July 03, 2007

"Tie A Yellow Ribbon 'Round The Ole Oak Tree" Story

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【幸せの黄色いリボン・物語】

象徴。

日本では『幸せの黄色いハンカチ』という映画が有名になった。山田洋次監督による1977年の作品だ。

その元になったのが、トニー・オーランドー&ザ・ドーンが1973年に放った全米ナンバーワン・ヒット「タイ・ア・イエロー・リボン・オール・オーク・トゥリー(邦題、幸せの黄色いリボン=直訳は、古い樫の木に黄色のリボンを巻きつけておいて)」という曲。

曲か映画のどちらかはご存知の方は多いと思うが、一応「幸せの黄色いリボン」のストーリーをご存知ない方のために簡単にご紹介しよう。このストーリーは、1971年コラムニスト・作家であるピート・ハミルがニューヨーク・ポスト紙に書いた「ゴーイング・ホーム」という記事が元になっているとされる。

ひとりの学生がフロリダ州フォート・ローダーデールからバスに乗った。その中で刑期を終えた元囚人と知り合う。その彼は故郷に帰るが、妻にもしまだ自分とやり直せるのなら、その街の入口にある樫の木に黄色いリボンを一本巻いておいてくれと手紙を書いていた。もしリボンが巻かれていたら、自分はそこでバスを降りて君の元に戻る。しかし、もし結婚していたり、僕とやり直せないと思ったらリボンは巻かないでいい。リボンがなければ、自分はそっとそのままバスに乗り続けどこかもっと遠くへ行こう。

その話は、バスに乗っていたみんなの知るところとなり、その街に近づくにつれ全員が緊張してきた。果たしてリボンは巻かれているか否か。ついに彼の故郷の街の入口にやってきた。そこで彼らが見たものは、一本ではなく、樫の木いっぱいに巻かれていた無数のリボンだった。それを見たバスの客たちは歓喜の歓声をあげた。

この感動的なストーリーは、9ヵ月後の1972年6月号の「リーダーズ・ダイジェスト」誌に載録され、さらに多くの人たちが知ることになった。

ピート・ハミルは、これを口伝えの伝説として聞き、記事に書いたとのことだ。

「リーダーズ・ダイジェスト」に掲載されてまもなく、1972年6月に三大ネットワークのABCがこの話をドラマ仕立てにしてオンエアした。このときの元囚人は、ブラックの俳優ジェームス・アール・ジョーンズが演じた。

そして、それから1ヵ月半後、ソングライターのアーウィン・レヴィンとL・ラッセル・ブラウンの二人が「タイ・ア・イエロー・リボン・ラウンド・ジ・オール・オーク・トゥリー」という曲を書き、その楽曲の著作権登録をしたという。彼ら自身は、このストーリーを軍隊にいた頃に聞いたという。

この曲はトニー・オーランドー&ザ・ドーンによってレコーディングされ、1973年2月から大ヒット。300万枚のセールスを記録、世界中で聞かれることになる。そして、このヒットを見て穏やかでなくなったのが、先にこのストーリーをコラムに書いたピート・ハミルだ。そこでこの曲のことを知ったピート・ハミルは、彼ら(ソングライター)に対して訴訟を起こした。

この楽曲は続く17年間にラジオでトータルで300万回はプレイされたと推計された。

訴訟は、しかし、ソングライターたちがこの物語がハミルが書く以前に書かれた似たようなストーリーを見つけ出し、取り下げられることになった。

そして、この曲の話を聞いた日本の映画監督山田洋次がぜひとも日本ヴァージョンを作りたいと考え、少しばかり日本風にアレンジして『幸せの黄色いハンカチ』として映画化したわけである。日本版では囚人役を高倉健が演じていた。ずっと待ちつづけた妻が倍賞千恵子、旅のお供が武田鉄也と桃井かおりだ。

以後、この「黄色いリボン」は、たとえば、捕らえられている人が解放されるとき、囚人が戻ってくるとき、さらにそれが広義に捉えられ、イランのアメリカ大使館人質事件の人質実解放のとき(1981年1月)、湾岸戦争の兵士が帰国するとき(1991年1月以降)などに、象徴的に使われるようになった。

この「幸せの黄色いリボン」をプロデュースした二人のうち一人が、ハンク・メドレスだった。

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投稿者 吉岡正晴 : 01:10 AM | コメント (0)

January 14, 2006

The Show Must Go On: The Story Must Go On (Part 2 of 2 Parts)

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【いつの日にか「グッド・タイムス・ストーリー」を~】

出会い。

僕はふだん、あまり郊外に行く機会がない。たまプラーザも、あざみ野も名前は聞くが実際訪れたことはなかった。住所と地図を頼りにマルターノを目指した。万一、大西さんがいないと話ができないので、行く前に念のため電話をしてみた。店は今日は営業しているか、大西さんはいらっしゃるか、ホームページのストーリーを読んで感銘したので、ぜひ会いたいと電話にでた女性に伝えた。その場に大西さんはいなかったが、ほんのすぐ後に折り返し電話があり、いらっしゃればお会いするとのことだった。

その時に大体の場所を聞いた。一応地図でめぼしはつけていたのだが・・・。電話では、あざみ野と江田の中間くらい、駅では江田が近いと言われた。東名で東名川崎で下りてたまプラーザを目指すことにした。しかし、車に乗っていた地図はかなり古いものだった。なんと、その地図にはまだ「青葉区」がなかったのだ。(笑=相当古い地図です) 東名川崎で下りた時に料金所の人にあざみ野に行くのにはどういったらいいのか尋ねたら、小さな一枚の地図をくれ、これをこういって次を左折して突き当たりを右に行けばたまプラーザ、その道にそっていけばあざみ野です、と言われた。

その指示どおりに行くとすぐにたまプラーザについた。しかし、そのまま道を進むと行き止まりになってしまい、感覚でこっちのほうかなという方向に走らせた。ところがどうやら違っていたようで、新百合丘の表示がでてきて、まちがえたことに気づいた。途中のコンビニで地図を買い、店の人にあざみ野にはどうやっていったらいいかを尋ねると、この道をまっすぐ行って、左に洋服の青山があったらそこを右折です、と言われた。その指示どおりに行くとあざみ野の駅についた。地図は買わなくてもよかったわけだが、まあ、一冊新しい地図を持っていてもいいだろうと自分に言い聞かせた。今度の地図には「青葉区」は載ってるし・・・。

そして、あざみ野からホームページからとってきた地図を頼りに行ってみたが、見つけられず、駅に戻りお店にもう一度電話して、駅前からの行き方を尋ねた。するとその道を坂を登る感じにまっすぐ進んでください、二個目の信号の角です、と言われその指示どおりに行くと、左手にマルターノが忽然と姿を現した。住宅街の中に一軒、ぽつりとイタリア風ピッツェリアがあった。

お店は天井が高く、ホームページで見た感じと同じだった。壁に絵が書かれていて、その大きな男の絵がマルターノ氏かと思った。メニューを見ながらオーダーを決めていると、大西さんがやってきた。「大西さんですか、吉岡です」 彼は一瞬けげんそうな顔をしたが、名刺を交換すると、「あの、ソウル・サーチンの吉岡さんですか」、ということで、すぐにわかっていただいた。ちょっと驚かれているようだった。

前日にマルターノのホームページのストーリーにいたく感銘して速攻で飛んだきたことなどを話した。すると、大西さんによると、このストーリーはほんの2週間前にアップしたばかりだという。僕が、本を検索していてこのページに当たったことを話したが、もし3週間前だったら、この出会いはなかったことになる。それにしても、インターネットとは、なんというドラマを演出するものだろうか。ヤフーあなどれずだ。

すでにホームページに大西さんが書かれているが、実はこのストーリーの中でマルターノに関する部分はフィクションなのである。それは、お店のホームページを作る時に、当たり前のものは作りたくなかった、それなりのストーリーが欲しかったということでこの物語が生まれた、という。「(ストーリーを書くのには)随分かかりましたよ。79年のあたりから、ディーラーやって、ブルーノート行ってという実際のストーリーの骨格はできていて、そこにピッツァということで、あのマルターノのキャラクターができてきたんです。それ以外は全部実際の話ですけどね」と言う。

「僕は、あの 『俺は一人でピッツァを喰う奴が好きなんだ』というセリフがものすごく気に入ったんですよ。あと、ピッツァは5分で、という部分」 「あれは、僕自身の思いですね。5分で食べて欲しいという僕自身の考えですね。あ、でも(チェーン店の)ゴッドファーザース・ピッツァはよく行きましたよ」 

「ライヴハウスをおやりになりたい?」 「ライヴハウスということよりも、まず、レストランとしてしっかり地に足のついた足場を固めなければと思っています」 このマルターノは30坪弱。大西さんによれば、何軒かこのマルターノを成功させて、何年か後にもっと広いお店を出し、そこでとてもおいしい料理といいライヴ音楽を提供してグッド・タイムスを演出したい、という。そして店の名前は「グッド・タイムス」と決めていると告白してくれた。柿落としはナイル・ロジャースにお願いしたい、とも。

それまで彼がずっとヴァーチャルな仕事ばかりをしてきたので、なんとなくリアルな仕事をしたくなっていたとも言った。

この田園都市線沿線は、高級住宅街と言ってもよく可処分所得が多い人たちが住んでいるという。音楽への理解も高いなど、この地域の特性などから、彼の音楽へのこだわり、ピッツァ自体へのこだわりなど、話題は多岐にわたった。僕はこのような夢のある話が大好きだ。

本そして大西さんは「ぜひ、シックの話の続きを書いて欲しいですね」と言った。『ソウル・サーチン』を書き終えた時には、まさかこんな展開が起こるなど夢にも思わなかった。話が続くということさえ考えもしなかったが、2004年5月にジョン・ホワイトヘッドの死去のニュースを聞いた時に、これはなんらかの続編を書かなければならないな、とうっすら思い始めていた。しかし、大西さんの夢を聞いた時、これは大河ドラマの第二部がまだまだあるぞ、という気にさせられた。前書きで書いたように次の主人公がでてきたのだ。そう、ソウル・サーチンの次の主人公は大西さんだ。

話は尽きず、マルターノはいつのまにか閉店時刻になった。大西さんが近くの行きつけの和食レストランに行きませんかと誘ってくれた。徒歩でほんの5分ほどのところにある「カルタ(Karuta)」という店に行った。ご主人と名刺交換をすると、僕の名刺を見てそのご主人も驚かれた。大西さんから話を聞いて、シックのストーリーを読んでいたのだ。このカルタでも話は続いた。

大西さんは外為のディーラーをやっていた頃の話、今後の店の展開、ライヴハウスへの展望などいろいろと話してくれた。そして、ぽつりと言った。「2009年くらいですかねえ、希望としては」 

「ここは東名の横浜青葉(インターチェンジ)のほうが近いんですよ。その入口までお送りします」 大西さんの案内で帰り道はあっという間に東名に乗ることができた。それにしても、おもしろい出会いだ。

物語に終わりはない。物語は続く。「マルターノ・ストーリー」からいつの日にか「グッド・タイムス・ストーリー」へ。夢に限りはない。夢は持ち続ける者にこそ叶う。

■マルターノ・ストーリー
http://www.martano.jp/story/1.html

■ソウル・サーチン:第4話: シック~友情という名のメロディー~
http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/4-1.html

ENT>MUSIC>STORY>Chic

投稿者 吉岡正晴 : 05:39 AM | コメント (0)

January 13, 2006

Like The Show Must Go On, The Story Must Go On (Part 1 of 2 Parts)

[ ENT>MUSIC>STORY]

【シックの「グッド・タイムス」が結ぶ点と線】 

検索。 

物語に終わりはない。物語は続く。夢に限りはない。夢は持ち続ける者にこそ叶う。 

本僕は『ソウル・サーチン』を2000年6月に書き上げた。7組のアーティストの栄光と挫折を描いた物語だ。その前書きでこう書いた。 

「ここではたまたまミュージシャン七組をとりあげているが、『ソウル・サーチン』をするのは、別にミュージシャンに限ったことではない。エンタテイナーであれ、スポーツ選手であれ、起業家であれ、あるいはまったく無名のひとりの市民でもいいのだ。この本にインスパイアーされて、次の『ソウル・サーチン』の主人公となるのは、あなたかもしれないのだ。もし本書がそんなあなた自身のソウル・サーチンの手助けになれば、筆者としてはこれほどの喜びはない。」 

そんな続きを描いてくれそうな人が登場した。1979年夏、アメリカにいっていたひとりの学生がシックの「グッドタイムス」を聴いていた。84年その彼は再び一年間留学のためにアメリカに渡っていた。その後外資系金融関係の仕事をしていた彼は、2003年4月18日、たまたま前日にJウェイヴのラジオ番組『ソウル・トレイン』で、シックがブルーノートに来ていると聞き、ブルーノートを訪れた。 

その日は、シックのナイル・ロジャースにとっても特別な感情の混ざる日だった。相棒のバーナード・エドワーズ7回目の命日だったのである。バーナードは、7年前の同じ日、ここ東京で亡くなっていた。ナイルは、「グッド・タイムス」をアンコールで演奏した。それを聴きながら彼も、79年の夏を、そして、それからの24年間の自らの人生をかみしめていた。彼は自身の人生の転機を感じ取った。 

彼はグッドタイムス、グッドミュージックをひとつのビジネスにまとめたいと思った。夢はどんどん膨らんだ。いつの日か、おいしい食事ができ、グッドミュージックが流れるような店をやりたい。店の名前は密かに決めていた。「グッド・タイムス」だ。そして、その柿落とし(こけらおとし)にはぜひナイル・ロジャースに来て演奏してもらいたい。今は、夢の夢だ。そして、その実現のためには何段階もステップが必要だということもわかっている。 

シックをブルーノートで見てからほぼ1年で彼は田園都市線沿線・あざみ野におしゃれなピッツェリアをオープンした。そのホームページを作り、オープンまでの物語を自ら見事な筆致で描いた。そして、その中で「ソウル・サーチンのシックの項」にリンクを張っていた。ピッツェリアの名前はマルターノ。オウナーの名は大西さん。 

先日、僕はたまたま自著『ソウル・サーチン』をインターネットで検索していた。出版社にも在庫はなくなり、増刷もしないという決定を聞いており、しかし欲しい人はいるので、中古で買えるなら自分で買っておこうというつもりだったのだ。以前も一冊、友人に中古を紹介したことがあった。そして、その検索過程で、驚いたことにこの中古本が定価より高く販売されていることを知った。評価されていることは嬉しいというか、しかし、定価より高くというのはあまり嬉しくはなく複雑な心境だ。これは、早いところ文庫化しなければ、と思っていた。そんな中で、偶然僕はこのマルターノのウェッブに出会った。 

マルターノのウェッブ・トップページ
http://www.martano.jp/

ここに「マップ」、「ブログ」などともにストーリーという項があり、僕はそこをクリックして読み始めた。ストーリーのトップにはシックのアルバムジャケットが飾られていていやがおうでも興味を誘われた。 

マルターノ・ストーリーの1ページ目。10ページまである。 

http://www.martano.jp/story/1.html

それは79年、この物語の主人公オオニシが短期留学しているところから始まる。79年から84年、90年、96年、そして2003年と時系列に沿った見事なストーリーで思わず全部を一気に読んでしまった。興味深かったので文字数を勘定すると、13000字以上(400字詰原稿用紙にすれば40枚近くになる)もある大作だ。(興味ある方はぜひ、そちらを先にお読みください) 

僕がまずやられたのは、オオニシとエンツォ・マルターノが出会うシーン。マルターノは、オオニシに「俺は一人でピッツァを喰う奴が好きなんだ。」と言う。まるでアメリカ映画のようではないか。そして、紆余曲折あって彼がブルーノートに磁石に吸い寄せられるように向かう。 

シックの「グッド・タイムス」は大西さんにとっては、タイムカプセルを開けるきっかけとなった。そして、僕にとっては「ソウル・サーチン:シック~友情という名のメロディー~ 」を書くために何度も何度も聞いた曲でもあった。大ヒット曲は、聞く人それぞれに思い入れや思い出が宿るものだ。大西さんにとっての「グッド・タイムス」という点と、僕の「グッド・タイムス」という点が線になって交差したような気がした。 

この物語を深夜に読み終えて、僕はこのお店に行ってみたい、この人に会うしかないと思った。そして、翌日、夕方仕事を終えてから、あざみ野に向かうことにしたのだ。 

(パート2へ続く) 

■ソウル・サーチン:第4話: シック~友情という名のメロディー~
http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/4-1.html

ENT>MUSIC>STORY>Chic

投稿者 吉岡正晴 : 05:43 AM | コメント (0)