April 14, 2008

Some Times, A Piece Might Influenced Somebody

[ ESSAY>WRITING]

【時にひとつの文章が、誰かに影響を与えることもある】

影響。

こうして文章を書いていると、ときに、その文章が本人の知らぬ思わぬところで影響を与えることがある。先日、ノーナ・リーヴスの西寺郷太さんと会ったという話をブログに書いた。

April 07, 2008
Talk About MJ With Nishidera Gota, MJ-Spirit
【マイケル研究家・郷太観】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002437.html

そうしたら、彼も自身のブログでそのときのことを書いてくれた。(下記ノーナ・リーヴスのページから、下のほうにあるLIFE →GOTAMA’S LIFETIME へ進み2008年4月8日付けに行ってください)

ダイアリーへのリンク (日付が進むと、ページが変わりますので、2008年4月8日付けへ)
http://www.nonareeves.com/cgi-bin/nr_bbsultra.cgi?number=1&category=0&type=read&file=bbs_a

ノーナ・リーヴスのウェッブ
http://www.nonareeves.com/

自分がその昔、書いた文章が後世の人たちに影響を与えているというのは、ひじょうに嬉しく思う。そして、同時に責任も感じる。文章、特に活字になるものというのは、後世まで残る。新聞、雑誌(週刊誌や月刊誌)などでも、すぐにハードコピー(現物)はなくなるが、アーカイブとして残る可能性が高い。極端な話し、図書館には残るだろう。さらに、インターネットだと、削除しない限り、その文章は未来永劫残ることになる。それを考えると、より正確な文章を書かなければならないとつくづく思う。もちろん、ネットの場合は、まちがいを発見したら、すぐに訂正できるという利点はある。訂正できないアーカイブがどこかの倉庫に残ることもあるが。特にブログの場合、「書いて出し」なので、細心の注意を払ってもどうしても小さなミスなどが残ることがある。改めて、文章を書くときには細心の注意を払いたい。

さて、もうひとつ、自分が書いた文章について。アル・マッケイのライヴ評を2008年3月21日付けで書いた。

March 21, 2008
Al McKay Allstars Live : Big Party Is Happening On The Stage
【アル・マッケイ・オールスターズ~ステージ上は大パーティー騒ぎ】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_03_21.html

そうしたら、どうやらアル・マッケイ本人がこの日本語で書かれたライヴ評を見つけたらしく(タイトルは英語)友人の日本人の方に翻訳を頼み、英語で読み、マッケイ本人からごていねいにお礼のメールをもらった。これにはびっくりした。日本人のミュージシャンの人たちがどうやらこのブログを読んでいるらしいことは、直接お会いしたときに話にでたりするが、海外のアーティストだと、やはり言語の問題もあり、なかなか読む機会は少ないと思う。

そして、その英語ヴァージョンがアル・マッケイの公式ウェッブに掲載された。
http://www.almckay.com/reports.php?news_id=35&start=0&category_id=9&parent_id=9&arcyear=&arcmonth=

アル・マッケイ公式ページ(英語)
http://www.almckay.com/
ここからHOME→PRESS REVIEWS→SHOW REPORTS→Al McKay Allstars Live: Big Party Is Happening On The Stage
March 21, 2008

しかし、最近このソウル・サーチンの「ライヴ評」はかなり読まれているらしいということは認識している。このライヴ評を読んで、それに行くかどうか、またセットリストを見て、行くかどうか決める人もけっこういるらしい。そういうライヴガイドになっているとすれば、嬉しい限りだ。

普段、自分の文章が誰に読まれているのかとか、それほど気にしないのだが、こういうことが続くと、改めて気を引き締めようと思う。(笑) じゃあ、いつもは気を抜いてるのか、っていうと、そんなことはもちろん、ないんですけどね。(きっぱり)(笑)

ENT>BLOG>


投稿者 吉岡正晴 : 01:56 AM | コメント (0)

April 27, 2005

Knack For Writing Piece With Longevity

[ ESSAY>WRITING]

【すぐ死ぬ文章】

永続性。

たまたま昨日NHKの昼の番組を見ていたら、阿川佐和子さんがでていた。話はいろいろおもしろかったのだが、お父さん(作家の阿川弘之氏)に文章について言われたという言葉が印象に残った。

それは「流行(はやり)言葉ばかり使っていると、文章はすぐに死ぬ」という言葉。う~~~む、深い。そして、おっしゃる通り。よ~~~くわかる。

やはり、僕もまあ、長い間いろいろ書いているが、結局、普通に書くのが一番という結論に達する。奇をてらって書くのもなんとなく、その場はいいのだが、そういうのは、結局後から読んでみると意外と恥ずかしかったりする。

そういう意味では雑誌などの定期刊行物に書くのと、CDのライナーノーツなど資料性の高いものに書くのではずいぶんと違う。雑誌の原稿というのは読まれる期間がせいぜい一ヶ月くらい。もちろん、将来その原稿を一冊の単行本にしようとなるなら、一ヶ月という短期ではないのだが、とりあえず、次の号がでれば忘れられる。(もっとも文字に印刷されたものは、ずっと残るからいつ誰に読まれるかはわからないが)

ところが、CDのライナーなどは、そのアーティストの新作が出たときに前のアルバムのライナーが読まれる。その間隔は1年であったり、2年であったり、スティーヴィーのようなものだったら、10年だったりする。そうなると、何年か前の気分で書いた軽い文章ではまずい。つまり「流行の言葉を使って、死んだ文章を書いている」となるとこれはちょっと恥ずかしい。

ウェッブはさらに微妙だ。何年後にも残るだろうが、消すこともできる。また、古いものも、即座に書き直しができる。まちがいもすぐに訂正できる。となると、ウェッブの文字というのは、紙媒体ほど重くないということなのだろうか。

ただいずれの場合でも、永続性がある文章、末永く読まれる文章というものは、確かに存在するということだろう。やはり、何度も推敲(すいこう)した文章は、長く読まれえる確率が高い。それはライナーだろうが、雑誌だろうが、単行本だろうが、ウェッブだろうが、本当は関係ないのだが。「文章がすぐ死ぬ」という言葉を聞いていろいろと考えさせられた。

投稿者 吉岡正晴 : 08:16 AM | コメント (0)