January 23, 2009

First Time In 31 Years: Attended A Lecture At University

[ ESSAY>]

【31年ぶりに母校に~菊地成孔さん松尾潔さんの講義聴講】

ちょき。

松尾さんから、今度ジャズ・ミュージシャンの菊地成孔(きくち・なるよし)さんが毎週慶應大学で講義をやっていて、それにゲストで呼ばれ講義をするので、マーヴィンの息抜きにいらっしゃいませんか、とのお誘いを受けた。しかも三田のキャンパスだ。これはおもしろいと思い、さっそく午後の慶應義塾に。よくよく考えてみると、僕がここを卒業したのが1978年3月なので、もう31年ぶりくらいのことになる。

随分変わったとは聞いていたが、変わったところもあれば、変わらないところもある。正門あたりの風景はまったく変わらない。講義が行われた西校舎526教室も、昔ながらの様相だ。ただ、違っていたのは、黒板の左右に大きなモニター・スクリーンがあったこと。あと、図書館や学食が新しくなっていて、今回は中には入らなかったが、かなり綺麗になっているらしい。

しかし、まず、何に驚いたかといえば、学生たちがみな一様にペットボトル、それに人によってはちょっとしたお菓子か、食べ物などを持ち込んでいたこと。たぶん僕が学生の頃の記憶では、授業中には飲食禁止というか、ありえなかったような気がする。それを見て、ああ、ドリンク買ってくればよかったなあ、と思ったのだが。まあ、今ではあちこちのカルチャー・スクールやら、記者会見とかの席上だと飲み物があって当たり前なのかもしれないが、なんか大学の授業も隔世の感があるなあ、と思った。この日はパソコンを使った映像をスクリーンに出すことはなかったが、そのあたりも時代は変わってる。もちろん、授業中、携帯をいじっている者も何人かいる。そもそも昔は携帯なんてなかったから、そんなことはありえなったが。

さて、授業のテーマは、「服は何故音楽を必要とするのか」という通年のテーマがあり、この日は松尾さんがゲストということで、彼に「ブラック・ミュージックは、大人の音楽か子供の音楽か」というテーマが与えられていたという。それにしても、菊地さん、たぶん頭の回転がめちゃくちゃく速いのだろう、それに呼応して実に早口でときどき聞き取れない部分もあった。これまでにもいろいろなゲスト(村上隆氏が来たこともあったそうだ)を呼んでいて、それらの「自由対談」は年内に単行本になるそうだ。しかし、これを文字に起こすのはマーヴィンの本を翻訳するのより大変なんではないか。(笑)

僕なんかは、オールドスクール(!)だから、授業というと先生が何かを教える、というものだと思っていたが、いまどきは、かなり違うようで、ひたすら松尾さんと菊地さんがひとつのキーワードを軸にしゃべり倒す、そこから派生する話題でもしゃべり倒すという感じでおもしろかった。『月曜ユニバース』よりも、もっと話がめちゃくちゃあちこちに飛ぶ。(笑)「これが授業なら、どこが試験に出るかは絶対、誰にもわからない」ほど話が多岐にわたる。この授業の単位は、レポート提出で全員に「優」だそうだ。これは学生には嬉しいだろう。

最初、松尾さんを紹介するときに、エグザイルのプロデューサーもしていて、というあたりで、エグザイルのCD持っている人はいますか、と問われ、学生の中から2人くらいしか手が上がらなかったのが、おもしろかった。全体で7-80人くらい学生はいたと思う。ジャズの菊地さんの講義を聴く学生は、あまりそういうのは聴かないのかもしれない。

松尾さん、前日にかなりしゃべるネタを仕込んだらしいが、菊地さんが振ってくる話がジャズ・アーティストらしくその場のインプロヴィゼーションが効いたもので、予定した4分の1もしゃべれなかったようだ。もちろん、オバマの話などもしたがったが、この日のテーマからはちょっと離れるため若干遠慮したそう。オバマ→ワシントンDC→マーヴィン・ゲイの話も用意していたという。

しかし、みんなTペイン、知ってるのだろうか。単に「スムース」と言ってそれが「スムース・ジャズ」のことってわかるのだろうか。「CDJ」だけで、説明しなくて大丈夫か? ここまでリスナー(?)置いてけぼりの番組もなかなかない。(笑) かなり、サブカルチャーっぽい、この講義自体がオルタナティヴ・カルチャーそのものであった。

ところで、僕の斜め前に座った男子学生くん。お茶のペットボトルのほかに、コンビニの袋に、とあるハコが入っていた。な、な、なんと「ギンビスのたべっ子どうぶつ」を忍ばせてるではないか。授業の途中、おもむろに、しかし、若干気を使いながら、彼は静かに蓋を開けた。もちろん僕はそれをずっと見つめた。ご存知の方はご存知かもしれないが、ハコ入りの「たべっ子どうぶつ」は、ハコの蓋を上に開けると、そこにジャンケンの「グー」「チョキ」「パー」が印刷されているのだ。いま、うちにはパーが3枚、チョキが3枚、グーが6枚ある。何がでるか?? 一時期、パーが全然でなくて、グーばっかりだったことがあるのだが。さて、その学生くん、蓋を開けると、じゃ~~ん、チョキであった。彼はこのじゃんけんカード、集めてるのかなあ…。

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投稿者 吉岡正晴 : 04:59 AM | コメント (0)

December 16, 2008

Another Time Machine : Old Tape Was Found (Part 1)

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【33年前のテープ】

タイムマシーン。

先週末、高校時代の友人U君から電話があった。1年くらい前に久々に再会し夕食をしたが、今回の電話は、なんと大学時代に僕がDJをしているテープをさるところから入手、それをCDRに焼いたから渡す、というのだ。

何のことかわからず、いろいろ聞くと、こういう話だ。大学2年くらい(テープは1975年の冬らしい)のときに、U君のグループが学生のスキー・ツアーを企画し、スキー場でディスコ・パーティーをやることになった。そのパーティー用にDJ入りの踊れる曲をつないだテープを作ってくれといわれ、僕が作ったらしい。ちゃんとつながっていて曲も頭だしもされて出て、しゃべりも少しはいっているという。そ、そ、そんなあ…。

僕は全然覚えてないのだが、まあ、とにかく残ってるのだから、やったのだろう。この前の中学時代のラジオドラマのはなしみたいなものだ。で、そんなテープをどこで録音したのかと尋ねると、U君は「お前のうちだよ」という。正直、腰を抜かすほど驚いた。うちでカセットに録音したらしい。そうかなあ。それも覚えてない。

今、ふと思いついたんだが、ひょっとして、マスターをティアック社製のオープンリールで声と曲だけを録音し、テープを編集したのではないだろうか。それをカセットにダビングする。そうすれば、曲つなぎもできたテープになる。だが彼によると、「ミキサーをどっかから借りてきたんじゃないか」という。わからない。覚えてない。

「で、僕はそのスキー・ツアーに行ったの?」 「いや、来なかった」 「なんで、そんなテープを僕が作ったの?」 「僕が頼んだから」 「そのテープはカセットがマスターなの?」 「そうだ」 「誰から入手したの?」「それは言えない…(笑)」

彼によると、カセットはところどころよれよれで、なんと2箇所切れていた、という。そこで、テープを張り合わせるテープでピンセットを使ってつなげたそうだ。しかし、ほとんどの部分はちゃんと音が再生できる。「まあ、とにかく聞いてみなよ」とU君は言う。しかし、恐いなあ。聴いてみたい気もするが、聴きたくもない気も。恐いもの見たさというか…。このビミョウな大人心(おとなごころ)。

どんな曲が入っているのかというと、フォー・トップスの「アイ・ジャスト・キャント・ゲット・アウト・オブ・マイ・マインド」、LTGエクスチェンジの「コラゾーン」、ウォーの「シスコ・キッド」、ウィルソン・ピケットの「ドント・レット・ザ・グリーン・グラス・フール・ユー」、エディー・ケンドリックスの「ブギー・ダウン」、ストーリーズの「ブラザー・ルイ」などなど。120分テープにノンストップではいっているという。選曲はいいじゃないか。(笑) しかし、全然、記憶になし。

というわけで、2枚のCDに焼いてくれたので、久々に会うことになった。彼が、汐留に勤めているので銀座で会うことになったのだが、銀座にあるNBクラブというところを指定された。なんとライヴもやっている、という店らしい。そこで毎週一日歌っているグレン・レイというブラザーのシンガーが友達だから紹介するとも言っていた。住所を見ると、銀座、しかも並木通りにある。一体どんな店なんだろ。

そういうことで、銀座に出向くことになった。

(この項、続く)

ESSAY>


投稿者 吉岡正晴 : 06:26 AM | コメント (0)

December 13, 2008

Mr. Mitsuishi Ken & Shizuokaya & More Soul Connection

[ ESSAY>]

【光石研さんとしずおか屋】

接点。

情報は発信すると、何かしら入ってくるもの。まさにそんな感じだ。昨日(2008年12月12日付け)のこのブログで、光石研さんがソウル好きらしいと書いたら、さっそく、これをお読みになった虎さんから、「光石さんが、下北沢のしずおか屋のロゴを書かれていたと思います」との書き込み。えええっ~~? 何度も見かけたあのロゴを!! それは知りませんでした。虎さん、情報ありがとうございます。

そこで早速、しずおか屋の富田さんに連絡を取るとお返事が。「光石さんは開店の時からのお客様で、看板も書いて頂きました。店内の『しずおかや』と書かれた陶で出来た壁掛けは光石さんのお父様からプレゼントされました。光石研さんは本名なんです。お父様もセンス良いですよね! 石を研ぎ光る。彼は、モーメンツ大好きですよ。今は忙しいみたいけど、時々、来てくれます。今度、うちの店でお話出来ると良いですね」

そうだったんですか。思わぬところに接点が。

昨日、書いた後、光石研さんを検索していたら、なんと昨日(2008年12月12日)朝の「はなまるマーケット」にゲストで出演との情報。そこでさっそくチェック! (といっても、そんな早い時間は到底起きることはできないので、留守録) 後で見ると、前回NHKのとはまったく内容が違う。よく考えてみれば、各局の番組宣伝を中心にするので、それぞれ違うのは当たり前か。(笑)で、DJの話でも出るかとおもいきや、まったくそんな話は出ず。ただし、彼が登場するときのBGMが、またまたほとんど聴こえないほどの音量だが、超薄く流れていて、これはマンハッタンズの「シャイニング・スター」でした。モーメンツの流れからすると、きっと彼が選んだのだろうと推察する。トーク番組のゲスト登場時BGMリストなんての作成してもおもしろいかもしれない。(って、そんなもの読む人いないか) そこから意外とそのゲストの音楽嗜好がわかるかもしれない。

ところで彼の膨大な出演リストを見ていたら、1998年の『シン・レッド・ライン』とある。どういう経緯で出演されたのだろう。この映画はすごく印象に残っているのだが、彼がどこに出ているのか覚えていない。

さらに、ところで、「みついしけん」と入力すると、「三井試験」と出るので、「光石研」を単語登録した。

そうこうして、さらにいろいろ調べると、やっとでてきた光石さんの音楽遍歴の一部。

ほぼ日刊イトイ新聞の光石研さんの回。(2007年9月11日アップ)↓

http://www.1101.com/hondana/mitsuishi.html

タイトルがすばらし。テーマ、「ソウルな5冊」!

しっかり『甘茶ソウル辞典』が! そして、シャネルズが大好きだったということも発覚。しかも、シャネルズ→クールス→山下達郎→クレイジー・ケン・バンド→スイート・ソウルというひじょうにまっとうな音楽遍歴の持ち主。ということは、マーチンさんと光石さんの対談もあり、と。(妙な編集者魂)しかも、川勝さんのクレイジー・ケン・バンド本となると、ドゥ・ザ・モンキー管轄か…。いや、川勝さんは、今は離れられていたか。(笑)と思ってさらに調べを進めてみると、なんと、川勝さん、すでに光石さんを呼んでトーク・ショーをやっていたではありませんか。

http://blog.livedoor.jp/bunkadelic/archives/2008-04.html

文化デリックのPOP寄席 2008年4月6日 
≪第2部≫ by 光石研

◎テーマ:俳優・光石研、我が音楽遍歴を語りまくる。

【1】音楽遍歴

(1)クールス
(2)山下達郎~R&R=リーゼントの呪縛からの解放
(3)『リメンバー』誌を愛読~甘茶ソウル
(4)渋谷系、フリーソウル、ピチカート・ファイヴ
(5)クレイジー・ケン・バンド

CDをかけながら、トークが爆発したそうだ。いやいや、ネットサーフィン、切りがなし。(苦笑)

ESSAY>Mitsuishi, Ken


投稿者 吉岡正晴 : 03:43 AM | コメント (0)

December 12, 2008

Mitsuishi Ken Is Soul Music Lover

[ ESSAY>]

【俳優・光石研さんはソウル・ミュージック好きらしい】

ソウル。

先日(12月4日)たまたまNHKの『スタジオ・パークからこんにちは』を何気なくつけていたら、名バイプレイヤーである俳優の光石研さんがでていた。といっても、正直言って僕は日本の映画やテレビ・ドラマをほとんど知らないので、彼のことは存じ上げなかった。ので、パソコンに向かう手も休めずに、まあ、音も小さく流れている程度だったのだが。(ほんとは集中して原稿やらないと)

司会者と定番のやりとりがあって、それをみる限りまじめで誠実な受け答えをする人だなあと思っていた。それから後半になって、趣味は、というやりとりになった。すると、この光石さん、なんとDJが趣味だと言う。それで、自宅にターンテーブル2台とミキサーを置いて、DJをやっているというではないか。その自宅の様子はスチールの写真で動いている映像ではなかったのだが、しっかりターンテーブルなどが映っていた。いきなり、僕はパソコンの手を休め、テレビにかじりつきだ。

し、し、しかも、その話題になったときにバックで薄く流れていた曲がモーメンツの「ラヴ・オン・ア・トゥー・ウェイ・ストリート(孤独のハイウェイ)」だったのを僕は聞き逃さなかった! え~~、まじですか。もちろん画面に曲名などのクレジットなんかでやしない。このときNHKの全国放送のテレビでモーメンツが流れたことを意識した人など、日本に3人はいないだろう。(大げさ) そうしたら、彼は「ソウル・ミュージック、好きですねえ」なんて発言。一挙に僕の「気になる人」になった。スイート・ソウル系好きなんだ。アナログのレコード店なんかも通ってるのかなあ。

ということでちらっと光石さんを調べてみると、もう30年近くも名脇役として映画界、テレビ界で大活躍されてるんですね。出演本数がハンパではなかった。でも、ソウル系のライヴでお見かけしたことはないなあ。っていうか、今までなら、お見かけしても、僕はわからなかったですね、すいません。(苦笑)これを機にしっかりお顔をインプットさせていただきました。

で、光石さん、このとき似顔絵も披露。これがまたうまかった。いろいろな特技がおありになるようですばらしい。一度ソウルバーあたりでお会いしてみたいなあ。

光石さんは1961年9月26日、福岡県北九州市の生まれ。ということで、9月26日生まれのソウル・ミュージシャンを調べてみました。アップタウン・レコードを始めてメアリー・J・ブライジを育てたアンドレ・ハレル(1960年生まれ)、ボーイズ・トゥ・メンのショーン・ストックマン(1972年生まれ)、アン・ヴォーグのシンディー・ヘロン(1965年生まれ=元ベイスターズ・ブラッグス婦人)などがいた。他にテニスのセレナ・ウィリアムスとか、作曲家のジョージ・ガーシュインなんかもいた。

ENT>ESSAY


投稿者 吉岡正晴 : 04:14 AM | コメント (0)

December 03, 2008

Another Soul Summit At Shizuoka-Ya

[ ESSAY>]

【もうひとつのソウル・サミット~鈴木啓志氏パソコン始める】

ネット。

ソウルを聴いて半世紀「ファンキー坊主」こと白川さんがゆっくりソウル・バーで飲みましょう、ということで佐藤善雄さん、松尾潔さん、鈴木啓志さんらが下北沢の「しずおか屋」に集合した。僕も末席に。タイトル「もうひとつのソウル・サミット」。前回小規模に一度行ったものに今回は鈴木さんをスペシャル・ゲストでフィーチャー。鈴木さん絶好調であった。

今回の一面トップの大ニュースは、「鈴木啓志ネット始める! Emailも」といった見出しだろうか。ソウル界大御所の評論家である鈴木さんは、インターネット、パソコンなどまったくわからずということで、これまでに全然手をつけてこなかった。前回鈴木さんに会ったのがいつだったか正確におぼえてないのだが、そのときは少なくともパソコンはやっていなかった。

そうしたら、なんとこの日、鈴木さんが「自分用のパソコンを持ち、ネットを見ている」ということが発覚したのだ。「吉岡くんのページも見てるよ!」 が~~ん。「鈴木さん、それ息子さんのパソコンじゃないですよね、自分のですよね」「ああそうだよ」「鈴木さん、じゃあ、Eメールは?? アドレス教えてくださいよ!」「あるんだけど、わかんないだよ。メールは見れるけど、送れない…。それにアドレス教えると、いろんなところから、変なメールがたくさん来るんでしょ」 間髪いれず横から白川さん。「うん、うん、僕がたくさんエロ画像送りますよ、なんでも送りますよ」 

どうやら鈴木さん、海外とのやりとりでさすがに最近ではメールが必須になったので導入したらしい。「向こうから来る資料とかが、ファックスとかじゃなくて、最近はみんなメールで送りたいって言うようになってきた」と鈴木さん。で、時々音声ファイルなども来て、「(送られてきた)音は聴けるんだけど、自分でまだ送れない…。ぜんぜんわかんないんだよ」「で、原稿もついにワープロになったんですか」「いや、手書き!」「パソコンはいつからですか」「3ヶ月くらい前から…」

そうですよねえ、オークションとか海外からレコード買うんだったら、パソコン必須ですからねえ。しかし、かたくなにパソコン導入を渋っていた鈴木さんがパソコンをいれたということで、これは21世紀最大のソウル界のニュースだ。

でも、いまだに携帯電話は持っていない。さすがだ…。

佐藤さんと白川さんは、佐藤さんの親戚が白川さんの檀家ということで、その法事で知り合い最近急速に接近。そんなことが起こるんですかねえ、東京ナイト。(笑)

佐藤さん、この「ソウル・サーチン」で江守藹さんの本を見てすぐアマゾンで購入されたという。「すごくおもしろかった。自分と接点があるものもあったんで。で、アマゾンだと同じ著者のその他の本って(画面に)出るでしょう。だから、一緒に江守さんの『アメリカ南部を聴く』も買っちゃいました」 まさにアマゾンの(思う)ツボだ。「江守さんが、なぜあれだけテンプスなのか、すごくよくわかって感動しましたよ。(エディー・ケンドリックスの)お葬式にまで行ってね。あの本で出てた『踊り場』ね、『ディスコ』じゃなくて。僕たちも高校で行き始めた頃、やっぱり『踊り場』だった。いやあ、ほんと、おもしろかった。僕らは、勝本さんとかニックさんは、後から知ったんで、彼らのことがよくわかってよかったですよ」

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ワン・ウェイ。

その他、マニアックなシングル盤の話などなどがありつつ、そうこうしているうちに、下北沢から三軒茶屋のソウル・バーへ移動ということになる。まず、「マジック・ソウル」、そして、「ベイビー・ベイビー・ベイビー」だ。白川さんの携帯を借りた鈴木さん、電話をかけに。なんと、ここに鈴木さんの1人息子一路(かずみち)くんがアルバイトを終えて、ジョインするという。なんか、一道くん、イグザイルのファンとのことで、鈴木さんが松尾さんに会わせたいとのこと。

鈴木パパ、ジュニアを三茶の駅までお迎え。松尾さんは、彼が2歳くらいのときに(1991年か92年)、鈴木宅でだっこしたことがあるという。何分か経って登場した一路くん、なんとジャニーズ系とも思えるかわいいルックス・ナイスな姿で登場。一同「鈴木さんに似てな~~い」と声をあげる。1989年11月11日(つまり平成元年だ)生まれという、すべて1並び! うそか本当か、午後1時11分生まれだそうだ。そして、「一」をどこかにいれたいと思ったパパは、自分が好きだったデトロイトのグループ、ワン・ウェイ(一路)を思い、その子に名付けたのであった。

ということを本人は知っているのか、と松尾さんが本人に尋ねると「さあ、知らない」とのこと。松尾さん懇切丁寧にワン・ウェイの解説をし、一路くん「そうだったんですか」と感慨深そう。しかし彼は「お父さんのレコードはほとんど聴かない、お父さんが書いたものは読んだことがない」そうだ。

横から白川さん、「こんど何枚か抜いて、僕に持ってきて」。まだ彼は将来どんな道に進むかは決めていないそうだ。いずれにせよ、ワン・ウェイで突き進むのではないか。そんなことも起こる、三茶ナイト。

■ ワン・ウェイ

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ESSAY>Another Soul Summit


投稿者 吉岡正晴 : 05:42 AM | コメント (0)

November 08, 2008

"A Change Is Gonna Come" To "Change Has Come To America": Obama's Victory Speech

[ ESSAY>]

【「チェンジ・イズ・ゴナ・カム」から「チェンジ・ハズ・カム」へ~オバマ氏勝利演説】

予言。

長かった大統領選に民主党のオバマ氏が勝利し、2009年1月20日、第44代アメリカ大統領に就任する。そのオバマ氏の勝利演説(11月4日夜)がシカゴで行われた。シカゴはソウル・レジェンド、サム・クックのホームタウンである。(1931年ミシシッピー生まれだが、2歳のときからシカゴ育ち)

サム・クックは、1964年暮れ「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム(変革は訪れる)」(未来形)と録音し、この曲を1965年1月からヒットさせた。

"A Change Is Gonna Come" by Sam Cook

I was born by the river in a little tent
Oh and just like the river I've been running ever since
It's been a long, a long time coming
But I know a change gonna come, oh yes it will

川べりの小さなテントで僕は生まれた
以来僕は、その川の流れのように、ずっと(人生を)走り続けている
ここまで到達するのに、とても長い長い年月がかかった
だが、僕にはわかる。必ずや、変革は訪れるということを、そう必ず

Obama Victory Speech, Chicago, November 4th, 2008
「オバマ演説の一部」(2008年11月4日、シカゴ・勝利宣言スピーチ)

It's been a long time coming, but tonight, because of what we did on this date in this election at this defining moment change has come to America.

ここまで到達するのに長い年月がかかった。しかし、今夜、この日、この選挙で我々が成し遂げたこの瞬間、アメリカに変革が訪れたのだ

そう、オバマ氏は44年前、サム・クックが「変革は必ずや訪れる」と未来形で予言したことを、ついに成し遂げ「変革は訪れた」と現在形で語ったのだ。しかも、サムのホームタウン、シカゴの地で。

オバマ氏の演説は実に素晴らしい。ケネディの演説や、マーチン・ルーサー・キング牧師の演説のように見事だ。

この勝利演説の中で、彼は106歳のひとりの一般黒人女性、アン・ニクソン・クーパーさんの話を盛り込んだ。そこにはブラック・ヒストリーが凝縮されている。

「(黒人解放のきっかけとなったアラバマ州)モンゴメリーのバス(ボイコット運動事件)も、(白人の警察官が黒人のデモ隊を消火ホースによる散水で抑圧しようとした同州)バーミングハム(事件)も、(参政権を求める黒人が州警察などから暴行を受けた同州)セルマの橋(事件)も、彼女は知っている。アトランタの(キング)牧師の『我々は勝利する』という言葉も彼女は聞いた。そう、我々にはできる。

(観客) (歓声) 我々にはできる!

 人類が月に降り立ち、ベルリンの壁が崩壊し、世界は人類の科学と想像力によって結ばれた。そして今年、この選挙で、彼女は(電子投票機の)画面に指を触れ1票を投じた。なぜならアメリカに106年間住み、最良の時も最悪の時も経験した上で彼女は知っているからだ。そう、アメリカは変わることができる、と。我々にはできる」

OBAMA: She was there for the buses in Montgomery, the hoses in Birmingham, a bridge in Selma, and a preacher from Atlanta who told a people that "We Shall Overcome." Yes we can.

AUDIENCE: Yes we can.

OBAMA: A man touched down on the moon, a wall came down in Berlin, a world was connected by our own science and imagination.

And this year, in this election, she touched her finger to a screen, and cast her vote, because after 106 years in America, through the best of times and the darkest of hours, she knows how America can change.

アメリカの人々は「モンゴメリーのバス、バーミングハムのホース、セルマの橋…」だけで意味がわかるのだ。黒人が虐げられ、そして、戦ってきたことを。この文はまるで詩のようだ。

オバマのヴィクトリー・スピーチをYou Tubeなどの映像で見ると、まるで映画のようだ。

英語の全文、日本語訳全文が次のところにある。(将来リンクが切れる可能性はありますのでお早めにごらんください)

(英文全文)
http://elections.foxnews.com/2008/11/05/raw-data-barack-obamas-victory-speech/

(日本語訳・毎日新聞のサイト)
http://mainichi.jp/select/world/news/20081106mog00m030056000c.html

映像を見ると、この演説を聴きながら、「イエス・ウィ・キャン!」と観客が応える。その様はまさにゴスペルのコール&レスポンス。聞きながら泣いている人さえいる。きっと、将来教科書にも載るであろう感動的な名演説だ。

ESSAY>Obama's Victory Speech


投稿者 吉岡正晴 : 05:55 AM | コメント (0)

December 05, 2007

Up Coming Blog Story At Random

[ ESSAY>]

【これからのネタ】

これから。

なんだかこのところ本当にめまぐるしい。ブログはライヴを見たらその日に書いてその日にアップ、というのを基本にしているのだが、若干その他に告知などもあって徐々にネタが渋滞中。なので自分でも頭を整理する意味で、これからブログネタで書こうと思っていることを渡辺祐さん風に箇条書きしてみたい。

テンプス・ネタ(テンプテーションズ・インタヴューしました~しかも超サプライズの5人お揃い)、ゲイリー・スコットのグループのライヴ(もう忘れそう)、クリセット・ミッシェル・ライヴ@ビルボード(ライヴ後のことはもう書いた)、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」ついに体験(超おもしろかった=これはパート1、2かな)、「ソウル・サーチン美術部でフェルメールを見る」の巻(その前後のKダブシャインさんらとの音楽談義もまた楽し)、金森匠先生の新刊本紹介(『カラテカ・入江のコンパライフ 女子もう帰っちゃうの?』=入江慎也・著=かなり笑える)、シャンティのライヴ、シャンティのライヴで初めてお会いできたジャズ評論家小川隆夫さんとのお話(短時間だが盛り上がった)、ついに再々オープン西麻布「ジョージ」、「フィリー・ソウル・クリスマス・ナイト」のリハーサル模様、バーナード・パーディー・インタヴュー(感動=じっくり紹介予定)、ケイリブ&ソウル・サーチャーズ・ライヴ1件、ケイリブ&ゲイリー楽屋でソウル・サーチン白熱議論の巻、スカパーで始まるソウル番組の件(まもなく正式発表)、「横浜シュガーシャック」その後など。

この他、今後のネタになる予定もの。ラサーン・パターソン・ライヴ、フィリー・ソウル・クリスマス・ナイト(12月7日金曜)関連(これは膨大な量になりそう。前回はレポート3回)、アル・クーパー・ライヴ、「ダイアログ・・・」続編、「ダイアログ」関連暗闇コンサート、友人梶くんの草野球チームの試合、「アリ・オリ」その後、ライヴ各種(含む・ブレンダ・ヴォーン@神奈川県民)などだ。

この他に少しじっくりとまとめたいのが、江守さん案件(テンプス・ネタ、デイヴィッド・シー・ネタから、新宿の踊り場の話など無尽蔵)、「ブログ・メディア論」(タイトルは大げさですが-(笑)、最近ブログ周辺で感じるメディアとしてのブログのことなどを)。そうこうしてるうちに、もうグラミーのノミネート時期かな。それから「ベスト・オブ・ソウル・サーチン・ダイアリー」の選考もぼちぼちですか。果たしてどこまで書けるか。

ネタではないが、忘年会幹事2件(店と候補日から日程を決める~ふ~~)、各種事務作業(メンドー)、各種頼まれごと案件整理、プロジェクトFほか新企画など。以上、自分への備忘録ってことで。(笑) こんなこと書くくらいなら本編、ひとつ書いたらどうだって? そうですねえ。

というわけでブラックミュージックの大ファンでもある渡辺祐さんの人気ブログはこちら↓ チェキ。
http://d.hatena.ne.jp/dothemonkey/

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投稿者 吉岡正晴 : 05:09 AM | コメント (0)

October 15, 2007

Nakata Hidetoshi Talks

[ ESSAY>]

【中田英寿インタヴュー】

選別。

もう一週間前の話で恐縮なのだが、原稿を書いたものの、アップするタイミングを逸していた中田選手のインタヴューの感想をちょっとだけ。

元サッカー選手の中田英寿がフジテレビの情報番組『新報道プレミアA』(毎週日曜22:00-23:15)に10月7日衛星生中継で出演していた。テレビ番組のキャッチフレーズによれば、なんと彼は昨年引退した後、約1年、世界を見ながら自分探しの旅に出ている、という。びっくり、じゃあ、ソウル・サーチンでもしているのだろうか。

僕はたまたまチャンネルを回していたら、ヒデがでていたので、なんだろう、と思ってみたのだが。テレビ画面に映った中田を見た瞬間、表情がやわらかくなっているなと思った。この1年、何があったんだろう。

中田は中東ドバイにいて、その砂漠から生中継だった。(ホテルからの中継ともでていたが。ホテル内の砂漠かな) この絵がよかった。砂漠にじゅうたんのようなものを敷いて、そこにソファを置き、滝川クリステルの質問に答えている。ときどき、コブのついたらくだが後ろを歩いていく。あれは演出なのだろうか。演出としたら、なかなかいい演出だ。夕陽が大きく地平線に落ちていくあたりの絵もいい。

テレビなので、おもしろい質問はでてこなかったが、しいて言えば、「世界の30歳と日本の30歳の違いは」という質問(中田も30歳)に対して、「(世界で)人と会うとき、その人が何歳かということを聞いたりしないので、何歳かわからない。だから、この質問には答えられない」と答えた。「政治家には興味はないが、政治には興味がでてきた」 あるいは、「世界はパズルのようなものだと思う。あるところに足りないものも、別のところには余っていたりして、それをこううまくつなげば、いいものが生まれるかもしれない・・・」といった発言は、旅をして、世界を知ったからでこその言葉か。朝青龍問題についても、「巡業でサイン会などのファン・サーヴィスもできる」などといいアイデアを語っていた。

中田は基本的には一般メディアのインタヴューを受けないで、唯一受けるのがテレビの生放送だそうだ。対メディアに対して不信感があるそうで、それでこの日、生放送だから受けたのかもしれない。

このあたりのメディア選別の方向性は、古くはマイケル・ジャクソン、最近ではイチロー選手などと相通じる。スポーツ選手だと、やはりこの中田のインタヴュー、イチローのインタヴューはひじょうにおもしろい。

ESSAY>


投稿者 吉岡正晴 : 03:33 AM | コメント (0)

September 06, 2007

Lenomas Sent Me Reply: Information Goes Around Comes Around

[ ESSAY>]

【レノマスより返事届く~情報は天下の回りもの】

返事。

1970年代後期から1980年代にかけてよく顔をだしていた自由が丘の「レノン・ストリート」とその周辺の話について、調べたり、書いたりしているうちに、その「レノン・ストリート」のマスター「レノマス」氏が今年の3月からブログを書いていたことが判明し、さっそくメールを送った。ついにその返事が届いた。

「レノマス」こと土田さんは、1989年にアメリカに移住、いわゆる飲食業界からは足を洗い、現在はカリフォルニアで不動産関係の仕事をしているとのこと。カリフォルニアで仕事をしているときに、いつもふと「あの頃の仲間たちは、みんなどうしているんだろう」と思っていたそうで、それがブログを始めた動機だという。メールとともに、きちんとした写真館で撮影されたような写真も送られてきて、その写真からは昔の面影が漂っていた感慨深かった。

土田さんは、最近のテクノロジーの発展には目を見張るものがあり、なんでもコピー&ペーストで、簡単に情報も出せたりするようになっているが、過去の「思い出」や、これまでの「自分のキャリア」というものは、簡単にコピーもペーストもできないものだと指摘している。おっしゃる通りだと思う。

彼のブログは2007年3月から6月くらいで、更新が滞っているが、ぜひとも続きを読みたい。

ところで、これはインターネットが普及する前から強烈に感じていることなのだが、情報というものはひじょうにおもしろいもので、情報は発信すればするほど、集まってくるのだ。

たとえば、レノマスがブログというものでレノン・ストリートについての情報を発信したために、僕のような人間がひっかかって連絡を取った。かつては、その媒体が新聞や雑誌やラジオ、テレビといった限られた媒体でしかなかったが、今では誰でもこのインターネットという媒体を使うと簡単に情報発信できる。

僕も2002年にインターネットでホームページを始めてから細々と情報を発信してきたが、やはりブログを毎日書くようになってから、以前よりも多くの情報が集まるようになった。それはBBSへの書き込みしかり、直接のメールしかり、どこかで会ったときに口頭で話し掛けられたりとさまざまだが、「出すと入ってくる」という感触がある。

そして、そうした情報のいくつかは、改めてブログに書いたり発信し、さらにそれにつれられてまた何かが集まってきたりする。まさに「情報は天下の回りもの」なのだ。インターネットの発展によって、それに加速度がついている感じがする。

+++

「情報は天下の回りもの」をどう表現するか。「金は天下の回りもの」=Money comes and goes. あるいは、 Money makes a round of the world. あるいは What goes around comes around. などと言えるようだ。それに倣ってタイトルをつけたみた。

■過去関連記事

August 22, 2007
Mardi Gras: Memory Of Jiyugaoka, Back In The Day (Part 1)
【マルディ・グラからつながる自由が丘の思い出】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_08_22.html

August 23, 2007
Memory Of Jiyugaoka, Back In The Day (Part 2)
【自由が丘へのルーツ】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_08_23.html

September 03, 2007
We've Got A Clue Of "Lenomas", Wow
http://blog.soulsearchin.com/archives/001990.html

ENT>ESSAY>Lennon Street

自由が丘 レノンストリート レノマス 

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投稿者 吉岡正晴 : 03:31 AM | コメント (0)

September 03, 2007

We've Got A Clue Of "Lenomas", Wow

[ ESSAY>]

【「レノマス」を捕まえた!】

キャッチ。

2007年8月19日(日)に、自由が丘の「マルディ・グラ」で「ソウル・サーチン・ビデオ・ナイト」というささやかなイヴェントを行った。そして、そのときに「マルディ・グラ」のマスター、川村さんとその界隈の話をして、そこに思い出の「レノン・ストリート」という店があったことがわかった。そして、そのことを下記ブログに書いた。

August 22, 2007
Mardi Gras: Memory Of Jiyugaoka, Back In The Day (Part 1)
【マルディ・グラからつながる自由が丘の思い出】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_08_22.html

August 23, 2007
Memory Of Jiyugaoka, Back In The Day (Part 2)
【自由が丘へのルーツ】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_08_23.html

このとき、僕はかなり「レノン・ストリート」のことを調べたのだが、思ったほどの情報はでてこなかった。「レノマス」の名前も忘れてしまったほどである。一応、記憶に基づいて書いて、それなりの裏は取ったのだが、な、な、なんと今日、「レノン・ストリート」に検索をかけると、その「レノマス」本人のブログがヒットするではないか。10日前にはヒットしなかったのに。この10日で何があったのか。(笑) それとも、以前の検索がなにか、不十分だったのか。謎だ。彼のブログは今年の3月から始まり、6月くらいまで書かれているのだが、ここ2ヶ月はごぶさたになっている。

そのブログがこれ。
http://blog.goo.ne.jp/lenomas

彼がどのようにして、「レノン・ストリート」を始めたのかなどが書かれていて思わず読んでしまった。そして、ここに映っている写真こそ「レノマス」だ! 超懐かしい! メールアドレスまで「レノマス」ではないか! なんというインターネットの世界。20数年音信不通だった人物とこうして連絡が取れるようになるなんて。

「レノン・ストリート 自由が丘」の検索で、新たにひっかかった記事から読み込んで「レノマス」の名前がわかった。「土田」さんだった。そうだ。そうだ。「レノン・ストリート」で検索すると、すでにいくつか僕のブログも出てくる。ほかに、前回のリサーチで読んだタイトルもあるが、見かけなかったものもある。

この発見に感動して、僕はすぐさま「レノマス~土田さん」にメールを送った。

ブログを読むと、西海岸でアメリカ人の奥さん、子供とともに幸せに過ごされているようだ。

果たして、メールの返事は来るかな。

ENT>ESSAY>Lennon Street

投稿者 吉岡正晴 : 03:54 AM | コメント (0)

August 14, 2007

Many Events Coming Up:

[ ESSAY>]

【準備でばたばたです】

準備。

日曜日、『ソウル・ブレンズ』に行くために都内を走ったが、なんと空気の澄んだいること。昨日(月曜)も、同じく車の絶対数が少なく、空気がきれいな感じだ。お盆と正月は、東京の人口が東京に住んでる人だけになってぐっと減る。いつもこれくらいだとすごし易いのになあ、と思ったりして。(笑) 外に出て、空気が違うなんてことがわかるほど、空気感が違うって、ふだんの空気は一体、何? 慣れとは怖いもの。人間は「慣れる」生き物。

さて、世間はお盆休み真っ只中だが、こちらはイヴェント準備でおおわらわです。

今週16日(木曜)、17日(金)の藤が丘マルターノでの「LIVE M」(ザ・アコースティック・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・シャンティ)、さらに19日(日)の自由が丘マルディグラでの『ソウル・サーチン・ビデオ・ナイト』、さらに29日の『木下航志ソウルを求めて~真夏の品川教会にて』の準備と、かなりばたばたになっている。

「LIVE M」、「航志ライヴ」もほぼセットリストは決まり、あとはリハーサルで煮詰めていくだけ。さっき、ケイリブに会って、いろいろこまごま話をした。少しだけネタバレをすると、どちらのセットリストも、これまでの『ソウル・サーチン』で歌われた楽曲のいくつかが、姿形を変えて登場する。

つい最近やっと『アトランティック・レコーズ~60~ザ・ハウス・アーメット・アーティガン・ビルト』のDVDを見た。いやあ、おもしろかった。今は亡き、アトランティック創始者のひとり、アーメットのインタヴュー、そして、彼が育てたアーティストたちのインタヴューなどなど、ふんだんに昔話が飛び出てくる。一度、ゆっくりご紹介しよう。

■DVD

アトランティック・レコード:60年の軌跡
ワーナーミュージック・ジャパン (2007/07/25)
売り上げランキング: 9926

■イヴェントの概要

August 05, 2007
Many Events Coming Up August
http://blog.soulsearchin.com/archives/001936.html

ENT>ESSAY


投稿者 吉岡正晴 : 02:22 AM | コメント (0)

July 14, 2007

Ichiro's Masterpiece

[ ESSAY>]

【イチローの傑作】

作品。

7月10日(現地時間=日本時間11日)にアメリカで行われた野球のオールスターで、イチロー選手が3安打を放った。そのうちの一本はご存知の通り、ランニング・ホームランとなった。

イチローはこれらの打撃を「ピッチャーの指先からボールが離れた瞬間からイメージどおりに来て、打てた。作品のようだった」といった趣旨のことをコメントしている。

このコメントには、やられた。本当にすごい。こんなせりふを言える野球選手がいまだかつていただろうか。あの世界の王選手でも、落合選手でも、こんな文学的な形容はしたことがない。

おそらく、イチローには相当な「自分なりの野球の美学」というものがあるのだろう。類まれな集中力から生まれる、たかが一本の「ヒット」をひとつの「作品」という高みに持ち上げる。

僕には「作品」がたまっていけば、その中には、ただのひとつの「作品」だけでなく、「傑作=Masterpiece」が誕生するだろうと思う。ただの「ヒット」を「作品」にし、「作品」を「傑作」にするイチロー。自分で選んだ「作品ベスト10」などを聞いてみたい。あの「レーザービーム」も文句なくベスト10入りの作品だろう。

イチローが書いた文章というのを読んだことはないのだが、彼が書く文章も読んでみたい。目を大事にしているので、パソコンはやらないとか。

ところでランニング・ホームランは、和製英語なんですか。英語ではinside-the-park homer というそうで。

ESSAY>Baseball



投稿者 吉岡正晴 : 05:21 AM | コメント (0)

June 01, 2007

"Champagne Royale": The Bottle Of La Seule Gloire

[ ESSAY>]

【見覚えのあるボトル】

シャンペーン。

シャンパン、シャンパーン、シャンペーン、シャンパーニュ・・・。以上、シャンパン4段活用。ま、いろいろ表記はありますが。昨日あたりの世間の話題は、陣内&藤原紀香の披露宴でしょうか。テレビで生放送されたこともあり、さらにワイドショーなどのかっこうのねたになっています。

そんな中、披露宴の乾杯のシーンで使われたシャンパンのボトルに見覚えが! テレビの解説によれば、フランスで初めて日本人が作ったシャンパン・・・なんたらかんたら。おおおっ! あれだ! 

そう、あのマーチンさんが3月にリリースした最新作『シャンペーン・ロワイヤル』でコラボしていた「ラ・スル・グロワール」のシャンパーンだ。おそらく、その中の「ル・レープ・グランクリュ」が乾杯のときに使われたものと思われる。3月6日にコットン・クラブで行われたときに、その時点ではまだ発売されていなかったそのシャンペーンが振舞われた。

じ、実は、このボトルが一本うちの冷蔵庫にもあったのだ。マーチンさんのコットン・クラブでのライヴの後に、「ラ・スル・グロワール」の合田社長から送られてきていたのだ。ありがとうございます。

思わず、テレビに映ったボトルを見て、冷蔵庫の中のボトルを取り出して確認した。これで、このボトルを開けるときに、うんちくがひとつ加わりました。

「ラ・スル・グロワール」ウェッブ
http://www.la-seule-gloire.com/index.html

マーチンさん、シャンペーンについて語る
http://www.la-seule-gloire.tv/

投稿者 吉岡正晴 : 03:21 AM | コメント (0)

May 28, 2007

So Many Raged People These Days

[ ESSAY>]

【切れる客が増えたそうで】

激怒。

たまたま調べ物をしていたら、おもしろい記事に出会った。ちょっと古いが2007年3月16日付けの朝日新聞の記事だ。

「キレる客対策、業界本腰 クラシック演奏会でトラブル急増」
http://www.asahi.com/culture/music/TKY200703160235.html

要は、最近クラシック・コンサートで他の人のマナーに「切れる客」が増えている、というのだ。このところ、それまでクラシックのコンサートなどに来たことがない若い人たちが増えていて、そうした人たちがマナーがなっていないことが主な原因らしいが、それだけなく、些細なことで「客を外に出せ」などと主催者に言う人が増えたらしい。

僕はクラシックのコンサートにはめったにいかないので、こういうことが起きていることなどまったく知らなかった。しかし、ポピュラー音楽でも、静かな曲を聴かせるものなら、いずれこういうことが起こるかもしれない、と思った。

この記事どおりだとすると、鈴ひとつでその客を引っ張り出すというのは、ちょっと異常にも思える。この傾向っていったいなんなのだろう。やはり、世間のあちこちでいろいろなことに我慢ができずに、すぐに切れる人が増えているということなのだろうか。なぜ切れる人が増えたのかというと、たとえば、コンビニのものやファーストフードやお菓子などばかりを食べていると、切れやすくなるなどという話を聞いたこともある。

まあ、とはいうものの、あらゆるところで、マナーが悪くなった事実は否めないので、それに文句を言う人も多々でてくる、ということだろう。そのためには、いちいちマナーというものを教えなければならなくなる。

ESSAY>

投稿者 吉岡正晴 : 03:00 AM | コメント (0)

May 06, 2007

Big Clean Up (Part 2)

[ ESSAY>]

(5月3日付け日記の続き)

【1年使わないものは、必要ないか】

棄てる派。

頼んでいた棚が昨日到着して、早速作ってみた。意外と簡単で最初の1個目は30分程度でできた。2個目は慣れたもので、20分弱。3個目は15分。

しかし、その棚を届ける宅配の人が朝8時すぎに、「今日の12時から14時の間におうかがいしますので」と留守電に入れていたのには参った。(笑) いや、別にそれはそれでいいんですが。朝8時過ぎにうちの電話が鳴ったんで、何事かと思ってしまいました。(笑) 

それよりも、かなりのものを棄てているのだが、まだまだ足りない。棄てが足りない。しかし、一番困るのがCDだ。周囲の音楽関係者などに聞くと、CDを棄てるのには、ジャケットの紙をはずさないといけないらしい。つまり燃えるごみと燃えないごみの分別だ。僕はいままで一度もCDやレコードを棄てたことがない。カセットはさすがに棄てることができるようになった。(苦笑) とりあえず、使わないCDはダンボールにいれて、トランクルームにしまいこむ。

しかし、トランクルームにしまいこまれたCDは、決して日の目をみることはないだろうなあ。ということは棄ててもいいということになるのだが・・・。いつか使うことがあるのではないだろうか、などと思ってしまう。そこまでなかなかふんぎれない自分がちょっと情けない。

よくある整理本の類には一年使わないものは、その後もまず使わないから、棄ててよろしい、などと書いてある。それはほとんどあたっているのだが、ことレコード、CDに関していうと、それはあてはまらない。あるアーティストの新作が5年ぶりだったりすると、5年前の音源が必要になるのだ。4年以上使わないものでも、5年目に必要になることがある。

まあ、だからCDなども棄てられないんだけど。だいたい、何でもばんばん物が棄てられる人がうらやましい。うちの父親は何でもとっておく派、母親は対照的に何でも棄てられる派。僕はその点、父の血を継いだようである。(笑) 

ESSAY>

投稿者 吉岡正晴 : 04:17 AM | コメント (0)

May 03, 2007

Big Clean Up: On Golden Week

[ ESSAY>]

【いらないものを棄てる大掃除の巻】

大掃除。

このゴールデン・ウィーク、なんと僕は大掃除に突入。前から大掃除をしなければと思っていたが、なかなかできないでいた。

しかし、ぐちゃぐちゃになっているCDやら、DVDやら、紙資料、本・雑誌などを整理するのだが・・・。ところが、まだ封を切ってない郵便物があったり、古いビデオテープに何も書いてないので、なにがはいってるかわからず、チェックしてみたり、まったくはかどらない。あ~~。

ビデオやカセット、最近だとMD、CDRには、必ず録音録画したものをすぐ書いておかないとダメ、ということは百も承知なのだが、なかなかこれができていない。くく~~~。

CDRはけっこうすぐに白いのでマジックとかでかけるけど、MDとか、なかなかかけないかも。あと、CDもので、音楽のCDとデータのCD、写真とかそういうのが入ってるのとかも、うまいこと区別つけないとまずい。みんなま形が一緒だから、大変だ。ぎゃああ~~~~。

自分が書いた原稿が載ってる雑誌やら新聞やら、一応キープしてるんだけど、もう文字データはあるし、いいかなあ、という気も。僕はワープロを1986年9月から使い始めたので、それ以降のものはほとんど、昔使っていたワープロのフロッピーに入ってる。ただ現在のパソコンでは、一度MS-DOS化しないと読み込めないのでそのままになっている。もちろん、原稿を送った後、校正したり、直したものは、ここには入っていないことも多い。部屋の掃除も大事だが、このあたりのデータを変換してCD化するのも重要だ。うううっ~~。

意を決して昨日棚を買いに行ったら、なんと在庫なしで2-3日後に到着だそうで。そういうことがあると、すぐにくじけるものである。げええっ~~~~~。

ESSAY>

投稿者 吉岡正晴 : 02:43 AM | コメント (0)

January 29, 2007

"Soul Blends" Goes To La fete Tama

[ ESSAY>]

【『ソウル・ブレンズ』公開生放送】

極寒。

昨日(1月28日・日)は『ソウル・ブレンズ』(インターFM・毎週日曜午後2時から5時まで放送)の公開生放送が多摩のラフェット多摩で行われた。僕が公開生に出向くのは2003年5月に青山で行われた時以来。番組の収録は横浜や、お台場であったが、そのときは『山野ミュージックジャム』のコーナーは、スタジオから出していたので、僕が人前でしゃべるというのはなかった。

会場には、何人か『ソウル・ブレンズ』のへヴィーリスナーの方々もいらっしゃって少しお話をさせていただいた。お声がけ頂いたかたありがとうございました。

しかし、今日のステージは外だっただけに、3時間ほとんど出っぱなしだったマーヴィンとちーちゃんは、きっと寒かったことでしょう。極寒の生放送。頭の方は、ライトが当たってけっこう暖かいのだが、足元がひじょうに寒い。頭寒足熱ならぬ、頭熱足寒であった。

ゲストのひとり、ゲイリー・アドキンスと初めて会った。なんとその昔横浜のクラブ「ヘヴン」にハコバンドででていたという。例の最近のギャツビーのCMでスタイリスティックスの大ヒット「愛がすべて」を歌っているシンガーだ。

うちからの道のりは、地元のちーちゃんが丁寧に教えてくれ、そのとおりに行ったら着いた。うちから50キロ超。1時間半弱かかった。さすがに遠い。(笑) 

ラフェット多摩は、かなり巨大なアウトレットだった。

++

投稿者 吉岡正晴 : 11:22 AM | コメント (0)

January 26, 2007

"Personal" Is The Key: Radio And Web

[ ESSAY>]

【カギはパーソナル:ラジオとウェッブ】

パーソナル。

「うちを新築した時にね、工事してるところ見に行ったの。そうしたら、いろんな職人がいるでしょう。ペンキ職人、壁を塗る人、外壁作ってる人とか内装でいろいろやってる人なんか10人くらいいるんですよ。そうしたら、その職人たちがみんなマイ・ラジオ持ってるんですよ。ペンキ屋の(ラジオ)はペンキで薄汚れてて、外壁やる人のはその外壁みたいのにまみれてて、それぞれがみんな違う局を聴きながらやってるんですよ。それみて、感動してね。ラジオって、これだ! って思いました。それ以来、ラジオに対する(自分の)考え方、変わりましたね。ありのままに、そこにいるひとりひとりに語りかける。かっこなんかつけなくていい。正直にやる、そんな感じになりました」 

こう熱弁を奮ってるのはグッチ裕三さん。グッチさんとブラザー・トムさんの『アーバン・ソウル・クラブ』の収録後、グッチさんと軽く飲むことになり、その中での話だった。

「聴いている人をイメージして語らないとだめだ」とグッチさんは言う。聴いている人は、だいたいひとりだ。家を作る職人たちも大きなラジオでみんなが同じ物を聴くということにはならない。それぞれが、それぞれのラジオを持ってきて、自分の好きな局を聴いているのだ。ラジオというメディアはワン・トゥ・ワン、ひとりからひとりへというメディアだ。そういう意味で「マスのメディア」ではなく「個のメディア」だ。

かつて大流行したAMの深夜放送なども、ひとりへの語りかけが大きなポイントだった。僕は最近、このインターネットのブログや個人がやっているホームページなどが、かつてのラジオの深夜放送に似ているのではないかと感じている。ブログにアップされれば、世界中のどこでも見られるが、しかし読む側はひじょうに限られていて絶対数は少ないが、あたかも、一人一人へ語りかけているかに思えることがある。つまり、ミニコミなのだが、情報発信者と受信者の距離感が近いのだ。

あるいは、雑誌媒体などよりも読み手はより書き手をパーソナルに感じるのかもしれない。また雑誌などにはない「ライヴ感」がブログやネットのウェッブには感じられたりする。アンケートをいれれば、読者参加にもなるし、そのあたりの双方向性の部分も距離感が近くなる。

ラジオとインターネット。その共通点はどちらもパーソナルという言葉だ。ラジオがマイ・パーソナル・ラジオなら、インターネットは、まさに「パーソナル・コンピューター」でのつながりだ。

++「アーバン・ソウル・クラブ」のオンエアは2007年2月3日、JFN各局です。ジェームス・ブラウンの話をしています。

ENT>ESSAY

投稿者 吉岡正晴 : 04:49 AM | コメント (0)

December 24, 2006

Shinagawa Gloria Chapel & My Father; Another Christmas Present

[ ENT>MUSIC>LIVE>, ESSAY>]

(「妹尾武ライヴ」~昨日の続き)

【品川教会と父~もうひとつのクリスマス・プレゼント】

礼拝堂。

この品川教会というのは、僕には個人的にちょっと接点があった。別に僕はキリスト教徒でもないし、一般的には無宗教の人間だが、とはいうものの、一応お墓参りは欠かさない普通の人だ。そう、クリスマスも祝いつつ、お盆に迎え火と送り火をしたり、何か困ったことがあると「神様~~」と叫んだりと、宗教観に整合性などまったくないような人間である。そうキリスト教ではないが、ゴスペル・ミュージックは大好きというあたりも整合性はない。(笑) 

僕の今は亡き父親も、宗教観に関しては、ジャンルで言えば無宗教だが、両親の墓参りは欠かさず、家には仏壇があり、そういうことはきちんとしていた。そんな父の大学時代の友人というのが、品川教会の佐伯神父という方だ。僕は子供の頃会ったことがあるような気がするが、はっきり覚えていない。以前聴いた時は、すでに一年の半分以上は外国に住んでいるとかで、あまり日本にはいらっしゃらないらしい。

父親はいつの頃からか、週に一回品川教会に通いだすようになった。その頃の品川教会は、今のように立派な建物ではなかった。すわ、キリスト教にでも転じたか、などと家族は思ったが、そんなことはまったくなく、何か思うところあって、通い始めるようになったらしい。

通い始めて何をしているのかというと、ただ神父さんの説教を聴いていたり、聖書を読んだりしていただけらしい。僕を含めた子供や母親が、「お前たちも教会に一緒に行け」などと言われたことは一度もない。おそらく僕はきっと長い間、父が品川教会に通っていたことさえ知らなかったのだと思う。佐伯神父に会って昔話でもしていたのか(おそらくお茶でもしていたのだろう)、説教を聴きながら人生を考えていたのか、教会の礼拝堂の荘厳な空気、雰囲気が好きだったのか、何か助けを求めてそこに行ったのか、まったくわからない。

僕が父と教会の接点を知ったのが、年に一度教会で行われるバザーに、家にあるいらないものを出品するために、それらを車で運んでくれと頼まれた時だった。「お前も捨てる物があれば、持っていけ」と言われたことは覚えている。父が教会に行くことに「へ~~、なんでまた」などとも思ったが、深くは考えなかった。何年か、そんな荷物の運び屋をやった。うちからは車で5分もあれば着く。車に乗せた荷物をバザーの何日か前までに事務所に運んだ。それで僕の仕事はおしまいだ。バザー当日もそれほど興味もなかったので、僕は行ったことはなかった。

だが、いつだったか、特に理由もなく初めてそのバザー当日に会場をのぞいたことがあった。確か父親が1枚100円だかのバザーの入場券をみんなにくれたので行ったような気がする。1990年代の初期のことだったと思う。建物は、現在の立派なものになっていた。あちこちでいろいろな物を売っていた。売上は全部教会への寄付になる。いわゆるバザー。父親も何か、店番のようなことをしていた。その時の様子を見てどうやら父はけっこう教会関係者・スタッフの間では人望が厚いような感じがした。父親もすべてそういったことをヴォランティアでやっていたので、スタッフからは感謝されたのだろう。父はその後もヴォランティア活動に興味を持ち、積極的にそういう活動をしていた。

金曜日(12月22日)に妹尾武コンサートを聴くために入った礼拝堂は、僕の昔の記憶とはちょっと違っていた。改装したのか、それとも僕の記憶があいまいなのか。ひょっとして新しく建物ができる前のものを記憶していたのか定かではない。

教会の礼拝堂の前には、大きなリースが飾られ、クリスマスの雰囲気を盛り上げていた。中に入ると教会独特の木の椅子が置かれていて、すでにほぼ満席になっていた。正面の十字架とパイプオルガンのパイプが目についた。そしてグランドピアノと何本かのマイクスタンド。

この礼拝堂は、父親が毎週日曜日朝に通っていた礼拝堂だ。父親が通っていた頃には僕は一度たりとも足を踏み入れたことがなかった場所である。別に行かないと決めていたわけでもない、ただその機会がなかっただけだ。ひょっとしたら父はここで何らかのソウル(魂)を探していたのかもしれない。そして不肖の息子はもっと早くここに来るべきだったのかもしれない。僕のソウルを探すためにも。父が通っていた頃からすでに十数年、いや二十年以上経っているはずだ。そんな場所に遂に僕を連れてきてくれた妹尾さんに感謝。この礼拝堂に足を踏み入れられたこと自体が、僕にとっての最高のクリスマス・プレゼントだ。来年は母親でも連れてくるかな。

ENT>MUSIC>LIVE>Senoo, Takeshi
ENT>ESSAY>Shinagawa Gloria Chapel

投稿者 吉岡正晴 : 04:32 AM | コメント (0)

September 17, 2006

2008 Space Odyssey: Google Earth (Part 2)

[ ESSAY>]

【宇宙の旅から地球の旅】

地球。

アウト・オン・ア・リム僕も、昔から外から地球を見たいと思っていた。でもそれは不可能に近いとも感じていた。だが、ある時、いいアイデアを思いついた。80年代にヒットしたシャーリー・マクレーンが書いた小説『アウト・オン・ア・リム』を読んだときのことだ。

この中にいわゆる幽体離脱(ゆうたいりだつ)のシーンがでてくる。自身の魂が、肉体から離れて、自分の姿を上の方から見下ろす。最初は怖くて、天井くらいまで行って、すぐに肉体に戻るが、徐々に屋根を突き抜け、地元の街を上から見て、さらにはどんどん上に行くと地球を見ることができる、というシーンだ。これは後に映画化されるが、映画では自分の足元あたりに銀色の線がずっと地球の方に続いている。

これを見て、「そうか、幽体離脱の訓練をして、自由にコントロールできれば、地球を外から見られる」と思った。なのだが、しかし、全然幽体離脱ができないのだ。(笑) 訓練すれば、どんどん高いところまで行けるようになるそうだが、だいたいまず幽体離脱そのものが起こらなければ話にならない。

ところで、その幽体離脱→宇宙から地球を見る計画は、そのまま頓挫しているのだが、なんと、ウェッブ上で宇宙から地球を見ることができるようになったのだ。おそらく、ご存知の方もかなりいらっしゃると思うが、「グーグル・アース」というウェッブ・サイトとソフトが出現した。

しばらく前に話を聴いていたのだが、要は衛星や飛行機から撮影した地球の画像をウェッブ上で自由自在に見られるというもの。これがやってみると、まさに幽体離脱して地球を外から見るような感覚になる。といっても、幽体離脱の経験はないので、映画で見てのイメージだが。

http://earth.google.com/

ここに行き、無料でダウンロードすれば、さあ、あなたも今すぐ地球の旅へ。ま、みんなこれでまずやることは、自分の家を探すらしいが、僕も家を探した。それにしても、すごい。うちのマンションの駐車場の車まで映ってる。ただ画像は3年以内のものということで、それほど新しい物ではないようだ。うちの近くのキャッツシアターなどは、まだ影も形もない。ズームイン、ズームアウトがスムーズで、さ~と思い通りに近づくところなど、実に面白い。

エッフェル塔、自由の女神、万里の長城など、世界中の観光名所を次々と訪れることもできる。民間用で、しかも無料でここまで見られるなら、軍事用衛星は、もっとすごいのだろうな、と想像する。これは、はまってしまいます。(笑) 

ESSAY>Google Earth

投稿者 吉岡正晴 : 02:45 AM | コメント (0)

September 16, 2006

2008 Space Odyssey (Part 1)

[ ESSAY>]

【2008年宇宙の旅】

宇宙。

先日訪れた店に一冊の小冊子、パンフレットがあった。店の主人の友人が企画したという旅行の冊子だった。その友人が置いといてくれ、と置いていったものだ。

それが、なんと『JTB宇宙旅行』という宇宙旅行のパンフ。「JTBがおくる無限に広がる宇宙への旅」というコピーで、何種類かの宇宙旅行が紹介されている。

まず、今回の目玉は、なんといっても「月旅行」! ふたつの方法が考えられていて、Aパターンは8日から9日、Bパターンが9日から21日だそうだ。月へは片道約3日かかる。そして地球からは決して見ることができない月の裏側を周って戻ってくる。のべ6ヶ月ほどの宇宙飛行士訓練センターでの訓練も含むという。早ければ2008年、おそくとも2010年には可能だそうだ。

さて、問題のお値段は? おいくらだと思います? (笑) 

な、な、なんと現在のお金で約1億ドル。120億円ですよ。笑っちゃいます。2-3名程度の募集だそうで。

二つ目が「本格宇宙旅行(軌道飛行)」というもの。ロケットで宇宙に飛び出し、軌道上の国際宇宙ステーションに一週間ほど滞在するというもの。日程表がでていて、4日目あたりは、起床、朝食、ミーティング、自由時間・・・。

さて、お値段は。こちらはお安くなっております。約2000万ドル(24億円)。

3つ目が「宇宙体験旅行(弾道飛行)」。これは、地球から音速の3倍以上のスピードで一気に高度100キロ、宇宙へでて、しばし無常力状態を体験、地球を外から見て、また舞い戻る、というもの。飛行時間はだいたい1-2時間だそうだ。

で、お値段。かなり安いです。10万2000千ドル(約1200万円)。

この他、無重力体験(90分、約120万円)、超音速ジェット機体験(約300万円弱)などが書いてある。120億円からすると、ほんと、このあたりがめちゃ安く感じるからおもしろい。詳しいことはこちらへ。

http://www.jtb.co.jp/space/index.asp

で、思いましたね。これ(120億円の月旅行)って、手付金とかいるのかなあ。キャンセル料は? 保険はかけられるのか?(笑) もし半年の訓練の後、体力的に宇宙飛行不可となった場合、いくら戻ってくる? それと、発射基地までの日本からの往復の旅費は、この金額に含まれていないという。そ、そんなあ。120億円も払うなら、ジェット機くらいチャーターしてあげればいいのにね。

(この項つづく)

ESSAY>Space Odyssey

投稿者 吉岡正晴 : 12:28 AM | コメント (0)

September 14, 2006

Bits & Pieces Of Soul Talking...

[ ESSAY>]

【ソウル談義あれこれ...】

談義。

8日(金)のブルースアレーは「なんとなく」(C=フィリップ・ウー)楽しかった。セカンド終了間際になんとケイリブ・ジェームス登場。といっても、何もやらなかったが。いっしょに行った岡さんらに、今日はフィリップ、ケイリブ、ブレンダたちが出るとメールしていたのだが、来てみて、今日はフィリップだけで、フィリップとケイリブのダブルキーボードは9月19日のブレンダのライヴのほうだったことが発覚した。ただの勘違いです。「ケイリブがいつ出るのかってずっと思ってました。キーボード席、ひとつしかないし・・・」と言われ、思わず「ほら、今、きたよ!」といっても言い訳にならない・・・。

ケイリブは、10月からアイ(AI)の全国ツアーにでる。アイは、なんと最終日が武道館だ。すごい。もちろん、ベースはジーノ(日野賢二)。

10日(日曜)、ヴェルファーレの楽屋。フィリップ、ブレンダ、ドラムスのJRロビンソンらが談笑。彼らが早口英語でしゃべると、皆目、何を言っているかわからなくなる。(笑) ドラムスのJRとは初めて会った。好きなドラマーはと尋ねると、まず、デニス・チェンバースときた。「もちろん、他にもたくさんいるよ」と付け加えたが。JRは、結構キャリアがすごくて、プリンス・ファミリーにもいたという。アレキサンダー・オニールや、メヴィス・ステイプルズなどのバックもてがけたことがあるという。

ブレンダは、土日、祝日はウエディングの仕事で大忙し。ホテルからホテルへ飛び回るらしい。4月~6月頃から11月くらいまで土日は休みなしだそうだ。で、結婚式でリクエストされる曲ベスト3は何かというと、「オー・ハッピー・デイ」、「キャント・テイク・マイ・アイズ・オフ・ユー(君の瞳に恋してる)」(略して「君恋」)、そして、「アメージンング・グレイス」だそうだ。「君恋」は、やはりボーイズタウン・ギャングのヴァージョンで頼まれるそうだ。

ギャツビーのCMソングを誰が歌っているかに関するみなさまの投票、ありがとうございます。コメント欄にグッチ裕三さんか、とあって、なるほど、彼も候補にいれればよかったと思った。それにしても、CMを歌ったゲイリー・アドキンス、これを機にぐっと有名になるんではないだろうか。


ENT>ESSAY

投稿者 吉岡正晴 : 06:31 AM | コメント (0)

August 13, 2006

What Is Like World Of Darkness

[ ESSAY>]

【真っ暗闇の世界とは】

暗黒。

目が見えないということはいったいどういうことなのだろうか。航志くんと話をしていて、いろいろと考えさせられた。例えば、何かものを食べるとき、飲むとき、普通、僕たちはお皿にのっている食べ物を箸やフォークなどで持って、それを口に持ってくる。あるいは、飲み物だったら、コップなどを口に近づける。ところが、彼らは自分の口のほうをお皿のほうに持っていく。そのほうが、安心できるのだ。

時間の感覚というのは、どのようにわかるのだろうか。例えば、僕たちは昼か夜かを、目から見る情報ですぐに知る。ところが、彼らにはそれがない。しいていえば、外に出て暑ければ、「昼間」で、涼しければ「夜」だということが、少しはわかることもあるらしい。我々はすぐに時計を見る。だが彼らは見ない。

よく言われるのは、スティーヴィー・ワンダーには時間の感覚がない、という事実だ。彼の生活は、朝起きて、ゴハンを食べて、夜寝るという普通のパターンではない。寝たいときに寝て、起きたいときに起きる。

では彼らにとって、寝てるときと、起きているときの差はどんなものなのだろう。きっと、意識が起きているということが、起きているときだ。

そうしたことを考えると、我々が日々の生活の中で本当に多くの情報を視覚から得ていることがわかる。そして、おそらく彼らは音を左右だけでなく、前後、上下というひじょうに立体的に捉えているのだ。我々は音がする方向くらいしか認識しない。だが彼らはその方向とおそらく音源への距離、その高さなども認識しているのだ。

航志くんは、会場で「客がのっているか、のっていないか、客が多いか少ないか」はよくわかる、という。僕らはたいがいそうした状況を目で見てわかるが、彼は音と空気、ひょっとしたら温度などで認識するのだろう。

そんな話をしていたら、航志くんのプロデューサーでもある永島さんが、今、青山で「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」というイヴェントをやっている、と教えてくれた。これは、普通の人に、まったくの闇の世界を体験してもらおう、というもの。約1時間半、ナヴィゲーターの導きだけで、暗闇体験をするのだ。一度すでに体験した彼によると「時間の感覚さえなくなる」と言う。

ダイアログ・イン・ザ・ダーク・オフィシャル・ウェッブ

http://www.dialoginthedark.com/

予約状況をみたら、かなりいっぱいになっている。僕も一度トライしてみて、その感想文をいずれ書いてみることにする。

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投稿者 吉岡正晴 : 03:27 AM | コメント (0)

June 26, 2006

Kani Rica's "How To Write Blog Tasty" Class Will Begin July

[ ESSAY>]

【人気作家カニリカ先生のブログ講座】

トラックバック。

先日のミント・コンディションをコットンで見たが、なんと終わるとドンと背中を叩く輩(やから)が。誰かと思えば、あの有名な放送作家のカニリカ先生ではないか。お~~、ひさしぶりです。ミント・コンディションやサウンズ・オブ・ブラックネスは、カニリカ先生がレコード会社勤務時代にプロモーションをてがけたということで、けっこう思い入れというか、思い出というか、そういうのがあったらしく、この日、ライヴ会場に足を運んだようだ。

いやーん!ばかーん!カニリカーン―人気女性放送作家のアイタタブログ999(?)連発カニリカ先生と雑談し始めたが、コットンは閉店、しかし、トコトンまでしゃべる機関銃のごとくのカニリカ・トーク止まらないので、店を変えることに。こういう時には丸の内近く東銀座のバー、Bへ。最近の話題としては、自著 『いやーん!ばかーん!カニリカーン―人気女性放送作家のアイタタブログ999(?)連発』の発売、ミュンヘン出張の件、また、なんと『ブログをおいしく書く方法』というトーク講座を池袋コミュニティカレッジでやることなどなどAin't No Stoppin Her Now。

「ええ? 何、講座の先生やるの? テーマは? いつから何時間?」 「事務所が持ってきたのよ。私のブログが本になったんで。上手な文章を書く講座とか、小説の書き方とか、エッセイ講座なんていうのはけっこうあるんだけど、ブログに絞った講座ってまだないでしょう。そういうのやったらおもしろいかな、って。7月から池袋のコミュニティ・カレッジで隔週2時間ずつ。でも、生徒が集まらないと、講座開講しないからさ、(あなたも)入って、入って。申し込み用紙、すぐ送るからさ。一回たしか3000円くらいよ。安いでしょ」と立て板に水の如くまくし立てる。

さすが「口八丁手八丁丁丁発止」で一レコード会社のプロモーターから、ラジオ番組制作会社社長を経て、売れっ子構成作家、作家、テレビコメンテーターにまで登りつめた勝ち組みの先生だけのことはある。もちろん、そのブログ講座の教科書は、生徒全員に買わせる自著『いや~ん!・・・』である。さすがだWinner Takes All。

「ねえねえ、なんだってさ、そういうのには『お試しコース』とかあるじゃない。一回無料で見れたりしないの?」と僕。すると 「ないないサイズ!! お金払いなさい」 「ひえー、で、何教えてくれるの? あ、わかった。僕が文章書いたら、ちゃんと『赤』いれてくれる(校正してくれる)んだ。わざと『て』『に』『お』『は』デタラメな文章でも書いてみよっかな」 「いやな生徒ね。どうしたらブログのアクセス数を伸ばせるとか、文章の書き方とかよ。思った通りのこと、感じたことをそのまま書きなさい、とかよ。誰でもできるわよ(笑)」

「ほ~~~。僕も細々とブログとやら書かせていただいんてるんですが、どうやったらアクセス数伸ばせるんですか」 「あなた、それは、講座聴きにいらっしゃい。なんで、ここでただでしゃべるか(笑&怒)」 「っていうかさ、何を教えるかっていうより、2時間、どうやって生徒を笑わせ続けるか、ネタを飽きさせないでやり続けられるか、そんなことばっかり考えてるんじゃないの?」 「んなこと、ないわよ!(プンプン)」 「いや、あちこちにネタ仕込んでるでしょ、間違いない! カニリカ先生だったら、カニリカーンのお笑い講座とか、ありがちだけど、大人の恋愛講座とか、カニリカーンのイケメン・リターンズなんかがいいんじゃない?」  「おだまり!」(ビシッ) 

カニリカセンセイの公式ブログ
http://blog.eplus.co.jp/kanirica/

7月から始まるその講座
http://college.i-printnet.jp/html/200604/20060410/20060419078.htm(おい、このアーティスト写真! なんだ、これ! やりすぎじゃないか?(笑))

そうだ、一日2000アクセスあるカニリカ先生の日記に毎回トラックバックすれば、一挙にアクセス数アップか。な~んだ。これだな。これぞ「神頼み」ならぬ「カニ頼み」~~

(先生からお花丸もらえるかなあ・・・。万一このブログを読んでカニリカ講座申し込んだ人がいたら、ちゃんと報告するように(笑))

ENT>ESSAY>
PEOPLE>Kani, Rika

投稿者 吉岡正晴 : 01:34 AM

June 11, 2006

Teacher's Summit At The Event

[ ESSAY>]

【日本の教育の将来を担う二人の教師】

教育。

世間では本当に嫌な事件や事故が相次いでいる。最近はエレヴェーターに乗るときには必ずそのメーカーを確認するようになった。そうしたら、ありましたよ、シンドラー社のものが。なんと、よく行く三宿のソウルバー「ソウルナッツ」の入ってるビルのエレヴェーター。もっとも「ソウルナッツ」は2階なので、今後は絶対に階段で行くことにした。

さて、6月6日(火曜)ソウルムーンさん主催のユアスというイヴェントに行った。これが第二回で、多くのダンサー、ライヴ、DJなど盛りだくさんのパフォーマンスが紹介された。会場の西麻布の「クラブM」は、初めて行ったが、数年前からあって、何度か改装して現在の形になっているという。六本木通り沿いで渋谷から来るとボヘムの手前。ちょうどバス停の手前あたりになる。地下一階、二階までありかなり広い。

ライヴは、前回も出演したナオキ君のバンド。今回はドラムス、ギター、ベースのいつものメンバー。オリジナル2曲を含めたちょっとロックっぽいサウンドを聞かせた。ナオキ君のヴォーカルに、いつも思うが、この白根佳孝君(ドラムス)、小林兄弟(ベースとギター)のリズム隊はなかなかいい。イヴェント自体も朝までかなり盛り上がっていたようだ。

ちょうどイヴェントにいらっしゃったルーサー市村さんや「ソウル・サーチン・ザ・セッション」に出演予定のアーティスト、岡さんらと上の階(地下一階)に移動。よく考えてみると、ルーサーさんも学校で歌を教え、岡さんも絵画を教えているというまさに「先生」である。

ひょんなことから立川の話になり、岡さんがそっちのほうによく行くというと、ルーサーさんが「なんでまた、何しにいかれるのですか」と質問。「(絵を)教えに行ってるんです」と岡さん。「先生ですか??」とルーサーさん、アフロヘアの先生ということにかなり驚嘆した様子。しかし、はたで見てると、日サロ週3日黒光りのルーサーさんが音楽の先生というのも、かなりの強烈なインパクトで、どっちもどっちという感じだが(笑)、しばし歓談。

岡さんにどんな風に生徒に教えているのか、みたいな話を聞いていたところ、才能が伸びる生徒というのは必ずいるもので、「中には、自分(岡さん)よりもうまく描けてしまうような生徒がでてきちゃうんですよ」と笑いながら言う。すると、すかさず、ルーサーさん横から「そういうのは潰しにかかるんですか」と。爆笑。美術、絵画などは、基本的な構図や美術的なことなどを教えると、ある程度腕を上げて絵が上手になる、という。

では、ルーサーさんは、これは自分よりすごいなと思うシンガーが生徒にでてきたら、どうしますか? 潰しにかかります? (笑) 「いやいや、(笑) どこかの事務所を紹介しますね」 その後も、ルーサーさんと岡さんの教師談義がしばし続いた。

スキンヘッドの音楽教師ルーサーさんやアフロヘアの美術教師岡さんら生徒の才能を伸ばすことに力を注いでいる2人が学校の先生として、日本の音楽教育、美術教育を担っているということは、将来の音楽界、美術界も明るいと言っていいのだろうか。「いや、これは日本の教育も問題ですな(笑)」とルーサーさん。いやいや、ご両人、日本一受けたい授業をやってくださいませ。奇しくも教師サミットになった夜であった。

そうそう、なんと岡さんの住んでいるマンションの2台のエレヴェーターもシンドラー社製だそうだ。僕が「健康のためにも、命のためにも、歩いたほうがいいですよ」というと、岡さん「そうなんですけどねえ・・・。根性なくて・・・」と苦笑した。

■ルーサーさん出演・リアル・ブラッドのライヴ、今日と明日

2006年6月11日(日)
東京 表参道FAB (ファブ)(渋谷区神宮前 4-2-12 WES B1F)
Open 17:30/Start 18:00

2006年6月12日(月)
東京 表参道FAB (渋谷区神宮前 4-2-12 WES B1F)
Open 18:30/Start 19:00

両日とも 前売 4,000円 当日 4,500円 全席自由 (別途ドリンク代500円が必要)
お問い合わせ: FAB TEL:03-5772-8566
http://www.fab-web.net/

■ブラザー・トム&ルーサー市村・デュオライヴ

2006年6月14日(水)
場所 東京表参道FAB(渋谷区神宮前 4-2-12 WES B1F)
時間 Open18:30 / Start19:00
料金 前売\4,000,当日\4,500:全席自由(別途ドリンク\500が必要)
お問い合わせ先FAB TEL:03-5772-8566

■リアル・ブラッド公式ウェッブ

http://www14.big.or.jp/~realblod/

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投稿者 吉岡正晴 : 03:51 AM | コメント (0)

December 09, 2005

Very Interesting Facts: Between Lincoln & Kennedy... 

[ ESSAY>]

【偶然もここまで来れば・・・】 

偶然。

ソウルメイトMより、こんなメールがやってきた。誰かが書いて誰かに送ってという、いわゆるチェーンメールなのだろう。だが、ちょっとおもしろいので紹介してみたい。神のいたずらか。とくとご覧あれ。原文は英語だったので、軽く訳をいれておきました。

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Abraham Lincoln was elected to Congress in 1846.
John F. Kennedy was elected to Congress in 1946.

(エイブラハム・リンカーンは1846年に国会議員になった。
ジョンFケネディーは1946年に国会議員になった。)

Abraham Lincoln was elected President in 1860.
John F. Kennedy was elected President in 1960.

(リンカーンは1860年に大統領になった。
ケネディーは1960年に大統領になった。)

Both were particularly concerned with civil rights.
Both wives lost their children while living in the White House.

(二人とも特に公民権運動に関心を寄せた。
二人の妻とも、彼らがホワイトハウス在籍時に子供を亡くしている。)

Both Presidents were shot on a Friday.
Both Presidents were shot in the head.

(二人の大統領ともに、金曜日に暗殺された。
二人とも頭に銃弾を受けた。)

Now it gets really weird.
(さあ、ここからもっと奇妙ですよ)

Lincoln 's secretary was named Kennedy.
Kennedy's Secretary was named Lincoln.

(リンカーンの秘書の名前はケネディー。
ケネディーの秘書の名前はリンカーン。)

Both were assassinated by Southerners.
Both were succeeded by Southerners named Johnson.

(二人の大統領とも南部出身者に暗殺された。
二人の後任はどちらも、南部出身の、その名もジョンソン。)

Andrew Johnson, who succeeded Lincoln, was born in 1808.
Lyndon Johnson, who succeeded Kennedy, was born in 1908.

(リンカーンの後任となったアンドリュー・ジョンソンは1808年生まれ。
ケネディーの後任となったリンドン・ジョンソンは、1908年生まれ。)

John Wilkes Booth, who assassinated Lincoln, was born in 1839.
Lee Harvey Oswald, who assassinated Kennedy, was born in 1939.

(リンカーンを暗殺したジョン・ウィルケス・ブースは1839年生まれ。
ケネディーを暗殺したリー・ハーヴェイ・オズワルドは1939年生まれ。)

Both assassins were known by their three names.
Both names are composed of fifteen letters.

(暗殺者はどちらも、3つの名前=単語=リー・ハーヴェイ・オズワルド=3ネーム=で知られる。
そして、二人の名前はどちらも15文字から成る。)

Now hang on to your seat.
(さあ、しっかり席にしがみついて!)

Lincoln was shot at the theater named 'Ford.'
Kennedy was shot in a car called ' Lincoln' made by 'Ford.'

(リンカーンは「フォード」という名前の劇場で暗殺された。
ケネディーは「フォード」製のリンカーンという車に乗っていて暗殺された。)

Lincoln was shot in a theater and his assassin ran and hid in a warehouse.
Kennedy was shot from a warehouse and his assassin ran and hid in a theater.

(リンカーンは、劇場で撃たれ、狙撃犯は倉庫に逃げ、隠れた。
ケネディーは倉庫(の窓)から狙撃され、犯人は劇場に逃げ、隠れた。)

Booth and Oswald were assassinated before their trials.

(ブースもオズワルドもともに、裁判を待たずして暗殺された。)

And here's the kicker...
(最後にとどめを・・・)

A week before Lincoln was shot, he was in Monroe, Maryland
A week before Kennedy was shot, he was with Marilyn Monroe.

(リンカーンが撃たれる一週間前、彼はメリーランド州モンローという街にいた。
ケネディーが撃たれる一週間前、彼はマリリン・モンローと一緒にいた。)

Creepy huh?
(身の毛もよだつような不思議な話でしょう?)

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では、ソウル・サーチャーからみなさんに1曲お送りしましょう。マーヴィン・ゲイで「エイブラハム、マーティン&ジョン」、1969年の作品。アルバム『ザッツ・ザ・ウェイ・ラヴ・イズ』からの感動の名唱です。

ENT>ESSAY>

投稿者 吉岡正晴 : 03:09 AM | コメント (0)

November 13, 2005

Sugarhill To Cotton Club To Sugarhill:

[ ESSAY>]

【ソニー・ロリンズ~コットンクラブ~シュガーヒル】

フィーヴァー。

シュガーヒル生まれのソニー・ロリンズのライヴが終って、ちょこっと楽屋にいれてもらった。控え室の別の間に通され、たぶん3-40分くらいしてから本人がでてきた。ステージではけっこう大きいように見えたが、実際はそれほど大きくはなかった。170センチより少し上という感じではないだろうか。着替えて、帰り支度をして、しっかり手にはサックスのケースを持っていた。付き人にでも持たせるのかと思ったら、違った。当たり前なのだろうが、飛行機に乗るときも、もちろん手荷物なのだろう。

ほんの4-5分程度しかいられないみたいなので、ただ「お会いできて光栄です」としかいえなかった。一瞬の隙を見て、写真をとってもらったが、なかなか大変そう。話し声はステージでもマイクを持ってしゃべっていたように、ちょっと甲高い。しかし、全体的にものすごく誠実そうな印象を受けた。

国際フォーラムをでて、すぐ道を挟んで隣にできたトキア(TOKIA)ビルをのぞいた。そう、22日に正式オープンするライヴハウス、コットン・クラブのはいっているビルだ。

関係者だけのレセプションはすでに火曜日あたりに終っていて、ただしビル自体は11月11日金曜が正式オープン。かなりの人で賑わい、地下一階のレストラン群の前には多数の花がところ狭しと並べられていた。どこの店も満員で入店待ちの状態だ。

コットンクラブは、ここの2階にはいっている。まだオープンしていないので、中は見ることはできなかったが、すでに準備は始まっている様子。かなりおしゃれな店になっているようだ。

ライヴのラインアップも数本決まっているので、ここら辺は見てから感想文をアップすることになると思う。現状で決まっているのは、キャブ・キャロウエイ、ベンEキング、レジーナ・ベル、JTテイラー、ウィスパーズなど。僕のもっとも得意とするブラック系ばかりなので、かなり期待している。昔のエムザ(有明)みたいになるのだろうか。(コットンクラブについては、改めて詳しくご紹介する予定です。)

そして、このビルを出て、一路六本木シュガーヒルへ。日本一音がいいソウルバーだ。

シュガーヒルの紹介記事
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200406/diary20040624.html

車を駐車場に止め、歩いてエレヴェーターに乗り、扉が開くと、なんと店の明かりがついていない。おおっ、今日は休みか? いや、まだあいてないのか。時刻は1時近い。やってないわけないが、マスター、風邪でもひいたのだろうか。マスター越川さんの携帯に電話しようと思ったら、なんと携帯に番号が登録されていなかった。あいにく手帳は、車の中。さあ、どうしようか、と思っていたら、エレヴェーターの扉が開き、「うぉあ~~~~」とマスターが何人かと登場。「あ~~、すいません、すいません。今、あけますから~~」 どうやら、お客さんの接待をしていてあけるのが遅くなったらしい。

まあ、中にはいってゆっくりやっててくださいと言われ、くつろぐ。まだ、マークレビンソンのオーディオは、温まるまで時間がかかるというので、しばしサブシステムの方で音をだしていた。僕も何枚かCD持参でやってきたので、それらを越川さんに渡して、かけてもらった。

この日たまたま持っていたのは、スティーヴィーの新作、ロッド・スチュワートの『グレイト・アメリカン・ソング・ブック 第4集』など。しばらしくしてから、大きなシステムで鳴らしてもらったら、さすがに重低音も、どこもかしこも素晴らしい音で聴こえてきた。スティーヴィーも音は良かったが、ロッドの音もひじょうによかった。

こういういい音で音楽を聴くと、しゃきっと背筋を伸ばして聴かなければならないなあ、と思う。いろいろかけたもらったりして、そろそろ帰ろうかと思ったところ、なんとソウルナッツなどでよく会うK君たちが5人で登場。かなりべろべろで、いきなりダンクラもので揃って踊りだした。「となりのトウキョウ・ア・ゴーゴーが9周年で、いま、そっちから移ってきたんですよ」という。トウキョウとここは、ほぼ隣のビル。歩いて一分だ。

ピーチェス&ハーブの「ファンタイム」、ダン・ハートマン、ドゥービーズなど典型的なダンスクラシックが次々と流れて、ソウルバー転じてディスコになった。「セプテンバー」「ブギワン」そして、「君の瞳に恋してる」ときたもんだ。彼らはいつのまにか汗だくになっていた。まさに、フライデイ・ナイト・フィーヴァーだ。ミスター・ロリンズ→トキアビル→シュガーヒルと、密度の濃い1日であった。

ENT>ESSAY>Night Cruising


投稿者 吉岡正晴 : 03:59 AM | コメント (0)

October 21, 2005

Communication Breakdown: How To Deal With New Acts

[ ESSAY>]

【新人プロモーションはいかに対応するか】 

学習。

先日の『ソウルブレンズ』にとあるゲストがやってきたのだが、これがちょっとやっかいだったので書いておきたい。実はこの出演者(女性2人組)、シングルのプロモーションでやってきたのだが、出身地は公開しない、名前は公開しない、行っていた音楽学校は公開しない、となにもしゃべらないのだ。まったく話にならないのであきれた。

その昔、アーティストをベールに包むためにプロフィールを秘密にしようなどというやり方があったが、今時、そんなことをやるアーティストも珍しいのだが、まあ、百歩譲ってそういう方針でやるなら、それもいいだろう。だったら、プロモーションで、のこのこラジオなんかに出なくてもいいのではないか。ずっとスタジオにこもって作品を一生懸命作ってればいいだけの話である。

別にこの子たちには、番組側からどうしてもでてくれ、と言って頼んだわけではない。レコード会社からプロモーションで出してください、ということで出演していたのだ。ラジオ番組というのは、ゲスト出演者に「しゃべってもらって」初めて成り立つ。しゃべれない人、しゃべりたくない人は、別に無理して出てくる必要はないのだ。もちろん、アーティストの中には音楽を作る才能はあるが、しゃべりが得意でない人もいるだろう。だが、誠実に対応してくれれば、それはそれでリスナーにもちゃんと伝わる。

インタヴュー嫌いのプリンスだって、ちゃんと初期には取材に答えていたし、今でこそめったにインタヴューを受けないマイケル・ジャクソンだって、デビューしたての頃は膨大な取材をこなしていた。この二人をプリンス、マイケルと比べるのも、プリンスたちに大いに失礼ではあるのだが。事務所の方針なのか、本人たちの考えなのかは知らないが、まあ、この二人組、10年早いよ。(笑) こういう調子だと、接した人たちはみんな応援しようとは思わないんじゃないか。

先日ゴスペラーズの事務所の社長小林さんが、村上氏のライヴ後の打ち上げでひじょうにすばらしいことをおっしゃっていた。たまたまこんどデビューすることになった新人歌手がいて、その人への言葉だったのだが、こうだ。「まず自分のレコードを宣伝してくれる(レコード会社の)プロモーター(宣伝)に気にいってもらわないとダメ。その次に媒体の人、ラジオ局のDJやディレクターやプロデューサー、雑誌や新聞記者などに気に入ってもらう、そして、そういう人たちが気に入ってくれて、やっとその先のユーザー(一般のレコードを買う人)に初めて(作品が)届く。最初はユーザーは一番遠くにいる。まず一番近い、プロモーターの人たちに自分たちの作品や自分たちが気に入ってもらえないで、どうして、それが最後のユーザーまで届くか。届くわけないでしょう。だから一番近いところから一生懸命やらないとだめなんだよ。デビューするまでよりも、本当はデビューしてからのほうが大変なんだ。デビューしたということは、もうその日その瞬間から、例えば、ゴスペラーズと同じ土俵に立つということだから。普通の人にとっては、同じように見えるわけだからね」 いやあ、さすが社長! 日本一!(拍手) 

アーティストの中には、たまに、取材側に対して必要以上に壁を張り巡らす人物がいる。それは、人見知りの性格のため、自分を守りたいため、あるいは、人とのコミュニケーション能力の欠如のためなどいろいろな要因があるのだが、メディアに出るという決断をしたのであれば、コミュニケーションの技術を持ってもらわないと困る。もし、自分はコミュニケーション能力がないと思うなら、メディアには出ないことである。それが一番いい。出ないという選択肢は、それでそれで別にかまわない。

今回のことで、こちら側が学習したこと。それはこうだ。今後ゲストのオファーがあったら、「ちゃんとしゃべれますか」「ちゃんとコミュニケーションできますか」「普通のことで公開できないことなどありませんね」ということを確認してから、出演許諾を出すことにしよう、と。

ENT>ESSAY

投稿者 吉岡正晴 : 03:05 AM | コメント (0)

September 12, 2005

The Soul Searcher Goes To Vote

[ ESSAY>]

【ソウル・サーチャー投票に行く】

投票。

日曜午後、投票に行こうと思ったら、ものすごい豪雨。バケツをひっくりかえしたような雨脚にさすがになえてしまい、とりあえず、『ソウルブレンズ』へ。番組では、シン・スンフンさんをご紹介し、6時過ぎに解散。

次の予定が7時すぎに目黒食堂だったので、その前に、投票所へ行くことにする。本当は、昨日までに不在者投票をしておこうと思ったのだが、昨日、なんとなくいきそびれていた。

さて、会場の第二日野小学校に近づくと、このエリアは普段の日曜には人などほとんど歩いていないのにやけに人が多い。会場は、現在この小学校を改築中のため、仮校舎になっていてちょっとプレハブ風。入口から、はいっていくと、まず郵送でおくられてきた投票券を出す。受付の女の子が住民台帳のようなものを、僕に見えないようにそっと確認する。券にチェックして「そちらにどうぞ」といわれて、次に進むと小選挙区用の投票用紙を渡された。

小さな机の横には仕切りがあって、鉛筆が置いてある。壁に候補者の名前が3人書いてある。そこでひとりの名前を書いて、投票箱にいれる。その投票するところをちょっと離れた椅子に座っている3-4人の人が監視している。

それを投票箱にいれると、もうひとつ別の机があって、こんどは比例区の投票用紙と裁判官の信任の用紙を渡される。このとき、僕が家から持っていった投票券は回収された。比例区は党の名前を書く。やはり、机のところに各党の名前が書いてある。党の名前を書いて、信任のほうは、よくわからないので、何も書かずに投票箱にいれた。ところで、なんで一度に3枚の投票用紙を渡さないのだろうか。たしかに3枚もあると、混乱するからかな。比例の用紙に、小選挙区の候補の名前を書いたりするからか。まあ、そういうことなのだろう。

出口のほうに進むと、監視している人から「ありがとうございます」と言われた。う~む。「おつかれさま~」ならわかるが、「ありがとうございます」っていうのは、どうなんだろう。(笑) まあ、貴重なお時間をさいていただいて、投票にきていただいてありがとうございます、ってことだろうか。もちろん、何も言われないより気持ちいい。

以上、ものの5分もかからなかった。もっとじっくり、ゆっくりエンジョイしてくればよかったかなあ。ソウルを探しに投票所に行ってみたが、さすがにひとかけらのソウルはなかった。ただ、一番感じたことは、小泉首相のキャッチフレーズのうまさだ。今回の選挙はそれに尽きる。


ESSAY

投稿者 吉岡正晴 : 03:12 AM | コメント (0)

August 12, 2005

A Friend Of 25 Years Ago Sent Me Email For The First Time

[ ESSAY>]

【25年前の友人からの初Eメール】

初メール。

四半世紀以上前に、六本木のエンバシーで知り合ったひとりの黒人がいた。横須賀の海軍にいた兵士で、当時20かそこらではなかっただろうか。週末になると多くの兵士たちと同じように六本木に遊びに来ていた。で、ひょんなことから仲良くなったのだが、彼が兵役を終えて国に帰ってからは、もう連絡がなくなった。たぶん、帰ったのが80年代初期か70年代の後期だろう。

一、二度、手紙のやりとりをしたかもしれない。それから十年以上だってから、突然エアメールのパッケージが届いた。な、なんとその彼がミュージシャンになってCDを出したので、送ってきたのだ。しかも、やっていた音楽はブルースである。

そして、またそのことをすっかり忘れていた。それから15年以上たったと思うが、昨日、1本のメールが入ってきた。なんとその彼からだった。もちろん、メールのやりとりはしたことがない。15年以上前にはインターネットでメールのやりとりなんかしていなかった。(ちなみに僕が最初のメールアドレスを獲得したのは93年、ニフティーだった。その直後、商用プロヴァイダーとしてはほとんど初だったリムネットでアドレスを取った。そのアドレスは、現在まで使っている)

書き出しはこうだった。Hello Masaharu. I hope that you are the right Masaharu. (ハロー・マサハル、あのマサハルであってほしいと願っています) いやあ、驚いた。こんなこともあるのか。

メールのやりとりを1往復してわかった。彼は今、テキサス州サンアントニオに住んでいる。17歳を筆頭に子供が3人もいる。ブルース、ファンク系のバンドをやっていて、なんとかがんばっている。時々、世界を旅している。

先日、当地のスタジオで友人と雑談している時、自分が日本にいた頃の話になった。そして、なぜか僕の名前がでてきた、という。すると、その友人が「じゃあ、インターネットで調べてみればいいじゃないか」と提案して、やってみたら、アドレスがわかった、というのだ。

「25年なんて瞬きをする間のことのように思わないかい?」と彼は書いてきた。自分のブルースバンドで、昨年、1日だけ横須賀のベースの中でライヴをやったが、翌日韓国へ出発だったため、連絡も取れなかったらしい。また、来年の2月に日本にライヴで来る話があり、その時にはぜひ会いたいと書いている。これは楽しみだ。彼の名前はウィリー・ジェイ、バンド名はウィリー・ジェイ&バンドだ。

改めてインターネットの力というか、すごさを感じた出来事だった。

投稿者 吉岡正晴 : 04:19 AM | コメント (0)

August 08, 2005

Rude Phone Caller Never Disclose Their Sources

[ ESSAY>]

【電話番号の入手先を明かさない電話主】 

慇懃無礼。

先日(3日頃)、筆者のもとに1本の電話がかかってきた。「明日(4日)、アップルのイヴェントがあるのですが、ぜひご参加いただきたいのですが。ご案内は行ってませんでしょうか」という。何日か前の郵便物にアップルの案内があったかもしれないと思い、探してみると、確かに来ていた。「スペシャルイベントにご招待します。8月4日(木)午前10時より 会場:東京国際フォーラム」とだけ書いてある。

イヴェントの内容などが書いてない。そこで尋ねた。「どのようなイヴェントなのですか」 すると、「それはわからない。言えない」という。「そんなのでは行けません。内容によってはおうかがいしてもいいですが、内容がわからないでは話になりません。何か新製品の発表ですか。ところで、僕のこの電話番号はどのように入手されたのですか」 「それもわかりません。申し訳ないのですが、言えません」 言い方は丁寧なのだが、話にならない。「人を朝の10時に呼びつけるのに、何があるかわからない、というのはおかしいと思いませんか。そんなことでは行けません」 「すいません、では来ていただけませんか」 「行きません」 

よく不動産の押し売りや、宝石とか、株とかのセールス電話がかかってくる。そういうのは、だいたい「ご主人さまでらっしゃいますか」という最初の一言で、わかる。だから10秒くらいで、「興味ありませんので」と言って切る。今回のマックの電話も、最初は僕を名指しできたので、誰かの紹介か、何か音楽関係者の名簿でも見たのかと思った。(もちろん、セールスでかけてくるのもどこかのなんらかの名簿から番号を入手しているのだろうが) 

イヴェントの案内など多数あるわけだし、イヴェントというのはとにかく人が来てなんぼのもの。つまらないイヴェントも多いわけだし、内容を見て判断しないことには話しにならない。記者発表ならまだしも、スペシャル・イヴェントなんていうところがうさんくさい。(笑) しかし、この電話は内容的には、そこらの押し売りセールスと同じなわけだ。内容は言えないが、とにかく来い、しかも午前10時とは、一体どういうつもりなのだろう。かなり不愉快になって電話を切った。それはそれですぐに忘れたのだが・・・。

で、その翌日、新聞を見て、「マック、国際フォーラム」の単語で、なるほどと合点が行った。なんだ、ただのネット配信開始の発表会ではないか。そんなに内容を隠すほどのものでもないだろう。行かなくてよかった。媒体向け発表は比較的午後とか夕方が多い。しかも午前10時の発表だと、その日の夕刊に記事がでてしまう。これは、よくない。ニュースは朝刊に載せてもらわないと。

たぶん、マックがネット配信を開始するとなれば、ニュースヴァリューがあるから、ちょっと変わったことでもやってみようなどと誰かが思いついたのだろう。この手のニュースなら、普通の記者会見で充分である。そのニュースのヴァリューはきっと媒体側が考えるだろう。

まあ、しかし、この慇懃無礼な電話のおかげで、ブログネタがひとつできて、マックも記事露出に成功したわけだから、むこうもしてやったりといったところだろうね。(笑) 

ESSAY>

投稿者 吉岡正晴 : 04:22 AM | コメント (0)

August 05, 2005

Neumann U-87: It's Kei's Mike

[ ESSAY>]

【ケイ・グラント氏のマイク】 

マイ・マイク。

2005-0804-1804.jpg「このマイク、つないどいてくれる?」 スタジオのアシスタントに彼はそう言って、ボックスを渡した。「なんですか、それ」 「あ~、これマイ・マイク」。ほ~~。「ノイマンっていうやつだけど、あるところと、ないところがあるのよ。で、今日はないと思って持ってきた」 ブリリアント・ヴォイス、ケイ・グラントがそう言って、このマイクへのこだわりを話し始めた。

1990年、低音の魅力を爆発させていたソウルフルなDJケイ・グラントの元に1本の仕事が舞い込んだ。サザン・オールスターズの映画『稲村ジェーン』のサントラに収録される1曲のイントロでラジオのDJのようにしゃべってくれという依頼だ。その曲は昔のヒットのカヴァー「愛して、愛して、愛しちゃったのよ」。

レコーディング・スタジオに出向くと、エンジニアが何十本ものマイクを並べて、ケイ・グラントの声を試した。世界の一流メイカーの高価なマイクロフォンが並べられていて、それは壮観だった。いくつものマイクを通した声を聞き、エンジニアは、ケイ・グラントの声に一番ぴったりのマイクを選んだ。「この低い声がもっとも滑らかに鳴り響くのはこれだ」 そう言って選んだのがノイマン社製のU-87という型番のマイクロフォンだった。このマイクは、海外でも、ホイットニー・ヒューストンを始め、マドンナやら著名なシンガーが指定するマイクとしても知られていた。

彼は「ナインティ・ポイント・ナインティーワン(90.91=アルバムの発売日、90年9月1日)」のラジオDJになって、絶妙のイントロ・トークを聞かせた。

以来、彼はラジオ局、テレビ局、ナレーションどりのスタジオなどで、必ずこのマイクをリクエストするようになった。実際このマイクで彼の声を拾うと、低音の響きが格段に違う。このマイクを常備しているところもあったが、ないスタジオもあった。そんな時、ケイ・グラントは、自分でこのマイクを持ちたいと思い始めた。「マイ・マイク」だ。だが、このノイマンのU-87は、けっこう高価だった。1本で約40万円する。しかし、いつかこのU-87を手に入れようと思っていた。

2005-0804-1806.jpg初めてノイマンU-87と出会ってから約10年。2000年1月、100人近くの友人たちが集まって誕生日パーティーを開いてくれた。その席上で、ケイ・グラントにプレゼントが贈られた。包装紙に包まれた大きな箱を開けてみると、そこには、NEUMANNの文字が目の中に飛び込んできた。ま・さ・か・・・。そして、重厚な箱の中にはあのあこがれのU-87が入っていたのだ。その日に集まった友人たちが、少しずつお金を出し合ってこの高価なマイクロフォンをケイ・グラントのために買っていたのである。10年間待ち続けた夢のマイクが、遂に彼のものになった。

こうしてノイマンU-87はケイ・グラントのマイ・マイクとなった。以来彼はどこに行くにもこのマイクの入った大きなバッグを担いでいく。今日もまた、ケイ・グラントはU-87にソウルをこめて語りかける。そしてU-87によって拾われた声が東京中の空に響き渡る。

声の仕事をしている者にとってマイクロフォンは商売道具だ。いかに自分の声をよく響かせるか。そのためには、たゆまぬ努力を惜しまないと同時に機材にもこだわる。「僕の場合、弘法、筆を選ぶ、ですから・・・(笑)」と彼は言った。いやいや、これは達人のこだわりと呼ぶ。

(写真上=ノイマンU-87を前にしたケイ・グラント氏、下=ノイマンU-87とそのキャリアと箱)

ケイ・グラント氏オフィシャル・ウェッブ・ページ
http://www.k-grant.com

ENT>ESSAY>Grant, Kei

投稿者 吉岡正晴 : 06:04 AM | コメント (0)

May 29, 2005

Why Do Machines Break Easily Lately?

[ ESSAY>]

【最近のマシンはなぜすぐ壊れるのか】

保証。

Ray / レイところで、先週の映画『レイ』のDVD視聴会でオーディオ評論家の先生といろいろお話させていただいた。亀山さんは、この日のシステムを選ばれた。スピーカーの位置などに実に細かく指示を出されていた。和田さんは、1948年生まれ、ちょうどLPがこの世に誕生した年に生まれたという。ちょうど、レイ・チャールズあたりだと、「ホワッド・アイ・セイ」のシングル盤をリアル・タイムで買っていたという。エルヴィス・プレスリーから入り、マイルス・デイヴィス・フリークでもあり、R&Bでは、ニューオーリーンズものなども大好きという。

雑談の中で、初めてのテープレコーダーはいつ入手されたか尋ねてみた。すると和田さんは64年だという。当時ソニーからかなり良い物がでて、初任給1万円か2万円くらいの頃、3万か4万円くらいしたはずだという。ところがその後ナショナルから1万円のオープンリールのテープレコーダーがでた。ソニーのは7インチ(17センチ=直径)のテープがかかったが、これは5インチのテープまでしかかからなかった。箱もプラスチックで若干安っぽい。それでも1万円という値段は魅力的で、夏休みに毎日アルバイトをしてお金を貯め、買ったという。たぶん1日バイトをして200円とか300円くらいで、5000円くらいまで貯金し、残りを親に出してもらったように記憶している。和田さんは、北海道の端っこの方に住んでいたので、もっぱらラジオを聴き、それをマイクを通して録音したりしていた。

ラジオは、昼間は北海道の地元の局しか聞こえなかったが、夕方の6時を過ぎると、空の電離層の関係で東京のTBS、文化放送、ニッポン放送が聞こえた。ラジオ関東は雑音の中に埋もれていてほとんど聞こえなかった。残念なことに、FENは聞こえなかったという。亀山さんも新潟で同じようにラジオを聞いていたが、やはり、最初の3局を夜になると聞いていた。

そして、ラジオ、テープレコーダー、音楽が揃い、オーディオと音楽の道に進むことになる。

ところで、最近のオーディオ製品とか電化製品はすぐ壊れるが、これは一体なぜなのですか、と尋ねた。例えば、ウォークマンなんて一年もして保障期間が切れるとそれを読んでいたかのようにすぐ壊れる。

亀山さんがいろいろ細かく説明してくださった。 「石油系の原料を使っているのが大きいんじゃないでしょうか。それから、昔は品質管理というか、そういうものが厳しかった。だが最近はそれほどでもないみたいだ」という。他にも、アジアの国、中国や台湾などで作られるものは、現地での管理体制がなかなかむずかしい、ともいう。

実際、うちにもソニーの79年に購入したベータマックスのビデオレコーダーがあり、これがまだ動く。その後に買った最初のVHSのマシン(87年購入)などもうだめになってる。総体的に言って、最近の機械はやわである。また、使っている素材がどれほど長持ちするのか、誰もわからないという点もあるらしい。

和田さんが、「いいオーディオには、いい匂いがするんだよねえ」とおっしゃった。国によって違って、それぞれの独特の匂いがあるという。たぶん、木で出来ているものなど、長持ちするということがわかっている。しかし、プラスチックやその他のものなど、どこで、どんな衝撃で割れたり、折れたりするのかが、予測不能なのだろう。

また、「耐久年数」などという文字がある意味で一人歩きしているのかもしれない。作る側も7年持てばいいだろう、とか。

マイ・ファースト・オーディオからすぐ壊れる話まで、ランチ時にずいぶんと濃い話を聞かせていただいた。なお、これは、DVDの『レイ』を見る前の話である。

ESSAY>AUDIO

投稿者 吉岡正晴 : 04:25 AM | コメント (0)

May 10, 2005

Circle Of Conversation: Between KC & Osshy 

[ ESSAY>]

【循環会話】

ループ。

ジョン・レジェンドのライヴを見るために渋谷デュオに入ろうとすると後ろから、なんとあのプロデューサー松尾潔氏が。「久しぶり・・・」といいつつ、一緒にレジェンドを鑑賞することに。入るなり音がでてきたので、もう開始かと思ったら、オープニング・アクト。中はものすごい人、身動きするのも、飲み物を取りにいくのも一苦労で、とりあえず、場所を確保することになった。

「吉岡さん、今日来るって(日記に)書いてたから来ましたよ」と松尾氏。いやいやいや、さすがです。そのトークが、あらゆるアーティストの心をわしづかみか。前々から一度松尾さんのウェッブページをご紹介しようと思っていて、なかなかタイミングがなかったのですが、ここで一挙にご紹介しましょう。

彼の公式のホームページができています。フラッシュなども使いかなりおしゃれな感じ。友人のウェッブデザイナーが作っているそうですが、彼のコラムは自分ではアップしていなくて、やはりメールを送ってアップしてもらうそうです。

アドレスは次の通り。
http://www.nevertoomuch.jp/


松尾氏の現在のプロデュース作品、これまでの作品などのリストが徐々にできあがっていくという。彼のコラムは、週一の予定ですが、多忙の時は微妙に遅れます。(笑) レイ・チャールズの本の紹介をしてくれた時に案内をもらって、この日記でも紹介しようと思っていつつ、なんとなくできてませんでした。すいません。

この前は、NHKで見た阿川さんの「流行言葉を使った文章はすぐ死ぬ」(2005年4月27日付け日記)http://blog.soulsearchin.com/archives/cat_essaywriting.htmlに同感だというメールをいただきました。
立ち話ではいろいろ出たんですが、7月の『エッセンス・ミュージック・フェスティヴァル』について。松尾さんはこれまでに7回くらい行ってるそうで。今年は7月1日から3日まで、ニューオーリンズのドームで7~8万人を集めて行われます。ブラックの雑誌「エッセンス」が主宰して毎年やっているもので、これねえ、一度は行きたいですねえ。

ただいい席のチケットなどは、やはり半年位前から売り出されているので、なかなか入手は難しいのでは、とのこと。

そんな雑談をしているうちに、オッシー登場。「おおおっ、松尾さ~~ん。全然連絡とれないんですよ~~」と相変わらずの調子。「またまた、そんな~~。いつでも連絡取れますよ」と松尾氏。この会話のやりとり、前にも聞いたことがあるぞ。これぞ、会話のループだ。別名・循環会話とも言う。ま、そういうのって、最近、よくあります。年のせいなんでしょうか、それとも、みんな忙しすぎるんでしょうか。

ESSAY>

投稿者 吉岡正晴 : 07:47 AM | コメント (0)