売り上げランキング: 395682

ENT>ALBUM>Mayfield,. Curtis


投稿者 吉岡正晴 : 01:31 AM | コメント (0)

March 17, 2009

"My Brother Marvin" Play

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【劇『マイ・ブラザー・マーヴィン』】

演劇。

マーヴィンの自伝『引き裂かれたソウル~マーヴィン・ゲイ物語』は、彼の人生がいよいよあと1年をきったところ。あと15ページ。これを訳すにあたって、いろいろなことを調べることになるが、そんな中で、マーヴィンの妹ジオラ・ゲイ(愛称スイーツィー)が、『マイ・ブラザー・マーヴィン』という本を書き、またプレイ(劇)を公開していることを知った。

最初にデトロイトあたりで2001年ごろ行われたのだろうか、2007年にはニュー・ジャージーで行われている。いくつか、あちこちでやっているのだろう。他にもシカゴ、メンフィスなどでやっている。

そして、なんとこの劇でマーヴィン役を演じているのが、キース・ワシントンだというのだ。「キッシング・ユー」の大ヒットで知られるセクシーなソウル・シンガー。マーヴィンの母アルバータ役は、これまた、なんとアリソン・ウィリアムス! マーヴィンの父親役は映画『レイ』などにもでているクリフトン・パウエル。

また、この『マイ・ブラザー・マーヴィン』をベースにしたドキュメンタリーが2009年3月に公開されるらしい。さらにこのほかに、マーヴィンの姉であるジニー・ゲイもマーヴィンの母の自伝『ザ・ライフ・ストーリー・オブ・アルバータ・ゲイ』を書いたそうで、これもいずれ出るらしい。

ちょっと時系列がはっきりしないのだが、本が出たのは2008年ごろなのか。劇が先なのかもしれない。

いずれにせよ、このプレイは見てみたいところ。

(もう少し詳細を調べて後日報告します)

ENT>MUSIC>ARTIST>Gaye, Marvin


投稿者 吉岡正晴 : 07:22 AM | コメント (0)

March 11, 2009

Grab CD From CD Shelves: Nate James

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【棚束(たなつか)でネイト・ジェームス】

需要。

こもりきりだと新鮮なネタはなかなかないが、こういうときに、山下達郎さんの真似をしてブログネタも「棚束(たなつか)~CD・レコード棚からひとつかみ」することにした。達郎さんも『サンデー・ソングブック』はこのところ、曲作りがお忙しく、すっかり棚束のようで。(笑) 最近はロスコー・ロビンソン(2009年3月8日放送分)、LJジョンソン(2009年3月1日放送分)など、マニアックなソウル曲がでて、棚束大好きです。

さて、こちらの棚束は、ほんとはまだ棚に入る前の届きたてほやほやだが、なんと、イギリスのネイト・ジェームスの新譜がまたまたソウルのカヴァー集。最近だと、タワー・オブ・パワー、シールとあいついでソウル・カヴァー集を出しているが、みんな考えることは同じか。(笑)

ネイトはさすがに1979年生まれということもあり選曲が若い。おもしろいのは、サルソウル・オーケストラの「ランアウェイ」や、ほかにデズリーとかローリン・ヒル、ブレンダ・K・スターあたりの女性が歌った曲を男性シンガーにも関わらず選んでいる点。後者2曲などはなんかついこないだのヒット曲という感じがするが、もう「カヴァーされる時期」に来ているのか、と妙に感慨深い。マーヴィン曲はここでは「セクシュアル・ヒーリング」。しかし、マクファーデン&ホワイトヘッドの「エイント・ノー・ストッピン・アス・ナウ」を1曲目に持ってくるところなんか、いいセンスだ。だけど、ここまでカヴァーに需要があるんだったら、ケイリブとかブレンダとかフィリップ集めて、いいソウル・アルバムが出来る気がします。(笑)

■ 棚束の山下達郎氏関連記事

December 29, 2008
Yamashita Tatsuro @ Osaka Festival Hall Final
【山下達郎~フェスティヴァル・ホール最後の日】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_12_29.html

May 07, 2008
Yamashita Tatsuro Live At Hamarikyu Asahi Hall
【山下達郎~素晴らしき人生】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_05_07.html

May 11, 2008
Yamashita Tatsuro Acoustic Mini Live @ Hamarikyu Asahi Hall
【山下達郎・アコースティック・ミニ・ライヴ・セットリスト】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_05_11.html

達郎さんバンド、ドラマー小笠原氏が入ったバンドのライヴ評
December 31, 2008
The Last Day Of Martano: Kajiwara Jun Live
【マルターノ、梶原順ライヴで幕を閉じる】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_12_31.html

◎元祖・棚束 TFM系『サンデー・ソングブック』毎週日曜午後2時~
http://www.smile-co.co.jp/tats/pg/ssb.html
(早くアーカイブもいれて欲しいです(笑))

■ ネイト・ジェームス 最新作3作目『リバイバル』

リバイバル~アフロ・カヴァーズ
ネイト・ジェームス ヒンダ・ヒックス
EMI MUSIC JAPAN(TO)(M) (2009-03-18)
売り上げランキング: 1796

曲目リスト
1. エイント・ノー・ストッピング・アス・ナウ
2. レイバー・オブ・ラヴ
3. FAITH(フェイス)
4. ビコーズ・アイ・ラヴ・ユー
5. ファミリー・アフェア (Featuring ヒンダ・ヒックス)
6. ハイアー・グラウンド
7. フィール・ソー・ハイ
8. セクシャル・ヒーリング
9. ギヴ・ミー・ザ・ナイト
10. ランナウェイ
11. エックス-ファクター

ENT>ALBUM>James, Nate



投稿者 吉岡正晴 : 05:46 AM | コメント (0)

March 10, 2009

Marvin Gaye Autobiography "Divided Soul": Final Touch

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【マーヴィン・ゲイ自伝『引き裂かれたソウル~マーヴィン・ゲイ物語』~翻訳大詰め進行中】

助け舟。

とりあえず、288ページ(=28章、全340ページ36章中)までの見直し作業を終えて、あと約50ページ。舞台は、イギリス・ロンドンからいよいよベルギーのオステンドへ。オステンドはフランスの港町。ここにいるプロモーターのフレディー・クーサートを頼ってマーヴィンはロンドンを離れこの地に引っ越す。1981年のことだ。マーヴィンの逃亡生活は依然続いている。

彼がアメリカに帰れないのは、税金問題、慰謝料問題などがあり、もしアメリカに戻ると逮捕されてしまうのではないかという恐怖心があったためだ。オステンドはひじょうに居心地がよく、ここで彼はかなり英気を養う。街にある大きなスタジオでピアノを弾いたり、現金を稼ぐためにヨーロッパでツアーをやろうとして、そのリハーサルをする。徐々に彼のメンタルは復活しそうだった。

彼は常に戦う男だった。妻たちと争い、父と争い、レコード会社社長で義理の兄であるベリー・ゴーディーと争い、アメリカ合衆国と戦い、あちこちに争いの種があった。どんどんと追い詰められ、行き場がなくなり、彼は自殺さえ考える。プロモーターとやりあい、マネージャーとも議論し、マーヴィンの周囲には衝突があふれていた。

そして、ベルギーのオステンドまではるかロスアンジェルスからひとりのディレクターがやってくる。CBSレコードのラーキン・アーノルドだ。彼はマネージャーのカーティス・ショーからの誘いで、マーヴィンをCBSへ迎えることを検討し始める。しかし、そこには問題が山積していた。

まずモータウンとの契約。残っていたモータウンとの契約をどのように解消するのか。次に税金滞納問題。アメリカに入国するには、それらをクリアにしておかなければならない。そして、妻への慰謝料。ラーキンとカーティスは、この複雑に絡み合った糸を1本1本丁寧にほぐす。

そして、周囲の誰もが彼にはまだ才能が残っているのかどうか、疑問に思う。いかにして奇跡の復活は起こるのか。彼がどん底に落ちれば落ちるほど、どこからとも助け舟が手を差し伸べてくる。

あるとき10年来の友人、ジェフ・ウォルドがロンドンのマーヴィンのアパートを訪れる。彼は音楽関係の仕事をしている人物で、前妻はシンガーのヘレン・レディーだ。そのアパートは本当にひどいものだった。

ジェフが言う。「マーヴィンは私に言ったよ、10セントも持ってないんだ、って。彼の不渡り小切手も出回っていた。彼は、私にフェーマス・エイモス・クッキーの彼の持分の株を買ってくれないかと頼んできた。彼と私とヘレンは、最初の投資家だったんだ。私は彼に言った。『聞いてくれ、マーヴィン、これから大きな仕事があるんだ。いま、少し金を渡す。でも君の株はいらない。君が自分をそうやってだめにしていると、君はそこの息子のために何も残してやれなくなるぞ。その株は息子のためにとっておきなさい。たくさんのキャッシュを持っていた。7000ドルから17000ドルかあるいは、ポンドだったか、でも、それを彼に手渡したんだ。私は彼に言った。彼は自分自身の人生を台無しにしている本当にくそったれの馬鹿野郎だってね。(中略) 彼はコカインをやっているだけでなく、フリーベースもやっていた。私は彼に言った。『なんてひどい話だ。恥ずかしい。もし君がちゃんとクリーンになったら、君こそ「ブラック・シナトラ」になれる、唯一の人物だろう』って」

マーヴィンは告白した。「もう本当に僕の人生は行き詰って終わっていた。僕のレコードは出たけど、僕はそれが大嫌いで、ベリーは僕の作品はずっと何年ももう売れなくなった、と言っていた。モータウンと僕は、もう終わったんだ。僕は(歩いてきた)後ろの橋を燃やしてしまった。でももう気にはしてない。BGと僕は、もはや取り返しのつかないところまで来てしまった」(『引き裂かれたソウル~マーヴィン・ゲイ物語』から)

さあ、もう一息です。しばしお待ちを。

■ マーヴィン・ゲイ唯一の本人語り下ろしの自伝『マーヴィン・ゲイ物語~引き裂かれたソウル』(デイヴィッド・リッツ著、吉岡正晴翻訳監修=ブルース・インターアクションズ、2009年4月17日発売予定)

■ マーヴィン・ゲイ~ベスト

ザ・ベスト・オブ・マーヴィン・ゲイ
マーヴィン・ゲイ マーヴィン・ゲイ with タミー・テレル マーヴィン・ゲイ with キム・ウェストン マーヴィン・ゲイ with ダイアナ・ロス マーヴィン・ゲイ with メアリー・ウェルズ タミー・テレル キム・ウェストン ダイアナ・ロス メアリー・ウェルズ
USMジャパン (2008-12-17)
売り上げランキング: 153917

ENT>ARTIST>Gaye, Marvin
ENT>BOOK>Gaye, Marvin


投稿者 吉岡正晴 : 12:58 AM | コメント (0)

March 07, 2009

Michael Jackson Will Do London Concerts: This Is It

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【マイケル・ジャクソン、7月にロンドンでライヴ10回】

記者会見。

マイケル・ジャクソンが2009年3月5日、ロンドンで記者会見し、7月に同地O2(オーツー)アリーナでコンサートを行うことを発表した。初日は7月9日で、まず10回の公演が予定されている。O2アリーナは約23000席。チケットは50ポンド(約7000円)から70ポンド(10600円)で3月13日から売り出される。売り出し方などの詳細は後日発表される。

記者会見にはマイケル・ジャクソン本人が登場し、「This is it」を連呼し、これが「ロンドンにおける最後のコンサートになる」と宣言した。この「ディス・イズ・イット」は、今回のライヴのキャッチフレーズのようで、意味は「いよいよ来るぞ、さあいよいよだ。/これがそうだ。/これだ。/来るものが来た」といったニュアンス。ロンドンの地下鉄にはすでにこのコピーのポスターが貼られているという。

マイケルはこの日予定より1時間半遅れて、午後5時半O2アリーナに登場。一般のファンとメディアをいれての記者会見となった。

記者会見の模様↓

http://www.michaeljacksonlive.com/video.php

ビルボード誌の報道によれば、この10本を含めて最大で25本ほどのライヴをO2アリーナで行う可能性があるという。マイケルは、「ファンが聴きたい曲をやるつもりだ。僕がディス・イズ・イット、というときは、本当にそういうことなんだ。これは最後のカーテン・コールになる」と語った。

今回のプロモーターとなったAEGの社長、CEOティム・レイウェイクは「過去2年、マイケルと交渉してきた」と明かした。マイケル・ジャクソンの公におけるライヴは、2001年9月10日、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで多くのアーティストがトリビュートしたときが最後。またメジャーなツアーとしては、1996年~97年の『ヒストリー・ツアー』以来。12年ぶりとなる。

チケット販売サイトはここ↓(英語です)

http://www.michaeljackson.com/tickets/

+++++

ファイナル。

マイケル・ジャクソンのロンドン公演が急遽発表された。チケットの値段もリーズナブル、2万キャパで10回の公演なら瞬く間に売り切れるような気がする。「ロンドンでの最後」と言っているが、それだと「ヨーロッパでのライヴ」、その他の地域でのライヴの可能性も示唆しているとも受け取れる。7月スタートだと4月か遅くとも6月までにはミュージシャン、ダンサーを集合させてリハーサルが始まることになるかと思うが、果たして誰が音楽ディレクターになるのか。ふたたび、グレッグ・フィリンゲーンズか? しばらくこのニュースには注目だ。

■マイケル・ジャクソン (最近は赤がマイケル・カラーの様)

キング・オブ・ポップ-ジャパン・エディション
マイケル・ジャクソン
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■マイケル・ジャクソン観察日誌\n
bottom:0px;">

マイケル・ジャクソン観察日誌\
エイドリアン グラント
小学館
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おすすめ度の平均: 5.0
5 とても面白かったです!
5 「世界」とは何か。
5 暴露本ではなく・・・

ENT>LIVE>ANNOUNCEMENT>Jackson, Michael
ENT>LIVE>Jackson, Michael


投稿者 吉岡正晴 : 04:57 AM | コメント (0)

March 06, 2009

Phillip Ingram Talks (Part 3): After Switch Changed

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

(昨日からの続き)

【フィリップ・イングラム(パート3)、スイッチを変えた後に~】

売れっ子。

「ローレンス、そこのフード、片付けないでくれ」とフィリップが言った。ファーストとセカンドの間に、ミュージシャンは軽く食事をする。この日は、フィリップが食事もそっちのけで話をしてくれたのだ。

モータウンの人気グループとなったスイッチは、1978年のデビュー作『スイッチ』から、1981年リリースの5作目『スイッチV』までコンスタントにアルバムを出した。モータウンを離れ、フィリップはグループを脱退、ソロへ。ロスでスタジオ・シンガーとして、他のシンガーのバック、コーラス、デュエットの相手、CM、また、映画の仕事などを幅広くするようになった。

グループ自体は1984年、ロニー・シモンズの持つトータル・エクスペリエンス・レコード(ギャップ・バンドで売出したレーベル)に移籍。また、グループのデバージ兄弟の別の兄弟たちが「デバージ」としてデビュー。スイッチをしのぐ人気となった。

フィリップが後でこれまでにスイッチ後にクレジットされたアーティストのリストをメールで送ってくれたが、これが膨大な量にのぼる。カニエ・ウェスト、セリーヌ・ディオン、ルーサー・ヴァンドロス、ベット・ミドラー、スターシップ(「セイラ」)、ワン・チャン(「エヴリバディー・ハヴ・ファン・トゥナイト」)ダイアン・リーヴス、サンタナ…。ポップ、ソウル、ジャズあらゆるジャンルを網羅している。

フィリップが言う。「映画もいろいろやったよ。ジュリア・ロバーツの『マイ・ベスト・フレンドズ・ウエディング』(1997年)は覚えているかい? あの中の最後の結婚式のシーンで『アイ・セイ・ア・リトル・プレヤー(小さな願い)』を歌ってるんだよ。(といって少し歌う)」 「えええっ? ほんと」と松尾さんと僕。「あの映画では、キャメロン・ディアスが変な声、出して歌うのが印象に残ってた(といって少し歌う)」 「そうそう、あれで、僕は歌ってたんだよ。他にも、『リトル・マーメイド』のヴォイス・オーヴァー(声優)やったよ。『ハッピー・フィート』や『シュリック』なんか(のサントラ)でも歌ってる」

映画のリストもすごい。他に『プリンス・オブ・エジプト』、『プリティー・ウーマン』『フライド・グリーン・トマト』、『コリーナ・コリーナ』、『ボディーガード』などなど。

松尾さん。「アリソン・ウィリアムスの『ジャスト・コール・マイ・ネーム』も大好きなんですよ」 「おお、あれはケン・カリーとデンジル・ミラーと一緒に書いた」 そして松尾さん。「ちょっとご紹介したい本があるんです。これはモータウンのボックスセットで1995年に日本で出たもので、彼(吉岡)もベスト10を選んで原稿を書いたりしてるんですが、この中で僕もモータウンのオールタイム・フェヴァリット、ベスト10をそれぞれ選んでいます。見てください。この僕のベスト10を。アルバムの1位、『スイッチ』!! そして、ソングの1位、スイッチの「アイ・ウォナ・ビー・クローサー」、2位、スイッチの「ゼール・ネヴァー・ビー」にしてるんですよ!!」 「ワオ、これはすごいね!」とフィリップ。「ゴメンね、僕はアルバムの1位に『ワッツ・ゴーイング・オン』(マーヴィン・ゲイ)選んでて(笑)」と僕。

で、このブックレット、よく見ると、松尾さんと一緒に対談もしてた。10枚組みで立派なブックレット付き、まだ商品としては売られているようだ。

http://www.u-canshop.jp/motown/index_gad.htmlad=adw162&gclid=CO_71pXn5pgCFUUwpAodpUISdQ

フィリップが言う。「あと、僕は日本人の杏里、角松敏生もやってるよ。杏里は89年から95年くらいまでツアーやレコーディングも一緒にやった。1曲『ヴォイス・オブ・ハート』という曲でデュエットもしてる」 どうやら、スイッチ後もロスの売れっ子シンガーになったようだ。

松尾さんが3枚目のアルバム『リーチン・フォー・トゥモロー』にもサインをもらっている。フィリップが言う。「この『リーチン・フォー・トゥモロー』は僕のスイッチの曲の中でもフェヴァリットなんだ。(といって少し歌う)」 さらさらとマジックでサインをしているが、このアルバムの上に「My friend in Japan」と書き添えた。そう、このアルバムには「My Friend In The Sky」という曲が入っていたのだ。それにひっかけて書いたのだが、やはりここでもそのサビのところを歌う。

「スイッチ・リユニオンはデトロイトあたりでやるとブラックばかりでものすごい反応なんだよ。圧倒的だ。だけど、白人のいるところはいまひとつかな。僕たちはクロスオーヴァーしなかったからね。ある意味、R&Bグループなんだ。トム・ジョイナーが70年代(78年)『ゼアル・ネバー・ビー』をブレイクさせてくれたんだ。その彼が今度のリユニオンを誘ってくれてね。最初デトロイトでやって、それからシカゴとかいくつかの都市に行って、SOSバンドやメリー・ジェーン・ガールズと一緒にやったこともあるよ」 「じゃあ、日本にもそのリユニオン・スイッチで、ここビルボードでやったらどう?」 フィリップが冷静に答える。「客は集まるかなあ。R&Bヒットはあるけど、トップ40ヒットがないからなあ。一番のヒットは、『ゼール・ネヴァー・ビー』『アイ・コール・ユア・ネーム』『ラヴ・オーヴァー・アンド・オーヴァー・アゲイン』といったところかなあ」 松尾さん。「あ、でも、アメリカでライヴやるときは僕見に行きますよ!」 

フィリップは最近週一回、ウェイン・ヘンダーソンがコーディネートして、日本から来た人物がやっている音楽学校的なところでヴォーカル・クラスを持って、教えているという。

「君たち、セカンド・ショーにも残るかい?」 「いやあ、もう行かないと…(苦笑)」。いやいや、話は尽きない。松尾さんは、新プロジェクトのレコーディングの途中、中抜けしてやってきた。僕は、マーヴィンを中抜けしてやってきた。そして、フィリップはまもなくセカンド・ショーが始まる。

ENT>MUSIC>ARTIST>Ingram, Phillip

投稿者 吉岡正晴 : 07:47 AM | コメント (0)

March 05, 2009

Phillip Ingram Talks: About Switch, After Switch (Part 2)

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

(パート1は昨日のシーナ・イーストン・ライヴ評です)

【フィリップ・イングラム、スイッチについて語る(パート2)】

スイッチ。

ライヴが終わりメンバーがはけるときに、僕と松尾さんは通路のところでスイッチのアナログを掲げた。それを見たフィリップが大笑いしながら、近づいてきた。松尾さんはモータウンの中で、スイッチが一番好きなグループと言ってもいいほど。

モータウンから1978年アルバム『スイッチ』でデビュー。さらに79年『スイッチ2』も大ヒット。最初の2枚のアルバムはゴールド・ディスクに輝き、一躍人気グループとなったスイッチ。ヒットとしては、「ゼール・ネヴァー・ビー」、「アイ・ウォナ・ビー・クローサー」、「アイ・コール・ユア・ネーム」などがある。そのメンバーのひとり、フィリップ・イングラムがシーナ・イーストンのバックコーラスの一員として来日。シーナのライヴの後、松尾さんとスイッチのアナログ・レコードをバッグにいれて楽屋を訪ねた。

フィリップは雄弁でよくしゃべった。まず驚いたのが、スイッチをしばらく前の2003年に再結成して何箇所かでライヴをやったというニュース。ボビーは1995年8月16日、36歳の若さでエイズのため死去しているが、グループを作ったグレッグ・ウィリアムス、フィリップ、そのほかのメンバーでやったという。

スイッチはもともと1974年オハイオ州アクロンで、グレッグ・ウィリアムスが中心になってジョディー・シムズ、ボビー・デバージ、そして、トミー・デバージ、エディー・フルーエレン、フィリップ・イングラムらが入ってできたホワイト・ヒートが母体になっている。このグループは1975年、バリー・ホワイトに認められバリーのプロデュースでRCAから一枚『White Heat』というアルバムを出した。フィリップとエディーはその前から知り合いで、他の何人かとアクロンでロウ・ソウルというグループをやっていたという。

こんなアルバム↓
http://cgi.ebay.com/White-Heat-S%2FT-1975-RCA-Funk-LP-Barry-White_W0QQitemZ270351739875QQcmdZViewItemQQimsxZ20090302?IMSfp=TL090302145001r14578

オハイオ州アクロンからは、ハワード・ヒューイットも登場。ハワードとエディーは高校が同級生だという。このグループは残念ながらヒットしなかったが、その後グレッグ、フィリップらは本格的に音楽活動をするために、1976年頃、LAに引っ越した。デモ・テープなどを作ったりライヴハウスに顔を出していた1977年1月、彼らが別のレコーディングでモータウン・ビルディングに行く用事があった。

彼らがエレヴェーターに乗ると、なんと同じエレヴェーターにジャーメイン・ジャクソンが乗ってきた。フィリップが言う。「そうなんだ。ジャーメインが乗ってきて、僕たちは舞い上がった。で、エレヴェーターを出て、彼を追いかけていき、ちょうど持っていたデモ・テープを彼に『よかったら聞いてください』と言って渡したんだよ。ジャーメインは、車に乗ってそのカセットをかけたらしい。その翌日、彼から電話がかかってきた。興味がある、っていうんだ。そこで、彼はモータウンのスザンヌ・ドゥ・パッセの前でオーディションをすることになった。僕たちはうまくできたと思う。僕たちがなんで、グループ名をスイッチにしたか知ってるかい?」

「いや、知りません」 「そのときは、グループに名前がなかったんだ。ショーケースの席上で、スザンヌが言った。『あなたたちみたいに、(メンバーが)楽器をスイッチするグループは今まで見たことがないわ』ってね。それで、僕たちはグループ名をスイッチってすることにしたんだよ!」

「ジョディーがドラムだけど、実は僕もドラムができる。エディーはキーボードとトロンボーンもやる。グレッグはキーボードだけど、トランペットもやる。だからみんな楽器をとっかえひっかえできるんだ」

ほおお、それは知らなかったなあ。松尾さんと一緒にその由来を聴いて驚く。そして1977年5月頃契約して、アルバムは1978年8月にリリースされた。ちょうどこのモータウンとの契約が決まったとき、やはりLAに来ていた兄のジェームス・イングラムにそのことを話すと、兄はものすごく驚いたという。

ジェームスは、フィリップの6歳年上。ちょうどこの頃はレオン・ヘイウッドのバンドでキーボードを弾いたり、レイ・チャールズのバンドにいた時期。クインシーに見出される前のことだ。彼もインディでジンガラというバンドでレコードを出すがあくまでインディ。フィリップが言う。「たぶん、兄のジンガラと同じか、スイッチのほうが早かったかと思う。僕が音楽の世界に入ったのは、兄貴のおかげだよ。彼が一足先にバンド活動を始めていて、それを見に行っていて、うらやましく思ってね」

イングラム兄弟は6人で、音楽業界に入ったのはジェームス・イングラムとフィリップ・イングラムだけ。上から順にヘンリー、ジョイス、ジェームス、ジャニス、デイヴィッド、そして、フィリップだ。フィリップは1958年7月11日生まれ。今年の7月で51歳になる。58年は昭和33年、戌年(いぬどし)です。マイケル、プリンス、マドンナと同じ年だ。

スイッチはモータウンで5枚アルバムを出し、フィリップはモータウンを離れると同時にグループを抜け、ソロ活動に転じた。

松尾さんはアナログ・アルバムを3枚とCDを1枚、僕は2枚目のアナログを持ってきた。彼も2枚目を持ってきていたが、それはアメリカ盤。僕のは当時ビクターから出た帯びつき日本盤のしかも見本盤だった。

ちょうどビルボード・ライヴのスタッフ、ローレンスがやってきた。「彼がいたスイッチはすごいグループなんだよ」と松尾さん。「このハンサム・ガイは誰だかわかるかい?」と言って、ローレンスにジャケットに映ってるフィリップの若い時の写真を指差す。ローレンス。「ワオッ、若いな」 フィリップ。「髪の毛もあるし、髭もあるな。(笑) 『アイ・ウォナ・ビー・クローサー』って知ってる? (と言って歌いだす)」「おおっ、知ってる、知ってる!」「ちょっとばかり長くやってるんだよ」(爆笑)

(まだまだ続く)

ENT>MUSIC>ARTIST>Ingram, Phillip

投稿者 吉岡正晴 : 07:39 AM | コメント (0)

February 28, 2009

February Is Gone, Spring Has Come

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【2月は去り、春がやってくる】

秒速。

なんか、秒速で時が過ぎていく。ついこの間、新年になったと思ったら、もう2月が終わる。明日からは3月だ。ふ~。

マーヴィン・ゲイが1974年、一冊の本を読んでいた。それは、マーヴィンについて書かれた本だった。とはいっても、それはフィクションの形をとった小説だ。タイトルは、「ナンバー・ワン・ウィズ・ア・ボレット(1位赤丸付き)」というもので、エレーン・ジェスマーという作家が書き1974年5月に出版したもの。

主人公の名前は、ダニエル・ストーン。黒人の人気シンガーだ。ダニエルは、レコード会社ファイネスト・レコードを持ち経営しているボブ・ヴェールという人物の姉と結婚し、ボブと義理の兄弟の関係になっている。もちろん、このファイネスト・レコードは、モータウンであり、ボブなる人物はベリー・ゴーディーを想定している。

マーヴィンによれば、この本は半分は本当だ、という。で、一時期この本を元にして映画化の話が持ち上がった。すると、ベリー・ゴーディーが映画化権を買った。しかし、映画はまったく手付かずで製作の話さえ消えた。つまり、ベリー・ゴーディーがこの小説からの映画が公開されることを嫌い、いわば「握りつぶした」のだ。『ドリーム・ガールズ』よりも数年前の話だ。

日本版は出ていないが、アメリカのアマゾンで見ると中古が何冊も出ている。マーヴィン終わったら、読んでみようかな。

Number One With a Bullet; A Novel.
Elaine Jesmer
Farrar Straus & Giroux (T)

ENT>ARTIST>Gaye, Marvin


投稿者 吉岡正晴 : 08:10 AM | コメント (0)

February 27, 2009

Marvin Gaye's Another Masterpiece "Let's Get It On"

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【マーヴィン・ゲイのもうひとつの傑作『レッツ・ゲット・イット・オン』】

詩人。

マーヴィン自伝『マーヴィン・ゲイ物語~引き裂かれたソウル』翻訳作業は遅々としてなんとか進んでいるが…。カンパケ作業が36章中18章まで一応終わった。ページでは340ページ分の185ページまで。

しかし、この18章がたぶん全36章中最大の難関だった。時代はマーヴィンが『レッツ・ゲット・イット・オン』を出した1973年。著者のデイヴィッド・リッツが、マーヴィンのこのエロティック・ソウルの傑作『レッツ・ゲット・イット・オン』を16世紀あたりの詩人たちと比較するのだ。これがやっかいで、普段、詩などを読まない僕には超難易度高い。(苦笑)

最初はイタリアの詩人・哲学者ダンテ(1265年~1321年)。その詩集『新星』から1行引用。また、ダンテの『神曲』の一部。次がT.S.エリオット(1888年~1965年)。そして難解なイギリスの17世紀の詩人、アンドリュー・マーヴェル(1621年~1678年)。彼の「To His Coy Mistress(内気な恋人に贈る、はにかむ恋人へ)」という詩から6行ほど。続いて、イギリスの詩人トマス・カリュー(1595年~1640年)の『ラプチャー』(アニタ・ベイカーではありません)という詩から2行。イギリスの詩人ジョン・ダン(1572年~1631年)は1610年頃の作品『ホリー・ソネッツ(聖なる14行詩)』から4行ほど。

なんとなく雰囲気でわかるところもあるのだが、単語自体が辞書にでてなかったり、おそらく、古い英語なんだろう、わけわからない。(笑) いろいろ調べているのだが、邦訳がでているものも少ないか、絶版だ。ものによってはヤフオクで何万円もする全集みたいのがあった。あとは大きな図書館に行くしかないかな。

興味深いのは、13世紀、ダンテが9歳のときに、同じ年の美少女ベアトリーチェ(ビーチェ)と出会い、一目惚れする。それは創作の大いなる原動力となるのだが、マーヴィンは33歳のときに16歳の美少女ジャンと出会い、衝撃を受け一目惚れする。著者デイヴィッド・リッツは、これを結びつけて論じるのだ。そして、マーヴィンもそれに興味を持っていく。このあたりが、デイヴィッドらしい。

どなたか、英文学に精通されている方でひょっとしたら手助けできるかもしれないという方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。大感謝いたします。

アドレスは ebs@st.rim.or.jp です。

それにしても、ここを訳しながら、ずっと『レッツ・ゲット・イット・オン』をかけていたのだが、改めていいアルバムだという思いを新たにした。

■ レッツ・ゲット・イット・オン(2枚組み)(デモ・ヴァージョンなども収録されているお勧め盤)

Let's Get It On
Let's Get It On
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Marvin Gaye
Universal Spain (2001-09-18)
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ENT>BOOK>Gaye, Marvin


投稿者 吉岡正晴 : 06:48 AM | コメント (0)

February 16, 2009

Some Memories On The Sound Of Philadelphia: (Part 1) "Didn't I" On "Jackie Brown"

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【『ラヴ・トレイン:フィリー・ソウルの全て』を聴いて】

フラッシュバック。

昨日、『ラヴ・トレイン:フィリー・ソウルの全て』についてご紹介したが、このCDを流しながらマーヴィン・ゲイをやっていたら、それぞれの曲について何か書きたくなった。まず、「ディドゥント・アイ」。

http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Special/high-hopes/release/love_train/index.html

DISC 1

01. エクスプレスウェイ・トゥ・ユア・ハート / ソウル・サヴァイヴァーズ
02. ララは愛の言葉 / デルフォニックス
03. カウボーイズ・トゥ・ガールズ / イントルゥダーズ
04. ヘイ・ウエスタン・ユニオン・マン / ジェリー・バトラー
05. レディ・オア・ノット・ヒア・アイ・カム / デルフォニックス
06. オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ / ジェリー・バトラー
07. ディドゥント・アイ / デルフォニックス
08. 永遠にあなたと / ダスティ・スプリングフィールド
09. グリーン・グラス・フール・ユー / ウィルソン・ピケット
10. ユーア・ザ・リーズン・ホワイ / エボニーズ
11. ドローイング・イン・ザ・シー・オブ・ラヴ / ジョー・サイモン
12. 愛のとりこ / スタイリスティックス
13. アイ・ミス・ユー / ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ
14. 裏切り者のテーマ / オージェイズ
15. サンシャイン / オージェイズ
16. アイル・ビー・アラウンド / スピナーズ
17. スロウ・モーション / ジョニー・ウィリアムス
18. ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ / ビリー・ポール
19. 二人の絆 / ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ
20. ラヴ・イズ・ヒア / ×ヒューチャーズ → ○フューチャーズ

昨日も書いたが、1から9まではギャンブル&ハフがフィラデルフィア・インターナショナル・レコードを設立する以前のヒットだ。7曲目の「ディドゥント・アイ」は、最近では映画『ジャッキー・ブラウン』(1997年)にもうまいポイントで使われていたのが印象的だった。

保釈金融業者のマックス・チェリー(ロバート・フォースター) と武器密売人オデール・ロビー(サミュエル・L・ジャクソン)の2人が、一緒にマックスのオフィースに行く時、車の中でたまたまデルフォニックスのカセットテープ(!)が流れる。ちょうど「ディドゥント・アイ」だった。

ちょっと記憶で書くので、確かではないかもしれないが、マックス(白人)がデルフォニックスなどというソウル・ミュージックを聴いてて、黒人のオデール(サミュエル・ジャクソン)が驚いた顔をする。あそこの瞬間には「お前、なんで白人のくせに黒人が聴くソウルのデルフォニックスなんか聴いてるんだ?」という驚き、意外さが含まれていたと思う。

マックスはもちろんデルフォニックスなどを知らなかったのだが、その直前にジャッキー・ブラウン(パム・グリア=黒人)と会って、オデールをはめる計画を打ち合わせているときに、そのBGMで流れていたのがデルフォニックスで、それが気にいってレコード屋に行きデルフォニックスのテープを買い求め、車で聴いていたのだ。つまり、マックスはジャッキーからこのデルフォニックスの存在を教わっていた。

だから、マックスは、サミュエルにデルフォニックスを聴いているのかと言われ、どきっとしたはずなのだ。つまり、このデルフォニックスをキーワードに、マックスとジャッキーのつながりを推測されたら、すべてがパーになってしまうというシーンなのである。

あの「ディドゥント・アイ」の使われ方が絶妙だった。タランティーノらしい天才的うまさだと思った。

というわけで、「ディドゥント・アイ」は、黒人・白人間の微妙な緊張度合いを描いたシーンで使われた1曲でした、というお話でした。(この話、前にどこかでしたか、書いたかしたような気がするのですが、ホームページ開設以前だったような気がするので、書きました)

ENT>MUSIC>Delfonics
ENT>MOVIE>Jackie Brown


投稿者 吉岡正晴 : 02:30 AM | コメント (0)

February 14, 2009

Merry Clayton's 3 Ode Albums Will Be Released April

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【メリー・クレイトンの幻のオード・レーベル作品3枚4月に】

名盤。

しばらく前に、デイヴィッド・T・ウォーカーのオード・レーベル時代の作品が日本初CD化されたが、同じレーベルでアルバムを残したブラック・シンガー、メリー・クレイトンの作品3枚が、2009年4月22日、ビデオアーツからリリースされる。

今回リリースされるタイトルは『ギミー・シェルター』(1970年作品)、『メリー・クレイトン』(1971年作品)、『キープ・ユア・アイ・オン・スパロウ』(1975年作品)。いずれの作品も1970年代初期のロス・アンジェルス・スタジオ・シーンの人気ミュージシャンたちが勢ぞろいしているもので、参加ミュージシャンは、デイヴィッドT、ジョー・サンプル、ボビー・ハンフリー、ウィルトン・フェルダー、ビリー・プレストンなど。3枚目の『キープ…』は、ジーン・マクダニエルズ・プロデュースでニューヨーク録音だけに、スティーヴ・ガッド、ボブ・ジェームス、ラルフ・マクドナルドなどが参加している。

メリー・クレイトンの当時のブラック・ミュージック・シーンにおける立ち位置はユニークで、いわゆるアレサ・フランクリン、グラディス・ナイトなどを頂点とするソウル・シンガーの世界とは一線を画するところにいた。ちょうど、ロバータ・フラックやダニー・ハザウェイらのニュー・ソウル・アーティスト、また、ジャズ的アプローチもあるシンガーといったところだった。ソウル・ファンというよりも、むしろジャズ・ファン、のちに誕生するフュージョン系のファンなどから支持された。

メリー・クレイトンは、1948年12月25日ルイジアナ州ニューオーリーンズ生まれ。ゴスペルからソウルに転じ、シンガーとして活躍。ボビー・ダーリンとデュエットを歌ったり、レイ・チャールズのバックコーラス、レイレッツにいたこともあった。1969年、ローリング・ストーンズとともに「ギミー・シェルター」を歌い注目を集めた。これはストーンズは、もともとボニー・レイットで録音しようとおもっていたものの、ボニーが病気か何かで録音できず、彼女が代役を務めた。その後、ライナード・スキナードの「スイート・ホーム・アラバマ」でもコーラスをつけている。1970年、オード・レコードと契約、上記3枚のアルバムを出した。

長らくこれらの作品は流通しておらず、今回の3枚はすべて世界初CD化、しかも紙ジャケットで出るという。

当時聴いたときは、それほど黒いとは思わなかったが、今改めて聴くとずいぶん黒かったんだなあ、と感じた。時代、取り巻く環境が変わっているわけだ。

ギター・シェルター
ギター・シェルター
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メリー・クレイトン
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ENT>ARTIST>Clayton, Merry

投稿者 吉岡正晴 : 03:17 AM | コメント (0)

February 03, 2009

Tower Of Power's New Album Is Also Soul Cover CD

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【タワー・オブ・パワーもソウル・カヴァー・アルバム】

カヴァー。

サンフランシスコ・ベイエリアの超ヴェテラン、タワー・オブ・パワーの最新作、その名も『アメリカン・ソウルブック』が2009年2月4日、リリースされる。ロッド・スチュワートの大ヒット作『グレイト・アメリカン・ソングブック』にヒントを得たタイトルで、タワーのものは、ソウル・ソングでまとめた。

昨日ご紹介したシールは、かなり有名どころのソウル曲を選んでいるが、このソウル・カヴァー集は、けっこう珍しい曲を選んでいる。たとえば、1曲目「ユー・メット・ユア・マッチ」は、1968年のスティーヴィー・ワンダーの小ヒット。「ラヴ・ランド」は、チャールズ・ライト&ザ・ワッツ・103RD(ハンドレッド・サード)・ストリート・リズム・バンドの1970年のヒットといった具合。日本盤ボーナスとなっている「バックフィールド・イン・モーション」は、メル&ティムのヒットだ。これなんか、実にタワー・サウンドになじむ。

また、サム&デイヴの「アイ・サンキュー」をトム・ジョーンズが歌ったり、そのサム・ムーアが、オーティス・レディングの曲を歌ったりと憎い演出もある。マーヴィン&タミーの名唱をジョス・ストーンが歌うのも興味深い。

次回の来日時には、このアルバムからの曲の演奏が増えるかもしれない。楽しみだ。

■タワー・オブ・パワー 『グレイト・アメリカン・ソウルブック』

01  You Met Your Match (Stevie Wonder)
02  I Thank You (Sam& Dave) (Tom Jones)
03  Love Land (Charles Wright & Watts 103rd Street Rhythm Band)
04  It Takes Two (Tammi Terrell & Marvin Gaye) (Joss Stone)
05  Me And Mrs. Jones (Billy Paul)
06  Star Time(メドレー):It’s A New Day ~Mother Popcorn~There It Is~I Got The Feeling (James Brown)
07  Mr. Pitful (Otis Redding) (Sam Moore)
08  Heaven Must Be Missing An Angel (Tavares)
09  Since You’ve Been Gone (Aretha Franklin)
10  Your Precious Love (Tammi Terrell & Marvin Gaye) (Joss Stone)
11  634-5789:Soulville, USA (Wilson Pickett) (Huey Lewis)
12  Who Is He and What Is He To You (Bill Withers, Creative Source)
13  Backfield in Motion(Bonus Track) (Mel& Tim)

アメリカン・ソウル・ブック
タワー・オブ・パワー
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ENT>ARTIST>Tower Of Power
ENT>ALBUM>Tower Of Power


投稿者 吉岡正晴 : 03:18 AM | コメント (0)

February 02, 2009

Seal's New Album Is "Soul"

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【シール最新作は、ソウル・カヴァー集】

ソウル。

ロンドン生まれのナイジェリア人というユニークな出自を持つシンガー・ソングライター、シールの最新作、スタジオ・アルバムとしては6作目が出たが、このタイトルが、ずばり『ソウル』というもの。なんと、全14曲(日本盤ボーナストラック2曲含む)、ソウルの大ヒットのカヴァー集だ。

どんな曲が入っているかというと全14曲は次の通り。


1. ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム
2. アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン
3. マンズ・マンズ・ワールド
4. ヒア・アイ・アム(カム・アンド・ゲット・ミー)
5. 愛しすぎて (I've Been Loving You Too Long)
6. イッツ・オーライト
7. 二人の絆 (If You Don't Know Me By Now)
8. ノック・オン・ウッド
9. アイム・スティル・イン・ラヴ・ウィズ・ユー
10. フリー
11. スタンド・バイ・ミー
12. ピープル・ゲット・レディ
13. イン・ザ・ミッドナイト・アワー* Bonus Track
14. マイ・ガール* Bonus Track

いやいや、この選曲には参った。これを昨日『ソウル・ブレンズ』「山野ミュージック・ジャム」でご紹介したが、「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」と「愛しすぎて」をかけた。前者などかけると、その冒頭から、DJマーヴィンはもう泣き崩れる。(笑) 僕が聞く。「これは、そんなに教会で歌われるの? ゴスペルとして」 「歌われるよ。こんな太ったおばちゃんなんかが、みんな涙ボロボロになるよ~~。これは、ゴスペルだよ~~」

サム・クックの名曲、オバマ登場の2009年にはどんぴしゃだ。ヘッドフォンで、歌詞カードを見ながら聴いていると、本当に胸に来る1曲だ。そして、もう一曲はオーティスの「愛しすぎて」。これなんぞ、オーティスをよく研究しているというか。実に味わい深い。シールの歌声って聴きやすいという印象があったのだが、この作品だけは、いやいやどうして、すごいディープだ。ということは、やはり楽曲がディープということなのだろうか。

しかも、驚いたことにこれをプロデュースしたのがデイヴィッド・フォスターという事実。

全14曲、アル・グリーン曲が2曲(4と9)、カーティス・メイフィールド曲が2曲(6と12)とこの2人だけ2曲選曲されているのがおもしろい。

ふと思ったのが、アレサ、マーヴィン、アイズレー、ボビーあたりが入っていないこと。まあ、候補は何十曲とあったのだろう。3週間でレコーディングが終わったそうなので、これなら、また第2作もすぐにできるにちがいない。彼に歌って欲しい曲リストならたちどころに作れます。ソウル・カヴァーだけのライヴなんてやらないのかなあ…。

■シール 『ソウル』

ソウル
ソウル
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シール
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ENT>ARTIST>Seal


投稿者 吉岡正晴 : 02:12 AM | コメント (0)

February 01, 2009

Ohno Yuji Talks To Waxpoetics Vol.3

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【大野雄二さん、ワックスポエティックス3号のために語り倒す】

エネルギッシュ。

日本の音楽シーンで独自の地位を築いているジャズ・ミュージシャン、作曲家、CM音楽制作者、映画音楽制作者、大野雄二さんに先日インタヴューした。この模様は、次号のワックスポエティックス第3号(2009年3月15日発売予定)に掲載されるが、これがすごかった。

ワックスポエティックスでは基本はアメリカ版の翻訳記事を紹介しているのだが、毎号1-2本、日本発の記事を掲載している。DJムロさんが、実はこの大野雄二さんのアナログをけっこう集めていて、その広範な音楽ジャンルをして、大野さんのことを「日本のボブ・ジェームス」と呼んでいるそうだ。そこで、クラブでも人気となっている大野さんに、もし可能であれば、インタヴューしようということになった。

あちこち巡って、結局、急遽インタヴューをさせていただくことになったのだが、準備期間がなく、ちょっと僕自身不安があったのだが、大野さんが書かれている本『ルパン三世 ジャズノート&DVD』を入手、これをじっくり読んで、インタヴューに臨んだ。なんとおもしろいことに、大野さんの自宅でインタヴューが行われることになったが、そこがうちから徒歩7分くらいのところ。普段、車で移動するときはその横の道をほとんど毎日のように通っているあたりだった。

いやあ、しかし、なんとインタヴュー5時間半ですよ。本当に、エネルギッシュです。次から次へと話が尽きない。この長さは、僕が大滝(大瀧)詠一&鈴木雅之・対談の6時間超に継ぐもの。僕の長いインタヴュー歴史の中でも、ベスト5に入るすばらしいものになった。

詳しくは、ワックスポエティックス誌をごらん頂くとしても、順に熱海に生まれた少年時代から、慶應高校に入ってカルチャー・ショック以上の劇的な衝撃を受け、ジャズにのめりこみ、ひょんなご縁からCM音楽を作り出すようになり、さらに、テレビ番組の音楽(「ルパン三世」ほか)、映画音楽(「野生の証明」ほか多数の角川映画作品)をてがけ、そして、ここ10数年は再びジャズに戻っているというその音楽変遷はドラマ以上のドラマだ。話は、必ずひとつの答えから次へ脱線する。それが実におもしろい。学生時代、ピアノを弾き出したときに当時のキャバレーで演奏しだすようになったときの話など、実に楽しい。

そして、大野さんが、これほどソウル、ブラック・ミュージック好きとは知らなかった。シカゴ・チェスのリチャード・エヴァンス、ラムゼイ・ルイス、マーヴィン・ゲイ、ダニー・ハザウェイ、グラント・グリーン、プロデューサーとしてのアリフ・マーディン、クインシー・ジョンーンズ、クリード・テイラー、トミー・リピューマなどなど、話は尽きない。

最近は、「引き算のプレイ」を覚えたという大野さんは、「ファンキー」「グルーヴ」に関しても一家言ある。ジャズの娯楽性という点において、「エンタテインメント」と「アート」のギリギリの境界線を歩むという話、自分は裏方なのでテレビには演奏させてくれない限り出ない、という話など、音楽談義は止まらなかった。

ワックスポエティックス第3号、要チェック。

■ 大野雄二ライヴ・ツアー

2009年4月23日(木)~25日(土)目黒・ブルーズアレイ 3デイズ
問い合わせ 電話03-5740-6041
http://www.bluesalley.co.jp/schedule/live_body.html

2009年5月3日(日)名古屋ブルーノート
http://www.nagoya-bluenote.com/schedule/200905.html
2009年5月7日(木)~8日(金)ビルボード・ライヴ大阪
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=calendar&date=200905&shop=2
2009年5月10日(日)~11日(月) ビルボード・ライヴ福岡
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=calendar&date=200905&shop=3
2009年5月13日(水)~14日(木)ビルボード・ライヴ東京
http://www.billboard-live.com/pg/shop/index.php?mode=top&shop=1

■大野雄二オフィシャル・ウェッブ(ブログもあります)

http://www.vap.co.jp/ohno/index2.html

■ 大野雄二『ルパン三世 ジャズノート&DVD』

ルパン三世 ジャズノート&DVD
大野雄二
講談社
売り上げランキング: 91194

■ CDはあまりに多すぎて…。しかし、「ホワッツ・ゴーイング・オン』をカヴァーしているこの作品を。

LUPIN THE THIRD「JAZZ」 ~What’s Going On~
Yuji Ohno & Lupintic Five
VAP,INC(VAP)(M) (2007-11-21)
売り上げランキング: 30791

■ ジョー・サンプル「引き算のピアノ」

2003/12/11 (Thu)
Joe Sample: Abstract Subtraction
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200312/diary20031211.html

ENT>ARTIST>Ohno, Yuji


投稿者 吉岡正晴 : 04:19 AM | コメント (0)

January 16, 2009

Brenda Vaughn Will Join One Of The Inaugural Parties

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ブレンダ・ヴォーン、就任式オフィシャル・イヴェントに参加】

就任式。

「東京レディー・ソウル・ナンバー・ワン」、ブレンダ・ヴォーンが、来週ワシントンDCで行われるオバマ新大統領就任式の複数あるイヴェントのひとつで、1月20日サム・ムーアとともにステージに立つ。

昨日、ここでも就任式にアレサ・フランクリンなどが登場することをお伝えしたが、なんと、ブレンダがサム・ムーアの誘いで、ワシントンDCで来週歌うことになっている。

ブレンダによると、就任式自体は20日の午前から昼過ぎまで行われる。これは無料だが、チケットが事前に必要。また、その関連イヴェントが夜に10箇所ほどで行われる、という。そのオフィシャルなパーティーのチケットは1枚1万ドル(約80~90万円)するが、すでに売り切れている、という。ブレンダは18日日本を出発しデトロイト経由でワシントンDC入りする。

「もう、待ちきれないわ。大興奮よ! オバマが来るかって? さあ、それはわからないけれど、10箇所でやるライヴのどれかには来ると思う。たとえば、メアリー・J・ブライジのライヴには顔を出すんじゃないかしら」とブレンダ。

ちなみに、就任式イヴェントのどれかには、シャカ・カーン&トニー・メイデンらも参加するという。

ブレンダによると、何分くらいやるのか、バンドはフル編成で来るのか、何もまだわからない、明日、サムと連絡を取ることになっている、という。サムのライヴの音源を聴いて、どんな曲でも対応できるように、練習しておくそうだ。

ブレンダのファミリー(弟)がサンフランシスコから飛ぶことになっており、ビデオを撮影するそうなので、一体どんなイヴェントか後でわかるかもしれない。

テレビ中継され、サム・ムーアのライヴが映ったら、そこにブレンダの姿があるはずだ。

(うまく行けば、ブレンダのオバマ・パーティー・レポートをもらえるかも(笑))

+++

アルバム。

また、ブレンダは、現在自分のアルバムを制作中だということも明かした。コンセプトは、「カンヴァセーション・オブ・シスターズ」ということで、女性たちが、普段どのように人生を生きているかなどを描いた意味のある曲を選んで、作るコンセプト・アルバムにしたい、という。ワシントンDCから1月23日に戻り、再び1月28日からニューヨークに行き、アンジェラ・ジョンソンとレコーディングする。すでに、アンジェラとはいろいろ打ち合わせをして、曲のやりとりもしている。夏くらいまでには、完成させたい意向だ。

ENT>ARTIST>Vaughn, Brenda


投稿者 吉岡正晴 : 03:59 AM | コメント (0)

January 13, 2009

Yuming Talked About Stevie Wonder

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ユーミン、スティーヴィーについて語る】

打ち合わせ。

先日の『スイート・ディスカヴァリー』の収録で、最後にスティーヴィー・ワンダーの「オーヴァージョイド」がかかった。打ち合わせの初期段階では、スティーヴィーの曲を何かかけましょうか、みたいな話しになっていた。これからのモータウンというテーマで何か話すときに、60年代初期のモータウンから現在まで所属しているのは、スティーヴィーしかいないということ、また、スティーヴィーはモータウンにしか所属してこなかった「生涯1レーベルアーティスト」であることから、モータウン=スティーヴィーという図式があり、これを21世紀のモータウンへの期待とともにかけましょう、ということになった。

スティーヴィー曲は、それこそ星の数ほどあるが、そこからユーミンが「オーヴァージョイド」がすごいと思いますということで、これがかかることになった。僕ももちろん大好きな曲なのでまったく異論はなし。「これは曲として神がかっているというか、本当にすごいですよねえ。構成なんかも」と言う。稀代のシンガー・ソングライターがそれだけ褒めるのだから、よほどすごいのだろうと改めて思った。

そして、ちょっとしたスティーヴィー・ネタが。「で、これは自慢なんですけど(笑)、スティーヴィーの『心の愛』という曲、あれ、最初(友人の)ブレッド&バターにくれた曲なんですよ。ブレバタに頼まれて歌詞を書いて、けっこういいのができたんですけど、随分たってから、スティーヴィーが自分で使うので、ブレバタのは一度発売できなくなったんです。それで、その歌詞のところ、サビのところ『特別な気持ちで、愛してると言いたくて』というフレーズを書いたんですけど、はっきりはわかりませんけど、そこがI just called to say I love youになってたんですよ。そうしたら、あれ、映画の曲になって大ヒットしたでしょう。びっくりです」(曲のタイトルは、「特別な気持ちで」)

で、家に戻っていろいろ調べてみると、この話はけっこうブレバタ・ファン、ユーミン・ファンには有名な話なようで、なるほどと思った。ポイントは、『特別な気持ちで、愛してると言いたくて』というサビの日本語を、あるいは曲全体の詞の意味を誰かがスティーヴィーに英語に訳して、そこからちょっとしたインスピレーションを得て、スティーヴィーはあの曲のタイトルを「I Just Called To Say I Love You」としたかもしれない、というところだ。少なくとも「愛してると言いたくて」は、英語タイトルになっている。これは十分にあり得る話だ。

別件だが、スティーヴィーの「パート・タイム・ラヴァー」は、寺尾聡の「ルビーの指環」(1981年)に良く似ている。よく来日しているスティーヴィーが、日本の音楽から影響を受けることは十分考えられる。

ユーミンの日本語詞がスティーヴィーの英語詞より先にできていた、というところがおもしろい。つまり、ひょっとすると、ユーミンはあのアカデミー賞を獲得した楽曲の成功の一部に寄与しているということになる。ソングライター・クレジットがつけばよかったのにと思う。

ユーミンは79年か80年ごろ、ブレバタがスティーヴィーからこの曲をもらい、これに呉田軽穂名義で作詞。ところが84年にスティーヴィーが英語にして発表。大ヒット。その後、これのカヴァーということだったら出してもよいという許可がでて1986年にブレバタのヴァージョンがリリースされた。正確な時系列だとこうなのだが、一般的には84年の大ヒット「心の愛」を86年にブレッド&バターがカヴァーしたように見える。

ところで、番組でかけた曲は「オーヴァージョイド」だったが、その曲を彼女がとても褒めていたので、僕が「こういう曲が書けると、やはりうらやましいと思いますか?」と尋ねると、瞬時に「いいえ、思いません(笑)」ときっぱり言われた。思わず、「おおっ、さすが、すごい」と、感銘を受けた。キラリ、ソングライターのプライドを見た感じがした。すばらしい。

■ 番組ホームページ『スイート・ディスカヴァリー』

2009年1月11日オンエア分
http://www.tfm.co.jp/yuming/digest/digest.html
ホームページ・トップ
http://www.tfm.co.jp/yuming/

ENT>ARTIST>Yumin, & Stevie Wonder


投稿者 吉岡正晴 : 04:46 AM | コメント (0)

December 01, 2008

Toku's New Album : "Again" Duet With Atsushi Of Exile

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【トク、ニュー・アルバム『ラヴ・アゲイン』】

勝負作。

『ソウル・ブレンズ』に、トク(TOKU)が新作『ラヴ・アゲイン』のプロモーションでやってきた。彼がライヴ告知で7月にやってきたときに、このアルバムのちょうどマスタリング前くらいの音を全曲聴かせてくれて、それがかなりよかったので印象に残っていて、何人かにその話をしたのだが、今日は晴れてアルバムもリリースされての登場になった。

今回の大きなポイントは、アトランタでレコーディングしている点、そして、ゲストにイグザイル(Exile)のヴォーカル、アツシが1曲でゲストで入っている点、また、CMで使われた「シー」が入っている点などだ。2007年から2度にわたってアトランタにわたりレコーディングしてきたというので、1年半、まあ、準備から考えると2年以上かけたアルバムとなっている。ある意味、トクにとっての勝負作のようだ。

アトランタは一度そこに行って、現地の空気、雰囲気、ミュージシャンたちのヴァイヴがものすごくよかったので、ぜひここでアルバムを作りたいと思ったので今回のレコーディングにつながったそうだ。

2曲目に入っていたのが、「ロック・ウィズ・ユー」のおしゃれなジャズ・ヴァージョン。そう、あのマイケル・ジャクソンの大ヒットだ。途中で彼のフルーゲルホーン・ソロも入り、実に聴き易いサウンドに仕上がっている。

そしてもう1曲印象に残ったのが、アツシとの男デュエット曲「アゲイン」。二人の声質が違うので、おもしろい出来になった。曲がいい。これなんか、シングル・カットすればいいのにと思うが、ジャズ系のアーティストの作品はあまりシングル・カットという考え方がないそうだ。歌詞はシャンティが書いている。アメリカのスムース・ジャズ・ステーションなんかでかかったら人気になりそうだ。トクがこの曲はライヴですでに歌っていて、ここ1年くらい知り合って仲良くしているアツシがこの曲を気に入り、デュエットすることになったという。

このアルバム自体をアメリカのジャズとか、スムース・ジャズ局に持っていけば、けっこういいところまで行くのではないだろうか。

■ TOKUオフィシャル
http://www.toku-jazz.com/index-j.html

■新作『ラヴ・アゲイン』(2008年11月26日発売)

ラヴ・アゲイン
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ENT>ARTIST>Toku


投稿者 吉岡正晴 : 03:22 AM | コメント (0)

November 19, 2008

Kishita Kohshi, Soul Bar Debut : Bubblegum Brothers New PV

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【「アフター・ザ・ダンス」終了~バブルガム新曲PV】

撤収。

月曜日(11月17日)夕方、ゴスの村上さんが『アフター・ザ・ダンス』をごらんになるというので、岡さんとともに向かえるために新宿ビームス・ギャラリーへ。しばし、作品群を見ていただいた。いろいろソウル談義に花も咲いたが、この日はちょうど新宿で、火曜から始まる新宿シアター・アップルでのライヴのリハーサルだそうで。今回は曲の間に、けっこうセリフがあって、小芝居がかっているらしい。

そのフットペインティング展も昨日(11月18日・火曜)で終了。展示をごらんいただいた方、みなさんありがとうございます。18日午後8時から撤収作業。カメラマン木下(きのした)さん、美術品運搬のプロ富田さん、そして、ビームス・ギャラリー藤木さん、そして、岡さん、おつかれさまでした。そして撤収作業、ご苦労様でした。

さて、このところ仕事が渋滞気味で少しライヴ行く本数を減らそうという感じで、月曜日は本当だったらほいほい行ってるフランク・マッコムを泣く泣く断念。集中し、缶詰仕事をしようと意を決していた。ビームスだけは行って、翌日の撤収打ち合わせと、村上さんと久々に話をして、戻ろうと思い、岡さんとコーヒーのみながら別件打ち合わせしていると、木下航志(きした・こうし)君からメール。「今日は何してるんですか。ライヴかソウルバーに行ってみたいんですが」と。

デビュー。

これは、思わぬ展開。そこで、三宿のソウルバー「ソウル・ナッツ」に出向くことに。あららら。航志君ソウルバー初体験ということで、ソウル・バー・デビューを飾った。ここは、すでにご存知だと思うが、「ファンキー居酒屋」というキャッチの元、いろいろとゴハン系も食べられる。崎陽軒のシュウマイ、ファンキー・チキンなどなど。もちろんかかっているのは、アナログ中心にした70年代が多いソウル。カーティス、ダニー、ボビー、ウィンディ・シティー、マージー・ジョセフ(永島さんのリクエスト)、スティーヴィー…。航志君はファンキー・チキンが気に入ったみたい。

PV。

しばらくすると、テレビ・モニターから、なんとバブルガム・ブラザースの新曲のプロモーション・ビデオが! はやい。タイトルは「ダディーズ・パーティー・ナイトDaddy's Party Night(懲りないオヤジの応援歌)」。これが、実にぜいたくなPVになっていた。冒頭出てくるのは、この「ソウル・ナッツ」の主人マイケル鶴岡さん。用務員風にモップで床を拭いている。そして、コーンとトムの二人がファンキーに登場。しかもほんのワンシーンだけでもでてくるゲストが超豪華。鈴木雅之、久保田利伸、江守藹、木梨憲武、ダンテリのユキなどなど、ソウル界、ヒップホップ界のオールスターが勢ぞろい。ちょっと瞬きでもしようものなら、見逃してしまう。一度しか見てないので、全部を覚え切れなかった。これは、すごいPVだ。(笑)

そして、このPVは、このシングル(12月3日発売)のスペシャル・エディションに、マイケル先生のステップ講座とともに収録される。講座を見ると、バブルガムの二人が踊るステップを覚えられるというもの。

そうこうしているうちに、今度は聴きなれたギターの響きが。おっと、これはまちがいなくデイヴィッドT! ジャケットを見れば、こんどユニバーサル・ドリカムのレーベルから出た新作だ。今週・金・土ビルボードだ。

デイヴィッドTの新作を聴きたい、バブルのプロモ・ビデオを見たい人は、ソウル・ナッツに直行だ。(笑) あ、デイヴィッドTのCDはもうリリースされてます。

■ デイヴィッド・T・ウォーカー ソーツ(Thoughts) 新作

Thoughts
Thoughts
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デイヴィッド・T.ウォーカー
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ENT>MUSIC>ARTIST>Bubblegum Brothers
ENT>MUSIC>ARTIST>Walker, David T


投稿者 吉岡正晴 : 04:38 AM | コメント (0)

October 27, 2008

Omar (Part 4): I Am Singing, Space Is Most Important Thing

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

(昨日からの続き)

【オマー・エドワーズ(パート4)~足と体で歌うオマー】

抽象表現。

渋滞のせいで、随分と遅れてしまい、岡さんたちを待たせてしまった。すでに、カメラマンの木下さん、長渡さんらと岡さんが、オマーを待ち受けていた。すぐに岡さんらにオマーを紹介する。オマーは岡さんのアフロヘアーというか、ドレッドヘアに興味を持ったみたいだ。

オマーは飾られた作品をじっくり見ていく。岡さんが横について簡単に解説する。「これは、抽象表現の作品なんです。ヨーロッパの絵画とは違って、壁に絵を描いたり、イーゼル(キャンヴァスを置く台)にキャンヴァスを置いて絵を描いたりするのではなく、床にキャンヴァスを置いて、作品を作ります。だから、作品には基本的に天地がありません。左右もありません」

オマー。「ワオ、すごいな。リンカーン・センターにあった本を、ちょうど、今読んでるんだけど、それが、抽象表現の絵画の本なんだ。なんという偶然だ! (本が)ホテルの部屋にあるんだよ! これのオリジン(始まったところ)はヨーロッパじゃないんだよね」

岡。「そうなんです、こういう表現方法はアメリカン・スタイルなんですよ」

オマー。「ちょうど、それを読んだところなんだ。ワオ…。僕は抽象表現、好きだな。(それらを見て)混乱することはないよ。…(作品を見ながら) う~~ん、家に一枚置きたいなあ…。君の作品は、ブルーだけど、前にも言ったけど、自分がこういう作品をやるときは、いろんなカラー(色)を使いたいな…。(ここで、ジミ・ヘンドリックスの曲を聴いてオマーが踊った作品の話を再度) いつの日にか、僕がすご~~い大きな家に引越したら、君(岡さん)を呼んで、そこでこのペインティングを作ってもらいたいな。アーティストが僕の家にやってきて、何か作品を作ってもらうのは、僕の夢だよ」

オマーがこれほどアート好きだとは知らなかった。

ちょうど、ビデオでニックが「マザー・ポップコーン」をやりだしたので僕はオマーに尋ねた。「ジェームス・ブラウンの曲は何が好き?」

「『ファンキー・グッドタイム』…、『パパ・ドント・テイク・ノー・メス』、メイシオが大好きなんだ(と、メイシオのまねを少しする)。『マンズ・ワールド』も好きだよ。『セックス・マシン』? あれはテンポが速すぎる。僕はグルーヴが好きなんだ」

「じゃあ、これは早すぎるかな?(『マザー・ポップコーン』のこと)」

「そうだね、…もちろん、僕はこれでも踊れるよ。でも、クリエイターとしては、なにかもう少しスローなものをやる。僕はどんなタイプの音楽でも踊れるけどね、any music…。」

「ソウル・ミュージックはセクシーだ。ジャズのインプロヴィゼーションみたいなものになると(ちょっとアドリブでやってみる)、女性はびっくりしてわからない。女性は、音楽を感じる。そのためには、音楽にスペースが必要だ。そういう音楽だと人々はリラックスできる。リラックスできると、パワーが生まれる。スペースのある音楽はパワーを持つ。スペースはセクシーだ。アートでも同じだ。すべてにあらゆるものが描かれていたら、見るのも嫌になるだろう。この作品だって、こうしてスペースがあるからいいんだ」

音楽のスペースへの理解は、オマーがミュージシャンと同様であることの証拠だ。

岡さんが、なぜブルーにこだわるのか説明する。「この青はウルトラ・マリン・ブルーと言って、ダイアモンドや金よりももっと貴重で高価なラピスラズリーという宝石の一種を原料に作られる顔料のひとつなんです。それはそれは大変高貴な色なんです。ラピスラズリーは海(地中海)の向こうから(ヨーロッパに)やってきた色だと言われていました。だから、ニックさんの足のステップを記録するには、一番高貴な色を使いたかったんです。ニックさんのステップの美しさを表現するのはこの色しかないと思ったんです。ダンサーには、その動きに美しさがあります。あなたと同じように。その動きの美しさをここにこの色で印したかったのです」

そして、彼は青の絵の具のついた靴をオマーに見せた。「これを見てください。この底にスポンジのようなものをつけているでしょう。これをつけることによって、絵の具が長持ちするようになってるんです。絵の具の濃さ、それからこのスポンジ素材、随分と研究し試行錯誤しました。絵の具が濃いと、キャンヴァスの上でうまくすべらない。薄いと色がいまいちになる。でも、実際本番でやってみるまでは、本当にどうなるかわからなかったんですけどね」

オマーがじっくりと説明を聞いて、うなずく。

DPP_0613.jpg
「岡さんとオマー~靴のソールは黒と赤」

+++++

歌。

「オマー、たとえば、あなたは踊るとき、色のイメージを持ったりする?」と僕が訊いた。

「時々ね。実際、僕は音楽を自分の足で聴くんだ。ピアニストと一緒に何かやっているとする。足でピアノの音を聴き、ストーリーをどうフィニッシュさせるか考えるわけだ」

「タップ・ダンサーというより、むしろあなたはミュージシャンですね」

「そうだね、でも、ミュージックというより、よりリリック(歌詞)を考えているな。例えば、ボブ・マーリーには素晴らしい作品がたくさんあるが、1曲にはせいぜい4行くらいしか歌詞がない。stand up, get up… 歌詞の間にもスペースがあるんだ。シンプルであればあるほど、複雑だ。どこまで(踊りだすのを)待てばいいのか。それを考える。(歌詞や踊りも)やりすぎると、結局伝わらない」

「そのスペースの重要性はいつ頃から気づいたのですか?」

「僕がそれらに気づいたのは1998年だ」

「何で、何があったのでしょう」

「ちょうど、その頃、自分のワンマン・パフォーマンスを始めたんだ。ただそれはあんまり成功はしなかったけどね。小さなナイトクラブで、75ドルくらいのギャラで、でも僕は6人のミュージシャンを雇って、結局赤字になっていた。(笑) でもそこで多くのことを学んだんだ。どうやって踊るかだけでなく、どうやってストーリーを語るか、どうやってオーディエンスを旅に連れて行くか。そのとき、スペースのことをいろいろと考えたんだ。音楽自体のスペース、ダンス自体のスペースのこと。それから10年後の今、僕はスペースの使い方を知った。でも、それを知るまでに10年かかったというわけだ。僕は物事を覚えるのがスローなんだよ(笑) でも、それで今も生き延びてるって言えるわけだけどね。かつて僕は『歌え』なかったけど、今では『足』で『歌える』んだ。僕はダンスをするんじゃない。僕は『歌う』んだ」

オマーは、よく「ストーリー(物語)」という単語を使う。自分のタップでストーリーを表現するとか、自分のタップには歌詞がある、とか、そして、踊っているのではなく、歌っているという。そう、オマーのタップからは、歌が聴こえてくる。そして、その歌は、彼の苦難も含めた豊潤な人生経験から生まれたものなのである。だからその歌を聴いた者は、さまざまな点で感動するのだろう。オマーの「歌うんだ」という言葉を聴いた瞬間、水曜日、ライヴを見て強烈に感動したのは、きっと僕がそのときにオマーの「歌を聴いたから」なのだと思った。それは喉からでるシンガーの歌ではなく、足から、体から表現されるダンサーの歌だったのだ。何か答えのひとつを見つけた気がした。

絵を描くアーティストも、ダンスを踊るダンサーも、物事をクリエイトするクリエイターはそれぞれの活躍の分野が違っても、クリエイトすることを突き詰めることに変わりはない。

喉を使わずに足と体で「歌」を表現し、歌おうとするオマー・エドワーズ。キャンヴァスと触れるところは足だけにもかかわらず、体すべてを使ってダンスするダンサーの所作すべてをキャンヴァスに落とし込もうとする岡伸昭。どちらも一見不可能に見えることに果敢に挑戦している。それこそがクリエイティヴであり、アートの真髄だ。

オマーがまだランチを食べていないというので、岡さんと近くにランチに行くことになった。肉を食べないというので、いろいろ考え、岡さんがてんぷらはどうだということで、てんぷらになった。展示会場からでるときにオマーが言った。「サンキュー・フォー・グレイト・アフタヌーン…」。「こちらこそ」。

(この項、続く…かもしれない…)

ENT>MUSIC>ARTIST> Edwards, Omar


投稿者 吉岡正晴 : 06:41 AM | コメント (0)

October 26, 2008

Omar Edwards (Part 3) : Talks About His Life: I Am Soul Dancer

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

(前日からの続き)

【オマー(パート3)、人生を語る】

人生。

約束の時間に迎えに行くと、彼はまだ部屋にいた。ハウスホーン(館内電話)の向こうで「今すぐに降りていくよ」という。しばらくするとロビーの向こうから手を振ってきた。前日遅くまでかなり飲んでしまったので、二日酔い気味だという。車に乗り込みいざ新宿へ。ちょうどカーステレオから流れていた音に彼が興味を示した。

「誰を聴いてるんだい?」 
「ボビー・ウーマックだよ」 
「彼はまだ生きてるの?」 
「生きてるよ。ちょうど先月でたばっかりのベスト・アルバムなんだ。ジャケットの写真は古いけどね。映画『アクロース・ザ・110ス・ストリート(110番街交差点)』は見た? 1973年の映画」 
「1973年、生まれてない…。僕は若すぎる。(笑)」 
「じゃあ、『ジャッキー・ブラウン』は?」 
「おお、もちろん見たよ」 
「そのテーマ曲もこれだ」 

ジャケットの英文ライナーノーツを彼は一生懸命読んでいる。文字が小さいせいもあるが、食い入るように読んでいる。そして、そこに書かれた文から「サム・クックは殺されたのかい?」と聞いてきた。

「そうだよ、1964年の12月に、サムはパーティーで知り合った女の子をモーテルに連れ込んだ。女の子は逃げようとして、モーテルのオフィースに助けを求めた。サムがそれに気づいて、そのオフィースにおいかけてきた。モーテルの女主人が、そんなサムに恐れをなして撃ってしまったんだ」
「わお、なんという悲劇だ…」

オマーはさらに読み進み、続けて尋ねてきた。「それで、ボビーはサムの未亡人と結婚したんだって?」 
「そうなんだ。とてもスキャンダルな話だろ。不思議なんだよ。そこが。サムはボビーにとって、メントゥアー(恩人)みたいなものだからね。いろいろ複雑な事情はあったんだろうけど。ほら、ボビーの歌い方は、サムそっくりだろ」 
「そうか、ボビーはサムから歌い方だけでなく、女も取ったってことか…」
「ははは、オーティス・レディングは知ってるかい?」
「ああ、もちろん、知ってる」
「彼は飛行機事故で死んだんだけど、1967年の12月10日が命日だ。サムの死から3年後にね。サムは1964年の12月11日に死んでる。オーティスもサムの影響をたくさん受けたシンガーだ」 
「ウ~~ム、誰でも最後は死ぬからなあ…everybody must die」
「でも、彼らは死ぬには若すぎた。たしかサムは33歳くらいで死に、オーティスは26歳くらいで死んでる」 
「本当か? おおっ…。っていうことは、逆に言えば、ボビー・ウーマックはうまく生き延びてるってことだね…」

「ははは、その通りだ。『ハリー・ヒッピー』という曲は知ってるかい? ボビーの弟のことを歌った歌だ。傑作だよ。ハリーも死んでしまった」
「なんで死んだんだ?」 
「ドラッグ関係のトラブルじゃなかったかな(註:と、この場では言ってしまったのだが、家に戻って確認すると、これは間違いで、ドラッグで悩んでいたのはボビーでハリーは、当時の嫉妬深いガールフレンドにナイフで刺され殺された)」
「僕が育った1970年代には、そんなこと、あちこちであったよ。両親にもそんなトラブルがあった。父は54歳で死に、母が死んだのは35歳にもなってなかった。…(しんみり)…。だけど、人生とはおもしろいものだよ。おばあちゃんが素晴らしい人でね、彼女は86歳なんだけど、まだ元気だ。彼女には6人の子供がいた。そのうちの一人が僕の父だ。おじいちゃん、つまり、おばあちゃんの夫は心臓かなにかの病気で40代で死んだ。そこで1940年代に彼女は6人の子供を育てなければなかった。僕の父は、とてもインテリジェントで強くて、賢かった」

彼が父について語るとき、ある意味、本当に目を輝かせて話す。「彼は本当にスマート(頭がよかった)だった」 
「ストリート・スマート(実生活でひじょうに賢いという意味)だったってこと?」 
「いや、違う。それ以上だ。彼はものすごく読書家で、何でも知っていた。知らないことはなかった。それで、とても強く、恐いものなしだ。本当に賢かったんだ。彼は自分が手に入れたいと思ったものは、結局何でも手に入れた。金が欲しいと願えば、手に入れられた。それだけの才能があったんだ。だけど、自分で進んでホームレスにもなっていた。すごく変わった男だった」
「僕のおじさん、つまりおばあちゃんの子供の一人が、若くして死んだ。おばあちゃんはものすごく悲しんだ。だけど、おもしろいことに、そのおじさんは僕そっくりなんだ。いや、僕がおじさんにそっくりなんだよ。顔、体つき、風貌。だから、神様はおばあちゃんにもうひとり息子をプレゼントしたようなものなんだ。僕の父は、よく『お前は、俺の弟にそっくりだな』って言ってた。それが人生なんだな(That's life...)」

「特に1970年代は黒人に厳しい時代だった。ボビーのこのCDいいねえ、(自分のショーで)使いたいな。彼の音楽は、本当に『リアル・ライフ』を歌っている。歌ってることがよくわかる。ところで、なんで君は『ソウル・サーチャー』って言うんだい?」 
「いつも、『ソウル・ミュージック』や、ソウルがあるものを探しているからなんだ。十代の頃からラジオでアメリカのソウル・ミュージックに親しんで、すっかり好きになったんだ。アメリカ軍の放送局で、毎日2つのソウル・ショーをやっていて、それをいつも聴いていた。ドン・トレイシー・ショウとローランド・バイナム・ショウだ」 
「今でもやってるのかい?」 
「いや、もうやってない」 
「なるほど、それが、君の人生を変えたんだね」 
「そういうことだ。君のタップは、まちがいなく『ソウル』だよ」 
「サンキュー…。そうだな、僕はタップ・ダンサーというより、自分でもソウル・ダンサーだと思ってるよ。僕のダンスは、僕のソウル(魂)から生まれてる。(ダンスの)テクニックからじゃない。もちろんある程度のテクニックは知っている、教えてもいる。だけど自分がタップをするときは、そのことを忘れるようにしている。テクニックだけでやりたくないんだ。僕は『ソウル・ダンサー』(魂のダンサー)でいたいんだ」 

四谷から新宿へ向かう20号線のトンネルが渋滞していた。雨は続いている。

オマーは1975年ニューヨーク生まれ。彼は自分の家族のことを少し話してくれた。お父さんは、大変頭が良く、黒人で頭が良すぎたために、トラブルに巻き込まれた。54歳で亡くなり、母も35歳より前に亡くなった。10歳かそこらで、オマーは両親がいなくなり、父方の祖母に育てられた。オマーの母はアフリカのリベリア出身で、大変貧しい生活をしていて、14歳頃まで靴を履けなかった。オマーが裸足のタップをやるのは、この母親からインスピレーションを得てのものだ。

1989年、オマーが14歳のとき、グレゴリー・ハインズ主演の映画『タップ』を見て感激し、タップをやりたいと思った。そこで、オマーは従兄弟のセヴィアンがタップをしていたことを知っていたので、セヴィアンの母親に電話をする。「僕は電話帳を引っ張り出して、セヴィアンの母親の名前を探し出し、電話したんだ。『僕は、オマー・エドワーズです』 すると母親は『もちろん、お前のことは知ってるよ、タップがやりたいなら、なんとかシアターにおいで』と言ってくれた。そこに行くと、セヴィアンが出ている(ミュージカル)『ブラック・アンド・ブルー』をやっていた。僕の(将来の)奥さんもいたんだ。それ以来、タップをやりだすようになった」

オマーは2リットルのペットボトルを持ち、それを口飲みしながら話す。「水は僕のガソリンさ!」 
「オマー、君にとってのメントゥアーは誰だい?」
「僕の父が死んだ後、オル・ダラー(アメリカのシンガー、ギタリスト。1941年生まれ)が僕の前に登場した。何か、問題や悩みが出てくると僕は彼に電話して相談するんだ。僕にとってのメントゥアーだな。他にも親しいミュージシャンはいるけど、ミュージシャンは僕の人生を救ってくれている。ミュージシャンたちは、(僕が)人生についていろいろ考えるための手助けをしてくれる。そして、自分自身を知るための力になってくれる。彼らは人生の中に深く入っていく。中に…。人生とは、海のようなものだ。その中で泳いでいると、ときにサメに出会ったり、ときに鯨に出会ったりする。ときに、海面に出て息をしなければならない。人生はオーシャンだよ。無限の可能性のある海だ。ミュージシャンは世界中を旅し、いろんな文化に出会い、いろんな人たちと接する。そうして、人々のことについて学ぶ、人生はいかにシンプルかを学ぶ。ミュージシャンはそうした知恵があるんだ」

「ミュージシャンは人々とコミュニケートするのがうまい。ミュージシャンは心と体(mind, soul and body)と楽器でコミュニケートするが僕は、自分の心と魂と体すべてでコミュニケートするんだ。僕はミュージシャンのように考えるタップ・ダンサーが好きだな。多くのタップ・ダンサーは、ミュージシャンのようには考えられないんだ」

「しばらく前に、(ニューヨークの)リンカーン・センターで『フライ』という舞台をやったんだ。これは(アメリカ南部の)タスキギーにある黒人ばかりのパイロットたちの人生を描いたものだ。ミュージカルではないんだが、タップをエモーション(感情表現)のひとつとして使ってエアメン(飛行士)たちの人生を描いている」

「東京も、いつもこんなに渋滞するのかい」
「そうだね、時間帯と場所によるかな。今日は雨だから、いつもより渋滞がひどいかもしれない。でももう着くよ」
「まあ、渋滞のおかげで、君は僕の人生のことを知り、僕は君の人生のことを知ったわけだな」
「そうだね。オマー、君は本を書けばいいじゃないか」
「う~む、そうだな…。昔、詩を書いていたけどね…」

そう、渋滞のおかげで素晴らしい話が聞けた。車を駐車場にいれ、傘を取り出し、僕たちはビームスに急いだ。

(続く)

ENT>MUSIC>ARTIST> Edwards, Omar


投稿者 吉岡正晴 : 06:01 AM | コメント (0)

October 25, 2008

Omar Edwards Talks (Part 2) : After The Dance

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【オマー、電撃的タップ・ダンスの後に語る】

体全体。

水曜日デューク・エリントン・オーケストラでスペシャル・ゲストで出ていたオマー・エドワーズ。彼を初めて見たのが2004年7月の『ハーレム・ナイツ』で、それ以降毎年見ているので、『ハーレム…』で5回、そして今回で6回目になる。毎回彼はライヴが終わるとサイン会にでてきて、ファンにサインをしたり、写真を撮ったりする。ライヴが終わりトイレに行こうとすると、彼はすでに出口のところでサイン会を始めようとスタンバイしていた。さすがに毎回会ってるので、いつもながら人懐っこい顔で挨拶してくる。トイレをすませ戻ってきて、どれほど彼のパフォーマンスに感動したかを伝えたかったが、なかなか興奮してうまく話せなかったが、「サンキュー」と感謝してくれた。

ちょうど、ケイリブ・ジェームスとカマサミ・コングが来ていたので、ちょっと挨拶しにいった。コングさんもかなりオマーのパフォーマンスに驚いた様子。彼に岡さんの『アフター・ザ・ダンス』のフライアーを渡し、説明するためにYou Tubeの映像を見せた。最初かたことの説明ではわからなかったものが、これを見せるとすぐに理解してもらえる。百聞は一見にしかず。映像は強力だ。コングさんも興味を持ってくれたので、オマーにもこれを見せようと思いついた。

オマーのところに戻り、簡単に口で説明し、映像を見せようとすると、「待ってくれ、それと同じこと、僕はやったよ。見せないでくれ(笑)」と興奮気味に言って彼のヴァージョンの説明を始めた。オマーがやったのは、友人のギタリストと手を組んで二人でやったもので、ギタリストの彼がジミ・ヘンドリックスの曲を演奏するという。

彼が興奮気味に語り始めた。「いろいろな色の容器が置いてあって、そこに僕がタップの靴をいれて、キャンヴァスにダンスをしていく。すべての容器でダンスをすると、色(の位置)がそれぞれ決まっていて、最後、それがジミ・ヘンドリックスの絵になるというわけだ。ま、出来た絵がヘンドリックスに似てるかどうかはわからないけどね。(笑) (ビデオのものと)基本的には同じだな。彼はタップ・ダンサーかい? ソウル・ダンサーなんだね」 

ちょうど、「マザー・ポップコーン」のところだった。「彼はジェームス・ブラウンのようなダンサー? なるほど。僕もこれと同じことをやってみたいよ。基本的には同じアイデアだが、彼は一色しか使ってないよね。でも、僕がやるときはたくさんの色を使いたい。ジェームス・ブラウンのコピーとしてはそれほどではないな。歩いているみたいだ。(笑)ジェームス・ブラウンの映像をYou Tubeで見たが、彼の動きは電撃的だ。本当にゲットダウンしてる。すべてが早く、衝撃的で、かと思えばスローになったり」

オマーは興奮しながら話す。「僕のゴールはいつか(自分のダンスのレベルが)ジェームス・ブラウンのようなレベルに達することだ。ジェームス・ブラウンはタップ・ダンスはしないのに、彼はダンスに関して超有名だ。彼のダンスはとても自然な生まれながらのダンスだと思う。音楽の瞬間と感情に基づいて踊る。それは、僕がやっていることとすべて同じなんだ。いいかい、それと同じことができるもうひとりのシンガーを知ってるかい?」

「誰? わからないなあ」 「ボブ・マーリーだよ! 彼の珍しいコンサートの映像を見たことがあるんだ。彼は1曲全曲を、体すべてで表現してるんだよ! 体、すべてだ。だから、ボブ・マーリーはすばらしいタップ・ダンサーなんだ。時々、僕は彼の音楽を消して、彼の足元の動きだけを見るんだ。もう本当に、タップのようなんだ。一度君も見るべきだ。楽しめるよ。ギターで(曲が)ブレイクするときなんかでも動いている。彼のリズムは、こうだ(動きをする)、1曲全曲を通して、踊っているんだ、体全体(whole body)を使ってね」

そういえば、彼が今年(2008年)の『ハーレム・ナイツ』でパフォーマンスをしたとき、ボブ・マーリーの大きな絵柄のTシャツを来て、マーリーの「ウェイティング・イン・ヴェイン」にあわせてタップをしていた。10年以上伸ばしているというドレッド・ヘアもボブ・マーリーの流れを汲む。彼のタップ・ダンスは、体のすべてを使う。オマーのこの話を見て、聞いて、体全体の意味がすごくよくわかった。

オマーが、フライアーを見て「これ、実物を見たいな。どれくらい大きいんだい? 明日(木曜)は、昼、テレビにでるから(『笑っていいとも』の最後に登場した!)、あさって連れてってくれ」ということになり、オマーを『アフター・ザ・ダンス』にお連れすることになった。

(この項続く)

ENT>MUSIC>ARTIST> Edwards, Omar


投稿者 吉岡正晴 : 05:46 AM | コメント (0)

October 22, 2008

Joe Thomas Brought Kedar Massenburg On The Stage

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ジョー、ケダー・マッセンバーグをステージにあげる】

裏方。

ちょうど、ステージ袖にちょっとピーボ・ブライソン似の小柄な男性がいた。なんと、彼が1997年から2004年までの約6年モータウン・レコード社長の座にいた人物、ケダー・マッセンバーグだった。日曜日に東京入りしたそうで、この日は自身のレーベルの所属アーティスト、ジョーのライヴを見に来ていた。ジョーはライヴ最後のところで、「今日はスペシャルな人物が来ています。彼は『ネオ・ソウル』という言葉を生み出し、世に広めた人です。そして、ディアンジェロやエリカ・バドゥーといったアーティストをスターにした人です」と言ってケダーをオーディエンスに紹介した。ちょっと照れながら彼はステージにあがった。

ケダーは現在ジョーとともに自身のインディ・レーベル、「563ミュージック」を設立、ジョーの新作はアメリカではこのレーベルからインディ作品として発売されている。昨年、ジョーのオープニングを担当したアルジェブラも同レーベル所属だ。

ライヴ後少しだけケダーに会った。「いや、僕はステージに上って、踊ったりする人間じゃないんだ。(笑) 言ってみれば裏方の人間だからね。日本にはディアンジェロと一緒に初めてやってきたよ」 比較的早口で、ひじょうにスマートな印象だ。いろいろなインタヴューを見ると、ケダーのアーティスト育成に関するポリシーはなかなか素晴らしい。

曰く「アーティストは、世間に出せるまでトレーニングして、一挙に世間に出す。いい音楽を作るだけでなく、メディア・トレーニングもする。それだけではない、会計のコンサルタント、音楽ビジネスのことも教える。我々はアーティストをストリート・レベルで通用するのと同時に、レコード会社の役員会などでも通用するような人間に育てるんだ。だが、今ではそういうことはメジャーのレコード会社ではほとんどできない。なぜなら、メジャーはすべて4半期ごと(3ヶ月毎)に数字が上がらないとだめだからだ」

ブルックリンに1963年ごろ生まれたケダーは、地元のハイスクールを出た後、オハイオの大学、ノース・キャロライナ大学などで学び、後者で弁護士資格を獲得。卒業後一度はペプシコ社に就職。その後1991年、大学時代からステッツアソニックのダディー・オーと組んで会社を作ったりして、音楽業界に入ってきた。1995年、ディアンジェロ、さらに1997年、エリカ・バドゥーを世に送り出し、一躍注目のミュージック・マンとなり、その後モータウン社長へ。ディアンジェロ、エリカを売り出すときに、「ネオ・ソウル」という言葉・定義を生み出し、大成功した。

ほんの瞬間、ジョーにも会えた。間近で会うジョーは実にかっこよかった。同行松尾さんが、かつてジョーと一緒に六本木のしゃぶしゃぶを食べに行ったときのことを話すと、「ああ、覚えてる、覚えてる。でも、僕はしゃぶしゃぶは食べなかったんだ」 「で、そのあと、ケンタッキー・フライド・チキンを食べたんですよね(笑)」と松尾さん。「そうそう、KFC頼んだよ(笑)」 「日本に来た回数はもうわからないな。1995年に初めて来て、年に2度くらい来ることもあるので、最低15回は下らないと思う」 

ジョーにひとつだけ質問した。「あなたは、もうゴスペルは歌わないのですか。あるいは、ゴスペルの曲をレコーディングしたりはしないのですか」 すると、「僕の両親は教会で歌ってる。実は自分のレーベルでゴスペルのアーティストと契約したんだ。だからゴスペルはやるよ! たぶん来年くらいに出る」 今もアトランタに住んでいるのかと思ったら、「アトランタは20年前に出て、ずっとニュージャージーに住んでるよ。今、みんなアトランタ、アトランタだからね。その中で一緒になりたくないんだ(笑)」

October 20, 2008
Joe : More Hug & Kiss At Joe's Live; Something In Common With Peabo Bryson
http://blog.soulsearchin.com/archives/002708.html
ジョー・今回来日・ライヴ評、セットリスト、過去記事一覧も。

ENT>MUSIC>LIVE>Joe
ENT>MUSIC>PERSON>Massenburg, Kedar


投稿者 吉岡正晴 : 04:32 AM | コメント (0)

October 10, 2008

Stylistics : First Album In 12 Years Celebrating 40th Year

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【40周年スタイリスティックス12年ぶりの新作リリースへ】

新生。

日本でも圧倒的な人気を誇るソウル・ヴォーカル・グループ、スタイリスティックスが、なんと12年ぶりのスタジオ新録による新作を出す。しかも、この新作には、2000年にメンバー加入した新リード・ヴォーカル、イーバン・ブラウン、ヴァン・フィールズの二人も参加しており、彼らにとっての初アルバムともなる。また、彼らは1968年結成以来ちょうど40周年を記念するアルバムとなる。

アルバムのタイトルは、『ザット・セイム・ウェイ』、日本発売は2008年11月19日予定。プロデュースは、プレストン・グラス。ナラダ・マイケル・ウォルデンとの仕事が有名で、これまでに、ナタリー・コール、アレサ・フランクリン、ケニーGなど多数のヒットを放っている人物だ。彼らの前作は、1996年の『ラヴ・イズ・バック・イン・スタイル』。その後、精力的にライヴ活動を続けており、日本にも毎年のようにやってきているのはご存知の通り。

今回のこの新譜は、年末の恒例クリスマス・ライヴへ向けてのリリースとなる。ビクターでは、クリスマス時期の来日ということもあり、1992年に出た『スタイリスティックス・クリスマス』も、同時にジャケットを新装して再発する。

新作アルバムの中で、注目されるのは、イーバン、ヴァン・フィールズのヴォーカルでもあるが、いかにもスタイリスティックス風な作品が多い点。特に「ユー・ブリング・アウト・ザ・ベスト・イン・ミー」は、彼らをスターにしたトム・ベル&リンダ・クリードの作品。タイトルについて調べてみたが、同名異曲はあったが、トム・ベルたちのものは誰も録音していないようなので、おそらく、未発表曲なのだろう。リンダは1986年に死去しているので、それよりも前の作品と思われる。

また、スタイリスティックスのデビュー作『スタイリスティックス登場』にも収録されていた「エボニー・アイズ」を今風にリメイクしていて、ここにはアコースティック・ギターで、レイ・パーカー・ジュニアが入っている。

いずれにせよ、12年ぶりの新作、来日ライヴでは何曲か歌ってくれることだろう。

ザット・セイム・ウェイ
ザ・スタイリスティックス
ビクターエンタテインメント (2008-11-19)

■ スタイリスティックス・ジャパン・ツアー

2008年12月11日~13日 ビルボード・ライブ福岡
12月15日 札幌市教育文化会館
12月17日~20日 ビルボード・ライブ大阪
12月22日~27日 ビルボード・ライブ東京
12月28日 横浜ロイヤル・パーク・ホテル

■ 過去関連記事

April 16, 2008
Stylistics : Magic Of The Song
【「愛がすべて」、その魔力のすべて】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002457.html
前々回来日時ライヴ評。

December 22, 2007
Stylistics : Take Me Back To The 70s
【スタイリスティックス・ライヴ~70年代のあのころへフラッシュバック~】 
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200712/2007_12_22.html
(ここに過去関連記事一覧)
前回12月来日時ライヴ評。

December 24, 2007
Stylistics : They Love Japan, Japan Love Stylistics
【スタイリスティックス、日本を愛す、日本人、スタイリスティックスを愛す】 
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_12_24.html

ENT>MUSIC>ARTIST>Stylistics


投稿者 吉岡正晴 : 06:08 AM | コメント (0)

October 08, 2008

Bobby Womack's The Best Of Bobby Womack

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ボビー・ウーマック、ベストはリミックス入り】

ギター。

「ザ・ラスト・ソウル・マン」「ソウル・サヴァイヴァー」などの異名を取るソウル・シンガー、ボビー・ウーマックが1960年代から1970年代に所属した、ミニット、リバティ、ユナイテッド・アーティスツ(UA)レーベルに残した作品を編纂したベスト・アルバム、『ザ・ベスト・オブ・ボビー・ウーマック~ザ・ソウル・イヤーズ』が2008年10月8日、リリースされた。

ラスト・ソウル・マン ベスト・オブ・ボビー・ウーマック
ボビー・ウーマック
EMI MUSIC JAPAN(TO)(M) (2008-10-08)
売り上げランキング: 31667

Song list

1 Across 110th Street [From Across 110th Street] (03:44)
2 Woman's Gotta Have It (03:30)
3 I'm a Midnight Mover (02:00)
4 That's the Way I Feel About Cha (05:06)
5 You're Welcome, Stop on By (03:28)
6 Lookin' for a Love (02:24)
7 I'm in Love (02:39)
8 I Left My Heart in San Francisco (02:15)
9 Communication [Single Version] (03:51)
10 Fact of Life/He'll Be There When the Sun Goes Down (06:14)
11 Fly Me to the Moon (02:06)
12 Harry Hippie (03:46)
13 I Can Understand It (06:29)
14 Preacher, Pt. 2/More Than I Can Stand [Live] (06:23)
15 I'm Through Trying to Prove My Love to You (03:35)
16 It's All Over Now (02:44)
17 California Dreamin' (03:08)
18 How I Miss You Baby (03:11)
19 Nobody Wants You When You're Down and Out (02:54)
20 Daylight (03:06)
21 Check It Out [Single Version] (02:51)
22 Fire and Rain (04:15)

(ライナーノーツ 鈴木啓志 歌詞カード、対訳付き)

ボビーが1968年に契約したミニットから、UAでの1976年までの約8年に残された作品からの22曲だ。選曲的には、誰でもピックアップできそうな、普通のまさにベスト・アルバムなので、僕もソングリストを見て、それだけで納得してしまった。ところが、1曲目「アクロース・110ス・ストリート」(1973年)をCDプレイヤーにいれたら、これがミックス違いではないか。あまりに予期せぬことにびっくり。ミックス違いと言っても、そんなに大勢に影響はないのだが。

この新盤では、イントロからギターの音が、今までのヴァージョンよりはるかに前面に出ている。旧ヴァージョンでは、同じギターフレーズが若干沈み込んでいた。また、パーカッションのサウンドもそれまでより持ち上げられている感じだ。そこで、今までのヴァージョンとこれをCDプレイヤー2台で同時にならしてみた。すると、長さ、ヴォーカルなど音源はすべて一緒。ギターだけ持ち上がっているのが耳に付いた。

しかし、今まで何千回と聴きなれた曲が、ギターの音がちょっとだけ上がっているだけでこうも印象が変わるものかと改めて驚いた。たぶん、マルチのマスターからミックスをやり直して、ギター部分をあげたのだと思うが、CDにはそうした作業に関するクレジットがない。

そもそも、この曲はウェスト・コーストで録音されたらしいが、ミュージシャン・クレジットなどもない。ギターと歌はボビーに間違いないが。

で、この新ミックスについては、ライナーノーツの中で鈴木啓志巨匠も触れられていない。おそらく、ベストの曲目リストで、この盤を聴くことなく執筆したのだろう。どれも、耳たこくらいのおなじみ曲だからそれもありうる。アルバム全体はデジタル・リミックスをしたと書いているが、各楽曲についての詳細はない。

「アクロース・110ス・ストリート」は、もともと1973年の同名映画のテーマ曲だった。そして、その映画のテーマ曲が、24年後にまったく別の映画『ジャッキー・ブラウン』(1997年)でも、再度テーマ曲になっている。そのサントラも一応チェックしてみた。すると、こちらは、もともとのオリジナル・ヴァージョンのようだ。

ところで、この「Across 110th Street」、邦題が「110番街交差点」とついているが、正しくは「110丁目」となるはず。番街は、マンハッタンを南北・縦に走るアヴェニューを指す単語。5th Avenue や 7th Avenue をそれぞれ5番街、7番街などと訳すのが基本的なルールだ。「ストリート」が丁目と訳される。57th Street は、横に走る道で、これは57丁目と訳される。だから、110th Street は、本来は110丁目。交差点は、Crossing で、ここでのAcross は、越えて、の意味。

そして、Across 110th Street は、正確には、110丁目(の道)を越えて、という意味。110th Streetは、マンハッタンの中で、ハーレムとの境界線である。つまり、ハーレムに住む人間からすると、110丁目を越えてミッドタウンに入るということは、それだけでひとつ意味があることなのだ。110丁目を越えて、ミッドタウンで成功すれば、それはハーレムを抜け出しての成功という意味で、ブラックたちにとって大いなる誇りになる。逆にハーレムにはドラッグやら売春やら、いろいろな悪いことがたくさんある。ミッドタウンからすると、110丁目を越えるということは、危険地域に足を踏み込むという意味でもある。だから、Across 110th Street を正しく訳すと、110丁目を越えて、あるいは、さらに意訳すると、「110丁目の向こうに」「110丁目の先に」となる。

話がそれた。言いたいことは、この新作『ベスト』の「Across 110th Street」は、テイク違いで、ギターの音色が印象的です、ということだ。

ENT>MUSIC>ARTIST>Womack, Bobby
ENT>MUSIC>ALBUM>Womack, Bobby


投稿者 吉岡正晴 : 07:57 AM | コメント (0)

October 06, 2008

Joe Sample (Part 4) : Sample At Le Sample

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ジョー・サンプル、ル・サンプルにて】

アート。

夕方ホテルに迎えに行き、ハウスフォーンでジョーの部屋に電話をいれる。すると、誰も出ない。交換を通してもう一度かけるが、でない。シャワーでも入ってるのかな、と思ったら、なんと彼はすでにロビーにいた。「いま、ヒサオ(ビデオアーツ社長)を待ってるんだ」 なるほど。まもなく、すっとヒサオさん登場。ル・サンプルに向かう。

広尾の住宅街に目立つことなくひっそりと佇むル・サンプル。半地下に降りていくと、16席ほどの落ち着いたレストランが姿を現わす。「メロディーズ・オブ・ラヴ」の楽譜の一部が、ガラス自体に彫りこんで作るガラス・エッチングになって、席を仕切る。ジョー・サンプルのワーナーからの『インヴィテーション』の中ジャケットに使われている写真が額装され、静かにその『インヴィテーション』のアルバムが流れている。テーブルにはMr. Joe Sampleの札…。

「ここは、メニューがないんだ。先に、食べられないもの、嫌いなものだけ言って、あとはお任せ。シェフの才能を信じるんだよ。コー(とジョーはオウナー・シェフ、菊池晃一郎氏のことを呼ぶ)は、素晴らしいシェフだから、すべて任せるんだ。アートは、(音楽も料理も)みんな同じだよ。シェフがその日のいい素材を使って、クリエイティヴなものを作る。その昔、60年代にはロスにはおいしいフレンチ・レストランなんか、ぜんぜんなかった。70年代か80年代になってからボツボツ出始めたかな。僕の父はシェフだった。ニューオーリンズからカリフォルニアに向かう鉄道の食堂車のシェフをやっていた。だからいろんな料理を作ってくれた。そうそう、コーがクリオール料理に興味を持ってたんで、クリオール料理のいろんなレシピーが書いてある本をあげたんだ。コー、ちょっとあの本を見せてくれないか」

菊池さんがそのぶ厚い本を持ってきた。「僕の(料理の)秘密をあんまりしゃべらないでくれ(笑)」と彼はジョーに言った。テーブルにはいつのまにか、前菜が置かれた。ジョーが言うようにまるでアートのような盛り付けだ。そして、フォークとナイフをいれると上品な味わいが口の中に広がる。

しばらく前から、ジョーの『インヴィテーション』が流れていた。「このアルバムのアレンジャー、名前はなんと言ったかな、忘れてしまったが、彼は僕に、僕のピアノが気に入らないといって、あれこれ指示を出したんだよ。(笑) 彼はオーケストラのアレンジをした人物なんだが。彼はずっとしゃべってしゃべって、ああだ、こうだ、あれはこう、ここはこう、って延々と指示をしていた。(笑)フレディー・ハバード、CTIあたりで仕事をしていた人物だよ」 CDのジャケットを見せてもらい確認するとデール・エーラー(Dale Oehler)と書いてある。ジョーは名前を覚えていなかったが、クレジットを見て思い出していた。

すると、堰を切ったように、当時の話が飛び出してきた。「メジャーのレコード会社は、ひとたび契約すると、ヒット曲を作れ、ヒットを作れとばかり言ってくる。たとえば、このときも、だれそれと組んでアルバムを作れ、とか。この時期は最悪だったよ。ヒットを作ろうと思ってレコードを作ったら、絶対にだめなんだよ。僕は、そういう意味では、レベル(rebel=反逆者。体制におもねない人)なんだよ! メジャーとの契約が切れるまでの7年間は本当に耐えた。切れたときには、もうこれ以降は必ずインディペンデントで行こうと思った。だけど、おもしろいことに、レコード会社でその昔、あーしろ、こーしろ、と言っていた連中は今、もう生きてないんだ。(爆笑) 僕はどうにか、生き延びてるけどね。(笑)」

魚料理(この日は白身の魚だった)に続いて、肉料理。蝦夷鹿にソースがつけられたもの。これはずいぶんリッチな味だ。マーヴィン・ゲイの話になっていた。

同じ年。

「マーヴィンが、離婚するときに作ったアルバムがあったよね、なんだっけ」「ヒア・マイ・ディアー、ね。」「それそれ。確か、彼がベルギーに住んでたのはその頃だろ? その後くらいか。 僕たちがクルセイダーズでロンドンでライヴをやると、彼はなぜか必ずロンドンのクラブにいたんだ。クラブの名前は忘れたが、3回くらいあった。そこで会うと『ヘイ、ジョー、ジョー、ジョー』と言って、大喜びでハグしてきた。たぶん、長いことベルギーにいて、アメリカン・ミュージシャンが恋しかったんだろう。だから、ベルギーからわざわざロンドンまで来たんじゃないかな」

「マーヴィンの(アルバム)は、『レッツ・ゲット・イット・オン』のレコーディングに参加した」 「エド・タウンゼント!」 「そう、エド・タウンゼントだ。そのソングライターのパートナー、リニー・ホール(Rene Hall)というんだが、それが、『レッツ・ゲット・イット・オン』のテンポが遅いとか、速いとか言って、何度もやり直しをさせられたんだ。レコーディングは延々とかかって、マーヴィンはスタジオで(ボードに)手を伸ばして、ぐったりしていた。だが、ある瞬間、これだっていうテンポが決まって、やったら、それこそ『ボーン』って感じで、はまったんだな。あの、ヴェトナム戦争の曲…」 「ホワッツ・ゴーイング・オンね」 「そう、それだ。あれと、この『レッツ・ゲット・イット・オン』は全然違うだろ。アーティストっていうのは、その時その時の感情で作品を作るものなんだ。マーヴィンが父に撃たれたのは、本当にショックだった」

「1984年のエイプリルフール・デイのことでした。マーヴィンは1939年の4月2日生まれです」 「僕は1939年の2月1日だ」とジョー。ということは、2ヶ月しか違わない。そうか、ジョーとマーヴィンは2ヶ月しか違わなかったんだ。気がつかなかった。まったくの同じ年生まれ。

身振り手振りを交えたジョーの話は、なかなかおもしろい。そして、話は尽きない。彼が参加したマイケル・フランクスの話、フィーチャー・シンガーとして起用したリズ・ライトの話、彼の昔話をサンプリングしたマーカス・ミラーの話、初めてローラーコースターに乗ったときの話、初めてパーシー・フェース楽団の一員として来日したときの話、その時初めて日本食を食べた時のこと、かと思えば、黒人差別の話(分離と統合の話)、1950年代から1960年代に南部でライヴをやるときに、決してオーディエンスを見下ろしてはいけない、エンタテインしなければならない、といったシリアスな話、クリオール料理の話、最近のハリケーンの話、あ~覚え切れない…。(笑)

いつのまにか、デザートがでていた。ジョーの哲学のひとつは「おいしい料理と素晴らしい音楽がなければ、人生は台無しだ」というもの。ジョーの周りにはそのふたつがある。しかし、ジョーのあのエネルギーもすごい。ディナーは4時間を越えていた。久々にゆっくり食事をした。

「ヒサオ、明日のフライトは何時だったっけ」 「9時半、成田です。ということは8時には成田着、ホテル出発が7時…、ジョー、6時に起きてください」 「いや、起きるのは6時半だ(笑)」 

■ ジョー・サンプル&ランディ・クロフォードの新作『ノー・リグレッツ』には、ル・サンプルの紹介が書かれたカードがあります。そのカードを持っていくと、ワインもしくはソフト・ドリンクが一杯サーヴィスされます。

■ 「ル・サンプル Le Sample」
ウェッブページ http://le-sample.com/
住所 東京都渋谷区東4-9-10 TS広尾ビルB1F
電話 03-5774-5760
アクセス 恵比寿駅西口より徒歩13分/広尾駅2番出口より徒歩13分/表参道駅A5出口より徒歩12分
営業時間 6:00PM~10:00PM (ラストオーダー)
定休日 火曜、第1・3水曜
席数 16席 要予約/全席禁煙/
コース料金 :コースA(ヨランダ)¥6,300(4皿)・コースB(ジョー)¥10,500(6皿) (税込み、7%のサーヴィス料別)
カード 使用可

ENT>MUSIC>ARTIST>Sample, Joe
DINING>RESTAURANTS>Le Sample


投稿者 吉岡正晴 : 04:05 AM | コメント (0)

October 05, 2008

Joe Sample Talks (Part 3) : Historian Joe Lectured Us

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ジョー・サンプル語り倒す(パート3)】

歴史家。

「彼のライヴは、大きな会場で見たことはあるんだ。といっても、いつも舞台の袖とか、バックステージでだけどね。ライヴを客席でこうやって見るのは初めてだよ。なかなかいい音してるじゃないか」とジョー・サンプルは言う。

そして、「彼はエンタテイナーだなあ」とも付け加える。サイン会を終えたデイヴがジョーのもとにやってきて、デイヴが、いかに自分がジョーの音楽をリスペクトしているか、熱く語った。

ジョーはデイヴに説明する。「僕は、いつも音楽を、どれくらいの重さがあるかで見るんだ。この曲はどれくらい重いか、どれくらい軽いか。自分がプレイするとき、このC7(コードのひとつ)には75ポンド(30キロ)の重さが必要だ、こんどのC7は8オンス(220グラム)でいい、とかって考えるんだ。その曲(メロディー)に、どれくらいの重さが必要かを考える」 僕は、メモを取りながら、ジョーの話に耳を傾ける。

ジョー・サンプル教授の講義は延々と続く。デイヴが言う。「あなたは、本を書いたことは?」 「ないよ」 「絶対書くべきだ。だって彼は(僕のこと)、ノートを取ってるよ(笑)」 ジョーはウィスキーか何かをロックで飲んでいる。

『ソウル・シャドウズ』。

ちょうど、僕がジョー・サンプルの2004年にリリースされたピアノ・ソロのほうの『ソウル・シャドウズ』のアルバムを持っていた。すると、海老根さんが、「これ、来年(2009年)、うち(ビデオ・アーツ)から出せることになったんですよ。前のユニバーサルとの契約が切れてね」と言うではないか。これは確か日本盤が出ていなかった。ニュースだ。「この曲はね」と1曲目の「ハウ・ユー・ゴナ・キープ・エム・ダウン・オン・ザ・ファーム(どうしたら、彼らを農場にとどめておけるのか)」についてジョーが話し始めた。

「1918年かな、第一次世界大戦の頃だ。第369歩兵部隊というアフリカン・アメリカンばかりの連隊があった。彼らは通称、『ヘル・ファイターズ』と呼ばれていた。そして、このヘル・ファイターズはさまざまな差別を受けた。だが彼らはその後、フランスに送られ、そこでフランスの部隊と一緒に戦う。これはその頃、その第369歩兵部隊の中にあったバンドが歌っていたものなんだ」

帰って調べてみると、第一次世界大戦のために、アメリカの農業の形態がかなり変わったらしい。地方の農家の人たちが、農業をやらなくなり、それ以外のことに興味を持ち始めたりした。また戦争になると、さまざまな食料が必要になるので、農家の人にはがんばって食料を生産してもらわないと困る。そこで、どうしたら、彼らを農業従事者でいさせ続けられるかが重要な問題となったらしい。で、このタイトルのこの曲が生まれた、というわけだ。う~む、勉強になるなあ。

ジョー・サンプルは、歴史家だ。さまざまなことについて詳しい。メモと筆記用具は必需品なのだが…。(笑)

しばらくして、デイヴが帰った。そろそろ、こちらも帰る時間になると、「明日は何をしてるんだ」というので、「いや、特に」と答えると、「明日、ル・サンプルで食事をするんだが、一緒に来ないか」という。

「ル・サンプル」は広尾にできたフレンチ・レストラン。その名前は、「ジョー・サンプル」から取っている。元々ロス・アンジェルスでレストランを経営していた菊池さんがロスを引き払い、日本でレストランをオープンしたもの。ロスの菊池さんのレストランにジョーはよく行っていた。それで彼が日本にオープンするとき、「ル・サンプル」という名前をつけても良いかと尋ねると、二つ返事で了承してくれた。それだけでなく、このお店のロゴ「Le Sample」という文字は、ジョー本人が書いたものだ。そして、「ル・サンプル」には、ジョー・サンプルの名曲「メロディーズ・オブ・ラヴ」の譜面をガラス面に彫りこんだ「ガラス・エッチング」されたものがある。静かに流れる音楽は、もちろん、ジョー・サンプルのCDばかりだ。グルメのジョーは来日のたびにここに食事をしに来る。僕も一度ロケハンしてあったが、これは行くしかない。

というわけで、翌日、「ル・サンプル」に出向くことになった。

「じゃあ、明日、ホテルに迎えに行きます」とジョーに言った。インタヴュー、ブルーノート・ライヴ鑑賞、そして、ディナーとジョー三日間連続になった。

(この項、続く)

■ ジョー・サンプル最新作『ノー・リグレッツ』、今日の『ソウル・ブレンズ』(インターFM 76.1mhz 午後3時~5時)内「山野ミュージック・ジャム」(午後4時半から)で、本人のインタヴューを含めてご紹介します。

■ ジョー・サンプル過去記事(基本的に、上から新しい順に並んでいますので古いものからごらんになりたい場合は、下のリンクからお読みください)

October 04, 2008
Joe Sample Talks (Part 2): Dave Koz Live: The Most Choreographed Sax Player In The Jazz
http://blog.soulsearchin.com/archives/002692.html

October 03, 2008
Joe Sample Talks (Part 1) : No Regrets Is Second Piece Of Potato Chips
http://blog.soulsearchin.com/archives/002691.html

August 03, 2008
Joe Sample & Randy Crawford’s New CD Will Be Out On September
http://blog.soulsearchin.com/archives/002628.html
ジョー&ランディ第2弾アルバム『ノー・リグレッツ』

February 29, 2008
Crusaders Live : First Class Musicians’ Musicianship
http://blog.soulsearchin.com/archives/002361.html
2008年2月、クルセイダーズ・ライヴ

September 22, 2007
Tokyo Jazz 2007: Joe Sample & Randy Crawford, Candy, Etc.
http://blog.soulsearchin.com/archives/002038.html
2007年9月、ジョー&ランディのライヴ@東京ジャズ

June 13, 2006
Joe Sample's New Album Featuring Randy Crawford
http://blog.soulsearchin.com/archives/001071.html
2006年6月、ジョー&ランディ・アルバム『フィーリング・グッド』

~~ジョー・サンプル&ジョージ・デュークのピアノデュオ・ライヴ(2005年11月)(パート1~パート6)~~

November 19, 2005
Groove Hand, Poet Hand: Magic Hand Of Joe Sample (Part 1)
http://blog.soulsearchin.com/archives/000644.html

November 20, 2005
The Master Of Improvisation; Like Raindrops & Clouds : Joe Sample (Part 2)
http://blog.soulsearchin.com/archives/000645.html

November 21, 2005
Could You Do Me A Favor? Will You Play "Stardust" For Me? : Joe Sample (Part 3)
http://blog.soulsearchin.com/archives/000646.html

November 22, 2005
A Night To Remember: Thank God For Joe Played It For Me ~ Joe Sample (Part 4)
http://blog.soulsearchin.com/archives/000647.html

November 25, 2005
Joe Sample (Part 5); Performance In Living Room
June 13, 2006
http://blog.soulsearchin.com/archives/000662.html

November 27, 2005
Joe & George: Can Never Describe Their Music By Words
http://blog.soulsearchin.com/archives/000664.html

■さらに過去記事

2004/08/29 (Sun)
Crusaders In Misty
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20040829.html
2004年8月、クルセイダーズ・マウント・フジ

2004/05/07 (Fri)
Joe Sample Solo Live
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20040507.html
2004年5月、ジョー・サンプル・ソロ・ライヴ

2004/05/05 (Wed)
Once In A Life Time Melody: Joe Sample Live At Blue Note
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20040505.html
2004年5月、ジョー・サンプル・ソロ・ライヴ

Joe Sample: Abstract Subtraction
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200312/diary20031211.html
2003年12月 ジョー・サンプル・ライヴ 「引き算のピアノ」 

What Did 40 Year Old Wurlitzer See In Tokyo?
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200310/diary20031009.html
2003年10月 クルセイダーズ・ライヴ 「ウォーリッツァーの初体験」

http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/joe20020409.html
2002年4月 ジョー・サンプル・ライヴ 「宇宙のように大きな背中」

http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/sample19990608.html
1999年6月 ジョー・サンプル&レイラ・ハザウエイ・ライヴ 「魔術師の指」

ENT>MUSIC>ARTIST>Sample, Joe


投稿者 吉岡正晴 : 03:56 AM | コメント (0)

October 03, 2008

Joe Sample Talks (Part 1) : No Regrets Is Second Piece Of Potato Chips

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ジョー・サンプル・インタヴュー(パート1)】

2枚目。

ワン・アンド・オンリーなピアニスト、ジョー・サンプルが新作アルバム『ノー・リグレッツ』のプロモーションのために、来日中だ。去る10月1日にインタヴューした。

■ ジョー・サンプル&ランディ・クロフォード 『ノー・リグレッツ』

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ジョー・サンプル&ランディ・クロフォード
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実は、このアルバムのライナーノーツを書いたのだが、ライナー用に一足先に電話インタヴューをした。その模様は、ライナーにふんだんに書いたが、今回のインタヴューは、来る10月5日(日)のFM番組『ソウル・ブレンズ』(インターFM76.1mhz毎週日曜午後3時~5時)内「山野ミュージック・ジャム」(午後4時半から)でオン・エアするためのもの。

ちょっと話がだぶるかと思ったら、ほとんど違う話になり、思う存分インタヴューを楽しめた。ジョーは本当に話がおもしろい。もちろん、「今回のアルバムのコンセプトは」とか「聴き所は」といった質問は答えが重なるだろうが、それでも違った話をしてくれたりする。今回プロモーションで来日しているが、プロモーション来日という行為が、50年近いキャリアの中で初めてのこと。連日5-6本のインタヴューを受け、4日で20本以上受けるらしい。

ジョーの新作『ノー・リグレッツ』は、シンガー、ランディ・クロフォードを全曲に迎えてのいわばデュエット・アルバム。しかも、前作に引き続き、全曲ランディとの録音だ。なぜ、ランディと2枚もアルバムを作ったのか。ジョー雄弁に語る。

「4年ほど前に、ロンドンでクルセイダーズのライヴに彼女がゲストででたことがあった。(ロンドン郊外の)アスコット競馬公園でライヴをやることになったのだが、サウンドチェックを待つまでに3時間ほど時間があいた。そこで僕たちは近くで時間をつぶすことにしたんだ。その日は本当にいい天気で、環境も素晴らしかった。木が茂っていて、ランディはここで、歌を歌い始めた。その時、彼女はまさに『音楽のエンサイクロペディア(百科事典)』だということを悟った。次から次へと、歌っていた。それはまるで、ブロードウェイのダンサーのように、くるくる回ったり、まるで(映画)『サウンド・オブ・ミュージック』の主人公のようだった。しかも、彼女はメロディーだけじゃなくて、歌詞をみんな知ってたんだよ。僕が忘れていたようなものまでね。ずっと歌い続けた。ランディの音楽へのパッション(情熱)のようなものを、思い出したんだ。それは、1976年に彼女と初めて会って以来感じていたものなんだが、それを思い出したんだよ。その後、ランディとカリフォルニアで再会したとき、彼女がその頃出たアルバムを聴いてくれと言って、聴いたんだ。すると、それはどこかヨーロッパのレコード会社から出たものだと思うが、あからさまにヒットを出さねばという作りのアルバムで、ひどいものだった。5人のプロデューサーがいて、それぞれがヒット曲を(シンガーに)書いてやる、という感じでね。そこで僕はマネージャーに言った。『彼女は、シンプルにピアノにベース、ドラムスといった編成で歌うべきだ。ただ彼女の声を(作品の中で)聴ければ、それこそがヒットなんだ。だから、ヒット曲を作ろうとして、レコーディングするのは止めなさい』とね。そうして(我々の)最初のアルバム(『フィーリング・グッド』=2006年)が出来上がった。で、(笑いながら)、最初の1枚のポテトチップスがおいしかったら、君は2枚目のポテトチップスを食べるだろ。(笑) これは2枚目のポテトチップスだな」

電話で話を聴いた時は、ジョーは2年前のモスクワのコンサート・ホールでランディが歌ったブルーズ・ソングの話をしてくれた。その話も、この話も、ジョーのストーリーはまるでちょっとした映画を見ているように、情景描写が実にうまい。ほとんど同じような質問をしても、まったく違ったストーリーを語ってくれる。ストーリー・テラー、ジョー・サンプルの面目躍如だ。

というわけで、この『ノー・リグレッツ』は、「2枚目のポテトチップス」とのこと。(笑) そして、話はどんどん続いたのだが、ジョー本人にこの新作アルバムから、オン・エアー用に2曲を選んでもらった。

彼はジャケットをじっくりと見ながら、「難しいなあ」と言いつつ、「リスペクト・ユアセルフ」と「リード・ミー・オン」をピックアップ。これを「山野ミュージック・ジャム」でかける。そして、その曲紹介をDJのようにやってください、と頼んだ。もちろん、その場で軽くやってくれたので、これら2曲の曲紹介をぜひ、日曜日、お聴きください。

インタヴューの中身は他に、彼がメジャー・レコード在籍時に経験した苦労、自分の音楽がカテゴリーに入らないことへの悩み、1984年頃、自分が自信を失ったときの話、彼のピアノのタッチ、などなど。追々ご紹介していきたい。

ところで、このインタヴューの翌日、「明日は何してるんだ?」みたいな話になり、「中野で1本ライヴを見る」というと、ジョーは、リー・リトナー&デイヴ・グルーシン、新日本フィルを墨田トリフォニー・ホールで見た後、ブルーノートにデイヴ・コズを見に行くという。「あなたは、プレイするんですか、飛び入りで?」と聞くと、「いや、しないと思う。ただ見るだけだ。一緒に見ないか」と言われ、二つ返事でOKし、翌日ブルーノートに出向くことになった。

(ジョー・サンプルの項・続く)

ENT>MUSIC>ARITIST>Sample, Joe


投稿者 吉岡正晴 : 06:56 AM | コメント (0)

September 07, 2008

Who Are The Uptown Horns:

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【アップタウン・ホーンズとは何者?】


アップタウン。

昨日の本ブログで、サム・ムーア・バンドのバンドマスター、アイヴァンと話をしたことを書いた。彼が紹介してくれたアップタウン・ホーンズに興味を持ったので、調べてみた。なんと言っても、ジェームス・ブラウンの「リヴィング・イン・アメリカ」やキャメオの「ワード・アップ」のホーン・セクションをやっているのが、アップタウン・ホーンズだと言われたら、これは興味が沸かないわけがない。今まで知らなかったのが、恥ずかしいくらいだ。(笑)

そもそもグループの始まりは、1980年にさかのぼる。アーノ・へチェットArno Hecht, クリスピン・スィーオーCrispin Cioe, ボブ・フランクBob Funk そして、ポール・リテラルPaul Litteralという4人が、それぞれニューヨークのクラブ・シーン、ライヴハウス・シーンなどで活躍しているうちに、意気投合し、ホーン・セクションを作ろうと決めて結成した。ニューヨークのライヴハウス、トランプスで毎週火曜日にプレイするようになり、この時期多くのアーティストのバックをつけた。バックをつけたアーティストには、ネヴィル・ブラザース、ロニー・スペクター、ビッグ・ジョー・ターナーなどがいた。

そんな中ロックのイギー・ポップが彼らを自らのアルバム『パーティー』でホーン・セクションとして抜擢、さらにその後まもなく、Jガイルズ・バンドがライヴ・ツアーで彼らを連れて行くことになった。

以来、レコーディング、ツアーと多数のセッションを重ねることになった。レコーディングではすでに150枚以上のアルバムにクレジットされている、という。ざっと見ただけでも、トム・ウェイツ、クラレンス・クレモンズ、グランドマスター・フラッシュ、デビー・ハリー、ジョー・コッカー、ランDMC、ジョーン・ジェット、ローリング・ストーンズ、バーニー・ウォーレル、デイヴィッド・サンボーン、グランド・ファンク・レイルロードなどだ。有名な曲だとB52の「ラヴ・シャック」、ジョー・コッカーの「アンチェイン・マイ・ハート」、ビリー・ジョエルの「リヴァー・オブ・ドリームス」のアルバムも全編はいっている。

また彼らはローリング・ストーンズとともに、\"LIVE TO THE MAX"という映画にも出演している。

そして、この「アップタウン・ホーンズ」は4人程度のホーン・セクションだが、これにリズム隊(ドラムス、ベース、ギター、キーボード)などをつけると、「アップタウン・ホーンズ・レヴュー」になって、ソウルのカヴァーなどをやるようになるそうだ。

最近ではハワード・テイトのアルバムや、ソロモン・バークのライヴ・アルバムに参加している。

アメリカのメジャーなシーンでは、ホーン・セクションはあまりメインストリームにはいないという。だが、こうしたホーン・セクションが存在し、仕事もしっかりあるというところがおもしろい。

アイヴァンに、「西海岸のシーウィンドみたいなグループですね」と言ったら、彼はシーウィンドを知らなかった。だが、よく考えてみると、僕の発音が悪かったのかもしれない。日本ではなんといっても、タワー・オブ・パワーが圧倒的に人気があるので、このアップタウン・ホーンズも試しにレヴュー(バンド編成)で来日してみたらどうだろう。

■アップタウン・ホーンズ・ウェッブ(英語)
http://www.phunque.com/uptown/

メンバー

Arno Hecht (tenor sax) ニューヨーク出身
Bob Funk (trombone) コロラド出身
Crispin Cioe (alto sax) シカゴ出身
Larry Etkin (trumpet and flugelorn)ニューヨーク出身

 
ENT>ARTIST>UPTOWN HORNS


投稿者 吉岡正晴 : 06:29 AM | コメント (0)

August 26, 2008

Maxwell Plans US Tour This Fall, First In 6 Years

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【マックスウェル新作と6年ぶりの全米ツアーへ】

6年ぶり。

ネオ・ソウル・シンガーとして1996年にデビューして以来、地道な活動をしてきているマックスウェルがこの秋口に約6年ぶりに全米ツアーにでる。ツアーは、2001年の『ナウ』のアルバムに続く7年ぶりの新作『ブラック・サマーズ・ナイト』のリリースを受けて行うもの。

2008年10月8日のマサチューセッツ州ボストンを皮切りに、ニューヨーク、シンシナティ、ミネアポリス、ロス・アンジェルスなど計24本が予定されている。ハイライトは、10月9日のニューヨーク・ラジオ・シティー・ホール、あるいは、11月1日のロス・アンジェルスのシュライン・オーディトリウムなど。最終日は11月21日のフィラデルフィア。このほかの日程も追加されるかもしれない。

マックスウェルは本名マックスウェル・リヴェラ、1973年5月23日ニューヨーク・ブルックリン生まれ。父はプエルトリコ系、母はハイチ出身。父親のことは幼い頃に飛行機事故で死去したため知らないという。音楽に興味を持ち始めたのは十代で、マーヴィン・ゲイ、プリンスなどに大きな影響を受けた。1991年ごろからニューヨークのライヴハウスでライヴ活動を始め、1994年、コロンビア(現ソニー)と契約。1996年、『Maxwell's Urban Hang Suite』でデビュー。いわゆる「ネオ・ソウル」の流れに乗り大きく注目された。その後、1998年、『Embrya』、2001年『Now』と3枚のアルバムをリリース。

デビュー作は、レコーディング完成から約2年ほどお蔵入りしていたが、シングル「アセッション」がヒットしたおかげで、アルバムもゴールド・ディスクに輝いた。その後1997年6月に『MTV アンプラグド』を収録、これが話題になる。『Now』以降、沈黙していたが、2008年になってやっと活動が表立つようになった。

新作『ブラック・サマーズ・ナイト』は、こんご3年にわたってリリースされる「3部作」の第一弾だという。2008年が『ブラック』で、2009年に『サマーズ』、そして、2010年に『ナイト』と各アルバムをリリースする。

マックスウェルは都会的に洗練されたサウンド、歌声がひじょうにユニークで、大きな魅力。久しぶりに動き出したマックスウェル、注目だ。

全米ツアーの予定は次の通り。

October 8 - Boston, MA - Opera House
October 9 - New York, NY - Radio City Music Hall NY
October 10 - Wallingford, CT - Chevrolet Theater
October 14 - Cincinnati, OH - Taft Theater
October 15 - St. Louis, MO - Fox Theater
October 17 - Indianapolis, IN - Murat Theater
October 18 - Chicago, IL - Chicago Theater
October 19 - Detroit, MI - Fox Theater
October 21 - Minneapolis, MN - Orpheum Theater
October 22 - Omaha, NE - Music Hall
October 23 - Kansas City, MO - Uptown Theater
October 25 - Denver, CO - Paramount Theater
October 28 - Oakland, CA - Paramount Theater
October 31 - Las Vegas, NV - Pearl
November 1 - Los Angeles, CA - Shrine Auditorium
November 6 - Houston, TX - Verizon Theater
November 8 - Dallas, TX - Majestic Theater
November 10 - Birmingham, AL - BJCC Hall
November 11 - Memphis, TN - Orpheum Theater
November 12 - Atlanta, GA - Civic Center
November 14 - Greensboro, NC - War Memorial
November 15 - Richmond, VA - Landmark Theater
November 17 - Washington, D.C. - Constitution Hall
November 21 - Philadelphia, PA - Susquehanna Center

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MTV アンプラグド : マックスウェル
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ENT>MUSIC>ARTIST>Maxwell

投稿者 吉岡正晴 : 06:16 AM | コメント (0)

July 29, 2008

The Truth Is Minneapolis Funk Connection

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ミネアポリス最強ファンク軍団=ザ・トゥルース】

強力。

先日のミント・コンディションのライヴで、彼らのマネージャーであるジェフさんから今自分がてがけているもうひとつのグループだといって、ザ・トゥルースというグループのCDを手渡された。

そういえば、うわさには聞いていたが、これが実に強力なメンバーが集まったグループだ。メンバーは次の通り。( )内にこれまでにいたグループ。

St. Paul Peterson (Lead Vocal, Keyboards) (The Time, The Family)
Jellybean Johnson(Guitar, Vocal) (The Time, The Family)
O'Dell(Guitar, Vocal) (Mint Condition)
Donnie LaMarca (Keyboards) (St. Paul, Giorgia, Ann Nesby, Jonny Lang)
Jerry Hubbard(Lead Vocal, Bass, Guitar) (The Time, Jesse Johnson)
Chance Howard (Lead Vocal, Bass, Keyboards) (Prince, The Time)
Kirk Johnson (Lead Vocals, Drums)(Prince)
Eric Leeds (Sax, Keyboards, Vocal) (Prince)

グループのコンセプトは、オハイオ・プレイヤーズやキャメオのようなグループ・サウンドに、ミネアポリスのファンク・サウンドを足したようなファンクを目指す、というもの。そして、2007年5月31日ミネアポリスの「ファイン・ライン」というライヴ・ハウスでライヴが行われ、その模様がレコーディングされ、CDとなってリリースされた。そして、このメンバーが作り出すファンクは、まさにリアル・ミュージシャンのリアル・ファンク。

その曲目リストを見れば、彼らが何を目指しているか、よくわかる。

Track Listing:
The Truth – Live (MidAmerica Records MAR1001)

1. One Nation Under A Groove
2. Fire
3. Soul Power
4. River Run Dry
5. Screams Of Passion
6. Nothing Compares 2 U
7. High Fashion
8. Mutiny
9. Jungle Love
10. Ten
11. She's Strange
12. DMSR
13. Erotic City
14. America

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CDを聴くと、実に強力なファンク・サウンドが展開される。いやあ、ごきげんだ。おそらく、これはCDよりも、ライヴのほうがより大きな魅力を見せるだろうと思わせられる。このメンバーで日本に来たら、かなりライヴは盛り上がりそう。ただ現状、CDも日本発売されていないので知名度が低いのがネックになるか。

ENT>ARTIST>The Truth

投稿者 吉岡正晴 : 04:39 AM | コメント (0)

July 21, 2008

The Truth Of “Ace Of Spades”

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【「エイス・オブ・スペーズ」の真実~O.V.ライトとメルヴィン・カーター】

狢(むじな)。

昨日(2008年7月20日日曜)、東京FM系列で全国ネットされている山下達郎さんのオールディーズ専門番組『サンデイ・ソング・ブック』(略して『サンソン』=毎週日曜日午後2時~)を聴いていると、なんとR&Bシンガー、メルヴィン・カーターの「エイス・オブ・スペーズ」が解説付きでかかった。

達郎さんの解説を聞いていて、その昔、ソウル・ミュージック評論家の大御所、鈴木啓志(すずき・ひろし)さんがその話を書いていたことを思い出した。

このところ、『サンソン』はリクエストを中心に選曲されているが、この曲が選ばれたのもリスナーのリクエストから。これには複雑な経緯がある。

昨年12月、やはりおなじくディープ・ソウル・シンガー、O.V.ライトのボックスセット(5枚組み=Pヴァインから13000円)が発売され、そこにこのメルヴィン・カーター・ヴァージョンの「エイス…」が収録されている。O.V.のボックスが発売されるのは2度目なのだが、どうやらリスナーの方は、前回リリースのボックスはお持ちだが、今回のボックスは持っていないらしい。このメルヴィンのヴァージョンは、前回のボックスに収録されていなかった。そこで、これ1曲のために、13000円を払い買いなおすのはちょっと厳しいので、番組にリクエストを送ってきたのだ。

では、なぜ、O.V.ライトのアルバム集にこのメルヴィン・カーターなるシンガーの「エイス・オブ・スペーズ」が入っているのか。これがおもしろい。その経緯は2000年3月に発売された鈴木啓志著『ソウル・シティー・USA~無冠のソウル・スター列伝』(リトル・モア社から発売)、さらに今回の詳細なライナーノーツに書かれている。

「エイス・オブ・スペーズ」は、O.V.ライトの有名なヒット曲。1970年にヒットし、ソウル・チャートで11位を記録。これを収録したアルバム『ニックル・アンド・ア・ネイル・アンド・エイス・オブ・スペーズ(A Nickel & a Nail & Ace of Spades)』が翌年アメリカ・バックビート・レコードから発売された。そして、その日本盤がコロンビアからリリースされたが、そこに入っている「エイス・オブ・スペーズ」(LPではA面3曲目)が、なぜかO.V.のヴァージョンではなかったのだ。(ちなみに僕はそのバックビート盤を持っているが、日本盤は持っていなかった) それが、この曲のもともとの作者であるメルヴィン・カーターのヴァージョンだった。全体的なサウンドはよく似ている。日本用にマスター・テープをコピーするときに、なんらかの理由で間違えてしまったのかもしれない。もちろん、どうしてそれが紛れ込んだのか、本当の理由はわからない。

いずれにせよ、そんな経緯があり、今回のO.V.ライトのボックスには、最初日本盤がでたときに間違って収録されたメルヴィン・カーターのヴァージョンが丁寧にも収録された。詳しい経緯は、鈴木氏のライナーノーツに詳しいが、達郎さんはオンエアーで、「このライナーは力はいってます。久々にライナーを読むために(CDを)買ってもいいと思ったくらいの力作です」と絶賛した。

しかし、なんらかの理由でマスターを間違えてしまったレコード会社もレコード会社だが、その似たような作品の違いに気づき、それをちゃんとリサーチして記事にする鈴木さんもすごい。鈴木さんは1979年にO.V.が来日したときにこの件を尋ね、いろいろな事実を掘り起こした。O.V.は翌1980年11月16日41歳の若さで急死しているので、そのときのインタヴューは結果的には真実へのラストチャンスだったことになる。

ま、そんなことを調べる鈴木さんも、鈴木さん、それを知って達郎さんの番組にリクエストする人もする人、それを受けて解説をつけてかける達郎さんも達郎さん、おまけにそのことをブログに書く僕も、僕。みな同じ穴の狢(むじな)、ですかねえ。楽しいっ。(笑) (狢っていう字はむずかしいなあ)

■ボックスセットの内容(ただし売り切れ)
http://diskunion.net/black/ct/detail/54C070930701

ENT>ARTIST>Wright, O.V.
ENT>ARTIST>Carter, Melvin


投稿者 吉岡正晴 : 04:24 AM | コメント (0)

July 19, 2008

Natalie Cole (Part 2): Canceled Another Show And Revealed Her Hepatitis C

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

(2008年6月28日付け日記から続く)

【ナタリー・コールC型肝炎を明かす】

キャンセル。

ナタリー・コールが去る2008年7月9日、カリフォルニアで行われる予定だったコンサートをキャンセル、7月16日にパブリシスト(広報担当)が、ナタリーがC型肝炎にかかり、治療中であることを発表した。

C型肝炎は、輸血もしくは、注射針などから感染すると言われ、以前ナタリーが薬物中毒だったころの注射器使用が感染原因ではないかと推測されている。

「私は幸運なことに過去から多くのことを学べています。家族や友人からの多くの愛とサポートを得られていて、幸せです。この苦難に自身の信念を持って、立ち向かっていきます」と彼女はコメントを発表している。

ロスアンジェルスのシーダース・サイナイ病院の担当医グラハム・ウールフ医師は、「投薬治療が効いており、現在肝炎の症状は薄くなっている。このため、治癒に向かう可能性が高い」と述べている。またその投薬治療の副作用として、倦怠感、筋肉の痛み、脱水症状などがあったが、現在は回復している、という。この薬の副作用では、個人差はあるが一般的に、躁鬱になったり、食欲がなくなったり、気力もなくなる。

ナタリーは、ダイエットでウェストが約10センチほど細くなったとしている。

7月9日のライヴではウイントン・マルサリスとともにライヴを見せる予定だったが、ナタリー・キャンセルで彼女の代わりに、ウィリー・ネルソンが舞台に立った。

+++++

■ ナタリー関連記事

June 28, 2008
Natalie Cole (Part 1) : Show Must Go On : Her Final Soul Searchin’
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_06_28.html

ナタリー・コールが6月末に東京ブルーノートにやってきたとき、火曜、木曜、金曜、土曜と4日間のセカンド・ステージを体調不良のためにキャンセルした。(水曜日はもともと休息日) これは前代未聞のことで、当日会場はちょっとした混乱となった。ステージが始まる前に、「最近の怪我のために車椅子で歌います」というアナウンスがあったが、この原因は最近彼女がかかったC型肝炎のためということになる。C型肝炎では治療中、倦怠感、また筋肉の痛みなどもあり、また気力が充実しないなどの影響がでる。C型肝炎は、肝硬変、肝がんに発展する可能性が高いので、予断は許さない。

はやく治療が効を奏し、直って、一線に戻ってきて欲しいところだ。


ENT>MUSIC>ARTIST>Cole, Natalie


投稿者 吉岡正晴 : 03:10 AM | コメント (0)

July 12, 2008

Kevin Owens : Lead Singer Of Ray, Goodman & Brown

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ケヴィン・オウエンス】

ファルセット。

レイ・グッドマン&ブラウンは、元々はモーメンツというソウル・ヴォーカル・グループだった。1979年、モーメンツはそれまで所属していたニュージャージーのシルヴィア・ロビンソンが持つスタング・レコードから、メジャーのポリドール・レコードに移籍する。ところがそのとき、シルヴィア側から、『モーメンツ』というグループ名の権利は、シルヴィア側にあるので、その名前を使ってはならないと言われた。そこで、彼らはグループ名変更を余儀なくされる。

新しいグループ名はメンバー3人のファミリー・ネームをつけた。ハリー・レイのレイ、アル・グッドマンのグッドマン、ビリー・ブラウンのブラウンだ。3人あわせて「レイ・グッドマン&ブラウン」。新規名前で出した記念すべき第一弾が、あの「スペシャル・レディー」だ。イントロのアカペラから始まる名曲だ。

レイ・グッドマン&ブラウンは、順調にアルバムをリリースしたが、1982年、彼らが3枚のアルバムを出した後、リード・シンガーのハリー・レイがソロに独立。ハリー・レイはモーメンツ時代の古巣スタング・レコードに戻り、ソロ・アルバムを出す。これを機にグループは、新たなリード・シンガーとして、ニューヨークなどで活躍していたシンガー、ケヴィン・オウエンスをいれて再出発を計った。

ところが、ハリー・レイのソロ活動は1982年11月にシングルの小ヒットが1曲でただけで、思うように成功せず、結局彼は再びレイ・グッドマン&ブラウンに復帰。その場合、ケヴィンが4人目のシンガーとして少し後ろに下がることになる。

1992年春にレイ・グッドマン&ブラウンは、横浜本牧にあったアポロ・シアターでライヴを行う。ここには若干元気がなかったが、ハリー・レイがいた。そして、その年の10月1日、ハリー・レイが急死。ハリーは45歳の若さだった。

こうして、それまでにもハリー・レイ役を演じていたことがあるケヴィン・オウエンスが改めて、「レイ」として、名実ともにリードを取るようになった。

ケヴィンは1980年代から1990年代にかけて、ニューヨークのスタジオ・セッション・シーンでの売れっ子シンガーであり、多くの有名シンガーのバックなどもつけていた。1970年代以降にアルバムをだしたニューヨークのヴォーカル・グループ、リヴレーションの2枚目以降に参加したりもしている。

バックの仕事の中でよく知られているのが、かのルーサー・ヴァンドロスのレコーディング、ライヴにおけるコーラスの仕事だ。1990年代にはいってのルーサーのライヴでは、メンバー紹介のところで、ルーサーに「レイ・グッドマン&ブラウンのリード・シンガーをやっているケヴィン・オウエンス!」と言って紹介され、1分ほどだが、ルーサーとケヴィンがモーメンツ時代のヒット「ラヴ・オン・ア・トゥ・ウェイ・ストリート」を歌うシーンがある。これはなかなかすばらしい。

ケヴィンは、ハリー・レイ役を演じたが、ルーサー・ヴァンドロスのバックコーラスの仕事があると、そちらに行ってしまうので、そのときのためにもうひとりのリード・シンガー、通称アイスことラリー・ウィンフリーが加入。ケヴィンがいるときは、ラリーはバックで、ケヴィンがいないときはラリーでリードのパートを担当という4人体制になった。

ケヴィン・オウエンスは、言ってみれば、ニューヨークのスタジオ・セッション・シーン、リヴレーション、ルーサー・ヴァンドロス、そして、レイ・グッドマン&ブラウンと、ファルセット・ヴォイスのシンガーとしては、かなり王道を歩んでいるということも言える。ケヴィンは1992年に唯一のソロアルバムを出すが、そこにはもちろんルーサーもバック・コーラスとして名を連ねている。

モーメンツ時代、レイ・グッドマン時代、ともに素晴らしい楽曲が多数あるので、ぜひケヴィンにはハリー・レイに勝るとも劣らぬ活躍を期待したい。

(2008年7月15日、ケヴィンとレイの部分について書き直しました。安井さんいつも貴重な情報をありがとうございます)

ENT>ARTIST>Owens, Kevin


投稿者 吉岡正晴 : 06:11 AM | コメント (0)

July 07, 2008

Eric Miyashiro Talks About Maynard Ferguson

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【エリック・ミヤシロとイルカ】

恩師。

『ソウル・ブレンズ』に、トク(TOKU)がライヴ告知のゲスト、さらに、「山野ミュージック・ジャム」のコーナーで、日系トランペット奏者、エリック・ミヤシロさんがゲスト。エリックさんは初めてお会いしたが、日本語も英語もどちらも流暢に話す文字通りバイリンガル。DJマーヴィンとは英語で、僕やチーちゃんとは日本語で話す。

彼の恩師がメイナード・ファーガソンというヴェテラン・トランペッターで、エリックさんの最新作『プレアデス』(ソロとして通算4作目)は、イルカの素敵な写真をジャケットにした自信作で、ファーガソンへのトリビュート作だ。

オンエアーでは流れなかったが、ファーガソンの代表曲である「ロッキーのテーマ」についてエリックさんはこんな話をしてくれた。一般的な人気曲とミュージシャンがやって好きな曲は微妙に違うという話だ。「ジャズ・ミュージシャンは自分の曲に、ガールフレンドや奥さんなどの名前をつけてはいけないんですよ。別れた後も、その曲をやらなければならなかったりするでしょう。そういう曲に限って人気がでたりします。ファーガソンも実は『ロッキー』を毎回やるのが嫌になっていたんです。お客さんはそれを期待するし、やると喜ぶんですけどね」 なるほど。エリックさんの「ロッキー」は、しっとりとしたスムース・ジャズ風に仕上がっている。彼はファーガソンが、人間として、またバンドマスターとしても、素晴らしい人徳やオウラを持っていたと語る。

今回のアルバム・ジャケットはイルカ。それにはこんなエピソードがある。彼が高校時代に仲間とサーフィン中、潮の流れのために沖に流され、10匹くらいのシュモクザメというサメに囲まれた。もうだめかと思ったとき、どこからともなく2匹のイルカがやってきて、そのサメを追いやったという。

ハワイでは、イルカと亀がそこに住む人たちの守り神として敬われているそうだ。そのときエリックさんは、本当にイルカに助けられたと思った。そして、今回のアルバムではそんなイルカをジャケットにしてみたかった、という。しかし、考えてみると、もしそこにハワイの守り神イルカが来なければ、エリックさんたちはサメに襲われてしまっていて、今日の活躍はなかったかもしれないから、まさにイルカさまさまだ。

「じゃあ、次のアルバムのジャケットは、亀ですか」と言うと、エリックさん「それはおもしろいですねえ」と笑った。

■ エリック・ミヤシロ 『プレアデス』

PLEIADES-Tribute to Maynard Ferguson-
エリック・ミヤシロ
ヴィレッジ・レコード (2008-05-21)
売り上げランキング: 3761

ENT>MUSIC>ARTIST>Miyashiro, Eric


投稿者 吉岡正晴 : 05:41 AM | コメント (0)

July 06, 2008

LaBelle Reunion : Album Due September

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ラベル再結成へ~32年ぶり新作9月に】

再結成。

「レディー・マーマレード」の大ヒットで知られる女性3人組みグループ、ラベルが再結成された。去る2008年7月5日、ニュー・オーリーンズで行われた『エッセンス・ミュージック・フェスティヴァル』でライヴ・パフォーマンスをみせたという。

グループ「ラベル」は、パティー・ラベル、ノーナ・ヘンドリックス、サラ・ダッシュの3人からなり、1960年代初期に結成され、1975年の「レディー・マーマレード」の大ヒットで一躍メジャーに躍り出た。その後、3人ともソロに転じたが、なかでも、パティー・ラベルはソロ・シンガーとしても次々と大ヒットを放ち人気を集めた。80年代以降はそれぞれ別個の活動が続いたが、彼女たち3人は、1991年、アポロ・シアターで再結成ライヴを敢行。またその後、パティー・ラベルのライヴに2人が参加したり、また、2005年にパティー・ラベル芸能生活45周年を記念したイヴェントでも同じステージにあがり、一時的な再結成が行われ、そのたびにグループとしての再結成とアルバムのレコーディングがうわさされた。

今回の『エッセンス』での再結成は、かなり本格的なようで、レコーディングおよび若干のツアーもあるようだ。アルバムは全米で9月23日、ヴァーヴ・レコードからリリースされる予定。これは、フィラデルフィアの名プロデューサー、ギャンブル&ハフとレニー・クラヴィッツがプロデュースするという。アルバム自体では1976年の『カメレオン』以来、32年ぶりの新作ということになる。

彼女たちの大ヒット「レディー・マーマレード」は、ニュー・オーリーンズの名プロデューサー、アラン・トゥーサンがプロデュースしたもの。そのゆかりの地での再結成ライヴは、大いに盛り上がったことだろう。

「レディー・マーマレード」は近年では、クリスティーナ・アギレラほかがミュージカル『ミューラン・ルージュ』の中で歌い大ヒットさせた。

パティー・ラベル、ノーナ・ヘンドリックスはそれぞれ各個人で来日したことがあるが、ラベルとしては来ていない。

ENT>ARTIST>LaBelle

投稿者 吉岡正晴 : 04:10 AM | コメント (0)

June 17, 2008

Sly & TheFamily Stone Will Coming To Japan August

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【スライ&ザ・ファミリー・ストーン初来日決定】

来日。

1960年代後期、サンフランシスコを中心に世界的人気を博したファンク・グループ、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの初来日公演が決まった。毎年8月末に行われている東京ジャズでの公演、また、ブルーノートでの1日公演が行われる。来日メンバーはまだ発表されていない。

東京ジャズの2008年8月31日(日)午後1時半からのロベン・フォード、サム・ムーアとの回に登場。出場順番は未定。また9月2日(火)、東京ブルーノートに登場。7時と9時半の回に登場が予定され、発表された。

ブルーノートのスライ&ザ・ファミリー・ストーンのライヴ音楽チャージは、¥15,750(税込)。ボックス席などは下記の通り。予約受付は2008年7月9日(水)から、ブルーノートの会員組織「ジャム・セッション」のメンバーは、7月2日(水)から先行予約。

http://www.bluenote.co.jp/jp/schedule/detail.php?id=200

通常チャージ自由席 ¥15,750(税込)。
センターボックス(4名席):1人¥18,900(税込)
アリーナボックス(2名席):1人¥17,850(税込)※2組相席
サイドボックス(2名席):1人¥17,850(税込)※2組相席

東京ジャズの公式ウェッブ
http://www.tokyo-jazz.com/

東京ジャズは、今年で7回目。NHKが中心となって、ジャズ・アーティストのライヴ興行を行い、その模様を収録しテレビ放送する。今年は8月29日(金)から31日(日)まで3日間、東京国際フォーラムで金曜夜、土曜昼、土曜夜、日曜昼、日曜夜の計5ステージが行われる。入場料金は各回、全席指定、税込みでS席が8500円、A席が6500円。30日と31日分には、昼と夜が見られる一日通し券が16000円で発売されているが、30日の分は売り切れ。

+++++

実現。

スライ&ザ・ファミリー・ストーンは、スライ・ストーン(本名・シルヴェスター・スチュワート1943年3月15日テキサス州生まれ)が兄弟、友人などを集めて1966年ごろサンフランシスコで結成したバンド。このころ起こり始めた黒人たちのファンク・サウンドと、サンフランシスコを中心に動きを見せ始めていたヒッピーたちが作るロック音楽の要素を巧みに混ぜ合わせた独特のサウンドを生み出し、人気を集めるようになった。ベース担当のラリー・グラハムは、いわゆるチョッパー・ベースの創始者として注目され、後に独立、多くのベース奏者に影響を与えた。もちろん、スライ&ファミリー・ストーンも、1970年代以降の多くのブラック・アーティスト、ロック・アーティストたちに多大な影響を与えた。

しかし、1970年代中期から、ドラッグなどの影響で行動が予想不能となり、ライヴなどにも穴をあけるようになり、自然と音楽業界から離れてしまった。1986年、ファンク・ギタリスト、ジェシー・ジョンソンがスライをひっぱりだし、「クレイジー」という曲で共演、これは同年ブラック・チャートで2位を記録。これが現在までのところ、スライの最後のヒットになっている。その後、ファミリー・ストーンのメンバーはスライなしでグループを結成、ときおりライヴ活動を行っている。

2006年2月、グラミー賞の席で「スライへのトリビュート」が行われ、スライ・ストーン本人が2分少々だけ、そのステージに登場し喝采を浴びた。その後2007年夏、ヨーロッパでのツアーが企画され、ライヴが行われたが、場所によっては本人は20分程度の出演でステージを下り、残りをバンド・メンバーが演奏して場をつないだ、といったニュースも伝えられている。

スライの来日、本当に本人は来るのか。本当に演奏はできるのか。数々の奇行でも知られるスライだけに、仮に、来日がキャンセルになったとしても驚くにはあたらない。しかし、スライ来日が実現し、彼がステージにあがれば、大きなニュースだ。

■スライ・ストーン、スライ&ザ・ファミリー・ストーン過去関連記事

July 04, 2007
Sly & Family Stone Reunion: Hit The European Tour
http://blog.soulsearchin.com/archives/001880.html
2007年ヨーロッパツアー開始

May 07, 2007
Why "Family Stone"? : Are There Black Hippies?
http://blog.soulsearchin.com/archives/001759.html

May 05, 2007
Back In 1968: When LP Records Were New
http://blog.soulsearchin.com/archives/001753.html

May 04, 2007
Sly & Family Stone's Paper Sleeve Jackets CD Released
http://blog.soulsearchin.com/archives/001752.html
スライ&ファミリー・ストーン紙ジャケット発売

ENT>MUSIC>ARTIST>Sly & Family Stone
ENT>MUSIC>LIVE>ANNOUNCEMENT>Sly & Family Stone


投稿者 吉岡正晴 : 01:53 AM | コメント (0)

June 14, 2008

Usher Talks A Little

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【アッシャー少し語る】

質疑応答。

去る2008年6月12日(木)渋谷・松涛ギャラリーでプロモーションで来日したアッシャーのプレス向け質疑応答会が行われた。ライヴ・パフォーマンスはなく、司会者といくつかの質問のやりとり、ウェッブで募集した一般の方からの質問も受けて、その後、シャンパーン・トースト。出席者全員にシャンパーンが振舞われた。

2004/04/15 (Thu)
Usher Said He Is Philosopher Of R&B: Newest "Hardest Working Man In Show Business"
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/interview/diary20040415.html
前回来日時のインタヴューの様子。↑

今回の来日は4回目。しかも内3回がプロモーションってすごい。前回の来日が2004年4月で、4年2ヶ月ぶり。

質疑は、主として最新作5作目『ヒア・アイ・スタンド』について。ちょうど3週連続で全米アルバムチャート1位という大ヒットぶり。前作『コンフェッション』は日本でも30万枚以上のセールスを記録、レコード会社も、新作を同じくらい売るように本国から大プレッシャーをかけられているそうだ。本人も、マイケル・ジャクソンの『スリラー』のようなクラシック・アルバムになってほしいと思っている。

今回はフジテレビ系『ミュージック・フェア21』(6月21日放送)に出演する。

さて、これは質疑ではでていなかったが、前作と今作との間の4年間でのアッシャー周辺の違いは何か。一番の大きな変化は、彼が彼の元スタイリストと結婚したこと。子供が生まれたこと。また、ブッキングなどを担当するタレント・エージェントを変えたこと、さらにもっとも大きいと思われるのがそれまで彼の母親がマネージャーとして動いていたが、母親をはずし、ベニー・メディーナという業界のヴェテランをマネージャーに迎えたこと、新しい弁護士を雇い入れたことなどがある。また新作は、彼のデビュー以来初めて、彼の育ての親であるLAリードがまったくかかわらずに作品が制作された。これも一大事件だ。

結婚して落ち着いた感じもするが、前回来日時もそういえば落ち着いていたことを思い出した。

■ アッシャー最新作『ヒア・アイ・スタンド』

div class="amazlet-box" style="margin-bottom:0px;">

ヒア・アイ・スタンド\
アッシャー ジェイ・Z ビヨンセ ヤング・ジージー ウィル・アイ・アム リル・ウェイン
BMG JAPAN (2008-05-28)
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シャンパーン、グラスに半分くらいだが飲んだら、酔っ払った。

ENT>ARTIST>Usher

投稿者 吉岡正晴 : 04:37 AM | コメント (0)

June 12, 2008

Chaka Khan’s Record Of Visit To Japan (Part 1)

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【シャカ(チャカ)・カーン来日履歴・調査中】

調査中。

2008年6月10日付けブログで一部紹介したシャカ・カーンの来日履歴。すでに何人かの読者の方からメール、情報提供をいただきました。ありがとうございます。それにしても、ぞくぞくと出てくる、というのが正直な感想。こんなに来日していたか、というところです。途中経過ですが、一度まとめてみます。引き続き情報などありましたら、おぼろげでもけっこうですので、ebs@st.rim.or.jpまでおよせください。来日日付が一日しかないものは、たぶん、その前後に日本全国のどこかでライヴをやっているものと思われます。

これをまとめるとソロで19回(ジャズ・フェスでのゲスト含める)、ルーファスで1回か2回、20回以上の来日となります。

■シャカ・カーン来日履歴(2008年6月12日現在まで判明分)

1976年6月20日 東京音楽祭エントリー・中野サンプラザ(ルーファスで)(初来日)
(ルーファス来日はもう一回くらいあったらしい。トニー・メイデンは2度来たような気がするとコメントしているようだ。それがルーファスとしてか、シャカのバックとしてかは不明)

(以下はシャカ・カーン・ソロ、ジャズ・フェスのゲストも含む)

1982年3月15日~ 渋谷ライヴ・イン82(3月15日、16日、20日~22日)
1982年3月20日=大阪・バラード
1982年4月19日~ オーレックス・ジャズ・フェスティヴァル (スタンリー・クラーク・グループの一員。この年は3月、4月と2ヶ月のうちに2度来日した)
1983年 ??2年連続で来日??(未確認=ないかも)
1984年5月1日、2日 中野サンプラザ、 5月3日=大阪厚生年金 5月4日=名古屋勤労会館 (グローバル・エンタープライズ招聘?)
1985年6月 場所不明
1989年5月 人見記念ほか (神原音楽事務所・招聘?)
1990年11月11日~11月18日(12日を除く)横浜 本牧アポロシアター 
1991年 民音招聘・チャカ・カーン(厚生年金??)
1992年5月18日~23日 ブルーノート東京
1992年11月25日,26日 新宿厚生年金 
1993年8月21日、22日、マウント・フジ・ジャズ・フェス (自己名義デノショウ)
1993年10月9日 渋谷オンエアー
 

1993年 ?? 大阪ブルーノート?? どこかこの前後で大阪ブルーノート(年号日時わからず=1993年より以前と思われる。あるいは93年か)

1994年7月末~ 8月1日 新宿厚生年金 
1997年5月17日 新宿厚生年金
1997年5月26日 新潟フェイズ ほか (上記と同一来日)

(2000年3月21日~)ブルーノート東京で予定だったが急病で中止。代打でデイヴィッド・サンボーン。シャカの振り替えはなかった模様。

2000年12月31日 東京ビッグサイトNEW MILLENNIUM COUNTDOWN(下記に詳細)(イヴェントにゲスト出演)
2003年8月23日、24日 東京ジャズ (ダイアン・クロールの代打で登場。ライヴ自体は単独)(下記にセットリスト・メンバー)
2003年10月10日 武道館(スカパラとの対バン。スカパラが前座。シャカが単独でトリを演じる。ライヴ的には単独ライヴ)(下記にセットリスト)
2008年6月2日~  ビルボード東京、ビルボード大阪

++++++

2003年8月23日、24日 東京ジャズ (ダイアナ・クロールの代打で登場。ライヴ自体は単独)
セットリスト
1. And The Melody Still Lingers On (Night In Tunisia)
2. My Funny Valentine
3. The End of A Love Affair
4. Them There Eyes
5. I Wish You Love
6. I Loves You, Porgy
7. Take The “A “Train
8. What's Going On

メンバー

Chaka Khan (Vo)
Herbie Hancock (Pf)
Jack DeJohnette (Ds)
Christian McBride (Ba)
Joshua Redman (8.のみ) (Sax)
渡辺 香津美 (8.のみ) (Gt)

Chaka Khan Setlist 10/11/2003 @ Budoukan

1. I Feel For You
2. Whatcha Gonna Do For Me
3. You've Got The Love
4. Until You Come Back To Me
5. Tell Me Something Good
6. Hollywood
7. Sweet Thing
8. My Funny Valentine
9. (Whip In The House?) I'm Every Woman

◇NEW MILLENNIUM COUNTDOWN

日時:2000年12月31日(日)-2001年1月1日(月)
時間:開場 20:00 開演 21:00 - 終演 06:00(予定)
会場:東京ビッグサイト 東展示棟「ホール1・3・4・5・6」
内容:あらゆるジャンルのアーティスト達による2001年のカウントダウンコンサート
出演アーティスト:
【HOUSE ZONE (東棟ホール1)】
 LIVE: CHAKA KHAN(from LA)
 DJ:TODD TERRY(from NYC),DANNY KRAVIT(Body&Soul/NYC)
   EMMA(MALAWAI ROCKS/NITELIST MUSIC),
   沖野 修也(kyoto jazz massive/cosmic village)他

+++++

ENT>MUSIC>LIVE>Khan, Chaka
ENT>MUSIC>ARTIST>Khan, Chaka

投稿者 吉岡正晴 : 06:20 AM | コメント (0)

May 21, 2008

The Hathaways: Donny And Lalah

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ハサウェイ、自信作】

ハサウェイ。

レイラ・ハサウェイのソロ・ライヴ・レポートをしばらく前に書いた。で、そのときHathawayの表記を「ハザウェイ」とした。「サ」がにごって「ザ」だ。僕はずっとダニーもレイラもハザウェイと書いてきたのだが、日曜日に、レイラのアルバムを『ソウル・ブレンズ』で紹介したときに、DJのマーヴィンにその発音を確かめると、どうやら「ハサウェイ」だ、という。「うん、これはハサウェイだね、ハザウェイとは言わないね」 「さすが、ナチュラル・イングリッシュの先生!」

今回、ユニバーサルから出た最新作『セルフ・ポートレート』から、彼女の表記がハサウェイになっていた。ジョー・サンプルのときは、ハザウェイだった。ネットなどでも、両方書かれていて、ハザウェイと書くと、ハサウェイではありませんか、と出てくる。最初はハザウェイだったダニーのほうも、ハサウェイになっている。ちょっと出遅れたなあ。(苦笑)

ところで、レイラの母もユーレイラ・ハサウェイで、歌手のレイラもユーレイラ・ドニル・ハサウェイ。ユーレイラを短くして、レイラ。妹のケニヤはケニヤ・カネリブラ・ハサウェイ。ケニヤは、人気テレビ番組『アメリカン・アイドル』のハウス・バンドのコーラス3人のうちの1人だ。

母ユーレイラと父ダニーは、ハワード大学で出会っている。

ということで、今後、僕もHathawaysは、ハサウェイと書いていくことにします。

■ レイラ・ハサウェイ最新作『セルフ・ポートレイト』

セルフ・ポートレイト~レイラ・ハサウェイの肖像
レイラ・ハサウェイ
ユニバーサル ミュージック クラシック (2008-05-03)
売り上げランキング: 18910

レイラによれば、このアルバムは自身がコンセプトから、ミュージシャン、アレンジャー選び、制作全般のみならず、宣伝マーケティングまでかかわって作ったという、まさに自信作だそうだ。

ENT>ARTIST>Hathaway, Lalah


投稿者 吉岡正晴 : 08:47 AM | コメント (0)

April 24, 2008

War & Lowrider Band

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ウォー、そのふたつのグループ】

分裂。

1960年代後期から1970年代初期にかけて、ウェストコーストを本拠にすこしばかりラテン色のあるファンク・サウンドで大人気となったカリフォルニアのグループ、ウォーのベスト・アルバム『ヴェリー・ベスト・オブ・ウォー』がライノ・レコードからリリースされる。(日本盤は2008年3月19日発売)

ウォーは1962年、ハワード・スコット、ハロルド・ブラウンらによってカリフォルニア州ロングビーチで結成された。その後、彼らのライヴ・パフォーマンスを見たイギリスのシンガー、エリック・バードンが彼らにほれ込み、「エリック・バードン&ウォー」としてデビュー。「スピル・ザ・ワイン」などのヒットを放った。バードンは元々イギリスのアニマルズというグループにいた人物。このアニマルズは、「太陽があたる家」「悲しき願い」などの大ヒットで知られる。バードンは2枚のアルバムで抜け、その後はウォーだけで活動、さらに大きなヒットを放った。「シスコ・キッド」「ミー&マイ・ブラザー」、「ギャラクシー」などなど。

そして、このほどアメリカのライノが、これまでいくつかのレーベル(UA、MCA、RCAなど)に分散していた原盤をまとめて、ウォーのベストを出した。それがこのアルバムだ。

このアルバム発売のプロモーションをかねて、メンバーのひとりロニー・ジョーダンのウォーとエリック・バードンが一日だけのライヴコンサートを2008年4月21日にロンドンで行った。ところで、ロニーは正確には設立メンバーではないのだが、なぜか彼がグループ「ウォー」の名前の使用権を持っている。オリジナル設立メンバーのうち、ハワード・スコット、ハロルド・ブラウン、BBディッカーソン、リー・オスカー(ハーモニカ)の4人は一緒にバンド活動をしているのだが、ウォーと名乗れず、現在は「ロウライダー・バンド」と名乗って、多くのライヴ活動をしている。

おそらく、グループ名についてはいろいろあったのだろう。今回、ウォーのベストが出るというので、少し調べてみたら、そんなことがわかった。

作品が多くのヒップホップ・アーティストたちにもサンプリングされているウォーは、まさにファンク・リズムの宝庫でもある。ロウライダー・バンドでもいいから、来日しないかなあ。ウォーはかつて、1970年代に来日し、後楽園でライヴを行っている。

■ ヴェリー・ベスト・オブ・ウォー

ヴェリー・ベスト・オブ・ウォー
ウォー
Warner Music Japan =music= (2008-03-19)
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ENT>ARTIST>War
ENT>ARTIST>ALBUM>War

投稿者 吉岡正晴 : 04:59 AM | コメント (0)

April 19, 2008

Quincy Jones Live At Montreux DVD

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【クインシー・ジョーンズ・ライヴDVD】

Q。 

あのスーパー・プロデューサー、クインシー・ジョーンズが1996年にスイス・モントルーで行われた『モントルー・ミュージック・フェスティヴァル』で行ったライヴを収録したDVDが発売された。

モントルー・ミュージック・フェスティヴァルは1967年にスタート、当初は小規模なものだったが、最近では2週間近く行われる大規模なものに発展している。

クインシーのこのDVDは、ちょうどクインシーの音楽業界50周年を記念してのライヴ。ゲストで登場するのは、シャカ・カーン、デイヴィッド・サンボーン、トゥーツ・シールマンス、ジェラルド・オルブライト、パティー・オースティン、シンプリー・レッドのミック・ハックネル、フィル・コリンズなど。

彼のジャズ・トランペッター時代の作品から、プロデューサーとして大ヒット作品をてがけるようになっての作品、手がけた映画音楽からの楽曲など、クインシーの音楽人生が凝縮されたステージになっている。

Live At Montreux 1996
Live At Montreux 1996
posted with amazlet at 08.04.19
ビデオアーツ・ミュージック (2008-03-19)
売り上げランキング: 10329

オーケストラを指揮するクインシー・ジョーンズ。まさに音楽業界のボスがボスであることを象徴するように、堂々としている。

ENT>DVD>Jones, Quincy


投稿者 吉岡正晴 : 06:43 AM | コメント (0)

April 07, 2008

Talk About MJ With Nishidera Gota, MJ-Spirit

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【マイケル研究家・郷太観】

研究。

先日ライヴ・パフォーマンスを見たMJ-Spiritのブルートゥリーさんがマイケル・ジャクソン研究家の西寺郷太さん(ポップ・グループ、ノーナ・リーヴスのヴォーカル担当)をぜひ紹介したいというので、一席もうけていただいた。かなりマイケルについては研究しているとはうわさに聞いていたが、実際に会って話してみると、大変なものであった。

5時間近くあっという間にしゃべり倒された。(笑) テーマも多岐にわたったのだが、それらは郷太さんの仮説がひじょうにおもしろく、興味津々だった。そのうちのいくつかは彼が宇多丸さんのラジオ番組に出たときに話したというものだという。

彼は音楽と政治と歴史に興味がある。そこでマイケルの歴史と日本の政治家小沢一郎とを関連付けての仮説は最高におもしろかった。小沢一郎が衆院議員に初当選するのは1969年、奇しくもマイケルがジャクソン5としてモータウンからデビューするのと同年だ。そんなことを発見する郷太さんは、すごい。以降、それぞれの年表を作り、共通点をあぶりだしていく。2人の最大の共通点は周囲に周到な根回しができない点だと彼は指摘する。その結果、周りにいる優秀な人たちがみな徐々に離れていってしまう、という。な~るほど。

またマイケルとクイーンとの関係、マイケルとプロデューサー、クインシー・ジョーンズとの関係、『オフ・ザ・ウォール』、『スリラー』、『バッド』とアルバムを制作していく過程でのマイケルとクインシーとの関係の推察なども妙に説得力がある。クイーンの「アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト」はもともとマイケルに提供されたものだった。それが没になってのクイーンとの関係がどうなったか。あるいは、「ウィ・アー・ザ・ワールド」におけるマイケルの位置、そこから発展し、「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加したアーティストたちが、その後、一発程度大ヒットを飛ばすものの、ほとんどみな人気が下降していく、という指摘。おもしろい。

マイケルのアルバム『バッド』のジャケットとクインシーのアルバム『バック・オン・ザ・ブロック』のジャケットは、横に並べるとデザインがシンメトリーだ、という発見。これも気づかなかった。

さまざまな事実、ひとつひとつはささやかな事実を、徹底して俯瞰(ふかん)して見つめることによって浮かび上がる壮大な真実。僕もライナーノーツや記事を書くときに、徹底して主観を排し事実を積み重ねていくが、彼も同様のことをここ20年近くやってきた。

彼がマイケル好きになったきっかけが、ジャクソンズのアルバム『ヴィクトリー』(1984年)の僕が書いたライナーノーツだという。その後、僕が翻訳したマイケルの年表ブック『マイケル・ジャクソン観察日誌』(小学館)は、それこそ穴があくほど読んだそうだ。マイケルをここまで研究するようになったきっかけが僕のライナーノーツだと言われて、驚いた。

しかし、あの事実だけの資料ブック『マイケル・ジャクソン観察日誌』やさまざまな資料から、ここまでの仮説をイマジネーションたくましく広げられるというのは本当にすごい。いちいち説得力がある。そこに感銘を受けた。

彼は言う。「司馬遼太郎は、坂本龍馬には会ってないんですよ。でも、彼が書く坂本龍馬は、司馬の視点で書かれていて、それはまさに『司馬観』でできている。だから、僕も『郷太観』でマイケルを見つめています」

これらの仮説はまとめて、将来一冊の本にしたいという。これはまちがいなくおもしろい読み物になる。

ENT>ARTIST>Jackson, Michael
ENT>ARTIST>Nishidera Gota


投稿者 吉岡正晴 : 03:33 AM | コメント (0)

March 31, 2008

Finally Jero Came To The Studio

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ジェロ参上】

一期一会。

今年にはいってから「アメリカの黒人の演歌シンガー」として話題沸騰中のジェロが、『ソウル・ブレンズ』にやってきた。ジェロは、とてもソフト・スポークンの物静かな青年だった。しかし、一見ファッション的には、R&B、ヒップホップ系、でも歌う曲は「ど演歌」。このアンバランスがたまらない。

生放送前に、打ち合わせでちょっと話す機会があった。「(ジェロの)誕生日が、ビヨンセと一緒というのは知ってる?」 「知ってます」 1981年9月4日、月日だけでなく、年まで一緒なのだ。「2-3年前かな、雑誌かなにかで、(ビヨンセの誕生日が同じだということを)知りました。去年かおととしかな、ビヨンセ、ライヴ見に行きましたよ。でも、(武道館2階の)上のほうで、これっぽっちしか見えなかった」 指で小ささを表現する。「じゃあ、楽屋とかに行って、ビヨンセには会えましたか?」 「いやいやとんでもないです。まだ普通の人でしたから。よろしくお願いします」(笑) 

昨年1月のジョン・レジェンド(国際フォーラム)にも行ったという。「ジョンには会えましたか?」「いやいや、とんでもない。そういう機会があれば、よろしくお願いします」(低姿勢)

デビュー曲「海雪」は、宇崎竜堂さんが作曲、作詞は秋元康さん。最初のデモテープに仮歌でも入っていたのかと思ったら、「いやあ、はいってなかったです」とのこたえ。自分でニュアンスなどを吹き込んだという。これはおそれいった。

ちーちゃん、「(歌詞の中にある)出雲崎ってどこですか」 ジェロ。「新潟です」(一同爆笑) 日本人が知らないこと、知ってる。

ヴォイス・トレーニングにはデビュー前2年ほど通っていた、という。ただ演歌を歌うときと、アメリカのソウル・ミュージック、あるいはR&Bを歌うときでは発声が違うはず。「演歌のほうがいいですね。(ソウルは)苦手なんです」(笑) 「でも、もし5歳くらいからR&B歌っていたら、(今でも)R&Bを歌っていたと思う」 教会でゴスペルは歌っていない。

そんな彼が自分の曲以外で選んだのが、ルーサー・ヴァンドロスの「テイク・ユー・アウト」。ものすごく好きだそうだ。「R&Bで一番好きなシンガーです。亡くなられたことがすごくショックで、今でも昔の曲を聴いています」 日本語が流暢でペラペラだ。

将来、R&B、ソウルの方向性へ進む可能性はあるかという問いには、「今のところないですね。コラボくらいだったら(可能性はなくはない)。でも、まず、演歌で足固めをしてからですね」。

しばらく前まで埼玉県に住んでいて、仕事で東京に来るために電車に乗っていたという。さすがに今では電車に乗っていたら、人だかりができてしまうだろう。「何線に乗ってたんですか」 「南北線」。いちいち、おもしろい。

英語の曲紹介がさまになっていたので、ラジオやったらどうですか、というと、すでにニッポン放送でラジオのレポーターをやっているという。「それが難しくて、シンドイんですよ」(笑) これ、そのまま、ジェロが日本語で語ってるんですよ。

ブラックのマーヴィンと同じくブラックのジェロが、日本語でしゃべっている図。不思議だ。マーヴィンが訊く。「日本語で好きな言葉は?」 ジェロ。「一期一会(いちごいちえ)」 おもしろい。日本人でソウル・ミュージックを歌うシンガーがいるのだから、アメリカ人で日本の演歌を歌うシンガーがいたっておかしくない。まさに文化往来。アルバム出したときは、また遊びにきてください。

今年の紅白、出場まちがいない。ジェロを出さなくて、誰をだす? 

■今日3月31日『徹子の部屋』(テレビ朝日系・午後1時20分)に出演。

ENT>ARTIST>Jero


投稿者 吉岡正晴 : 04:15 AM | コメント (0)

February 02, 2008

Peabo Talks About His Secrets Of…

[ ENT>MUSIC>ARTIST>, ENT>MUSIC>LIVE>]

【ピーボ、いろいろ秘密を語る】

秘密。

ライヴ後、ピーボ・ブライソンと話す機会があった。12回のセットをやったということで、かなり解放感でもあったのだろう。ピーボは雄弁だった。

松尾さんが「かつては音楽ライターで、DJであなたにインタヴューしたこともありましたが、今は音楽プロデューサーでK君をプロデュースしています」と自己紹介すると、ピーボが「おおおっ、彼は歌がじつにうまいね。とても才能がある」といきなり賞賛。「彼は自分で曲も書くのかな」「書きますよ」

「それにしても、1週間、おつかれさま。声、強いですねえ。でも、初日も見たんですが、初日と比べると、声が弱くなってるような気がしました」 「ああ、6日間、1日2ショーは大変なんだよ。だいぶ、声も(初日より)弱くなったよ(笑)」 「あなたはタバコを吸いますね。喉に悪くないんですか」 「いや、僕のはこれなんだ。ナチュラル・タバコ。成分がみんな自然のものを吸ってるんだ」と言ってそのタバコの箱を見せてくれた。「これが喉をよく保つ秘密さ(笑)」

peabo tabako.JPG

「これで、喉を鍛えてます」(冗談) 左から松尾氏、そのナチュラル・タバコ、ピーボ、吉岡

松尾さん、以前インタヴューしたときの話をして、合間を見て、どちらからともなく、またまた「何で『フィール・ザ・ファイアー』やらないんですか」としつこく尋ねる。(笑) 「いやあ、それって(日本で)人気あるのかい?」 「ありますよ」と2人で声を揃える。松尾さん。「初期の頃のヒット曲をメドレーでもいいからやったらどうですか」 「ああ、そういえばメドレーでやってたことあるよ。『レット・ザ・フィーリング・ショウ』『アイム・ソー・イントゥ・ユー』『リーチン・フォー・ザ・スカイ』『アイ・アム・ラヴ』なんかをやって、そして『フィール・ザ・ファイアー』にもってくんだ」 「それやってくださいよ」と2人でハモる。僕。「スティングの2曲は、多すぎませんか」「そうか、確かにな。1曲でもいいかもしれないな。スティングの曲は個人的にすごく気に入ってるんだ。」 「『エヴリ・ブレス・・・』なんかは将来、自分でレコーディングしますか?」 「うん、したいね」 松尾さん。「あの頃の曲だと、ボビー・コールドウェルの『ホワット・ユー・ウント・ドゥー・フォー・ラヴ』なんてどうですか」 「おおっ、大好きだよ!」と言って、なんと、いきなりピーボ、その曲をうたい始める!! 松尾氏やんやの喝采をいれ、歌を終わらせないようにたくましい努力。途中、「ぱっ、ぱっ」っとトランペットの音まで入れ込んで。ピーボのりのり。1分くらいは歌ってくれたかなあ。これはラッキーだった。(笑)「1曲目(のスティング)を落として、『フィール・ザ・ファイアー』かこの『ホワット・ユー・・・』あたりに差し替えようかな。次に来日するときには、そうするよ」

「ところで、あなたは本当によく日本語しゃべりますね。誰か先生でもいるんですか。それともブルーノートのスタッフにでも教わるんですか」「いや、僕は自分で勉強してるんだよ。その秘密はこの本だよ」と言って奥から一冊の本を持ってくる。『ジャパニーズ・フォー・ダミーズ(サルでもわかる日本語)』。「これで、勉強してるんだ。これ、文法的なこと、日本語の構造とか、わかりやすく解説されてる。もっとも、僕が最初に手に入れた日本語の本は、『ジャパニーズ・フォー・セヴンデイズ(7日でしゃべれる日本語)』。でも、7日でぜんぜんしゃべれなかった。(笑) この『ダミーズ』の本は、いろいろあるんだよ。『文法・フォー・ダミーズ』とか、『ファイナンス・フォー・ダミーズ』とか。言葉では、僕は『イタリア語』と『ラテン語』『フランス語』のダミーズを持ってるよ。CDついてるから、日本語の発音もこれで覚えるんだ」 これが、ピーボの日本語の秘密だ! 

peabodummies.JPG

ワタシハコレデ日本語をオボエマシタ

ほ~~~っ、これは恐れ入った。海外からのアーティストは、周囲のスタッフや通訳に自分が言いたいことを聞き、それをローマ字で書いて覚えたりする。もちろん、ピーボもそれもするだろうが、この本があれば、自分で作文できるだろう。「グラミーをカクトクしました」もでてくるわけだ。

「ほら、日本であちこちに1人で行くとき、まわりの人とコミュニケーション、取れたほうが楽しいだろう。それに地下鉄なんて乗っても、日本語がわからないと迷ってしまう」 「ええっ、地下鉄、乗るの? ピーボさん」 「あ~~、乗る、乗る」 「1人で?」 「オー・イエス」 思わず、「スイカ持ってますか」と尋ねそうになったが、「スイカ」の説明を英語でするのが、ちょっと大変そうだったので、急遽やめた。だが、これだけ語学に熱心であれば、電子辞書をお勧めしたい。「電子辞書は持ってますか?」「いやあ、持ってないなあ」「次は電子辞書ですね。これは、とっても便利ですよ」

「ところで、あなたが今日も歌ったアル・ジャロウの『ノット・ライク・ディス』、素晴らしいですね。なんでまた、この曲を?」 「あの曲はものすごく難しいんだよ。コード、バックのバンドとのハーモニー、テンポ。シンガーとしてものすごくチャレンジなんだ。それほど多くのシンガーはあの歌はできない。僕はあれが歌えるということで、他の普通のシンガーとは違うんだ、ということが示せると思うんだよね」 他のシンガーが歌えない曲を歌えて個性あるシンガーということだ。なるほど、あれは、シンガーとしてのプライドが凝縮されているのだ。それは歌うときに力も入るというもの。

そして、「ミッシング・ユー」。「これは、あなたにとってもスペシャルな曲ですが、初日、あなたが歌ったとき、目が赤くなっていましたね。今日はどうでした?」 「初日は、我を失った。(I lost it) 今日は、(歌っていたとき)姉や母の顔が浮かんできた。でも、今日は大丈夫だったよ。そうそう、(作者の)レデシーには会ったことあるよ」 ピーボは姉、自分、弟、妹の4人兄弟。2歳年上の姉をしばらく前に失った。「姉はまだ若かったんだよ。僕より2歳年上なだけでね、母親は85歳くらいだったかな。2人とも素晴らしい女性だった。姉の子供、2人は僕がけっこう面倒を見てるんだ。僕はアンクル・ピーボだな(笑)」 「ミッシング・ユー」を歌うとき、ピーボは今は亡き母と姉を思い浮かべる。これから何十回、何百回と歌っていく作品だ。将来もときには感極まることもあるだろう。これが、「ミッシング・ユー」を歌うときのピーボの涙の秘密だ。

楽屋に行ったのが1時前。出てきたら、1時半近かった。20分以上いたのかな。この間、われわれはずっと立ち話である。ほんとにみんな立ち話が好きである。

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ENT>MUSIC>LIVE>Bryson, Peabo
ENT>MUSIC>ARTIST>Bryson, Peabo

投稿者 吉岡正晴 : 01:20 AM | コメント (1)

December 25, 2007

Photographers & Musicians: What Will Photographer Capture Of Musician?

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【写真家はミュージシャンの何を撮影するのか】

瞬間。

先日、デイヴィッド・T・ウォーカーの記事でいろいろ書いたが、それに対して写真家の坂下さんからBBSに『私もDavidの持つ全ての感情をキャプチャーしたいと思っていました』と書き込みをいただいた。

December 23, 2007
David “God’s Hand” T. Walker: There’s Movement In Stillness
http://blog.soulsearchin.com/archives/002219.html

BBS(2007年12月23日付け)
http://www.soulsearchin.com/soul-bbs2/soul20070927.cgi
上記記事に対する書き込み。

ミュージシャンを撮影する写真家というと、僕はいつもある一文を思い出す。

それはロバート・ジェームス・ウォラーの書いたベストセラー『マディソン郡の橋』(1992年)だ。ただし、その本編の小説ではない、最後の「あとがき~タコマのナイトホーク」という文章だ。

マディソン郡の橋 (文春文庫)
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著者のウォラーが本編の主人公、ロバート・キンケードという写真家をリサーチし、キンケードを知るミュージシャン、ナイトホークを探し出し、彼についての話を聞いたものだ。

それによると、キンケードという写真家は、いつも「音楽を目に見えるイメージに変えようとしていた」という。あるとき、キンケードはナイトホークにこう言った。「あんたがいつも『ソフィスティケーテッド・レディ』の四小節目でやるリフがあるだろう? じつはこないだの朝、あのイメージを撮影できたような気がするんだ。海の向こうからうってつけの光が差してきて、ちょうどそのとき、アオサギがファインダーのなかで輪を描いた。その泣き声を聞きながらシャッターを切ったとき、実際、あんたのリフが見えたような気がしたんだ」(ロバート・ジェームス・ウォラー著、村松潔訳=文芸春秋刊)

拙著『ソウル・サーチン』ナタリー・コールの章で写真家と音楽家についてこう書いた。

「ミュージシャンと写真家には、ある種の共通の言語が存在する。ミュージシャンは、音符に生命を与え、生き生きとさせる。動きがなかったもの、凍っていたものを解凍するのだ。そして、写真家は、生きているものを、一瞬のフレームの中に凍結する。解凍と凍結。まったく逆の作業をするが、その本質はきわめて近い。そして、優れたミュージシャンは、音符でイメージや映像を作ろうとする。優れた写真家は、写真でメロディーを奏でようとするのだ。そして、優れた写真からは、音楽が沸き上がり、優れた音楽からは、映像が広がるのである。
 ジョージ・ハレル(ナタリー・コールの『アンフォーゲッタブル』のジャケット・ポートレートを撮影した写真家)は、このアルバムに収められた音楽を見事にひとつのナタリーのポートレートに凍結したのだ。そして、ナタリーはその歌で、この写真を解凍する。このアルバム・ジャケットとCDに収められた音楽には、凍結と解凍の永遠の連鎖が美しく存在しているのである」(『ソウル・サーチン』吉岡正晴著=音楽之友社刊)

デイヴィッド・T・ウォーカーは、彼のリフを見るが如く撮影したいと願う写真家にとって、最高の被写体だ。

ソウルサーチン R&Bの心を求めて
吉岡 正晴
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ENT>ESSAY>
ENT>MUSIC>ARTIST>Walker, David T.

投稿者 吉岡正晴 : 03:23 AM | コメント (0)

December 19, 2007

Distinctive Fingers, David T. Walker Says “Guitar Is My Voice”

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【デイヴィッド・T・ウォーカー、ギターは私の声だ】

声。

人気ギタリスト、デイヴィッド・T・ウォーカーが今年(2007年)5月自己名義で来日し、コットン・クラブでライヴを行い、その模様が映像収録され、DVDが発売されている。

LIVE IN TOKYO AT COTTON CLUB
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5月のライヴの模様を見ながら、先日のライヴを思い出す。やはり、今回はひとりジェリー・ピーターズが加わっているだけで、サウンドの幅がぐっと広がっていることがわかる。しかし、デイヴィッドのギターのすばらしさは変わらない。

特典映像で、彼のインタヴューが入っている。これがなかなかいい内容だ。この中で「自分が前面にでて、自身のバンドでやることにずっと興味がなかった。ま、でも、そろそろやってもいいかなと思ってやった」というようなことを言っているが、このあたりに彼の謙虚さがでている。常に誰かを支えてくるという人生で半世紀過ごしてきた彼ならではだ。超一流のバイプレイヤー、名脇役といったところだろう。

ライナーノーツの中で、ドリームズ・カム・トゥルーの中村正人さんが、「デイヴィッドとやると、自分のベースがうまくなったような気になる」と言っているが、これも言いえて妙だ。例えば、テニスなどの相手のあるスポーツだと、対戦相手が上手だと、こちら側も上手になったような気になってしまう。それと同じだ。だからミュージシャンもものすごく上級のミュージシャンとやると、周囲のミュージシャンもそれにひきづられてうまくなるのだ。そうしたこそが、ミュージシャン同士を切磋琢磨(せっさたくま)し、ミュージシャンシップを厚くさせ、ケミストリー(化学反応)を起こさせる要因だ。デイヴィッドの場合、まさにそうしたケミストリーを起こさせるハブ(中心軸)になるようなアーティストということになる。そこがまたすばらしい。もし仮にどんなにいい腕をもっていても、ひじょうに自己中心的であったり、わがままだったりすると、そうしたケミストリーは起こらないものだ。

同じようにインタヴューの中でデイヴィッドは「ずっと長い間、さまざまなアーティストのバックをつけてきて、そうしたアーティストたちに自然にあわせるようになってきた」とも言っていた。バイプレイヤーとして長い間やってきて、さて自分自身が表に立ったときどうやっていいのかわからない、といった照れもあったのかもしれない。だから何年も自身のソロ名義でやらないかという誘いにもOKをださなかったのかもしれない。そして、ふだん無口な彼にとって、ギターは彼の声(ヴォイス)だと言う。ベイビーフェイスが「シャイな自分にとって歌(ソング)が、僕の声(ヴォイス)だった」という言葉と同じだ。

インタヴューの中で、ギターの弾きかたをいくつかちょっとだけ披露するシーンがある。そのほんの1~2秒だけ、彼の指がギターの弦を爪弾く(つまびく)だけで、デイヴィッドの音になるのには感激した。あれは収録していたインタヴューワー、スタッフも鳥肌ものだったのではないだろうか。

クラプトンのときにも言ったが、結論は簡単だ。あの感動を生み出す秘密はこれに尽きる。

「指が違う」のである。

■過去関連記事(前回のデイヴィッド来日ライヴ評)

May 11, 2007
David T Walker Live: Real T Sings, Crying, And Talks
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200705/2007_05_11.html

May 12, 2007
David T's Fingers Are So Sexy: DVD Shooting Will Be Held On Saturday
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_05_12.html

May 13, 2007
The Night Of David T. Continues:
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_05_13.html

May 14, 2007
David T. Walker: "Live Audience Temperature"
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_05_14.html

December 17, 2007
David T Walker Stood Up 8 Times While His Performance
http://blog.soulsearchin.com/archives/002213.html

ENT>ARTIST>Walker, David T.

投稿者 吉岡正晴 : 03:38 AM | コメント (0)

October 18, 2007

Carl Thomas's New Album And His Coming Japan Tour...

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【カール・トーマス最新作『ソー・マッチ・ベター』と来日・・・】

偶然。

11月に来日するカール・トーマスについての打ち合わせをするために恵比寿ウェスティンのコーヒーハウスで、レコード会社の方と待ち合わせ。カールは、以前バッドボーイ・レーベルから2枚のアルバムを出し、3作目が日本で5月に出た『ソー・マッチ・ベター』(フォーミュラ・レコーディングス)。最初のアルバム『エモーショナル』がリリースされたのが2000年だから、もう7年も前のこと。ここに入っていた「アイ・ウィッシュ」は個人的にひじょうに好きだった。

横浜に、この「アイ・ウィッシュ」をうまくカヴァーするブラックのシンガーがいて、よくピアノバーで彼にリクエストした。というより、彼自身がその曲が大好きで歌っていて、それが僕も気に入っていたのだ。あの彼は今、どこに? (笑) 

この新作は、元MCAレコードのエグゼクティヴであり、元モータウン社長でもあったジェリル・バズビーがアメリカで興したアンブレラ・レコードからの作品。アメリカではユニバーサルが配給しているが、日本はフォーミュラ・レコーディングスがライセンス契約しリリースしている。このフォーミュラからは昨年一足先にケイシー&ジョジョのケイシーのソロアルバムが出た。

来日前に電話インタヴューして、新聞に掲載という話もあったのだが、紙面の都合がつかず、結局ライヴ評を書くということで落ち着いたところだった。来日時にインタヴューでもしましょうか、あるいは、レコード会社ではラジオ・プロモーションを考え中といった話だった。個人的には、キース・スゥエットに続いての来日男性ソウル・シンガーで期待もしていた。

彼のファースト・アルバム『エモーショナル』は、プラチナム・ディスクに輝いた。しかし、まったく予期せぬ悲劇が襲う。2004年10月31日、彼の2歳年上の兄が急死するのだ。兄は、地元イリノイ州で、十代の若者たちによる車からの無差別銃撃の銃弾に倒れ、亡くなったのである。

この兄の死で彼は決定的に落ち込み、そして人生について深く考えたという。このときバッドボーイは、そのニュースをカールのファンに知らせることもなかった。さらに2作目の制作課程で、作品への介入が前作に比べ著しく大きくなり、カールはレーベルと対立。2作目は完成させ、結局ヒットになるが、その後、バッドボーイと袂を分かつことになった。

兄の非業の死を知ってアルバムを見ると、兄の墓石に手をかけるカールの写真が胸を打つ。アルバムは彼へのトリビュートになっており、各曲を見ていくと、その亡き兄を思う作品がいくつも収録されている。インタールードの「アイ・ミス・ユー」など、まさに兄へのメッセージだ。アルバムの内容はなかなかいい。

さて、その担当者Sさんが実は1980年代に僕がアドリブという雑誌で連載していた「プリンス物語」を熱心に読んでいて、それでプリンスとか、ジャム&ルイスとか、ミネアポリスもの、ひいては当時のブラック・コンテンポラリー系のレコードにのめりこんだ、という話になった。あれを読まれていた方、けっこういるんですねえ。ツナさん。(笑) カール・トーマスの最新作にもジャム&ルイスのてがけた曲が入っている。

で、ミネアポリス雑談などをしているとSさんの携帯にメールが入った。みるみるうちに表情が激変。「カール・トーマス、来日中止のメールが転送されてきました・・・」 おおおっ。じゃあ、この打ち合わせは、水泡に帰す? (笑) 

ところで、カール・トーマスの日本盤発売レーベルは先ほどから書いているが「フォーミュラ・レコーディングス」という。カールの歴史を紐解くと、彼はバッドボーイと契約する前に、エピックレコード所属のグループに参加していたという。そのグループの名前が、なんと「フォーミュラ」というものだった。偶然!
 

■カール・トーマス 最新作『ソー・マッチ・ベター』

ソー・マッチ・ベター
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『エモーショナル』

EMOTIONAL
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カール・トーマス
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やっぱり、「アイ・ウィッシュ」は傑作。

ENT>MUSIC>ARTIST>Thomas, Carl


投稿者 吉岡正晴 : 03:53 AM | コメント (0)

October 14, 2007

Jennifer Batten Showcase

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ジェニファー・バトゥン・ショーケース】

ギター。

ジェニファー・バトゥンというギタリストがいる。女性ギタリストだが、ご存知の方は、ギターマニアかな。彼女が有名になったのは、1987年のマイケル・ジャクソンの世界ツアーに参加したことから。このツアーはご存知の通り、ここ日本から始まった。そのときに、光るギター、そして、逆立ったヘアで大いに注目されたのが、ジェニファー・バトゥンである。とは言ってももう20年も前のことだ。

僕はマイケル・ジャクソンの1987年の初のソロ・ツアーを取材したので、そのときに初めてジェニファーに会った。その彼女に、20年ぶりに会った。ジェニファーはその後も、マイケルの「バッド・ツアー」「ヒストリー・ツアー」などにも参加、さらに、同じくギタリストとして最高峰のジェフ・ベックのツアーに誘われてワールド・ツアーに帯同している。

ちょうど、彼女の新作で通算3作目のアルバム『ホワットエヴァー』がこの9月に日本先行で発売され、そのプロモーションの一環で来日、話を聞くことができた。インタヴューの内容はまた後日お送りするとして、彼女のショーケース・ライヴが9日(火曜)に渋谷の東京スクールオブミュージック専門学校で行われた。

この日登場したのは、ジェニファーひとりなのだが、コンピューターに事前にプログラムした音と映像とシンクロさせてギターをプレイした。その映像がけっこう凝ったものでおもしろく、しかも、ギタープレイと同調していて、なかなか興味深かった。基本的には、ロックの世界なのだが、こういうライヴ形式もあるのか、と思った。

■ジェニファー・バトゥン 最新作『ホワットエヴァー』(ウッドベル)

ホワットエヴァー(DVD付)
ジェニファー・バトゥン
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最新作は、DVDとCDの2枚組み。非常に実験的なアルバムだ。

ENT>ARTIST>Batten, Jennifer

投稿者 吉岡正晴 : 03:34 AM | コメント (0)

October 03, 2007

"Rehab" Again: Amy Wants To Learn From Mr. Hathaway

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【『リハブ』~エイミー・ワインハウス・もう一度】

訂正。

9月9日付け、本ブログで新進気鋭のシンガー、エイミー・ワインハウスについて書いた。そのタイトルは【エイミー・ワインハウスはダニー・ハザウェイから学ぶことはないと言う】だった。この件に関して、「ちょっとニュアンスが違うのではないか」というご指摘をいただいた。

「ミスター・ダニー・ハザウェイからだって学べないんだから(That I can't learn from Mr. Hathaway)」という歌詞のラインから、タイトルを取ったのだが、彼女はダニーから学べない、とは言っていないという指摘だ。そこでもう一度、歌詞をじっくり読んでみた。

う~む、なるほど。その前後を訳すとこういうことだった。

「私はレイ・チャールズを聴きながら、うちにいるほうが、マシ。70日(のリハビリ)なんか、やってられない。だって、リハビリ・センターでは、ミスター・ハザウェイが教えてくれないことなんて、何も教えてくれないんだから」

(I'd rather be at home with Ray
I ain't got seventy days
Cause there's nothing
There's nothing you can teach me
That I can't learn from Mr. Hathaway)

つまり、歌の主人公は、リハビリに行くよりも家で、レイ・チャールズやダニー・ハザウェイのレコードを聴いて、そこから学んでいたほうがマシだと言っているのだ。その次の2行もおもしろい。

「とはいっても、学校のクラスでも別に大したことは学ばない。でも、グラスの酒をあびたところで、何にも学ぶことはないんだけどね」

そうだ、だって、ハザウェイに「ミスター」が付いてるわけだし。リスペクトがあるわけだ。ちょっと早とちりしてしまいました。

ということで、タイトルは【エイミー・ワインハウスは、リハブに入ったらダニー・ハザウェイやレイ・チャールズから学べなくなるから、入りたくないと言う】 に訂正します。

解釈まちがい、お詫びして訂正いたします。(9月9日付けのブログは、一部を手直ししました)

でも、このエイミーのキャラって、ひょっとして先日記者会見で3つしかコメントを言わなかった沢尻エリカとカブルかもしれない。

記者「エイミーさん、スタッフからリハビリに入れといわれたそうですが、どんな感想をお持ちになりましたか?」

エイミー「特にないです」

記者「エイミーさん、そのリハビリ入りを勧めたマネージャーをクビにしたそうですが、なぜですか」

エイミー「別に・・・」

■エイミー・ワインハウス過去記事

September 09, 2007
Amy Winehouse: A Star Is Born
【エイミー・ワインハウスは、リハブに入ったらダニー・ハザウェイやレイ・チャールズから学べなくなるから、入りたくないと言う】

http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_09_09.html

■エイミー・ワインハウス『バック・トゥ・ブラック』

Back to Black
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+++++

ENT>ARTIST>Winehouse, Amy


投稿者 吉岡正晴 : 02:51 AM | コメント (0)

September 17, 2007

Stevie Wonder's New Album Will Be Released By January?

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【スティーヴィー、新作を来年1月までに発売したいと思う】

計画。

スティーヴィー・ワンダーが次のアルバムを制作し、来年1月までにリリースしたいと考えている。これは、昨年から伝えられているものでアルバムのタイトルは『ア・ゴスペル・トリビュート・トゥ・ルーラ』あるいは『ゴスペル・インスパイアード・バイ・ルーラ』というもの。スティーヴィーが久々のツアーを開始、そのデトロイトで記者会見を行い発表した。

2006年5月31日に、スティーヴィーの母ルーラ・ハーダウェイが死去。その悲しみと、母へトリビュートする意味で作品を作り始めた。スティーヴィーは、2008年1月11日に発売したいという。これは、母ルーラの78歳の誕生日になる。スティーヴィーはこの日にリリースするために、珍しく「締切」を意識している、という。

作品は、スティーヴィーがほぼすべての楽器を操りレコーディング。ツアー中でも、ホテルの部屋に機材を持ち込んでコツコツ録音してきている。この制作方法は、前作『ア・タイム・トゥ・ラヴ』と同様。そして、いくつかの部分をリアル・ミュージシャンにプレイしてもらう。前回で言えば、「ソー・ホワット・ザ・ファス」にプリンスのギターをいれてもらったり、アン・ヴォーグのコーラスをいれたりといった具合だ。

このアルバム用に十分な楽曲は揃っているという。トラディショナルなゴスペルだけでなく、母親が好きだった作品、母がスティーヴィーに教えた作品、あるいは、歌う言語も英語だけに限らず、ズールー語。ヘブライ語、アラビア語などで歌う作品もはいるかもしれない、という。

もし、1月11日に発売されると前作から約2年3ヶ月ぶりということになるが、これは近年のスティーヴィー作品のリリース頻度としては記録的な速さとなる。「でも、満足できる出来でなければ、リリースはしないよ。わかってるだろ」とスティーヴィーは言う。

しかし、スティーヴィーの新作情報は、あくまで「予定中の予定」だ。話半分に聞いておこう。

■過去スティーヴィー関連記事・一部

June 14, 2006
Stevie Wonder's Mother Died
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200606/2006_06_14.html
(スティーヴィーの母・死去のニュース、および葬儀の模様)

October 22, 2005
Studying "A Time To Love" Part 1
http://blog.soulsearchin.com/archives/000600.html

October 23, 2005
Studying "A Time To Love" Part 2
http://blog.soulsearchin.com/archives/000601.html
(前作『ア・タイム・トゥ・ラヴ』のアルバム・研究

ENT>MUSIC>ARTIST>Wonder, Stevie

投稿者 吉岡正晴 : 04:18 AM | コメント (0)

September 09, 2007

Amy Winehouse: A Star Is Born

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【エイミー・ワインハウスは、リハブに入ったらダニー・ハザウェイやレイ・チャールズから学べなくなるから、入りたくないと言う】

新星。

このところ個人的にヘヴィー・ローテーションになっているのが、イギリスのシンガー、エイミー・ワインハウスの新作アルバム『バック・トゥ・ブラック』だ。最初のシングル「リハブ」を始め、全体的に1960年代風の香りが漂う。1983年9月14日イギリス生まれ、現在23歳、今週24歳になる。

このシンガー、すでにラジオなどでけっこうかかり始めているが、たとえば、山野楽器の長谷部さん(54)も大のお気に入りで、さっそく今日の「山野ミュージック・ジャム」のコーナーでも紹介することになった。かと思えば、マーチンさんマネージャーみぽりんさん(40)も、特に「リハブ」はシャネルズの曲を聴いて作ったんじゃないか、と疑っているもののめちゃお気に入り。かと思えば、『ソウル・ブレンズ』ディレクター波さん(31)も、早くから注目して個人的へヴィロテに。かと思えば、女子大生さっちゃん(20)も、何度か聴いているうちに、中毒状態になりつつある。

というわけで、20代から50代まで幅広い層から支持を集めているエイミー・ワインハウス。サウンドは、60年代のロネッツやモータウン・サウンドなどを元に作っていて、かなり昔風。メロディーもイギリスものだけに、日本人受けする。しかも、プリンスからオープニング・アクトをやらないかと誘われたり、ミック・ジャガーと共演したりと、ミュージシャン間の人気も抜群だ。

エイミーは、2007年5月18日にフロリダ州マイアミで、ブレイク・フィルダー・シヴィルという男性と結婚した。彼とは2年前につきあっていたが、一時期彼が元恋人とよりを戻していた。それを乗り越えての結婚だった。最新作『バック・トゥ・ブラック』には、そのブレイクとのいろいろな出来事(自分の失恋、復縁など)が描かれている。タイトルは、彼氏に去られて「真っ暗に舞い戻る」という感じだ。

15歳で高校を放校となり、酒と男に溺れ、酒のリハビリに行けとマネージャーに言われたところ、そのマネージャーのクビを切り、その時のことを曲にしたのが、「リハブ」だという。

「リハブ」には、レイやハザウェイがでてくる。そう、レイ・チャールズやダニー・ハザウェイだ。「リハビリに行かせようとしたって、絶対行かない。家でレイ・チャールズを聴いてたほうがマシ。70日も入ってるなんて、とっても無理無理。リハビリ行ったって何も覚えやしないんだから。リハビリに入っちゃったら、ミスター(・ダニー)・ハザウェイも聴けなくなって、ダニーから学べることも学べなくなっちゃうんだから」

この後に、「もっとも、ショット・グラスをひっかけ飲んだところで、学ぶこともないんだけどね」というオチもある。そう、リハビリに入ったら、レイやダニーが聴けなくなってしまい、彼らから学べることも学べなくなる、という主張だ。

コンサートやインタヴューのドタキャンも日常茶飯事か、エイミー。それは破天荒なエイミー。プリンスが気に入るというのもわかる。日本での快進撃はこれからだ。

■エイミー・ワインハウス『バック・トゥ・ブラック』

Back to Black
Back to Black
posted with amazlet on 07.09.09
Amy Winehouse
Island (2006/10/30)
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(今日の『ソウル・ブレンズ』~「山野ミュージック・ジャム」[16時半~、インターFM76.1mhz]でエイミーのアルバムをご紹介します)

ENT>ARTIST>Winehouse, Amy

(10月2日、一部書き直しました)

投稿者 吉岡正晴 : 04:49 AM | コメント (0)

August 08, 2007

Babyface's New Album Will Be Covers Of 70s Pop Songs

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ベイビーフェイスの新作は、70年代カヴァー曲集】

期待。

ベイビーフェイスが2007年9月18日に全米で2年ぶりの新作『プレイリスト』をリリースするが、これは彼が十代によく聴いていた思い出の曲を録音したものになる。1970年代のヒット集で、しかも、ソウル、R&B系ではなく、ポップ、ロック系の選曲というユニークな企画で大きな話題を集めそうだ。またこれはアイランド・レコード移籍第一弾となる。

選ばれた曲は、ジェームス・テイラーの「ファイアー・アンド・レイン」(1970年)、同じくテイラーの「シャワー・ザ・ピープル」(1976年)、エリック・クラプトンの「ワンダフル・トゥナイト」(1978年)、ブレッドの「ダイアリー」(1972年)、ジム・クローチの「タイム・イン・ア・ボトル」(1973年)、ボブ・ディランの「ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドア」(1973年)、デイヴ・ロギンスの「プリーズ・カム・トゥ・ボストン」(1974年)、ダン・フォーゲルバーグの「ロンガー」(1979年)など。この他に、2曲のオリジナル新曲が録音されている。新曲の1曲「ノット・ゴーイング・ノーホエア(どこにも行かない)」は、ベイビーフェイスが別れた元妻トレイシーと、その間に生まれた子供のことを歌った作品。両親は離婚しても、親はどこにも行かない、ずっとそばにいる、というもので、もう1曲「ソルジャー・ソング」はイラク戦争に行っている兵士たちのことを歌ったもの。

この選曲ラインアップを見るだけで、ベイビーフェイスの音楽的趣向性のようなものがわかる。また、ベイビーフェイスにあった楽曲が選ばれており、前作以上のセールスが期待される。

ベイビーフェイスによれば、「自分の過去を形作ったのがこうした曲であり、これらの作品はこんどは自分の将来を形作るものになると思う」と語っている。

ある意味で、ロッド・スチュワートがジャズスタンダード、アメリカン・スタンダードをカヴァーして大ヒットを飛ばしたが、それよりさらに時代が進み、現在トップで活躍しているアーティストたちが多感な十代から二十代前半までにヒットしていた1970年代の作品、つまり、彼らがリアルタイムで聞いてきた曲をカヴァーするという企画は、タイミング的にもかなりいいような気がする。

ベイビーフェイスは1958年4月10日インディアナ州インディアナポリス生まれ。1970年にはちょうど12歳。1970年代はまさに彼にとって青春時代だ。

個人的には、ジム・クローチの名曲「タイム・イン・ア・ボトル」が一体どんなベイビーフェイス節になっているのか、ものすごく楽しみだ。

■2001年作品『ザ・デイ』

ザ・デイ
ザ・デイ
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ベイビーフェイス
ソニーミュージックエンタテインメント (2001/06/20)
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『ラヴ・ソングス』

ラヴ・ソングス
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ベイビーフェイス ジェラルド・ベラーゴ ハワード・ヒューイット ダナ・メイヤーズ ダリル・シモンズ
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ENT>MUSIC>ARTIST>Babyface


投稿者 吉岡正晴 : 03:33 AM | コメント (0)

August 07, 2007

Etta James Hospitalized

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【エタ・ジェームス入院】

入院。

ヴェテランR&B、ブルーズ・シンガー、エタ・ジェームスが7月末にロスアンジェルスのシーダース・サイナイ病院に入院した。これは、去る6月中旬に腹部の手術をした結果、容態が悪くなり再入院したもの。現在は、容態は安定しており、8月末には退院できるのではないかと見られている。

エタ・ジェームスは、今月からBBキング、アル・グリーンらとのツアーが予定されていたが、エタに代わってシャカ・カーンが参加することになった。

医師は、「もちろん、ツアーに戻るのは彼女の判断だが、実際ツアーに戻るのは、かなり危険だ」と警告している。

エタ・ジェームスは1938年1月生まれの69歳。白人とのハーフ。母親は16歳のときにエタを生んだ。父親は、後に母親がエタに語ったところによると、1930年代以降全米をまたにかけ活躍した有名なビリヤード・プレイヤー、ミネソタ・ファッツだという。

エタのソウルフルな歌唱は、のちにジャニス・ジョプリンに大きな影響を与え、ジャニスをして「あなたのように歌いたい」と言わせた。

最新作は2006年にリリースされた『オール・ザ・ウェイ』。

1992年8月に来日して公演もしている。

■エタ・ジェームス (ベスト・アルバム) 『ゴールド』

Gold
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Etta James
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■エタ・ジェームス自伝 (英語)

Rage to Survive: The Etta James Story
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ENT>MUSIC>ARTIST>James, Etta

投稿者 吉岡正晴 : 03:23 AM | コメント (0)

August 06, 2007

Stevie Wonder Will Kick Off US Tour First In 12 Years

[ ENT>MUSIC>ARTIST>, ENT>MUSIC>LIVE>]

【スティーヴィー・ワンダー全米ツアーへ】

12年ぶり。

スティーヴィー・ワンダーが、約12年ぶり(正確には12年8ヶ月ぶり)に全米ツアーにでる。今回のツアー・タイトルは『ア・ワンダー・サマーズ・ナイト・ツアー』で、現在、13都市でのライヴが予定されている。若干の追加公演がでるかもしれない。チケットは8月1週目から順次発売される予定。オープニングは8月23日のカリフォルニア州サンディエゴ。

スティーヴィーの全米規模のツアーは、1994年12月末から1995年1月にかけての『ナチュラル・ワンダー・ツアー』以来。このときは11都市を回った。単発のライヴやゲスト出演などは数多くあったり、また、日本ツアーはこの間にも何度か行っているが、全米ツアーは久々となる。今回の公演会場はだいたい5000人収容の中規模のホールで、これまでの大規模アリーナではない。

また、スティーヴィーはこのツアー開始に関連して、2007年8月4日付けニューズウィーク誌電子版でインタヴューに答えた。その中で、スティーヴィーは次作のタイトルは『ゴスペル・インスパイアード・バイ・ルーラ(The Gospel Inspired by Lula)』 で、昨年5月に亡くなった母親へ捧げる作品となり、来年(2008年)1月11日の母親の誕生日までにリリースしたい、と言っている。このツアーでも、そのアルバムに収録される予定の作品から歌うつもりだとも述べている。

■インタヴュー記事(2007年8月4日付けニューズウィーク=英語)
http://www.msnbc.msn.com/id/20123598/site/newsweek/

■スティーヴィーの母、死去の記事
June 14, 2006
Stevie Wonder's Mother Died
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200606/2006_06_14.html

■"A WONDER SUMMER'S NIGHT TOUR"公演予定

Aug. 23, 2007 San Diego, CA Humphrey's
Aug. 25 Lake Tahoe, CA Harvey's Lake Tahoe Amphitheatre
Aug. 26 Concord, CA Concord Pavilion
Aug. 28 Santa Barbara, CA Santa Barbara Bowl
Aug. 30 Portland, OR Edgefield Amphitheatre
Aug. 31 Woodinville, WA Chateau Saint Michelle Winery
Sept. 04 Saratoga, CA Mountain Winery
Sept. 05 Los Angeles, CA Greek Theatre
Sept. 10 Chicago, IL Charter One Pavilion
Sept. 12 Detroit, MI Meadowbrook
Sept. 14 Atlanta, GA Chastain Park Amphitheatre
Sept. 16 Baltimore, MD Pier Six Pavilion
Sept. 20 Boston, MA Bank of America Pavilion
-----
Sept. 18 New York, NY Radio City Music Hall
appearing with "The Dream Concert"

+++++

ENT>MUSIC>LIVE>
ENT>MUSIC>ARTIST>Wonder, Stevie

投稿者 吉岡正晴 : 12:30 AM | コメント (0)

July 27, 2007

Kishita Kohshi Will Sing 3 Songs On NHK-FM "Soul Music"

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【木下航志NHK-FM『ソウル・ミュージック』にゲスト出演】

時々刻々。

シンガー、木下航志くんが、8月2日放送NHK-FM『ソウル・ミュージック』(毎週木曜午後11時~12時10分)にゲスト出演する。その収録があり、見学した。

NHKの502スタジオには、昔ながらスタンウェイのピアノがあり、毎日調律されている。これがなかなかいい音をする。本番前に、何曲か木下くんに練習がてら歌ってもらった。

番組内での弾き語り、当初は2曲の予定だったが、リハーサルのときに、8月の品川教会でのライヴで歌う予定曲をちょっと聞かせてもらっていたら、それを聞いたDJの尾臺さんがそれもやってください、とのことで急遽ライヴ3曲とあいなった。

2曲は、3月の『ソウル・サーチン』で歌った曲の一人ヴァージョン。『ソウル・サーチン』のイヴェントにいらした方、また本ブログを読まれている方ならご存知の曲だが、放送前なのでここでは曲名を書かないが、まったく違ったヴァージョンに仕上がっており、びっくりした。ものすごくシンプルながら彼の声が前面にでた、ちょっとゴスペル調の歌いまわしが印象的だ。『ソウル・サーチン』ではバンドだったが、ここではピアノの弾き語りということで、それにしてもこうも変わるかという感じ。

もう1曲は、8月の品川教会でのライヴで初お披露目の予定曲。僕が選曲を提案していたのだが、どれくらいできているか、ちょっと聴いてみたいと思ってやってもらった。元の曲(正確には彼に聞いてもらったCDのヴァージョン)は、ギターを主体とした夏向きのバラードで、ギターソロなども入る作品なのだが、これを見事にピアノに置き換えてやっている。大体、85-90パーセントくらい完成している感じだ。ちょっと英語の発音などで微調整が必要なのだが、この英語に関しては8月の第一週にブレンダ・ヴォーンじきじきの英語発音練習の日が一日か二日あるので、その特訓でかなりレベルがあがるだろう。

で、この問題の曲。最初、やったヴァージョン(これはもちろん録音されていない)と、本番用にやったヴァージョン(これは録音され、放送される)が、もうすでに微妙に違う。ちょっと裏声を使うところがあるのだが、そのアドリブが変わって、思わずおおっと感心した。なんか、日々、いや時々刻々、変化、成長、伸張している感じだ。

ということで、この曲は品川教会でのライヴが初披露のはずだったが、NHK-FMでのほうが世界初公開になった。

この模様は、次週2007年8月2日(木)午後11時からNHK-FM『ソウル・ミュージック』で放送されます。航志くんファンは、ぜひエアチェックの用意を。(笑) 

ENT>MUSIC>RADIO>FM>Soul Music
ENT>MUSIC>ARTIST>Kishita, Kohshi



投稿者 吉岡正晴 : 12:10 AM | コメント (0)

July 24, 2007

Andrea True Connection's "More More More" Story

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【「モア・モア・モア」誕生秘話】

ひょうたん。

来月(2007年8月)ビクターからリリースされる『ディスコ・チャンピオン・リミテッド』というディスコヒットのオムニバスの解説原稿を書いていて、その中におなじみの「モア・モア・モア」があり、いろいろ調べていたらこの曲のおもしろい誕生秘話がでてきた。ライナーノーツではほんの200字程度しか書けないので、このブログでご紹介したい。

この「モア・モア・モア」は、アンドレア・トゥルーという元ポルノ映画スターが歌って放ったヒット。全米では1976年2月からヒットし、ソウルで23位、ポップで4位、ディスコで2位を記録、ゴールド・ディスクになっている。この他に「ニューヨーク・ユー・ガット・ミー・ダンシング」などのディスコ・ヒットがあり、アルバムも3枚出している。

さて、アンドレア・トゥルーは、これまで1952年5月29日テネシー州ナッシュヴィル生まれとされていた。ジョエル・ウィットバーン著のチャートブックではいずれもこの生年月日が紹介されている。ところが、今回調べたところ、アメリカのウィッキペディアによると、ナッシュヴィルは同じなのだが、なんと1943年7月26日生まれとなっているではないか。9歳も違う。しかも、月日もぜんぜん違う。一般的に生年月日は古いほうが真実に近いので、これは彼女は9歳ほどサバを読んでいたのであろうか。まず、これに驚嘆。

彼女はナッシュヴィルの保守的なセント・セシリア・アカデミーという学校で寄宿舎生活をしていた。ここを1956年に卒業。これが本当であれば、1952年生まれはありえない。また1943年生まれでも、13歳だ。もし18歳で卒業していれば、さらに5歳増え、1938年あたりになってしまう。あるいは成績優秀で飛び級で早く卒業できたのかもしれないが。卒業年がもう少し後ろなのか。どうも、このあたりのバイオグラフィーは信頼性に乏しい。

いずれにせよ、卒業後、彼女は映画スターを夢見てニューヨークに向かう。いくつか、小さな役を得ることが出来たが、大きな役は取れなかった。そんな失意の頃、彼女の元にポルノ映画出演の話が舞い込み、これを受ける。以降彼女は多数のポルノ映画に出演、50本以上のポルノにでて、そのほとんどがX指定だ。

生年から考えると、1950年代後半か1960年代の話と思えるが、インターネット・アダルト・フィルム・データベース(しかし、すごいデータベースがあるものだ=(笑))を調べると、彼女がアクティヴだったのは、1971年から1983年くらいまでとある。そして、作品リストがどっとでてきた。28歳で初出演だと1943年生まれになる。この時代、いくつか芸名を持っていた。たとえば、「インガー・キッシン」「アンドレア・トラヴィス」「シン・ロウ」「シング・ロウ」などだ。

さて、1975年、アンドレアはジャマイカの不動産会社のCMに出演することになり、その撮影のために、ジャマイカに向かった。ところが彼女がジャマイカ滞在中に、政治的な変革で、国外への外貨持ち出しが禁止されてしまった。つまり、CMを撮影してもそのギャラをアメリカに持って帰れないというのだ。

そこで彼女は一計を案じた。以前から知り合いだったニューヨークの音楽プロデューサー、グレッグ・ダイアモンドに連絡し、ジャマイカで曲をレコーディングして、そのマスターテープを持って帰ろうというのだ。テープであれば、現金ではないので、国外に持ち出せる。もらったギャラを、当地のミュージシャンたちへのギャラ、スタジオ代などで使ってしまおうというアイデアだ。

グレッグは、急にふってわいた話だったが、とりあえず歌なしのインストゥルメンタル・トラックだけをいれたマスターテープを持ってジャマイカにやってきた。そこで、アンドレアとともに急遽歌詞を書き、現地のホーンセクションなどのミュージシャンを起用してレコーディングを完成させた。

無事このマスターテープをアメリカに持ち帰ったアンドレア・トゥルーとグレッグ・ダイアモンドは、まだミックス(トラックダウン)前のマスターを、「ディスコ・ミックスの父」ことトム・モウルトンに聴かせた。トムはこの作品を気に入り、ミックスをすることを引き受け、「モア・モア・モア」は、「ア・トム・モウルトン・ミックス」で完成。

これは1976年1月に12インチが配布され、瞬く間にディスコで話題を集め始め、ディスコ、ソウル・ラジオ、はてはトップ40でも大ブレイクした。現金を持ち出すことができなくなったおかげでジャマイカでレコーディング・セッションを行い、それが大ヒットに結びついたのだから、音楽の神様はどこでどう微笑むかわからない。まさにひょうたんから駒だ。

アンドレア・トゥルーはその後もディスコを狙った作品をだし、デビュー作に収録されていた「ニューヨーク・ユー・ガット・ミー・ダンシング」などは、ディスコでも大いに受けていた。

3作目がヒットしなかった後、アンドレアは一時期ポルノ業界に戻ろうとしたが、30代中盤を越えていた彼女にはなかなか仕事はこなかった。一方、彼女は喉におおきな腫れ物が出来る病気にかかり、結局、手術をする。このことによって、歌手生命も絶たれ、その後は静かにプライヴェート・ライフを送っていた。

それからおよそ20年後、1999年、カナダのグループ、レンが「モア・モア・モア」のリフを使い、「スティール・マイ・サンシャイン」という曲をヒットさせたことから、再びアンドレアも脚光を浴びることになった。これを機に彼女は「あの彼らは今どこへ」といったテレビ番組などで取り上げられるようになる。VH1が作成した「100グレイテスト・ダンス・ソングス・イン2001」で45位に選出されたり、「VHS1・100グレイテスト・ワンヒット・ワンダー・イン2003」に選出されたりしていた。

その中で、彼女は、「人々に快感を与えた人物として覚えておいてもらいたい。私の音楽でね」といったコメントをしている。ポルノではなく、音楽で快感を与えた、というところがおもしろいところだ。

彼女は現在はフロリダ在住で、星占いなどをしたり、ドラッグ中毒者に対するカウンセラーなどを行っている、という。1943年7月26日生まれだとすると、まもなく64歳である。

■アンドレア・トゥルー・コネクションの『モア・モア・モア』

More, More, More: The Best of the Andrea True Connection
The Andrea True Connection
Capitol (1997/08/26)


ENT>MUSIC>SONG>STORY>More, More, More
ENT>MUSIC>ARTIST>True, Andrea Connection



投稿者 吉岡正晴 : 01:20 AM | コメント (0)

July 23, 2007

"Fortunate Son" Is Book About Bush, Too

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ブッシュ大統領のことを書いた本のタイトルも『フォーチュネイト・サン』】 

慧眼(けいがん)。

「フォーチュネイト・サン」について書いたが、その後わかったのだが、同名の本がでていた。『Fortunate Son: George W. Bush and the Making of an American President 』という現在のブッシュ大統領のことを書いた本。もちろん、親が元大統領のブッシュ、その息子のブッシュは現大統領、まさに曲が歌うところの「フォーチュネイト・サン(幸運な息子)」である。

この本は、2001年に全米発売されたときに、ブッシュ側が発売を差し止めようとしたらしく、10万部が回収されたらしい。現在はペーパーバックなどで発売されている。ブッシュ家の暗部がかなり暴露されているようだ。特にブッシュが最初に石油ビジネスを始めようというときに資金援助をしたのが、ビンラディンのアメリカ代表のような人物だったというあたりはかなり衝撃的。日本版もでている。日本語のタイトルは、『幸運なる二世ジョージ・ブッシュの真実 』。

幸運なる二世ジョージ・ブッシュの真実\
J.H. ハットフィールド James H. Hatfield 二宮 千寿子 真喜志 順子 渋谷 正子
青山出版社 (2001/04)
売り上げランキング: 660873

ところで、「フォーチュネイト・サン」の曲については、アメリカでは、これが誰を指しているのかという話題がでたそうで、たとえば、現在のブッシュ大統領や、アル・ゴアなども上院議員の息子というジャンルで語られることもあるようだ。ただ、この曲を書いたジョン・フォガティーは、一昨日までのブログに書いたとおり、ニクソンとその周辺をイメージして書いていた。もちろん、1969年のことなので、ブッシュの息子などは、まだテキサス州知事にもなっていない。

しかし、この曲が言わんとすることは、1969年に書かれたことであっても、見事に現在にも当てはまるところがすごい。ヴェトナム戦争が、湾岸戦争に、あるいは、イラク戦争に名前が変わっただけだ。イラクに行く米国の兵士にとっては、まさにこの「フォーチュネイト・サン」は、その通りだと強く同意する作品であろう。作者のジョン・フォガティー、まさに慧眼(けいがん)である。

そして、さらにいろいろ調べているとウォルター・モズリーという黒人作家がいて、彼もまた「Fortunate Son」という本を出していることがわかった。これは生まれながらに病気をもったベイビーが成長していく話。2006年に全米で出た。日本版はまだない。

いやあ、『ダイ・ハード』の「フォーチュネイト・サン」からここまで引っ張るとは思わなかった。(笑) もう打ち止めにします。

ENT>MUSIC>SONG>Fortunate Son
ENT>MUSIC>ARTIST>CCR
ENT>MOVIE>Die Hard 4.0


投稿者 吉岡正晴 : 04:16 AM | コメント (0)

July 21, 2007

"Fortunate Son" Story (Part 2): "Die Hard 4.0" Saga Continues 

[ ENT>MOVIE>, ENT>MUSIC>ALBUM>, ENT>MUSIC>ARTIST>]

(昨日からの続き)

【「幸運な息子」(フォーチュネイト・サン)物語(パート2)】

混迷。

ジョン・フォガーティーは、この曲についてこう語っている。

「これはニクソン(大統領)と自分の戦いのようなものなんだ。つまり、権力を持つ者、すべてをもっている者たちとの対決だ。ワシントンに住む連中に対して、僕は大きな車に乗っていて、とても尊敬できるような連中ではない、ネガティヴなイメージを持っていた。ヴェトナム戦争のとき、(人は行かせるのに)自分たち自身は戦争に行かないような連中だ。ドゥワイト・アイゼンハワー(大統領=34代)の孫デイヴィッドのことを思い浮かべていた。彼はニクソンの娘ジュリーと結婚していて、彼らはいかにも金持ちの家のおぼっちゃま、おじょうさまのようだった。

いずれにせよ、最初にバンドにこの曲を聴かせたときはまだほとんど歌詞はできていなかった。コード進行とエネルギーとタイトルの『フォーチュネイト・サン』があったくらいだ。

そして、ベッドルームにいって、フエルトペンでレポート用紙に歌詞を書き始めた。すぐに、it ain't me, I ain't no fortunate son(俺じゃあない、俺は幸運な息子、恵まれた息子じゃない)というフレーズがでてきた。心の中で叫んでいた。声にはださなかったが、3ページにわたって(歌詞を)書いた。ほんの20分くらいで全部書けたよ。

まさに、ニクソンがインスピレーションを与えてくれた作品だ。彼は『名誉ある平和』『わが国を、愛するか、去るか』なんてことを言っていたが、今やこの男がまちがいなく悪魔だったことをみんな知っている」

「1969年当時、国民の8割は戦争肯定派だったんだ。だが、事実を注意深く見守っている連中は、まちがいなく大きなトラブルに向かっていると考えていた。僕はニクソン支持でもなかったし、政治家の息子たちが戦争に行かないことも知っていた。僕はその頃23歳で、なんでもない普通の若者たちは、彼ら自身が戦争反対の考えをもっていても戦争に行かなければならないのに、権力者の息子たちはそんなことすら考えなくてよかったんだ。彼らは恵まれていたよ、幸運だったんだ。そういう連中は「(戦争は)アメリカのためになる」と言っていたが、その子供は誰一人戦場には行っていない」(コメントは、クリーデンスの非公式バイオ・ブックに掲載されたジョンのもの)

戦争肯定派と反戦派。それぞれが入り混じった1969年。混迷の時代の傑作だ。

というところで、「フォーチュネイト・サン」の訳詞を「ダイ・ハード・ヴァージョン」でやってみました。(冒頭の4行の部分は、ダブルミーニングです)

+++++

Fortunate Son (John Forgerty)
フォーチュネイト・サン(ダイ・ハード・ヴァージョン訳詞)
訳・ザ・ソウル・サーチャー
(オリジナルの歌詞は7月19日付けにあります)

生まれながらに愛国心いっぱいの連中がいる
(生まれながらに国旗を振るのが大好きな連中がいる)
共産主義者でも、保守派でも、無党派でも
(その星条旗の色は赤、白、青)
バンドが『ヘイル・トゥ・ザ・チーフ』(大統領のために演奏する楽曲。チーフ=大統領に忠誠を、といった意味)を奏でるとき、国は実はおまえに大砲を向けてくるんだ、神様

俺は違う、俺は国会議員の息子なんかじゃない
俺はぜんぜん恵まれてない、俺は世界一運のない男

金持ちの家に生まれる連中もいる
奴らを助けることなんかない
税務署が(金持ちの家に)来たときは、家は投売り後のようにもぬけの殻さ

俺は違う、俺は大金持ちの息子なんかじゃない
俺にはツキがない、俺は世界一運のない男

熱烈なアメリカ愛国の魂を持った連中がいる
でも、そんな連中はおまえたちを戦場に送り込むだけ
国民がどれだけ(戦場に)人を送ればいいかと尋ねれば
彼らは答える。「もっと、もっと、もっと(多くの国民を)」と。

俺は違う、俺は軍人の息子じゃない
俺にはツキがない、俺は世界一運のない男

俺にはツキがない、俺は世界一運のない男
ツキがない、俺は世界一最悪の、不幸の星の元に生まれた男なんだ

(訳・ザ・ソウル・サーチャー)

■「フォーチュネイト・サン」収録のCCRの傑作アルバム、通算4作目『ウィリー・アンド・ザ・プア・ボーイズ』

Willy and the Poor Boys
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ENT>MUSIC>SONG>Fortunate Son
ENT>MUSIC>ARTIST>CCR
ENT>MOVIE>Die Hard 4.0

投稿者 吉岡正晴 : 12:10 AM | コメント (0)

July 20, 2007

"Fortunate Son" Story (Part 1): "Die Hard 4.0" Saga Continues 

[ ENT>MOVIE>, ENT>MUSIC>ARTIST>, ENT>MUSIC>SONG]

(昨日の『ダイ・ハード4.0』からのつづき)

【「幸運な息子」(フォーチュネイト・サン)物語(パート1)】

反戦。

昨日『ダイ・ハード4.0』のエンディングで、CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル)の「フォーチュネイト・サン」がかかったのを機に、彼らのベストCDをひっぱりだして聴いた。

そのCCRは、1960年代後期のまさにアメリカの気分を表現していたグループだ。ヒッピー発祥の地、サンフランシスコを本拠に活躍したが、音楽的にはアメリカ南部のスワンプ・ロック、黒人のブルーズ、ソウルなどの影響を多大に受けていた。

その頃のヒッピーは、反戦、反体制が主流で、クリーデンスもそうしたヒッピー、反体制のスピリットを持った作品を多くだした。この「フォーチュネイト・サン」も反戦歌的側面をもつし、彼らの大ヒット曲「ハヴ・ユー・エヴァー・シーン・ザ・レイン(邦題、雨をみたかい)」は、ヴェトナム戦争への明らかな反戦歌だった。

この「フォーチュネイト・サン」は、これまでにもいくつかの映画で使われていた。たとえば、『フォーレスト・ガンプ』で、またワイクリフ・ジーンのカヴァー・ヴァージョンが映画『マンチュリアン・キャンディデート』でも使われている。

カヴァーも、ワイクリフ・ジーン以外にも、ボブ・シーガー、パール・ジャム、U2、.38スペシャル、ブルース・スプリングスティーンなどが歌っている。

さて、「フォーチュネイト・サン(幸運な息子、恵まれた息子)」について調べてみると、けっこうおもしろかったのでご紹介したい。

この「幸運な息子」とは、1969年当時戦争が激しさを増して、全米の若者たちが次々徴兵されていたときに、有力政治家の息子や金持ち、権力者の息子たちはコネによって、徴兵を免れたり、徴兵されても前線ではなく比較的安全な場所に配属されるよう裏で話をつけられていたことについて歌っている。

曲の作者であり、クリーデンスのリード・シンガー、ジョン・フォガティーはこの曲のモデルをアイゼンハワー大統領(第34代)の孫、デイヴィッド・アイゼンハワーのことを想定して書いたという。そのデイヴィッドは1968年12月、リチャード・ニクソン大統領(第38代)の娘ジュリー・ニクソンと結婚した。デイヴィッドは、そうした特権を利用していわゆるネイヴィー・リザーヴ(予備兵役軍)という前線ではなく比較的安全な職務についた。

この曲自体は、もともと徴兵される男の目線で書かれたもの。そして、ヴェトナム戦争反対の立場でもある。しかし、すでに前線に行った兵士たちには士気を上げ、がんばるよう応援の意味がある。結局は国会議員の息子ではないために、戦場に送られてしまった不運な男の視点での歌になっている。

(この項、明日へ続く。明日のブログでは『フォーチュネイト・サン』の訳詞をお送りします)

ENT>MUSIC>SONG>Fortunate Son
ENT>MUSIC>ARTIST>CCR
ENT>MOVIE>Die Hard 4.0

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投稿者 吉岡正晴 : 12:41 AM | コメント (0)

July 19, 2007

Hey, Hey, John McClane Never Dies: He's Fortune One At The End

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ジョン・マクレーン君は世界一不運の男か幸運の男か】

幸運。

公開中の映画『ダイ・ハード4.0』を見た。

ダイ・ハード・マン、ジョン・マクレーン(ブルース・ウィリス)が、護送中のコンピューター・ウイザード(コンピューターの天才)のマット・ファレル(ジャスティン・ロング)と車で移動している。カーラジオから、CCRの「フォーチュネイト・サン」(1969年11月からヒット。シングル「ダウン・オン・ザ・コーナー」のB面)が流れてきた。マクレーンが「クリーンデンスだ」と言ってヴォリュームをあげる。すると、ファレルは「そんな昔の音楽を・・・」と小ばかにする。マクレーンはその台詞に無言でさらにヴォリュームをあげる。ファレルがいやな顔をする。

この曲は1960年代後期から1970年代中期くらいまで大人気だったクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルという長い名前のロック・グループの作品のひとつだ。おそらくデジタル世代のファレルはもっとコンピューターで打ち込まれたような音楽が好きなのだろう。こうしたアナログの「一時代も前のロック」はあまりに古臭く感じたに違いない。

僕は、このシーンがけっこうデジタルなファレルとアナログなマクレーンをうまく象徴してるように思えて、気に入った。ま、単純にクリーデンスを好きなマクレーンが好きってだけかもしれないが。(笑)

さて、『ダイ・ハード4.0』の最後、無事一件落着しエンディング・クレジットになるところで、再びクリーデンスの「フォーチュネイト・サン」が流れてきた。つまり、エンド・テーマだ。うまいねえ。

この「フォーチュネイト・サン」は、歌詞をよく調べてみると、「I ain't no fortunate one, no,(俺は、決して運のいい息子じゃないぜ)」というもの。世界一運の悪い男=ジョン・マクレインにはぴったりのテーマではないか! 

ところで、この映画のタイトル、日本ではシンプルに『ダイ・ハード4.0』だが、アメリカでは『Live Free or Die Hard』となっている。この英語は、アメリカのニューハンプシャー州の州のモットー「Live Free or Die(自由に生きるか、さもなくば死を=自由がなければ、死んだほうがまし)」をもじったものだという。ただ、このフレーズはアメリカ以外ではわからないために、アメリカ以外の世界では「ダイ・ハード4.0」というタイトルで公開されたそうだ。

でも、世界一運の悪い男といっても、結局、あれだけ危機一髪を乗り越え、生き延びてるんだから、He's a fortunate son (彼は幸運な男)ではないだろうか。(笑) ジョン・マクレーン、サイコー! 

CCRベストアルバム

CREEDENCE CLEARWATER REVIVAL:CHRONICLE THE 20 GREATESTHITS
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Creedence Clearwater Revival
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Creedence Clearwater Revival
Festival (2001/11/06)
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■ダイ・ハードDVDボックス

ダイ・ハード 新生アルティメット・コレクションBOX(「ダイ・ハード」スペシャル・ディスク付)\
20世紀フォックスホームエンターテイメントジャパン (2007/06/16)
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Fortunate Son (2:25) (Written by J.C.Fogerty)

Some folks are born made to wave the flag,
Ooh, they're red, white and blue.
And when the band plays hail to the chief,
Ooh, they point the cannon at you, lord,

It aint me, it aint me, I aint no senators son, son.
It aint me, it aint me; I aint no fortunate one, no,

Yeah!

Some folks are born silver spoon in hand,
Lord, dont they help themselves, oh.
But when the taxman comes to the door,
Lord, the house looks like a rummage sale, yes,

It aint me, it aint me, I aint no millionaires son, no.
It aint me, it aint me; I aint no fortunate one, no.

Some folks inherit star spangled eyes,
Ooh, they send you down to war, lord,
And when you ask them, how much should we give?
Ooh, they only answer more! more! more! yoh,

It aint me, it aint me, I aint no military son, son.
It aint me, it aint me; I aint no fortunate one, one.

It aint me, it aint me, I aint no fortunate one, no no no,
It aint me, it aint me, I aint no fortunate son, no no no,

ENT>MUSIC>ARTIST>CCR
ENT>MOVIE>Die Hard 4.0
ENT>MUSIC>SONG>Fortunate Son

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投稿者 吉岡正晴 : 02:30 AM | コメント (0)

July 17, 2007

Janet Jackson Moves To Island Urban

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ジャネット・ジャクソン、アイランドへ移籍】

移籍。

ジャネット・ジャクソンが、これまでのヴァージン・レコードからアントニオ・LA・リードのアイランド・アーバン・レーベルへ移籍した。アイランド・アーバンの社長は、現在のジャネットのボーイフレンド、ジャーメイン・デュプリ。昨年、デュプリが同レーベルの社長に就任したのを機にジャネットの同レーベルへの移籍がうわさされていた。すでに、ほんの何週間か前からジャネットは新録のためスタジオ入りしている。

このプロジェクトのA&R(制作担当)は、アントニオ・リードじきじきにてがけ、デュプリはかかわらないという。デュプリは、アイランドのもうひとりの歌姫、マライア・キャリーの新作をてがけることになる。アイランドは、ジャネットとマライアという強力なディーヴァふたりが顔を揃えるという珍しい例になる。普通ひとつのレーベルには、同種のシンガーは置かない。ジャネットのヴァージンにおける最後の2枚『ダミタ・ジョー』と『20 Y.O』はどちらも不本意な成績に終わった。一方、マライアの前作『エマンシペーション・オブ・マライア』(2005年)はひじょうによく売れ、グラミー賞にも多数ノミネートされた。マライアも奇しくもヴァージンからアイランドに移籍している。マライアはヴァージンでは失敗作『グリッター』(2001年)1枚をリリースし、契約を解除した。

マライアのアルバム、ジャネットのアルバム、ともに年内発売を目指すが、お互いによい競争になるだろう、としている。

一方、デュプリは自身の自伝本『ヤング、リッチ・アンド・デンジャラス、マイ・ライフ・イン・ミュージック』を10月にリリースする予定だ。

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ENT>MUSIC>ARTIST>Jackson, Janet

投稿者 吉岡正晴 : 01:10 AM | コメント (0)

July 16, 2007

Carlos Kanno's Tropical Jazz Orchestra

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【カルロス菅野さん、熱帯ジャズ楽団】  

トロピカル。 

『ソウル・ブレンズ』(インターFM、毎週日曜午後3時~5時)に昨日は二組のゲストが登場。最初がダンス★マン、そして、新譜をだした熱帯ジャズ楽団のリーダー、バンマスであるカルロス菅野さん。熱帯の新譜は、『熱帯ジャズ楽団XI~レッツ・グルーヴ』というもので、タイトル通り、グルーヴがコンセプト。スタッフ側から、なぜか「トロピカルなトークをお願いします」とのこと。(笑)  

1995年に結成して、12年、11作目のアルバムとなるここには、「レッツ・グルーヴ」や「ピック・アップ・ザ・ピーセス」、そして、「愛がすべて」などの超有名大ヒットがラテン調にアレンジされ収められている。 

この楽団のアレンジは3人によって行われており、菅野さんはまさに「選曲をし、アレンジャーを決め、そして、録音する」という仕事をするバンド・マスター。ということは、クインシー・ジョーンズと同じですね、と向けると「クインシーほど、仕事してません。(笑) せいぜい、スマイリー小原さんくらいです(笑)」との謙遜の答え。スマイリーさんは「踊る指揮者」の異名を取る、ビッグバンドの指揮者だ。でも、バンドマスターになるには、やはり、それなりのリーダーシップがあるような気がするのだが・・・(笑)。 

菅野さんが選んだ楽曲のひとつはウェザー・リポートの「エレガント・ピープル」。これはさすがにアレンジが凝っていて、アレンジの打ち合わせもなんどもファイルのやりとりをして完成させたそうだ。 

ところで、オンエア―で菅野さんがかつて在籍していたバンド「オルケスタ・デラ・ルス」のことを「デラ・ソル」と言ってしまいました。すぐ菅野さんに「デラ・ルス」と訂正していただきましたが、どうも、似ている語感のものって間違えてしまいます。すいません、菅野さん。(苦笑)

ところで、「トロピカル・トーク」になったであろうか。(笑) 

熱帯JAZZ楽団 XI~Let’s Groove~
熱帯JAZZ楽団
ビクターエンタテインメント (2007/06/16)
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ENT>MUSIC>ARTIST>Carlos Kanno

投稿者 吉岡正晴 : 01:53 AM | コメント (0)

July 11, 2007

Dance★Man: First Album In Three Years

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ミラーボール星人のプライド】

プライド。

昨日、静岡K-MIXで放送されている『ブギー・ナイツ』(DJ大西貴文=毎週金曜午後7時~)という番組に、一宇宙人のゲストがやってきた。はるばる3億光年のかなたからやってきたダンス★マンだ。でっかいアフロヘア、はだけた胸元から飛び出す胸毛、ミラーボール星人ならではの濃ゆ~~いヒゲともみあげ。宇宙旅行にはかなりの時間がかかって時差ぼけなどないだろうかと心配したら、それには及ばなかった。ダンス★マン曰く「(瞬時に)ワープしてきますから」 インタヴューには、よどみない日本語で答えた。

7月11日に最新作『ダンス★マン・リターンズ』がリリースされ、そのプロモーションの一環だ。DJの大西さんが「では、ダンス★マンをご紹介しましょう」というと、開口一番、「みゃおおおおっ」。

最新作からの一押し曲は「シャツたたんで収納」。これは、ジョージ・デュークの大ヒット「シャイン・オン」を高度な空耳で完成させた。ダンス★マンによると、これは「もともとは『社員採用』という言葉でずっと暖めていたんですが、どうしてもその先が続かなくて。で、あるときツアーで同室になりたくないのは誰だっていったときに、ダンス★マンが一番になったんですよ。ま、とにかく、片付けができない。散らかす。水周りがきたない。そこで「収納」って言う言葉がでてきて。そうしたら、またたくまに、その後の言葉がぽんぽんでてきて完成したんです。まあ、ご縁があるというか」だという。

パーフェクト空耳スト・ダンス★マンとしては、ただタイトルだけ空耳で歌詞全体がちゃんとしてないと、そういうのは、許せない、と。最初の「社員採用」は、ダンス★マン的には「レベルの低い空耳度」だったという。ダンス★マンは一言で言い切った。「(いろいろ作ってくると、確かに)レベルの低いものから、高いものまでいろいろあります。低いものは、ただの替え歌です(きっぱり)」。

なるほど。空耳にかけるダンス★マンのプライドを見た! 

ちなみに、この曲、バックコーラスに耳をこらすとゴスペラーズの面々とズーコまで参加している。「ということは、ダンス★マンがゴスペラーズに歌唱指導したんですか」と尋ねると「いや、指導というか、こういう感じてって一言言うと、こうしようか、とか、こんな感じのハモリでどう、なんてどんどんすぐにできちゃうんですよ。たぶん、1-2テイクでできたんじゃないかな」とのこと。

「ところで、ミラーボールでは、こうしたダンス、ディスコ曲とか、ユーロビートなんかもはやってるんですか」と尋ねると、「いや、個人的にはユーロビートみたいのは、あんまり好きじゃないんですが・・・」とのこと。どうやら、たとえば、「ジンギスカン」みたいな曲は、昔は死ぬほど嫌いだったけど、もはや、「敵はそこにはない」と確信するに至ったらしい。最近「ヘヴィーメタル系」のほうが、音楽的に熱く、怖いと感じているそうだ。

どうやら元々はブラックのファンク好きだったらしく、「ジンギスカン」のような曲は見下ろしていたらしい。なるほど、ここにもダンス★マンのダンスミュージックにかけるプライドを見た! 

■ダンス★マン・ウェッブ
http://danceman.jp/index.html

■ダンス★マン リターンズ

ダンス☆マン リターンズ
ダンス☆マン
インディペンデントレーベル (2007/07/11)
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■ダンス★マン、ソウルパワー(7月30日、31日武道館、8月11日大阪)に出演。また2007年9月9日(日)『サマー・ファンク・フェスティヴァル」(横浜ランドマーク・ホール)で主演する。

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投稿者 吉岡正晴 : 02:00 AM | コメント (0)

July 05, 2007

Soul Of Piano: Fujiko Hemming Turned Grief Into Gold

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【悲しみを黄金に変えるピアニスト、フジ子ヘミング】

黄金。

楽譜とは、音の高さ、長さをメモ書きしたものにすぎない。楽譜とは、小説や文章で言えば、ただの一文字の羅列だ。

文章をコンピューターが読むと、ひじょうに平板になる。よくある機械音が話すような抑揚がない感じだ。しかしナレーション、朗読が上手な人が読めば、心がこもる音になり物語に血が通う。文章をどのように上手に読むか、それはその読む人、声を出す人の心、気持ち、ソウルにかかってくる。歌も同じだ。歌詞カードに書かれた文字は、どのような文字で書かれていても、みな同じである。しかし、そこに感動が吹き込まれるのは歌い手によって「命」が与えられるからだ。

日曜日(2007年7月1日)にテレビ朝日系列で放送された『永遠のカンパネラ~フジコ・ヘミング愛と魂の200日~』がなかなかおもしろかった。その中で美輪明宏との対談で、クラシック・ピアノ奏者フジ子ヘミングは、とある音楽評論家が彼女のショパンの演奏を、楽譜で書かれた音符よりも何倍も演奏して何事かと批判的に書いていたことを笑っていた。

彼女と美輪明宏の言葉には、いくつも素晴らしいメッセージがあった。そのいくつかをアットランダムに。

フジコ。「ごはんは残すのが嫌い。米粒ひとつ残すのも嫌い。そういう風に母、祖母に育てられたんですよ。あるとき、ごはん粒をこぼして、納屋にいれられたことがあった。でも、あれはいい教育だったと思いますね。今、日本のレストランってたくさん物を残すでしょう。あれだけのものがあれば、どれだけ世界中の人を救えるのか。どうなっちゃってるんでしょうねって思いますね」

フジコ。「ある音楽評論家が、私のショパンを聞いて、楽譜では四分音符なのに、なぜ、フジコは3倍も伸ばすのかって批判してた。譜面にかかれている中から詩を読み取って、人に涙を流させる演奏をするのが、演奏家の才能であってね。譜面にないことをするのが、演奏家なんですよ(笑)」

美輪。「初めてテレビであなたの演奏を見て、それからCD買って聴いて、演奏会に行って、いつも言うんだけど、あなたの音楽は『現代のもの』とは思えないって。それに感動しちゃってね・・・。(あなたの音楽の素晴らしさは)時代とか、人間性とか、(あなたが持つ)美意識だと思う。美しいものに対する感度ね・・・」

フジコ。「ミシャ・マイスキー(ラトビアの世界的チェロ奏者)が(私のピアノを聴いて)別世界だと言ったそうよ」

フジコ。「自分の演奏を、(上手に弾いて)聴かせてやろうなんて思うと、必ず間違える。神様のバチがあたるのね。いったい、神様、どこで見てるんだろうって(笑)」

フジコ。「(ピアニストとしていい演奏をしても)ずっと認められないで終わる人もたくさんいますよ。でも私の場合(幸運にも)一夜にして認められた。きっと、神様が私のために(そういう)プログラムを作っておいてくれたんだと思う。いつも、周りの人に愛を与えなさい、って言われてたから、そうしてきた。それをやってれば、神が助けてくれますよって。モーツァルトは、(晩年不遇で)死んでしまったけど、私は生きて、今こうしている・・・」

フジコ。「相手を受け入れるということをすれば、戦争なんか起きないわよ。相手が気に入らない、ってことがあるからいさかいが起こる」

美輪。「音楽というのは、情緒とか心とか、そういうプラス・アルファだと思うんですよね。人間が持っている心、魂、ロマンとか、そうしたものがその指先から出て、ピアノに伝わって振動となってお客さんの心に波動として伝わる。お客さんにそういう受信機があれば、その波動が伝わる。つまり、それは『精神の波動』ね。メカニックのようなものと音楽という芸術のようなものは、まったく対極にあると思う。そうしたメカニックな(心が通っていない)ものばっかりに触れていると、若い人は精神的、神経的におかしくなってしまうのではないかしら。そこには潤い(うるおい)とか、美意識とか、情緒とかそうしたものがないから。だから、平気で人を傷つけたり、殺したりして『なんでいけないの』ってなことになってしまうんだと思う」

フジコ。「私は自分のピアノ聴いて、泣くなんてことはない。泣くなんて浅いですよ。若い頃、涙が枯れるくらい本当に泣いたからね。(笑)(数々の自分の苦難の歴史による)悲しみが、私(の場合)は、黄金になったからね。今、思い出したら、よかったと思いますよ。(あの頃のことが)私の雨となり、血となって、汗となって、私の体に入り込んだんだから。あれがなかったら(何もない)」

芸術家、アーティストという職業は、どんな苦しいこと、悲しいこと、そして、うれしいことが何十年と続いてもそれを黄金に変えられる唯一の職業である。だから、これ以上どん底はない、悲しい、苦しいと思ったら、職業をアーティストにしてしまえばいい。

彼女のピアノは「魂のピアノ」と呼ばれる。

彼女はその「魂のピアノ」を弾く自分の指を「大根のような指」という。

彼女は60歳を超えてから注目されるようになった。

彼女は「黄昏(たそがれ)」が好きだ。特に10月の。

彼女は20匹近くのネコと1匹の犬とともに(日本では)下北沢に暮らしている。

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フジ子・ヘミングの奇蹟~リスト&ショパン名演集~
フジ子・ヘミング リスト
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おすすめ度の平均: 4.0
5 哀しいときに
5 染み入る。
4 せつなく響く音色にうっとり?
奇蹟のカンパネラ
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フジ子・ヘミング リスト
ビクターエンタテインメント (1999/08/25)
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おすすめ度の平均: 4.5
5 出会い
4 儚さと美しさ
5 不思議に心が落ち着きます


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フジ子ヘミングの表記は、フジコ・ヘミング、フジ子・ヘミングなどがあります。また英文字表記は、Fujiko Hemming が一般的ですが、正確にはIngrid Fuzjko Von Georgii-Hemming とFuzjkoになるようです。

ENT>MUSIC>TV>Hemming, Fujiko
ENT>MUSIC>ARTIST>Hemming, Fujiko


投稿者 吉岡正晴 : 02:11 AM | コメント (0)

July 04, 2007

Sly & Family Stone Reunion: Hit The European Tour

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【スライ&ファミリー・ストーンこの夏再結成】

奇跡。

1960年代後期にサンフランシスコで結成され、ファンクとロックを融合し独特のサウンドを作り上げたスライ・ストーン率いるスライ&ファミリー・ストーンがグループを久々に結成。この夏10都市でのヨーロッパ・ツアーを敢行する。

日程は次の通り。下記リストは2007年7月、()内が日にち。7月12日イタリアのウンブリア・ジャズ・フェスがトップを飾る。

Umbria Jazz - Umbria, Perugia, Italy (July 12)
Montreux Jazz Festival - Montreux, Switzerland (July 13)
Blue Note Festival - Gent, Belgium (July 14)
North Sea Jazz Festival - Rotterdam, Holland (July 15)
Nice Jazz - Nice, France (July 19)
Pori Jazz festival - Pori, Finland (July 20)
Lovebox Weekender, London, England (July 21)
Olympia Hall - Paris, France (July 23)
Jazzaldia - San Sebastian, Spain (July 27)
Opera House, Bournemouth Opera House (July 28)

スライ・ストーンは昨年2月のグラミー賞に2分少々顔を見せたが、それだけでも話題を集めた。イギリスでのライヴが行われるのは、1987年以来20年ぶりとなる、という。おそらく、ツアーもそれ以来、また、スライが入るものとなると、それ以上ぶりのことになるのだろう。

今年のヨーロッパで行われるジャズ・フェスの大きな目玉となりそうだ。

グループには、オリジナル・メンバーのシンシア・ロビンソンなども参加するが、ベース奏者のラリー・グラハムの名前は見えない。

スライについては、過去10数年、実質的な活動がなく、ドラッグ中毒でなかなか再起できないのではないかとうわさされていた。そこで昨年、グラミーにほんの瞬間だったが、登場したことは大きな期待を抱かせた。1970年代には数々のどたキャンなどを見せてきたスライたち、果たしてツアーは無事終了するか、大いに注目される。しかも、ライヴがよかったりした場合、奇跡の復活ということになりそうだ。

□スライ&ザ・ファミリー・ストーン 『暴動』アルバム(紙ジャケ)

暴動(紙ジャケット仕様)
スライ&ザ・ファミリー・ストーン
Sony Music Direct (2007/05/02)
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おすすめ度の平均: 5.0
5 持ってても、買いです。
5 静かな音の洪水
4 アホか?

ENT>MUSIC>ARTISTS>Sly & Family Stone

投稿者 吉岡正晴 : 01:59 AM | コメント (0)

June 29, 2007

Enamel Brothers : Alter Ego Of Ronald Isley

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【エナメル・ブラザース、ロナルドの分身】

分身。

7月11日にいよいよ正式メジャー・デビューを果たすエナメル・ブラザース。ブラザー・スズとブラザー・クロの二人組ユニットだ。昨年の『ソウル・パワー・サミット』で突如現れたナゾの二人組。そのときは、アマチュアだった彼らが念願かなって一年かけてプロとなり、メジャー・デビューである。

そのアーティスト写真がこれだ! ↓
http://www.enamelbrothers.com/

おおおおっ、まさにロナルド・アイズレー! このステッキは?? 

そうか、2004年3月、ブラザー・スズとブラザー・クロは、ブルーノートでアイズレイ・ブラザースのライヴを見た。それぞれ別々に来ていたが、そこで顔をあわせたことで意気投合。ブラザー・スズが、「このエナメル・ブラザースは、ロナルド・アイズレーに導かれた」と語るように、いつしか二人はユニット結成への道を歩み始める。

そして、2006年7月、『ソウル・パワー・サミット』でその全貌を現した。そのときは「ダブル・ダイナマイト」の異名をとるスタックス・レコードの人気ソウル・デュオ、サム&デイヴの「ソウル・シスター・ブラウン・シュガー」などを歌った。しかし、このときはまだアマチュアの新人であった。「もし、このユニットに興味があるメジャー・レーベルがあれば、ぜひお声がけを」と宣言。それから1年。お声がけがあった。

7月の『ソウル・パワー2007』では、アマチュアから一歩抜け出し、プロとして、メジャー・レコード・アーティストとして晴れ舞台に立つ。前回出場時は私物だった白いスーツとエナメル・シューズ。今度のデビューにあたって白いスーツはオーダーメード。白黒のエナメル・シューズも特注で作った。おっと、黒光りするステッキはブラザー・スズの私物だそうで。さあ、気合がはいった。

She’s My Girl
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エナメル・ブラザーズ
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投稿者 吉岡正晴 : 01:13 AM | コメント (0)

June 15, 2007

Otis Redding: 66th Birthday, 40th Anniversary Of Death

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【オーティス・レディング、死去40周年】

脚光。

「R&Bグレイト」「ソウル・ジャイアンツ」「天才ソウル・シンガー」として一時代を築いたオーティス・レディング(1941年9月9日~1967年12月10日、26歳)の66回目の誕生日を記念した複数のイヴェントが計画されている。これはスタックス・レコードの設立50周年とその再活動、またオーティス死後40周年とも連動して、オーティスの誕生月9月に行われる。

一番主要なイヴェントとなるのは、2007年9月14日にジョージア州メイコンで行われる『イヴニング・オブ・リスペクト~フィーチャリング・デクスター・アンド・オーティス3世』と題されるトリビュート・イヴェント。この日はバックをメイコン・シンフォニー・オーケストラが担当し、デクスターらオーティスの息子だけでなく多くの著名R&Bシンガーたちが参加する。

これは、オーティス未亡人であるズレマ・レディングさんが設立した「ビッグO(オー)ユース・ファンデーション」への寄付を目的としたものになる。

同時に、ジョージア・ミュージック・ホール・オブ・フェームでオーティス・レディングの写真展も開催される。ここでは多数の写真のほかに直筆の歌詞の下書きなども展示される。この展覧会は、9月14日から翌2008年9月10日までほぼ一年間行われ、その後は2009年くらいまで全米各地で展示される予定だ。

また、オーティス・レディングを主人公にした伝記映画の製作の話も進んでいる。死後40年を経て、今年はオーティス・レディングに脚光が集まるようだ。

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ブレンダ。

この記事を読んで、そういえば、ブレンダ・ヴォーンがオーティス・トリビュートをやると言っていたのを思い出して連絡してみた。やはり、ブレンダはこれに参加して、デクスターと一緒にオーティスとカーラ・トーマスのデュエットでヒットした「トランプ」を歌う予定だという。

ブレンダによれば、その数日前に「ビルボード・ミュージック・アワード」があり、そこでもオーティスへのトリビュートがあるらしい、という。ブレンダはビルボードから見に行く予定だ。

今年は、メンフィスにあったスタックス・レコード創設50周年ということで、スタックスの再活動が大きな話題になっている。スタックス50周年イヴェント、オーティス・イヴェントといつになく南部のソウルが熱い年になってきた。

ブレンダは、ぜひこの「オーティス・トリビュート」を日本でも行いたいと希望している。となると、12月10日前後に、デクスターたちを招いてのライヴ・イヴェントということになるかもしれない。

ENT>MUSIC>ARTIST>Redding, Otis

投稿者 吉岡正晴 : 02:09 AM | コメント (0)

June 12, 2007

Temptations: History Of Members Changing

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【テンプテーションズのメンバー変遷】

複数。

先日の「スマスマ」に登場していたフェイク・シュープリームス、テンプテーションズに関連して、シュープリームスに続いて、テンプテーションズのメンバー変遷をまとめてみよう。かなり複雑なので、エクセルかなにかで一覧表にしたほうがわかりやすいかもしれない。(笑)

1955年、ザ・プライムス(エディー・ケンドリックス、ポール・ウィリアムスほか)とザ・ディスタンツ(オーティス・ウィリアムス、エルブリッジ・アル・ブライアント、メルヴィン・フランクリン、リチャード・ストリートほか)という二つのヴォーカル・グループがデトロイトで活動を始めた。この二つのグループが合体して、ひとつのグループになった。この時は、エルジンズと名乗ったが、同名のグループがいたために、検討の結果、テンプテーションズに。1961年3月、モータウンとテンプテーションズとして契約。このときのラインアップは、オーティス・ウィリアムス、エルブリッジ・ブライアント、メルヴィン・フランクリン、エディー・ケンドリックス、ポール・ウィリアムスの5人だった。この頃のリードは、ポールとエディーが中心で、一部でその他3人が歌っていた。

1963年12月、エルブリッジ・ブライアントが昼間の仕事に専念するためにグループを脱退、後任にデイヴィッド・ラッフィンが加入。1964年1月、「ザ・ウェイ・ユー・ドゥ・ザ・シングス・ユー・ドゥ」発表。見事なヒットに。1964年12月、世紀の名曲「マイ・ガール」発表。このリードがデイヴィッドで、以後デイヴィッドのリード曲が増え、それにともない彼の人気も急上昇。しかしその後、デイヴィッドのエゴが増大。結局、解雇に。

1968年6月、デイヴィッドが解雇され、デニス・エドワーズが加入。その後1969年頃から、オリジナル・メンバーのポール・ウィリアムスの体調が悪くなり、なかなかステージでもしっかりしたパフォーマンスが行えず、ステージ横でリチャード・ストリートが彼の部分を影で歌うようになった。1970年11月、エディー・ケンドリックスがそれまでのグループ内での待遇に不満を持ち、脱退しソロへ。エディーの後釜はリッキー・オーエンス。しかし、すぐになじまず脱退。1971年4月、体調不良のポールが正式に脱退。リチャード・ストリートが正式に再加入。ポールは1973年8月17日、34歳で自殺。

ポールに代わって、デイモン・ハリスが参加。この時点でラインアップは、オーティス・ウィリアムス、デニス・エドワーズ、メルヴィン・フランクリン、リチャード・ストリート、デイモン・ハリス。

1974年秋、アルバム『ア・ソング・フォー・ユー』レコーディング時期に、デイモン・ハリスが不適切な態度が続いたため解雇。グレン・レオナードが参加。

1976年、『ザ・テンプテーションズ・ドゥ・ザ・テンプテーションズ』のレコーディング後、デニス・エドワーズが脱退。後任にルイス・プライス。

この後、テンプスはアトランティックと契約、2枚のアルバムを発表するが、1980年、再びモータウンへ。

ルイス・プライスが脱退し、それまでソロシンガーとして活動していたデニス・エドワーズが復帰。

1982年、エディー・ケンドリックス、デイヴィッド・ラッフィンを迎えた『リユニオン』企画が実現。

1983年、グレン・レオナードが脱退、ロン・タイソンに交代。

1984年、デニスが再度脱退(事実上の解雇)。アリ・オリ・ウッドソンが加入。同年、アース・ウインド&ファイアーのアル・マッケイ・プロデュースの「トリート・ハー・ライク・ア・レイデイ」が誕生。

1987年、アリ・オリが脱退し、デニス・エドワーズが3度目の加入。そのときできたアルバムが、『トゥゲザー・アゲイン(再び一緒に)』。

しかし、1989年秋、デニスは再度解雇。アリ・オリが再度参加。同年、テンプスが「ロックンロール殿堂」入り。このとき表彰されたのは、オーティス・ウィリアムス、メルヴィン・フランクリンのほか、デニス・エドワーズ、デイヴィッド・ラッフィン、エディー・ケンドリックスだった。これを機に、「ラッフィン、ケンドリック、エドワーズ、フォーマー・リーズ・オブ・ザ・テンプテーションズ」というグループができて、何本かツアーをした。

しかし、デイヴィッドは1991年6月1日、ドラッグのオーヴァードーズで死去(50歳)、エディーは肺がんを患い1992年10月5日死去(52歳)した。

1993年、リチャード・ストリートが脱退、セオ・ピープルスが参加。1995年2月23日、メルヴィン・フランクリン、死去(52歳)。しばらく4人で活動後、ハリー・マクギルベリーが加入。

1996年、アリ・オリが体調問題で脱退、テリー・ウィークスが参加。この時点でのメンバーは、オーティス・ウィリアムス、ロン・タイソン、セオ・ピープルス、ハリー・マクギルベリー、テリー・ウィークス。このメンバーで、『スーパーボール』に登場した。

1998年、セオ・ピープルスが脱退し、バリントン・ボー・ヘンダーソンが加入。しかし、2003年、脱退。元スピナーズのGCキャメロンが参加。さらに、ハリー・マクギルベリーがジョー・ハーンドンに交代。ハリーは2006年4月3日、56歳で死去。よって、現在のメンバーは、オーティス、ロン、バリントン、ジョー、テリーの5人。

さて、現状でテンプスからの派生グループには次のようなものがある。

■ザ・テンプテーションズ

本家本元。

メンバー オーティス・ウィリアムス、ジョー・ハーンドン、ロン・タイソン、セオ・ピーブルス、テリー・ウィークス。

■デニス・エドワーズのテンプテーションズ 

名称: 『ザ・テンプテーションズ・レヴュー・フィーチャリング・デニス・エドワーズ』

このメンバーは、デニス・エドワーズ、デイヴィッド・シー、マイク・パティーヨ、クリス・アーノルド、バーナード・ギブソン。(のちにバーナードからアリ・オリ・ウッドソンへ交代)。

アリ・オリは一時期、自身のグループ「アリ・オリ・ウッドソン&ジ・エンペラー・オブ・ソウル」というグループをやっていた。

■デイモン・ハリスのグループ

1990年代前半に結成。

名称: 『ザ・テンプテーションズ・レヴュー』、現在は『ザ・テンプテーションズ・トリビュート』

■リチャード・ストリートのグループ

名称: 『リチャード・ストリート』

リチャードは、自伝本『ボール・オブ・コンフュージョン』(仮題)を執筆中。

■グレン・レオナードのグループ

名称: 『ザ・テンプテーションズ・エクスペリエンス』
メンバー、グレン・レオナード、ジョー・ハーンドン(のちにテンプテーションズ本体へ加入)→レイ・デイヴィス(2005年7月5日死去)、ハリー・マクギルベリー(2006年4月3日死去)。

来日していたのは、リチャード・ストリートのグループのように思えるが、ほかのメンバーがわからないので、正確には不明。

というわけで、テンプテーションズもいろいろ、それぞれの人生もいろいろだ。

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ENT>MUSIC>ARTIST>TEMPTATIONS

投稿者 吉岡正晴 : 12:11 AM | コメント (0)

June 02, 2007

James Brown's Song Credit:

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ジェームス・ブラウンの作品のクレジット】


クレジット。

ジェームス・ブラウンのアルバムが紙ジャケットでリリースされ、そのうちの『ゲッタップ・オファ・ザット・シング』(1976年7月)と『ボディーヒート』(1976年12月)のライナーを書いている。

いろいろと見ていたら、これらのアルバムの作曲家クレジットが、ディーナ・ブラウン、ヤマ・ブラウン、そして、デイドラ・ブラウンの3人になっていて、ジェームス・ブラウン本人の名前がないことに気づいた。デイドラは、ミスター・ブラウンの2番目の妻。ヤマとディーナは娘だ。

通常、ジェームス・ブラウンの曲は、ジェームス・ブラウンがひとりか、バンドメンバーたちとジャムセッションを続けながら作り上げていく。よって作曲家クレジットはジェームス・ブラウン(プラス・バンドメンバーの誰か)になることが普通だ。ところがここで妻や娘の名前をいれているということは、どういうことになるかというと、これらの楽曲から生まれる著作権印税が娘や妻に行くことになることを意味する。

言ってみれば、ブラウンが娘や妻へ、ある種お小遣いをあげている、というニュアンスなのだ。

このうち、ヤマ・ブラウンはミスター・ブラウンの自慢の娘でよく勉強もできたようで、現在はドクターになっている。1990年代に、レコードデビューさせようという話が進み、何曲かレコーディングしていた。

2番目の妻デイドラ(愛称・ディー・ディー)は、ブラウンにもっと家にいて子育てを手伝って欲しいと願っていた。そこで70年代中期、一時期ツアー本数を減らす。しかし、残念ながら最終的には1981年に離婚。

その後、3番目の妻となるエイドリアナと出会う。エイドリアナにクレジットを与えたかどうかは、調べてみないとわからない。


投稿者 吉岡正晴 : 05:16 AM | コメント (0)

May 16, 2007

James Brown's 10 Paper Sleeve CDs Will Be Released July

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ジェームス・ブラウン、紙ジャケ第2弾10作品、7月に発売~空耳発見】

空耳。

ジェームス・ブラウンの紙ジャケットシリーズの第2弾が、2007年7月11日に10タイトル発売される。

今回発売されるのは次の10枚。( )内はアメリカ原盤番号。

(1)ツアー・ザ・U.S.A.(TOUR THE U.S.A.:KING K804)
(2)プリズナー・オブ・ラブ(PRISONER OF LOVE:KING K851)
(3)ライブ・アット・ザ・ガーデン(LIVE AT THE GARDEN:KING K1018)
(4)ザ・ポップコーン(THE POPCORN:KING KSD1055)
(5)イッツ・ア・マザー(IT'S A MOTHER:KING KSD1063)
(6)エイント・イット・ファンキー(AIN'T IT FUNKY:KING KS1092)
(7)ソウルの夜明け(IT'S A NEW DAY-LET A MAN COME IN:KING KS1095)
(8)スーパー・バッド(SUPER BAD:KING KS1127)
(9)ゲット・アップ・オファ・ザット・シング(GET UP OFFA THAT THING:POLYDOR PD6071)
(10)ボディ・ヒート(BODYHEAT:POLYDOR PD6093)

監修にジェームス・ブラウン愛好家の佐藤潔さんがあたっている。佐藤さんによれば、上記の2と7以外はすべて世界初CD化だという。これは、すごい。

ミュージシャン・クレジットとか、レコーディングデータとかは、しっかり印刷されるのだろうか。楽しみだ。

この中で、9と10のライナーを書くことになって、久々にこの2枚のアルバムを聞いた。

で、ゆっくり、じっくり聞いていたら、ちょっとした空耳を発見してしまった。9のアルバム『ゲット・アップ・オファ・ザット・シング』の3曲目「アイ・リフューズ・トゥ・ルーズ」の0分59秒あたりから、1分02秒くらいの間。明らかに「明らかに、汗だ!」に聞こえる。映像イメージとしては、ミスター・ブラウンが歌って踊っている顔のドアップで汗がしたたりおちている写真なんかどうだろう。「汗」が映像としてわからないとダメなのだが。でも、この「明らかに汗だ」は、けっこうほんとにそう聞こえる。でも、タオルくらいかなあ。(笑) あるいは、「明らかに、朝だ!」、「明らかに、浅田!」にでもするか。

同じ曲で、1分36秒あたりからのフレーズが「酒飲んだ、ポケット」に聞こえる。これは、何度も繰り返しになる。でも、これだと、絵にならないんだよなあ。(苦笑) 何人かのソウルメートに聞かせると、「酒飲んだ、ボケッ」っていうのはどうだ、とか言われた。「酒飲んだ、ポーケ」にも聞こえる。う~~ん。アナログ、お持ちの方、ぜひいいアイデアを! 

いい映像が思いつけば、即刻、安齋さんに連絡するのだが・・・。

・・・なんてことを、やってるもんだから、ライナーの執筆が進まないわけです。はい、すいません。

ENT>MUSIC>ARTIST>Brown, James
ENT>MUSIC>Sora-mimi

投稿者 吉岡正晴 : 02:27 AM | コメント (0)

May 07, 2007

Why "Family Stone"? : Are There Black Hippies?

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【スライのグループ名の由来は】

反体制。

昨日の『ソウル・ブレンズ』内「山野ミュージック・ジャム」のコーナーでスライ&ザ・ファミリー・ストーンの紙ジャケット8枚を紹介した。DJマーヴィン、ちさとたちとの会話で、なかなかおもしろかったのが、なんで「スライ&ファミリー・ストーン」というグループ名なのか、というマーヴィンの疑問だった。

グループ名に関しては、そういえば、解説にも書かれていなかったと思ったが、まず、スライは、彼の本名シルヴェスター(Sylvester)をもじったもの。Syl を Slyにした。Sly は、「口八丁な」とか、「ずる賢い」みたいな意味がある。ソウル・グループで、スライ・スリックド&ウィックド(Sly, Slicked & Wicked)というグループがいる。スライもスリックも、ウィックドも似たような意味だ。

またスライのファミリー・ネームは、スチュワートなので、その音がちかいことからストーンになったのだろう。と同時に、「ストーン」という言葉には、酒に酔う、ドラッグでハイになって気持ちよくなる、ハイになってごきげんになる、という意味がある。1967年ごろといえば、まさにヒッピー文化が盛り上がり始めたころ。誰もが、ドラッグ、マリファナなどをやってハイになって、ストーンになっていた時代。ヒッピー言葉のひとつでもある。

だから、グループ名「スライ&ファミリー・ストーン」は、「スライとその酔っ払った、ドラッグでハイになっているファミリー(仲間)たち」と言った意味だろう。まさにヒッピー時代らしいグループ名だ。といったような解説をした。

そして、サンフランシスコあたりから起こり始めたヒッピー文化に影響を受けた黒人はいるのか、という僕の疑問にはマーヴィンがいろいろ答えてくれた。僕自身、ヒッピーというと、ほとんど長髪の白人というイメージが強く、黒人のヒッピーというのはあまりイメージがわかなかったからだ。

彼によれば、白人の場合は政府への反体制的な人間が多く、そうした連中がヒッピーになっていったが、黒人は比較的スーツにネクタイなどして、ちゃんとすることが多かった。だから、あまり黒人にヒッピーはいなかった。いたとすれば、ジミー・ヘンドリックスなどではないか、とのこと。なるほど。

付け加えれば、60年代中期から後期の黒人たちは、まだ人種差別されており、白人の体制の足元にも及んでいなかったので、とりあえず体制に追いつき、追い越せの時代だった。だから、そこから先の反体制になるまでの道のりはかなり遠かったのではないかと推察できる。

マーヴィンとも、こういうネタだったら、もっといくらでもしゃべれるね、たくさん時間があったらおもしろかったね、ということになった。

しかし、マーヴィンが僕が持っていった8枚の紙ジャケットのCDをなんとか僕の元から持っていこうと狙っていたので、僕は必死に手から離さないようにしていたのだった。(笑)

ENT>MUSIC>ARTISTS>Sly & Family Stone

投稿者 吉岡正晴 : 02:47 AM | コメント (0)

May 05, 2007

Back In 1968: When LP Records Were New

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【LPレコードがまだ新しかった時代】

LP。

昨日ご紹介したスライ&ファミリー・ストーンの一連の紙ジャケット・シリーズだが、その中には、当時のLPレコードの中袋をそのまま再現したものがある。ここに書かれている文言がまたおもしろい。まだシングル中心の時代で、LPレコード(30センチのアナログのこと)がそれほど普及していない時代のことだ。

例えば~

「LPレコードは、簡単に曲が選べます。あなたが聴きたい曲を1曲でも、片面だけでも、何度でも聴けます。あなたがすべきことは、トーン・アームを持ち上げて、お望みの曲のところに置くだけ。レコード以上に(このような選曲が)簡単にできるものはありません」

おそらく、カセット(まだ普及してないか)、オープンリールのテープあるいは、8トラックテープなんかと比べるとLPの曲のピックアップは飛躍的に簡単だったわけだ。CD時代ならもっと簡単だけど。(笑) 

今ならこうなる。「CDは簡単に曲が選べます。あなたが聴きたい曲を1曲でも、全曲だけでも、何度でも聴けます。あなたがすべきことは、リモコンのスイッチを聴きたい曲の数字に合わせるだけ。CD以上に(このような選曲が)簡単にできるものはありません」

「LPレコードは、1948年に出現して以来、見た目は同じようですが、まったく違います。LPレコードは幾多の技術的革新を経て、最高の音質を提供しています」

今だったらこう書きなおせるかな。「CDは1982年に出現して以来、見た目は同じようですが、まったく違います。CDは幾多の技術的革新を経て、最高の音質を提供しています」

「LPレコードは、ひじょうに魅力的で、勉強にもなり、保存が簡単です。LPは、置き場に困ることもありません。魅力的なジャケットデザインゆえにご自宅のどんなリヴィング・ルームにも飾ることができます。そして(ジャケットの)裏側には、アーティストやパフォーマンス、内容について詳しく書かれた勉強になる情報が書かれています。薄く平らなものであるために、何百枚になっても保存に場所を取ることはありません。そして、最小限の場所に置かれても、すべてのタイトル(ジャケットの背文字のこと)を読むことができます」

いやあ、でもね、100枚、200枚~1000枚となると、かなり場所を取りますよ。(笑) それで苦労してるんだから、こっちは。

「すべてのアルバムは、ショーそのものです。入場料をひとたび払ってしまえば、あなたは何度でもそのショーを楽しむことができます」

そして、その裏ジャケットには計36枚のLPジャケットの写真が掲載されている。

これらの文章もそのままCDに置き換えられる。しかし、LPをショーそのものに言い換えて、ライヴショーは1回しか楽しめないけど、1回の入場料で何回でも楽しめる、っていう言い方がすごい。(笑)
 
ところで、LPとは、もちろん「ロング・プレイング(長時間プレイ)」の略。今のCDはLPの倍以上長時間プレイできるのだから、「スーパー・ロング・プレイング」、略してSLPって感じですね。

■上記の中ジャケットが封入されている『ダンス・トゥ・ザ・ミュージック』

ダンス・トゥ・ザ・ミュージック(紙ジャケット仕様)
スライ&ザ・ファミリー・ストーン
Sony Music Direct (2007/05/02)
売り上げランキング: 6376


■スライ&ファミリー・ストーン紙ジャケット 5月6日・日曜の『ソウル・ブレンズ』(インターFM76.1、午後3時~5時)内「山野ミュージック・ジャム」(午後4時半~)でご紹介します。

ENT>MUSIC>ESSAY
ENT>MUSIC>ARTIST>Sly & Family Stone


投稿者 吉岡正晴 : 03:09 AM | コメント (0)

May 04, 2007

Sly & Family Stone's Paper Sleeve Jackets CD Released

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【スライ、紙ジャケットで一挙に8枚リリース】

新装真相深層。

60年代後期から70年代初期にかけてセンセーショナルな話題を巻き起こしたブラック・ロックの革命児、スライ・ストーンとそのグループ、ファミリー・ストーンがCBSに残したアルバムから8枚がこのほど紙ジャケット仕様になり、2007年5月2日、日本発売された。

今回の紙ジャケは、新発表のボーナストラック、日本盤が最初にリリースされた時の「帯」も再現、さらに、英文書き下ろしライナーとその翻訳、日本語版書下ろしライナー、リリース当初はかなり間違いが多かった歌詞カードも聞き取りなおし、対訳やり直しといった具合で、ファンとしては相当嬉しい充実の内容になっている。2007年デジタル・リマスターでしかも値段は今までのプラスチック・ケースの廉価盤と同じ1890円。

やはり、再発、紙ジャケのリリースはこれくらいの「仕事」をしていただくのが望ましい。(笑) 文句なしのいいお仕事である。

僕のところにも、しばらく前に、担当者から当時の日本盤の帯をお持ちでないですか、と問い合わせがきていた。調べたら、当該のアルバムは僕は輸入盤で持っていたので、残念ながら協力はできなかったが、8作、すべて帯がついているので、どこかで探せたのだろう。

しかし、昔の歌詞カードと今回の歌詞カードをちょっと見比べてみたが、ものすごいちがいだ。(笑) もちろん、違った聞き取りを元に対訳ができているから、雲泥の差がでる。そうか、こんな意味だったんだなんて歌詞の真相もわかる。

ジャケット新装で歌詞の真相もわかって、スライの音楽の深層にも迫れるという一石三鳥の紙ジャケCD8枚だ。スライ作品、お持ちでない方はもちろんのこと、お持ちで研究してみたい方もぜひ。

■制作担当・白木さんのブログ (制作過程が書かれています)
http://ameblo.jp/high-hopes/theme-10003071822.html

■ スライ&ファミリー・ストーン 『暴動』
(8枚のうち、どれかと言われればやはり、『暴動』と『スタンド』でしょう。しかし、順に聴かれることをお勧めしたいところ)

暴動(紙ジャケット仕様)
スライ&ザ・ファミリー・ストーン
Sony Music Direct (2007/05/02)
売り上げランキング: 289
おすすめ度の平均: 4.0
4 アホか?

■ スライ&ファミリー・ストーン 『スタンド』

スタンド!(紙ジャケット仕様)
スライ&ザ・ファミリー・ストーン
Sony Music Direct (2007/05/02)
売り上げランキング: 428

ENT>MUSIC>ALBUM>Sly & Family Stone
ENT>MUSIC>ARTISTS>Sly & Family Stone

投稿者 吉岡正晴 : 04:38 AM | コメント (0)

March 11, 2007

Vanessa Bell Armstrong Talks:

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ヴァネッサ・ベル・アームストロング・インタヴュー】


ミラクル。

「ねえ、ねえ、あそこの女の子が着てるコート、どこで買ったのか聞いてきてくれる?」 ヴァネッサは、インタヴューが始まる前に、ホテルのロビーにいた親子連れを見て言った。「私には5人の子供がいて、9人の孫がいるの。(孫は)もうすぐ10人目が生まれるのよ。全員の名前? そうね、大体覚えてるわ。でも、時々間違えてしまう・・・。(笑) (孫のための)ショッピングするのが待ちきれないわ(笑) もうね、みんなが集まるとうちなんか動物園といっしょよ。でも、いまや娘たちはうちを出て行ってしまっているので、home alone(私は家にたったひとりよ)、home alone!」  その「ホーム・アローン」という響きが、もう、リズミカルでメロディーが乗っているかのようだった。

ヴァネッサは、すでに7回のグラミー賞ノミネート歌手。それまでのジャケット写真から想像するとかなりの体格を思い浮かべるが、実際は身長150センチくらいの小柄な人だ。1953年10月2日、デトロイト生まれ。昭和28年、蛇年です。現在53歳であることは彼女は別に隠さない。

ヴァネッサは、週末はほぼどこかに巡業にでている。一年のうち2-3週は自宅にいるが、それ以外はどこかに旅にでている。「で、私はセレブリティー・ママだから(笑)、私が家にいると、みんなが押し寄せてくるのよ。でも、旅が多いから、その前の週にどこの街にいたかも忘れるわよ。ある時は、前に宿泊していたホテルの鍵を持ってきてしまって、次の日のホテルの部屋に差し込んだこともあったわ。(笑)」

ゴスペル・シンガーとして知られるヴァネッサを僕はジャイヴ・レコードから出たアルバムで知った。

http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&sql=10:e25m965o3ep6

これが出ることになったのは、ジャイヴの社長クライヴ・コールダーが、どこか南の島にヴァケーションに行った時にラジオで聞いた作品がきっかけだという。これより前に、インディで一枚出していて、それがかかっていて、彼はすぐにそのレコードを手にいれ、そこに書かれている住所・電話に連絡してきた。

「ジャイヴに来てからは、すばらしい人生を過ごせたわ」 彼女はジャイヴで6枚のアルバムを出した。

好きなシンガーはの問いに彼女は答える。「アレサ・フランクリン、マヘリア・ジャクソン、グラディス・ナイト、パティー・ラベール・・・。アレサのうちに行ったことがあるわ!」 

彼女が初めて教会で歌った時のこと。「たぶん、5歳くらいだったと思う。父親の教会でのことだった。私は、ピアノのスツールの上に立たされて、それで歌った。歌詞の意味なんかわからなくて、でもなんとなく歌った。それ以来、今日までずっと歌い続けているわ」

そして、最新作『ウォーキング・ミラクル』はアメリカで出たばかり。「これは、私のこれまでの人生の浮き沈み、様々な戦いなどを描いている。私の息子が病気になったり、私にも嫌なことが起こったりとか。私の姉妹が病気になったりとか。そうしたものを、私は神様のおかげで乗り越えることができたというものよ」 

「私自身が書いた曲に『イッツ・オーヴァー・ナウ(もう終わったわ)』がある。これは、そうした人生のストラッグル(戦い)が終わったということを歌っているの」 

『ウォーキング・ミラクル』は、奇跡の道を歩いて、といったニュアンスだろうか。

ENT>MUSIC>ARTIST>Armstrong, Vanessa Bell

投稿者 吉岡正晴 : 03:19 AM | コメント (0)

January 27, 2007

Aretha Has So Many Songs:

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【アレサのレパートリーは膨大】

傑作。

『ソウル・サーチン:ザ・セッション Vol.2』でトリビュートするアレサ・フランクリンは、膨大なレパートリーがある。また、過去映像もけっこうあるようで、たんねんに見ていくとかなりの時間がかかりそうだ。

アレサ・フランクリンは、おおまかにわけて、3つの時代がある。60年代初期のコロンビア時代、67年以降のアトランティック時代、そして、80年以降のアリスタ時代だ。なんといっても、アレサの名前を決定付けたのは、アトランティック時代。この頃、毎年グラミー賞を獲得していた。

それまで、ジャズ、ブルーズを歌っていたアレサは、アトランティックのプロデューサー、ジェリー・ウェクスラーのアイデアでアメリカ南部、マスルショウルズに向かい、そこで独特の南部のソウルサウンドで録音。これが大当たりとなった。

また、アレサの動く絵と言えば、映画『ブルーズブラザース』での「シンク」、同じく『ブルーズブラザース2000』での「リスペクト」がある。これはかなりコミカルな映像なので、なかなかおもしろいと思う。この雰囲気をうまく演出できると楽しい。

そして、サム・クックのドキュメンタリーでもアレサがいろいろ答えていて、そのやりとりもおもしろい。

果たして、『ソウル・サーチン:ザ・セッション』どのようになるのだろうか。僕も楽しみだ。

■アレサを予習するためのアルバム

The Very Best of Aretha Franklin, Vol. 1
Aretha Franklin
Rhino (1994/03/22)
売り上げランキング: 599
おすすめ度の平均: 5.0
5 アレサをクイーン・オブ・ソウルの座に押し上げた傑作集
5 クィーン・オブ・ソウル
5 凡庸なラヴソングも、奥行きの深い表現に変えてしまう声


The Very Best of Aretha Franklin, Vol. 2
Aretha Franklin
Warner (1994/03/22)
売り上げランキング: 13654
おすすめ度の平均: 5.0
5 アレサフランクリン入門
5 水もしたたるベスト盤

名盤です。

Aretha Live at Fillmore West
Aretha Live at Fillmore West
posted with amazlet on 07.01.27
Aretha Franklin
Rhino (1993/12/14)
売り上げランキング: 23412
おすすめ度の平均: 5.0
5 邪道な聞き方かもしれませんが
4 船頭多くして船山に?
5 アレサが歌えば何もかもアレサ節


アリスタ時代のベスト

グレイテスト・ヒッツ(1980-1994)
アレサ・フランクリン ジョージ・マイケル ルーサー・ヴァンドロス
BMG JAPAN (1996/04/24)
売り上げランキング: 20202
おすすめ度の平均: 5.0
5 永遠のクィ-ン・オブ・ソウル

ENT>MUSIC>ARTIST>Franklin, Aretha

投稿者 吉岡正晴 : 01:05 AM | コメント (0)

January 23, 2007

Brenda Vaughn Will Be Honored "Living Legend" Award

[ ENT>MUSIC>ARTIST>, EVENT & ANNOUNCEMENTS>]

【ブレンダ・ヴォーン、ベイ・エリア・ブラック・ミュージック・アワードを受賞へ】

授与。

「ソウル・サーチン:ザ・セッション」の第2回はアレサ・フランクリンになる。前回までの会場、目黒のブルースアレーには本当にお世話になって感謝しているのだが、毎回多数の方が立ち見で4時間近くもご覧になっていたのが主催者としては大変心苦しかった。そこで今回からさらに規模の大きなお店に会場を移すことにした。前回の200人くらいだったら、今回は全員席に座れるので、立ち見になることはないだろう。ゆっくりお楽しみください。

さて、昨日発表した出演者は確定している分。何人かお願いをしていてスケジュールの都合などで確定返事を頂けない方もいる。そうした方々は、決まり次第追ってご案内する。

今回、アレサを歌うにあたっては、やはりメインはブレンダ・ヴォーンになると思う。『ソウル・サーチン』でもマーヴィン・ゲイの回(2006年4月1日)で迫力ある歌で観客を熱狂させた。客掴みも実にうまいエンタテイナーだ。

そのブレンダだが、なんと来る4月15日にサンフランシスコ・オークランドで行われる『ベイエリア・ブラック・ミュージック・アワード』というアワード・ショーで、「リヴィング・レジェンド(生きる伝説)」賞を授与されることになった。

このアワードは、ブラックミュージック・アソシエーション・オブ・アメリカが今年から始めたもので、ベイエリアに5年以上住んだか、住んでいるか、そのエリアの音楽業界に貢献したミュージシャン、音楽関係者を称えるもの。言ってみれば、サンフランシスコ、ベイエリアのブラックミュージックのグラミーのようなものだ。

これまでに、この「リヴィング・レジェンド(生きる伝説)」賞は、パトリース・ラッシェン、グレッグ・フィリンゲインズ、ジョージ・クリントン、テンプテーションズ、ウォー、フェニックス・ホーンズ、モーリス&ヴァーディン・ホワイトなどが受賞している。

このアワードを主催するのは、「ザ・ブラック・ミュージック・アソシエーション・アカデミー・オブ・アメリカ」という団体で1998年に設立された。様々な活動をしているが、アワード・ショーなどの収益金から、学校などに楽器を寄付したりしている。これまでに、20万ドル相当の楽器などを寄付してきたそうだ。

ブレンダはオークランド出身で、同地の教会でゴスペルを歌い、地元のバンドに参加、頭角を出してきた。ライヴなどを多数こなし、80年代後期に来日。以来日本とアメリカを行き来しながら、音楽活動を続けている。アレサ・フランクリン、グラディス・ナイトが大好きと言ってはばからないブレンダは、日本でも多くのライヴ、レコーディング・セッションなどに参加、迫力ある歌唱を聴かせている。

これまでに彼女が歌うアレサ楽曲を何曲も聴いているが、『ソウル・サーチン:ザ・セッション』でのブレンダの歌うアレサは、かなりの聴き物になるだろう。

ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENTS>Soul Searchin: The Session
ENT>MUSIC>ARTIST>Vaughn, Brenda

投稿者 吉岡正晴 : 05:25 AM | コメント (0)

January 20, 2007

A Toast To Soul Coffee: Real Thing Is Here To Stay

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ソウル・コーヒーに乾杯】 

本物。

自由が丘のコーヒー屋さんカフェ・アンセーニュダングル。ここについては、4年前にこんな記事を書いた。ジェームス・ブラウン関連で昨年末日記に再びリンクをはったものだ。

2002/12/15 (Sun)
Enseigned'angle Where the soul coffee is
自由が丘のおしゃれな珈琲屋アンセーニュダングルのマスターのジェームス・ブラウンとの出会い。こんな風に影響を受けた人が世界中にいるはずです。
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200212/diary20021215.html

というわけで、ミスター・ブラウンの死後(2006年12月25日)、一度はここに行かなければという思いがあった。ディーヴァ・グレイのリハーサルが自由が丘であったので、その合間にでも行けるかとも思ったのだが、なかなかそうは問屋が卸してくれなかった。そして、先日やっと出向くことができた。

久々に行くと、マスターはいつもの通りカウンターにいた。あいさつもそこそこに僕の顔を見るなり、「ライヴで最後(の来日)だって言ってたからねえ」。マスターは、昨年3月の最後の来日公演を見ていた。「関さんは、お葬式に行ったみたいですよ。帰ってくるなり、(お店に)来ました。ボビー・バードや、ダニー・レイなんかがみんな歓待してくれたそうで、たくさん写真を見せてくれましたよ」 関さんとは、ジェームス・ブラウンの熱狂的なファンの方だ。僕も存じ上げているが、宅急便等を配達する仕事をしていて、その車の名前は、なんと「JB エキスプレス」!! 僕も偶然街中で出会って、しばし立ち話をしたこともある。国内の公演はほとんど追いかけるマニアだ。

「吉岡さんが(ウェッブに)書いた記事読んで、マスターはこんな音楽好きなの、って驚かれることがありますよ。ところで、あの中で、僕が『アイ・フィール・グッド』で影響を受けたってありますけど、あれ、『アイ・ガット・ア・フィーリング』です。直しといてください。(笑)」 了解です。文章を書いたのは2002年10月だが、その話を聞いたのは、おそらくそれから10年以上前のことだったと思う。10年以上前の記憶を頼りに書いたのでそこで曲名を取り違えたのだろう。ま、僕にとってはそれほどインパクトがあった話なので、10年前の話でも思い出して書けたのだと思う。

それはさておき、やはり最近では夜11時に営業が終わると、掃除・片付けの時にはジェームス・ブラウンのCDなどをかけるそうだ。このおしゃれな店とファンキーなブラウンのアンバランスが想像しただけでおもしろい。

雑談の中で、なんと、マスターとオオサカ=モノレールの中田さんの自宅がものすごく近いということが発覚したらしい。これまた濃い話。(笑)  

ところで、カウンターでしゃべっているとこのお店の名物メニュー「琥珀の女王」が3人前出た。深く濃いアイスコーヒーの上に液体の生クリームを載せ、リキュールをほんの1、2滴たらし、コーヒー豆をひとつだけ載せたもの。もちろん絶品なのだが、それをここではラリックのグラスで出す。いろいろな形のものを使っているのだが、みなグラスに傷がついていないで綺麗なままだ。「このグラスって新しいんですか」と聞いた。「いやあ、開店からのものですよ。20年以上使ってるかな。もちろん、割れてダメになってしまうのはありますよ」 「それでも使ってるものは傷なし?」 「つかないですね。つまり、本物は長く使っても傷つかないんですよ」 「この店も内装とか、リフォームなんかしてないんですよね」 「しませんねえ。最初から本物作ってれば、この壁だって、時が経つにつれてどんどん渋く、いい味がでるようになるんです」 

ウエッジウッドだ、ジノリだとここはいいコーヒーカップばかりを使っている。もちろん20年以上の間には、7-8割ものカップなどが割れて使えなくなった。だが、開店当初に膨大なストックを持っていたので、いまだに20年以上前に買い揃えたもので営業している、という。すべてに本物にこだわるマスターに改めて恐れ入りました。そんな本物に徹底してこだわるマスターが一番気に入った音楽がジェームス・ブラウンなのだから、ジェームス・ブラウンは本物中の本物である。そして本物は永遠に残る。

ENT>MUSIC>ARTIST>Brown, James

投稿者 吉岡正晴 : 02:13 AM | コメント (0)

December 17, 2006

Stevie Wonder Mentioned His New Album’s Title

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【スティーヴィー、次作のタイトルを語る】

次作。

スティーヴィー・ワンダーが、12月14日(木)朝、ロスアンジェルスの自身が持つラジオ局KJLHに出演し、次のアルバムのタイトルを述べた。彼によると、現在スティーヴィーがてがけている作品タイトルは、『ゴスペル・インスパイアード・バイ・ルーラThe Gospel Inspired By Lula.』というもの。ルーラは今年他界した実母ルーラ・ハーダウェイのことで、ルーラにインスパイアー(影響)されたゴスペル、という意味。

スティーヴィーは、以前から「いずれゴスペル・アルバムをリリースしたい」ということを述べていたが、ひょっとすると、徐々にその構想が固まってきているのかもしれない。

また、彼にとってはこのところ、近親者、また仲のよいミュージシャンが次々と亡くなっていることも、ゴスペルへ向かわせるに充分な環境となっている。

例えば、2004年6月10日のレイ・チャールズ、7月のシリータ、2005年7月1日のルーサー・ヴァンドロス、そして、今年のルーラ・ハーダウェイ、ジェラルド・リヴァートなど、その度に心を痛めてきた。レイ・チャールズなどの葬儀では、ゴスペル曲を歌っている。

スティーヴィーは気が向くと、ロスアンジェルスのKJLHに登場し、その時々のトピックを語り、レコードをかけている。

ただ、ここでアルバムのタイトルを語ったからと言って、すぐにアルバムが発売されることは、まずない。現在のところ最新作の『タイム・トゥ・ラヴ』も10年がかりのリリースとなったからだ。おそらく、スティーヴィーの頭の中には、構想ができているアルバムの3枚や4枚はあるだろう。

とはいっても、来年2月の来日時にスティーヴィーによるゴスペル曲が聴かれる可能性は高い。


ENT>MUSIC>ARTIST>Wonder, Stevie

投稿者 吉岡正晴 : 12:31 AM | コメント (0)

December 12, 2006

Temptations Recorded Three Albums For Atlantic

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【テンプスはアトランティックに3枚のアルバムを録音していた】

幻。

アメリカ最強のソウル・ヴォーカル・グループといえばモータウンが誇るテンプテーションズ。60年代から70年代にかけての大躍進振りを見ればその形容詞に誰も文句はないところだろう。

ところで、そのテンプテーションズ、長い間モータウン所属だったが、77年からほんの2年ほど、モータウン以外のアトランティック・レコードに在籍していたことがある。彼らがモータウン以外からアルバムを出したのは、唯一このアトランティックだけだ。(最新作を除く) そこで彼らは2枚のアルバムを発表した。『ヒア・トゥ・テンプト・トゥ・ユー』(1977年)と『ベアバック』(1978年)である。

前者がフィラデルフィアのベイカー・ハリス・ヤングのトリオによってプロデュースされ、後者がデトロイトでかつて多くのヒットを生み出したホランド・ドジャー・ホランドのうちのホランド兄弟によってプロデュースされている。

一般的にはこの2枚で彼らはアトランティックを離れたことになっているのだが、なんと実はもう一枚アルバムを録音していたのだ。1978年から79年のことで、やはりフィラデルフィアのロン・カーシーのプロデュースでフルアルバムが録音されていたという。

しかし、2枚目のリリース後、彼らと契約した担当者がアトランティックを去っていったこともあり、また2枚目がそれほど売れなかったこともあって、録音はしたものの結局お蔵入り、幻の1枚になってしまった。

またここで主としてり-ド・ヴォーカルを取るルイス・プライスも、これら2枚でテンプテーションズからは去る。彼のヴォーカルは特に問題はないが、ただ相性がそれほどぴったりこなかったのだろう。

1作目がフィリーで録音されていて、なかなか興味深い出来だっただけに、このロン・カーシー・プロデュースものもいつか日の目を見るといいのだが。

たまたま、今回『ヒア・トゥ・テンプト・ユー』のライナーを書くことになり、テンプスのオーティス・ウィリアムスが書いた自伝を読み返していて、3枚目があることを知った。前後のアトランティックに移籍した経緯、また当時のリード、デニス・エドワーズが辞める話など、かなり書き込んだので、興味ある方はぜひお読みください。

(2007年1月24日に発売になります。しかも今回の再発はすべて1500円(税込み)というリーズナブルなお値段です。(笑) なお、ライナー自体は、発売後適当な時期にウェッブにアップする予定です) 

■『ヒア・トゥ・テンプト・トゥ・ユー』

ヒア・トゥ・テンプト・ユー
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■DVD"ゲット・レディ! -栄光のテンプテーションズ物語\"

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ENT>ARTIST>Temptations

投稿者 吉岡正晴 : 12:08 AM | コメント (0)

December 04, 2006

Don't Call Me Mr. Hancock; Herbie Said

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ミスター・ハービーと呼ばないでくれ~ハービー語る】


ハービー。

あのハービー・ハンコックが、インターFM『ソウルブレンズ』にゲストでやってきた。今週の6日と7日に新宿で行われるカルテット・ライヴの告知のためだ。約40分近く、スタジオにいていろいろ話をしてくれた。

オンエアが始まる前、ほんの軽く打ち合わせというか、顔合わせをしたのだが、そこでマーヴィンがハービーに「~~、ミスター・ハンコック」と言った。すると、彼は「ミスター・ハンコックとは呼ばないでくれ。ただハービーでいいよ」と言った。「ミスター・ハンコックと呼ばれるとすごくおじいさんのように思われるから嫌なんだ(笑)」とハービーは言った。

ハンコックは、雄弁に様々なことを語った。最新作『ポシビリティー』では全面若手ヴォーカリストを入れて、まさに「ヴォーカル・アルバム」を完成させた。なぜ、ヴォーカル・アルバムを作ったのかの問には、「今まで作ったことがなかったから。自分はこれまでインストゥルメンタル・アルバムばかり作ってきた。だから、今までやったことがなかったヴォーカル・アルバムを作りたかった。それだけだ」と答えた。シンプルだ。

ここには12人のシンガーが名前を連ねているが、他に候補になった人はいるか尋ねると、具体的に2-3人のシンガーの名前を挙げ、そうした人たちはスケジュールがなかなか会わずに実現しなかった。「だが、僕としてはレコーディングが実現しなかった人たちの話はそれほどしたくないな。もっと前向きな話がいい」と言う。

では、『ポシビリティー(可能性)』の続編、ヴォリューム2の制作の可能性は? 「う~~ん、どうだろうな、わからないな。僕は常に新しいことをやっていきたいんだ。同じことの繰り返しは嫌なんだ。だから、もし仮に何か『ポシビリティー・ヴォリューム2』のようなものを作るなら、『1』を絶対に超える何かを作らなければならない」

なぜそんなに新しい物に貪欲なのか。「同じ所に留まっていると、面白くないだろう。そこの枠から出たほうが新鮮で有意義、楽しいじゃないか。(笑) そうだろう? 安全なところにいるよりも、そこを抜け出したほうがおもしろいものに出会えるんだよ。人生にはおもしろいことがたくさんあるものだ」 

いとも簡単に答える。ひじょうに柔軟な考えの持ち主だった。そして、すごく若かった。

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■ハービー・ハンコック・カルテット 来日公演

ハービー・ハンコック(キーボード)、リオネル・ルエケ(ギター)、ネイザン・イースト(ベース)、ヴィニー・カリウタ(ドラムス)、特別ゲスト:上妻宏光(津軽三味線)

2006年12月6日(水)、7日(木)18時30分開場19時開演
場所 新宿区立新宿文化センター(東京都新宿区新宿6の14の1、電話03・3350・1141)

チケット S席8500円、A席6500円。チケットぴあ(電話0570・02・9999、電話0570・02・9966=Pコード243・444)、ローソンチケット(電話0570・000・777、電話0570・084・003=Lコード32015)、CNプレイガイド(電話0570・08・9999)、イープラス(http://eplus.jp)

問い合わせ: ジェネシス(電話03・5467・7880)

ENT>MUSIC>ARTIST>Hancock, Herbie
ENT>RADIO>Soul Blends

投稿者 吉岡正晴 : 06:05 AM | コメント (0)

November 19, 2006

Sam Moore Talks: I Am Proud Of You, I Love You

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【サム・ムーアかく語りき】 

誇り。

前日(11月17日)のサム・ムーアの最終日ライヴの余韻も残る午後、ゴスペラーズの『ソウル・コネクション』へのサムのゲスト出演が急遽決まり、録音を行った。ゴスペラーズは昨日に引き続き、全員集合。スタジオにはメンバー5人、サム本人、通訳の方、そして僕が入り、大変な熱気に。(この模様は、即日=11月18日土曜=に生放送内でオンエアした)

番組で使える時間は約12分程度だが、なんとサムは昔ながらの友達に会うのを懐かしむように、40分を超える収録となった。その後には、東京FMの生放送(スペイン坂で行われる番組)への出演が控えていて、かなりあわただしかった。

サムは、こんどの新作『オーヴァーナイト・センセーショナル』をレコーディングするにあたり、ゴスペラーズとのコラボレーションも考えていたという。いきなり、収録前の雑談では「バックストリート・ボーイズの曲をやろうかと思っているんだが、君たち一緒にどうだい」みたいな話まで飛び出した。さらに、「実はな、僕のバックバンドのメンバーが君たちのことをずいぶんと気に入って、君たちのバックをやりたいとか言ってるんだよ(笑)」 

サムは、こんどの新作が始まった経緯、最近のアメリカの音楽業界の状況、日本での反応、声量の秘密、シンガーとしての心構え、若いミュージシャンとの交流について、など縦横無尽に語った。

後半で村上さんが、かつてサムからもらった言葉、「ソウルとは、汗と涙と叫びだと言われたこと、さらに『マイ・ニュー・ベスト・フレンド』とサインを書かれたこと」を胸に秘め、ずっと今日までやってこれましたというと、サムも「よく覚えておいてくれたな」と感激。「その音楽がソウルであれ、カントリーであれ、ジャズであれ、心を込めてお客に対して歌えば、お客も感じる。最近では大規模な仕掛けいっぱいのショー(プロダクション=作品)も多いが、別にそれはそれでもかまわないが、お客さんをそのショーに参加させないとだめなんだ。仕掛けもいいが、なによりもそのショーで大事なのはお客さんなんだよ」と語った。

ゴスペラーズのメンバーがサムに会ったときは、まだゴスペラーズはブレイクしておらず、スターにはなっていなかった。しかし、その後ヒットし、名前が知られるようになった。サムはそんな彼らの成功を大変喜んでいるようにみえた。

そして最後に彼はこう言った。「I'm proud of you(僕は君たちを誇りに思うよ) 君たちをファミリーと呼んでいいかな」 「もちろん」 そしてメンバーから拍手・・・。

大急ぎで記念写真を撮影し、サムご一行は、急ぎ足で次の生放送の現場に向かった。後片付けをして家に戻る車中で、今そこにいたばかりのサム・ムーアの声がFMから流れてきた。

ENT>MUSIC>ARTIST>Moore, Sam

投稿者 吉岡正晴 : 02:04 AM | コメント (0)

November 09, 2006

Top 15 Linda Creed Songs Selected By The Soul Searcher

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ソウル・サーチャーの選ぶリンダ・クリード・ソングベスト15】

リスト。

昨日、作詞家リンダ・クリードのことを少し書いた。ざっと、彼女が書いた作品群のリストを見ながら、「あーこれも好き、あれも好き」みたいなことを考えていたら、無性にベスト10を作りたくなった。で、選んでいたら10曲では収まらず、結局ソウル・サーチャーの選んだリンダ・クリード作品ベスト15になった。
  

歌詞の見地から選んでみたが、やっぱり、耳なじみのある曲が圧倒的に多い。しかも、15曲中スタイリスティックスが9曲、スピナ-ズが4曲、ホイットニー、テディー・ペンダグラス、フィリス・ハイマンが各1曲だ。

Top 15 Linda Creed Songs Selected By The Soul Searcher

01. Greatest Love of All / Whitney Houston
02. You Make Me Feel Brand New / Stylistics
03. Betcha by Golly, Wow / Stylistics
04. You Are Everything / The Stylistics
05. Break Up To Make Up / Stylistics
06. Life Is a Song Worth Singing / Teddy Pendergrass
07. Children of the Night / Stylistics
08. Ghetto Child / Spinners
09. I Don't Want to Lose You / Spinners
10. I'm Stone In Love With You / Stylistics
11. I'm Coming Home / Spinners
12. Old Friend / Phyllis Hyman
13. People Make the World Go Round / Stylistics
14. Stop, Look, Listen (To Your Heart) / Stylistics
15. You're as Right as Rain / Stylistics

Stylistics 9 songs
Spinners 4 songs
Whitney Houston 1 song
Teddy Pendergrass 1 song
Phyllis Hyman 1 song

やはり1位は「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」かなあ。これはリンダのソウルサーチンにもなっているが、実際は曲を書いたマイケル・マッサーのソウルサーチン曲でもある。(詳細は、拙著『ソウル・サーチン』~マイケル・マッサーの章をご覧ください) そして、2位は新婚の気分を描いた「誓い」。文句なく3位は「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」。このあたりは甲乙つけ難い。6位のテディペンの曲も、コンセプトがすばらしい。7位、8位は彼女の「ゲットー・シリーズ」の傑作。13位「ピープル・・・」も社会派の1曲で、このあたりに作詞家としての着目点の良さが感じられる。

これらの曲は多数のアーティストがカヴァーしているので、そうしたヴァージョンで楽しまれてもいいだろう。

ENT>MUSIC>ARTIST>Creed, Linda

投稿者 吉岡正晴 : 06:37 AM | コメント (0)

November 08, 2006

Linda Creed: Great Lyricist

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【フィリーサウンドの偉大な作詞家リンダ・クリード】

乳がん。

Round 2スタイリスティックスの初期のアルバムのライナーノーツを頼まれ、いろいろ調べたりして書いている。今回書くのは2作目の『ラウンド2』(1972年)と3作目『ロッキン・ロール・ベイビー』(1973年)。1枚目のライナーも書いているし、またスタイリスティックスについては他の雑誌や来日時のプログラムなどにもかなりまとまったものを書いているので、今回はちょっと今まで書いたことがないネタを掘り起してみた。

Rockin' Roll Babyそこで、これらのアルバムをプロデュースしたトム・ベルの作詞パートナー、リンダ・クリードにちょっとスポットを当ててみた。リンダは、1986年4月、わずか37歳で亡くなっている。なんとミニー・リパートン同様乳がんだった。26歳くらいで最初に発見され、それから約10年以上闘病生活を送った。

彼女は1948年生まれ。1972年に結婚。その時の喜びを歌に託して出来上がったのが、あの名曲「誓い(ユー・メイク・ミー・フィール・ブラン・ニュー)」だったそうだ。

そして、1976年、彼女はマイケル・マッサーから頼まれて詞を書く。それが「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」となってジョージ・ベンソンが歌い1977年にヒットする。それから7年後1984年、この曲は新人シンガーによって録音される。そう、ホイットニー・ヒューストンだ。アルバムが1985年2月に発売され、シングルが徐々にヒット。この「グレイテスト・・・」は1986年3月になってやっとシングルカットされチャートを駆け上った。

しかし、大ヒットし始めた矢先の1986年4月10日、リンダは乳がんのために他界。彼女はホイットニーのヴァージョンが全米ナンバーワンに輝くところを見ることなく天国へ行ってしまった。

この曲はマイケル・マッサーにとってもソウル・サーチンの作品だったが、リンダにとっても生涯の1曲となった。

■過去関連記事 


スタイリスティックスのライナーノーツ 『スタイリスティックス登場』
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/linernotes/stylistics20011024.html

ENT>MUSIC>ALBUM>Stylistics

投稿者 吉岡正晴 : 06:55 AM | コメント (0)

October 10, 2006

Dionne Is Whitney Houston's Cousin

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ディオンヌはホイットニー・ヒューストンのいとこ】

従兄弟(いとこ)。

ホイットニー・ヒューストンのアルバムが再発されるので、昔書いたライナーノーツの書き直しを依頼された。ホイットニーは、3作目の『アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト』(90年)から『ボディガード』(92年)、『ため息つかせて』(95年)、『天使の贈りもの』(96年)と4枚書いたのだが、今回は3作目と『天使・・・』の2作。

3作目は90年10月のリリース、『天使・・・』は96年11月。初めて書いてから16年も経てば、取り巻く環境もずいぶんと変わる。ホイットニーは、92年6月にボビー・ブラウンと結婚、翌93年3月4日に一人娘ボビー・クリスティーナを生む。そのクリスティーナもはや13歳。そして、先月(2006年9月)、ホイットニーはボビーに対して離婚申請を行った、というニュースが伝わった。

ボビーと結婚してからのホイットニーは、ちょっとつきもない感じだったが、ひょっとしてこれですっきり別れたら、キャリアも上向きになるかもしれない。

今回いろいろ調べていてわかったことだが、ホイットニーは2001年8月に現在のレコード会社と約1億ドル(約120億円)でアルバム6枚の契約を結んでいた。その後、2枚アルバムが出ているので、すくなくともあと4枚は出る。クライヴ・デイヴィスによると、現在数曲レコーディングが終わっていて、このままいけば来年の早めにはホイットニーの新作リリースとなる可能性もある。ボビーと別れたホイットニーにとっては間違いなくターニング・ポイントの一作となり、ひょっとすると奇蹟の復活アルバムになるかもしれない。

ところで、ホイットニーとディオンヌの関係だが、しばしば「おばさん」と紹介される。僕も、初期に何度かそう書いたような記憶があるが、正確には「従兄弟(いとこ)」になる。ホイットニーの母親シシー・ヒューストンの姉リリー・ドリンカードの娘がディオンヌ・ワーウィックだからだ。シシーは8人兄弟の末っ子で1933年生まれ。よって10歳以上年上の姉の子供がディオンヌ(1940年生まれ)なのだろう。シシーから見ればディオンヌは姪(めい)、ディオンヌから見てシシーが叔母(おば)。

ただ、アメリカでは年が離れた女性の親戚を単に「アウント=おばさん」という形容詞をつけて呼ぶ。子供のホイットニー(1963年生まれ)からすれば、23歳も年上のディオンヌは「いとこ」というよりも、「おばさん」という雰囲気なのだろう。

日本ではもっと厳格に、父母の姉には「伯母」、妹には「叔母」の字をあてる。一方、父母の兄には「伯父」、弟には「叔父」の字を用いる。いつも、どっちかわからなくなるので、平仮名で書いたりしてますが・・・。(笑) もちろん、アメリカではそのような文字表記、言い方の区別はない。

ホイットニーの全米ナンバーワン「オール・ザ・マン・ザット・アイ・ニード」はやはり何度聴いてもいい曲だ。また、『天使の贈りもの』はホイットニーのゴスペル・アルバムという意味でも、改めて聴いてもやはりいい作品だ。


アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト\
アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト

天使の贈りもの(サントラ)
天使の贈りもの(サントラ)


ENT>MUSIC>ARTIST>Houston, Whitney

投稿者 吉岡正晴 : 03:19 AM | コメント (0)

October 09, 2006

Philip Reveals His First Encounter With Roy (Part 2)

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【フィリップ・ウー、ロイ・エヤーズと28年ぶりのリユニオン・ライヴ~フィリップ・ウー・インタヴュー(パート2)】

フィリップ・ウーが来る11月5日と6日、恩師ロイ・エヤーズをスペシャル・ゲストに迎えて、コットンクラブでライヴを行う。フィリップがロイとの出会いを語ってくれた。

(昨日までのあらすじ)

シアトルに住むハイスクールの生徒フィリップは、地元のライヴハウスで行われていたジャズ・ヴィヴラフォーン(鉄琴)奏者、ロイ・エヤーズのライヴを見に行き、そこで飛び入りでキーボードを演奏する。ロイに気に入られたフィリップは、その2年後、ロイのバンドに誘われて加入。初仕事がシカゴのライヴハウスでのセッションだった。初めて飛行機に乗って向かったシカゴのライヴハウスの楽屋で、フィリップは驚くべきゲストと出会う。

+++++

弟子恩師。

「ここ(楽屋)にいてもいいかな」とその男はフィリップに向かって言った。なんとそう言った男は、地元シカゴ出身のシンガー、ソングライターでありフィリップのヒーローのひとり、ダニー・ハザウェイだったのだ!! 「彼といろいろ話したよ。そこにいること自体、ものすごく幸せだった」 

フィリップはいまでも、ダニーの作品を多く演奏する。「ゲットー」「サムデイ・ウィル・オール・ビー・フリー」「ア・ソング・フォー・ユー」「ラヴ・ラヴ・ラヴ」・・・。彼がダニーの作品を演奏する時、あのシカゴの「ラッツォーズ」の楽屋での邂逅(かいこう)がよぎることもある。

ロイとのバンド人生は、信じられないほどエキサイティングだった。いつもツアーをして全米中を回り、多くの有名アーティストたちと共演した。70年代を代表するファンキー・ジャズ、R&B、ソウル・アーティストたちだ。フィリップが同じライヴショウで名前を連ねたアーティストたちは、グローヴァー・ワシントン、フレディー・ハバード、エスター・フィリップス、パーラメント、ファンカデリック、ロニー・ロウズ、ギル・スコット・ヘーロン、ヒュー・マサケラ、ウォー、クルセイダーズ、アル・ジャロウ、LTD、ごく初期のキャメオ、マーヴィン・ゲイ、MFSB、テンプテーションズ、グラディス・ナイト&ザ・ピップス、オージェイズ、BBキング、コーク・エスコヴィードなどなどだ。それまでレコードで聴いてファンになっていたようなアーティストたちに次々と会えるようになり、フィリップは大いに興奮し喜んだ。

ロイ・エヤーズのバンドは、大学、シアター、ジャズ・クラブ、大きなフェスティヴァルとどこでも演奏した。大きな会場での演奏と小さなジャズ・クラブでの演奏では観客の反応が違う。そうしたものを、彼は身体で覚えていった。アメリカ中の大きな都市はほとんど行ったという。「当時の音楽は、とても自由(free)だった。自分がプレイしたいように、本当に自由に弾けた。ソロ・パートも自分がやりたいだけ、弾けた。お客さんも、僕のソロが終わって、名前が紹介されると、『ウー!!! ウー!!!』と叫んで大いに喜んでくれた。ロイ・エヤーズ・バンドを辞めた後も、ソロ・パートを弾く時にはいつもこのスタイルで続けた」

ロイとの最初のレコーディングについてフィリップはこう振り返る。「最初のは、『エヴリバディー・ラヴズ・サンシャイン』(1976年)で、アルバムの一部をロスアンジェルスで録音した。確か、バンドがツアーに出る前だった。僕は最初はただスタジオにいただけだったんだが、その時のロイのドラマーだったリッキー・ロウソンが『なんでウーにプレイさせないんだ』って言い続けてくれたんだ。結局、その夜、3曲でプレイすることになった。その春にニューヨークでレコーディングを終えた」

「ニューヨークではいつでも『エレクトリック・レディー・スタジオ』を使っていた。ここでのレコーディングは本当に素晴らしかった。というのも、いつも必ず偉大なアーティストの誰かが、傑作アルバムをレコーディングしていたからだ。そこで僕は、チック・コーリア、ヤン・ハマー、ブレッカー・ブラザース、スティーヴ・ガッド、クリス・パーカー、ナラダ・マイケル・ウォルデン、ジョン・マクラクリン、ピーター・フランプトンなんかに会った。結局、僕がプレイしたロイのアルバムは、『ヴァイブレーション』(1976年)、『ライフライン』(1977年)、『スターブーティー』、『レッツ・ドゥ・イット』(1978年)、『ユー・センド・ミー』(1978年)、『RAMP』、そして、『フィーヴァー』(1979年)だ」

フィリップは、ロイのバンドを1978年暮れに辞めた。

フィリップはその後、フランキー・ベヴァリー&メイズなどに参加。また多くのスタジオセッションに参加、アメリカのソウル、ジャズ系のファーストコールのキーボード奏者となる。

今回のライヴは、ロイがブルーノートにやってくるところから実現した。ロイがブルーノート後に東京に残り、フィリップのライヴのゲストとして登場する。言ってみれば、今回は弟子が恩師を迎えてのライヴということになる。同じステージに立つのは28年ぶりだ。

フィリップにとっても歴史的な一夜になるだろう。特別な感情が湧きあがるかもしれない。こんなライヴは見逃せない。

■フィリップ・ウー・アンド・ロイ・エヤーズ ユビクイティー・リユニオン・ツアー

2006年11月5日(日)、11月6日(月)
丸の内コットンクラブ

http://www.cottonclubjapan.co.jp/ccj/top.html

ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Woo, Philip
ENT>MUSIC>STORY>Woo, Philip

投稿者 吉岡正晴 : 03:51 AM | コメント (0)

October 08, 2006

Philip Woo Will Be At Cotton Club With Roy Ayers: Reunion First In 28 Years : Philip Reveals His First Encounter With Roy (Part 1)

[ ENT>MUSIC>ARTIST>, EVENT & ANNOUNCEMENTS>]

【フィリップ・ウー、ロイ・エヤーズと28年ぶりのリユニオン・ライヴ~フィリップ・ウー・インタヴュー(パート1)】

リユニオン。

日本で活躍するキーボード奏者、フィリップ・ウーのライヴが来る2006年11月5日(日曜)と6日(月曜)丸の内コットンクラブで行われることになり、このライヴ・ゲストに人気ヴァイヴ奏者ロイ・エヤーズが参加することが決まった。ちょうどロイ・エヤーズは10月31日から11月3日まで東京ブルーノートに出演しており、その後東京に残り、フィリップのライヴに登場する。フィリップがロイとの思い出を語ってくれたので、その内容もあわせて紹介する。

フィリップにとってロイ・エヤーズは音楽的恩師(メンター)。フィリップがまだプロのミュージシャンになりたての頃、ロイのバンドに誘われ、ツアーに参加することになった。ロイ・エヤーズ・バンドへの参加が、フィリップのその後のミュージシャン・ライフを決定付けることになった。その意味で、フィリップの音楽的原点とも言えるアーティストだ。

フィリップはロイが発表した当時のレコードにも参加。今回のリユニオンはおよそ28年ぶりのものになる。フィリップが17歳の時(73年)、ロイがフィリップの地元シアトルにやってきたときに出会い、その後ロイのバンドに誘われ、ロイの本拠地ニューヨークに移った。以後、フィリップはニューヨークで多くのR&B系、ジャズ系ミュージシャンと交流を持つようになり、売れっ子キーボード奏者となった。

フィリップがロイとの出会いを語る。

「ロイ(1940年生まれ)と初めて会ったのは僕が高校2年生の時、17歳(1973年=フィリップは1956年シアトル生まれ)だった。彼は、僕の地元シアトルの『ギャラリー』というジャズ・クラブに演奏しにきていた。その時はあまり客もいなくて、オーディエンスに『誰かステージに上がって何かプレイしたい奴はいるかい』と声をかけた。僕はステージに上がり、バンドと一緒に何曲かプレイしたんだ」 

これがロイとフィリップの初対面だった。1973年のことだ。それから2年後の1975年、フィリップがハイスクールを卒業した頃、またロイが街にやってきた。

「ロイは『パイオニア・バンク・ジャズ・クラブ』という店で演奏していた。で、そこで2年前に会った僕のことを覚えていてくれた。その時は彼のバンドにはキーボード奏者はいなかったんだが、ステージにはエレクトリックピアノとシンセサイザーが置かれていた。『プレイしたいか』というので、僕は当たり前のようにプレイした。彼に、『俺(ロイ)の曲で何か知ってるか』と聞かれ、『もちろん全部知ってます』と答えた。その夜は、ずっとバンドと一緒にプレイしたんだ。とても気持ちよく素晴らしかった。彼に、また(翌日も)来て、プレイしていけと言われ、結局その後2週間(彼の出演期間中)ほとんど毎日クラブ通いすることになったんだ」

フィリップはある日、ステージ前の午後にクラブに来てくれと呼び出される。ロイはフィリップに1本のカセットテープを渡し、楽譜に起こしてくれと頼んだ。「ある曲をロイはカヴァーしたがっていたんだが、その曲を楽譜にしたんだ。それをきっかけにして、ロイは僕のことをずいぶんと目にかけてくれるようになった。例えば音楽的にも、僕にスイング・スタイルのジャズっぽい演奏をするように指示されたりした」

そして、その日フィリップは彼にこう言われたのだ。「ニューヨークに来て、俺のバンドに入らないか?」 フィリップは喜び勇んで「イエス」と答えた。「シアトル出身の19歳の子供にとっては、それはそれはエキサイティングなことだったよ」

バンドに正式に入ったのは、それから3ヶ月後のことだった。ロイがフィリップに航空券を送ってきた。フィリップはそれまで飛行機に乗ったことはなかったが、初のフライトで彼はロイのバンドが待つシカゴに向かった。

その夜フィリップはシカゴのノースサイドにある「ラッツォーズ」という店でプレイした。「そのバーで、僕はあの伝説のギタリスト、ケニー・バレルに会ったんだよ」とフィリップは言う。「彼はとてもフレンドリーで、今まで中国系のピアニスト(フィリップ自身のこと)に会ったことはないと言っていた。その夜は、もうひとりステージに飛び入りで上ってきた。(シンガーの)フローラ・プリムだった。当時のロイのベーシストがジョージ・デュークとプレイしていたので、そのつてで、フローラが遊びに来ていたんだ。彼女が少し歌っていった」

そして、フィリップが楽屋に戻ると、驚くべき客人がそこにはいた。

(つづく)

■フィリップ・ウー・アンド・ロイ・エヤーズ ユビクイティー・リユニオン・ツアー
2006年11月5日(日)、11月6日(月)
丸の内コットンクラブ
http://www.cottonclubjapan.co.jp/ccj/top.html

フィリップ・ウー・オフィシャル・ウェッブ
http://www.k5.dion.ne.jp/~p.woo/

■ロイ・エヤーズ過去ライヴ評

2003/08/21 (Thu)
Roy Ayers Live At Motion Blue: Music Makes Him Young
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20030821.html

2004/03/11 (Thu)
Roy Ayers Live At Blue Note: Music Is My Lady, My Mistress
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20040311.html

ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Woo, Philip
ENT>MUSIC>STORY>Woo, Philip

投稿者 吉岡正晴 : 01:02 AM | コメント (0)

October 03, 2006

Autochanger Player Makes Flip Of Side 1 Into Side 4

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【なぜサイド1の裏はサイド4か】


オートチェンジャー。

スティーヴィー・ワンダーの2枚組みアルバム『ソングス・イン・ザ・キー・オブ・ライフ』について書いた2006年9月30日付けの日記で、アメリカ盤のLPレコードは、サイド1の裏がサイド4で、サイド2の裏がサイド3になっていると書いた。これについて、読者の方2人からメールをいただいた。

9月30日付け日記。
September 30, 2006
30th Anniversary Of "Songs In The Key Of Life"
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_09_30.html

こうなっているのには、理由があるという指摘だ。70年代当時、アメリカなどで流行っていたレコードのオートチェンジャーというステレオ・システムがあった。このオートチェンジャーは、レコードの穴に差し込む棒が長くなっていて、そこに数枚のレコードを乗せ、一枚の演奏が終わると自動的に次のレコードか下に落ちて、また演奏し、それが終わると再び上から1枚落ちてきて演奏するというもの。

LPを6枚程度連続で演奏できるもので、これだと約2時間ほどノンストップでレコード演奏が楽しめる優れものだ。

2枚組のレコードは、このオートチェンジャーでの演奏を想定して、サイド1の裏にサイド4をいれおいて、1の上に2と3が一枚になったものを乗せる。そうすると1の次に2が自動的にかかる。そこで、こんどは引っくり返して3と4を連続演奏できるというものだ。これが1の裏に2だとできない。

オートチェンジャー用に1の裏に4、2の裏に3という仕様になっていたのだ。

実は、日記を書いていた時には、そのオートチェンジャーのこともほんの少し頭をかすめたのだが、何も書かかないで日記をアップしてしまった。ただ、やはり説明不足感は確かに否めないので、改めて追記してみた。

守島さんと佐野さん、いつもご愛読とご指摘ありがとうございます。

守島さんからいただいたオートチェンジャーについての記事。
http://www.kanshin.com/keyword/78244
ここの写真で映っているように、上のレコードが下のレコードの演奏が終わると、落ちてくる。

うちにも昔オートチェンジャーのステレオがあった。シングル盤をセットする時には、軸のところにシングル用の大きな棒を差し込む(シングル盤の穴のほうが大きいため)。レコードが終わると、針が溝の中心のところに進むが、それを感知して、針とアームが所定の位置に戻る。すると、その後上から1枚レコードがぱたっと落ちる。すると、またアームがレコードの外側の端っこに進み、自動的に盤面に着地するのだ。

そういえば、針とアームが所定の位置に戻る前に上からレコードが落っこちないか、心配したこともあったっけ。

ENT>MUSIC>ALBUM>Songs In The Key Of Life
ENT>MUSIC>ESSAY

投稿者 吉岡正晴 : 07:00 AM | コメント (0)

September 26, 2006

Happy Birthday To Martin

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【アジとマーチン】

新ユニット。

Martini Blendマーチン(鈴木雅之)さんが9月22日に50歳の誕生日を迎え、24日、ファンを集めたイヴェントが行われた。

会場は品川プリンスホテルのクラブ・エックス(ClubEx)。僕はここは初めて訪れたが、真中に丸いステージがあって、それを囲むように客席がある。また、2階には360度囲む席がいくつかのコンパートメントになってあり、これはVIP席のような雰囲気。上からステージを見下ろすことになる。

ちょうど入っていったところ、若手ヴォーカル・グループ、アジ(A.J.I.)がステージにでていて、マーチンさんとドゥーワップを歌うところだった。そして歌われたのが、1956年、マーチン誕生年のヒット「イン・ザ・スティル・オブ・ザナイト」。さらに、フランキー・ライモン&ティーンエイジャーズの「ホワイ・ドゥ・フールズ・フォーリン・イン・ラヴ(邦題、恋は曲者)」、さらにアジとマーチン合同で、スパニエルズの「グッドナイト・スイートハート、グッドナイト」などだ。命名王マーチンが、また、「マーチンとアジ」の新ユニットに名前をつけた。その名は~~

マジ!!

 
山田くん、座布団、あげといて。最近では、真剣と書いて、マジと読む。となると、ユニット名は「真剣」か。う~む。

それにしても、このファンイヴェント、年に2回ほど行われるというが、ファンクラブ会員から抽選で500人ほどしか来られないというレアもの。マーチンさんが、みんなと一緒に写真を撮るというのがひとつの売りになっているそうだ。それにしても、みんなと写真撮るのって、大変。おつかれさまです。

ENT>MUSIC>ARTIST>Suzuki, Masayuki

投稿者 吉岡正晴 : 01:45 AM | コメント (0)

September 24, 2006

Madonna Speaks: Questions About Madonna Revealed, A Little

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【少しわかったマドンナの謎】

謎解き。

先日の日記(9月22日付けブログ)でマドンナの謎をいくつか書いたところ、さっそく読者のYさんから情報をいただいた。そこで、さらにいくつか調べてみて、わかったことを報告しよう。

まず、冒頭の「落馬のシーン」。これは、昨年(2005年)8月16日のマドンナの誕生日に、彼女は誕生日プレゼントとして馬をもらった。そして、ロンドンの自宅でそれに乗っていたところ、落馬して大怪我をしたのだ。このニュースを僕は知らなかった。その後、彼女は驚異の回復力を見せ、今年(2006年)5月からの世界ツアーを行ったのはご存知の通りだ。

なるほど、それであの「落馬の映像」が次々とでたのだ。納得だ。

そして「十字架のシーン」。これに対してさまざまな反応がでたという。

ローマンカトリック教:「神への冒涜である」
イスラム教:「悪趣味である」
ユダヤ教:「場所をわきまえるべきである」

ライク・ア・プレイヤーマドンナの歴史を振り返ると、1989年、4作目のアルバム『ライク・ア・プレイヤー』をリリースした時、シングルとなった「ライク・ア・プレイヤー」のプロモーション用ビデオで十字架を燃やして、物議をかもし出していた。また、1990年のシングル「ジャスティファイ・マイ・ラヴ」のプロモーション用ビデオでも聖書を冒涜(ぼうとく)するシーンがあって、一部で放送禁止になっていた。

欧米では、十字架を背負って歌うだけで、拒絶反応がでるようだ。とても神聖なものに触れていることがだめなのだろう。このあたりの感覚が、宗教観の違う日本人ではなかなか理解できないのかもしれない。

檻(おり)のシーンは、今回のテーマが「コンフェッション(懺悔=ざんげ)」ということで、ひょっとして、これまでの罪を懺悔しているシーンを演出しているのではないか、とYさんは推理している。なるほど、そう言われると、そうかもしれないとも思った。あるいは、檻を既成概念のようなものとして捉え、「そんなものはくそくらえ」と言ってるのかもしれないとも考えた。

そして、マドンナは9月21日、ワールドツアー最後の日本公演を終えて、ロスアンジェルスでこの十字架の件について声明を発表した。

「私が十字架に処されるパフォーマンスに関して、さまざまな誤解があるようなので、自らはっきりさせておきたい。これは十字架の着用や、聖書に記されているように、十字架を背負う、ということと同じ。私のパフォーマンスは反キリスト教でも、神への冒涜(ぼうとく)でもないし、不敬でもない。むしろ、お互いを助け合い、世界をひとつの共同体として見てほしいという、観客への呼びかけである。もしイエス(キリスト)が生きていたら、彼も同じことをすると、私は心から信じている」。

 
さらに、付け加えてこう解説した。「アフリカでは毎日大勢の子供たちが亡くなっていて、彼らは生きていても十分な世話も治療も受けられず、希望もないということに注目してもらうこと。人々には心を開いて、できることがあったら何でもしてほしい」。(発言はロイター通信より)

ロイター通信のニュース

http://news.www.infoseek.co.jp/search/story/22reutersJAPAN229380/%A5%DE%A5%C9%A5%F3%A5%CA/

Yさん、ありがとうございました。

ENT>MUSIC>ARTIST>Madonna
ENT>MUSIC>LIVE>Madonna


投稿者 吉岡正晴 : 03:43 AM | コメント (0)

September 19, 2006

Chante Moore & Kenny Lattimore: Does Their Live May Cause Pregnancy?

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【シャンテとケニーがデュオを組むと・・・】

妊娠。

シングス・ザット・ラバーズ・ドゥそれぞれがR&Bシンガーとして、また、おしどり夫婦デュオとして活躍するシャンテ・ムーアとケニー・ラティモア。日曜の『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」のコーナーでもご紹介したが、今週、丸の内のコットンクラブでライヴをしている。

シャンテはかつてインタヴューしたことがあるが、ケニーは会ったことも、ライヴを見たこともないので、楽しみだ。

ところで、デュエットには二つのパターンがある。いわゆる「パーマネント・デュオ」という永続的に続いているデュオがひとつ。もうひとつが、ワンショット的にデュオを組む「ワン・ショット・デュオ」。アシュフォード&シンプソンや、サム&デイヴ、マリリン・マックー&ビリー・デイヴィス・ジュニア、ピーチェス&ハーブなどが前者の例。後者の例はピーボ・ブライソン&ロバータ・フラックとか、ピーボとナタリーとか、ピーボはワンショット・デュオが多い。あるいは、ルーサー&マライア、ルーサー&ビヨンセなどもワンショット・デュオ、企画的なデュオだ。

で、このシャンテ&ケニーがどちらなのか、判断がつきかねるのだが、パーマネント・デュオとしてやっていくのであれば、ぜひ、名前をずばっとつけていただきたい。

とってもいいアイデアを思いついた。番組内でも言ったのだが、ケニー・ラティモアとシャンテ・ムーアの2人組のユニット名はこれで決まりだ。

ラティムーア。Lattimore と Moore をあわせて、Lattimoore。

ラティモアの「O」をいっこ増やせば、いいだけ。完璧でしょう。今週中になんとか時間を見つけて、このライヴには行くつもりなので、そこで彼らに会うチャンスがあれば、提案したみたいと思う。

シャンテが3歳年上という夫婦。それにしても、彼らの2003年に出たアルバムは、注意書きに「このアルバムを聴くと、妊娠する怖れがあります」とある。やるもんだ。(笑) どんなライヴなんだろう。彼らのライヴを見ると妊娠するのだろうか。

■コットンクラブ

http://www.cottonclubjapan.co.jp/ccj/top.html

シャンテ・ムーア&ケニー・ラティモアは、9月18日から24日まで20日(水)を除いて毎日。

ENT>MUSIC>ARTIST>Lattimore, Kenny & Moore, Chante

投稿者 吉岡正晴 : 02:59 AM | コメント (0)

September 18, 2006

Frank McComb's Night Session...

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【フランク・マッコムのナイト・セッション】

ナイト・セッション。

THE TRUTH-Volume1先日の東京ジャズにマーカス・ミラーとともにステージに立ったフランク・マッコム(9月3日=4日付け日記参照)。 この組合せを初めて聴いたときには、びっくりしたものだが、いろいろ話をきいてみると、まあ、自然の流れというか、あってもぜんぜんおかしくないんだなあ、ということがわかった。

日曜の東京ジャズの夜の部、同業の佐藤英輔氏、それからマルらを誘っていってみた。実は、フランクから滞在中にインタヴューを受けたい、という連絡があって、英輔氏に頼んでみたのだ。そうしたら前回フランクのCDがトイズ・ファクトリーから発売されたときにも、インタヴューしていて二つ返事で音楽雑誌用にやってくれることになった。

ところが、大体、フランクに時間がないのだ。(笑) ざっくりした日程では、1日(金)来日、2日(土)リハ、3日(日)本番、4日(月)朝帰国という。おいおい、いつできるんだあ。ってなわけで、結局、3日本番ライヴ終わった後に小一時間でもやりましょうか、ということになった。

6時半始まりでライヴが9時半に終わって、10時か10時半くらいからホテルでできればいいなあ、と思っていたのだが・・・。ま、「ナイト・セッション」ですね。

しかし、あ・ま・か・っ・た・・・。三者のライヴが終わった後、最後ということで軽い打ち上げが始まった。ほんとは、ライヴ後ホテル待ち合わせの感じだったが、とりあえず打ち上げのところに入ってフランクと再会。しかし、出演者がだいたい揃っていて、みんな飲んだり、食べたりで、とても終わりそうにない。一緒に行ったマルは、マーカスに写真を撮られるわ、トニー・メイデンとは友達になりたいと言われるわ、佐藤氏は佐藤氏でトイズの人たちと立ち話をするわで収拾がつかない。フォトグラファー、Yはホテルで待たせてるし、駐車場は11時で閉まるとかで、とりあえず車をだしがてら、Yをピックアップに。そして、また会場に戻ると、いきなりパーティーお開きの空気に。

そこで、みんなでホテルにトンボ帰りすることになった。な〜んだ。(笑)ところがホテルでは、コーヒーハウスは終わり、バーも1時までなら、という。うーむ、場所がないってことで、裏の人目につかないロビーで話をすることにした。フランクは、「じゃあ、ちょっと荷物、部屋においてくるから。すぐに戻る」と言ってロビーから部屋に。我々はロビーで待つ。

しかし、これがまた戻ってこない。(笑) 「一緒に行くべきだったな(笑) それで連れてくるのがベスト」 しばらしくして、部屋に電話してみるものの、電話にはでない。「あ〜〜、まさか寝てしまったのでは?」 どうしましょう。で、しばらくすると、フランク登場。やっとの思いで取材は始まった。

その模様はいずれ佐藤氏がどこかに書くものと思われるので詳細は省くが、だいたいこんな感じかな。

今、イギリスなどで出回っている『ストレート・フロム・ザ・ヴォールト』のアルバムは、日本でもいずれ出したい。トイズから出る方向性。また、新作もそろそろ作って、リリースしたい。

同じくブートレッグとして出回っている『ブートレッグ:モータウン・セッション』の出た経緯などもいろいろ話してくれた。

いますべて自分でやっていて、レコード会社も、ワンマン・レコード・カンパニー、マネージもライヴのブッキングも自分でやっている、という。

スティーヴィーとの出会い、プリンスとのこと・・・。

フランクは、ひとたび話し出すと止まらない。通訳するのもおいつかなくなる。(笑) というわけで、たっぷりお話しをして、写真を撮影して、ホテルを出たら2時過ぎていた。う〜む、長いナイト・セッションだった。英輔さん、おつかれさま、そして、ありがとうございました。

ENT>MUSIC>ARTIST>McComb, Frank

投稿者 吉岡正晴 : 12:12 AM | コメント (0)

September 15, 2006

Luther's Mother Promoting Her Son's Album

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ルーサー母親が息子の新作をプロモート】

ロニー。

The Ultimate Luther Vandrossルーサー・ヴァンドロスの未発表曲2曲を含むベスト・アルバム『アルティメート』が日本でもリリースされるが、アメリカではこのアルバムのプロモーションに母親であるメアリー・アイダ・ヴァンドロスが尽力している。アメリカのバルティモア・サン紙にとてもよい記事が掲載されていたのでご紹介したい。この記事の筆者ラショッド・オリソンは、同紙のR&Bエディター、音楽評論家のようで、週一のコラムを書いている。アーカイブを見たところ、けっこう興味深い記事を書いているので、これから定期的に見ていこうかなと思った。

ルーサーのベストについての記事は同紙2006年8月31日付けに掲載された。(以下は大意)

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ルーサーの母、大きな喪失に耐える

メアリー・アイダ・ヴァンドロスにとって、いまだ傷は癒えない。いかにしてその痛みを和らげればいいのか、その方法はわからない。彼女にいた4人息子の最後の息子を埋葬してから一年経っても、母親は息子の音楽を聴くことができない。

「なんとか聴けるように少しずつがんばっているの。かつてはまったくだめだったけれど、そのうちなんとかね」 

今年82歳になるメアリー・ヴァンドロスはため息をついて語る。「たまたま、ラジオやテレビから(ルーサーの)音楽が流れてくると、スイッチを切るわ」 今回は新作アルバムのプロモーションに手を貸しているが、取材時にはルーサーの話しと同時に糖尿病の恐ろしさについても、語っている。ルーサーの父も1959年、ルーサーが8歳の時に糖尿病で他界している。「私は母親としてあまりに多くのものを失ってきました。4人の息子のうち3人を糖尿病で、そして、ひとりを喘息(ぜんそく)で亡くした。これまでも大きな痛みを感じてきました。これからも、そう感じるでしょう」

メアリーは今年、11人いる孫のうちのひとり、31歳のレイモンをやはり糖尿病で亡くしている。そのため、この病気への知識を持ち、対処するように強く勧める。

ルーサーの健康問題について母は語り合ったことはなかったという。ルーサーに糖尿病の問題があることを知ったのは、2003年4月16日、ルーサーがニューヨークの自宅アパートで倒れた時のことだった。

ファミリーたちはルーサーのことを親しみを込めて「ロニー」と呼ぶ。これはルーサーのミドルネーム「ロンゾーニ」を短くしたものだ。ロニーは、自分がツアーに出るときに、親戚たちをよく連れて行った。甥っ子、姪っ子などが子供の頃、彼らのおしめをステージ横や楽屋で変えていたという。

メアリーはルーサーの音楽を聴いていると微笑むが、すぐに悲しみが襲ってくるという。そして涙が溢れてきて、その音楽を止める。ルーサーの音楽に母は孤独感(ロンリネス)を感じるという。「今、彼の音楽を聴くととても心が痛む。神様、いつになったら、こんな苦しみを終わらせてくれるのかしらと思う。でも、ロニーは彼の音楽で世界中の人々を幸せにしたのよね。それが彼に授けられた才能だったのね」

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ENT>ARTIST>Vandross, Luther

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From the Baltimore Sun

Luther's mother bears pain of great loss
Music Notes: Rashod D. Ollison

http://www.baltimoresun.com/entertainment/bal-li.popcol31aug31,0,2369829.column?coll=bal-home-columnists

Originally published Aug 31, 2006

Rashod D. Ollison


The pain is still fresh, but Mary Ida Vandross has to find a way to face the music. A year after burying the last of her four children, the great song stylist Luther Vandross, the Philadelphia resident can hardly bear to hear recordings of her son's famed champagne tenor.

"I'm getting a little adjusted to listening," she says. "Before, I just couldn't do it. It's one day at a time."

She's promoting The Ultimate Luther Vandross, a posthumous best-of collection with two previously unreleased songs. The album hit stores last week. "Shine," one of the new cuts on the 18-track set, was a surprise hit on adult-urban radio this summer.

Vandross sighs. "Sometimes I'd run to the radio or the TV and turn it off when his music came on." In addition to promoting the CD, she is also raising awareness of diabetes, the disease that ultimately killed Luther and several other members of the family, including his father, who died in 1959 when the singer was 8 years old. "I've lost so much as a mother," says Vandross, 82. "I've lost four children, three to diabetes and one to asthma. I'm hurting, and I will always hurt somewhat."

A recent survey overseen by Novo Nordisk, a health care company based in Princeton, N.J., found alarming educational, behavioral and attitudinal gaps about diabetes across three generations. In changing diet and exercise habits that could improve their health, young folks with the disease (ages 18 to 40) lag behind baby boomers (41 to 59) and seniors (60 and older). The survey, which evaluated nearly 2,000 people, revealed that seniors took better care of themselves -- exercised, ate more fruits and vegetables and regularly checked their blood glucose level -- by nearly 80 percent over the younger groups.

The information hit home with Vandross, who recently lost yet another relative to complications from diabetes: Ramon, one of her 11 grandchildren. He was 31.

"Diabetes is cruel and heartless," she says. "It doesn't care who it affects. If you can do anything about it, do it. Don't let it go through your family."Although throughout his 30-year career Luther's weight fluctuated drastically, he never discussed his health problems with his mother. She had no idea there were any serious issues until April 16, 2003, the day Luther suffered a debilitating stroke in his New York City apartment.

"He never discussed his diabetes with me," says Vandross, a retired nurse. "I wonder why. I wonder what I could have done. The stroke was a rude awakening. As a mother, I wanted to do something." To work through the pain, she often reflects on the good times with Luther, whom the family called Roni, a shortened version of his middle name, Ronzoni. There were extravagant trips to the Caribbean, shopping sprees in Beverly Hills, lavish holiday dinners. Luther toured the globe often and usually brought along several relatives."He'd have his nephews when they were little, and he'd be backstage changing diapers right before a show," Vandross says, giggling.

A lifelong bachelor dogged by gay rumors throughout his career, the singer, who was 54 when he died on July 1 of last year, never discussed such personal issues with his mother.

"He was a very private man in some areas of his life," Vandross says. "If something was bothering him, he wouldn't share with me. I'd say, 'Roni, what's wrong? Let me worry for you.' He wouldn't share. He wanted to be grown and handle his own business."

She says he always found solace in music. As a child, she could hardly pull him away from his Dionne Warwick and Aretha Franklin records.

"He'd do what you told him to do," Vandross says. "He never gave me any problems. You know, none of my four children ever stood up and sassed me. If it was Roni's week to wash dishes, he'd do it. But he did it with those records playing. He learned to cook to music, and Roni was an exceptional cook. I taught both my sons to cook and clean like it's nobody's business."

Though The Ultimate Luther Vandross doesn't trump the more extensive two-disc Essential collection Sony released last year, it succinctly sums up the singer-songwriter's career on Epic and J Records. "Shine," which heavily samples Chic's 1979 jam "My Forbidden Lover," is perhaps Luther's most exuberant dance cut since 1981's classic "Never Too Much."

Vandross says the song brings on a smile, but then the sadness weighs on her; the tears start to flow and she turns the music off.

"I've felt the loneliness," she says, her voice breaking. "To listen to the music now, it hurts. I'm serious in wondering, 'Lord, when will it stop hurting?' But Roni made so many people happy with his music. That was his gift."

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投稿者 吉岡正晴 : 03:28 AM | コメント (0)

August 30, 2006

K-Ci Hailey On "Soul Blends"

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ケイシー・ヘイリー・ソロアルバム・リリース】  

復活。

地下駐車場からエレヴェーターに乗ると、1階でブラザー軍団が乗り込んできた。なんと、この日(8月27日)の『ソウル・ブレンズ』のゲスト、ケイシー(・ヘイリー)たちご一行様だった。ボディーガードはでかいが、ケイシーは細身で、しかも顔が小さい。

スティーヴィー・ワンダーの「レイトリー」がオンエアーで流れているちょうど、その時、ゲストのケイシーがスタジオのマイクの前に座った。そしてヘッドフォーンをつけると、まもなく、彼はスティーヴィーにあわせて歌いだした。もちろん、ケイシー自身もレコーディングしているので、歌詞など朝飯前だ。彼はいつでも、どこでも歌うという。かなりの「歌いたがり屋」らしい。

新作アルバムにして、初ソロ・アルバム『マイ・ブック』のプロモーションで来日。

マーヴィンの質問に答えてケイシーは語る。「ジョデシーの日々、ケイシー&ジョジョの日々、そして、ケイシーのソロ・・・。木がどんどんと大きくなっている、ただそれだけのことだよ。そして、今は新たなるケイシーの日。僕の本(マイ・ブック=アルバム・タイトルとかけている)は、僕がこれまで経験してきたこと、感じたこと、ジョデシー時代のこと、ケイシー&ジョジョ時代のこと、そんなことをケイシーが感じたことを歌っている。ひとつひとつ、テーマをピックアップしてね」

ケイシーはマイクを食べてしまいそうなほど、近づいてしゃべる。そして、とてもディープな声。「ケイシー本人のことを、その本を読むまで、決め付けないでくれ」とも言う。ちょっと南部訛りのある英語で、しかも早口でしゃべる。「オー、イエー」と発する声だけでさえ、かっこいい。

ケイシーが影響を受けたシンガー。「まず両親。ゴスペルを歌っていた。ずっと自分もゴスペルを歌っていた。それから、スティーヴィー、アンクル・ボビー・ウーマック、シャーリー・シーザー、グラディス・ナイト、シーシー・ワイナンズ、ニューバース・・・。ニューバースの『ワイルド・フラワー』を何年か前に歌った・・・」

日本も大好きだというケイシー。「ソロもやるし、ケイシー&ジョジョでもやる。そして、ジョデシーでもやってくるよ。ジョデシーのアルバムもレコーディングしている」 ほ~~、ジョデシーの復活か。これはニュースだ! 

それにしても、喋り声、曲紹介の声がかっこいい。思わず言った。「ラジオのDJやれば?」 ケイシーが笑いながら応えた。「DJの仕事くれ」

■ケイシー新作
K-Ci "My Book"
フォーミュラー・レコーディングスPOCE12002
2100円 2006年8月23日発売

(ケイシーの項続く)

ENT>MUSIC>ARTIST>Hailey, K-Ci

投稿者 吉岡正晴 : 04:58 AM | コメント (0)

August 23, 2006

Sam Moore's First Solo Album In 34 Years

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【サム・ムーア、34年ぶりの新作アルバムが豪華ゲスト入り】

奇蹟。

オーバーナイト・センセーショナルソウルマン」「ホールド・オン・アイム・カミン」などの大ヒットで知られるソウル・デュオ、サム&デイヴの片割れ、サム・ムーアが新録による新作アルバムを出す。タイトルは『オーヴァーナイト・センセーション』で、全米では8月29日発売、日本では9月13日発売。サム・ムーアは一度1972年にソロ・アルバム『プリティー・グッド・ラヴィン』を録音していたが、長く発売されずお蔵入り。これは録音から30年後の2002年に発売された。サム・ムーア・ソロとしては、リリースとしては4年ぶりの新作、録音ベースで言えば、34年ぶりのソロ作品となる。

今回は全12曲に、様々なスター・アーティストをゲストに迎えている。ワイノナ、ファンテイジア、ブルース・スプリングスティーン、ジョン・ボン・ジョヴィ、スティーヴ・ウインウッド、スティング、マライア・キャリー、ヴァン・ハント、ビリー・プレストン、シーラE、エリック・クラプトンなどが参加、ゲストだけでも超話題盤となっている。プロデュースは、人気オーディション番組の『アメリカン・アイドル』の辛口審査員ランディー・ジャクソン。

ライナーノーツは、2002年の映画『ソウル・サヴァイヴァー(Only The Strong Survive)』をてがけたロジャー・フリードマンが書いている。(映画に関しては下記リンクを参照) この映画の中で、サム・ムーアのインタヴューやライヴが紹介され、フリードマンと接点がありライナーを書いた。

それにしても、このアルバムを聴くと、サム・ムーアというのはここまでディープなソウル・シンガーだったか、ということを思い知らされる。特にアルバム冒頭の「アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン」。重いバックに、サムの歌声、さらにワイノナの声がからむ。アン・ピーブルズやティナ・ターナーのヴァージョンもあるメンフィスソウルの名曲。この一曲を聴くだけで本アルバムの価値はある。

他にも珠玉の名曲が続々登場する。このアルバムを聴いていると、サム・ムーアが細身のスーツを着て、それぞれのゲストシンガーたちと一緒にステージで飛び跳ね、踊っている姿が目に浮かんでくる。

それにしても、これだけのアメリカ音楽業界の大物たちを勢ぞろいさせるサム・ムーアは、やはり「生きる伝説」だ。そして、彼も不遇の時代から見事にサヴァイヴした。来年のグラミーへの期待も高まる。

ソウル・マンがこうして奇蹟のアルバムを出すとなると、もうひとり、「ラスト・ソウル・マン」ことボビー・ウーマックはどうしているのだろうか、と気になるものだ。

■サム・ムーア 『オーバーナイト・センセーショナル』

¥2,580(税込) ¥2,457(税抜)
国内盤 CD 発売日: 2006/09/13
レーベル: ライノ
品番: WPCR-12433

TRACK LIST

01. I Can't Stand the Rain - with WYNONNA, Special guests BEKKA BRAMLETT & BEBE WINANS (vocals) & BILLY PRESTON (Hammond B-3)
02. Better To Have And Not Need - with BRUCE SPRINGSTEEN
03. Blame It On The Rain - with FANTASIA
04. Lookin' For A Love - with JON BON JOVI
05. Ain't No love - with STEVE WINWOOD
06. None Of Us Are Free - with STING
07. It's Only Make Believe - Special guest vocals by MARIAH CAREY & VINCE GILL
08. Don't Play That Song ( You Lied) - with BEKKA BRAMLETT
09. If I Had No Loot - with VAN HUNT & NIKKA COSTA, Special guest BILLY F. GIBBONS (guitar)
10. Riding Thumb - with TRAVIS TRITT, Special guest ROBERT RANDOLPH (pedal steel)
11. We Shall Be Free - with PAUL RODGERS
12. You Are So Beautiful - with BILLY PRESTON ,Special guests ZUCCHERO (vocals), ERIC CLAPTON (guitar) & ROBERT RANDOLPH (pedal steel)

■関連過去記事

2004/02/17 (Tue)
Only The Strong Survive: The Soul Movie
映画内容紹介と映画評。

http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200402/diary20040217.html

2004/06/24 (Thu)
Talk About "Only The Strong Survive" At Relocated Soul Bar Sugar Hill
日本での公開決まる。
http://www.soulsearchin.com//entertainment/soulbars/diary20040624.html

2004/11/07 (Sun)
"Only The Strong Survive": Some Questions & Answers
イヴェントでの質疑応答。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200411/diary20041107.html

ENT>MUSIC>ARTIST>Moore, Sam

投稿者 吉岡正晴 : 07:07 AM | コメント (0)

August 18, 2006

Hino Terumasa Talks: Hino Legend Is Here To Stay

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【日野伝説かくありき】

伝説。

世界の日野が、番組のゲストに登場。その収録に立ち会った。

世界の日野は、とってもきさくな面白い人であった。

世界の日野は、プロモーションにやってきた新作は何枚目のアルバムですかと問われ、「僕はいつも3枚目」だと言っていた。

世界の日野は、駄洒落が大好きだった。

そして世界の日野は、自分がインタヴューされ書かれた記事や、オンエアーされたものを決して読んだり、聞いたりしないと宣言していた。

世界の日野は、めちゃくちゃ潔かった。

表現者たるもの、自分が人前で表現したもの、公開したものについては、何を言われ、何を書かれても、それを甘んじて受け入れるだけの度量がないとだめだ。誉められるのもけなされるのも、表現者の宿命。世界の日野は、表現者の何たるかを完璧に知っていた。

収録が始まる前に軽く雑談をしていたのだが、その段階からざくざく財宝のような言葉、コメントがでてきた。あわててメモしたもの、記憶に残ったものをアットランダムにご紹介しよう。

「選曲? なんでもいいよ。好きな曲、選んでよ。(僕にとっては、完成したアルバムは)もう終わったものだから。古い作品、レコーディングを終えた作品は一切聴かない。過去は振り返らない。(録音した)曲というのは、まさに今日のドキュメント。今日、演奏家がやったことの証拠。若干の間違いがあっても、ミスっても、それはその日の自分のドキュメントだからいいじゃない。それをかっこよく直そうなんて変な考えを出しちゃいけないよ。人生自体がやり直しがきかないだろ。それと同じだ。潔く、勇気を持って、成功も失敗も受け入れる。それも人生ということだ」

「取材されたもの、書かれたもの、絶対読まないね。こうやって収録されたものも、後からオンエアーとか絶対聴かない。もし、自分の作品が酷評されているのを読んだら、頭来るじゃない。自分が言ったことと違うことを書かれたら、それでもまた『この野郎』と思う。自分は、自分が言ったことに責任を持っている。だから、発言には自分が全責任を負う。だけどそれが後で(ライターによって)どう書かれるかは、関係ない。昔は、結構そういうの読んで、頭来たら、今度会った時に殴り倒してやろう、なんて熱くなってたけど(笑)、最近は読まないから、そうはならないね。取材した後は、どうぞ(ライターの方)お好きにお書きください、って感じだね」

「自分が舟だとするじゃない。そうすると、世界中を航海するうちに、その舟には藤壺がくっついて、舟が重くなっていく。でも、その重さがいい。深みが出てくる。一緒にやるミュージシャンからも刺激を受け、いいサウンドを作る。藤壺が重くなればなるほど、(バンドの)サウンドも重くなっていく」

「ミュージシャン、アーティストは、自分が一番強いんだということを吐いて、それを多くの人に受け入れて欲しいとは思ってる」

「ミュージシャンっていうのは、例えばレコーディングの日が決まるとなると、その日まで毎日一日24時間、ずっとそのことばかり考えている。で、全然曲なんか書けなくて。悶々として。でも、自分のエゴとかをどこかにぱ~と全部捨てて、気持ちをニュートラルにしていると、誰かの力によってやらされることになるんだ。曲が書けたり、演奏ができたり。自分の力とかじゃなくて、誰かの力にやらされている、って感じになる。神経をニュートラルにして、集中していると、力が抜けていい演奏ができたり、いい曲がふと書けたりするものなんだ。欲みたいなものがなくなるといいんだろうね」

「スキーは59歳で1級を取った。始めて7年位かな。やりだすと徹底的にやってしまう。結局ね、僕は負けず嫌いなんですよ。加山雄三さんも言ってたけど、彼も負けず嫌いなのね。だから、見えないところで努力する。自分に課すんだね」

「この前、伊万里焼やってね。そこに絵を描いたんだけどね。それから絵の個展なんかもやるのよ。コテンコテンなんてね。(笑) でも、絵もデフォルメしないと気がすまないんだ」

「子供の頃、親父にタップダンスをやらされてね、で、やって。それも好きで、トランペットもずっと好きで、今でも吹くのが大好きでね。この前、何日か吹かなかった日があって、久々に吹いてみたら、音はひどいんだけど、トラペット吹くの楽しい、なんて思ちゃってね。まあ、(自分の人生は)線路引かれてて、その線路の上を歩いているっていう感じかな」

「結局、ミュージシャンも人間同士のコミュニケーションなんだよ。自分が若手のミュージシャンからインスパイアーされていい演奏ができることもあるし、僕も若手に影響を与えていることもきっとあるのだろう」

「音楽はピュアかそうでないかだけで判断する」

実にスリリングで面白い語録だった。

世界の日野は、最高だった。

そして、世界の日野はおそらくこの文章を読むことはない。 

(なお、番組はすでにKMIX、FM横浜で放送されました)

ENT>MUSIC>ARTIST>Hino, Terumasa

投稿者 吉岡正晴 : 03:55 AM | コメント (0)

August 08, 2006

Kishita Kohshi On "Toku Dane"

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【木下航志、『とくダネ!』を席巻】

進化。

絆\昨日(8月7日月曜)、フジテレビ系列で毎朝放送されている生情報番組『とくダネ!』(毎週月曜~金曜午前8時から9時55分)に、木下航志君が出演し、2曲を生演奏で披露した。歌った曲は、「スーパースター」のショート・ヴァージョン、そして、オリジナルの「絆」。アコースティックのグランドピアノを弾きながらの熱唱だった。9時19分頃からCMを2度はさみ約20分。これは強烈な露出になった。放送中から、ネット上でも話題になっているようだ。

「スーパースター」は元々はレオン・ラッセルが書き、カーペンターズでヒットした作品。木下君のヴァージョンは、ソウル・シンガー、ルーサー・ヴァンドロスがカヴァーしたヴァージョンを下敷きにしている。7月1日、ルーサーの一周忌に行われたイヴェント『ソウル・サーチン・ザ・セッション』でルーサー・トリビュートの一環で初めて歌われた。また、「絆」は今年2月に発売された彼のメジャー・デビュー・アルバム『絆』のタイトル曲。

やはり、歌そのものを聴かせることによって、彼のすごさ、素晴らしさというものが、圧倒的に、そして、ストレートに伝わる。今回は時間に余裕があり、カヴァー1曲、オリジナル1曲というコンビネーションもよかった。また、楽曲を歌っている間、お母さんとの写真なども適度にはさみこまれ、テレビ視聴者にもインパクトを与えた。なによりも、あの声だ。声がすばらしい。変声期を経て、より太く、強くなった声。これは万人の魂(ソウル)を撃ち抜く声である。

テレビの音楽番組で言えば、将来的には『ミュージック・ステーション』、『ミュージック・フェア』などにも出演していくことになるだろう。

本編のインタヴューでプロデューサーであり航志君バンドのベース奏者でもある名村さんが、「彼は現在も発展途上」と言ったが、まさにその通り。司会の小倉さんも以前にNHKの番組などで彼の歌声を聴いたことがあったようで、「(以前より)ぐっとよくなったね、歌」とコメントしていた。

ちなみに「スーパースター」は、先日の航志君の『ソウル・ブレンズ』での生ライヴを聴いた番組プロデューサーが、あのように一部をファルセットで歌って欲しいとリクエストしたらしい。

木下君に関しては、やはり、歌を見せる、聴かせる、という基本的なことをやっていけばいいのだろう、とつくづく思う。彼は17歳の若き才能あるシンガー・ソングライター、それだけで充分だ。そして、彼にとっては、「音楽の力」こそが「彼の力」になるのだ。

それにしても8月13日(日曜)の渋谷デュオでのライヴがどうなるか楽しみだ。昨日見た、彼よりも、またさらに一歩進化した航志君を見せてくれるだろう。何しろ、日々現在進行形で進化している彼だから。(ライヴなどについては、下記オフィシャル・ウェッブをごらんください)

■木下航志君についてのソウル・サーチン・ダイアリー

(木下航志君とは何者かと興味をお持ちの方は、日付順にダイアリーをご覧ください)

2003/12/29 (Mon)
Stevie Gave Love & Courage To Everybody
スティーヴィーのライヴで見かけた少年。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200312/diary20031229-1.html

2004/04/30 (Fri)
Kishita Koushi: 14-Year-Old Genius, I'd Call Him "Little Koushi"
木下君のNHKでのドキュメンタリー。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040430.html

2004/08/14 (Sat)
Kishita Koshi Live: The Live Performance I Really Desired To See
木下君の初ライヴ体験。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200408/diary20040814.html

2004/08/15 (Sun)
Talent Of Musicians VS Talent Of Listeners
ミュージシャンの才能、聴き手の才能
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200408/diary20040815.html

April 02, 2005
Kishita Kohshi Live: First Heisei-born Super Star
初の平成生まれのスーパースター
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_04_02.html

June 27, 2005
Soul Searchin’ Talking Vol.4; What’d I Write (Part 1)
「ソウル・サーチン・トーキング」にゲストで登場
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_06_27.html

June 28, 2005
What’d I Write (Part 2): Soulful Joint On "What’d I Say"
「ソウル・サーチン・トーキング」にゲストで登場(パート2)
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_06_28.html

August 22, 2005
After Kohshi's Rehearsal Is Over, Soul Food Is Waiting
リハの後にはソウルフードが待っている
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_08_22.html

August 25, 2005
Kishita Kohshi Live At Duo: Power To The Listener
リスナーに力を与える航志パワー
http://blog.soulsearchin.com/archives/000472.html

August 30, 2005
Kishita Kohshi At "Soul Blends": Blind Ain't Nothing, But A Word.
『ソウルブレンズ』にゲスト出演
http://blog.soulsearchin.com/archives/000477.html

December 25, 2005
"Soul Music Live Vol.5"(Part 2)
『ソウル・ミュージック・ライヴ』にゲスト出演
http://blog.soulsearchin.com/archives/000725.html

December 30, 2005
Kohshi: Video Shooting Session
ビデオ撮影用ライヴセッション
http://blog.soulsearchin.com/archives/000735.html

February 03, 2006
Kishita Kohshi New Album Release Live
木下航志、新作アルバム『絆』リリースライヴ
http://blog.soulsearchin.com/archives/000808.html

March 28, 2006
Kishita Kohshi Live At Yamano Jam Spot
山野楽器でのアコースティック・ライヴ
http://blog.soulsearchin.com/archives/000920.html

July 19, 2006
Kishita Kohshi: The Moment Time Freezed
木下航志、時を凍結させた瞬間
http://blog.soulsearchin.com/archives/001147.html

July 02, 2006
Big Big Thanks For Joining "Soul Searchin': The Session Vol.1"
『ソウル・サーチン・ザ・セッション』でのライヴ
http://blog.soulsearchin.com/archives/001111.html

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木下航志・オフィシャル・ウェッブ
http://www.kishitakohshi.com/
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ENT>MUSIC>TV>Tokudane
ENT>MUSIC>ARTISTS>Kishita, Kohshi

投稿者 吉岡正晴 : 05:12 AM | コメント (0)

July 19, 2006

Kishita Kohshi: The Moment Time Freezed

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【木下航志、時を止めた瞬間】

フリーズ。

いまだに『ソウル・サーチン・ザ・セッションVol.1~トリビュート・トゥ・ルーサー・ヴァンドロス』への感想をもらう。感謝してもしきれない。ありがとうございます。こんなメールをSさんからいただいた。

絆\それは、一部の最後を飾った木下航志くんのライヴ・パフォーマンスについてだ。Sさんは、けっこう音楽好き。さまざまなジャンルを聴くが、やはりソウル、R&B系は一番のおきにいりのようだ。ルーサー・ヴァンドロスもリアルタイムで聴いてきたので、『ザ・セッション』自体すべて気に入った、とのことだったが、中でも、航志くんのライヴには今回、特に感銘を受けた、という。

「彼が『スーパースター』を歌い始めた瞬間、凍りついた感じがしました。そして、会場全体がひとつになって、彼を凝視し、全員のエネルギーのヴェクトルが彼に向かったように感じました。会場全体を覆うなんともいえない緊張感。ミュージシャンと観客の間にぴーんと張りつめたものがありました。過去に同じような緊張感を一度だけ経験したことがありました。それは、サンフランシスコでレイ・チャールズのライヴを見た時のことです。その時、レイは『ジョージア・オン・マイ・マインド』と『イエスタデイ』を歌ったのですが、その時の観客もまさにひとつになって、レイに対して恐るべき集中力で耳を傾けていました。航志くんの『スーパースター』を聴いて、その時と同じくらい背筋がぞくぞくとしました。それぐらいすばらしかった。観客を磁石のように、しかも、有無を言わさず惹きつけてしまう航志くんというのは、ほんとうにとてつもない存在だと思います。一体この子は将来、どうなって、どこへ行ってしまうのでしょう」

実は、まだ書いてなかったが、本番前のリハーサルの時にも似たようなことが起こっていたのだ。リハの時は、スタッフも出演者もそれぞれの持ち場で、いろいろなことをやっているので、本当にがやがやしているもの。そんな中で音をだして、正しくでているかなどをチェックしながら、ある者は楽器の音だしをし、ある者は歌ったりしている。

そして、航志くんがケイリブとともに「スーパースター」を歌い始めたところ、少々大げさに言えば、みんなの手が止まったのだ。それを見た僕も、一瞬立ちすくんだ。プロデューサーの永島さんから「かなりいいできだよ」とは聴いていたのだが、まさかここまで作り上げるとは、とびっくりしていた。それで、その感想を一言、彼が観客の前で歌う時にちらっともらしてしまったほどだった。本番では、高山広さんの感動の『ヘヴンズ・スタジオ~ルーサー物語』が終わった後。あの後を受けて、歌えるのは航志くんしかいない。あの流れは完璧だったと思う。

シンガーは、他人の曲を自分のものにしてこそ、シンガー。その曲の理解力、解釈力、それはミュージシャンとしての力、実力だ。ルーサーも、アレサも、カヴァーのセンスが抜群だった。そして航志くんも、「スーパースター」をしっかりと自分のものにしていた。

航志くんには、あの「スーパースター」という楽曲が、ものすごくあっていたのだろうと思う。航志くんは、「きっとあの時、音楽の神様が降りてきたのだと思います」とこともなげに言う。音楽の神か、ルーサーが降りてきて、時をフリーズしたのだろう。そんな瞬間に立ち会えた人は幸福だ。

■木下航志、『ソウル・ブレンズ』でその「スーパースター」をローズ1本で歌います。7月23日(日曜)インターFM(76.1)、ゲスト枠午後3時半くらいから。これは要エアチェックです。

ENT>MUSIC>ARTIST>Kishita, Kohshi

投稿者 吉岡正晴 : 02:42 AM | コメント (0)

July 17, 2006

"Too Hot" Portray Tokyo's Summer Madness: Soy Soul Live Coming Up

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【暑すぎる夏~ソイソウルの新曲は「トゥ・ホット」】

狂気。

STRAIGHT,NO CHASERソウル・ブレンズ』に東京のファンクバンド、ソイ・ソウルがゲストで登場。総勢11人の大型セルフ・コンテインド・バンドだが、まさか11人スタジオに来ていただいても中には入れないので、今回はリード・シンガーのズーコと、ラッパーのケイオンの2人が参加。

ソイソウル・ファンならご存知だが、ケイオンはしばらく前から登場しているキャラクター「ドクター・ウォン」でもある。ドクター・ウォンは、オハイオ州出身のファンクマスターだが現在なぜか仮の住まいを御徒町に構えている。僕もその姿を前回のライヴで見たが、かなりおもしろい。

最新シングルのタイトルは、「トゥ・ホット」。クール&ザ・ギャングの大ヒットにも同名曲があったが、これはまったく違うオリジナル曲。ズーコ曰く「大体レコーディングは夜中なんで、夜中に大騒ぎしてやってるのをこうやって真昼間に聴くと、はずかしいわ~~」とのこと。アップテンポのロック調の作品で、あちこちにドクター・ウォンの妙な声が入る。アイポッドのダウンロードでは、3位になる人気だそうだ。もっともっとブレイクすればいいのにね! 

それにしても、このところの暑さははんぱじゃない。まあ、そんな暑い東京の夏に、どんぴしゃな1曲というところでしょうか。「トゥ・ホット(暑すぎる)」は、夏の狂気(サマー・マッドネス)を演出。

■来週日曜(23日)渋谷デュオで、ソイソウルのライヴあります。

■過去関連記事

今までにこんなに書いてたとは、自分でもびっくり。

2004/01/17 (Sat)
Soysoul Live At Shibuya Quatro: Zooco Is A Tamer Of Wild Beasts
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20040117.html

2004/07/03 (Sat)
"Midnight Love" To Soysoul Live
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200407/diary20040703.html

2004/09/06 (Mon)
Two Places At The Same Time: Budoukan Or Yokosuka
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200409/diary20040906.html

2004/11/04 (Thu)
Chain Of Funk Gang: From Soysoul To Their Friends, One After Another
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200411/diary20041104.html

August 07, 2005
Soysoul Live At Blues Alley: Hottest Funk Band On A Hottest Day Of This Summer
http://blog.soulsearchin.com/archives/000432.html

June 06, 2006
Soysoul Live & Philip Woo Announces His Live Info In Japanese
http://blog.soulsearchin.com/archives/001061.html

■ ソイソウル・ライヴ

2006年7月23日(日曜)
渋谷デュオ 開場 17時 開演17時30分
チケット 前売り3500円 当日4000円(ドリンク別、全席自由、整理番号順入場)
問合せ キョードー東京 03-3498-9999

2006年7月26日(水曜)
「SOUL POWER TOKYO SUMMIT 2006」
国立代々木競技場第一体育館
開場 : 17:30 開演 : 18:30
料金(税込) : ¥7,000(税込)
問い合わせ先 : ディスクガレージ TEL:03-5436-9600
出演:ゴスペラーズ、ゴスペラッツ、鈴木雅之、Skoop On Somebody SOY SOUL

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投稿者 吉岡正晴 : 01:59 AM | コメント (0)

April 23, 2006

Tokyo Kalimba Story: The Sound Of African-Japanese

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【カリンバに惹きつけられて】

アフリカン・ジャパニーズ。

友人の写真家Sから、今日(22日・土曜)午後、渋谷の『アース・デイ』イヴェントの一環でラヴ・サイケデリコのフリーライヴがあるから行かないかという誘いがあり、夕方ちょっと時間が空きそうだったので、出向いてみた。

会場となっているNHK横あたりの一帯は、その『アース・デイ』というイヴェントで多くの店が出て大変な人が集まっていてびっくり。すでにライヴ開始予定時刻の5時を過ぎていたので、急ぎ足でライヴ会場に向かってその「商店街」を歩いていたのだが、ふと聴きなれた音にソウル・サーチャーの足が止まった。

なんと、アフリカの楽器、親指ピアノと言われるカリンバの音色だった。おおおっ、カリンバが・・・。ふと見るとその小さなお店ではカリンバを売っていて、店のご主人がカリンバを小さなアンプにつないでデモンストレーション演奏を見せていたのだ。日々ソウルをサーチンしている私としては、ここは見過ごすことはできない。

聞けばこのカリンバは、みな自分で作っているという。種類によって若干違うが12弦から15弦くらいのものを13000円程から販売している。お店のご主人はブンさん。10年以上前に、旅に出る時に友人からこれをもっていくといいよと言われて、もらったのがカリンバだった。旅に行く時にはいつでもどこでも、この小さなカリンバを持ち、旅先で弾いていたという。そうすることによって、現地の人と自然と交流ができるようになったそうだ。こういう楽器、自分で作れちゃうんだ。すごい器用なんですね。

音楽僕がカリンバという楽器の存在を知ったのはもちろん、アース・ウィンド&ファイアーのレコードからだ。どのアルバムからカリンバを意識したかは、正確には思い出せないが、今過去のCDを見てみると『オープン・アワ・アイズ(邦題、太陽の化身)』あたりかなと思う。これは1974年に出ているのでその頃なのだろう。アースのリーダー、モーリスがこのカリンバを弾くが、71年のデビューアルバムから既に彼はカリンバを弾いていた。『太陽の化身』には、「カリンバ・ストーリー」という曲と「ドラム・ソング」というカリンバがふんだんに入ってる曲がありどちらもいい感じだ。

そういえば、その時はこの音がカリンバの音だなんて、わかっていなかったように思う。生カリンバを初めて見たのは、79年3月、アースが初来日した時だ。この時、武道館のステージでモーリス・ホワイトがカリンバを指で弾くのを見た。その時の第一印象は「なんと小さな楽器なのか」ということだった。

これまであまりカリンバの楽器を売っているのは見たことがなかったのでひじょうに興味を持って、しばし、ここで立ち話を始めてしまったのである。

ギター用の吸盤のようなピックアップをカリンバの下のほうにくっつけ、それを小さなアンプにつないで、優雅な音を出していた。彼が奏でる音はとても綺麗な音で、店の前にいた若い男の子たちも「これ、やばいっすねえ」と感動していたりもした。

「これはアフリカのカリンバの音とは違うのですか」と尋ねると「アフリカのはもっと乾いた音がします。でも僕のは、もう少し瑞々しい音にしたいと思ってこういう音にしています」という。確かに、僕が聴きなじんできたカリンバの音は乾いていて、ここで聴いたブンさんのは「しっとり、水々しく」感じられた。そういう意味でいくと、彼のカリンバはまさに日本ぽい音を出すカリンバだ。彼はリズムっぽい曲もできれば、ひじょうに叙情的なメロディアスなメロディーも弾ける。「アフリカでは、カリンバは『心の楽器』と言われてるんです」とブンさんは解説する。一応2オクターブでるので、大体の曲なら弾けるということになるのだろう。

「アース・ウィンド&ファイアーというグループは知っていますか」ときくと「名前は知ってますが、音はよく知りません」とのこと。「他にこのようにカリンバを弾く人は日本にもいるのですか」ときくと、何人かいる、という。ブンさんにはアースの『太陽の化身』のアルバム、あるいは『灼熱の狂宴(グラティテュード)』(特にカリンバ前面フィーチャーの「ニュー・ワールド・シンフォニー」チェック)あたりのアルバムを推薦しておきたい。

デモンストレーションでは彼が自由にプレイしていたので即興演奏はするのかと尋ねると、最初の音を決めるなり、コードだけを決めたりすれば、いくらでもできる、という。な~るほど。即興ピアノとのコラボレーションも可能かな。

また、ブンさんは池袋のコミュニティ・カレッジでカリンバの弾き方を教えるクラスを持っているという。

携帯が鳴った。Sだった。「もう、ライヴ終わっちゃったよ」「おっと~~。途中のカリンバ屋さんでひっかかっちゃって(笑)」 

店のテーブルに、いくつものカリンバとともにCDが3種類ほど置かれていた。これはコータオ(表記はKOH-TAO)というグループで、ブンさんのユニットだった。その3枚を買った。車で聴いてみると、なるほど「夜とか聴くと気持ちよくて、寝られますよ」という言葉通り、いわゆる「癒し系」というか「ヒーリング系」のサウンドだった。

モーリス・ホワイトのカリンバは、まさにアフリカン・アメリカンな感じ。一方ブンさんのカリンバはアフリカン・ジャパニーズな感じだ。アフリカ生まれの楽器が日本のサウンドを作っているような気がした。そこにはトウキョウ・カリンバ・ストーリーがまだまだありそうだ。

■2006年4月29日(土曜)17:30~19:00、お台場海浜公園内砂浜の上でちょっとしたライヴをやるそうです。参加費無料。

■関連ウェッブ

ブンさんのウェッブ
http://www.medialabo.co.jp/moon/

池袋コミュニティ・カレッジ
http://www.seibu.co.jp/c_collegeブンさんのクラス
http://college.i-printnet.jp/html/200604/20060413/20060406032.htm

ENT>MUSIC>ASRTIST>Bun / Koh-Tao

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投稿者 吉岡正晴 : 05:20 AM | コメント (0)

March 12, 2006

Was This James Brown's Final Japanese Tour?

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ジェームス・ブラウンの今回の日本ツアーは最後だったのか】

ファイナル。

ジェームス・ブラウンの日本ツアー最後の日、3月5日(日曜)、ミスター・ブラウンは「イッツ・ア・マンズ・マンズ・マンズ・ワールド」の中で、通訳を呼び、スピーチを始めた。今回は、ほぼ毎回この部分で語っていたそうだが、この日のスピーチは最終日ということもあってか、感慨深いものがあった。

彼は言った。「彼とは(ドン勝本氏のこと)もう、35年来の友人だ。私は、日本にも何度もやってきた。世界中に旅をした。だが、私は再びこの日本に戻ってこれるかどうかわからない。けれども、みなさんのことを愛してます」 スローバラードの「マンズ・ワールド」の演奏がしっとりと続いている。

この「日本に再び戻ってこれるかわからない」という一言が、衝撃だった。一観客としては、それまでさんざん、ミスター・ブラウンがこの日も激しく踊っているのを見ていたので、まさかもうライヴができないなんて夢にも思わなかった。なので、その時は「また、そんなこと言って。何言ってんですか」くらいの軽い気持ちで、「どうせ、2年後にまた来るでしょう」と思っていた。確かに、ジャンプしてする股割の高度が以前よりもはるかに低かったり、自分が歌い踊るよりも、ミュージシャンたちにソロを演奏させるほうが多かったとしても、充分、ミスター・ブラウンは存在感を、オウラを放っていた。まだまだ引退なんてとても考えられないと感じていた。

だが、その後、ジェームス・ブラウン愛好家の佐藤氏とセットリストの情報交換メールをやり取りする中で、ミスター・ブラウンが大阪から名古屋への移動の時、車椅子に乗っていたという情報をいただいた。それを聞いて、ミスター・ブラウンの最終日のスピーチがフラッシュバックした。「そうだったのか」と妙に合点がいき、同時に愕然とした。

つまり、ミスター・ブラウンは、今回のツアーはまさに満身創痍(まんしんそうい)だったのだ。あの元気なミスター・ブラウンが車椅子に乗るなんてとても、僕には考えられなかったので、スピーチ以上にショックだった。逆に車椅子に乗らなければならないほどの人間が、なんであんなに飛び跳ねたり、元気よくステージで歌って、踊ることができるのか。むしろ、そのことに改めて感銘を受けた。

曲の途中で、このようなスピーチをいれるなんてことは、まずブラウンはしたことがなかったはずだ。60年代、公民権運動が激しくなった時、ステージでゲキを飛ばしたことはあっただろう。また、誰かが亡くなりそのアーティストへトリビュートする時に、コメントをすることはあった。この日もウィルソン・ピケットやレイ・チャールズにトリビュートを捧げて、曲も歌った。そういう語りはいくらでもあった。

だが、彼が73年に初来日して以来、彼のステージを何度も見てそれを振り返ってみて、自分についてのパーソナルな思いを語ったことはなかったように思える。

「あなたの左側の(席に座ってる)人に『愛してる』と言ってください。そして、次に右側の人に『愛してる』と言いましょう。そうやって愛が広まっていけば戦争などなくなるはずです。今は、本当に『愛』が世界に少なくなってきていると思います。今こそ『愛』が必要だと思います」 

こうしたメッセージが、ミスター・ブラウンが車椅子に乗らなければならないほどの身体になってまでも、はるか極東の地までやってきて、激しいステージをこなした最終日にでたメッセージだったのかと思うと、改めて胸が熱くなった。

彼が癌になったというニュースもあった。そして、今、移動に車椅子。「もう戻ってこれないかもしれない」という弱々しい発言。日本のファンへの最後のメッセージだったなんてことにならないように、祈りたい。1年後でも2年後でも、元気になってまた戻ってきて欲しい。なにしろ、かつて「200歳マイナス1歳まで生きるんだ」と公言していたミスター・ブラウンなのだから。72歳は、まだまだその半分にも満たない。

ENT>MUSIC>LIVE>Brown, James
EBT>MUSIC>ARTIST>Bronw, James

投稿者 吉岡正晴 : 03:03 AM | コメント (2)

March 09, 2006

Soul General Dropped By Soul Nuts

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ソウル・ジェネラル、ソウル・ナッツに現る】

総督。

Live In Dallas 08.26.68ジェームス・ブラウン・ソウル・ジェネラルご一行様、ご到着。2日目(3月5日=日曜)のライヴが終わって、一度メンバーがホテルに戻り、勝本氏がダニー・レイ、フレッド・トーマスらを、三宿のソウルナッツに連れていった。車2台に分乗しナッツにやってきたのは、ダニー・レイ、フレッド・トーマスのほか、ドラムスのトニー・クック、ベースのレイ・ブランディージ、サックスのジェフ・ワトキンス、息子のダリル・ブラウン、シンガーのエイミー・クリスチャンの7人。さらに、ジェームス・ブラウン愛好家の佐藤さん、その友人でソウルサーチンのBBSにもよく書き込まれている栃木のあみさん、さらに関さん夫妻、そして、オーサカ=モノレールの中田さんまで。

最後の夜なので、みんなかなりリラックスしている様子。何人かとちょろっと話をした。ステージ向かって左にいたドラムスのトニーは、93年以来、約13年ぶりのソウル・ジェネラルへのカンバックだそうだ。なんでまた? 「ミスター・ブラウンから電話がかかってきて、またやらないか、と言われたんで、参加した。今は、オーランド・フロリダに家があって、そこに住んでいる。仕事はオーガスタ・ジョージア。行ったり来たりだな」 クックがJBズに参加したのは、76年だそうだ。以来93年まで、出たり入ったりしたらしい。すでに孫もいるという。

ベースのレイ・ブランディージは96年頃から参加しているが、前回の日本ツアーは来ていない。バンド内では第一ベースがヴェテランのフレッド・トーマス。ポイントはフレッドがプレイするようだ。何かのソロはあなたですか、と尋ねた時、「そこは、フレッドがやってる。フレッドにやらせてもらえないんだ(笑)」というようなことを言っていた。つまり、バンド内にもしっかり序列があるということだろう。おいしいところは、フレッドがプレイし、比較的地味なところは、このレイが弾いてるのかもしれない。

シンガーのエイミーも、91年からメンバーだが、前回は来ていない。だが何回か来日はしているようだ。日本は大好きだという。彼女も、誰かが来ないと呼ばれたりするのだろう。要は、ソウル・ジェネラルの要員は何人もいるということだ。女性コーラスは前回来日4人のうち、2人が参加している。シンシアとシーラだ。

ステージではけっこうソロも取るサックス奏者、リロイ・ハーパーは、1961年生まれ。彼もけっこう長い。前回来日している。

座って話をしていると、フレッド・トーマスが隣にやってきた。何度も会っているので覚えてくれているらしい。「今度、DVDを出すんだ。出来たら、送るからな。名刺をくれ」 そういえば、以前、彼のCDを送ってもらったことがあった。フレッドは本当にいつもニコニコしていて人懐っこい。

ダニー・レイは、生の声も、あの声。(当たり前だが・・・) 彼はいつも「(君は)オーガスタにやってきたな。何年も前に。ちゃんと覚えてるぞ」と言う。東京で会ったことよりも、オーガスタで会ったことのほうを覚えているところがおもしろい。

フライド・ポテト、チキン、おつまみ。彼らはいろいろ食べている。ダニー・レイはウォッカをロックで飲む。レモンを絞り、サイドに水を置いて。フレッドは日本酒だ。トニーはウイスキーだ。そして、DJケイコはずっとジェームス・ブラウン・ファミリーのレコードをかけつづけている。

ふと勝本氏がいないことに気がついた。あれ? 下に降りると車の中で寝ていた。「昨日からほとんど寝てないんだよ(笑)」 前日は彼らをダンステリアに招き、この日はナッツ。そして、2日ともブラウンに見込まれステージで踊った。ソウル・ジェネラルの添乗員もご苦労様です。(笑) ゲットンアップ!!  ソウル・ナッツの夜は更ける。

ENT>MUSIC>ARTIST>Brown, James

投稿者 吉岡正晴 : 05:00 AM | コメント (0)

January 27, 2006

Prince New Album Will Be Out On March 15th In Japan

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【プリンス新作、日本発売は世界先行で3月15日予定】 

先行発売。

音楽プリンスの待望の新録による新曲シングルのタイトルが決まった。「ブラック・スウェット」で、アルバムはすでに報じられている通り、『3121』。日本盤は、3月15日に発売されることが決まった。アメリカでの発売は3月21日の予定なので、日本のほうが早くリリースされることになる。日本のユニバーサルが発表した。

またシングルは、「ブラック・スウェット」と「ビューティフル・ラヴド・アンド・ブレスド」で、これらはアメリカでは1月31日からデジタル配信され、CDサンプル盤はアメリカの放送局に2月7日までに到着する。

「ブラック・スウェット」は、すでにしばらく前のシカゴのライヴで披露したようだ。

同アルバムに先がけてのシングル「テ・アモ・コラソン(Te Amo Corazon)」は、日本ではデジタル配信のみだけで12月13日からリリースされている。ゆったりとしたスロー調の曲。

このニュー・アルバムの発売後、プリンスはワールドツアーにでるという話だ。もし日本に来ることになれば、2002年11月以来約4年ぶりのことになる。

プリンス・ライヴ『孤高のファンク詩人』
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/prince20021115.html

また、プリンスは現在テイマーという女性シンガーを押しており、彼女のライヴのバックでサポートしたりしている。ツアーには、テイマーも同行するものと見られている。

ENT>MUSIC>ARTIST>Prince

投稿者 吉岡正晴 : 03:40 AM | コメント (0)

December 29, 2005

DJ Spinna(Part 2): Record Maniac

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【レコード・コレクター、DJスピナ】 

コレクター。

オンエアを終えて、ロビーで雑談している時に、いろいろな話になった。いわゆるレコード談義になった。「一体、どれくらいレコードを持っているの、2万枚くらい?」と聞くと、溜息をついて、「ノー、それ以上だ。メイビー・フィフティー(多分5万枚以上)・・・」と。

「君は?」というので、「1万くらいかなあ」と答えると「7インチもか」というので、「7インチもけっこうある。でも、みんな倉庫だ」と答えた。DJスピナが「じゃあ、一番レアなものは?」。しばし考え、しばらく前に、ちょっと話題になったウイ・ウィリー&ウィナーズの「ゲット・サム」というと「あー、なるほど」。どうも、知ってるらしい。なかなかこれを知ってる人は国内では少ないので、ちょっと驚く。「持ってるか?」 「持ってる」と彼。

僕が「そうだ、75年くらいの作品でチャールズ・ブリンクレイ&フーリー・ギャランティーの「アイル・ビー・ホワッチュ・ウォント・ミー・トゥ・ビー」というのがレアで、好きだな」と加えた。彼が「そのグループの別のものを持ってるなあ」。この答えにかなり驚く。コヤツ只者ではないぞ! (笑)

このあたりのシングルを持っているというか、知っていること自体ですごいということになった。かなりのコレクターだ。「どこに行っても、レコードは買うよ。ははは」 

「では、今まで7インチで一番高い買い物は?」 すると彼は答えた。「ボリス・ガードナーの「ゲットー・ファンク」という曲。400ドル払った。たしか、ダイナモ(というレーベル)じゃなかったかな」 「7インチに?」 「あ~、400ドルだ」 73年から74年にかけてのジャマイカ系シンガーの作品だという。

で、DJスピナを今回呼んできた日本側のスタッフが同行してきてたのだが、なんとその彼のTシャツを見ると、サンバーストとかかれている。これは、ニューヨークで70年代初期に発売されていたかなりレアなインディー・レーベルのシングル盤を印刷したものだった。なんだ、これ! こんなTシャツがあるのか。このレーベルからは、ほとんどヒットがない。一部の渋いソウル作品があるだけで、たぶんシングルも10枚程度しかでてないのではないか。アルバムも1,2枚だ。ちょうど、Tシャツになっていたのは、メルヴィン・ブリスの作品で、これはのちにヒップホップ系のネタに使われた曲だという。このTシャツ話で、また一盛り上がり。

「いま、一番欲しいレコードはなんですか」と聞くと、「たくさんありすぎて・・・。いつもウォンツ・リスト(欲しいレコードのリスト)は持ってるよ」。う~む、すごい・・・。曲名やアーティスト名を言って、そのレーベル名がすらすら出てくるというのは、コレクターの絶対条件。記憶の線はこの3点セットで続いていくのだ。オリジナルか再発か、この3点セットの情報から、それこそ7インチ1枚のヴァリューが変わってくる。

「ちょっと~~。これは、一度ソウルバーでも行ってソウル談義でもしましょう」 「そうだな、僕たちならずっと話が続くね」 インコグニートのブルーイもかなりのマニアだったが、このDJスピナもすごかった。で、最後に誕生日を聞いた。71年1月30日生まれ。4人兄弟の一番上の長男。(3人男、1人女) 現在34歳。若い! 本名は、ヴィンセント・ウィリアムスという。かっこいい芸能人みたいな名前だ。っていうか、充分エンタテイナーか。(笑) 

■DJスピナの公式ウェッブ
http://www.djspinna.com/

■西麻布イエローのウェッブにある告知
http://www.club-yellow.com/flyer/06html/0102.html(イヴェントは午後10時から、DJスピナは12時くらいからまわす予定。イエローはIDチェックがあります。20歳未満は入れません)

ENT>MUSIC>ARTIST
ENT>MUSIC>ESSAY
ENT>MUSIC>EVENT>ANNOUNCEMENT

投稿者 吉岡正晴 : 05:21 AM | コメント (0)

December 15, 2005

Prince Signed With Universal; New Album Will Be Released In Early 2006

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【プリンス、ユニヴァーサルに移籍】 

ミステリアス。

音楽前作をソニーからリリースしたプリンスが、今度は世界最大のレコード会社ユニヴァーサル・レコードと契約、新作『3121』をリリースする。プリンスは、去る12月13日に記者会見を開き、「今度の契約では充分、自分の納得がいくものを得られた」と述べた。アルバムに先がけてのシングルは、\"Te Amo Corazon."。12月13日から全米でデジタル配信が始まった。

すでにシングルのプロモーション用ビデオも制作され、この会見で披露された。バラードらしい。

プリンスは、契約金、条件などの詳細については明らかにしなかったが、基本的には前回のソニーとの契約に順ずるものとみられる。要は、ユニヴァーサルがプレスと世界的配給を担当する、というものだ。

また、このアルバムの発売に関連してツアーが組まれるようで、全米と世界に行く可能性がある。

ところで、このタイトルとなった数字「3121」の意味はなんなのだろうか。まだ明らかにされていないが、すでに随分前からプリンスはこの数字をあちこちで小出しにしていたようだ。逆から読むと12月13日を示唆するとも受け取れ、12月13日に記者会見とシングルのダウンロードを開始していることと符号する。

ミステリアスなことが大好きなプリンスだけに、新作アルバムの中にもたくさんの仕掛けがあるに違いない。


ENT>MUSIC>ARTIST>Prince

投稿者 吉岡正晴 : 04:12 AM | コメント (0)

December 10, 2005

Otis Redding's Memorial: 

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【別視点からのオーティス・ブック】

別視点。

12月のこの週は命日ラッシュだ。8日にジョン・レノン、10日にソウルの神様オーティス・レディング、11日に同じくソウルの神様サム・クックと3人もの偉人たちが亡くなっている。

青山のソウルスナック「OA(オーエー)」では、毎年この日にオーティスを偲んでレコードコンサートが行われるのが恒例となっている。

おととしこのソウル・サーチン・ダイアリーでスコット・フリーマンが書いた 『ザ・オーティス・レディング・ストーリー』 (セント・マーティンズ・グリフィン刊=全米では2002年9月リリース)についてご紹介した。そして、今年オーティスの息子さんであるデクスターと会い、その時にいろいろ話をするうちに、この本のことを尋ねた。

すると、彼の元には著者はインタヴューに来なかったという。他の何人かには話を聞いているが、あまり直接的な人たちには取材していないのではないか、というニュアンスを話していた。デクスター自身、この本の存在は知っているが、読んではいないという。

なかなか微妙なものだ。我々海のこちら側の単なるファンにとっては、それまでになかったオーティス・レディングの自伝となったら、何が何でも読んでおきたい一冊ということだが、本人がオーソライズ(認める)していない物だと、意外と本人やその関係者は距離をおいてみているものだ。

まあ、いずれ、デクスターや、その母(つまりオーティスの妻=ズレマ)の話を中心にした物語も聞いてみたいものである。それはまったく別視点からのドラマになるだろう。そういえば、もう10年か20年くらい前に、オーティスを題材にした映画が作られるとかどうとか、などという話があったが、あれはどうなったのだろうか。レイ・チャールズの自伝映画があれだけ大ヒットすると、その影響でオーティスの自伝映画なども製作話が進んでいるかもしれない。

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投稿者 吉岡正晴 : 03:11 AM | コメント (0)

November 08, 2005

Stevie Wonder Press Conference (Part 3 of 3 Parts):

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【スティーヴィー記者会見・全訳・パート3(全3回)】 

会見。 

(スティーヴィー・ワンダーが11月2日に行った記者会見の全容の第3部です)

音楽質問6 今回リリースされた『ア・タイム・トゥ・ラヴ』は愛のメッセージのつまったアルバムですが、戦争や事故で苦しんでいる人、またはハンディキャップを背負って自分の生きる道を模索している人、あるいは悩み苦しんでいる人たちがこの世の中には大勢います。そういった人たちに、このアルバムを通して一番伝えたいメッセージは何でしょうか? そのような道に迷っている人たちに何かアドヴァイスがあればお願い申し上げます。(オールアバウト・かわもと氏)

SW ある意味で、人間というものは誰でも苦しんでいるんです。心がある人であれば、苦しんでいる人の気持ちもわかるはずです。私たち人類が今苦しんでいるのは、世界で戦争が起こったり、憎しみが充満していたり、テロが起きているからなんです。以前よりも憎しみや苦しみが世の中には増えているのではないかという人もいます。人々が信仰している神がアラーであれ、どんな神であれ、僕が知っている神は、純粋な人や無実の子供たちを傷つけるようなことはしないと思っています。人々を傷つけたり、人々に毒を与えたり、人々に崩壊をもたらしたりということは、僕の知っている神はしません。

神から与えられている僕らの人生や生命は、世界を永続的により住みやすいものにしていくために使っていかなければならないと思います。だから(恵まれている人は)あまり恵まれていない人たちに手を差し伸べていかなければいけないんです。真の愛の心を持つ人は、僕たちとともにこの世界をよりよいものにしていかなければなりません。それは人種、宗教とか全く関係なく、我々人類というものは神の手によってこの世に生を授かったものですから。

今、世の中にはネガティヴなことがたくさん起こっていますが、全員が一致団結して苦しんでいる人を助け、いい世の中にしていかなければいけない。僕の愛は、そういった様々な人たちに向けられているものです。僕の愛は傷害のある人へ向けられます。世の科学者、医学者たちは自分達が神から与えられたそうした才能を使って、病気や苦しみを癒すために努力してほしい。歩けない人が歩けるようになったり、耳が聞こえない人が聞こえるようになったり、目が見えない人が(目が)見えるようになったり、彼らがそういうことを成し遂げれば、それは愛を表していることになります。そういったことにお金や、僕らの地球にある資源を使えれば、世の中はもっと素晴らしい世界になっていくのではないかと感じています。(席から拍手)

質問7 アルバムの完成を心から望んでいました。私たちは再び、あなたの作品から最高の愛を与えられました。個人的な意見ですが、アイーシャさんとのデュエット「ポジティヴィティー」が大好きで、その曲の歌詞にはミニー・リパートンのエピソードなども出てとても励まされました。では、音楽活動でも人生でもかまいませんが、あなた自身を「チアアップするもの(元気づけるもの)」と言いますか、モチヴェーションを上げているものは何でしょうか? (ラヴFM)

SW (モチヴェーションは)人生そのものです。僕自身に曲を書かせる原動力となっているのは、人生そのもので、僕自身は神から授けられた(音楽の)才能を使って、曲を作っていると思っています。人生の様々なことを経験して、いろいろなことを発見し、そうしたことを曲にしている。よく人から「なぜ、あなたはこんなに楽観主義なんですか? なぜそんなにいつもハッピーなの?」などなど、いろいろ聞かれますが、そんなことはありません。楽しいこともありますが、皆さんと同じような痛みや苦しみだって感じます。常に嬉しいことばかりではないのです。ただ、この地球に命を与えられたのであれば、僕たちが与えられた可能性の中でベストを尽くしていかなければならないと思っています。

人生の中には模索していけば何か(問題の)解決策があるはずだと僕は信じています。例えば、政治家が様々な決断を下しますが、もし政治家たちが「本当の人間の心」を持っていれば、戦争や破壊以外に解決策を思いつくはずです。愛とは人々の人生に神から授かったプレゼントです。その人生には確かに、愛、憎しみ、傷つけることなど様々なことが起こります。

僕はミニー・リパートンがかつてこんなことを言っていたことを思い出します。人生はグラスに注がれたおいしいワインのようである、と。いいワインがグラスに半分入っていたら、そのグラスの人生を半分空っぽ(ハーフ・エンプティー)と見るのではなく、半分も一杯入っている(ハーフ・フル)と見たい。本当に気に入ったワインがグラスにあれば、全部を飲み干したくはないと思うでしょう。それほど、おいしいわけだから。それは人生も同じです。そして、愛も同じ。その愛がとても素晴らしいものだったら、その愛を(全部飲み干して)終わりにはしたくないでしょう。ずっとずっと続いて欲しいと思うはずです。僕はそういう風に感じています。

人生というものは、とても価値あるものだし、いっぱいやりたいこともある。「行ける」という希望を持たなければいけない。希望を持つことができなければ、世の中は絶望的になってしまいます。

質問8 スティーヴィーさんが未来に残したいものは何ですか? 教えてください。(東京FM)

SW 僕が未来に残したいものは、今まで自分が生涯作ってきた作品、ベストを尽くして作ってきた作品です。残りの人生では、これからほんの何枚かアルバム(訳注、英語ではfew more albums。あまり多い枚数のニュアンスはない)を作れればいいし、他のプロジェクトも、機会があれば参加するかもしれない。次はゴスペル・アルバムを作ってみたいとも思うし、子供用のアルバムやジャズ・アルバムなんかも作ってみたい。

『ア・タイム・トゥ・ラヴ』に収録されなかった曲で「ジャッジメント・デイ」という曲がありますが、非常に強烈な歌詞なんです。私たちが実際住んでいる社会のことを歌詞にして歌っている曲なのですが、真実を伝えた歌で、非常に大事な曲なのですが、今回このアルバムには収録することができませんでした。

何が言いたいかと言うと、僕がこの世を去る時には、多くの愛をこの世の中に残し、さらに皆に永遠に歌い継がれるようないい曲を残していきたいなと思っているということです。

(通訳が訳し終わった後)

じゃあ、今からステーションIDを作るから、各局ごとに名前を言ってください。ひとりひとりね。

(いっせいに声があがる)

(このあと、各局のステーションIDをその場で作った)
(2005年11月2日水曜、恵比寿ウェスティン・ホテル、スティーヴィー・ワンダー記者会見) 

ENT>MUSIC>ARTIST>Wonder, Stevie

投稿者 吉岡正晴 : 02:29 AM | コメント (0)

November 07, 2005

Stevie Wonder Press Conference (Part 2 of 3 Parts):

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【スティーヴィー記者会見・全訳・パート2(全3回)】 

会見。 

(スティーヴィー・ワンダーが11月2日に行った記者会見の全容の第二部です)

音楽質問4 とっても美しい女性が側にいるので、「さすが、スティーヴィー」と思ったら、アイーシャさんだったんですね。アイーシャさんとの共演はとても嬉しいことだったと思いますが、どんないきさつでデュエットで歌うことになり、また歌った結果どんな思いでいるか教えてください。(質問者・小学館・週刊ポスト)

SW (彼女と一緒に歌うことになったのは)フォース(想像を越える力=映画『スターウォーズ』でよく使われる言葉)ゆえだ! (笑) 冗談だよ。(声色で)(アイーシャは)歌う以外に他に何ができるんだ? (彼女と一緒に歌ってると)僕が若くいられるからね。(笑) アイーシャは、家で赤ちゃんの時からいつもバスタブの中で歌ったりしていたんだ。「イズント・シー・ラヴリー(可愛いアイーシャ)」で聴こえる赤ちゃんの泣き声みたいにね。その頃は彼女が将来、素晴らしいシンガーになるなんて夢にも思ってなかった。彼女が9歳か10歳くらいから、僕がよく(家で)歌っていた曲にあわせて彼女も歌うようになっていたんです。僕や、彼女の母であるヨランダは「素晴らしい声ね」、「彼女は歌手になればいいのに」とずっと思っていました。

この「ハウ・ウィル・アイ・ノウ」はおそらく10年くらい前に書いた曲です。その頃、ある女性とつきあっていて、その彼女の気持ちを「どうやったらわかることができるだろうか(how will I know)」と思って書いたのです。あれは、ニューヨークでのとある朝のことだった。火曜の朝に起きたときだったと思う。その前、素晴らしい夜をすごしてね、熱烈なメイクラヴをしたんだ。(横に座っているアイーシャが、「そうなの?」という風に微笑む) 真実を語らないとね。(笑) 彼女が僕のことを愛しているか、どうやったらわかるだろう、って思ってこの曲を書いた。そして、この曲を何度も何度も家で歌っていた。するといつのまにかアイーシャもこの曲を覚えて、よく歌うようになったんだ。で、その歌声を聴いていたら、僕よりもうまいじゃないか、と思って、それで僕のアルバムにいれようということにしたのです。

こうして娘と共演できたことはとても光栄で、幸せです。確か2年前の僕の誕生日にスタジオに入って1日かけてレコーディングしました。楽しかった。あと、「ポジティヴィティー」という曲でも彼女はとても誠実な歌声を披露しています。彼女ができるだけ早いうちにレコード契約ができるといいなと思っています。そうすれば、もうお小遣いをあげなくてすむからね(笑)

司会者 お隣にいらっしゃるアイーシャさんご自身は、「イズント・シー・ラヴリー(可愛いアイシャ)」と歌われた存在ですが、こんなに素敵な大人の女性になられてお父様と共演なさる、そのお気持ちはいかがですか?

アイーシャ 毎日ありがたく光栄なことだな、と感謝しています。私が父と共演できたということを表す言葉もないくらい、とても幸せです。父と会う機会がある人はそんなにいないのに、父は私にとって親友でもあるし、もちろん父でもあるし、一緒に父と娘としてふざけあったりとか、友達としてふざけたりとか、そしてまた音楽でも共演できるわけですから。こんな機会は、まさに生涯に一度の経験だったと思います。そして、毎日感謝しています。毎日ね。

司会者 お父さまから何かありますか?

SW (声色を変えてコメディー風に)アイーシャの父として、一言言っておこう。父親なので、娘の旦那さんになる人の事は心配なんだ。娘が付き合う相手についてもとても心配しています。(アドヴァイスとしては)『盲目の男に拳銃を持たせるなよ』(笑)。どうなるかわからないぞ! まだ娘は結婚してないので大丈夫ですよ。でも、彼氏がいるんだ。熱烈な恋愛をしているみたいだよ。で、彼には「娘をちゃんと扱えよ。泣かせるなよ」と言っています。(アイーシャは終始、微笑んでいる)

質問5 愛娘アイーシャさんとの共演もそうですが、あなたの作品には他にもポール・マッカートニー、プリンスなどが参加しています。また、アルバム以外でも、例えば先週来日していたラウル・ミドンなどとも一緒に仕事をされています。一緒に仕事をしたりコラボレートする基準、また仕事をする上において大切にしていることは何かありますか? (FM横浜・藤田琢己氏)

SW 今回の『ア・タイム・トゥ・ラヴ』のアルバムでは、実に多くの素晴らしい人たちとコラボレーションができました。例えば、インディア・アリーはアルバムのタイトル曲「ア・タイム・トゥ・ラヴ」を一緒に書いてくれました。また、アフリカのガーナ出身の素晴らしい作家で女優のアクーシア・ブシアという人も歌詞を書いてくれました。彼女は、(映画)『カラー・パープル』に出ている女優でもあります。(訳注、「ムーン・ブルー」の作詞を担当) 他にもプリンス、アン・ヴォーグ、ヒューバート・ロウズ、ポール・マッカートニー、ボニー・レイット、キム・バレル、カーク・フランクリン、そしてアイーシャと、実にいろいろな人たちがこのアルバムに参加してくれました。

どういう人たちと共演するか、その判断基準は(コラボレーションをオファーしてくる)アーティストたちが、本当にその曲に僕を必要としているか、その楽曲に僕がフィットするか、ということです。彼らが望むことを、もし僕が出来るなら、つまり、彼らが望むサウンドを僕が提供できるなら、喜んでスタジオに行きます。スタジオにひとたび入って彼らの曲に何か協力する場合、僕がハーモニカを吹くにせよ、何をするにしても「私はスティーヴィー・ワンダーだぞ。俺は俺がやりたいようにやるんだ」というような偉そうな態度では臨まない。僕は、キーボード奏者としてでも、ピアニストとしてでも、ヴォーカリストとしてでも、なんでも、一ミュージシャンとしてベストを尽くして彼らが望むことをやります。

これまでにも多くの素晴らしいミュージシャンたちと、一緒に共演してきました。例えば、ハービー・ハンコックとは2枚でコラボレーションしてますが、こういった素晴らしい人たちと共演をできて本当に光栄に思ってます。一緒に何かをやる時、僕自身の姿勢は相手がヴェテランでも新人でも変わりません。

司会者 ありがとうございます。質疑応答をこれにて終了とさせていただきます。最後にスティーヴィーご本人からメッセージを一言お願いします。

SW あと質問、3問受け付けますよ(笑)(会場には笑いと拍手)

(スティーヴィー・ワンダー記者会見・パート3へ続く)

(2005年11月2日水曜、恵比寿ウェスティン・ホテル、スティーヴィー・ワンダー記者会見) 

ENT>MUSIC>ARTIST>Wonder, Stevie

投稿者 吉岡正晴 : 12:58 AM | コメント (0)

November 06, 2005

Stevie Wonder Press Conference (Part 1):

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【スティーヴィー記者会見・全訳・パート1】 

会見。 

音楽東京に2005年10月31日から11月5日まで新作『ア・タイム・トゥ・ラヴ』のプロモーションのために滞在していたスティーヴィー・ワンダーは、11月2日(水曜)に恵比寿のウェスティン・ホテルで記者会見を開いた。質疑応答は約60分に及んだが、その全訳を3回に分けてご紹介する。質問は、事前に抽選で選ばれた記者、DJなどが順番に行い、スティーヴィーは計8人の質問に答えた。なお、ここでは記者会見でなされた訳に、手直ししてある。 

スティーヴィーは、アイーシャに手を引かれながら、ステージに登場。中央にソファがあり、その前にはキーボードが置かれている。最初の数分はスチールのカメラマン用にポーズをとっての写真撮影。それが終ってから、質疑応答が始まった。 

司会者: まずは一言お願いします。 

スティーヴィー・ワンダー(以下SW) コニチワ(笑)。日本に戻ってこれて大変、嬉しく光栄に思ってます。僕は、日本が大好きで、第2の故郷という風に思っています。この世にもし輪廻転生があるとしたら、僕はきっと昔は日本人だったのではないか、そんな気さえします。それくらい、日本の人たちとは共通点を感じますし、すごく日本を近くに感じるのです。日本以外に、これほど近くに感じる国はアフリカで、それくらい僕にとって日本は重要なんですが、個人的に本当にまた日本に来られて嬉しいと思ってます。 

質問1 (ステーヴィーにとって)グラミー賞はどのようなものですか? また、2006年のグラミー賞にも、今回の素晴らしいアルバムが必ず受賞されると思いますが、どのようにお考えですか?(質問者・ワウワウ=WOWOW) 

SW グラミー賞にはクラシック、ジャズ、ヒップ・ホップ、リズム&ブルース、ポップス、カントリー、ゴスペルと多くの部門があって、そういった様々な分野で活躍したアーティストたちを紹介するといった意味でも、素晴らしい賞だと思う。(グラミー賞は)まわりの人たちが、それぞれのアーティストが成し遂げた作品をどのように聴いているかという一つの意見でもあるので、とてもいいものだと思っています。僕自身の作品がこれまで(グラミーを)受賞していることにはとても感謝しています。次のグラミー賞を、自分が受賞するかということですが、(アルバムには)非常にいい反響があってとても嬉しく思ってますが、現時点ではまだまだグラミー賞を取るまでには、十分な記者会見をやってないかな、と感じています。(笑) 

偉大な故ヘンリー・マンシーニさん(アメリカの映画音楽家)と、以前お話する機会がありました。僕自身、グラミー賞を19回獲得していますが、ヘンリー・マンシーニさんはそれを上回って30回以上受賞しています。彼とグラミー賞の話をいろいろしていたら、彼から「(君は)まだまだいけるよ!」と言われたので、僕も「まだまだこれからいけるな」と感じて、彼の記録に追いつこうと思ってます。彼のようにこれだけ多くのグラミー賞を受賞できたことに大変感謝してます。また、彼と同じくらい多くのグラミー賞を受賞しているクインシー・ジョーンズ(米ポピュラー音楽界の巨匠)さんらと並んで、(自分が)語られることも大変光栄に思います。 

ただ、僕自身は、グラミー賞を受賞すること自体はあまり重要視してません。それほど大事だとは思ってないのです。それよりも、人々が僕自身の音楽を、僕の主張をちゃんと理解してくれている、僕が書いた歌詞、メロディー、そういったものをちゃんと理解してくれているということが、また、自分が書いた曲が人々を勇気付けたりしていることのほうがとても大事なのです。そういう光栄なことが、(結果的に)これだけのグラミー賞をもたらしてくれ、(僕の音楽の素晴らしさを)証明してくれるものであって、それは神から僕に与えられたものだと思います。神の恵みといえば、今、隣にいるアイーシャを紹介したいと思います。(一瞬、「イズント・シー・ラヴリー=可愛いアイシャ」のフレーズを弾く) 

質問2 今回のアルバムの中の「シェルター・イン・ザ・レイン」という曲は、ハリケーン・カトリーナの被災者に捧げられた曲ですが、チャリティー・ソングにもなっているとお聞きしました。この曲が、チャリティー・ソングになったいきさつを教えていただけますでしょうか?(質問者:ライター・内田真紀子氏) 

SW この「シェルター・イン・ザ・レイン」は、僕が約4年前に書いた曲です。これは僕が人生の中で一番辛い時期に生まれた曲なのです。ちょうど弟のラリーの病気が末期だということを聞かされた時期でした。そのことを聞く1年前にも僕の最初の妻シリータとこんなことがありました。ちょうどマンデラ大統領(南アフリカ大統領)の娘さんからシリータに連絡が入り、マンデラ大統領の誕生日を祝うために(僕に)来てくれないかと依頼がありました。僕はシリータに『君は僕と一緒に曲をたくさん書いてるんだから、君も一緒においでよ』と言いました。彼女とは、たとえば『イフ・ユー・リリー・ラヴ・ミー』(ワンフレーズ歌う)を共作したり、彼女自身はビリー・プレストンとデュエットで『ウィズ・ユー・ボーン・アゲイン』(少し歌う)を歌ったりしています。 

それはさておき、彼女と一緒に南アフリカに行きました。その時にシリータが自分の胸にしこりがあるということを告白してきました。彼女はとても不安に感じていて、僕がどう思ってるのか意見を尋ねてきました。僕はカリフォルニアに戻ったらすぐに医者に見てもらうべきだと話しました。でも、彼女はとても(医者に行くのを)怖がっていて、『一緒に行ってくれる?』というので、『もちろん一緒についていってあげるよ』と答えました。そして、カリフォルニアに戻って一緒に(医者のところに)行ったのですが、残念なことにその腫瘍はひじょうに悪性のものでした。そして、彼女は2年前に亡くなってしまったのです。(訳注、実際シリータが他界したのは、2004年7月、1年前のこと。スティーヴィーがちょっと勘違いした)  

その時は本当に心が痛み、悲しみにくれました。当時は、シリータとはもう離婚していましたが、(シリータは、自分の)家族のようなもので、彼女の子供も僕の子供も同じようにファミリーだったんです。ラリーもシリータも、僕の大事な家族で、その家族を失ったという痛みをそのときもの凄く感じていたのです。そんなときに神が試練を乗り越えさせてくれるべく力をくれ、授かったのが「シェルター・イン・ザ・レイン」という曲でした。当初はシリータと一緒に歌おうと思っていたのですが、彼女はとても歌える状態ではありませんでした。結局僕ひとりで歌ったのですが、この歌を歌うことによって、僕はその苦しい時期を乗り越えられたような気がしたのです。そこで、ハリケーン・カトリーナの被災者の人たちとともに、僕が神から授かったこの曲の何かを一緒に分かち合えればいいのではないかと思うようになりました。そして(自分が所属する)ユニバーサル・レコード、モータウン・レコードと話し合い、この作品をシングル・リリースして、そこから上がる純益をすべてハリケーン・カトリーナの被災者たちに寄付することにしました。 

質問3 スティーヴィーがデビューした1961年から、ニュー・アルバム『タイム・トゥ・ラヴ』まで、ずっとスティーヴィーの音楽を楽しませていただいています。一番最初に曲を書いてから今まで、作曲においてもっとも大切にしていることは何でしょうか? それは、デビューした時から、今回のアルバムまで同じなのか?それとも、各60年代、70年代、80年代、時代を見て書いてらっしゃるんでしょうか?(Jウェイヴ リュー氏) 

SW まず、何よりも僕は音楽愛好家(ミュージック・ラヴァー)であるので、音楽が大好きなんです。ですから、曲は様々な理由で書きます。自分自身のことを表現するために、あるいは曲を書く手段を持たない人の意見や言いたいことを代弁するために、あるいは何か伝えたいことがあるために曲を書きます。こういうことができるということを自分ではとても光栄だと思っています。僕が曲を書く理由は様々です。その曲に向かうフィーリングとか、そこで何が起こっているか、なんでも書きます。どういう気持ちを込めて書いているのかは、曲によって違いますが、一番重要なことは、書いたものをまた聴き直して、それを客観的に聴くことだと感じています。 

曲を書いて完成させたら、音楽好き(ミュージック・ラヴァー)としては、一度スティーヴィー・ワンダーの外側から客観的に聴いて、もし気に入らなければそれはリリースしません。それを聞いていいなと思えば、出す、ということです。作曲してて、長年すごく大事だと思うのは、僕自身がその曲を聴いて一緒に歌えるかどうかということです。一緒に歌えるかどうかということは、その曲がいいメロディーを持っているか、ちゃんと(ストーリーが)成り立っている歌詞ができているか、仮に馬鹿げだ内容の歌詞でもそれなりにつじつまがあっているか、真剣で真面目な歌がメイクセンス(理に適っている)しているか、スピリチュアルな曲でもきちんと歌詞の整合性があるかどうか、そういうことが大事なんです。自分なりのそうした基準が満たされれば、それは世にでます。 

僕自身は(シンガー・ソングライターであると同時に)常にプロデューサーでもあって、プロデューサーとして客観的に音作りを見ていかなければなりません。僕としては、スティーヴィー・ワンダーというアーティストを客観的に自分の耳で聴いて、「このヴォーカルはちょっと気に入らないなあ。これはもっとうまく聴こえるんじゃないか?」とか「その歌い方は、彼(スティーヴィー)が(曲の)意味するところをうまく歌っていないんじゃないか」「これは必要ないんじゃないか?」「もっとよくできるんじゃないか?」などと見ます。プロデューサー、ソングライター、そういった観点から僕自身は曲を書きます。 

もうひとつ付け加えたいのは、僕は音楽愛好家なのでありとあらゆる音楽を聴いています。それはヒップ・ホップからクラシックから、ありとあらゆるものです。いろいろな意味で、そういった曲からインスピレーションを受けたり、影響を受けたり、それらを自分なりの方法で消化して自分の作品を作っています。 

(スティーヴィー・ワンダー記者会見=パート2へ続く) 

(2005年11月2日水曜、恵比寿ウェスティン・ホテル、スティーヴィー・ワンダー記者会見) 

ENT>MUSIC>ARTIST>Wonder, Stevie

投稿者 吉岡正晴 : 06:11 AM | コメント (0)

November 04, 2005

Eye To Eye Contact With Stevie

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【通訳中は、スティーヴィーは手持ち無沙汰】

目線。

今回の記者会見は、通常どおり、質問は日本語で行い、通訳が英語に直し、スティーヴィーの答えを通訳が日本語に直すという手順で行われた。海外のアーティストの場合、通訳が日本語を話している間、手持ち無沙汰となる。

僕はステージに向かってセンターよりやや左に座って、彼らを見ていたが、アイーシャとスティーヴィーは時々、耳元で何かを話したりしているのが見える。実際にアイーシャを見るのは初めてだったが、実にかわいらしい。一時期はそれほどではなかったが、最近はかなり一緒にいることが多いという。

火曜日(1日)に行われた『ミュージック・フェア』の収録では、予定時間を大幅に越え、収録が終了したのは、夜中の12時くらいだったという。途中で曲を変えたり、また、変えた曲のトラックのアレンジを変えたりしたために、予想以上に時間がかかったそうだ。すでに録音してあるトラックのアレンジを変えるなど、完璧主義者スティーヴィーならではだ。

ここでは、結局「ポジティヴィティー」と「ソー・ホワット・ザ・ファス」をメドレーにして、さらに、「心の愛(アイ・ジャスト・コールド・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー)」、「フロム・ザ・ボトム・オブ・マイ・ハート」を歌った、という。今回は5人ほどバンドが帯同している。

さて、今回は質問できる人が抽選で選ばれるということで、しかも15人まで。さらに、時間がなくなれば、たとえば、7番目か8番目で終るかもしれない、という制限だ。残念ながら、僕が会見場に着いた時には抽選は終っていて、僕は質問できない。

ちょうどインターネットデレビ「ギャオ」の取材で来ていた西任さんが、ラッキーなのかアンラッキーなのか14番目を引いていた。で、一緒に質問を考えてくれというので、考えた。というより、それ以前に14番目まで回ってくるか、かなり可能性が低いように思えたのだが。

スティーヴィーが来るまでたっぷり時間があったので、喧喧諤諤になったのだが、今回のテーマが「愛」なので、「愛に関する質問はどうか」ということになった。スティーヴィーは、今の時代にこそ、愛が必要だという。また、愛は永遠だ、君をずっと愛しつづけるというようなラヴソングもある。だが、実生活では最初の妻シリータとは離婚し、次のガールフレンドとも別れ、事実上「永遠」ではない。その彼に、「あなたは、愛は永遠だと歌っています。でも、実際はあなたの愛は永遠ではありません。本当に愛は永遠なのでしょうか」と質問したら、どうだろう、ということになった。これはけっこうおもしろい質問ではないだろうか。

そうして、質疑応答が始まったが5番目で一旦終りそうになり、あと3問ということで、結局14番目はとうてい届かないことになった。

さて、4番目の質問の答えを通訳が訳しているときのことだった。スティーヴィーはいつものように手持ち無沙汰だったのだが、ふと気づくとずっとこっちの方を見ていた。しっかりとこちらを見据え、僕の方を見ていたのだ。よく人から目を凝視されると、自分の目をそらす人がいるが、僕はじっくり相手に見られたら、目線をはずさずに見返すというか、視線を返すタイプ。だからここは、目をそらしてはいけない、と直感した。「ずっとスティーヴィー、こっち見てるよ」というと「ほんとだ」と西任さん。サングラス越しにずっと僕を見つづけるスティーヴィーをしばし僕も見つづけた。10秒以上あったような気がする。けっこう長かったような。今回の記者会見の最大の収穫であり、もっとも嬉しかったこと、それは、スティーヴィーと目があったことだ! 

ENT>MUSIC>ARTIST>Wonder, Stevie

投稿者 吉岡正晴 : 03:42 AM | コメント (0)

November 03, 2005

Stevie Wonder: Accept 3 More Questions, 10 More Radio IDs

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【スティーヴィー、ご機嫌な記者会見】

抽選。

スティーヴィー・ワンダーがプロモーションのために10月31日(月曜)に来日、11月2日(水曜)都内のホテルで記者会見を行った。質疑応答は質問者が多数でることが予想されたため、事前に抽選をし、質問者の順番を決めて行われた。11時半に抽選が行われ、15名のメディアの人々が番号をもらい、1番から順に質問することになった。会見場には150人を超える記者らが集まった。

会見の開始予定は当初は12時だったが、12時にはまったく現れる様子はなく、スティーヴィーは12時35分すぎに会場に姿を現した。舞台中央にはソファが、その前にキーボードが置かれている。スティーヴィーは、なんとアイーシャをともなって登場。写真撮影の後に質疑応答が始まった。

質問はグラミー賞についてどう思うか、「シェルター・イン・ザ・レイン」について、曲を書くときの心得、娘アイーシャとのデュエットができた経緯、災害やテロなどの被害者に対してへのメッセージなどの質問がでた。当初5問が終ったところ、予定時間がきたためか、司会者がこれが最後になると伝えたところ、スティーヴィーは「あと3ついいよ」ということで、質疑が3問増えた。

この中で例えば、次のような話が明かされた。「シェルター・イン・ザ・レイン」は4年ほど前に作った。シリータからネルソン・マンデラの娘のイヴェントで一緒に歌わないかと誘われて、南アフリカに行った。その時に彼女から胸にしこりがあることを打ち明けられ、一緒に病院に行ってくれるかと頼まれた。もちろん、一緒に行って検査をしたが、残念なことに悪性の腫瘍だった。当初は、この曲はシリータと一緒に歌うつもりだったが、徐々に彼女の容態が悪くなり、それはかなわなかった。そして、この曲をレコーディングした後、ハリケーン・カトリーナが起こり、その被災者へのチャリティーにすることにした。この曲からあがる純利益をハリケーン・カトリーナの被災者へ全額寄付することにした。

「ハウ・ウィル・アイ・ノウ」は、10年ほど前のとある火曜日、ニューヨークで書いた。その前日、当時つきあっていた女性と素晴らしい夜、素晴らしいメイクラヴをした後にその時の気持ち書いた。つまり、「彼女は僕のことを愛しているだろうか、どうやったらわかるだろう」という気持ちだ。この曲を作って、自宅で何度も歌っていると、そのうちにアイーシャが覚えてしまい、いつしか歌うようになっていた。それを聞いたスティーヴィーは、彼女のほうが自分よりうまいじゃないか、と思い、今回彼女とともにレコーディングすることにした。

さらに、計8人からの質問に答えた後、突然「ラジオ局のID(ラジオ局のコールサインをちょっとした音楽に乗せて歌ったりするジングルのようなもの)を今、作ってあげるよ。局の名前を言って」と発言。

記者席から次々と声がかかる。「東京FM」「Jウェイヴ」「インターFM」などに混ざって、テレビ番組などもかかり、何本か作った後、収拾がつかなくなったところで、スティーヴィーが「あと10本やるから」と太っ腹なところを見せた。

次々とスティーヴィー・メロディーに乗って曲になっていく各局のコールサイン。記者も、1曲ができるごとに拍手喝采を送る。「フロム・ザ・ボトム・オブ・マイ・ハート」からできた「東京FM」、「ポジティヴィティー」からできた「ラヴFM」、「ホワット・ザ・ファス」のメロディーを使ったID、「シェルター・イン・ザ・レイン」を使ったID、「ドンチュー・ウォーリー・バウト・ア・シング」を使った「目覚ましテレビ」のIDなど、10本以上が出来上がった。

これらが終って、スティーヴィーが会見場を去るとき、記者たちからスタンディング・オヴェーションが巻き起こり、しばし続いた。この日のスティーヴィーは、実にごきげんもよく、次々に質問に答えるだけでなく、こうしてID作りもした。本人自身がとても記者会見を楽しんでいた。予定の1時間を越え、1時間20分以上になり、会見が終了したのは、当初の予定午後1時から1時間以上押して2時過ぎになっていた。


+++++

スティーヴィーは、今回の来日で、4日(金)の『ミュージック・ステーション』(テレビ朝日系列、午後8時)に生出演するほか、『ミュージック・フェア』(11月26日=フジテレビ系列)、『ニュース23』(11月11日頃の放送予定)に出演する予定。

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ENT>MUSIC>ARTIST>Wonder, Stevie

投稿者 吉岡正晴 : 05:37 AM | コメント (0)

October 30, 2005

Who's This Singer Who Sings "Georgia On My Mind"?

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【このジャズシンガーは一体?】 

誰? 

トクの番組の収録が終わり、マネジャーのM氏をおくったところで、「ちょっと一杯だけやっていきましょうか」と近くのソウルバー、ミッドナイト・アワーへ。

久々に顔を出すと、ヒップホップ系のユニット、2バッカ(ツー・バッカ)のハマちゃんがいた。なんと、このほどメジャーとの契約が決まったという。おめでとう。来年春くらいに、まずミニアルバムを出すために、今、一生懸命曲を書きためているそうだ。2バッカのもうひとりのハマーくん(ハマとハマーは別人)は、最近はベニーKのトラックなども作って今かなり旬なので、このユニットの来年以降の動きは注目だ。

さて、いろいろ話をしているうちに、どこかで聞いたことがある曲が流れてきた。ジャジーな女性シンガーに歌われる・・・、それは、「ジョージア・オン・マイ・マインド」であった。なかなかいい雰囲気じゃない。でも、聞いたことないなあ。わからない。しばしいろいろ考えた。

だが、結局わからずがまんできずにお店のナルくんに聞いた。「これ、誰?」 すると「これ、かければ吉岡さん、ひっぱってこれると思いました(笑)」 「おっと、つかまれちゃったか、で、誰?」 ナルくん、ジャケットを渡してくれた。

エアブラシのイラストが描かれたジャケット、アーティスト名は? 「えええっ? Mieko Hirota???」 弘田三枝子 ? まじ~?? 何と昭和30年代から40年代にかけて一世を風靡した弘田三枝子 だった。おそらく、このアルバムは80年代に再発されたものだろう。

タイトルは、『ジャパニーズ・グラフィティー』、アナログ・アルバムのA面が洋楽ヒットの日本語カヴァー、B面が「ジョージア・・・」や、「マック・ザ・ナイフ」「オーヴァー・ザ・レインボウ」、「イッツ・ア・シン・トゥ・テル・ア・ライ」などスタンダードを英語で歌っている。これが、発音もしっかりしていれば、サウンドもなかなかのもので、びっくりした。うまいなあ。

ちょっと調べたら、ちなみに次のところで45秒程度なら試聴できます。

http://listen.jp/store/artalltracks.aspx?artistid=1148529

なんとか入手して、いつかどこかでかけます! 


投稿者 吉岡正晴 : 02:51 AM | コメント (0)

October 23, 2005

Studying "A Time To Love" Part 2

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【『ア・タイム・トゥ・ラヴ』研究・第2弾】

人類愛。

音楽>研究・第2弾。アルバムのオープニングを飾る「イフ・ユア・ラヴ・・・」と対になっている「ア・タイム・トゥ・ラヴ」。この愛は、広い愛、人類愛だ。宗教が違っても人間として相手に対し尊敬の念を持ち、愛をもてれば、戦いは起こらない。いつのまにか9分を越える超大作になっていた。

オープニングで、愛の必要性を訴え、同じくエンディングで同テーマを繰り返す。見事な構成だ。アルバム・タイトルは、『人類愛の時代』とでも表現できるかもしれない。

この曲は「イフ・ユア・ラヴ・・・」ほどの難解さはなかった。しかし、改めて、歌詞の作り方のうまさに驚嘆させられた。we have time から始めそれを効果的に繰り返したり、韻を踏んだり、曲作りのテクニックとしては当たり前なのだろうが、やはりうまいな、と思う。

この曲ではないが、「ポジティヴィティー」などは、まさにラップも同然。しかも、ミニー・リパートンとハーフフルの話も入っていた。訳詞見るまで気づかなかった。

「ア・タイム・トゥ・ラヴ」は、何度も歌詞を読みながらCDを聴いていると、早くこの曲を生で聴きたいという強い欲求にかられた。ライヴをするときは、これが1曲目か、ラストなのか、あるいは、アンコールか。

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【お知らせ】

10月23日(日曜)『ソウル・ブレンズ』(インターFM76.1、午後2時~5時内「山野ミュージックジャム」=午後4時半から)で、スティーヴィーの新作をご紹介します

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【アルバム・ライナーで訂正】

1)ライナーの中で、「可愛いアイシャ」の冒頭の赤ちゃんの声がアイシャのものではないという旨の発言のニュアンスが微妙に違うので訂正します。2004年6月の『オプラ・ウインフレー・ショウ』で初めて明らかになったようなニュアンスの表現がありますが、実際はそれ以前にスティーヴィーが明らかにしていました。よって、次のように直します。「この曲のイントロで聞かれるベイビーの泣き声は長い間アイシャのものと思われていたが、実は違っていたことが同番組の中でも語られた。」(rayさん、ご指摘ありがとうございます)

2)ライナーの中で、アルバムトップの「イフ・ユア・ラヴ・・・」を「アリシア・キーズとの共作」と書きましたが、クレジットにはアリシアの名前はないので、削除します。当初、デュエットの相手候補としてアリシアの名前がでていたものですが、発表されたCDはキム・バレルになりました。

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A Time To Love (Featuring India.Arie)
Music: Stevie Wonder
Lyrics: India.Arie and Stevie Wonder

(I)はインディア・アリーが歌う箇所。

今、僕たちは人種差別主義の時代に生き、
批判主義の風にさらされ、
ありとあらゆる種類の「主義」に囚われる暇はあるのに
いったいいつになったら
この世界に人類愛が満ちあふれる時代が訪れるのだろうか

(I)私たちはさかんに宗教の是非を議論したり、
(I)法律を決めたり、刑務所を作ることを話し合ったり、
(I)いかに富を生み出すか、意見を交換したりすることには
(I)いくらでも時間を費やすが
(I)いったいいつになったら
(I)愛について語りあう時代が訪れるのだろうか

人類の歴史の中で、今こそ、僕たちは選択しなければならない
(I)&(S)人類愛が満ちあふれる道を歩むのか、
あるいは、憎しみの連鎖で(人間が)かたわになっていく道を進むのか

今、僕たちは公害を引き起こし、
混迷の時代に生きている
(それらは)すべて僕たちの幻想のなれの果て
いったいいつになったら
この世界に人類愛が満ちあふれる時代は訪れるのだろうか

今、僕たちは他国を征服したり、石油のために利権争いをして、
憎しみ、暴力、無差別テロを生み出している
いったいいつになったら
(S)&(I)この世界に人類愛が満ちあふれる時代は訪れるのだろうか

(I)今この瞬間こそ、私たちは決断しなければならない
僕たちがこの母なる地球をいかに痛めつけているかを
神様はちゃんと見ているのだ
なんと恥ずかしいことだろうか
若者や老人や貧しい者には充分なお金が行き渡らないのに、

戦争には莫大な資金が投入される
いったいいつになったら
この世界に人類愛が満ちあふれる時代は訪れるのだろうか

(I)私たちは税金を納め、日々の生活費を払い、
(I)時には身分や社会的地位さえもお金で買う
(I)だがもし、今私たちが人類愛について真剣に考える時間を作らなければ、
(I)その痛烈な代償も払うことになるでしょう
(I)&(S)そう、今こそ人類愛が必要な時代

(訳詞・ザ・ソウル・サーチャー)

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A Time To Love (Featuring India.Arie)
Music: Stevie Wonder
Lyrics: India.Arie and Stevie Wonder

We have time for racism
We have time for criticism
Held bondage by our ism's
When will there be a time to love

We make time to debate religion
For passing bills and building prisons
For building fortunes and passing judgment
When will there be a time to love

At this point in history we have a choice to make
To either walk the path of love or be crippled by our hate

We have time to cause pollution
We have time to cause confusion
All wrapped up in our own illusions
When will there be a time to love

We have time to conquer nations
Time for oil excavation
Hatred, violence and terrorism
When will there be a time to love

At this moment in time we have a choice to make
Father God is watching while we cause mother earth so much pain
It's such a shame

Not enough money for
The young, the old and the poor
But for war there is always more
When will there be a time to love

We make time for paying taxes
For paying bills and buying status
But we will pay the consequences
If we don't make the time to love
Now's the time to pay attention
Yes now is a time to love

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ENT>MUSIC>ARTIST>Wonder, Stevie
ENT>MUSIC>SONG>A Time To Love

投稿者 吉岡正晴 : 05:09 AM | コメント (0)

October 22, 2005

Studying "A Time To Love" Part 1

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【『ア・タイム・トゥ・ラヴ』研究・第一弾】 

必然。

音楽スティーヴィーの新作『ア・タイム・トゥ・ラヴ』が無事発売され、すでにあちこちでオンエアーなどもされ、アルバム全体をお聞きになった方も多いだろう。全曲を聴く前にライナーを書き終え、その後すぐに音をもらったのだが、ライナーでは書ききれていないことがたくさんあるので、何回かにわけて、このアルバムについて書いておきたい。一言で言って、このアルバム、かなりいいと思う。改めて痛感している。

2曲いい曲があれば、「いいアルバム」、3曲あったら、「素晴らしいアルバム」、4曲あったら「傑作」、そして、5曲あったら「歴史に残るマスターピース(歴史的名盤)」という僕なりの定義でいくと、これは「歴史に残るマスターピース」かな。もっともアナログ・アルバム時代の10曲40分程度の長さと、CD時代15~20曲80分の長さでは、単純な比較もむずかしいが。

今日は、まず1曲目の「イフ・ユア・ラヴ・キャンノット・ビー・ムーヴド」について少し掘り下げてみたい。僕はなぜこれが1曲目なのか、ここ一ヶ月くらいずっとわからないでいた。訳詞を読んでもなかなかわからず、ここ数日英語の歌詞を何度も何度も読み返して、やっとわかったような気がした。

なるほど、そうか。これは、絶対にこの1曲目でなければならないと思った。つまり、これは、スティーヴィーが今、一番主張したいことが込められた作品なのだ。だからこのCDを買った人全員に、いの一番にこの曲を聴いてもらいたいのだろう。

この「イフ・ユア・ラヴ・・・」とタイトル曲の「ア・タイム・トゥ・ラヴ」は、実は対になっていて、最初と最後をしめる。今回のアルバムのメッセージをもっとも端的に表している作品がこの「イフ・ユア・ラヴ・・・」とタイトルの「ア・タイム・トゥ・ラヴ」なのだ。だから、この2曲を最初と最後に配置したのである。それは、連続ドラマの第一回と最終回を見るだけで、ドラマを見た気になれるような完璧な曲配置だ。必然的な曲並びといっていい。

最初、タイトルの「あなたの愛が動かないなら」という直訳の意味がどうしてもわからなくて苦労したが、この「愛」を広く「人類愛」とすると、さっと雲が晴れたようになった。

アルバム・タイトルの「ア・タイム・トゥ・ラヴ」の「ラヴ」も、男女間の「愛」というよりも、広く「人類愛」「普遍的な愛」として捉えるとわかりやすい。それは、「愛」というだけでなく、相手を思いやる気持ちや、相手の立場になって考えること、自分勝手に行くのではなく、常に相手との距離感のなかで、コミュニケーションを計っていくことの必要性を訴えている。

宗教が違っても、人種が違っても、広い意味での人類としての思いやりや愛があれば、本来だったらそこには戦争やいさかいが起こらないはずだ。そうした主張がこの曲に込められている。

また、この作品の「ユー(あなた、君)」は誰を指すのか。まず、第一に政治的な権力者、大統領を始めとするその側近だ。つまり、「政治家であるあなた、ブッシュ大統領、あなたの人類愛が本当にゆるぎない物なら、サングラスをとって、嘘を言わないでくれ」というメッセージだ。

第二にこの「ユー」は、政治家に次ぐ権力(パワー)であるメディア(媒体)にも向けられている。しかも、このメディアも大新聞、大きなネットワーク・テレビだけでなく、小規模なインターネット媒体にも向けられている。

ひとつの戦争を容認し、肯定化するようなメディア(マスコミ)に対して、それでいいのか、と苦言を呈す。この巨大化したメディアも、ある意味匿名的だ。誰が言うともなく、戦争肯定の風潮ができてしまったからだ。それだけでなく、最近ではインターネットの例えばホームページやブログなどが大きな力となりつつあり、そうしたネットの世界では匿名であることが当たり前になってきているが、匿名で物事を主張しても、それはどうなのか、といった主張だ。

If your love cannot be moved (もしあなたの人類愛が真にゆるぎないものであるなら)と同じくらい put your face to somebody (だから、きちんと自分の立場をはっきりさせて、自分の意見を表明しよう)という一行が重みを持ってくる。後者の直訳は、誰かの前で身分を明らかにしろ、なのだが、何か意見を言うなら、ちゃんと名乗れ、ということなのだ。

以下、試訳。なにか解釈に対するご意見、誤訳指摘などありましたら、およせください。ひょっとしたら、取り違えているところもあるかもしれません。それにしても、スティーヴィーの曲は歌詞がむずかしい。かなり悩んだ。you can't~の構文は「~するなんて、ありえない」「~するなど許されない」「~なんかすべきじゃない」「~はダメだ」といったところだろうか。

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If Your Love Cannot Be Moved (featuring Kim Burrell)
Written by Stevie Wonder

[(K)はキムが歌う箇所。場所によっては、スティーヴィーとのコーラスも。]

大義名分を掲げてこの戦争はやるべきだと言いながら、
どろどろの戦いはいやだなんてことは許されない
戦争には手を染めないと言う裏で、
戦争を始めるなんてことは許されない
(K)口先だけで平和を叫んでも、
(K)すぐにどこかに雲隠れしてしまうなんてことは許されないわ
(K)正確に効果的に目標を攻撃できないなら、
(K)そんな作戦など遂行するべきではない
(訳注: 直訳は、「ある程度の効果なしに嵐に乗るな」=ここでの嵐はデザート・ストーム作戦=湾岸戦争の作戦を指す)
(K)相手のことも考えずに戦利品を略奪するなんて、
(K)人道的に許されない
(フセインに)「悪魔」のレッテルを張って、誇らしげに勝利宣言するなんて非常識だ
メロディーのない歌なんて歌えっこない
(訳注:真の人類愛のないスピーチなんて意味がない、ということか? 本質のないメッセージは人々に伝わらない、とか。あるいは単純に文字通りの意味か。この一行だけやけにシンプルすぎる=(笑))
我々(アメリカ人)に団結力がないなんてことは誰も言えない
(K)ひとりで立ちはだかるのが怖ければ、人間の盾なんてできっこない
(K)神に祈りを捧げつつ、その神を裏切るようなことをするなんてありえない
(K)(神への)希望を語りつつ、ジョークを言うなんてふとどきよ

マスコミは自分たちの立場ははっきりしていると言ってはいるが、
時代はマスコミがあまりに肥大化してきて(発言者の立場があいまいになって)いることを知っている
だから、隠れずにきちんと自分の立場をはっきりさせて、自分の意見を表明しよう
(Put a face to your somebodyの直訳は、身分を明らかにしろ)

(コーラス)

君は自分自身の名前をちゃんと名乗れるか?
それとも、匿名のままでいたいのか?
(K)あなたはちゃんと自分の顔を表に出せる?
(K)それとも、顔が(人々に)割れるのが怖いの?
自分の心に正直でいられるか?
それとも、君は自分の殻に篭り自分のことしか考えないのか?

(K)サングラスを堂々と取って、あなたの言う真実は決して嘘にはならないと宣言してよ
(K)もし、あなたの人類愛が真にゆるぎないものであるならば

(K)自分自身のこともわからないくせに、私を見ないでよ
(K)ある一部の人たちのためだけに、何か便宜を与えるなんて許されない
神にご加護を祈らなければ、神から祝福などされるはずがない
貧しい人を見捨てて、金持ちを優遇するなんて許されない
泣き叫ぶ人の声が聞こえていても、扉を閉ざすなんてことは非人道的だ
(K)徹底的にがんばってみることもなく、負け犬と嘆くなんて考えられない
(K)誰かの損失から利益を得るなんて非常識よ
(K)病気も治せない医者が特効薬を見つけるなんてことはできない
やり方を変えて人々を奴隷のように扱いながら、奴隷を解放したなんて言わせない
目が見えるからって、正義が「見える」ってことでもない
体制に流されるていると、不正もわからない
(K)あるいは、そんな未来でもあなたはいいと思っているの?
(K)だから、隠れずにきちんと自分の立場をはっきりさせ、自分の意見を表明しよう

(くりかえし=コーラス)
(以下はキムとスティーヴィーのかけあい)

守れないなら、公約なんて最初から言わなければいい
自分の意見に確固たる自信がないなら、意見なんか言わなければいい
物事を、知ったかぶりなんかしなければいい
苦しい時に助けてくれないで、友達面(ともだちづら)なんかしないでくれ
地雷原に行かなければ、地雷を踏むことだってない
大企業と手を組んでるくせに、儲けを平等に分配しようなんてできっこない
やる気もないことは、やれるなんて言わないでくれ
実行しないことは、実行するなんて言わないでくれ
その必要も感じていないのに、何かを改革したいなんて言わないでくれ

与えた物を全部取り返すくらいなら、最初から与えないでくれ
死に向かって生きていくことは意味がないが、生きるために死ぬほどがんばることは大いに意味がある
あるいは(今まで言ってきたことを)あなたに要求することは、言い過ぎだろうか
だったら、隠れずにきちんと自分の立場をはっきりさせ、自分の意見を表明しよう

(くりかえし=コーラス)

(訳詞・ザ・ソウル・サーチャー)

If Your Love Cannot Be Moved (featuring Kim Burrell)
Written by Stevie Wonder

You can’t say we shall and not fight through hell
You can’t say we will and not dare to deal
You can’t shout out peace and then vanish in the crowd
You can’t ride the storm without some effect
You can’t steal the spoil and not pay the debt
You can’t wave a sign that spells “evil” and feel really proud
You can’t sing a song with no melody
You can’t say we’re one without unity
You can’t form a line if you’re sacred to stand alone
You can’t pray for grace and then smack her face
You can’t speak of hope and then crack a joke

You can say you’re there but time knows how much you’ve grown
Put a face to your somebody

Can you say your name?
Or would you rather stay unknown?
Can you show your face?
Or are you fearful of it shown?
Can you feel your heart?
Or does it beat for you alone?
Lift you glass up high
Say that your truth will never lie
If your love cannot be moved

You can’t look at me and not see yourself
You can’t say “for them” and not for who else
You can’t truly bless and not bless the good of all
You can’t serve the rich and desert the poor
You can’t hear their cries and just close the door
You can’t say you’re down and not take it to the wall
You can’t benefit from one’s detriment
You can’t find the serum and not cure the sick
You can’t free the slave to enslave them differently
You can’t see the right only from your sight
You can’t see the wrong and just go along
Or is that the way you would want your fate to read
Put a face to your somebody

Can you say your name?
Or would you rather stay unknown?
Can you show your face?
Or are you fearful of it shown?
Can you feel your heart?
Or does it beat for you alone?
Lift you glass up high
Say that your truth will never lie
If your love cannot be moved

You can’t make a pledge and then slip the script
You can’t say the words and not move your lips
You can’t be confused and still say you understand
You can’t be a friend but not through thin and thick
You can’t be a click but in danger split
You can’t evenly share and then grab the biggest hand
You can’t say you do but then show you don’t
You can’t say you will and make sure you won’t
You can’t want for change and not do what you need to do

You can’t give up all and then take back all you give
You can’t live to die but you can die to live
Or is that too much to ask of the you in you?
Put a face to your somebody

Can you say your name?
Or would you rather stay unknown?
Can you show your face?
Or are you fearful of it shown?
Can you feel your heart?
Or does it beat for you alone?
Lift you glass up high
Say that your truth will never lie
If your love cannot be moved

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ENT>MUSIC>ARTIST>Wonder, Stevie
ENT>MUSIC>SONG>If Your Love Cannot Be Moved

投稿者 吉岡正晴 : 05:04 AM | コメント (0)

September 15, 2005

Luther Tribute Will Be Out On October 26 In Japan

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ルーサー・トリビュート10月26日発売】 

差し替え。

CDをプレイヤーにかけるといきなり、メアリーJの語りが入る。「1981年のある日、ラジオからこんなサウンドが流れてきた」 そして、始まるあのギターの響き。「ネヴァー・トゥ・マッチ」のあのリフだ。

音楽ついに到着。ルーサー・ヴァンドロスへのトリビュート・アルバム『ソー・アメイジング~オールスター・トリビュート・トゥ・ルーサー・ヴァンドロス』。いよいよ全米では9月20日、日本では10月26日発売になる。はやく次の曲を聴きたいが、今なっている曲もじっくり聴きたいという相反するうれしい焦りが心にうずまく。こんなアルバムは久しぶりだ。

アッシャーの「スーパースター」、ビヨンセ&スティーヴィーの「ソー・アメイジング」、アレサの「ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」、ルーサーの「エニワン・フー・ハド・ア・ハート」にデュエットの形で録音したエルトン・ジョン。ルーサーの遺作であり、最大のヒット「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」は、セリーヌ・ディオン。

アレサもまた、曲のイントロでルーサーへの一言をナレーションぽくいれている。これには、ノックアウトさせられる。どれもルーサーを思うとき、熱くなるトラックばかりだ。

こうやって全15曲を聞くと、実にいい曲ばかり。というのも15曲中9曲までがルーサーが他の誰かの作品をカヴァーしたものをカヴァーしているからだ。ルーサーのカヴァーのうまさが光るといってもいいだろう。これは売れる。またまたアルバム・チャート初登場1位だろうか。数あるトリビュートの中でも、実に密度の濃いすばらしい作品だ。

ところで、このアルバムについては、ソウル・サーチン・ダイアリー8月11日付けで収録予定曲を紹介した。

August 11, 2005
Luther Tribute Will Be Out On September 20
http://blog.soulsearchin.com/archives/000441.html

だが今回、リリースされるものと照らし合わせると、微妙に曲が変更になっている。ここで、比較検討してみよう。先に発表された作品は17曲、そこから8曲が落ち、今回新たに6曲が加えられ、最終的には計15曲となった。落ちた8曲が完全にレコーディングされたのか、企画だけで終わっているのか確定的なことは言えないが、ほぼレコーディングはされているものと思われる。ひょっとして、ヴォリューム2などの企画がでてくるのかもしれない。

8月11日付けで紹介した収録予定曲(##が今回のリストから落ちた曲)

Fantasia- 'Til My Baby Comes Home
Usher- Superstar
Angie Stone- Since I Lost My Baby
Wyclef Jean- Always and Forever
Babyface- If Only For One Night
Mary J. Blige- Never Too Much
Aretha Franklin- A House Is Not A Home
John Legend- Love Won't Let Me Wait
Celine Dion- Dance With My Father
(以下が没曲)
Janet Jackson- The Glow Of Love ##
Ruben Studdard- So Amazing ##
Stevie Wonder- My Love Is On Fire ##
Val Young- Here and Now ##
Jaheim- Bad Boy/Having A Party ##
Monica- Any Love ##
Rod Stewart- Heaven Knows ##
Mariah Carey- Power of Love/Love Power ##

今回アルバムに収録される曲。(**今回新たに入った曲)
SO AMAZING: Final Track listing

01. Mary J Blige - Never Too Much
02. Usher - Superstar
03. Fantasia- 'Til My Baby Comes Home
04.**Beyonce & Stevie Wonder - So Amazing
05. Aretha Franklin- A House Is Not A Home
06.**Donna Summer - Power Of Love
07.**Alicia Keys Featuring Jermain Paul - If This World Were Mine
08.**Elton John & Luther Vandross - Anyone Who Had A Heart
09. Celine Dion - Dance With My Father
10. Wyclef Jean - Always and Forever
11. Babyface - If Only For One Night
12.**Patti LaBelle - Here & Now
13. John Legend - Love Won't Let Me Wait
14. Angie Stone - Since I Lost My Baby
15.**Jamie Foxx - Creepin'

このふたつのりストをよく見ると、たとえば、ルーベンで歌われた「ソー・アメイジング」がスティーヴィーとビヨンセという強力コンビにとってかわられ、そのかわり、スティーヴィーの楽曲が落ちた。一方、「ヒア・アンド・ナウ」は、ヴァル・ヤングというシンガーから、パティー・ラベルのものへ。前回の記事で収録予定のアリシアの曲がリストにはいっていないと書いたが、アリシアがここで復活した。ジャネットはルーサーとデュエットしているが、「グロウ・オブ・ラヴ」が没は痛い。また、ルーサーとは縁もゆかりも深いロバータ・フラックの曲がないのは不思議だ。ロバータはこういう企画にはいつものらないのだろうか。同じレーベルのディオンヌ・ワーウィック、また、ルーサーのアイドル、ダイアナ・ロスもはいっていないのは不思議といえば不思議。

ファンとしては、こうなると、没になった6曲がどうしても聴きたくなる。各アーティストのアルバムのボーナストラックなどに使われるようになるのだろうか。

もちろん、どの曲もいいのだが、アレサ・フランクリンが親友「ヴァンドロス」に向けて歌う「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」は、特に熱いソウルがある。しばらく僕のCDプレイヤーのヘヴィー・ローテションまちがいない。

■ルーサー死去以降の関連記事
July 02, 2005
(速報)ルーサー・ヴァンドロス死去
http://blog.soulsearchin.com/archives/000363.html

July 03, 2005
Luther Vandross Died At 54: Reunited After 46 Years With His Father
ルーサー54歳で死去~父と46年ぶりの再
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July 05, 2005
Luther Tribute Continues: Luther's Room Is Not A Home
結婚しなかったルーサーの部屋は、家庭にならず
http://blog.soulsearchin.com/archives/000369.html

July 06, 2005
Luther Vandross Talks In Brooklyn Accent
ルーサーの思いで~ブルックリン訛り
http://blog.soulsearchin.com/archives/000370.html

July 10, 2005
Luther's Funeral Was Celebration
http://blog.soulsearchin.com/archives/000378.html

August 11, 2005
Luther Tribute Will Be Out On September 20
http://blog.soulsearchin.com/archives/000441.html


■死去以前・ルーサー・ヴァンドロス関連ソウル・サーチン日記

2003/04/25 (Fri)
Luther Vandross' Condition Critical, But Stable
倒れた時の第一報
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030425.html


2003/05/05 (Mon)
Luther Is Still Alive
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030505.html

2003/05/15
Luther Still Unconcious: But Mother Confident of Recovery
ルーサー、依然 昏睡状態。母親は回復に自信
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030515.html

2003/05/22 (Thu)
Aretha sung "Amazing Grace" for Luther
アレサ・フランクリン、「アメージング・グレイス」で全快の祈り 捧げる
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030522.html

2003/05/29 (Thu)
Promotional Talk
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030529.html

2003/06/13 (Fri)
Luther is out of his coma?
昏睡状態から脱す
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030613.html

2003/06/14 (Sat)
Now it's official: Luther is out of ICU
集中治療室を出る
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030614.html

2003/06/20 (Fri)
Luther's Album Made No.1 For The First Time In His Life
ルーサーの新作、アルバム・チャートに1位初登場
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030620.html

2003/06/21 (Sat)
Dance With My Father: Complete Japanese Translate Version
「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」完全訳詞
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030621.html


2003/07/19 (Sat)
The Power Of Love For Luther Vandross
ビデオに友人シンガーたち登場
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200307/diary20030719.html

2003/08/13 (Wed)
Luther: Because It Has His Soul In His Song
何も知らずとも泣けてくる「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200308/diary20030813.html

2003/09/05 (Fri)
Luther Live Album Due Next Month
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030905.html

2003/11/18 (Tue)
Luther Vandross' First Live Album Ever: Love Story For 75 Minutes Long
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200311/diary20031118.html

2004/02/11 (Wed)
Another Side Of "Dance With My Father"
「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」もうひとつの物語
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200402/diary20040211.html

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ENT>MUSIC>ARTIST>Vandross, Luther

投稿者 吉岡正晴 : 02:27 AM | コメント (0)

September 05, 2005

Seoul Connection: Shin Seung Hun And...

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【シン・スン・フンと握手】

ソウルコネクション。

ソウルのアーティストをインタヴューするのは、初めてだった。ソウルといっても、韓国のソウルのシン・スン・フンというシンガーだ。次回(9月11日)『ソウル・ブレンズ』内「山野ミュージック・ジャム」のコーナーで紹介するためにコメントどりをしてきた。

ホテルのスイートルームからは、都内を一望できる。ちょうど、取材を始めようとしたとき、テーブルにあった携帯がなった。シンさんが電話にでて話を始めたのだが、その携帯の向こうの声が、ものすごく大きくて、漏れてくる。女性らしい。もちろん、韓国語でしゃべっているので、何を言ってるのはまったくわからないのだが、とにかくでかい声でしゃべってる。

インタヴューの通訳は韓国の方で、こちらの質問を彼に訳し、シンさんが話したことを日本語に訳してくれる。僕はまったく韓国語がわからない。なので、彼が話している間、本当に宇宙語を聞いているようで、どうやって、相槌を打っていいのかさえわからなかった。(でも、なんとなく、首をふんふんと振っていたが) 

よく考えてみると、僕はふだんは英語を話すアーティストにはインタヴューするが、英語以外の人とはほとんど話す機会がない。唯一覚えているのが、キューバのジャズ・ピアニスト、ゴンサロ・ルバルカバにインタヴューした時のことだ。スペイン語がまったくわからず、ほんとに何をしゃべっているのか、皆目見当がつかなかった。相手が何をしゃべっているのかわからないと、けっこう不安になるものだ。だが、できるだけ相手の目をみるようにはしないと。

インタヴューの内容は、オンエアを聞いていただくとして、唯一わかったのが、「好きなアーティスト、影響を受けたアーティストは」という問いに対しての答えの部分で、彼が「エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、スティーヴィー・ワンダー、クインシー・ジョーンズ・・・」と言ったとき。さすがに、この名前だけはわかった。(笑) あと日本のアーティストの名前を何人か挙げていたが、それもわかった。ただし、チューブは聞き取れなかったなあ。(苦笑)  

インタヴューが終わって、どうもありがとうと言って握手をした。スタッフが機材を撤収している間、雑談になりスティーヴィーが好きということで「スティーヴィーは95-6年に韓国でライヴをやってますよね。見に行きましたか?」と尋ねると「もちろん、行きましたよ」と。「直接、会いましたか?」「いやあ、会うことはできませんでした」「以前、インタヴューしたことがあります」「ええ? じゃあ、その手はスティーヴィーと握手した手ですか? もう一度握手してください」と言われた。シンさん、間接的にスティーヴィーと握手したことになった。(笑) 

彼は、ものすごくいい人で、やさしい感じ。好感度ア~~ップだ。ところで、冒頭の電話の主は、シンさんによれば「ユンソナさんです」だって。う~む、ソウル・コネクションだな。(笑) 

ENT>MUSIC>ARTIST>Shin Seung Hun

投稿者 吉岡正晴 : 03:33 AM | コメント (0)

September 01, 2005

Stevie Won't Release New Album In September

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【スティーヴィー、新作9月中の発売は、なし】

望薄。

つい先日まで全米で9月27日の発売が目されていたスティーヴィーの新作『ア・タイム・トゥ・ラヴ』の9月中の発売が不可能になった。これにより、来年初頭のグラミー賞でのアルバム部門などのノミネートも不可能になった。ただし、シングル盤「ソー・ホワット・ザ・ファス」は、各種当該部門へのノミネートは可能。

スティーヴィーの新作を9月27日に日本発売するためには、8月22日の週にマスターテープが届かないと、リリースできないということだったが、結局、マスターは到着しなかった。さすがにアメリカもほぼ同様の雰囲気で、どうやら、アメリカ・モータウンにもマスターは届けられていない模様。この結果、9月1日現在、日米ともに9月27日の発売は不可能になった。

9月27日発売が有力視されていたのは、今年度のグラミー賞のノミネート作品のリリース締め切りが9月末日だったため。9月中にリリースしておけば、来年2月のグラミー賞のさまざまな部門へのノミネートが可能で、さらに大量の受賞となれば大きな話題を集められることが期待されたからだ。対照的にローリング・ストーンズは、しっかり7年ぶりの新譜を出し、来年のグラミーを狙える。

こうなると、いつ発売になるか、ということだが、まったく未知数になった感がある。ただし、実際は10月1週目の発売でも、プリントする公式発売日を9月30日にしてしまって、ノミネートにはエントリーするという裏技はなくはないが。それも、せいぜい10月2週目くらいまでだろう。11月に出しておいて、ノミネートへエントリーはさすがにむずかしい。となると、かすかな望みが10月1-2週までの発売だが、かなり薄くなっているような感じがする。となると、もう完全にグラミーは関係なくリリースするか。「9月27日? 誰も今年とは言ってないないだろ(笑)」というジョークが現実味を帯びてきた。

音楽一方、スティーヴィー関連の作品は少しずつだがリリースされる。一番の注目はラウル・ミドンという新人シンガーのデビュー作『ステイト・オブ・マインド』(日本盤2005年10月5日発売)。このラウルについては、改めて紹介しようと思っているが、超ヴェテラン・プロデューサー、アリフ・マーディンとその息子ジョー・マーディンのプロデュースによる強力新人。ニューメキシコ生まれの、黒人とメキシコ人のハーフ。生まれながらにして盲目。ちょっと聴いたところ、ホセ・フェリシアーノとノラ・ジョーンズを足して、スティーヴィー風味をまぶしたという感じの作品だ。一曲、スティーヴィーがハーモニカで参加。これがいかにもスティーヴィーが歌いそうななかなか渋い作品になっている。タイトルは「エクスプレッションズ・オブ・ラヴ」。

彼のバイオなど。試聴もできる。

http://www.toshiba-emi.co.jp/st/artists/raulmidon/disco.htm

また、このラウルは、来る9月9日、ロスアンジェルスで行われる「トリビュート・トゥ・スティーヴィー・ワンダー」のコンサートへの出演を、ハービー・ハンコックからじきじきに頼まれたという。ラウルは、ハービーの最新作のレコーディングに参加したといい、その縁でもともとハービーが出演することになっていたこのトリビュート・ライヴへ一緒にでないか、と誘ったもの。二人で、「アイ・ジャスト・コールド・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー」を歌うという。

ENT>MUSIC>ARTIST>Wonder, Stevie

投稿者 吉岡正晴 : 01:10 AM | コメント (0)

August 30, 2005

Kishita Kohshi At "Soul Blends": Blind Ain't Nothing, But A Word.

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【「盲目」とはただの単語】 

ゲスト。

『ソウル・ブレンズ』に木下航志くんがやってきた。キーボード持参、スタジオで生ライヴを見せてくれる、という。1時過ぎにやってきて、本番前にセッティングをすませ、ちょこっとだけ音の感じをリハーサルして、2時からは番組が始まり、彼の出番は2時40分過ぎ。

ルイ・アームストロングの「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」がかかっている間に、木下くんスタジオに入る。いつも、彼はにこにこしている。

歌う曲は、1曲はオリジナルで、九州地区だけでシングル発売となる「通り雨」。もう1曲はなにかソウルのカヴァーをやろうということで、結局、ダニー・ハザウェイの「サムデイ・ウイル・オール・ビー・フリー」になった。ただし、ダニーの曲、放送時間が短かったため、少し短いヴァージョンでお願いすることにした。

キーボード1本と彼の歌声。このシンプルな音と声は時折メロディーがぶれたり、発音がちょっとこもったりするが、実に力強い。声そのものにソウルがあるところが、すごい。

そして、DJマーヴィンやちさとらとのやりとりもおもしろい。「好きな食べ物は?」 「ペペロンチーノとか・・・。おしゃれなところで・・・」 「好きな女の子のタイプは?」 「可愛い声の人、これに尽きますね! へへ」(スタジオ内爆笑) 「次のライヴへ向けて新しい曲は、何か練習してるの?」 「マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイン・オン』とか」 「あれ。もうやったじゃない」 「まだまだなんで、磨きをかけようかと・・・。全体的に、まだまだですねえ」 

楽器演奏のゲストは、あのナイル・ロジャースがギターを持ち込んで飛び入りライヴを見せた時以来と記憶する。

最近、彼を見ていて、そして、歌声を聴いていて、彼が「盲目」であることをほとんど意識しないようになっている自分がいて驚く。それだけ彼が普通に音楽をやっているところをたくさん見ているからだろう。彼と音楽が一体となっている、というか、自然にキーボードの前に座り、弾き、歌いという姿が当たり前になってしまったからなのだろう。航志くんのキーボード裁きなどを見ていると、彼が目が見えていないということをすっかり忘れてしまう。

だから、彼を紹介する時も、「鹿児島出身の16歳のシンガー・ソングライター」といったことで充分のような気がしている。まあ、もちろん、「16歳」でこれだけやられると、そのことだけで驚嘆してしまうが、いずれ、この「年齢」も気にならなくなるのだろう。

Age Ain't Nothing, But A Number.(年齢なんて関係ない、ただの数字さ) そして、僕はこんな言葉を航志くんに捧げたい。Blind Ain't Nothing, But A Word. (盲目なんて関係ない、それはただの単語)

航志くんに尋ねた。「航志くんの将来の夢は何?」 「将来、ずっと音楽をやっていくことです」  (拍手)

(2005年8月28日・日曜、『ソウル・ブレンズ』ゲスト=木下航志・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Kishita, Kohshi
ENT>MUSIC>ARTIST>Kishita, Kohshi
ENT>RADIO>Soul Blends>Kishita, Kohshi

投稿者 吉岡正晴 : 02:58 AM | コメント (0)

August 22, 2005

After Kohshi's Rehearsal Is Over, Soul Food Is Waiting

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【リハが終ればソウル・フード】 

リハーサル。

「ソウル・サーチン・トーキング」のスペシャル・シークレット・ゲストでも大好評だった木下航志くんが、恒例の夏のライヴを行う。22日に大阪、24日に東京だが、ともに売り切れとなっている。航志くんは、来る28日『ソウル・ブレンズ』(インターFM、76.1Mhz=日曜午後2時から5時)に生ゲストで登場。キーボード持参で来るので、何かを歌って演奏してもらうことになるだろう。

プロデューサーの永島氏から、リハの様子でも見にきませんかというお誘いがあったので、早速、都内のスタジオに行った。まあ、手ぶらでもなんなので、何を持っていこうかといろいろ考えたが、白金のドーナッツ・プラントのドーナツを持っていくことにした。一時期はものすごく並んでいたお店だが、量産体制を整えたこともあってか、今では並ばずに、しかも、制限なく買える。(当初はひとり8個までだった) 久々に行ったら、また種類の違うのがでていた。

さて、スタジオではリハが進んでいた。バンド編成は、ドラムス、ギター、ベース、キーボード、サックス(ハーモニカも)、コーラス2人、そして航志くん。1部と2部で間に10分程度の休憩を挟む構成らしい。前半がカヴァー曲が多めで、2部がオリジナル中心になる予定だという。オリジナルには過去1年で書きためてきた新曲もあるようだ。

だいたい、昼の1時から夜8時くらいまで一週間ほど通しで練習をしてきた、というので、夜あたりになると、さすがの航志くんもくたびれてきているようだ。しかし、念入りに楽曲を作り上げている。

8時過ぎ、メンバー全員でスタジオの広いロビーで夕食を食べる。ゴハンと味噌汁と数点の惣菜が並ぶ。大きなテーブルで食べるところなど、なんとなく、あの映画『ソウル・フード』で家族全員が一緒に食事をする場面を思い出した。これは、いい感じだ。

「航志くんは嫌いなものとか、あるの?」 「いえ、別にありません。なんでも食べます」 「じゃあ、好きなものは?」 「鳥のから揚げとか・・・」

食事が終って一段落すると、最後の仕上げでもうひとリハーサルあった。

うちに戻ると、航志くんから、演奏予定曲目リストがメールで送られてきた。わお!  曲名がていねいにかかれてあったが、一番最後に「マダニッキニハノセナイデクダサイ」とあった。 受けた。

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■木下航志オフィシャルサイト

http://www.kishitakohshi.com/

■ライヴ情報
http://www.kishitakohshi.com/Information.html

【大阪公演】

日  程:2005年8月22日(月)

会  場:学校法人 キャットミュージックカレッジ専門学校
     本館CATホール(本館最上階)

住  所:〒564-0062大阪府吹田市垂水町3-29-18
アクセス:地下鉄御堂筋線「江坂」駅A階段1号出口より徒歩3分

開場時間:18:30

開演時間:19:00

前売チケット:お一人様 2000円(税込)

当日チケット:お一人様 2500円(税込)

【東京公演】

日  程:2005年8月24日(水)

会  場:DUO MUSIC EXCHANGE
住  所:東京都渋谷区道玄坂2-14-8

アクセス:渋谷駅ハチ公口より徒歩10分。

     SHIBUYA109の左横通り「道玄坂」を直進。

    右側角の回転寿司「台所屋」を右折 突き当たりを道なりに右折。

地図はこちらをご参照ください。http://www.duomusicexchange.com/

開場時間:18:00

開演時間:19:00

前売チケット:お一人様 2000円(税込)

当日チケット:お一人様 2500円(税込)
※前売りチケットは8月17日18:00を持って終了させていただきました。
 当日券は若干枚数販売予定(立見席のみ)です。

お問い合わせ:フィルター・インク 03-5456-8088


■木下航志君についてのソウル・サーチン・ダイアリー

(木下航志君とは何者かと興味をお持ちの方は、日付順にダイアリーをご覧ください)

2003/12/29 (Mon)
Stevie Gave Love & Courage To Everybody
スティーヴィーのライヴで見かけた少年。

http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200312/diary20031229-1.html

2004/04/30 (Fri)
Kishita Koushi: 14-Year-Old Genius, I'd Call Him "Little Koushi"
木下君のNHKでのドキュメンタリー。

http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040430.html

2004/08/14 (Sat)
Kishita Koshi Live: The Live Performance I Really Desired To See
木下君の初ライヴ体験。

http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200408/diary20040814.html

April 02, 2005
Kishita Kohshi Live: First Heisei-born Super Star
初の平成生まれのスーパースター
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_04_02.html

June 27, 2005
Soul Searchin' Talking Vol.4; What'd I Write (Part 1)
「ソウル・サーチン・トーキング」にゲストで登場
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_06_27.html

June 28, 2005
What'd I Write (Part 2): Soulful Joint On "What'd I Say"
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_06_28.html


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ENT>MUSIC>ARTIST>Kishita, Kohshi

投稿者 吉岡正晴 : 03:16 AM | コメント (0)

August 03, 2005

Dexter Redding Talks

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【デクスター・レディング語る】

ジェントルマン。

2005-0802-2019.jpgデクスターは、オーティス・レディングの長男である。そして、ゴスペラーズの面々は、以前、オーティスの墓参りに行ったことがあり、その時にオーティスの妻、ズレマさんに会っていた。そこで、今回7月頭に彼らがニューオーリンズに行ったときに、再びズレマさんに会った。そこに長男であるデクスターがやってきて、メンバーといろいろ話をするうちに意気投合。特に北山さんがデクスターに「こんど、じゃあ機会があったら、日本にでもきてください」と、比較的社交辞令的に言ったところ、本人が本当に来てしまった、というわけだ。そして、デクスターは、先週土曜日のモーションブルーでのクリヤマコトさんのライヴに飛び入りしたり、31日(日)の『メローライダーズVOL.2』に遊びに来たりしている。

デクスターは、オーティス・レディングの長男である。オーティスは、まさに「ソウル・ジャイアント」である。となると、これは、「ソウル・サヴァイヴァー」に登場してもらわないわけにはいかない。というわけで、急遽、彼が「ソウル・サヴァイヴァー」にゲストで出演することになった。(この模様は、8月27日の『ソウル・コネクション』内「ソウル・サヴァイヴァー」で放送されます)

デクスターは、オーティス・レディングの長男である。オーティスは、まさに「ソウル・ジャイアント」である。となると、聞きたい話はいっぱいある。オーティスには4人の子供がいた。長男がデクスター、1960年10月17日生まれ。次男がオーティス・レディング・サード(3世)、1964年12月17日生まれ。第3子がカーラ(女性)で、65年生まれ。そして、4番目が養子にとったディミトリー。

父オーティスが不慮の事故で他界した時(1967年12月)、デクスターはまだ7歳だった。だから、デクスターは父のアーティストとしてのことはそれほど覚えていないという。ところで、前々から不思議だったのが、彼は長男なのに、デクスターで、弟がオーティスを名乗っているという点。普通、父親の名前は、長男が引き継ぐことが多いのだが。それを聞くとデクスターは笑いながら「それは、母親に聞いてくれ」との答え。

父のことをミュージシャンとして、音楽的にすごいなと思い出したのは16歳か17歳、彼がハイスクールにいた頃だという。回りのみんなが父親のことをいろいろ言っていたのを聞くようになって、すごいということを認識し始めたようだ。

デクスターとオーティス3世は、もうひとりのメンバー、マークとともに3人組、レディングスを結成。このレディングスは、80年、CBS配給のビリーヴ・イン・ア・ドリーム・レコードからデビュー。「リモート・コントロール」が大ヒットになり、一躍有名になった。デクスターが20歳、オーティスはまだ16歳の頃だ。彼らは、CBS~ポリグラムで計6枚のアルバムを発表。この第3のメンバー、マーク・ロケットは当時の情報では彼らの「従兄弟(いとこ)」と紹介されていた記憶があった。

「確か、あの3番目のメンバーはあなたたちの従兄弟でしたよね」と言うと、デクスターは笑いながら、「いやいや、実は違うんだよ。いとこでもなんでもないんだ。ははは」 「え~~? 兄弟と従兄弟だったように記憶してましたが」 「いや、あれはレコード会社が適当に作り上げたんだよ。彼は今フロリダで音楽関係の仕事をしてるようだ」 な~るほど。いかにもありそうな話だ。

デクスターと初めてちょっと話をしたのが、31日のルーサーだったが、昨日(2日)、収録で再度会ってまた話をした。そこで、レディングスのアルバムをスタジオに持参した。うちでレコードを探すと発売された6枚のうち5枚があった。そして、3枚目のアルバム『ドック・オブ・ザ・ベイ(原題、スティーミン・ホット)』が日本盤だったので、中をあけてライナーを見ると、なんと、僕がライナー書いてました。1982年8月8日のこと。すっかり忘れてた。(笑) デビューまでのいきさつなどが詳しく書かれていて、話を聞くのに、とても参考になった。(笑) 

2005-0803-0141.jpgスタジオでその話をすると、大笑いになった。ジャケットには3人の写真が映っていて、デクスターはわかるが、残るオーティスとマークの区別がつかないので、それを尋ねたりしていた。(写真参照) 5枚のうち、2枚にサインをもらうことにした。23年前のレコードだ。今回の来日でいろいろ世話役になっている日本在住のブレンダ・ヴォーンさんが、「まあ、なんて若いの?」とめちゃくちゃびっくりしていた。

「6枚のアルバムの中で、一番思い出深いのはどれ?」と聞くとほとんど迷わず最初のアルバム『ジ・アウエイクニング』を選んだ。そのタイトル曲「ジ・アウエイクニング(パート2)」は、彼がベースを弾いている曲で、後に誰かフュージョン系のグループがカヴァーしたという。(その時、彼は「プロミス」とかいうグループじゃなかったか、と言ったが、記憶はおぼろげらしい。かなり調べてみたが、でてこなかった。ただし、同名異曲がたくさんある)

最後のアルバムが88年のアルバム『ザ・レディングス』。この後グループは自然解散。最近では、たまに弟のオーティスとともに、オーティス・レディング・トリビュートのショウなどをやっているという。「二人ということは、サム&デイヴみたいな感じですか?」と聞くと、「そう、そう。そんな感じで父親へのトリビュートをしているよ。きっと、君は気に入るよ」とのこと。

一年ほど前、メイコンで行われたオーティス・トリビュートのイヴェントで、そこのオーケストラをバックに、オーティス・メドレーを13曲ほど歌ったという。「たしか、去年の父の誕生日あたり(9月9日)だったと思うな」

ところで、オーティスのことを書いた『ジ・オーティス・レディング・ストーリー』(スコット・フリーマン著・セント・マーティンズ・グリフィン、2002年=日本未発)という本がある。これについて尋ねた。「この本は読んだ?」 「あー、これか。読んではないけど、内容は知ってる」 「この著者にインタヴューはされた?」 「いや、僕はされてないが、母親はされてる。ただこの本はオーティス(父親)を直接知らない人の話がでてくるんだ」 「なるほど、ということは、まあ、お父さんについての違う視点からの本、ということね」 「ははは、そうだよ。違う視点からの本だ!」 

それにしても、デクスターはものすごくいい人で、にこにこしていて、しかも謙虚。「君が持っていない唯一のアルバムを、帰ったらコピーして送るよ」とまで言ってくれた。本当にジェントルマンだ。

デクスターは、オーティス・レディングの長男である。オーティスは、まさに「ソウル・ジャイアント」である。そして、ソウルの神様である。デクスターと話をして、握手をしたということは、間接的に神様に触れたということでもある。神様に触れると、感激するのである。

(写真は、『ジ・アウェイクニング』の裏ジャケ。上がマーク[22歳頃]、下の左がデクスター[19歳頃]、右がオーティス3世[15歳頃]。) (現在のデクスター・レディング)

ENT>MUSIC>ARTIST>Reddings


投稿者 吉岡正晴 : 01:56 AM | コメント (1)

July 27, 2005

Eric Benet Will Be Coming To Japan On September

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【エリック・ベネイ来日決定】 

5年ぶり。

2005-0727-0414.jpgエリック・ベネイの来日が決まった。2005年9月、大阪ブルーノート、東京ブルーノート、横浜モーションブルーなどでライヴを行う。ベネイの来日は3度目。およそ5年ぶりの来日となる。東京では前回は新宿のリキッドルームだった。

日程は次の通り。

9月26日(月) 大阪ブルーノート 06-6342-7722
9月29日(木)~10月1日(土) 東京ブルーノート : 03-5485-0088
10月2日(日) 横浜モーション・ブルー 045-226-1919
10月3日(月) 名古屋ブルーノート 052-961-6311

エリック・ベネイは6月に6年ぶりの新作『ハリケーン』をリリースしたばかり。新作発売、そして、ツアーといういいタイミングでの来日となる。

エリックの新作について。
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_06_21.html

エリック・ベネイは1969年10月5日ウイスコンシン州ミルウォーキー生まれ。92年、姉妹のリサ・マリーといとことともにグループ、ベネイとしてキャピトルからデビュー。このアルバムはほとんど話題にならずに、エリックはソロ・シンガーへ独立。96年、改めてソロ・シンガー、エリック・ベネイとしてワーナー・ブラザースから再デビュー。

デビュー作『トゥルー・トゥ・マイセルフ』からは、映画『シン・ライン・ビットウィーン・ラヴ・アンド・ヘイト』に収録された「レッツ・ステイ・トゥゲザー」(アル・グリーンの作品とは同名異曲)がヒット。いわゆる「ニュー・クラシック・ソウル」「ネオ・ソウル」の第一人者として注目された。

さらに99年ソロ第2弾『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』からは、新進気鋭の女性シンガー、タミアをフィーチャーした「スペンド・マイ・ライフ・ウィズアウト・ユー」がブラックで1位を記録する大ヒットになった。

そして、以来6年ぶりの新作が、こんどの『ハリケーン』となる。2001年から2003年まで、アカデミー女優、ハル・ベイリーと結婚していた。

前回の来日から5年。前回来日もソウルファンを中心に大いに盛り上がったが、今回はさらに小さい会場ということでかなり熱気あふれるライヴになるだろう。

また、エリック・ベネイは10月2日(日曜)の『ソウル・ブレンズ』への生ゲストが内定している。

+++++

写真は、エリック・ベネイ最新作『ハリケーン』の中ジャケ。どうみても、平井堅だ。松尾潔さん、ベネイに平井堅のCD送ってるでしょう? それにしても、新作中の「インディア」(8曲目)、これはいい! 何度聴いても。

ENT>ARTIST>Benet, Eric

投稿者 吉岡正晴 : 04:41 AM | コメント (0)

July 26, 2005

Marvin & Chisato Are Featuring On Non Chords' New Album

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【マーヴィンとちさとがノンコーズのアルバムに】

デビュー! 

2005-0724-1855.jpgニュース、ニュース! 『ソウル・ブレンズ』のDJ、マーヴィン・デンジャーフィールドに、先日番組ゲストでやってきたノー・コーズのメンバーから、レコーディングのお誘いがあり、日曜日生放送終了後、スタッフみんなでスタジオに遊びに行った。

11月に発売する予定の新作アルバム(タイトル未定)での、2曲で何かやってくれないかというリクエスト。結局スタジオでトラックを聴いた後、マーヴィンが軽くフリー・スタイルでラップすることになった。

曲はけっこうアップテンポの実にかっこいい曲。マーヴィンは聴きながら、メモパッドに何か書いている。そして、とりあえず一回やってみましょうか、ということで、ブースの中に。いきなり、マーヴィンの軽快なラップが始まった。「おおおっ~~」 スタジオのこちら側はいきなりびっくりする。踊りながら、こぶしをつきあげながら、早口でラップを続ける。2-3度、マーヴィンが「もういちど~」と言って、やり直すが、次のテイクでOK。途中からは、自分で書いたメモ用紙も見ずにひたすらのりのりでラップしてる。

「この調子なら、朝までラップしてるんじゃないか?」と僕。「ほんとですね」とオッシー。「どうせなら、あの機関銃英語の中に、『ソウル・ブレンズ』って言ってもらおうよ。どうせ、わかんないよ(笑)」 「いいですねえ・・・」 インスト曲がマーヴィンのラップでいきなり、ドファンキーになってしまった。さすが、ナイル・ロジャースとためでフリースタイルのラップをやった男! 

ノンコーズのノブさん、後藤さんらも、ブースからでてきたマーヴィンに拍手でこたえる。ノブさんいきなりマーヴィンに尋ねる。「マーヴィンさ、最高、最高。ね、ねえ、8月24日、あいてる? それと、9月14日? ライヴあるんだけど、来ない?」 「ダイジョウブよ~~」とマーヴィン。ノンコーズのライヴにフィーチャリング・ゲストだ! 

これはなかなかのサプライズだったが、サプライズ第2弾がまだあった。後藤さんが「いやあ、このあともう1曲、別の曲で女性のセクシーな声が欲しいんですよ。ぜひお願いします」とチーちゃんにオファー。

そのトラックを聴かせてもらうと、イントロで一応仮のガイドヴォーカルがセクシーにはいっていて、それにあわせてやってくれ、という。「ウーンとかオーンとか、そういう感じ」 「私、こう見えてもシャイなんです」とチーちゃん。へえ、シャイなんだ。じゃあ、略して、シャイ・チーか。後藤さん、「明かり、暗くしますから・・・」 すると、チーちゃん、ブースでこちらに顔が見えないように、後ろ向きになってしまった。(笑) 

何をしゃべるか、マーヴィンに教えてもらって、結局、「ドント・ストップ~(やめないで~~)」という言葉をセクシーに言うことになった。この曲、冒頭の藤井さんのサックスが実に淫靡(いんび)な感じで、たまらなくエロチック。そこにチーちゃんの意外と低いセクシー・ヴォイスがからまった。

「これは、大変なことになりましたね。ノンコーズのアルバム出る時には15分なんて枠じゃなくて、大特集しなきゃね!」と僕。「そうですね、決めました。リリースの時には、一時間でノンコーズ大特集、やりましょう」とオッシー。 こらあ、大変だ~~。この曲、まだどうなるかわからないが、CDの一曲目になる可能性もあるという。そうなると、CDショップの試聴機で、みんながチーちゃんのセクシーヴォイスを聴くことになる。わおっ! マーヴィン&チーちゃんCDデビューだ。今秋に注目。

ENT>MUSIC>ARTIST>Non Chords

投稿者 吉岡正晴 : 01:56 AM | コメント (0)

July 08, 2005

Two Fresh Ideas To Sell New Acts: Give Him New Stage Name Kyle "Champagne" (Riabko)

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ムーンウォークと芸名】 

芸名。

新人を売るための、アイデアを二つ授けましょう。

クライアントは、カナダ出身のカナダ人ギタリスト、カイル・リアブコという新人。彼がデビュー・アルバムの宣伝のために来日、7日(木)、都内のカナダ大使館でショーケース・ライヴを行った。リアブコ? 覚えにくいなあ。(笑) カイルはよろしい。

パーカッション1人とカイルの2人だけのステージ。カイルがギターを弾き歌う。僕は初めてライヴを見たが、なかなかルーツに黒い音楽あることを感じさせた。例えば、ブルースをやろうと言ってブルースをやったり、ジミ・ヘンドリックスの「フォクシー・レディー」をカヴァーしたり。何より、そのリズム感の良さ、ステージ上で上下に勢いよく跳ねる様は元気一杯でこちらも高揚してくる。しかも、これがまだ弾ける17歳。若きことはそれだけで素晴らしい。

パーカッションとギター、歌だけで、かなりのグルーヴ感がでる。彼が足で床を叩くので、ちょっとタップダンス的にリズム感がでていた。とても二人だけでやっているとは思えないほど迫力がある音だ。

当初イケメンのジャズアーティストのショーケースということで、ハリー・コニック的な雰囲気ものを予想していたら、まったく違っていて、ある意味予想を裏切られておもしろかった。

一番驚いたのは、ギターを弾きながら、~It's close to midnight and something evil's lurking in the dark~と歌いだした瞬間。おや、どこかで聞いたことがあるメロディーと詞。そう、マイケル・ジャクソンの「スリラー」ではないか。ほ~~、この曲をこうやる。そのアイデアだけで脱帽だ。これほど、マイケルのイメージが強い曲を、いとも簡単に自分風にしてしまうというのはなかなかのものだ。これで、ステージでムーンウォークでもやられたら、観客は腰を抜かすだろう。ギター弾きながらムーンウォークやったら、世界初のオリジナルだと思うが・・・。(笑) これが、ナイスなアイデアのその1、お勧めです。

カイルが生まれたのは1987年9月29日。現在17歳で、先月ハイスクールを卒業したばかり。夏休みではなくツアーが始まる。「スリラー」は、82年暮れの作品でシングルとしては83年暮れからのヒットだから、もちろん、カイルの生まれる前の作品ということになる。10歳からギターを始めたということだが、それでもまだ弾き始めてたかだか7年だ。7年でここまで来るかあ・・・。若者が才能を伸ばすというのは、こういうことなのだろう。若きことはそれだけで素晴らしい。

途中のリズムの取り方に、JBズ風のところも感じられて、ブルース、ジミヘン、JB、そして、マイケルとかなりブラック・ミュージックが好きなんだろうな、と思った。もちろん、他にも何でも聴いているのだろうが。

ライヴが終って少しだけ話す機会があった。「ブルースが好きなの?」 「イエー、大好きだ。自分がよく行っていたカナダのライヴハウスで、たくさんのブルース音楽を聴いて育ったんだ。マディー・ウォーターズ、ロバート・ジョンソン、あらゆるブルース・アーティストを聴いた」 「ジェームス・ブラウンは好き?」 「もちろん、彼は素晴らしい。この前の夏だったか、彼の前座をやった。すごいよね、彼」 他にはと尋ねると、「スライ・ストーン、パーラメント/ファンカデリック・・・」ときた。スライの曲などをライヴでやるのだろうか。「やるよ、『イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ』とかね」 「お~、イエー。R&Bの曲ばかりのカヴァーアルバムを作る気は?」 「将来ね、いつか」 この日はパーカッションと二人だけだったが、通常は4-5人編成のバンドでツアーするという。

とてもファンキーなイケメン君が踊りながらグルーヴ感を出して弾いているその様を見て、同じくかなりのテクニックを見せるチャーリー・ハンターとはまた違った生々しいストリート感を感じた。

ステージでロック・アーティストのように跳ねるところを見て、とてもバブリーだと思った。つまり、彼はシャンペーンのアワのように跳ねている。よって、彼にニックネームを授けよう。カイル・シャンペーン・リアブコだ。そしてリアブコは、ちょっとメジャー感がないので、もう思い切ってカットして、カイル・シャンペーンっていうのはいかが? これは、スターの名前だ! (笑) ナイスなアイデアその2、お勧めです。会って話してた時には、そこまでのアイデアを思いつかなかったんだよなあ。今度会ったら、絶対に言おう。

「スリラー」弾きながらムーンウォークをし、名前をカイル・シャンペーンに変えれば、ルックス抜群、音楽性もしっかりしているし、女性ファンがすぐにつくことマチガイな~い。これでミリオンヒットになったら、年間コンサルタントにしてね。(笑) 

デビュー・アルバムは『ビフォー・アイ・スピーク』(ソニー)。

ENT>MUSIC>ARTIST>Riabko, Kyle

投稿者 吉岡正晴 : 04:32 AM | コメント (0)

June 14, 2005

Destiny's Child Made Surprise Announcement

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【ディスティニーズ・チャイルド解散か】 

解散。

サヴァイヴァーディスティニー・チャイルドが去る6月11日スペイン・バルセロナで行われたライヴの中で、現在の世界ツアーを終えた時点で解散すると表明した。これを言明したのは、ケリー・ローランドで会場のパラオ・サンジョルディーに集まった1万6000人のファンを驚かせた。

これを受け、翌12日、MTVで独占的に「解散声明」が発表された。声明の趣旨は次の通り。

「私たちは9歳の頃からディスティニーズ・チャイルドとしてやってきました。14歳以来、共にツアーをしてきました。多くの議論と深いソウル・サーチンの末、私たちは現在のツアー終了後にグループを解散することが、グループをもっとも(人気が)高いレヴェルに残すことになるとの結論に達しました。私たち3人の友情の絆は固く、また私たちの音楽、ファン、私たち自身への感謝の気持ちはあふれんばかりです。この素晴らしき年月を経験し、今こそ私たちは各自のそれぞれの目標に向かって歩み始める時期だと考えています。それぞれの道に何が起ころうとも、これからも私たちはずっと良き友人であり、お互い可能な限りサポートしあうシスター同志です。私たちはファンのみなさんの暖かい支援に感謝すると共に、ファンのみなさんには、私たちがソロとしての運命を切り開いていくことを見守っていただければ幸いです」。

現時点での最後のライヴは、9月10日のカナダ、ヴァンクーヴァー公演になる予定。

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【解説】 今もっとも人気のあるガール・グループ、ディスティニーズ・チャイルドの解散発表は大きな衝撃だ。もっとも過去2年ほど、各メンバーのソロ活動がそれぞれ成功しており、解散説は根強くあった。

ただし、現時点で一旦解散しても、また2-3年後に再結成は充分にあると思われる。ここで、一度解散を表明することのメリットは、きりをつけることで、次の各人のソロ活動が「新たな出発点」と位置付けられ、さらなる注目を集めることになるからだ。

このままだと、グループ活動→ソロ活動→グループ活動→ソロ活動と、ルーティーンにしたがって活動をしているかのように受け取られてしまう可能性がある。しかし、解散すればすべてがリセットされるため新鮮度が高まる。また、これはわからないが、9月までの世界ツアーのチケットの売れ行きが芳しくなかった場合、この声明で「最後のツアー」という冠をつけることで、チケットの売れ行きに拍車をかけることもできる。あるいは、売り切れていても、そこにこの発表でさらなる追加公演ができる。

メンバーは現在まだ23歳から24歳。3年後に再結成しても、まだ26歳~27歳だ。おそらく、2005年後半から2006年、2007年あたりまでは、各人のソロ作品、活動が順にでてきて、また2008年~2009年頃にディスティニーズ・チャイルドの再結成、アルバム制作、世界ツアーになるのではないだろうか。その時点で、また、「ディスティニーズ再結成」が大きなニュースになる。4年に一度のディスティニーズ・チャイルド旋風でも起こせば、ワールドカップと同様の盛り上がりになるかもしれない。

「深いソウル・サーチンの結果、解散することにした」という部分がいい。

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http://www.mtv.com/news/articles/1503975/06122005/destinys_child.jhtml?headlines=true

Destiny's Child Announce Split
06.12.2005 7:36 PM EDT

Group will part ways after forthcoming U.S. tour.

In a surprise announcement from the stage during a show in Barcelona, Spain, on Saturday night, the members of Destiny's Child told fans they will disband at the conclusion of their current Destiny Fulfilled ... And Lovin' It Tour.

Kelly Rowland made the revelation before 16,000 fans at the Palau Sant Jordi, explaining that the concert would be the last European appearance by the group. In a statement released exclusively to MTV News on Sunday (June 12), the trio thanked their loyal fans and pledged sisterly devotion to one another.

"We have been working together as Destiny's Child since we were 9, and touring together since we were 14," the statement read. "After a lot of discussion and some deep soul searching, we realized that our current tour has given us the opportunity to leave Destiny's Child on a high note, united in our friendship and filled with an overwhelming gratitude for our music, our fans, and each other. After all these wonderful years working together, we realized that now is the time to pursue our personal goals and solo efforts in earnest. ... No matter what happens, we will always love each other as friends and sisters and will always support each other as artists. We want to thank all of our fans for their incredible love and support and hope to see you all again as we continue fulfilling our destinies."

The announcement is surprising not least because the trio had downplayed rumors of a split in the wake of member Beyonce Knowles' multiplatinum 2003 solo LP, Dangerously in Love (see "Destiny's Child Back In The Studio, So 'Shut Up!' Kelly Rowland Says"), although plans did call for the members to focus on solo projects at the end of this tour (see "Destiny's Child Put On A Fashion Show At U.K. Concert").

Destiny's Child's Knowles, Rowland and Michelle Williams have become one of the top-selling female pop vocal groups in history, with worldwide sales of more than 40 million records. They will retire the name after their upcoming U.S. tour and pursue individual careers in film, music, theater and television.

Despite the announcement, the group's forthcoming U.S. tour ? its first in four years ? will go off as planned, kicking off on July 9 at the Savvis Center in St. Louis and wrapping up on September 10 at GM Place in Vancouver. Support acts on the tour include Amerie, Mario and Tyra (see "Destiny's Child Map Out North American Tour").

Destiny's Child formed in Houston in 1990 when Knowles and original member LaTavia Roberson were 9 years old, with Knowles' father, Mathew, acting as their manager. Knowles' cousin, Rowland, joined two years later, in time for the trio to make their national debut on the show "Star Search." Fourth member LeToya Luckett signed on 1993, and the group made its recorded debut with the song "Killing Time" on the 1997 soundtrack to the blockbuster "Men in Black."

Their self-titled debut dropped the next year and spawned the Wyclef Jean-produced hit "No No No." Their second album, 1999's The Writing's on the Wall, cemented their reputation as hitmakers, with "Bills Bills Bills" and "Say My Name." But at the peak of their success, Roberson and Luckett tried to drop Mathew Knowles as their manager and were subsequently replaced in the "Say My Name" video with new members Michelle Williams and Farrah Franklin.

The two ejected members sued Mathew Knowles and the group and eventually settled, but further turmoil ensued with Franklin, whose five-month tenure in Destiny's Child ended in July 2000. The group continued as a trio, scoring another huge hit with the song "Independent Women, Pt. 1" from the "Charlie's Angels" soundtrack, following it with 2001's Survivor, which hit with the title track and the ubiquitous "Bootylicious."

Though Beyonce had long since become the breakout star of the group, Williams was the first to release a solo album, the gospel LP Heart to Yours, in 2002. Beyonce, who co-starred with Mike Meyers in the third Austin Powers movie, "Goldmember," released Dangerously in Love in 2003, and Rowland released an LP that year, Simply Deep.

Even after Beyonce scored multiplatinum success off such solo hits as "Crazy in Love" and her face become a regular presence in commercials and print ads, the trio came back together last year to release Destiny Fulfilled.

MTV News will have a full report on Destiny's Child's farewell on Monday's edition of "TRL."

Gil Kaufman


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ENT>MUSIC>ARTIST>Destiny's Child

投稿者 吉岡正晴 : 05:23 AM | コメント (0)

June 10, 2005

First Anniversary Of Death Of Ray Charles

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【レイ・チャールズ一周忌】 

一周忌。

ジーニアス・ラヴ ~永遠の愛\ちょうど1年前の6月10日、レイ・チャールズが亡くなった。実際に僕がニュースを知ったのは11日の朝方近く。あれからあっという間の1年である。以来、レイ・チャールズをとりまく状況は異様なほどもりあがった。

まず、死去したニュースが全世界を駆け巡った。日本の新聞やテレビでもけっこう大きく報じられた。あのジョン・レノン死去のニュース以来の報道量だった。そして、夏に遺作アルバム『ジニアス・ラヴズ・カンパニー』が発売され、大ヒットとなった。

Ray / レイそしてそして、あの自伝映画『RAY/レイ』が全米で10月末に公開され瞬く間に大ヒットした。主演のジェイミー・フォックスの演技に誰もが驚嘆した。あそこまでそっくりに演じることができるのか、と。

2月、アカデミー賞発表前にこの『RAY』のDVDが全米発売され、いきなり100万本売った。グラミー賞では、関連で8部門を獲得するという未曾有の記録を打ち立てた。アカデミーもジェイミーが取った。

わが心のジョージア―レイ・チャールズ物語\わが心のジョージア―レイ・チャールズ物語そうそう、日本で『RAY』が公開された日に、自伝『わが心のジョージア~レイ・チャールズ物語』日本語版がでた。この翻訳監修で11月から1月まで気の遠くなるような忙しさだった。

僕もものすごくレイ・チャールズのことを勉強した。人間的にも、そして音楽的にもとてもいろいろ知ることができて、おもしろかった。

そして、今日一周忌。レイが亡くなった日以降、1年間、何が変わり、何が変わらなかったのか。唯一やったことといえば、レイの自伝を出したことくらいか。(笑) う~む、進歩していない。回りはどんどん進んでいるのに。あ~~、やばい。なんとかしましょう。(苦笑)

さて、6月はまさにレイ・チャールズ月間。今日は新宿アルタ前の広場で『RAY』のDVD発売記念イヴェントがあります。夕方5時から6時まで、無料イヴェントです。近藤房之助さんが1曲歌います。

http://blog.soulsearchin.com/archives/000309.html

告知しつこいですが(笑)、さらに26日は、目黒ブルースアレーで『ソウル・サーチン・トーキングVOL4』でレイ・チャールズ・トリビュートをお送りします。お時間あるかたぜひおでかけください。今、かなり力をいれて中身を練っています。たくさんの映像をご紹介しようかと思っています。もちろん、スペシャル・ゲストも万全の体勢です。

『ソウル・サーチン・トーキング VOL4~レイ・チャールズ』
http://www.soulsearchin.com/event/talking/talking20050626.html

■2005年6月26日(日曜)夜7時半開演

■出演、ケイリブ・ジェームス、太田剣、島田奈央子、内田英一、吉岡正晴、他スペシャル・ゲスト。

■目黒・ブルースアレー

予約メールは、

soul_searchin_talking@hotmail.com

まで、お名前、人数、電話番号、何でこのイヴェントを知ったかを書いてお送りください。折り返し確認メールをお送りします。


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投稿者 吉岡正晴 : 04:20 AM | コメント (0)

May 16, 2005

Stevie Has New Baby Boy On His Own Birthday 

[ ENT>MUSIC>ARTIST>]

【スティーヴィー、誕生日にベイビー誕生】

誕生。

スティーヴィー・ワンダーと妻のカイ・ミラの間に、去る5月13日(金)午後10時22分(太平洋時間)7ポンド(3080グラム)の男子が誕生した。スティーヴィーは、ニューヨークで行われていたスティーヴィー・ワンダー・トリビュートのイヴェントに出席していた娘のアイシャにこの知らせを伝えた。スティーヴィーは、アイシャの携帯電話に電話したが、その声が会場の観客にスピーカーを通して流れ、拍手喝采を集めた。

このベイビーにまだ名前はないが、2005年5月13日生まれ。ご存知の通り、スティーヴィー・ワンダーも1950年5月13日生まれということで、親子で同じ誕生日となり二重の喜びになった。

スティーヴィーにはこれまでに7人の子供と1人の孫がいると言われているので、このベイビーは8人目の子供ということになる。もちろん第一子は75年4月生まれのアイシャで、そのアイシャにすでに子供がいる。なお、アイシャの母親は最初に結婚したシリータではなく、ヨランダ・シモンズ(ヨランダなので愛称・ロンディー=「イズント・シー・ラヴリー」の中で、ロンディーへの感謝が歌われる)である。

まさにイッツ・タイム・トゥ・ラヴ。これで、アルバム発売へ万全だ。ニュー・アルバム発売への各種状況は、特に進展はないのだが・・・。

一月以内にアルバムが発売される確率は、前回と変わらず95%。

投稿者 吉岡正晴 : 12:19 PM | コメント (0)